米金融危機再来の懸念

2010年9月26日  田中 宇

 9月23日、米オバマ大統領の経済顧問で、米連銀(FRB)の元議長のポール・ボルカーがシカゴ連銀で講演した。ボルカーは、用意してあった講演原稿を全く使わず、即興で別の話をした。彼は、怒ったようにポケットに手を突っ込んだまま、銀行業界からビジネススクールまで、金融バブルを拡大させた諸勢力を手当たりしだい非難した。「金融システムはリーマン倒産以来、ずっと壊れた(broken)ままだ」などと語った。自分が作ったオバマ政権の金融改革法を自画自賛しつつも「金融界からのロビー圧力を受け、米当局がうまく金融改革法を施行していけるかどうかわからない」と述べた。(Volcker Spares No One in Broad Critique

 私が注目したのは、ボルカーが「金融システムの中でも決定的に崩壊しているのは、不動産担保債権(債券)市場(mortgage market)である」「不動産担保債権市場は、偶然にも、米国の資本市場の中で最も重要な部門となっており、米政府の傘下に置かれた(subsidiary)部門でもある」と述べたことだ。

 このボルカーの指摘は、私にピンとくるものがある。「不動産担保債権市場が、米政府の傘下に置かれている」という意味は、米国の不動産債権の大きな部分を占める住宅ローン債権の大半が、ファニーメイとフレディマックという米政府系の住宅専門金融機関2社の債務保証を受けている。ローン債務者が失業などによって返済できなくなって債権が不良化した場合、ローンの貸し手の銀行は、政府系2社から金を出してもらえる。2社は表向き独立採算制だが、経営破綻した場合は、米政府が2社の債務を引き受けることになっている。つまり、米国で住宅ローンの破綻が一定以上に増加し、政府系2社も破綻すると、最後は米政府の公金、つまり米国民の税金で、不良化した銀行の住宅ローン債権が穴埋めされる。だから「不動産担保債券市場が、米政府の傘下に置かれている」ということになる。(The True National Debt

 住宅ローンと並んで大きな不動産担保債権市場である商業不動産の不良債権も、商業不動産相場の下落傾向が続く中で、米当局に抱えてもらっている。08年秋のリーマン破綻以来、米銀行界が抱える商業不動産担保債券(ジャンク債)を、米財務省が買い取りるとともに、米連銀が担保として受け入れて巨額の金を銀行に貸し出す量的緩和策をやっている。1980年代までの金融危機では、連銀などが抱えた担保割れの不良化した不動産担保債券は、何年か経って不動産市況が回復すると、最終的に連銀の儲けになって終わっていた。しかし今回は、どうも不動産市況の二番底が来そうで、以前のようなハッピーエンドにならない可能性が拡大している。

▼最も崩壊しているのは不動産債券市場?

 不動産担保債券の多くは「ジャンク債」として売買されている。ジャンク債市場は今、異様な活況を呈している。不動産担保債券市場は、以前の記事に書いた「影の銀行システム」そのものであるが、リーマン倒産によって崩壊しかけた影のシステムは、その後、もともと影のシステムを拡大発展させた立役者であるJPモルガン・チェースなどの尽力によって復活し、今年初めから回復基調にある。(Aviva Sees High-Yield Bond Boon in `Goldilocks' U.S. Economy)(影の銀行システムの行方

 ジャンク債の破綻率は昨年8月に13・2%だったものが、今年8月には5・1%に下落し、その後も下落傾向だ。最も信頼のおける債券とされる米国債と、信頼のおけないはずのジャンク債との利回り差が1・8%ポイントまで縮小している。いったんジャンク債の市場が好調になると、金融機関は破綻しそうな企業にも金を貸しやすくなって企業破綻が減る好循環に入る。(Bond Markets Get Riskier

 ジャンク債市場が好調なので、赤字会社でも債券を発行して資金調達でき、米国の倒産件数が減っている。ムーディーズの格付けで倒産寸前の評価である「B3ネガティブ」の企業数は、昨年6月の288社から、今年9月時点で195社へと減っている。倒産が少ないので、マスコミは「景気は回復している」と報じる。ジャンク債市場で調達された資金が株式市場に投入され、株価を下支えしている。これも「景気回復」の象徴と報じられ、米経済の状況はそれほど悪くない、という話になっている。(Default Risk in U.S. Drops to Lowest in 2 Years, Moody's Says

 ボルカーが言った「不動産担保債権市場は、偶然にも、米国の資本市場の中で最も重要な部門となっている」という言葉の意味は、ジャンク債市場が作った資金が、倒産を防ぎ、株価を押し上げて、米国の(表向きの)景気を支えているという意味だろう。「偶然にも」(only happens to be)というのは、本来なら鉱工業やサービス業などの実体経済の状況が株価や景況感に反映されるべきところを、今の米国はそうなっておらず、ジャンク債の資金が横入り的に株価などの景況感を支える結果となっているという意味にとれる。

 昨今のジャンク債の活況を見る限り、ボルカーがいう「金融システムの中でも決定的に崩壊しているのは、不動産担保債市場だ」という指摘は間違っている。だが、07年夏に米国でサブプライム住宅ローン債券市場の破綻から金融危機が起こり、ジャンク債市場が崩壊状態になった過程を見ると、ジャンク債市場が活況すぎるのは、むしろ危険な状態だと感じられる。市場が活況になるほど、投資家は高利回りを求めてリスクの高い債券を好んで買うようになって「バブル」が拡大し、担保不動産の価格下落による市場崩壊の懸念が潜在的に増すからだ。(Ultra-Low Bond Yields a `Double-Edged Sword,' Wells Fargo Says

 米国の住宅や商業地の不動産市況が良いなら危機再来の可能性は少ないが、実際には米不動産市況が悪化している。不動産市況が悪化してジャンク債の担保割れが広がり、それが一定以上の規模になったところで、投資家がジャンク債のリスクを急に心配し始めるパニックが起こり、一気にジャンク債が売れなくなって、経済を下支えしていた債券市場(影の銀行システム)の全体が凍結・崩壊し、実体経済まで悪化したのが、07年夏以降の米国発の世界経済危機の本質だ。同じパニックが繰り返される恐れがある。本質論として、ボルカーの警告は正しい。「サブプライム危機のバージョン2が起きる」という予測も出ている。(Subprime 2.0 Is Coming Soon to Suburb Near You: Edward Pinto

▼粉飾される米住宅相場

 米国の住宅価格は下落傾向にある。その上、価格の下落を防ぐ粉飾策まで行われているという指摘が出ている。粉飾は複数の手口が指摘されている。その一つは、全米不動産協会(NAR)に所属する全米の不動産業者が入力している中古住宅の売買指標になっているMLS(Multi Listing Service)に対し、実際よりかなり高い販売価格を入力する不動産業者が多いという疑いだ。住宅市況が悪化しているため、売り手が希望する価格よりかなり安く約定するケースが多いのに、売り手の希望価格の満額で売れたとMLSに入力する業者が多い。最大で40%の価格粉飾が見られるという。(Painting the Real Estate Tape: Bogus Housing Sales Prices

 価格下落防止策の二つ目は、住宅ローンの貸し手である銀行がやっているものだ。債務者がローンを返せなくなった時、銀行は、ローンの担保となっている住宅を差し押さえて競売にかけるのが通常だが、これだと競売にかけて安く買いたたかれた時点で安い価格が確定し、大量の競売物件が出る昨今の状況下では、住宅価格の下落に拍車をかけてしまう。それを防ぐため銀行は、債務者が住宅を売りに出し、その売上代金分を銀行に渡せばローンを清算できる「ショートセール」に出すことを認める。住宅価格が下がる中、ショートセールに出すとローン総額より低い価格でしか売れないが、銀行は、物件が売れるまでローン破綻を確定して損失計上することを延期できる。高めの価格をつけて売りに出せば、買い手がつかないので、銀行はずっと損失を確定せずにすむ。(Short sale (real estate) From Wikipedia

 全米の中古住宅の売り物件は今年4月以来25%増えたが、増分のかなりの部分がショートセールだ。住宅相場の下落が激しいカリフォルニア、アリゾナ、ネバダの各州では、今年7月に売りに出た中古住宅の30%以上がショートセールだ。市場に売りに出さず、指標に出てこない隠れたショートセールも多いとされ、これらは「影の住宅在庫」(Shadow Housing Inventory)と呼ばれている。マイアミ、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴなどの大都市でショートセールによる価格粉飾が顕著だ。影の在庫が市場に出てこざるを得なくなると、住宅市況は崩壊的に下落し、住宅を担保とする債券の市場(影の銀行システム)も崩壊する。(Shadow Housing Inventory: The Coming Avalanche?

 これとは別に、米政府が支援援助して返済困難な住宅ローンを再編する事業も行われており、再編の過程に入っているローンも、銀行の不良債権から除外されている。その総数は全米で50万件以上で、これも住宅下落の延命策となっている。

 延命策は無限に続けられるものではない。米銀行界では、債券市場が好調な今のうちに資金調達し、その資金を損切りに回すことで、住宅ローンの不良債権を償却しようと、抱えている住宅物件を売りに出す動きが始まっている。これは個別銀行の延命策にはなるが、住宅市況を悪化させる。住宅市況では、需給の悪化より、銀行による放出の方が、ずっと激しい下落を引き起こすことが知られている。(Surge in Housing Supply Will Drive Down Prices

 ウォールストリート・ジャーナルは「今後数ヶ月の米住宅市況は、ローン金利や米国民の住宅購買意欲に依存するのではなく、銀行がローン破綻した物件をどう処理するかによって大きく変わる。銀行が物件を放出すると、短期間で住宅相場が大幅下落する。リーマンショック前がそうだった」と書いている。(Banks' Plans for Foreclosed Homes Will Drive Market

▼破綻再来は早ければ今年中

 ニューヨークタイムスには「無理をして住宅価格を下げないようにし続けても需要が回復しない。価格維持策をやめて、いったん下げるところまで下げた方が良い」という意見が載った。だが、そんなことをしたら、まさに自滅だ。住宅価格が下がるだけでなく、銀行の倒産、債務保証していたファニーメイとフレディマックの破綻と何兆ドルかの財政支出の必要、影の銀行システムの再崩壊による債券市場の崩壊と、資金源がなくなったことによる株価の急落、金価格の高騰、米国債を含む債券金利の高騰、ドルと米国債に対する国際忌避などを引き起こしてしまう。(Housing Woes Bring a New Cry: Let the Market Fall

 すでに米国以外の各国中央銀行は9月中旬、フレディマックとファニーメイなど米国の公債を、一週間で7%も売り払っている。今後、米国の不動産市況が悪化するときが、米金融とドルと米国債の崩壊が再び顕在化するときになると考えられる。それは、早ければ今年中に起きそうな感じになっている。(Central Banks Cut Holdings of U.S. Agency Debt by 7% This Week



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日中対立の再燃(続)

2010年9月21日  田中 宇

この記事は「日中対立の再燃」の続きです。

 尖閣諸島での海保と中国漁船との衝突事件を機に、日本と中国が敵対関係になっているが、今、日中が敵対しているのは、尖閣の問題だけではない。為替の問題でも、中国側が、日本国債など円建て資産をさかんに購入し、円高の一因を作っている。中国側は、今年に入って総額200億ドル(1兆7千億円)分の円建て資産を買った。これは、過去5年間に中国が買った円建て資産の合計の約5倍にあたる。(China's Yen for Japan's Currency

 日本国債は国際市場で売られているので、中国政府は日本国債を自由に買えるが、中国の国債は自由市場で売られていないため、日本政府は中国国債を買って仕返しすることができない。日本政府は中国政府に、この件で話をしようと提案したが、尖閣の衝突が起きたので、話し合いは進んでいない。(Japan alarm over China's JGB purchases

 円高傾向に対し、日銀は6年ぶりに公式な円売りドル買いの市場介入をやって、なんとか為替相場を円安の方向に引き戻した。だが投資家たちは、介入が長期的な効果を持つと予測せず、日銀が介入をやめたら再び円高がぶり返すとの予測だ。1ドル80円を超え、史上最高値を更新する円高になりうる。(China's shadow looms over yen

 中国側(政府と政府系企業)は日本国債だけでなく、韓国国債など韓国ウォン建ての資産も増やしている。中国は、米国債を買う代わりに日韓の国債を買い、ドルではなく円やウォンの資産を増やしている。これまで議会など米政界は、中国がドル買いによって人民元の対ドル為替を安すぎる水準に固定していると非難してきた。中国がドルの代わりに円やウォンを買うようになったのは、米国からの非難をかわすためでもある。(Yen Intervention, China and the U.S. Dollar

▼満州事変的にはめられた?

 中国側が日本国債を買う主目的は、米国債やドルの崩壊感が強まっているため、米国債などドル建て資産を減らす一環として、日本国債や韓国国債を買っていると考えられる。今の日本はマスコミによる扇動の効果で「中国が悪い」と考える傾向が強いが、円高を演出して日本経済をつぶすのが中国の当初からの目的とは考えにくい。中国が日本を財政的につぶそうと突然巨額の日本国債を売却しても、日本国債の9割近くは事実上売却できない日本の機関投資家が持っており、大した効果はない。中国が米国債を大量売却する場合とは事情が全く異なる。

 だが、中国の円買いは日本側を困らせている。ここ数年、米欧日の通貨当局は、米欧日が連携して為替スワップなどで市場介入する場合には、こっそりやって「為替介入などしていない」と言うことになっていた。しかし日本当局は今回、欧米と連携せず、単独で為替介入をした。米国は「ドル安円高は貿易不均衡が改善されるので結構なこと」と思っているし、欧州は、ギリシャなどの財政危機の影響でユーロが低めだから為替介入の必要がない。単独で介入した日本に対し、米欧はルール違反だと批判し、日本は介入の事実を認めざるを得なくなった。

 日銀が6年ぶりの為替介入をしたことを認めたのは9月15日だっだか、この日はちょうど、米議会が中国が「為替操作」をしているかどうかについて2日間の議論を開始した日だった。米議会では「せっかく中国の為替操作を批判しようと思っていたのに、日本が勝手に為替介入して為替操作をやってしまったので、中国を批判できなくなってしまった」「中国の貿易黒字を減らしても、日本の貿易黒字が維持されるのでは意味がない」という日本批判が噴出した。(China's Get-Out-Of-Jail Card Vexes Geithner: William Pesek

 昨今の円高は、中国が一因を作ったものなのに、その対策としてやむなく日本が為替介入すると、悪いのは日本だという話になってしまった。しかも、日本の為替介入は短期的な効果しかなく、いずれ円高がぶり返すのは必至だ。そして、人民元のドルペッグは今後も維持され、中国は元高に見舞われないだろう。日本が「はめられた」感じがする。

 中国単独では、ここまで日本をはめられない。米議会の主力は、軍事面では反中親日だが、経済面では反中反日である。そこに「台頭する中国に抗しきれない」「中国の力を借りないと世界を動かせなくなってる」なとどいって対中譲歩してしまう隠れ多極主義的な要素が加わる。結果的に米国は、中国にフリーハンドを与えて有利にしている。半面、日本は不利にされている。

 事態は、なにやら「満州事変」の再来のような感じだ。1931年の満州事変まで、日本は当時の国際社会でうまく台頭していたが、満州事変によって日本は欧米(英国中心の国際社会)から悪者にされて外され、国際連盟を脱退して孤立を深める方向に追いやられた。英国の衰退によって第一次大戦後の立て直しに失敗した国際社会は当時、もともと崩壊の方向にあったが、崩壊は日本やドイツのせいにされ、日独は国際社会(英米)の敵に仕立てられていった。

 今回、単独為替介入をした日本は、欧米から、米欧日が為替介入をしない建前を守っていた国際通貨体制の秩序を破ったとして批判されており、ドルが崩壊感を強める中で日本が円高を防ごうと単独行動を強めるほど、日本がG7の為替協調体制を壊したと批判される結果になる。もともとドル崩壊でG7は潰れる(G20に取って代わられる)運命にあるのだが、それが米欧の詭弁によって日本のせいにされる。しかも、米欧の日本非難は間接的に中国を利する。これらの点が満州事変的だ。

▼人民元の国際化に協力したくない日本

 中国による日本国債の購入について日本政府は、円高を誘発しようとする中国の敵対行為と見なす傾向が強いが、これも中国と東南アジア諸国の間で国債の持ち合いが始まりそうなことを見ると、敵対行為ではない面が感じられる。9月19日にFT紙が報じたところによると、中国とマレーシアは、両国にとって初めての試みとして、マレーシア政府が人民元建ての中国国債を買って外貨備蓄の一部として保有することを開始した。両国は、相互通貨の為替取引も始めている。(Malaysian boost for renminbi hopes, move seen as start of `domino effect')(国際通貨になる人民元

 この動きは、人民元を国際備蓄通貨として新たな高みに押し上げ、アジア各国をはじめ中国と貿易関係がある世界の国々が、中国国債を買って人民元を外貨備蓄の一部としていく動きの皮切りとなるだろうという予測を、FTが載せている。中国はすでに一部の国々の中央銀行に対し、中国国内の社債市場で中国企業の人民元建て社債を売買することを許可している。人民元が国際通貨になっていく過程は、ある日突然ビッグバンのような爆発的な動きによって具現化するのではなく、マレーシアが中国国債を買ったことに象徴される、一見小さな動きの積み重ねによって、漸進的、実質的に変化していくだろうと、別のFTの記事は書いている。(Small steps to help reshape renminbi

 こうした動きと、中国が今夏から、日本や韓国の国債を買い始めたことをつなげて考えると、興味深い事態が見えてくる。アジア各国が中国国債を買う動きと表裏一体をなすものとして、中国もアジア各国の国債を買い、それによって中国とアジア諸国の両方が、外貨備蓄に占めるドル建て資産の割合を減らしていき、きたるべきドル崩壊に備える構想が、中国を中心に動いていると考えられる。日本政府は「自由市場で中国国債を買えないのは不公平だ」と不満を公式に言うのではなく、マレーシアのように静かに非公開で中国と話し合って中国国債を買えば、話がスムーズだった。

 おそらく日本政府は、あえてそれをしなかったのだろう。対米従属を重視する以上、ドル離れに加担したくないはずだ。そして日本は、中国が日本国債を買ったことに批判を表明した。中国政府は、日本だけでなく韓国の国債も買い増しているが、韓国政府は中国を批判していない。日本政府は、中国が構築しつつある人民元中心のアジアの新通貨体制に関与したくない。その方針の具体化が、日本当局による円高ドル安防止の為替介入だと考えられるが、介入は米欧に批判され、日本はどっちの方向にも行けず、行き詰まり感が強まっている。(China's Demand for South Korean Bonds to Increase, Dongbu Securities Says

▼中国と敵対するためロシアに接近?

 そもそも日本が円安ドル高にこだわり続けること自体、時代遅れの考え方であるとも思える。以前の記事で「ポストモダン」について考えたが、経済的に成熟している日本は、すでにポストモダンの状況にある。しかし、いまだに日本は工業製品の輸出によって繁栄する国家政策に偏重している。日本の大手製造業の多くは、部品調達や組み立てを国際化し、多くの種類の通貨の体制下で運営されており、円高による悪影響は減っている。(◆多極化とポストモダン

 米国が失業増で消費力を落とす半面、中国は賃金上昇によって消費力が増している。米国でも日本でも、企業は中国市場への依存を強めている。米国が景気回復していなことが顕在化しつつあるこの時期に、日本が、政治(尖閣問題)と経済(中国との国債持ち合いの拒否)の両面で、中国との関係を拒否する態度を強めたことは、満州事変から第二次大戦にかけての失策を繰り返しそうな方向に、日本が進んでいるように見える。

 ただ最近、中国との関係悪化を逆手にとって、これまで進んでこなかった日本とロシアの関係を改善できるかもしれない事態にはなっている。「日本が中国と対峙するには、中国の潜在的ライバルであるロシアと組むのが効果的だ。ロシアの権力者であるプーチン首相の周辺は中国に対して懐疑心を持っているので、それを利用して、日本が北方領土問題の解決を二島返還で了承すれば、ロシア側は喜んで日本との関係を改善したがるはずだ」という論調が出ている。(Why Putin is good for Japan

 実際のところは、プーチンは反中国的でなく、逆に中国がロシア極東を経済的に席巻することを容認する代わりに、中国がロシアのエネルギーに依存する体制を作り、中露関係の緊密化を図ろうとしている。シベリアから中国へのパイプラインの建設は、着々と進んでいる。(Putin says China no threat to Russia

 最近、人民元とロシアのルーブルとの為替市場も整備され、中国を中心とするアジアの脱ドル化にロシアも参加している。つまり実際には、中露が敵対関係にあるというのは幻想なのだが、日本でこの幻想を振りまくことにより、日本の世論を「中露関係が悪いうちに、中国に対抗するために日露関係を良くしよう」と思わせる方向に動かし、日本の対米従属策の一部をなしていた北方領土問題を解決し、日露関係が良くなったあとで、最終的に日中関係も好転させ、日本を対米従属から引き剥がすという、多極主義的な策略があっても不思議ではない。(Yuan Trading Against Russian Ruble Said to Start Within Weeks in Shanghai

 昨年来の日本の動きを見ると、日本人の多くが対米従属策に疑問を持っても、日本は対米従属から逃れられない状態になっていることが感じられる。その中で、何とか日本が対米従属を脱していくには、プーチンが反中国であるという間違った思考にあえてはまり込んで北方領土問題を解決するといった自己欺瞞が必要かもしれない。対米従属派によって鈴木宗男が塀の中に入れられ、対露関係を好転できる人材が消されてしまっているのではあるが。



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イラク「中東民主化」の意外な結末

2010年9月14日  田中 宇

 2003年3月の米軍イラク侵攻前、イラクの首都バグダッドは、イスラム教徒のスンニ派とシーア派が混ざって住んでいる町だった。シーア派が多いのは、バグダッドに流入した貧しいシーア派の人々を集めて住ませた巨大なスラム街である北東郊外のサダムシティ(現在のサドルシティ)や、シーア派の廟カズミヤ・モスクの門前町カズミヤ(カージマイン)など、そしてスンニ派が多いのは、スンニ派のアザミヤ・モスクの門前町アザミヤなどに限られていた。その他の多くの地域が、スンニ派、シーア派、クルド人の混住だった。(イラク日記(5)シーア派の聖地

 イラクでは、7世紀にイスラム教が興されてから、19世紀のオスマントルコ帝国末期まで、住民の約2割を占める少数派のスンニ派が政治経済の権力を握り、6割を占める多数派のシーア派の多くは貧民だった。第一次大戦でトルコ帝国が滅び、イラクを植民地支配した英国は、支配を容易にするため、意図的にシーア派の決起やクルド人の独立運動を扇動し、シーア派、スンニ派、クルド人という3派のイラク人が対立する構造を作った。

 1960年代に英国傀儡の王制が倒された後、政権をとった左翼のバース党は、欧米に付け入るすきを与えるシーア派とスンニ派などの対立をなくすことを目指し、イラクの人口の3割が住むバグダッドの混住状態を政策的に強化し、この過程でシーア派やクルド人を弾圧した。米国コロンビア大学の研究者たち(SIPA Gulf/2000 Project)が2003年に作ったバグダッドの各派の居住分布地図を見ると、サダムシティ、カズミヤなどいくつかが緑色のシーア派地区で、アザミヤなどいくつかが赤いスンニ派地区になっているが、のこりの多くはオレンジ色の混住地区となっていることがわかる。(Baghdad, Iraq, Ethnic composition in 2003

 しかし、同じ研究者が作った2009年後半のバグダッドの地図は、大きく様変わりしている。オレンジ色の混住地区が激減し、緑色のシーア派地区が急拡大するとともに、赤いスンニ派地域はバグダッド空港近くの市街地の西側に圧縮して集められている。スンニ派地区の外側をシーア派地区が取り囲んでいる。スンニ派は、反米感情が特に強い。米軍占領後、巨大な米軍基地と化したバグダッド空港に対し、付近のスンニ派が砲撃を続けたのは、市街地から空港に向かう道路に沿ってスンニ派が住まわせられるようになったからだ。(Baghdad, Iraq, Ethnic composition by the end of 2009 Small)(Gulf/2000 Project at the School of International and Public Affairs of Columbia University, Map Collections

 コロンビア大学の研究者は、06年や07年時点の地図も公開している。それらを見ると、06年時点では、まだ混住地区が多かったのが、その後07年末にかけて混住地区が急減し、シーア派地区が急増していることがわかる。(2006年の段階の地図)(2007年末の段階の地図

▼米当局がシーア派にスンニ退治をさせた

 なぜバグダッドでシーア派地区が急増し、スンニ派が追い込まれたのか。中東に詳しい分析者ガレス・ポーター(Gareth Porter)によると、米政府は05年末まで、スンニ派の武装組織が「アルカイダ」の根絶に協力することを条件に、米軍とスンニ派武装組織が和解する方向で、スンニ派と交渉していた。だが、05年6月にザルメイ・カリルザドがイラク大使となった後、06年初めにカリルザドは、スンニ派との和解交渉を破棄し、代わりにシーア派武装組織にスンニ派武装組織を退治させる政策に転換した。

 その後「マフディ軍」を中心とするシーア派武装組織が、バグダッド全体からスンニ派の武装勢力や政治的影響力を排除する作戦を開始し、殺し屋部隊を編成し、バグダッドの各地区からスンニ派を追い出す軍事行動を開始した。06年から07年にかけて、バグダッド中でシーア派とスンニ派の内戦が激化したが、シーア派の勝ちとなり、スンニ派は軍事的、政治的にバグダッドにおける影響力を失った。多くのスンニ派の一般市民が武装したシーア派に家を追われ、国内避難民にされた。混住状態は失われ、シーア派がバグダッドを席巻した。

 バグダッドの内戦は07年夏におさまった。米軍は自分たちの占領が成功した結果だと発表したが、実はそうではなく、バグダッドにおいて、シーア派がスンニ派を狭い地域に封じ込める軍事戦略がほぼ完成し、シーア派が勝利した結果だった。スンニ派がシーア派との内戦に負けて弱体化したのはバグダッドだけでなく、スンニ派の拠点であるファルージャを含むアンバール州でも同じ傾向だと、ポーターは分析している。(Joe Biden and the False Iraq War Narrative by Gareth Porter

(ポーターが定期的に発表する分析の中には、今回のように根拠のある驚くべき指摘が含まれており、注目に値する)(Battle over Afghan peace talks intensifies)(Iran nuclear leaks 'linked to Israel'

 ムクタダ・サドル師が率いるマフディ軍をはじめとするイラクのシーア派の主要勢力は、すべてイランの影響下にある。シーア派がスンニ派を駆逐してしまったことは、現在と今後のイラクが、イランの影響下に置かれることを示している。イラク戦争にあたって米国は、イラクの次にイランを政権転覆し、イラクとイランの両方を「強制民主化」して米国の傀儡政権を置き、両国の豊富な石油資源を米国のものにする見通しだった。しかし現状は、米当局の容認のもと、イラクで親イランのシーア派が支配勢力となり、反米のイランがイラクを傘下に入れ、世界の石油埋蔵量の2割以上を占める存在にのし上がりつつある。対照的に、米英は中東での影響力を失い、イスラエルは国家存亡の危機にある。

 米政府がイラクを傀儡化しておきたかったのであれば、シーア派とスンニ派を競わせ続け、双方を弱体化して手なづけることが必要だった。スンニ派の大黒柱だったバース党に「悪」のレッテルを貼り、シーア派をけしかけてスンニ派の影響力を消してしまったのは大失敗の政策だ。英国がイラク占領を立案したら、もっとうまくやったはずだ。英国は、米国の自滅的なイラク政策を変えていくため、米国と一緒にイラクに侵攻した。だがブッシュもオバマも、英国の忠告を聞かなかった。

 英国は、米政府がシーア派をけしかけてスンニ派を追い出す自滅的な作戦を完遂し、イラクが親イランのシーア派のものになることが決定的になった07年後半、英軍が占領していた南部の町バスラから撤退することを決め、地元のシーア派武装勢力に統治権を移譲し、英軍は09年に撤退を完了した。英国は、米国がみすみすイラクの利権をイランにくれてやるのを目前で見つつ、何もできなかった。そして英国の世論は、米国を説得するためにイラク侵攻につきあったブレア前首相を悪者扱いしている。ブレアは失敗したものの、英国にとって最重要の国家戦略である米英同盟(英国が米国の世界戦略を動かせる体制)を救済するつもりだった。

▼イラクは内戦にならない

 米軍の戦闘部隊も、今年8月にイラクからの撤退を完了した。前述の分析者ガレス・ポーターらは、米国の正規軍がイラクから撤退する代わりに、米軍傘下の数万人の傭兵部隊がイラクに派遣されているので、今後も米国は武力でイラクを制圧し続けると予測している。しかし米軍が撤退した今後、マフディ軍などシーア派諸派は、しだいに大胆に軍事行動を行い、これまで避けてきた米軍や傭兵部隊との戦闘に踏み出す可能性が強まる。好戦的な傭兵部隊を下手に使うと、正規軍が減って全体的にイラク駐留勢力が弱くなっている米軍は、シーア派によって追い出されかねない。戦争で最も難しいのは撤退である。撤退時に敵を威嚇するのは愚策だ。米軍が撤退し、傭兵部隊に任せると、イラク占領は最終局面で失敗する。(Obama drops pledge on Iraq - Gareth Porter

 米国が軍事的にイラクから撤退しても、スンニ派とシーア派、クルド人が永久に内戦をするように仕組んでいるので、イラクは永久に安定しないと、米国のイラク専門家が言っていた。これも、お門違いな予測だと思う。すでにシーア派がスンニ派の武装勢力を駆逐した以上、恒久内戦にならない。米軍撤退後のイラクは、イランの影響下で安定し、大産油国になるだけだ。イランは、トルコ、シリアとも協調関係を築いており、イラク、イラン、トルコ、シリアに分かれて住んでいるクルド人は、すべての国から監視され、決起できない。クルド人の決起を扇動してきた米英イスラエルの影響力は落ちている。

 イラクのシーア派の主要な政治家として、イスラム指導者であるムクタダ・サドル、シーア派イスラム政治活動家としてサダム・フセインに追われ、イランで亡命生活を送っていた現首相のヌーリ・マリキ、1975年にフセインが権力を取った後にハース党を辞めて反サダム人士として英国で亡命生活を送っていた前首相のイヤド・アラウィなどがおり、連立政権を組むべく合従連衡している。米軍撤退後、親米のアラウィと反米・親イランのマリキらの対立が強まるという見方がある。サドルはアラウィに接近してイランに叱られ、逆切れしてイランからレバノンに引っ越しすかもしれないとまで言われている。(Sadr Threatens to Leave Iran and Relocate to Lebanon

 しかし、イランを中心とするシーア派の宗教・文化・政治のネットワークは隠微で奥が深い。米国の傀儡だったはずの、ネオコン傘下のアハマド・チャラビ(シーア派亡命イラク人)が、イラク戦争後、見事に反米親イランの政治家に変身したのに象徴されるように、イランの政治力はかなりのものだ。シーア派政治家が本気で内部分裂するとは思えない。サドルが本当にレバノンに行ってヒズボラに合流したら、それはむしろイスラエルにとって脅威だ。(Iran's Power Rooted in Shia Ties

 米国のネオコンの方は、イランと対を成すかのように、隠れ多極主義的、ユダヤ的に奥義が深い(親イスラエルのふりをした反イスラエル)。ネオコンは、イランのスパイだったチャラビを、スパイと知りながらネオコンの仲間に入れ、チャラビがフセイン政権転覆後のイラクをイラン寄りにしていくエージェントとして活躍することを黙認したふしもある。スンニ派との和解を破棄してシーア派にスンニ派退治をやらせたカリルザド(アフガン系米国人)も、ネオコンと近い存在だ。(Chalabi Factor in Iraq

▼ネオコンの中東民主化は本気だった?

 英国の「権威ある」医学論文誌「ランセット」やその他のシンクタンクの概算によると、イラク侵攻後、イラク国民(2200万人)の5%前後にあたる100万人前後が死んだと言われている。この数字は、ランセットが時々やるように、政治臭が感じられるが、無数の市民が殺されたのは確かだ。(Lancet surveys of Iraq War casualties From Wikipedia)(インドを怒らす超細菌騒動

 死者の大半は、銃撃や爆弾によるもので、その中には今回とりあげた、バグダッドでシーア派がスンニ派を駆逐する作戦の犠牲になった人が、かなり含まれているはずだ。これは、シーア派がスンニ派を民族浄化した犯罪行為だった(米国が黙認・扇動し、マフディ軍などが挙行)といえる。スンニ派の武装組織も、報復としてシーア派市民を殺し、脅して立ち退かせ、国内避難民にしている。(Displaced Iraqis: Sunni family's story)(Displaced Iraqis: Shia family's story

 自分が「良心派」であることを示すため、これらの戦争犯罪を許すな、と免罪符的に叫ぶ必要があるかもしれないのだが、私はここで思考を停止して良心派になるよりも、イラクがシーア派主導の国になることの意味を考えたい。これは「シーア派イスラム教徒」というものが初めて形成された西暦635年(イスラム軍がササン朝ペルシャを破りバグダッド陥落)以来、約1400年ぶりに、初めてイラクが、多数派のシーア派が統治する国になるという「民主化」を達成したということである。

(私が見るところ、シーア派のシーア派性は、イスラム教に帰依する前に彼らが持っていたペルシャ・メソポタミアの古来の高度な宗教が、イスラムによって消化しきれずに残っているものであり、文明がなかったアラビア半島の人々は、そのような「余計な昔の迷信」が信仰に含まれないので、正統派を意味するスンニ派になった。私がこの説を言いすぎると、イスラムを冒涜しているとして殺されかねない。今のところ「空想屋」と揶揄されるだけだが)

 ブッシュ政権が掲げた「中東民主化」の結果としてイラクの政権転覆が行われ、それから7年たってみると、イラクがシーア派の国になるという究極の民主化が達成されている。イラクをシーア派主導に転換させ、史上初の民主体制を作ることを誘導したブッシュの中東民主化は、非常に暴力的で大量殺戮的なやり方であるが、本当に中東(イラク)を民主化したのである。

 ブッシュの中東民主化は「パレスチナ(イスラエル、西岸、ガザ、ヨルダン)」を「民主化する」ことも実現しかけている。イスラエルは、イスラム勢力に囲まれ、中東和平のふりをした引き延ばし戦略しかできないほど追い込まれている。いずれ事態が再び悪化して暴発すると、最後には、パレスチナは「パレスチナ人の国」になる。イスラエル(ユダヤ人にしか主権を与えず、アラブ系を抑圧している)とか、ヨルダン(英米傀儡の王室が、国民の大半を占めるパレスチナ人を支配している)といった「民主的」でない国々は、消えゆく方向にある。この「民主化」の前に核戦争(イスラエルの核兵器200発)が起きるかもしれないという、非常に暴力的な民主化が進んでいる。

(ヨルダン国王は、1960年に政権転覆されて殺されたイラク国王の兄弟の家系。ハーシム家。ヨルダン国王の祖先は第一次大戦前、アラブ民族主義を掲げて英国のオスマントルコ潰しに協力した見返りに、英国から、ヨルダンとイラクの王家の地位をもらった。1915年に英国と「フセイン・マクマホン書簡」を交わしたフセイン・アリ)

 エジプトの親米の独裁ムバラク政権も、イスラム同胞団に取って代わられる可能性が増しており、これも「中東民主化」だ。これらの中東民主化は、ネオコンやチェイニー前副大統領による画策である。ネオコンの詭弁の奥の深さを考えると、この一致は偶然と言いがたい。ネオコンは、中東民主化を、非常に暴力的なやり方で、本当に実現するつもりだったのではないかと思えてくる。彼らは、隠れ多極主義者として、米英イスラエルの覇権解体や、中露の台頭も、合わせて実現するつもりだったのではないか。それらの多くが成功しつつある。

 私のこうした考え方に「それは考えすぎ」「戦争や人殺しは悪です。民主化とは全然違うものですよ」とお怒りになる「良心派」の読者が多いかもしれない。だが、左派(良心的市民運動)や右派(対米従属者)の人々が陰謀論と切り捨てて見えないようにしている間にも、イラクやパレスチナの暴力的な「民主化」や、覇権の多極化は、着々と進んでいる。



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多極化とポストモダン

2010年9月7日  田中 宇

 今、世界的に起きている「多極化」は、1815年のウイーン体制から200年続いてきた英米の覇権が崩れ、世界の覇権体制が多極型に転換していく流れだ。英米覇権を欧米中心体制と言い換えれば、今の多極化は、1492年前後のコロンブスらの航海とスペイン・ポルトガルによる「世界分割」以来の(もしくは1453年に東ローマ帝国がオスマントルコに滅ぼされ、東方の知識人がイタリアに移動したことによるルネサンス以来の)500年間の欧米中心の世界が終わることを意味している。多極化は、人類史上、200年から500年に一度の画期的な出来事と考えられる。

 コロンブスやルネサンス以来の500年間は、西洋史の区切りで「モダン」の時期にあたる(モダンの訳語は「現代」ないし「近現代」であるが、日本では近代を明治維新以後、現代を第2次大戦後と見なすことが多く、欧米の歴史概念と異なるので、ここでは訳語を使わず、モダンという片仮名を使う)。500年の欧米中心のモダンの時代が終わることは、今後、モダンの後の時代、つまり「ポストモダン」が到来することを意味しているように見える。そこで今回は「多極化はモダンの終わり、ポストモダンの始まりなのか」という歴史的な考察をしてみる。

▼明確でないポストモダン

「ポストモダン」は「モダンより後の時代」という意味を持つ言葉だ。だが、世の中で「ポストモダン」(Postmodernity)とか「ポストモダン主義」(Postmodernism)と称されているものについて調べても、モダンの次にどんな時代がくるか、何がどうなったらモダンが終わってポストモダンになるかということに関する具体的な手がかりは、ほとんど得られない。

 建築、美術、文系評論、哲学などの分野に、ポストモダン主義と称するものが存在する。哲学の分野では「モダン主義(モダニズム)」が、同一性(アイデンティティ)、統合、権威、確実性などを包含するのと対照的に、ポストモダン主義は、同一性と反対の差違性、統合と反対の多様性、権威と反対の(著者の権威でなく)作品自体を重視する姿勢、確実性と反対の懐疑心などを重視している。(Postmodernism From Wikipedia

 モダンの時代には、国民国家の形成が重要であり、そのために国民の「統合」、国家の「権威」や客観性の涵養が重要だった。だが、第2次大戦後の欧米先進諸国では、国民国家の体制がほぼ完全に確立し、国民国家の強化というモダン主義の(隠れた)目的を推進することが、もはや重要ではなくなった。

 そのためポストモダン主義は、国民国家を形成してきたモダン主義の哲学的・精神的な支柱を破壊(脱構築、解体、deconstruction)する方向性を持っている。しかしポストモダン主義は、モダン主義に対する破壊的、あまのじゃく的な態度以上に、モダンの次に何が来るのかということを提示していない。とりあえず言ってみましたという実験的な言説の領域から出ていない。

 工業社会から「高度情報化社会」への転換をポストモダンととらえる向きもあるが、そもそも18世紀からの産業革命の中に情報通信の高速化、多様化、産業化が含まれており、情報化はモダンの範疇である。情報化が高度になってもモダンの範疇を超えた状況が生まれているわけではない。インターネット産業も、儲け口が広告もしくはコンテンツ利用料(購読料など)であり、モダンの手法にとどまっている。

 EUは国民国家の超越を目指しているのでポストモダンな試みだが、経済は統合されたがナショナリズムの統合は進まず、政治的にモダンのままである。国家を超えた経済の統合や経済グローバリゼーションは第一次大戦前からの現象で、ベニスのユダヤ商人の地中海貿易に象徴されるように、資本主義は最初から国際的であり、モダンの範疇だ。

 工業に代わって金融が経済の中心になったことはポストモダン的だが、1985年以降の米英中心の債券金融の急成長は、結局のところバブルであり、08年のリーマンショック以降大崩壊が続き、今後もっと崩壊していきそうな感じだ。米英に代わって経済的に台頭している中国などBRICは、鉱工業が産業の中心だ。中国政府は国民の愛国心をあおり、国民国家体制の強化に余念がない。これも「まるでモダン」である。今回の記事の結論を先に書いてしまうことになるが、金融産業の席巻という、ここ四半世紀のポストモダン的な現象は、バブルとして崩壊し、それと同時に起きている覇権の多極化は、モダンの再台頭である。

 ポストモダンという言葉は1910年代からあり、多くの事象がポストモダンと称されてきたが、一つ一つ考えていくと、いずれも実はモダンな事象でしかない。とりあえずポストモダンと呼んでおけば格好いいので、あとは難解な文章でごまかそう、という浅薄さが、学界の周辺にあると感じる。ポストモダンという言葉にいかがわしさを感じているのは、私だけではないだろう。いかがわしさこそ、権威や確実性というモダンを超越するポストモダンの風合いだと言う人もいるが。

 ポストモダンと称するものが、モダンの次に来るものを明解に示せない以上、代わりの策として、そもそもモダンとは何か、多極化によってそれが終わるのかどうかを考えた方が早い。

▼国民革命としてのモダン主義

 モダン(modern)という言葉は、ラテン語の「今(modo)」に由来し、ローマ時代末の5世紀に、キリスト教化された「今の時代」を、それ以前の多神教時代と区別するために作られた言葉だった。この用法はルネサンス後に逆転し、欧州がキリスト教の縛りから逃れていく「今の時代」を、それ以前のキリスト教に縛られた中世と区別するために「モダン」という時代区分が使われることになった。それまでの「神」が社会を席巻していた中世に代わって、今に至る500年のモダンの時代は「人間」が社会を席巻した。モダン主義は、人間の能力や人造物を賛美し、人間が進歩し続ける概念を提起し、宗教の政治支配を打破する政教分離を内包した。(Modernity From Wikipedia

 経済で見ると、モダンは資本主義の時代である。中世の欧州では、金儲けもキリスト教会によって規制され、異教徒であるがゆえに金儲けの民族であることを黙認されたユダヤ人は隔離されていた。だが宗教改革とともに縛りが破れ、金儲けは個人の自由であり、努力して金儲けするのを良いこととみなすプロテスタント教会が出てきた。これが今に連なる資本主義の起源であり、プロテスタント系のキリスト教を信奉したオランダやドイツ、英国は、ユダヤ人にも寛容で、ユダヤ人の商業ノウハウが導入され、経済発展につながった。特に、経済発展を国家の海軍力とつなげた英国が最強となった。このように、資本主義の起源を、宗教改革や、その源流であるルネサンスに求める考え方があるため、東ローマ帝国の滅亡が、資本主義の時代であるモダンの発祥と考えられている。

 欧州の資本主義の発祥はルネサンスであるとしても、資本主義が開花したのはもっと後で、18世紀末の産業革命とフランス革命(国民国家革命、国民革命)がきっかけだ。フランス革命から現在までが後期モダンと呼ばれる。産業革命は工業の効率を飛躍的に向上させ、国民革命は農民から労働者に転換した人々を「国民」として自覚させ、自発的に国家に縛りつける洗脳的な役割を果たした。国民の統合、無限の前進(経済成長、国家の発展)、教育(啓蒙。国民に仕立てる洗脳)の重視などが、モダン主義に盛り込まれた。

 資本家は、産業革命と国民革命を世界中に拡大することで、儲けを最大化しようとしたから、すべての植民地が独立国家になって経済発展することが、後期モダンの時代の流れとなった。モダン主義的な思想の中に、植民地からの独立、民族自決、諸民族間の対等な関係などを支援する考え方が入った。資本家の儲けの拡大策として、鉄道や工業化、国民国家化が欧州から世界に広がるとともに、欧州という一つの地域の歴史的事態を指す言葉でしかなかったモダンは、産業革命後、世界的な事態を指す言葉へと拡大した。

 産業革命と国民革命を世界中に広げる資本主義の策略が誰にも邪魔されずに進んでいたら、米国、中国、ロシア、インドといった広大で多人口の国家の力が強くなり、日独の台頭も続いて、世界は20世紀前半に多極化し、英国(欧州)の覇権は100年早く終わっていただろう。しかし英国には、自国の覇権喪失を阻止しようとする傾向があり、英国は、米国を引き込んで2度の大戦に勝ち、戦後は冷戦を誘発して中露を封じ込め、資本の論理(多極主義)と(大英)帝国の論理(英米中心主義)との暗闘が続いた。

▼多極化はモダンの出戻り

 産業革命で工業化した国は、それから30−50年の高度経済成長を続けた後、国民の多くが中産階級になって買いたいものを大体買い、賃金も上がって工業生産の国際競争力が落ち、低成長に入ってしまう。この時点で、工業化の時代が終わり、工業化の促進を前提としていた後期モダンの体制が、その国にとって必要性の低いものになる。その国はポストモダンの時代に入っていくと考えることができるが、実際には、すでに述べたように、工業化が完成して久しい米欧日いずれの先進国でも、ポストモダンの明確な方向性が見えていない。

 1960−70年代に米欧日で広がった学生運動、市民運動、ヒッピーなどの文化運動が、見直しや破壊を起こそうとした対象物となった政府、学校、家庭、恋愛、文化などは、いずれも国民国家の強化策を内包するモダンの枠組みである。米欧の工業化や国民国家化が達成され、米欧が工業における優位性を失い始めていた時期に、モダンを解体しようとする学生運動が起きたことは、偶然ではないだろう。しかしこの運動は、モダンを超越する現実を具現化することができなかった。

 ポストモダンの世界が現実に立ち現れない理由として考えられる一つ目のことは、産業革命と国民革命を組み合わせた体制を超えるような、発展の体制が見つからないことだ。ポストモダンは50年以上、試論の域を出ていない。

 考えられる二つ目のことは、世界中を工業化しようとする資本の論理と、中露などの工業化を阻止する封じ込めをやって英米覇権を維持する帝国の論理との暗闘が、延々と続いていることとの関係だ。米英は1960−80年代にモダン的な工業が衰退し、代わりのポストモダン的な体制として85年以降、金融を中心とする経済体制が出てきた。モダン的な軍事覇権に代わって、ヘッジファンドや債券格付け機関などの先兵による先物取引で相手国の金融財政を破壊する、ポストモダン的な金融覇権の体制が生まれた(IMFのワシントンコンセンサスなどもその関係)。

 しかし米英の金融覇権は、07年以来の金融危機に対する米当局の、隠れ多極主義的に稚拙な対応策の数々の結果、リーマンショックを経て崩壊が進んでいる。資本の論理は、米英がポストモダン的な金融覇権に転換して強さを維持することを許さず、覇権を自滅させるとともに、多極化を引き起こし、中国などBRICの新興諸国の工業の発展によって世界経済が牽引されるという、モダンの体制を呼び戻した。つまり、多極化はポストモダンの出現ではなく、モダンの出戻り、復活である。

 多極化の流れの中には、国連の世界政府化、EUや東アジア共同体といった地域諸国の政治経済の共同体といった、現存の国民国家の世界体制を超越する、ポストモダン的な動き(構想)が含まれている。ドルに代わってIMFのSDR(特別引き出し権)を国際基軸通貨として使おうとする動きも、モダン的な国家体制を超えるもので、ポストモダンの色彩がある。しかし、これらの動きは、今のところ構想の域を出ていない。東アジア共同体が具現化する可能性も薄く、国民国家を基盤とするモダン的な世界体制は強固で、簡単に終わりそうもない。

 多極化はモダンの出戻りであってポストモダンではないが、世界が多極型に転換し、覇権を失った後の米英(欧米)で、その後の展開を模索するポストモダン的な試みが再燃するかもしれない。言論を作っていく業界は、欧米人やユダヤ人のものであり、中国などの新興諸国がその分野で追いつくのは簡単ではない。



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国際通貨になる人民元

2010年8月30日  田中 宇

 中国政府が、人民元の国際利用を慎重に拡大している。中国政府は、6月に人民元の為替を自由化していく方針を表明した後、それまで上海などの企業だけに許されていた海外取引の人民元決済を、すべての国内企業に許可した。7月には、香港での人民元取引の規制を緩和した。8月には、中国との取引で人民元を貯め込んだ海外の企業や中央銀行に対し、中国国内市場で債券を売買することを認めた。また同月、非金融企業として初めて、米国のマクドナルドとウォルマートが、香港で人民元建て社債を発行することを認められた。(China speeds up yuan's global ascent)(McDonald's Sets Benchmark for China With Yuan Bond Sale

 中国政府は、人民元の国際化を08年から3段階で本格化してきた。第1段階は、香港や東南アジアといった外国で、人民元の取引を認めたこと。第2段階は、海外での人民元備蓄の拡大を容認し、香港や東南アジアなどに人民元のオフショア市場を作ることで、これは現在進行形だ。香港では今年7月、これまで禁止されていた人民元建て口座間の送金が認められた。マクドナルドなどが香港で人民元建て社債を発行するのも、この範疇に入る。そして第3段階は、海外に備蓄された人民元が中国国内の金融市場に還流することを許すこと。8月に開始された国内債券市場の開放がこれにあたる。(Beijing's multi-pronged experiment with currency liberalization plays out in Hong Kong

 中国政府は、人民元の国際化に対して異様に慎重だ。中国の経済規模は今夏に日本を抜き、いまや米国に次ぐ世界第二位なのに、これまで中国は国際的な貿易決済に自国通貨を使わず、ドルを使ってきた。世界の大国群の中で、貿易に自国通貨を使わないのは中国だけだ。中国政府は近年ようやく元の国際化を進めているが、そのやり方は段階的に事を進める慎重なもので、まず選ばれた地域や企業群にのみ新段階の取引を許し、問題がなければ少しずつ許可対象を広げている。しかも中国は、為替相場に対する強い管理を続け、元の国際利用を拡大しつつも、元の対ドル為替は固定したままにしている。(China's currency Wiggle it. Just a little bit

 こうした中国政府の慎重さの背景にあるのは、米英の中枢で、中国の経済台頭を誘発して儲けたい多極主義の勢力と、中国の台頭を妨害して米英覇権を維持しようとする米英中心主義の勢力(軍産英複合体)がいて、暗闘していることだ。中国は、多極主義勢力の誘いに乗って、東アジアの覇権国になる道を歩んでいるが、気をつけないと米英中心主義に付け入られ、天安門事件的な人権・民主化がらみの政治事件の再発や、アジア金融危機のような投機筋による為替破壊を起こされかねない。だから中国は、人民元の為替を自由化しないし、共産党独裁をゆるめたくない。(天安門事件に関するマスコミ報道に大きな誇張があったという指摘が、最近また出てきている)(Western media play along in the disinformation game By GREGORY CLARK

 中国政府は人民元の国際化を、なるべく目立たないように進めようとしている。たとえば、8月に入って、英国系のHSBC(香港上海銀行)やスタンダード・チャータード銀行、米国系のシティ、JPモルガン・チェースといった欧米の国際銀行が、取引先の欧米企業に対し、中国との取引をドルでなく人民元で決済するよう勧めている。HSBCなどは、企業が中国との取引をドルでなく人民元で決済した場合、手数料などを優遇して、企業が人民元を使うように仕向けている。(Incentives to move from dollar and euro on China goods

 これは、英米銀行が営業戦略の一環として考えついたことのように見えるが、中国政府の許可なしに、これらの戦略が行われているとは思えない。許可なくやれば、後で中国政府からしっぺ返しを食らう。むしろ、中国政府が英米銀行に声をかけ、貿易決済の人民元化を誘導していると考える方が自然だ。

 中国政府の国際戦略は、目立たないように隠然と進められることが多い。しかし中国は、饒舌だが歪曲情報が多い米国のようにだましの構図が入った重構造の戦略は採らない(米国のように巧妙にやれないので)。中国関連の情報を詳細に長く見ていると、断片的な情報をつなぎ合わせた全体像として、中国の戦略が見えてくる。

▼ドルはまだ延命する?

 今夏、中国政府が人民元の国際化を進めている裏には、米ドルへの信頼が世界的に揺らいでいる現状がある。特に8月10日に米連銀が量的緩和策の再開を決め、連銀が米国債を買い支える政策を復活したことが、ドルと米国債に対する国際的な信頼を失わせた。日本では、この流れが円高として表れている。中国は、ドルの自滅傾向に反比例するかたちで、人民元の国際化を加速している。ドルに対する信頼が失われていないなら、英米の銀行が、取引先企業に対して、中国との貿易にドルでなく人民元を使った方が良いと勧めたりはしない。

 ドルは崩壊過程を進んでいる。米連銀が量的緩和の復活を発表して以来、多くの分析者が「ドル崩壊が近い」と言い出し、米軍司令官までが警告を発している。これまで米国債を買っていた中国が買い控えに入り(いつ米国が財政破綻するかわからないので、長期米国債を避けて、短期債しか買わなくなって)、米国債が売れ残る懸念が増したので、連銀が長期米国債を買い支える量的緩和の再開が必要になったと考える分析者が多い。また、バーナンキ連銀議長が米国債を守るため、不況がぶり返しそうだとあえて発言し、投資家が資金を株式市場から米国債市場に移すよう仕向けたという見方も出ている。(National Debt Poses Security Threat, Mullen Says)('US financial elite destroy the dollar')(And Now We're Headed For The GREATEST Depression, Says Gerald Celente

 分析者たちの騒々しさから考えると、今秋にもドルと米国債の崩壊が起きても不思議ではない。私自身、米国がドル崩壊に向かっていることは、この数年、何度も書いてきた。しかし今、私は「影の銀行システム」の堅調さから見て、米国の金融崩壊がまだしばらく起きそうもないという感じも受けている。(影の銀行システムの行方

 今春以来、米国債からジャンク債までの米国のすべての債券の相場が上がり、金利が低下している。ジャンク債の売れ行きが非常に好調で、8月中旬の1週間に143億ドル売れて、史上最高の記録を作った(それまでの最高記録は今年3月に作られた140億ドル)。この主因は、連銀の量的緩和の影響だとよく言われるが、私はむしろ、JPモルガンなどが、リーマンショック後に崩壊していた「影の銀行システム」(債券金融システム)を立て直すことに成功した結果だと考える。(Sales of junk bonds set to reach new high

 政府の規制外で自走して企業の資金調達を容易にし、倒産を減らす影の銀行システムがうまく機能している限り、そこで作られた巨額資金が米国債を買い上げるので、中国などの外国勢が米国債を買い控えても、それだけで米国は崩壊しない。今のように米国の不動産市況の下落が続くと、不動産担保債券の発行による影の銀行システムは、いずれ崩壊する。だが短期的には、新たに発行された債券で、以前に発行されて担保割れした債券の損失を穴埋めできるので、不動産市況の下落局面でも、影のシステムは崩壊しない。(Ultra-Low Bond Yields a `Double-Edged Sword,' Wells Fargo Says

 私はこのような理由で、ジャンク債の発行が堅調な限り、米国債やドルの崩壊は起こりにくいと考えている。しかし連銀は、影のシステムに任せておけば良いはずの米国債の買い支えを、連銀が量的緩和策として大々的に発表して実施するという余計なことをしているので、むしろこれが投資家の米国債に対する敬遠を招き、米国債は意外と早く今年中に自滅するかもしれない。米国の覇権を延命させる影のシステムの再生と、覇権を自滅させる隠れ多極主義的な連銀の量的緩和再開が、暗闘的に拮抗している。どちらが強いかは、10月までに見えてくるだろう。(米連銀の危険な量的緩和再開

(今春、オバマの顧問のポール・ボルカー元連銀議長が、金融改革の新法によって、影の銀行システムを破壊しようとしたが、米銀行界は議会に対する圧力を行使して法案に抜け穴を作り、新法を骨抜きにした。米国では、政府より銀行界の方が政治力が強いので、連銀の自滅策が勝るとは限らない。だが、すでに崩れかけている金融システムを立て直すのと破壊するのでは、破壊する方が容易なので、自滅策の連銀が勝つ可能性もある)

▼米国の巨額な隠れ赤字

 影の銀行システムは、短期的には堅調だ。だが中長期的には、米不動産市況の悪化がこの先もずっと続きそうで、不動産担保債の好調がいずれ終わりそうなこと、米国の実体経済の悪化が続いて増税ができないこと(しかもブッシュがやった金持ち減税は延長されそう)、米国は地方の州や市が財政破綻し、その穴埋めを連邦政府がやらざるを得ないこと、メディケアなど社会保障の「隠れ赤字」が巨額になっていることなどから考えて、米国全体の赤字が増え続ける。(やはり世界は多極化する

 米政府は、社会保障費や防衛費の分野で、歳入と支出に実体からかけ離れた名目をつける「ラベルの貼り替え」の手法で、後世のために残しておくべき歳入を先に使ったり、支出を過少に計上したりする赤字隠しを、かなり前からやっている。この件を指摘してきたボストン大学のコトリコフ教授は、隠された赤字を含む米政府の赤字総額について、07年には「公表されている財政赤字の6倍にあたる66兆ドル」と計算していたが、最近では「公表された赤字の15倍にあたる202兆ドル」という計算を発表している。(U.S. Is Bankrupt and We Don't Even Know It: Laurence Kotlikoff)(アメリカは破産する?

 こうした想像を絶する巨額の負債を抱える米国は、いずれ財政破綻する。影の銀行システムも、不動産担保債券という負債のかたまり(総額20兆ドル)であり、借金によって米国を延命させる策だ。米国債やドルの破綻は、今年中に起きないとしても、来年、再来年と起きる確率が高まっていく。(Who's buying all that debt?

 8月10日に連銀が米国債の買い支えの再開を決めたことは、米政府が自滅的な傾向を持つことの象徴である。これを見て中国政府が、貿易決済でドルの代わりに人民元を使う傾向を強めた。中国は6月以来、米国債を買い控え、代わりに日本や韓国の国債を買い増している(比率的には、まだ米国債が圧倒的に多いが)。(China Doubles Korea Bond Holdings as Asia Switches From dollar

▼交通網の整備で強くなる中国経済

 米国では、ノーベル受賞した経済学者のポール・クルーグマンらが、人民元を切り上げれば米中間の経済不均衡が改善されると主張してきた。だが最近のFT紙の記事は「中国が高度成長は、為替操作によるものではなく、まさにクルーグマンが30年前に打ち立ててノーベル賞を与えられた発展理論(新経済地理学)を、中国が実行したからである」と、クルーグマンを皮肉りつつ書いている。(Watch China's coasts, not its currency

 FTによると、中国が経済発展できたのは、トウ小平が「3つのD」の政策をやったからだ。最初は、工業生産を沿岸部のいくつかの地域に集中(density)させ、これによって産業の効率が上がった。その後、第2段階として、高速道路や新幹線といった交通網を整備し、沿岸の産業が遠く離れた(distance)内陸部に移転しやすい環境を作り、沿岸部の経済発展を全国に広げ、沿岸部と内陸部の格差(divisions)を縮めるという第3の段階に、中国は向かいつつある。人民元の為替水準は、中国の驚異的な発展とほとんど関係ない、とFTは書いている。

 中国はここ10年間ほど、猛烈な速度で高速道路や新幹線を全国に張りめぐらせている。中国のGDPの3分の2は、これらのインフラ整備によって生み出されてきた。日本などでは、中国のインフラ整備は過剰であり、遊休施設が資金のムダとなり、いずれバブル崩壊するという見方が多い。しかし、クルーグマンが理論構築し、トウ小平から胡錦涛までの中国政府が実践してきた地理経済学の理論に基づけば、大胆なインフラ整備をすることによって、企業は沿岸部から内陸部に工場を移転しやすくなり、国土の均衡ある発展と貧富格差の是正につながる。インフラ整備の過剰さでは、地方に空港や道路を作りすぎて遊休化している日本も、中国と大差ない。日本でも、たとえば今では快適な名古屋市の広々とした道路網は、50年前には過剰なインフラ整備と批判されていた。

 今春、沿岸部を中心とする中国各地の工場で賃上げ要求の労働争議が起こり、中国政府がそれを黙認する姿勢を見せたが、これも上記の地理経済学に当てはめると、沿岸部の賃金を引き上げることで企業の工場を内陸部に誘致するとともに、人々の収入を増やして国内消費を喚起し、経済を輸出主導から内需主導に転換する方策に見える。(◆中国を内需型経済に転換する労働争議

 中国経済が輸出主導型から内需主導型に転換することは、中国が覇権国になるために必要な転換だという指摘もある。20世紀前半に、覇権が英国から米国に移転したが、それを引き起こした要因の一つは、米国が19世紀後半以来、全土に鉄道や道路など当時の最新鋭のインフラを整備し、国民の所得増大を誘発して強い国内市場を作り、国内の消費力によって米経済が自転する構造を作って、欧州諸国より強固な経済基盤が構築されたことだった。そして今、中国は、米国が19世紀末にやったのと同じようなインフラと国内消費市場の強化を進めている。今後の多極型の世界の中で、中国が欧米と並ぶ(地域)覇権国になるのなら、人民元が国際基軸通貨の一つになるのは当然だ。(China up, U.S. down, that's all you need to know

▼日本の円高対策は失敗した方がよい

 ドルは自滅しつつあり、人民元は台頭しつつある。そんな中で、わが日本はどうしているかというと、政府が日銀に圧力をかけて、連銀と同様の量的緩和をもっと大胆にやらせようとしている。日本経済の生命線は輸出産業であり、円安ドル高は日本にとって必須だから、連銀の自滅的な量的緩和策によってドル安円高が起きているのなら、日銀も自滅的な量的緩和策をやらねばならないというわけだ。しかし連銀の自滅策が、いずれドルと米国債の崩壊につながるとしたら、日銀が同様の自滅策をすることは、日本を米国と無理心中させる破綻に導きかねない。日銀は、無理心中したくないので、政府から圧力をかけられても抵抗している。(Getting Ready For A dollar Collapse?

(日本で支配的な官僚機構が円安を望む真の理由は、輸出産業の保護ではない。日本の製造業大手の多くは生産を国際化しており、円高は大してマイナスにならない。円安を求める真の目的は、円をドルよりできるだけ弱い立場に置くことで、官僚機構の支配を維持できる対米従属の国是を続けることである)

 実際には、日本国債の9割近くが金融機関を中心とする日本国内の機関投資家の保有で、国民の預金や保険料で国債が買われている。政府の行政権力を使えば、国内金融機関は日本国債を売らず、米国債が崩壊しても日本国債が連鎖崩壊することはない。しかし、日本より米国の国益を優先する対米従属派は、ドル崩壊の過程で、日本を自滅させても米国を救おうとしかねない。何をするかわからないので、警戒が必要だ。

 1970年代に秘密裏にG5が結成されてから最近まで、欧州など世界の先進諸国は対米従属を好み、米国が自滅的な政策をやってもドルを買い支え、ドル崩壊を防いできた。しかし最近、英国やEUは、もはやドル崩壊が不可避と考えているらしく、量的緩和策を再開する米国をしり目に、逆方向の財政金融の引き締めをやって、自国の財政崩壊を防ごうとしている。いまだに米国との無理心中するつもりでいる先進国は、日本だけになりつつある。(Austerity vs. Stimulus: Damned Either Way?

 以前は日本円と中国人民元を並列的に扱って「アジア共通通貨」を提案していたアジア開発銀行(ADB)は最近、アジア共通通貨の構想は現実的でないと言い出し、代わりに、人民元が急速に国際化してアジアにおいてドルに代わる基軸通貨となり、世界的にもユーロと並ぶ国際通貨になるという予測を打ち出した。ADBは伝統的に日本が主導してきた組織なのに、ADBが描くアジア通貨の未来像の最新版には、国際通貨としての日本円の姿がない。いつまでも対米従属一本槍の日本は、国際的に期待されなくなっている。多極化の流れの中で、対米従属策は、明らかに日本の国益を損なっている。(Yuan can become alternative reserve currency to US dollar-ADB

 8月30日、日銀は円高対策として追加の量的緩和策を発表したが、市場の好感は得られず、これを書いている間、円高が進んでいる。民主党の中に意外と多く入り込んでいた対米従属派が日銀に圧力をかけても、今のところ効率的な自滅策になっていない。その一方で、外国人投資家の間には、中国に近い日本を、まだ投資流入を自由化していない中国の代用品と見なし、ドル崩壊期の逃避的な投資先として好む傾向があり、そのことが円高傾向に拍車をかけている。(Downside of a yen haven

 マスコミは、円高を止められない日銀や菅政権を批判する記事を出すだろうが、マスコミも対米従属の宣伝機関である。実際には、日銀や政府が自滅的な円安策に失敗して円高が進んだ方が、日本の将来にとって良いことである。



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東アジア共同体と中国覇権

2010年8月24日  田中 宇

 台湾(中華民国)とシンガポールが、自由貿易協定(FTA)の締結について協議している。シンガポールは、台湾にとって4番目に大きな輸出先(中国、米国、日本に次ぐ)であり、9番目に大きな輸入先である。しかし両国間に国交はない。台湾を自国の一部と主張する中国が、台湾との国交樹立に強く反対してきたからだ。シンガポールは華人主導の国で、他の東南アジア諸国と同様、貿易面でも中国との関係が深いので、中国に逆らって台湾を国家として認めることができない。(Taiwan, Singapore to Discuss Trade Pact

 FTAは国家間の貿易協定である。シンガポールが台湾とFTAを締結すると、台湾を国家として認めたことを意味しうる。ふつうに考えるなら、中国が猛反対してもおかしくない。台湾の側は、中国に反対されてもシンガポールとFTAを結びたいだろうが、シンガポールが中国の反対を押し切って台湾とFTAを結ぶとは考えにくい。逆にいうと、台湾とシンガポールのFTAは、中国が容認する姿勢を見せたので、交渉が開始されていると考えられる。

 中国政府は、シンガポールが台湾とFTAを結ぶことについて「シンガポールは『一つの中国』の原則を支持している(FTAを結んでも、シンガポールが台湾を国家として認めたことにはならない)」として、両国のFTA締結を容認する姿勢を表明している。中国は、シンガポールとの軍事関係を強化する姿勢も打ち出しており、両国関係は悪くない。(Taiwan begins trade talks with Singapore)(China seeks to advance military ties with Singapore

 中国と台湾は、6月末に自由貿易協定(ECFA、経済協力枠組み協定)を締結している。台湾側では、独立派だった野党の民主進歩党を中心に、貿易協定の締結によって台湾が経済的に中国に取り込まれ、脱却できなくなるとして、貿易協定の締結に反対する声が強かった。(消えゆく中国包囲網

 これに対し中国は、台湾側が喜ぶような譲歩をいくつか行って、台湾側の反対を和らげ、協定の締結にこぎつけた。その譲歩の一つが、台湾がシンガポールなどいくつかの国々とFTAを締結することを、中国が容認することだった。(Taiwan parliament approves landmark China trade deal

 台湾は、シンガポールのほか、インドネシアやベトナムともFTAを結ぶ交渉を開始しようとしている。台湾の最終的な目標は、ASEANのすべての国々とFTAを結ぶことだ。こうした全体から読み解くと、中国は、相手をASEAN諸国に限定した上で、台湾がFTAを結ぶことを容認していることになる。(Taiwan considers trade deals with Vietnam, Indonesia

▼東南アジアとだけFTAを許される台湾

 東南アジア(ASEANの10カ国)は、経済面主導で中国の影響圏に入る傾向を強めている。中国とASEANは、ASEAN+3(「3」は日中韓)の枠組みを通じて、為替や財政面の協調(アジアボンド、アジア共通通貨の構想)、自由貿易圏の構想などを進めている。ASEAN+3は「東アジア共同体」と同義である。ASEAN+3の中で、日本と韓国は、対米従属の国是にこだわり、今のところ東アジア共同体に積極参加する方向にないが、ASEANは中国の影響圏に入る傾向を強めている。

 中国は、自国の影響圏になりつつあるASEAN諸国との間に限定して、台湾にFTA締結を容認した。このことは、世界が、米英中心の政治体制から、東アジアのASEAN+3、欧州のEUといったような、地域ごとにまとまりがある多極型の政治体制に転換しつつあることと合わせて考えると興味深い。

 地域共同体の先駆例であるEUでは、EUとして統一した政策を行うため、これまで加盟各国が持っていた通貨発行、外交・安全保障、入国管理・労働・衛生などに関する国家権力が、EUに吸い上げられ、加盟各国の国家主権を制限するかたちで、超国家組織であるEUが成立している。国家の主権が制限された結果、国家政府と地方政府との権力の差が縮小している。

 EUはまだ発展途上にあり、加盟各国の外交・安全保障の権限は、EU設立前と変わらず、各国が持っているが、今後は外交・安全保障の面でも統合が行われ、各国からEUに権限が吸い取られていく方向にある。通貨発行、外交・安全保障の権限が完全にEUに吸い取られると、EU加盟の「国家」と、英国(連合王国)内の自治国(準国家)であるスコットランドや、スペインの自治州であるカタルーニャなど、従来から自治権を持っていた欧州内の「地方政府」との権限の差が縮小し、国家政府と地方政府の違いが少なくなる。

 こうしたEUの流れと同じことが今後、東アジア共同体(ASEAN+3)で起きるとすると、中国の「地方政府」である台湾と、東アジア共同体傘下の国家政府であるシンガポールがFTAを締結することは、東アジア共同体の内部での市場統合の一環であり、東アジア共同体の外部の国、たとえば米国が、台湾とFTAを締結することとは意味が異なるという話になる。

 中国では、広東省や江蘇省などの地方政府が、個別にシンガポールなどASEAN諸国と経済関係を強化している。中国の地方政府である台湾が、シンガポールと経済関係を強化することは、中国政府にとって、それと大して変わらないことだ。中国が台湾をなだめるために、それを「FTA」という名称で呼ばせてやるというのが、今回の中国の策略だろう。(Singapore, China's Guangdong province to enhance cooperation in healthcare services

 今はまだ世界には米英の覇権体制が存在するので、東アジア共同体の形成はほとんど具体化していないが、今夏になって欧米の多くの経済分析者が予測するようになった米英の財政破綻(ドルと米国債の崩壊)が現実に起きたら、その後は中国中心の東アジア共同体の構想が、再びASEAN+3で積極的に取り沙汰されるようになるだろう。(Getting Ready For A dollar Collapse?)(Even Tony Robbins Is Warning That An Economic Collapse Is Coming)(U.S. Is Bankrupt and We Don't Even Know It: Laurence Kotlikoff)(Consequences of U.S. debt

 中国を脅威と感じる人々や「民主主義を愛する人々」にとって、東アジア共同体は、とんでもない話である。EUの権力は、独仏など欧州の大国群の談合体制であり、加盟各国の合議制が存在するが、中国が圧倒的な力を持っている東アジア共同体は合議制にならず、実体は「拡大中国」である。米国の覇権が後退し、東アジア共同体が具体化していくことは、中国共産党の独裁権力が東南アジアや朝鮮半島、そしておそらく日本にまで波及してくることを意味する。

 東アジア共同体の構想がさかんに語られるようになった2002年ごろの段階で、日本が積極的に参加していたら、東アジア共同体は日中連携となり、中国だけが権力を持つことを防げたかもしれないが、当時から現在にかけての日本は、対米従属の姿勢を保持することだけに注力したため、東アジア共同体は中国のものになり、日本は米国覇権の後退とともに衰退を余儀なくされる可能性が強まっている。(短かった日中対話の春

▼東南アジアでの米国の稚拙な対中包囲策

 東アジア共同体は、東アジアにおける中国の覇権拡大を意味するが、同時に、中国の内部分裂を誘発する可能性もある。東南アジアは、歴史的に中国南部との関係が深い。東南アジアの経済は、広東人や海南人、福建人などといった中国南部出身の華人が握っている。東アジア共同体によって東南アジアと中国が一体化すると、中国南部系の勢力が結束し、北京政府の言うことを聞かなくなる傾向が強まりかねない。

 中国の広東省(広州市など)では最近、広東語のテレビ放送を規制し、テレビを北京語だけにしようという動きが、共産党内部から起こり、これに反対する市民が、天安門事件以来の規模といわれる反対運動のデモ行進を、今年7月から起こしている。広東語放送の規制は表向き、今年11月に広州市で開催されるアジア大会で、広東語を理解しない省外の中国人が多く広東を訪問するので、この際放送を北京語に統一した方が良いという理由で提案されている。しかしここ数年、中国と東南アジア諸国の経済関係が強まっていることから考えると、北京政府が広東と東南アジア華人という南方連合の結託を恐れた結果の規制強化とも思える。(China going in reverse on language

 中国は近年、雲南省からラオス、タイ、カンボジア方面に道路を建設したり、メコン川にダムや橋をかけたりするインフラ整備に資金を出し、中国南部と東南アジアを陸上交通で結節する事業を展開している。ASEANの中でも貧しい国々であるラオスやカンボジアの政府は、中国から資金提供を受けて、政治的に親中国の立場を貫いているが、もっと有力な国々であるタイやベトナムは、中国がメコン川の上流にダムを造ることで河川の環境が破壊されることを批判するなど、中国の影響力拡大に対抗する姿勢を見せている。(US dips into Mekong politics

 東南アジアで中国の影響力が拡大することに対しては、米国も対抗的な政策を採っている。7月にASEAN+3の安全保障会議に出席した米クリントン国務長官は、ベトナムやフィリピンなどASEAN諸国と中国が領有権を争っている南沙群島の問題に関して、ASEAN諸国の肩を持つ発言を行った。(中国軍を怒らせる米国の戦略

 また米政府は、ベトナムに原子力技術を供与する協定を決めたが、米国は個の協定でベトナムがウラン濃縮を行うことを容認しており、ベトナムが中国に対抗して核兵器を持ってもかまわないかのような姿勢をとり、ベトナムと中国の歴史的な対立を、ベトナム側に加担するかたちで扇動している。米国は、中国がパキスタンに原子力技術を供与することに反対しており、中国が経済関係を強めているイランに対しても、米国はIAEAが認めた低濃度のウラン濃縮すら禁じている。(Deep reasons for China and US to bristle

 米国は、インドにも核技術を提供しており、これらの戦略は全体として、中国を怒らせる意図を持っている感じがする。これらが高じて、米中対立から米中戦争になるという予測も世の中に存在するが、当の東南アジア諸国は、経済面で中国との関係を強化しており、米国に扇動されて中国との対立を深める立場にない。ベトナムは、米国から供与された技術で原発を持つだろう(日本企業が工事を受注しようと動いている)が、同時に中国との経済関係も強化していくことは確実で、中越対立を扇動する米国の戦略は尻すぼみになりそうだ。

 米国の戦略は、東南アジアに対する中国の影響力の拡大を削ぐことはできず、むしろ中国に米国債を買ってもらわなければならない今後の米財政赤字の拡大期に中国を怒らせ、米国債の売れ行き不振による長期金利の高騰を招きかねず、自滅的である。

▼「訓練してやるから日本が中国を倒せ」と言う米国の意地悪

 日本では昨夏、鳩山政権の初期に、政府が東アジア共同体への協力を表明したが、その後は対米従属派の官僚機構とマスコミが、対米自立・対中協調的な小沢・鳩山を潰しにかかり、対米従属が維持され、東アジア共同体については全く言及されなくなった。しかし、その一方で日本政府は、中国と対決する姿勢も採らず、中国に気を使っている。今年の8月15日は、20年ぶりに閣僚が一人も靖国神社を参拝しなかった。日韓併合100周年に際した日本政府の謝罪も、日本が対米従属ができなくなった後に中国・韓国を重視せざるを得なくなることを見越した動きにも見える。

 そんな日本の微妙なバランス戦略を壊しそうな動きが、米国から発せられている。米国が、尖閣諸島の周辺海域で、日本が「敵」から島を奪還するシナリオに基づく日米合同軍事演習をやろうと言ってきたことである。日本側に、中国と一戦交えてもいいから中国に負けたくないという好戦的な気概が満ちているなら、米国の提案はありがたいだろうが、日本の反中国傾向は対米従属を維持する方便の一つにすぎず、日本には中国と本気で対決する意志が、国家にも国民にもない。(Japan, US said to plan exercises near Diaoyutais

 日本人の反中国発言は、いかに中国がひどい国かを言うだけの「被害者意識」的なものばかりで、どうやって中国を倒すかを語る人はいない。日本人は、米国が中国を倒してくれることを夢想するが、米国から「訓練してやるから日本人が中国を倒せ」と言われるのは困る。米国側は、そんな日本人の依存症を見抜き、対米従属の日本が米国の提案を断れないことを十分承知の上で、日本が「敵」から島を奪還する軍事演習を尖閣諸島の近くでやろうと言ってきている。しかも、これからドルや米国債が崩壊するかもしれないという今の時期に、である。

 韓国の李明博政権は、天安艦の沈没事件で、米国が立案した北朝鮮犯人説に乗ったため、北朝鮮犯人説が崩れた後、困った立場に追い込まれている。隠れ多極主義の米国が、韓国を困窮させている。それと同様に、米国が日本を困らせ始めているのが、尖閣諸島での日米合同軍事演習の提案であると考えられる。



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インドを怒らす超細菌騒動

2010年8月20日  田中 宇

 インドの首都の名前を冠した「ニューデリー・メタロベータ・ラクタマーゼ1」(NDM−1)という名前の、抗生物質が効きにくい「超細菌」(スーパーバグ。病院で薬を多用した結果、抗生物質など薬剤が効かなくなる耐性が強まった細菌)の感染が、世界的な問題になっている。NDM−1は、腸に入って感染し、肺炎など他の臓器の炎症を起こし、治療薬も少ないので致死性が高いと報じられている。(New Delhi metallo-beta-lactamase From Wikipedia

 感染者の多くは、医療費を安くあげるためにインドやパキスタンに行って治療・手術や美容整形を受けた欧州人で、印パの病院で感染し、欧州に帰国後、発症が確認されたという。英国で約50人の感染者が見つかったほか、スウェーデン、ベルギー、オーストラリア、米国などでも感染者がいるという。(New 'superbug' found in UK hospitals

 8月11日、英国の「権威ある」医学雑誌「ランセット」が「NDM−1が公衆衛生の世界的な問題になる潜在性は、非常に大きい。世界的な調査が必要だ」とする論文を載せ、大きな問題になっていく可能性が高まった。ランセットの論文は、インドやパキスタンが欧米などの外国人を目当てに、安い価格で病気治療や美容整形手術などのサービスをほどこす「医療ツーリズム」に力を入れていることが、超細菌の世界的な蔓延に手を貸しているという論調で締めくくっている。(Emergence of a new antibiotic resistance mechanism in India, Pakistan, and the UK: a molecular, biological, and epidemiological study

 欧米マスコミは、このランセットの結論に飛びつき「インドが医療ツーリズムに欲を出し、治療方法のない病気を世界にばらまいている」といった論調で記事を書いた。WHO(国連の保険機関)関係者の「美容整形による超細菌の感染例は氷山の一角にすぎない。本当ははるかに多くの患者が、この細菌の犠牲になっているはずだ」というコメントを載せる記事も出た(豚インフルエンザの例など、近年のWHOは扇動が目立つ)。(Scientists find new superbug spreading from India)(A WHO panelist said superbug is probably killing many people

 インドの政府や医療界、マスコミなどは、激しく反応した。ランセットの論文は17人の研究者の共著だったが、その筆頭はインドのマドラス大学のクマラスワミー(Karthikeyan Kumaraswamy)という医学者だったため、ランセットが論文を発表するとすぐ、この研究者に非難が集まった。クマラスワミーは「私はこの論文について、科学的な調査をしただけだ。実際の文章の推敲は、英国人の医学者が行った。発表された論文の内容の一部は、私の知らないものだ」と表明した。(Did superbug really originate in India?

 インド政府の厚生相は、この表明をもとに「ランセットの記事のインド批判の結論は、純粋に医療の観点で書かれたものではなく、他意があって書かれたものだ」と発表した。ランセットの記事をまとめた医学者たちが、米国の製薬会社ワイエス社(ファイザー傘下)などから資金援助を受けていたことから、製薬会社からの圧力でインドを悪者にする結論が書かれたとの指摘も出た。(Ulterior motive behind tracing superbug to India?)(We didn't meddle with superbug study: Wyeth

▼インドを批判する不自然

 抗生物質が効かない薬剤耐性菌ができてしまう原因の一つは、病院での抗生物質の使いすぎである。ランセットの論文は、耐性菌の発生の世界的な増加を受けて書かれている。細菌を区分する手法として「グラム染色」があり、細菌はグラム陽性菌と陰性菌に分類できる。ランセット論文によると、従来は抗生物質が効かなくなる薬剤耐性は、グラム陰性菌に起きることが多ったが、最近はグラム陽性菌にも耐性化が起きるようになっており、その一つの例が今回のNDM−1だ。グラム陰性菌に対する薬は種類が多いので、耐性化が起きても薬を変えて対応できるが、グラム陽性菌に対する薬は種類が少ないので、耐性化が起きると対処できないことが多い。これがNDM−1の引き起こす、致死的な問題である。(Emergence of a new antibiotic resistance in India

 またランセット論文によると、以前は耐性の発生が入院患者に限られていたが、最近は、入院せず、大衆薬として抗生物質などを多く服用している人にも耐性化が起きるようになっている。

 これらの新しい問題の背景には、病院で患者に投薬する処方薬と、病院外で処方箋なしに患者自身が薬局で買って飲む大衆薬の両方で、薬を過剰に服用するケースが増えていることがある。過剰投与による耐性化を防ぐ方法としてまず考えられることは、製薬会社の過剰な営業を抑制し、薬の使いすぎを減らすことだ。ランセットの論文の結論は、本来、製薬会社への指導の徹底などの提案になるべきだった。

 しかし実際の同論文の結論は「英国からインドへの医療ツーリズムの増加は、英国の健康保険への負担を減らす現象のように見えるが、実はこれによってNDM−1の被害が英国で増え、英国の健康保険を逆に圧迫している」と、インドへの医療ツーリズムを批判して締めくくっている。インドへの医療ツーリズムに対する危険が扇動され、英国の患者がインドに行かなくなることによって得をするのは、英国の病院業界である。

 英政府はすでに09年1月、医療ツーリズムが耐性菌の拡大を増やすことについて警告を発している。その警告(National Resistance Alert)には、医療ツーリズム利用者によって耐性菌を英国に送り込んだことがある国々の名前が列挙されているが、インドの国名は出てこない。名指しされたのはギリシャ、トルコ、イスラエル、米国といった国々だった。(Lancet's superbug report is another misuse of broken peer review

 医療ツーリズムはインドだけでなく、世界の多くの政府が、外貨獲得の手段として奨励している。また、耐性菌の発生もインドだけでなく各国の病院で起きており、世界的な問題である。ランセットの論文で、インドとパキスタンだけが名指しされ、両国の医療ツーリズムだけが耐性菌発生の原因であるかのように書かれたことは、現状を正しく反映していない。インドの厚生相が「他意のある結論だ」と怒ったのは当然だった。(India attacks resistant superbug study, unscientific and economically motivated

 今回の耐性菌が命名されたのは昨年だが、その名前に「ニューデリー」というインドの首都名が冠されたことも、インドに対する恣意的な中傷だという主張も、インド側にある。今回ランセットが出した37人の症例のうち、過去1年間に印パの病院で治療を受けたのは、約半数の14人にすぎなかった。耐性菌の発生源が本当にインドなのかどうか怪しいという指摘が出るのも自然なことだ。(Lancet's superbug report is another misuse of broken peer review

▼豚インフルエンザ終結宣言の翌日に超細菌問題の論文

 今回の件は、製薬業界や英国の医療業界が、ランセットの論文の結論をねじ曲げた疑いを、インド側から持たれている。だが、この疑惑の構図は、世界的にあまり報じられずに終わるだろう。欧米日のマスコミと、それ以外の国々の英文マスコミの多くは、英米が保持するプロパガンダ体制(情報覇権体制)のもとにある。そして英国のランセットは、医学分野の世界的な権威であり、世界の医療分野の正否・善悪を決定できる英国の覇権装置(学術プロパガンダマシン)の一つである。世界の主流マスコミが、ランセットを批判する立場をとるとは考えにくい。

 今回のNDM−1と同じ構図を持った医療関係の国際扇動事案として「豚インフルエンザ」(H1N1)がある。WHOがH1N1の危険性を扇動し、世界各国の政府が膨大な量のインフルエンザ・ワクチンを購入し、欧米のいくつかの製薬会社がぼろ儲けした。WHOの顧問をしていた欧州人の医学者たちが、製薬会社から金をもらってH1N1の危険性を扇動していたことが明らかになっている。(インフルエンザ騒動の誇張疑惑)(Third of WHO advisers on the swine flu epidemic received support from drugs firms)(WHO scandal exposed: Advisors received kickbacks from H1N1 vaccine manufacturers

 しかし世界的な規模で見ると、H1N1の危険性が扇動された誇張だったことは、ほとんど報じられていない。世界で何百万・何千万人もの死者が出るだろうと大々的に報じられた挙げ句、実際に死亡した人がはるかに少なかったのに、その誇張性を指摘する記事もマスコミに出ない。世界の人々の多くも、日々の雑事に追われて誇大報道をすぐに忘れ、マスコミの構造的な問題について考えることはない。私は何度かH1N1の誇張問題について指摘、分析したが、私の記事など、大多数の人々には陰謀論にしか見えないだろう。(インフルエンザ強制予防接種の恐怖)(豚インフルエンザの戦時体制

 WHOは8月10日、H1N1の世界的流行(パンデミック)の時期が終わり、下火になったと宣言した。WHOは、豚インフルエンザの誇張事件で、ほとんど非難されることなく逃げ切った。そして、H1N1の終結宣言が発せられた翌日付けのランセット誌に、H1N1誇張問題と同じ構造を持った今回のNDM−1の蔓延の可能性についての論文が出るという展開になっている。WHO顧問の腐敗が指摘されてしまったH1N1は早めに終わらせ、次の誇張プロジェクトであるNDM−1に移ろうという感じだ。誇張しても世界の人々が怒らないので、何度でもやるということらしい。(WHO downgrades H1N1, declares flu pandemic over

▼先進国と新興国の分断に拍車がかかる

 とはいえ、H1N1とNDM−1では、重要な点で構図が異なっている。H1N1は特定の国を批判するものではなかったが、NDM−1はインドを批判するプロパガンダとなっており、インドと欧米との対立を煽るものとなっている。

 インドは中国、ロシア、ブラジルとともに、BRIC(4大新興国)を構成している。中国やロシアは、冷戦時代から、英米が人権や環境、軍事などの濡れ衣的・誇張的な口実を作って中露を非難する戦略の「やられる側」だった。ロシアや中国などの新興諸国、イスラム諸国などの途上諸国は、NDM−1の問題でインドが濡れ衣をかけられる立場にあることを理解し、この問題は、新興諸国・途上国という「非米同盟」と、欧米日(先進諸国)が対峙する構図になる可能性が高い。欧米日のマスコミは、ランセットのプロパガンダを鵜呑みにする報道を展開するだろうが、非米諸国ではランセットのインチキさが指摘される。世界は、すでにイラン核問題などをめぐって価値観の分断状態にあるが、この分断に拍車がかかる。

 価値観の分断状態が続くと、英米中心体制の影響範囲が、全世界から、先進国のみへと縮小する。英米が発するプロパガンダ(情報歪曲、善悪観操作)は、新興諸国や途上諸国に浸透しにくくなる。世界は、経済面でも、債券金融(影の銀行システム)やドルの大増刷(量的緩和)の金融バブルを突っ走る米欧日と、その構図に入らず、製造業や地下資源の分野を世界的に握ることに精を出す新興諸国との分断が顕著になりつつあるが、同じことが情報分野(プロパガンダ、善悪観)でも起きている。

 世界経済に占める新興諸国の割合が増し、欧米日先進国の割合が減る転換が進んでいるが、この転換は、新興国と先進国が経済システムや情報の分野で分断された状況下で起きている。先進国では今後、ドルや米国債、英国財政、金融界など米英経済の破綻が予測されるが、世界が分断状態を強めているので、英米の破綻は特に先進諸国内に大きな悪影響を与え、新興国と先進国の逆転に拍車をかける。米英が破綻する過程で、日本やEUはドルを防衛すべく無駄金を使わされるが、中国など新興諸国はドルを見捨て、あまり無駄遣いをしない傾向となる。

 今回のNDM−1と並び、新興国と先進国が価値観の分断状態にある科学の問題として先行するのが、地球温暖化問題だ。地球温暖化問題もNDM−1と同様、英国主導で扇動され、先進国が新興国から「温室効果ガス排出権」の名目でお金をピンハネし、英米主導の先進国中心体制の延命に貢献する策略だった。しかし、昨年末のコペンハーゲンサミット(COP15)などを経て、新興国が先進国から環境対策費の援助金を出させる構図へと転換し、一転して新興国が優勢になった。この転換を見ると、温暖化問題の策略を練る英米の中枢に、こっそり新興国を優勢にして多極化を進めようとする隠れ多極主義者がいると感じられる。(地球温暖化めぐる歪曲と暗闘(2)

▼情報操作の過剰行使で覇権の自滅

 インドは、英国から独立して63年経つが、いまだに英国の策略(印パ分断策など)に乗せられたまま、弱い立場にある。インド人はナショナリズムを気取るが、実は英米の傀儡であり続けることに安住している(日本人と似ている)。インドは、これまでBRICの中で最も欧米寄りの国であり、北隣の中国とも、親しくする一方で敵対を煽ることもやり、揺れ動いている。今回のNDM−1の問題は、そんなインドを反英国の方向に押しやっている。問題のランセット論文は、インドの独立記念日(8月15日)の直前という、インド人のナショナリズムを逆撫でする時期に発せられた。今回の問題は、隠れ多極主義的な側面を持っている。

 軍事優先主義的なことを過激に主張するなど、隠れ多極主義的な色彩がある右派の米ウォールストリート・ジャーナルは、NDM−1問題で早速、インド政府を陰謀論者扱いして中傷し、インド人を怒らせるような論評記事を出している。(How to (Super)bug an Aspiring Superpower

 NDM−1問題は、英国の世界戦略を失敗させる要素すら持っている。英国は第2次大戦以来70年間、米国との「特別な関係」を最重視し、米国に覇権の技能を伝授して、米国を覇権国にしてやる代わりに、英国が米国の世界戦略の立案機能を牛耳る策をとってきた。しかしリーマンショック後、米国の破綻が不可避になる中で、英国は、キャメロン政権ができて政権党が労働党から保守党に代わったことを機に、英米中心主義に対する固執を捨て、BRICの一角であるインドなどに接近する新戦略を開始している。キャメロンは首相就任前に「(米国ではなく)インドと、特別な関係を築きたい」と表明している。(Farewell, the Special Relationship?

 旧英領であるインドは、英国にとって動かしやすい対象だ(英国は、操作できる仕掛けを作ってから各植民地を独立させている)。インドを通じてBRICを攪乱ないし操作し、多極型の世界体制を弱体化したり動かしたりするのが、今後の英国の世界戦略だと推察できる。NDM−1問題をめぐってインドと英国が対立することは、この新戦略を壊しかねない。

 ランセット自体、今回の論文の結論歪曲問題が今後暴露されていくと、権威の失墜につながる。先進国のマスコミは、ランセットを批判しないプロパガンダ体制下にあるが、歪曲報道に頼らないと権威を保てなくなるほど、プロパガンダ体制は酷使されて弱体化につながる。温暖化問題の「クライメート・ゲート」は、温暖化問題で世界を主導してきた英国の気候学界の権威を失墜させた。(地球温暖化めぐる歪曲と暗闘(1)

 プロパガンダ(情報操作)は、ごくたまに発動する限りにおいて効果を発揮する。最近のように、イラク、アフガンの占領、韓国の天安艦問題、米英の経済指標、地球温暖化、BPのメキシコ湾原油流出など、あらゆる問題で歪曲報道をしなければならない状況は、情報操作の「過剰派兵」であり、マスコミに対する人々の信頼をそこない、英米の情報覇権の破綻につながる。その意味でも、今回のランセット論文の歪曲は、隠れ多極主義的な色彩がある。



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米連銀の危険な量的緩和再開

2010年8月13日  田中 宇

 8月10日、米国の連銀(FRB)が定例の理事会(FOMC、公開市場委員会)で「量的緩和」政策の再開を決定し、市場関係者の多くを驚かせた。量的緩和策は、08年秋のリーマンショック後、金融界の不良債権を減らして金融界の資金難を緩和するため、連銀が米国の国債や社債(不動産担保債券)を民間銀行から買い上げ、市中に大量のドルを注入する政策だ。米国の投資銀行を中心に談合的にやっている債券金融の再拡大(影の銀行システムの再生、レバレッジ復活)が軌道に乗ってきたため、連銀は今年3月末で量的緩和をいったん終了した。

 しかしその後、米国の景気がうまく回復しないので再び量的緩和が必要になるかもしれないと、連銀のバーナンキ議長が7月21日の議会証言で示唆した。そして8月6日に発表された雇用統計で、米国の失業者数が意外に改善していないことがわかり、連銀が金融緩和の方向に動く可能性が高まった。その流れの中で量的緩和の復活が決まった。(US economy sheds 131,000 jobs in July - Job losses put pressure on Fed to act)(Fed Mulls Symbolic Shift as Economy Wavers: Report

 連銀が再開する量的緩和策の内容は、3月末までの前回の量的緩和策として銀行から買い取った不良債権(不動産担保債券、ジャンク債)の満期が来て現金に償還された時に、その資金で新たに長期米国債を買うものだ。その総額は1・3兆ドルで、毎年1000億−1500億ドル程度の不動産担保債券が連銀に償還され、その資金が米国債の購入に再投入される。連銀内では、量的緩和策によって連銀自体の資産が急増しすぎ、連銀が不健全な状態になったとする批判が強いため、新たな資金で量的緩和を行うのではなく、これまでの資金内で、償還金を使って量的緩和を再開することにした。(Fed takes fresh steps to support fragile recovery

 償還金を使って買い支える対象が、不動産担保債券ではなく米国債である理由は、不動産担保債券の再購入だと銀行界だけを救済しているイメージが強くなり、公平性に欠けるからだと説明されている。その一方で連銀は、長期米国債を購入することにより、長期金利の上昇を防ぐことができ、米国債の金利に連動している住宅ローン金利や、ローンを束ねた不動産担保債券の金利の上昇も防げるので、間接的に一般国民(ローン債務者)や金融界を守る効果があるとも説明している。玉虫色の政策にするため、不動産担保債券ではなく長期米国債を買うということだ。(Agency Mortgages Fall On FOMC Statement

▼影の銀行システムから切り離され貧困化する米中産階級

 連銀内や金融界では、量的緩和を復活しても、実体経済への効果が薄いと言って反対する声も強い。リーマンショック後の米金融の問題は、資金難ではなく、金融バブル崩壊で巨額の不良債権を抱えた銀行界が融資業に消極的になり、連銀からの注入や影の銀行システムによって資金調達しても、それを融資として市中に貸さない「貸し渋り」にある。日本は90年代のバブル崩壊後、日銀が超低金利策を続けて資金を銀行に流しても、不良債権を抱えた銀行界が金を貸さないため景気が回復せず、10年以上のデフレ状態を経験したが、それと同じデフレスパイラルが米国でも起きていると懸念されている。こんな状況で米連銀が量的緩和を復活して銀行界にドルを注入しても、それは市中に回らず、実体経済を改善しない。反対論は当を得ている。(US recovery doubts move centre stage

 今の米経済の最大の問題は、影の銀行システムで資金を調達できるのが銀行や大企業だけであり、貸し渋りを続ける伝統的な銀行システムにしか頼れない一般の米国人の家計や中小企業に資金が回らないことだ。ローン破綻増に失業増が加わって一般の人々の困窮はひどくなり、米国の中産階級が階級ごと崩壊し、貧困層に転落する事態が起きている。米国では貧困層向けの食糧配給(生活保護)を受給する人数が1年で19%も増え、米国民の8人に1人にあたる4080万人に達し、来年は4330万人になると予測されている。(The U.S. Middle Class Is Being Wiped Out: Here's the Stats to Prove It)(Economists Herald New Great Depression

 リーマンショック前の米経済は、影のシステムが調達した資金が、貧困層向けサブプライムなどの住宅ローンや、株や住宅の値上がりというかたちで中産階級や貧困層のふところにも入り、その金が全米に旺盛な消費をさせ、経済を回していた。しかしリーマンショック後、影のシステムは何とか立ち直ったものの、サブプライム危機の教訓から、金融界は中産階級や貧困層に金を貸したがらなくなり、中産階級が資金的に見捨てられ、失業も増え、貧富格差が拡大し、社会的な断層線が顕著になっている。いくら住宅ローン金利が下がっても、銀行は失業者や貧困層に金を貸さない。貧富格差の断層線は、米国を政治的、経済的に破壊しかねない。(Unemployment Drives More US Home Sellers to Cut Price)(Martin Wolf: Three years and new fault lines threaten

 米経済は90年代から影のシステムに頼っていた。貧富格差の激化や、雇用なき景気回復は、以前からのことだ。無数の貧乏人が困窮しても、それ自体は銀行家を困らせない。だが、中産階級の資金力が低下して住宅が売れず、影のシステムの担保となっている住宅相場の下落に歯止めがかからないと、そのうち影のシステムも再崩壊する。07年夏の金融崩壊は、住宅相場の下落が原因だった。消費が落ち込んだままだと商業地の地価も下がり、不動産担保債券の全体が下落する。(Fannie Mae: Home Prices To Decline Into Next Year

▼ドルを敬遠し金を買う中国とインド

 米国の財政赤字は史上最悪を更新し続けている。日本もバブル崩壊後、財政赤字が巨額になったが、日本の赤字は国内金融機関が義務的に消化しており、国債の買い手がつかず長期金利が高騰する事態にならない。これと対照的に米国債は、中国など外国勢による購入が不可欠で、中国などが買わなくなると、買い手がつかず長期金利の高騰があり得る。米国債全体の約半分は、外国勢の購入だ。

(しかも日本はバブル崩壊後、ノンバンクによる不動産投融資という「影の銀行システム」を全廃し、すべて伝統的銀行部門に吸収させたが、米国は金融危機後、むしろ逆に影の銀行システムを延命再生することで危機を乗り切ろうとしている。米国は「失われた10年」を経験した日本より、さらに不健全なやり方をしており、失敗した場合、日本よりもっとひどいことになる。「日本並みの被害ですめば、米国はまだ幸運だ」と指摘する分析者もいる)(Peter Schiff: "We're in the Early Stages of a Depression")(The "Road to Serfdom"

 外国勢はすでに米国債を買いたがらなくなっており、最新データである今年5月の時点で、米国債購入者の外国勢と米国内勢の内訳は、3年ぶりに国内勢が50・2%と過半数に戻った(米国内勢の米国債買い増しの要因は、米国での貯蓄率の上昇も関係している)。(U.S. Investors Regain Majority Holding of Treasuries

 連銀が新たな量的緩和策を長期米国債の買い取りというかたちで再開することは、外国勢に対する米国債の信用問題として大きな危険をはらんでいる。連銀が長期金利の上昇を防ぐため米国債を買い支えることは、逆に言うと、連銀が米国債を買い支えなければ、米国債の買い手が足りず長期金利の上昇が起きかねないということだ。連銀は、米国債がすでに危険な「紙くず一歩手前」の状態にあると認めたことになる。連銀が量的緩和の再開を発表したことは、中国やアラブ産油国など、米国債を買い支えてきた外国勢を、米国債買い控えの方向に誘導しかねない。連銀は余計なことをしている。

 すでに中国政府は、米政府が意図的に財政破綻やドル崩壊を誘発し、ドルを人為的に下落させて米国債の総価値を急減させる「赤字減らし」を画策していると疑っている。中国政府は最近、国内銀行が金地金を一般市民に対して売れるようにする規制緩和を行い、国民がドル建て債券など今後「紙切れ」と化す可能性が高い金融商品ではなく、金地金を買うよう誘導し始めている。(China Goes for the Gold)(China moves to further liberalise Gold market

 中国に続き、インドも国民が金地金を買いやすい状況を作っている。中国人とインド人という人類の半分が金地金を買い始めたことは、ドル崩壊が近いことを感じさせる。そのような中で発表された連銀の米国債買い支え策の再開は、中国やインドの政府や人々に「やっぱり米国債はもうダメなんだ」と思わせかねない。(China pushes for Gold; India follows suit

 米国債の利回り(価格)は、他のすべての債券の基本となる指標だ。米国債は債券の王様である。米国債の買い手がつかず、利回りの高騰(価格の急落)が起きたら、他のすべての債券も急落する。これは、影の金融システムの崩壊を意味する。07年夏からリーマンショックまでの金融危機は、ジャンク債(サブプライム住宅ローン債券)の崩壊という「下からの金融崩壊」だったが、これから起きる危機の第2弾は、米国債の崩落という「上からの金融崩壊」になる。下からの崩壊は、連銀や大手銀行がジャンク債を買い支えて塩漬けにして、下部の支えを作り直すことで修繕できたが、上からの崩壊は、再起不能な全破壊になりかねない。

▼自走する影のシステムをつぶす

 グリーンスパン連銀元議長は8月1日のテレビ出演で「金融システムが壊れている時には、インフレではなくデフレになる」と、銀行の貸し渋りによって超低金利なのに資金流通量が減る現状について指摘した後「しかし財政赤字が増え続けているので、インフレにならないまま長期金利が高騰するかもしれない」と、米国債が崩壊する可能性について述べた。中国などが米国債を買わなくなると、デフレ下の金利高騰という前代未聞の事態が起こる。(Greenspan Says Decline in U.S. Home Prices Might Bring Return of Recession

 米国債の崩壊(長期金利の高騰)は、すべての債券の崩壊となり、影の銀行システムが壊れる。以前の記事に書いたように、影の銀行システムの資産規模は、伝統的銀行システムの規模より大きい。影のシステムの崩壊は、米国の富の半減、世界(特に欧米)の富の半減を意味する。影のシステムの資金で上昇してきた米国などの株価は大幅に下落するが、金地金相場は売り先物を使った抑制策から解放されて大幅に上昇するだろう(だから中国やインドの政府が自国民に金地金を買わせている?)。(影の銀行システムの行方

 今年3月末に連銀が量的緩和をやめた後、影の銀行システムは、自走して再生する過程に入っていた。連銀が今回、量的緩和を再開するということは、影のシステムの自走戦略がうまくいかなかったからなのだろうか。もしそうだとすれば、今回の連銀の措置は、やむを得ず発動した政策となる。しかし、米国の大企業の資金調達の状況は、この数カ月で急速に好転している。倒産して政府管理下に置かれていた自動車メーカーのGMも、再上場を申請する見通しだ。大企業の資金繰りが良いことは、影のシステムが機能して債券を低リスクで発行できていることを示している。影のシステムはうまく自走している観がある。(Revival of the fittest)(General Motors Said to Aim for Up to $16 Billion in Stock Sale

 影のシステムが自走できているとしたら、連銀が量的緩和を再開するのは全く余計なこと、やらない方が良い愚策、自滅策である。影のシステムが再生すれば、米金融界は債券を発行した資金で米国債を裏から買い支え、米国債の高値(低利回り)が、他の債券の高値につながって自走状態が好循環になる。好循環が続けば、いずれ一般国民に流れる資金も復活し、実体経済の好転につながる可能性もある。少なくとも1990年代から2007年までの米経済は、何度か不況が起きても、影のシステムの再生によって復活してきた。

 連銀の米国債購入は、世界中の米国債保有者の不安を煽り、米国債の崩壊につながる。影のシステムが自走しているなら、連銀が明示的に米国債を買い支えるのは害悪である。イラクやアフガンの無茶苦茶な戦争によって米国が軍事・政治的な影響力を自ら喪失していることと同質の、経済面での隠れ多極主義の戦略に見える。米国の単独覇権体制を解体し、中国など新興諸国が先進国と並び立つ多極型の世界体制に転換し、新興諸国の経済発展が世界経済を牽引していく新世界秩序を作ることをめざすのが、私が推測する米国の隠れ多極主義戦略だが、その戦略に立って見ると、米経済が不況や危機になってもいつの間にか立ち直らせる自走式の影の銀行システムこそ、不可逆的に崩壊させねばならない対象となる。米政権の上層部には、ボルカーやスティグリッツといった、影のシステムを壊すことが金融改革だと主張する経済政策立案者たちがいる。彼らは、政治軍事面での自滅を担当する「ネオコン」と並び、米国の覇権をぶち壊す作業を続けている。



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米軍はいつまで日韓に駐留するか

2010年8月5日  田中 宇

 今年5月末、韓国政府が米国にそそのかされて、3月末の天安艦沈没事件の犯人を北朝鮮だと断定する発表を行い、米韓と北朝鮮の対立が激化した。その影響で、韓国では、2012年に予定されていた有事の戦闘指揮権の米軍から韓国軍への委譲が、2017年もしくはそれ以降に先送りされることになった。日本では、2014年までに予定されていた沖縄駐留の在日米軍海兵隊のグアム移転が、普天間基地問題の滞りとグアム側の準備の遅れを理由に、2015年以降に先送りされる可能性が高まった。(60 Years Into War, US Delays South Korea Forces Handover

 天安艦事件は、米韓が北朝鮮に濡れ衣をかけて非難するほど、濡れ衣をかけられた北朝鮮が怒って南北の対立状態が定着するという、冷戦やテロ戦争と同様の恒久対立の仕掛けを持っている。だから、対米従属を今後も続けたいと考えてきた日韓政府は、米韓が天安艦事件の北犯人説を出した時点で、日韓駐留米軍の撤退が大幅に延期されたと考え始めた。

 しかし、天安艦事件の濡れ衣構造は、意外と早くぐらつき出している。韓国政府が北犯人説を発表した10日後の6月2日に行われた韓国の地方選挙では、李明博大統領の与党ハンナラ党が意外に不振だった。韓国政府は、北犯人説の方向で、マスコミを巻き込んで強い言論統制とプロパガンダ戦略を展開した。韓国の元軍人らがさかんに集会を開いて北朝鮮を非難し、集会の規模が大したものではないのに、マスコミはあたかもそれが韓国人の大多数の世論であるかのように報じた。こうした言論統制は逆効果で、6月2日の韓国地方選挙は与党の敗北となった。(At polls, South Korea conservatives pay for response to Cheonan sinking

 選挙の敗北を受け、李明博政権は北と対決する姿勢の政策を引っ込め、代わりに北と融和していく姿勢を打ち出した。南北の経済和解の象徴である開城の工業団地は操業を続けた。この時点ですでに、北朝鮮との恒久対立をめざす「韓国の911」の戦略は腰くだけだった。その後、韓国政府は、天安艦をめぐる発表のボロが次々と指摘され、さらに不利になった。(South Korea softens tone with North

 韓国が不利になるのと対照的に、北朝鮮は有利になり、国連やASEAN+3などの国際会議の場で、天安艦事件の調査結果を米韓がでっち上げたと声高に非難するようになった。北朝鮮は金正日が政権についてから、国連などの国際社会で正々堂々と発言する戦略をとらず、国際社会に参加せず、こそこそと武器や偽札、麻薬などの密貿易をやって外貨を稼ぐ「やましい国」の戦略をとってきた。(North Korea Expected to Steal ASEAN Spotlight

 だが天安艦事件の濡れ衣を受けた後、北朝鮮は、悪いのは濡れ衣をかけた米韓だという大義を得て態度を一変し、米韓の悪事を国連などで堂々と非難するようになった。米国から核兵器開発の濡れ衣をかけられ、国連などで米国と非難の応酬を続けてきたイランの高官は「北朝鮮とイランは、ともに列強諸国の強欲と果敢に戦う革命の同志である」と、北朝鮮を礼賛するようになった。('Iran, N Korea share common goals'

 7月9日、国連安保理が天安艦事件に関する非難決議を採択したが、それは「北犯人説」を主張する米韓と、それを否定する中露朝との議論の末の妥協の産物だった。国連決議は、天安艦を沈没させた「犯人」を非難しているものの、犯人が誰かということは一言も書いていなかった。北朝鮮は、自国が名指しされなかったので「国連決議はわが国の勝利だ」と発表し、腰が引けている韓国も「犯人とは北のことであるので、決議はわが国の勝利だ」と発表した。南北の両方が勝利宣言する奇妙な結果となった。(Creative UN diplomacy papers over the Cheonan incident

▼優劣が逆転する韓国と北朝鮮

 国連決議が出た後、北朝鮮は「6カ国協議に出てもよい」と表明した。これについて「北朝鮮は飢餓がひどくなっているので、食糧支援ほしさに、ずっと出ないと言っていた6カ国協議に、また出てもよいと言い出したのだ」といった「解説」が流布したが、本当のところはそうではなく、北朝鮮は6カ国協議で天安艦問題を議題にとりあげ、米韓を非難しつつ、調査のやり直しを求めるつもりだろう(北朝鮮経済は改善しつつあり、飢餓状態にない)。(North Korea takes desperate measures - Donald Kirk

 6カ国協議の参加国の中でも、すでにロシアは北朝鮮犯人説を否定しており、北朝鮮の味方である。中国も同様だろうが、中国はあとで北朝鮮と韓国を和解させる仲介役をやるつもりらしく、何もコメントせず、南北どちらの肩も持たず中立を維持している。中露は、天安艦事件の調査を南北合同でやり直すことを求める北朝鮮の主張を支持するだろう。再調査が実施されると、北犯人説は崩れ、濡れ衣をかけたことがばれるので、韓国は6カ国協議を開きたくない。南北の優劣が逆転している。

 米国は北犯人説に固執しているが、米国の外交問題評議会(CFR)は「米国は、6カ国協議を開いて北朝鮮に圧力をかけ、朝鮮半島問題での主導権を中国から取り戻すべきだ」と主張している。実際には、6カ国協議を開くと、天安艦の濡れ衣がばれて米国は不利になり、朝鮮半島問題の主導権はますます米国から遠のいて中国の方に行ってしまう。いつもながら、CFRの言動は隠れ多極主義的である。(US looks within, Pyongyang looks to war

 米軍は最近、南北境界線上の板門店で北朝鮮軍との会談を何度も開いている。天安艦事件で対立することもなく、和気あいあいとした雰囲気で会談が行われたという。(Amiable Mood for North Korea-UN Military Talks: Officials

 韓国の李明博政権が、天安艦事件で北に濡れ衣をかけたことは、結果的に北を強化し、自国を弱くしている。6月の地方選挙にも勝てなかった李明博は、北犯人説を発表したことを後悔しているだろう。しかし、今から発表を撤回すると北をますます強化し、自分の政治責任も強く問われるので、いまさら撤回できない。

 北犯人説は、韓国政府が勝手に発表したことではない。むしろ韓国は、米国の対立誘発策につき合わされ、失策の泥沼にはまり込んでいる。北犯人説は、米国、英国、豪州、スウェーデンという「国連軍」の代表たちと、韓国側の軍人や学者が話し合って決めた。スウェーデンの代表は北犯人説を支持したがらなかったと報じられているので、北犯人説を作ったのは米英豪という「アングロサクソン」である。(South Korea in the line of friendly fire

 彼らは天安艦事件に関して400ページの報告書を作ったというが、誰もそれを見ていない。発表されているのは5ページ分の要約のみで、北のほかにやりそうな勢力がいないという粗っぽい理論で、北が犯人だと結論づけている。証拠として記者会見で公開された魚雷の残骸は、記者会見の5日前に海底で発見されたと韓国政府が発表したが、これも会見のために証拠がでっち上げられた疑いを醸し出している。(LATimes: Doubts surface on North Korea's role in ship sinking

 米英は、第2次大戦後、朝鮮半島を二分して北半分をソ連に押しつけた後、金日成の南侵を誘発して朝鮮戦争を起こし、東アジアで米英と中ソが恒久対峙する冷戦構造を作ったコンビだ。戦争を誘発して恒久対立の構図を作る米英の戦略は60年経っても不変だが、今回はすぐにボロが出て、韓国政府を困らせている。

▼北朝鮮が6カ国協議に出ると言い出した意味

 今後6カ国協議が再開されてもされなくても、天安艦問題で韓国が北朝鮮に対する劣勢を挽回できる見通しは低い。米国は、イラクにもイランにも濡れ衣をかけ、ばれても平然としているので、おそらく北犯人説も貫くだろう。米国は、都合が悪くなったら韓国のせいにするかもしれない。韓国は、米国から距離を置くかたちでしか方向転換できない。韓国の左派は「わが国は対米従属を続けているので、天安艦事件で無理な北犯人説に立たねばならなかった。もう対米従属をやめるべきだ」という主張を強めている。(South Korea reels as US backpedals

 韓国が今後、北に対する敵視をやめて方向転換をせざるを得なくなるとしたら、その時に韓国が頼るのは米国ではなく、中国だろう。中国が南北を仲介し、北朝鮮は天安艦事件で韓国を非難することをやめ、韓国は北に対する融和策と経済支援を再開し、天安艦問題をうやむやにして南北が和解するシナリオがあり得る。天安艦問題で中国が黙っているのは、この仲介役をやるつもりだからだろう。史上初の中国による南北仲裁が成功すると、韓国は対米従属を脱し、有事指揮権を米軍から譲り受け、在韓米軍に撤退してもらうことを決意する可能性が出てくる。

 こうした展開がいつ始まるか、まだ見えない。天安艦問題をめぐる今後の展開で米韓がどの程度不利になるかによって変わってくる。また、2013年に李明博政権が終わった後の政権交代が一つの機会となる。

 北朝鮮の内政は、金正日から張成沢への政権移譲が進み、中国式の経済自由化(改革開放)を進めるだろう。9月に開かれる労働党の代表者会議で、今後の体制が明らかになるかもしれない。中国は、先日また北朝鮮と新たな経済協定を結んでおり、北朝鮮経済は中国の傘下に入る傾向を強めている。韓国が北朝鮮を敵視したままだと、北朝鮮の経済利権は中国側に奪われていく。(◆代替わり劇を使って国策を転換する北朝鮮

 北朝鮮は最近、香港の投資家を開城工業団地に案内している。開城工業団地は、韓国が投資して作ったものだが、それを韓国から奪って中国人にあげてしまうかもしれないという、韓国に対する北朝鮮の脅しのメッセージが、この件に込められている。経済戦略の面でも、南北の優劣が逆転している。韓国が対米従属を続けることの矛盾が増している。

▼米中の影響圏再設定と天安艦事件の関係

 前回の記事で書いたように、公海上における覇権の管轄において、韓国前面の黄海(西海)は第1列島線の東側であり、米国の影響圏から中国の影響圏へと移行しつつある。2つの列島線は、海上の影響圏を定めたものだが、海上の影響圏は、陸上の影響圏とつながっている。米国の影響圏が、第2列島線(グアム島)以東まで退却することは、朝鮮半島、特に韓国が、米国の影響下から中国の影響下に移転することを意味している。(中国軍を怒らせる米国の戦略

 米軍がいつまで韓国に駐留し続けるかわからないが、最終的には、米軍は韓国から撤退してグアム以東に引っ込む。そこに至るきっかけの一つになりそうなのが、天安艦事件の濡れ衣性が暴露されていくことである。

 在韓米軍の撤退は、米国の方から言い出すのではなく、韓国が国家戦略を転換し、米軍に撤退を要請することによって起きるだろう。しかし米国の方は、すでに撤退の長期戦略を決めている。そのことは、中国との影響圏の再設定である2つの列島線に表れている。米国は、中国を(地域)覇権国の一つとみなしているので、中国と話し合って西太平洋における影響圏の再設定を行った。だが米国は、韓国や日本を地域覇権国とみなしておらず、日韓にもその気がない。だから影響圏の再設定は、米中のみの話し合いで決められている。

 日韓はこの半世紀、米国への服従を国家戦略にしてきた。米国が日韓を米国の影響圏から外し、中国に影響圏を割譲する決定をしても、日韓は米国に文句を言う権利を持っていない。米国の戦略に不服があるなら、対米従属をやめて自立するしかないが、今の日韓は自立方向の国家意志が感じられない。日韓は、米国から外されかけていることに見て見ぬふりをしつつ、対米従属にすがりついている。天安艦問題は、そんな日韓のうち、韓国の足をすくった。

▼膠着が予想される在日米軍問題

 日本の方は、鳩山前政権時代に、自力で対米従属を脱して中国と協調する新体制に転換することを試みたが、官僚機構の強力な抵抗と政権転覆策を受けて鳩山は辞任し、菅政権に代わるとともに混沌とした暗闘状態に入った。日本の場合、対米従属を終わらせるきっかけとなりそうなのは沖縄の普天間基地問題で、今後もそれは変わりそうもない。だが普天間問題は、対米従属を維持しようとする勢力と脱しようとする勢力が互角に張り合ったまま動かない膠着状態だ。

 対米従属派は、普天間基地を辺野古に移転して問題を解決し、対米従属の象徴である在日米軍を保持しようしている。だが従属脱却派は鳩山政権時代に、島内から基地をなくしてほしいという沖縄県民の感情を最大限に扇動し、島民を怒らせ、辺野古移転策を中心とする対米従属派の県内移転構想を実現不能な状態にした。菅政権は官僚に対する抵抗力が弱いので、政治主導で日本が米軍に撤退を求める道は封じられている。だが同時に、官僚機構の傘下の民主党内の官僚傀儡勢力が沖縄県民を説得して普天間問題を解決することもできない。当面、普天間基地は現状のまま存続するしかない。

 今秋11月の沖縄県知事選挙で、普天間基地の閉鎖を強く求めてきた地元の宜野湾市の伊波洋一市長が立候補・当選するかもしれない。伊波氏は昨年、日米政府が談合して発表人員数をごまかし、沖縄海兵隊の一部しかグアムに移転しないかのような話が作られていることを指摘した。伊波氏は、在日米軍をめぐる日米政府の談合によるごまかしの構図を見抜いている。伊波市長が沖縄県知事に当選すれば普天間基地問題は解決するかといえば、そうではない。県知事に外交政策の権限はない。しかし県知事は、県内への基地新設を拒否して止めることはできる。ここでも膠着状態が待っている。東京の政府は、11月の沖縄県知事選の前に辺野古移転を決めてしまおうと動いているが、実現は無理だろう。(官僚が隠す沖縄海兵隊グアム全移転

 米国は財政難による困窮を強めているが、米国の財政難がひどくなっても、それだけで沖縄から米軍が撤退することはない。思いやり予算やグアム移転費などのかたちで、日本政府が在日米軍の駐留費の多くを出しているからだ。ドルや米国債が崩壊し、世界の他の地域からすべて米軍が撤退しても、沖縄には米軍が駐留し続けられる(米国が財政破綻したら、巨額の米国債を持つ日本の財政も破綻し、在日米軍の駐留費を出せなくなるかもしれないが)。

 米軍は海兵隊の遠征軍を3つ持ち、第1と第2は米国の東海岸と西海岸に駐留し、第3遠征軍が沖縄にいる。米軍関係者の間からは、軍事技術の向上によって、海兵隊を使わなくても最新戦闘機や無人偵察機などのハイテク兵器で敵国を急襲できるようになっており、海兵隊という存在自体が要らなくなっているという指摘が出ている。だが海兵隊の遠征軍のうち、たとえ第1と第2がなくなっても、沖縄の第3遠征軍はなくならない。日本政府が毎年6000億円の公金を出してくれるからだ。米軍が海兵隊を廃止したら、日本からお金がこなくなる。(Get Out of Japan by Doug Bandow

 攻撃用部隊である海兵隊は、日本の防衛に役立たない。「先制攻撃が最大の防御策」という考え方は、イラクとアフガンの失敗で崩壊した。日本の対米従属派は、海兵隊が日本の防衛に不可欠だから金を出して引き留めているのではない。在日米軍がいることで日米同盟が存続し、日本が対米従属の国家戦略を続けられるので、海兵隊を日本に引き留めている。非常に金のかかるやり方だが、在日米軍が出ていったら、その後の日本は対米従属のタガが外れ、政治家(国会議員)の力が増加して官僚の権力は奪われる。それを防ぐ官僚機構にとって最後のとりでが、在日米軍の存在を使った対米従属の体制である。

▼日本にとって東アジア共同体の好機は過ぎた

 中国の新たな影響圏海域(空域)の東の端を示す第1列島線は、沖縄の南西諸島の日本領海のすぐ西側(もしくはもう少し西の沖縄トラフ上)を通っている。沖縄の米軍基地は、第1列島線のすぐ東側に位置している。これまで米軍は第1列島線など意識せず、中国沖の東シナ海や朝鮮半島を自由に行き来できた。しかし今後、2つの列島線が米中の影響圏の境界線として実効力を持つようになると、米軍は沖縄の西側での行動範囲を狭められ、沖縄の基地は使いにくく、米国にとって価値の低いものになる。

 米軍は、日韓駐留軍の大半を2014年までにグアム島に移転する計画になっているが、米政府は財政難の影響で、日韓からの軍勢を受け入れる施設をグアムに建設する予算を確保できなくなっている。環境影響調査などを通じた地元の反対もあり、グアムが日韓からの米軍移転を予定どおり受け入れられない可能性が高まっている。グアムに移転できない以上、在日米軍は沖縄駐留を続けざるを得ないという話になり、日本の対米従属派はこっそり喜んでいる。(U.S. Senate panels cut outlays for relocating Okinawa Marines to Guam

 しかし本質的に日韓駐留米軍は、グアム島に移転できないなら日韓に駐留し続けるのではなく、米本土に移転するか部隊ごと解散する方が、米国にとって望ましい。日韓駐留米軍の最大の存在意義である朝鮮半島の不安定要因が今後、縮小する方向に進むと予測されるからだ。北朝鮮は中国式の改革開放に向かうことで安定し、韓国も天安艦事件を口実にした北と敵対する戦略をいずれ捨て、中国の仲裁による南北和解が進むだろう。米中は、そうした東アジアの安定を見越して、2つの列島線を引き、米中の影響圏の新たな分担を決めている。

 米中が東アジアでの影響圏の再設定などするはずがない、2つの列島線は中国が勝手に決めたもので、米国は反対しているはずだという考え方が、読者の中にまだ強いかもしれない。しかし私は(1)米国は「米軍再編」の名目で在日・在韓米軍をグアム以東に撤退する計画を10年以上前からやっている(2)CFRなど米国の有力シンクタンクが、中国が第1列島線まで進出して米国が第2列島線まで後退することはやむを得ないと言っている(3)中国政府の政策立案者も、米軍はグアムまで撤退する予定だと言っている(4)米国は世界的に覇権の多極化を誘発しており、米中の影響圏の再設定は多極化の流れとよく符合する、といったことを理由に、2つの列島線による米中影響圏の再設定が今後具現化すると予測している。

 数年前、私が「覇権の多極化」を予測し始めたとき、多くの人はピンと来なかったが、その後現在にかけて多極化はかなり具現化した。これと同様に、2つの列島線による米中影響圏の再設定も、いずれ具現化してくると私は考えている。

 問題はそれがいつ具現化し、普天間基地の国外移転もしくは海兵隊の廃止などの具体的な動きになるか、ということだ。韓国の場合、北と敵対して対米従属を続ける戦略と、逆に北と和解して半島を安定化する戦略の両方が存在するので、前者を捨てて後者を取ることで、韓国が米軍に撤退を要請する転換があり得る。しかし日本は韓国と異なり、対米従属に代わる明確な国家戦略が存在しない。

 しばらく前までは「中国と組んで東アジア共同体を作る」というのが戦略としてあり得たが、日本が中国と組むなら、少なくとも日中が対等な立場でないと、日本にとって意味がない。中国はここ数年、経済面や国際政治面でどんどん強くなっている。国際政治の分野では、すでに中国は日本よりはるかに大きな存在だ。経済面でも中国は今夏、GDP総額ですでに日本を抜き、米国に次ぐ世界第2位に上がった。中国はすでに日本より優位に立っているので、今後の東アジア共同体構想は日中共同ではなく、中国が主導するものになる。日本は、韓国や東南アジア諸国とともに中国に従属する存在にしかなれない。日本にとって東アジア共同体は、昨夏、鳩山政権が打ち出したときが最後のチャンスだった感じだ。(China overtakes Japan as No.2 economy: FX chief

 米国の覇権が後退した後の東アジアは、中国中心の東アジア共同体的な状態になるだろうが、アジアで以前のような優位に立てない日本は、アジアの政治協調にあまり積極参加せず、新事態を消極的に受け入れる「半鎖国」の状態になりそうだ。それまで、日本は対米従属をできるだけ長く維持する姿勢を続け、日本のマスコミは米国の衰退や多極化をなるべく伝えず(「多極化」を「無極化」とごまかしている)、日本人は閉塞感を持ちつつも、なぜ閉塞するのかわからず、打開の糸口がつかめない状態が続くだろう。

 自国の暗い話は読みたくないだろうから、このぐらいにする。このような前提で考えると、在日米軍の撤退が具体的に日本で取り沙汰されるのは、韓国が在韓米軍の撤退を要請した後になるだろう。朝鮮半島の安定化が見えてくると、いくら日本のマスコミが無視・歪曲しても、在日米軍の存在意義が失われていることに日本人も気づく。駐留米軍に撤退してもらうには、国会で決議すれば良い。手続き的には簡単だ。これまで多くの国々が、議会の決議一本で米軍基地の閉鎖を決めている。

 その前に、民主党内で小沢一郎が再び力を持ち、在日米軍や地方分権などの問題で大転換的・反乱的な動きを再燃させ、鳩山辞任で挫折した日本の多極化対応策の続きをやろうとするかもしれない。だが、まだそれが起きてくるかどうかも見えない。全体的に視界不良で「米軍はいつまで日韓に駐留するか」という本記事の題名の問いにも具体的に答えられないままであるが、日韓をとりまく状況を網羅的に説明したことで、本記事の意義とさせていただきたい。



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中東の行く末

2010年7月28日  田中 宇

 今回、この記事を書くにあたって中東情勢を再考したところ「もしかすると、もう中東大戦争は起きないのではないか」という考え方が出てきた。とはいっても、世界的に流れるニュースが、そのような方向性を持っているのではない。

 ニュースの傾向は、むしろ逆に「間もなく米国かイスラエルが、イランを空爆する」という予測があちこちから出続けている。マイケル・ヘイデンCIA元長官は7月25日に「米軍がイランを空爆する可能性が、今までになく高まっている」と述べた。欧米に制裁されてもイランが核開発をやめないので、もう空爆以外手がないからだという。7月11日には、マレーシアのマハティール元首相が「米国がイランを空爆するのは時間の問題だ」と述べた。イランは、制裁されて弱体化したところで米イスラエルの空爆を受けることになるという予測だ。ロシアの専門家も、イラン空爆が近いと言っている。(U.S. strike on Iran likelier than ever, former CIA chief says)('US attack on Iran a matter of time')(Russian expert warns of regarding "factors that could lead to a war by the US and its allies against Iran"

 7月24日には、米議会下院が、イスラエルによるイラン空爆を支持する決議を可決した。イスラエルに対して、早く空爆を挙行しろと迫っているかのようだ。その一方で米タイム誌は、イスラエルのネタニヤフ首相が訪米してオバマ大統領を説得した結果、オバマは最近の消極姿勢から転換し、再びイランを空爆する気になったと報じている。米国はイスラエルに、イスラエルは米国に、イラン空爆をやらせたがっている構図が見える。(House OK's possible Israeli raid on Iran)(Report: Israel convinces Obama to plan for Iran strike

 こうした状況下で私が抱いた疑問は「米イスラエルがイランを空爆するぞと言い出してから何年も経っているのに、イランは何の防空力もつけていないのか?」ということだ。各国の防空力や攻撃力は、軍事機密であり、しかも各国ともウソの情報を流して攪乱するので、イランがイスラエルの空爆を防御できるかどうか、確たる分析はできない。

 しかし、イランが防空力を高めている観はある。最近は特に、トルコが親イスラエルから反イスラエルに転じ、明確にイランを支援する姿勢を見せている。表向きは経済面のみの支援で、イランからトルコを抜けて欧州方面に天然ガスを送るパイプラインの建設を決めたり、両国の国境地帯に経済特区を作る計画を進めたりといった話だが、ひそかにトルコがイランの防空力を高める協力をしている可能性は高い。(Iran Signs $1.3 Billion Turkey Pipeline Deal)(Turkey to promote closer trade ties with Iran

 また、近年軍事技術を磨いている中国は、政府系企業がイランの油田やガス田の開発に取り組み、すでに中国はイランの石油ガスの最大の輸出先である。米イスラエルがイランを空爆するとしたら、原子力関連の施設だけでなく、油田やガス田、パイプラインなども破壊するだろう。これは中国のエネルギー安全保障にとって脅威である。中国が、イランの防空力強化に協力していても不思議ではない。(Turkey, China help Iran on fuel supplies after "US bite"

 同じことはロシアにもいえる。ロシアは中国と組んで、6月の国連安保理のイラン制裁決議を骨抜きのものにしたが、その直後からロシアはイランとエネルギー分野での戦略関係を強め、ロシアが長期的にイランのエネルギー開発に協力することが決まった。ロシアは、イランに地対空ミサイルS300を売る話も以前から進めている。(Iran, Russia drafting energy road map

▼イランと関係強化する非米諸国

 イランは産油国だが、ガソリンの製油能力が低く国内需要を満たせず、輸入に頼っている。このため米議会は、イランに対するガソリン輸出の禁止を決議し、米国企業に対し、イランにガソリンを売った他国の企業と取引することを禁じた。しかし、中国やトルコ、イラクなどの石油会社は、米国の決議を無視してイランにガソリンを売り続けている。困ったのは、中国やトルコの石油会社と取引してきた、米国の石油会社の方である。米国の法律に従うと、米石油会社は中国などの同業者に石油を売れなくなってしまう。(Oil Smuggling to Iran Embarrassment for Iraq

 米議会はイランの銀行との金融取引も禁止したが、これもイランの銀行の取引先を、欧米から中国などの銀行に変える効果を生んだだけだ。米国はEUに圧力をかけ、EUにもイラン制裁法を制定させたが、欧米の企業が手放したイランの商権は中露によって貪欲に横取りされる展開となり、欧米勢が困るだけでイランは大して困らず「もう一つの世界経済システム」とも呼ぶべき欧米以外の新興諸国の貿易ネットワークがイランを取り込んで繁盛し、世界経済の多極化を推進する結果となっている。('Iran sanctions to hurt foreign firms'

 こうした状況を見て、親米的だったインドやパキスタンなども、米国の脅しを無視してイランとの経済関係を強化する方向に動いている。悔しがっている欧米企業や、迷っている他の国々の企業に対し、イラン政府は「わが国の巨大なガス田を開発しにいらっしゃい。いつでも歓迎しますよ。でも、早く来ないと新興諸国に全部とられてしまいますよ」と誘っている。イランのサウスパース・ガス田は、世界の埋蔵量の8%を占める。(India ignoring Washington as it woos Iran)(Global Firms Invited to Join Iran Energy Projects

 イランの石油ガス開発に参画する国が増えるほど、それらの国々は、米イスラエルの空爆からイランを守りたいと思うだろう。イラン空爆を挙行する可能性は米国よりイスラエルの方が高いが、イスラエルからイランまでは千キロ近くあり、途中にはイランから地対空ミサイルを輸入して防空力を高めているシリアもある。トルコ上空も通過しうるが、トルコ政府はイスラエル機が領空侵犯したら撃墜すると宣言している。イスラエル空軍機がイランを空爆して無傷で帰還できる可能性は減っている。イスラエル政府が躊躇して空爆を遅らせるほど、空爆の成功率が下がる。米国が本気でやるなら、イランを成功裏に空爆できるが、米政府は親イスラエルのふりをした反イスラエルの傾向があり、イランとの戦争はイスラエルにやらせたい。

 イスラエルは、イランを空爆するなら、成功させねばならない。イスラエルの建国以来60年の国家存続は、周辺のアラブ諸国を軍事力で圧倒し、破壊・威圧して黙らせ、イスラエルを攻撃せぬよう恐怖のどん底に陥れ、敵方を心理的・経済的に骨抜きにすることで成り立ってきた。イスラエルが空爆に失敗したら、それはイランの勝利になる。イスラエルは06年夏のレバノン侵攻でヒズボラを倒せなかったため、その後ヒズボラは政治的に強くなり、今ではレバノン政界を牛耳っている。イスラエルは、この失敗例を繰り返すわけにはいかない。

 だから、もし空爆の成功率が低いなら、イスラエルはイラン空爆をあきらめるはずだ。イスラエルの右派は「隠れ自滅派」なので、失敗するとわかっている軍事侵攻をやりうるが、06年夏の失敗以来、イスラエル政府の中枢は、軍内の右派がクーデター的に侵攻をやらないよう、指揮命令系統を厳しく監視しているはずだ。中露やトルコがイランの石油ガス開発に本格的に取り組み出している今、イランの防空力が急速に高まり、イスラエルがイラン空爆をあきらめた可能性がある。

 イスラエル政府高官らは、イラン空爆を辞さずとさかんに言い続けているが、これはむしろ、実際の空爆ができないことをイラン側に察知されないよう、言葉だけでもさかんに威嚇しておかねばならないという、苦しい次善の策なのかもしれない。

▼3カ月以内にレバノン再戦?

 ここまで書いたところでニュースを見ると、イランのアハマディネジャド大統領が、私の推論を裏づけるような爆弾発言をしていた。アハマディネジャドは7月27日、イラン政府系のネットメディア「プレスTV」のインタビューで「イランは防御力があるので、米国やイスラエルはイランを直接に攻撃することはできない。代わりに彼らは、イランを威嚇してイスラエルを防御する目的で、今後3カ月以内に、中東のイランの同盟国を少なくとも2つ軍事攻撃することを決め、すでにその準備をしている」と述べた。前後の質問の流れから、この2つの国は、レバノンとシリアであると推測できる。(Exclusive Press TV interview with Ahmadinejad - Part Two)(Iran: U.S. will likely attack 2 Mideast countries within 3 months

 アハマディネジャドの発言内容が事実であるとしたら、米イスラエルは、イラン自身を空爆するつもりはなく、代わりにレバノンやシリアに侵攻するつもりだということになる。少なくとも、次の戦争はイランからではなくレバノンから始まる。今秋、イランよりレバノンの方が戦争になるとの予測は、最近ほかのところからもいくつか出ている。(Possible Israeli attack against Lebanon this autumn)(Analyst: Israel's Next War Could Be Lebanon

 レバノンでは、1980年代にイスラエルが軍事占領していた時代に構築したイスラエル諜報機関(モサド)のスパイ網が、昨年から次々と摘発され、約70人が逮捕されている。レバノン軍の幹部や、レバノン政府系の携帯電話・無線通信会社(アルファ社)の経営者や技術者の中に、80年代からのモサドのスパイが多く混じっていることがわかった。イスラエルは06年夏にレバノンを空爆で侵攻し、高速道路や空港、発電所などのインフラを徹底破壊したが、この時にレバノン内のモサドのスパイたちが、どこを空爆すればよいかをイスラエルに伝え、効率的に空爆が行われた。スパイは全くの売国奴だった。(Second telecom 'Israeli spy' arrested in Lebanon

 イスラエルが最も潰したかったレバノン南部のシーア派武装組織ヒズボラは、通信会社にモサドが入り込んでいることを前から知っていたようで、ヒズボラは公衆回線に頼らず、自前で光ファイバーケーブルを首都ベイルートからレバノン南部の国道沿いなどに張りめぐらせ、これを軍事通信に使っていた。そのため、イスラエル軍はヒズボラをスパイして潰すことが困難で、ヒズボラの組織は2カ月近いイスラエルの空爆に耐えて生き延び、ヒズボラのテレビ放送も途絶えなかった。戦後のレバノンでは、ヒズボラの政治力が強まった。その後、モサドのスパイが入り込むレバノン政府は08年、ヒズボラの通信網を違法だとして取り締まろうとして、ヒズボラと政府との政治対立が強まった。だが結局はヒズボラの方が強くなり、今ではレバノン政府はヒズボラ寄りになり、その流れの中でレバノン当局はモサドのスパイ狩りを09年春から始めた。

▼ハリリを殺したのはシリアではなくイスラエル

 レバノンでは05年にラフィーク・ハリリ元首相が爆弾で暗殺された。米国や、米国の息がかかった国連の調査団は、これを「シリアの諜報機関の犯行」と断定し、国際社会ではシリアを経済制裁せよという声が強まった。しかし5年後の今、レバノンでモサドのスパイが摘発される中で、ハリリを暗殺したのは実はモサドだったという見方が強まっている。シリアがハリリを暗殺したという主張の主たる根拠は、シリアの関係者がレバノンで使っていた携帯電話の通信記録なのだが、携帯電話会社には上層部から技術陣までモサドのスパイが入り込んでおり、通信記録をでっち上げて当局に提出することができる。モサドはレバノンの軍と通信部門に入り込んでおり、当日のハリリの行動もモサドに筒抜けだったはずだ。(The Hariri Assassination - Israel's Fingerprints Surface

 レバノン政府は最近、国連に対し、イスラエルのスパイ行為を非難する文書を提出した。今後、ハリリ暗殺事件に関するシリアの濡れ衣が晴れ、本当の犯人はイスラエルだったということになるかもしれない。イスラエルとしては、そうなる前にレバノンに侵攻する必要も出てくる。('Lebanon to file UN complaint over alleged Israel espionage'

 今やヒズボラが主導するレバノンは、イスラエルのスパイ網を潰して情報漏洩を防ぐばかりでなく、イランなどから兵器を輸入してレバノン南部の防衛力を強化している。イランから、北イラク(親イランのクルド人がいる地域)とシリアを経由して、レバノンに武器が搬入されているという。北イラクは米軍の占領下だが、米国は武器輸送を黙認している。イランは、シリア経由でレバノンに高精度のレーダーを送り込み、イスラエル国境近くのレバノン南部の山の上に据えた。イランは、イスラエルの軍事行動を察知する能力を高めた。(Syria posts Iranian radar atop tall Lebanese peak)(Report: Iran-Iraq-Syria Missile Route Revealed

 イスラエルは、レバノン南部に平和維持軍として駐屯する国連軍を使って、ヒズボラの武装状況を探ろうとした。国連軍にはフランス軍が参加しているが、フランスのサルコジ大統領はユダヤ系で、しかも最近スキャンダルで弱っている。在外ユダヤ人の情報を豊富に持っているモサドは、サルコジをスキャンダル情報で脅すことができる(スキャンダルの中には、サルコジがかつてモサドの要員をしていたというものまである)。フランス軍はモサドに協力することになり、国連軍としてレバノン南部の村々に入って武器の取り締まりを強化しようとした(もともと国連軍の任務はヒズボラの武器を取り締まることだったが、近年は空文化していた)。(Sarkozy Accused of Working for Israeli Intelligence)(Mystery of the lost files in Sarkozy illegal cash payments scandal

 ヒズボラは、フランス軍などの国連軍の行動を阻止し、村々に入って来ようとする国連軍を威嚇して追い出した。国連軍は、レバノン南部をパトロールする際、親ヒズボラの軍勢であるレバノン国軍と一緒に行動することを、レバノン政府から義務づけられた。ここでもイスラエルの諜報活動はヒズボラに封じ込められている。その上で、ヒズボラはレバノン南部でイスラエルを迎撃する軍事的な準備を進めている。(MESS Report / UNIFIL losing power as Hezbollah expands deployment

 イランのアハマディネジャドは7月初め、シリアのアサド大統領ら同盟国の首脳を誘って南レバノンを訪問しようと提案した。これは、イランの傘下にいるヒズボラが、レバノンを主導する政治勢力に成長し、イスラエルの諜報力を潰して強くなっていることを世界に宣伝するための訪問計画だろう。アハマディネジャドは、イスラエル国境から数十キロのレバノン南部のパレスチナ難民キャンプなどを訪問し「イスラエルは近いうちに必ず潰れる」と宣言するつもりかもしれない。(Ahmadinehad ready for his first close-up to Lebanese-Israel border

 アハマディネジャドが本当にレバノン南部を訪問するとは限らないが、こうした状況は、イスラエルとヒズボラ(とその背後のイラン)の優劣が逆転し、ヒズボラの方からイスラエルを攻撃できるようになってきたことを示している。すでに中東和平が事実上不可能になっているイスラエルは、座して国家的な死を待つか、それとも無謀な戦争に打って出るかという、悲惨な選択肢の前に立たされている。

 アハマディネジャドは、プレスTVのインタビューで、レバノンとシリアがイスラエルと戦争になっても、それがイランに波及することはないといっている。しかし、これはかなり楽観的な見方だ。イスラエルが自国の存続をかけて戦争するなら、米国も巻き込んで、何としてもイランを破壊しようとするはずだ。

 英国のシンクタンクは、イランとイスラエルが戦争になったら、非常に長く広範囲な戦争となると予測している。空爆だけでなく、地上戦になるということだろう。原油は高騰するし、イランとの関係を強化した中国、ロシア、トルコなどは、国連などの場で、米国との対立を深めるだろう。米国は、朝鮮半島や台湾などをめぐる中国との対立を同時に強めるかもしれず、そうなると中国が米国を潰すために米国債やドルを下落させる可能性が出てくる。中東大戦争は、米国の金融危機再発と連動しうる。('Attack on Iran would start long war'

 逆にもし、もうイスラエルがイランやレバノンと戦争する気がなく、中東大戦争が回避されるのであれば、イラン、トルコ、シリア、レバノンは、米軍が撤退しつつあるイラクをも取り込んで、石油ガスを活用して経済発展する地域になっていくだろう。イランとトルコは、北方のロシアも入れて3大国で、コーカサス(グルジア、アゼルバイジャン、アルメニア)をも安定化していくだろう。その東方の中央アジアやアフガニスタンでは、イラン、ロシア、中国、インド・パキスタンによる長期的な安定策が組まれつつあり、NATOのアフガン撤退を待っている。これらはいずれも、米英中心の従来体制に代わる多極型の世界体制であり、イランはその中で重要な役割を果たし、地域の安定化と発展に貢献することになる。

▼南方ではムバラクの死が転機になる

 イスラエルは、レバノン、シリア、イラン、イラクといった「北方戦線」とは別に、ガザ、西岸、エジプト、ヨルダンといった「南方戦線」も抱えている。南方で起こりつつある新たな懸念は、エジプトのムバラク大統領が死にそうなのではないかということだ。現在82歳のムバラクは、07年に議会で演説中に倒れ、その後は息子のガマル・ムバラクを後継者にしようとしたが、自分の与党内ですら反対が強く、後継者が定まらないまま、7月初旬から「パリで手術を受けた」「公務を欠席している」「健在ぶりを示すため、パレードやテレビに出てきたが、顔色が悪く、かなりやせている」といった「もうすぐ死にそう」という話が再び渦巻いている。(Egypt New fears for Mubarak's health during last-minute Paris trip

 ムバラクがあと何年生きるかわからないが、彼が死んだら、その後誰がエジプトの大統領になるにせよ、最有力の野党であるイスラム同胞団に対する弾圧をゆるめざるを得ない。エジプト国民はかなりイスラムに目覚めており、いずれイスラム同胞団が政権をとるか、もしくは前IAEA事務局長で大統領選への出馬を表明したエルバラダイのような次期指導者とイスラム同胞団が連携する政治体制となる。ガザのハマスは同胞団の弟分なので、エジプトで同胞団が政権に入ると、エジプトとガザは一体化する。エジプトと戦争する余力がないイスラエルは、ガザをエジプトにあげてしまうだろう。

 実は、ガザをエジプトにあげてしまうことは、イスラエルのシャロン元首相が05年からのガザ撤退でやろうとしたことだ。シャロンはガザのユダヤ人入植地の撤退を実現したものの、国内右派に猛反対された挙げ句、脳卒中になって手当が遅れ、植物人間にされた。シャロンの時代には、まだムバラクが元気だったので、エジプトにガザのハマスを抑制させ、イスラエルの安全を守るシナリオが描けた。しかしムバラクの死後、同胞団がガザを乗っ取るとなると、それはイスラエルにとって脅威の急増となる。(イスラエルの清算

 エジプトがイスラム主義化すると、人口の半分以上がパレスチナ系で、エジプトよりずっと小さいヨルダンでも、イスラム主義が強まることは確実で、ヨルダンは政権転覆されてハマス・同胞団系の政府となり、王室は米国への亡命を余儀なくされるかもしれない(隣国サウジアラビアの王政はイスラム色を強めて延命するだろう)。イスラム主義国になったヨルダンの次の目標は、西岸をイスラエルから奪還することになる。西岸のユダヤ人右派入植者たちは、イスラエル政府が和平を決意しても無視して最後まで戦うだろう。イスラエルは、北方戦線で戦争しなくても、南方戦線での戦争回避が難しい。その間に米国が財政破綻すれば、米国から資金をもぎ取って国家運営してきたイスラエルの立場はさらに苦しくなる。

 中東は、全体がイスラム主義化し、米国が完全撤退し、イスラエルが消滅した上で安定していくのではないかと、私は予測するようになっている。



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やはり世界は多極化する

2010年7月26日  田中 宇

 前回の記事を書いたあと「影の銀行システム」について、さらに考えた。08年9月のリーマンブラザーズ倒産で未曾有の金融危機が起きるまで、欧米経済は10年以上にわたっておおむね好調な成長を続けていたが、その経済成長の最大の原動力は、影の銀行システムの資産総額の拡大だったのではないか、という考察だ。(◆影の銀行システムの行方

 GDPなど経済の規模は、その国にあるお金の総量で決まるが、伝統的な銀行システムだけが存在する状況では、経済規模は銀行界の資金総量に比例するかたちでしか伸びない。銀行の資金量は、預金に左右され、銀行は限られた自行の資金をどこに融資するかを厳選していた。しかし、集めた預金を融資する伝統的な銀行システムとは別に、融資して作られた債権を債券化して投資家に売る影の銀行システムが存在するとなると、事態は変わってくる。

 90年代から影の銀行システムの資金量が急増した結果、米国の「影」と「伝統」の合計の銀行システムの資金総量は、20年間で5倍になった(6兆ドルから30兆ドルへ)。資金の総量から見た米国経済の規模は、年率平均8%台の成長をしたことになる。影の銀行システムの拡大によるこの資金増加が、08年の金融危機までの20年間の米国の経済成長の原動力だったと考えられる。(Shadow Banking Is Still Bigger Than Traditional Banking

 伝統的な経済では、製造業など産業の付加価値が経済成長の源泉であり、経済成長率が上がると、必ず産業の雇用が拡大し、失業率が下がった。しかし影の銀行システム拡大を原動力とする90年代以来の米経済では、まず銀行システムの拡大が資金を作り、その資金が消費されることによって経済成長が実現していた。そのため、米経済の6−7割は消費で占められ、しかも経済成長しているのに雇用が拡大しにくい状況が続いた。債券化による資金調達手法は、米英だけでなく日本を含むすべての先進国で拡大したので、先進国経済はすべて「雇用なき経済成長」の傾向が強まった。

 国際備蓄通貨として世界的に盤石の信用を持っていた従来のドルや米国債は「刷るだけで作れる価値」「いくら刷っても減らない価値」と言われていた。影の銀行システムは、不動産担保融資の債権という、詳細に調べると価値の怪しい資産を、債券格付け機関に頼んで米国債と同じトリプルA格をつけてもらうことで、あらゆる債券を、ドルと同じ「刷るだけで作れる価値」に仕立てた。

 伝統的な銀行システムは、各銀行の資金量に限りがあったので、銀行は、本当に資金が必要な優良企業にしか融資しなかったが、影の銀行システムは、無限に拡張できるので、銀行は企業が要らないのに金を貸してくれた。米国だけでなく、影のシステムの影響を受けた先進諸国は、常に「カネあまり」の状態になった。

 銀行は、融資の担保にとった土地の抵当権(債権)を債券化し、格付け機関に頼んで高い格付けをつけてもらうだけで、一般の投資家が喜んで債券を買う。銀行がこの業務で、伝統的銀行業の儲けの10倍の手数料を取っても、文句を言う人は少なかった。金を借りる側は、自分の土地に抵当権を設定するだけで巨額の資金を得られ、返済不能になっても金利分を追加融資してくれるので、1割以上の高い手数料を取られてもかまわない。99年の金融自由化後、米国の大手商業銀行は、影のシステムに大々的に参入した。

 債権債務の中には返済されず焦げ付くものもある。それが増えると影のシステムは崩壊する。しかし、影のシステムは無限に資金を作れるので、返済されそうもなければ、債務者に追加の債券(ジャンク債)を発行させて資金調達させた。この延命策によって倒産が大幅に減り「米国では、倒産という言葉はすでに死語だ」とまで言われた。倒産がないので不況にならなくなった。本来はリスクの高い赤字企業の債券でも、焦げ付きや倒産は起こらなくなり、優良債券とジャンク債のリスクの差(利回りの差)は少なくなり、リスクの下がったジャンク債がよく売れるので、倒産はますます減った。影のシステムは「不況なき経済」「倒産なき産業界」「無リスクの投資」という、事業者や投資家の天国を(見かけ上)作った。

 影のシステムで作られた豊富な資金は、株式市場に流入して株高を演出し、債券市場に流入して米政府が赤字を増やしても金利上昇が起こらない状況を作り、商品先物市場に売り圧力をかけて金地金や原油の相場を抑制するなど、実体経済が円滑に動いているかのような相場環境を作り出した。これらの策略を展開してきたのは、おそらくNYの投資銀行群である。(金地金は、ドルや債券といった「紙切れ」と対峙する「投資の非常口」だ。金相場を抑制することで、資金が紙切れの世界から逃げられないようにしている)

▼影のシステムは巨大なねずみ講

 08年秋のリーマンショック後、しばらく凍結されていた影の銀行システムは、09年後半から再生している。先進国の中でも、日本やドイツなどは製造業があるし、豪州やカナダは地下資源がある。だが米英は、90年代から影の銀行システムの急拡大に頼った経済運営をしてきただけに、未曾有の金融危機の教訓から、影のシステムに頼るのは不健全とわかっていても、今後も頼り続けざるを得ない。(85年以来、英国の金融システムは米国のコピーだ)

 問題は今後、影の銀行システムがどこまで拡大を続けられるものなのか、という点だ。影のシステムの拡大は90年代初めから始まったが、初めて「影のシステム」と名づけられて公的に認識されたのは10年後の02年のことだ。それまでの10年間、すでに影のシステムの急拡大は米英経済の隠れた大黒柱だったが、このシステムの存在を知っていたのは、システムを動かしていたニューヨークの投資銀行や連銀の関係者だけだった。そして金融危機後の最近も、影のシステムはこっそり再活性化され、ほとんどの人々はそれを知らないまま「米経済は不況から立ち直りつつある」という現象面しか見えていない。

(私が影のシステムの再拡大を感じたのは、影のシステムの創設者の一社であるJPモルガン・チェースの幹部が、4月に「米企業の資金調達の環境が非常に良くなった」と宣言した時だった。伝統的な銀行は貸し渋りを続けていたのに、資金調達環境が良いということは、影の銀行システムを再稼働したのではないかと感じられた)(J.P. Morgan's Braunstein: `Optimism Is Back!' So, Ahh, Where Are the Deals?

 影のシステムがいくら不健全でも、誰も知らないまま、隠れた米英経済の原動力として機能している限り、不健全さはリスクとして顕在化しない。リスクは、人々が知覚した時点で顕在化し、リスクとなる。たとえば、07年夏に金融危機が始まったのは、サブプライム住宅ローン債券商品が危ないという指摘が業界で取り沙汰され、その結果、サブプライム債券を積極的に扱っていた投資銀行ベアースターンズ(08年3月破綻)の商品が敬遠され、元本割れが顕在化したのがきっかけだ。

 CDOなど影のシステムの商品は、すべて店頭での相対取引だ。公開市場がないので、関係者が黙っている限り、相場の変動や市場の規模はわからない。今後何年も、影のシステムの再活性化が続き、総額が30兆ドル、50兆ドルとふくらんでも、全体像が不明なままなら、リスクが顕在化せず、債券化商品が売れて米経済を下支えし続けるシナリオがあり得る。影のシステムのみが肥大化していても、銀行界の発表を鵜呑みにする金融記者やアナリストは、実体経済が良くなっているとする解説を流布し、人々は騙され続ける。

 しかしその一方で、影のシステムの今後の拡張には限界がある感じもする。その一つの要素は、影のシステムが豊富な資金力によって株や債券や商品など各種の相場を自分たちに都合のいいように操作しており、経済システム全体を手玉に取った「ねずみ講」的な要素が強いことだ。ここ数年の金融危機によって、影の銀行システムの存在自体や、債券格付け機関のインチキさ、債券破綻保険であるはずのCDSに資金的裏づけがないことなど、ねずみ講としての影のシステムの手口と脆弱性が見えてきている。

 また、強欲に基づくものなのか「隠れ多極主義」に基づくものなのか特定しがたいが、影のシステムを破壊するような金融取引を、NYの銀行や当局自身が行っている部分もある。リーマンもベアスタも、潰れた原因は、同業他社によるCDSなどの先物売り攻撃だった。(米金融界が米国をつぶす

 前回の記事に書いた、影のシステムに関するNY連銀の報告書も、ねずみ講を維持する観点に立つと「余計なもの」である。連銀があんなものを出さなければ、影のシステムが伝統システムよりも肥大化したままである状況は暴露されなかった。NY連銀に報告書を書かせたのは、影のシステムをあやつる投資銀行を目の敵にする大統領経済顧問のポール・ボルカーあたりかもしれない。ガイトナー財務長官は、以前NY連銀総裁だった。

 また、もはや影のシステムを再活性化しても、米経済全体に成長が波及しないとも考えられる。金融危機前は、影のシステムの資金は、サブプライム住宅ローンやクレジットカードローンなどの消費者向け金融のかたちで一般の米国民をうるおし、米国民の旺盛な消費が米経済の全体を成長させていた。しかし今、米国民は借金漬けで、住宅市況の続落を受けて住宅ローン市場も大縮小している。今や影のシステムは銀行界だけを短期的に救うだけで、米経済全体のシステムに戻れない。

▼影のシステムと縁を切れない米国

 連銀のバーナンキ議長は7月22日、米経済の先行きが「異様に不透明だ」と述べている。これは、影のシステムの再活性化が不発に終わる可能性があり、再び金融崩壊が起きても不思議ではないという意味にとれる。米政府は、今年11月の中間選挙までは無理をしても経済を持たせるだろう。だがその後、来年にかけて危機再来があるかもしれない。(Federal Reserve chief Ben Bernanke warns of unusual uncertainty in US outlook

 影の銀行システムは、米経済の大黒柱であり、その規模は伝統的銀行システムの1・5倍の16兆ドルで、米国GDPの14兆ドルより大きい。影のシステムの再活性化が不発に終わった場合、何がどうなるか。リーマンショックの本質は、影の銀行システムの急速な縮小(信用崩壊、債券払い戻しの取り付け騒ぎ、元本割れによる債券破綻の急増、レバレッジの巻き戻し、市場の凍結)だった。あれと同じ方向性の、もっと大きな崩壊が再来すると考えられる。リーマンショック時、米政府はすぐに8千億ドルの救済資金を作ったが、今回は当時に比べて米政府の財政赤字が大幅増で、救済資金の余裕が少ない。人間と同様、同じ発作が繰り返されると致命的になる可能性が高くなる。

 銀行システムのような複雑な構造物が崩壊する時、いつ、どこからどう崩壊するか、事前に予測しがたい。しかし、影の銀行システムが、構造的に以前より危うくなっていることは確かだ。

 ボルカーのような米当局者は、伝統的な銀行システムだけ救済し、影のシステムは終焉させようとするかもしれない。しかし、それは全く無理だ。米国のほとんどの商業銀行が影のシステムの金融商品を買っており、大銀行の多くは売る方も手がけている。二つのシステムは不可分に絡み合い、片方だけの救済はできない。預金保険制度(FDIC)の額も全く足りない。追加で政府保証することが必要だが、すでに史上最大の財政赤字を抱える米政府が、さらに何兆ドルかの金融救済を発動せざるを得なくなると、中国など世界の投資家が米国債を買わなくなり、ドル崩壊が起こりうる。(Central banks start to abandon the U.S. dollar

 中国では、著名な経済専門家が、自国政府に対し、米国債の市場環境が良いうちに、中国が持っている米国債を早く売って、金地金などに替えておいた方が良いと忠告している。(China should cut U.S. Treasury holdings: economist

 影のシステムに対しては、米当局も実態把握が決定的に不足している。リーマンショック後に米当局がとった救済策は、臭い部分にふたをする対症療法的な影のシステムの温存で、具体的にどこに金をつぎ込むかは、銀行界に任せざるを得なかった(創設時から連銀を動かしているのは銀行界だということに注目すると、もともと米当局が銀行界に相談せず金融政策をやること自体あり得ないが)。

 今後の崩壊時に、米当局が影のシステムを温存させず、終焉させようとすれば、救済が一段落したはずの後に、隠れていた別の巨額不良債権が表面化する事態が繰り返され、救済に必要な総額が何兆ドルかかるかわからない。しかも、16兆ドルの影のシステムをすべて伝統的システムに組み入れようとすると、再評価によって総額が半減する。影のシステムを消滅させた後の米経済の規模は3−4割の縮小となる。おそらく損失総額が5兆ドルを超える。

 これを何年かけてやるか予想もできないが、10年以上のマイナス成長となる可能性が高い。日本の「失われた10年」よりひどい事態だ。日本の90年代のバブル崩壊時の損失総額は(わずか)1兆ドルである(日本は早めに自己崩壊したので、影の銀行システムを国内で肥大化させずにすんだともいえる)。米国が、影の金融システムと縁を切ることは事実上無理だ。そして、影のシステムを温存する限り、常にリーマンショックの再来を懸念し続けねばならない。

 数年前まで米国の繁栄と覇権を支える秘密の錬金術だった影の銀行システムは、今や、米国が抱える致命的な構造欠陥と化している。こんな構造欠陥を抱える国の通貨を、世界の基軸通貨にし続けて良いのかという疑問が、当然ながら生じる。だからリーマンショックの後、G20が開かれたときに「(基軸通貨をドルに決めた)ブレトンウッズ会議のやり直し」という看板が掲げられ、IMFの特別引き出し権(SDR)を活用した多極型の新しい基軸通貨体制などが提案された。しかし、米国が影のシステムを温存し、欧日がそれを助けてドル本位制を延命させたため、ドルに代わる基軸通貨体制は、今も提案の域を出ていない。(「ブレトンウッズ2」の新世界秩序)(Scrap dollar as sole reserve currency: U.N. report

▼静かにドル後の世界システムを組むBRIC

 今後の米国の延命には、世界の他の大国群の協力が不可欠だ。米国債を買い続けてもらうとか、ドル防衛のための為替スワップ協定を各国の中央銀行間で組んでもらうとかといった策である。ニクソンショック以来の70年代、最初にドルが自滅しかけたときはG7が作られ、日独などの資金でドルを救済した。今回は、日独を含む先進諸国が、すでに低成長期に入っているので、中国を筆頭とするBRICなど新興諸国に頼まざるを得ず、リーマンショック後、G7からG20へと世界経済の決定機構が移った。

 とはいえ、G20はG7と決定的に異なる。G7が設立当初からドル防衛を目的にしていたのに対し、G20は最初からドルに代わる基軸通貨の設立をめざしている。ドルの延命ではなく安楽死がG20の目的だ。今のところ、ドルに代わる通貨体制(国際決済体制)は、具体的なかたちで顕在化していない。日欧の先進国は、米国の覇権体制が今後も続いてほしいと思っているので、G20の看板とは裏腹に、ドルの安楽死ではなく延命に努力して、中央銀行間の為替スワップなどにいそしんでいる。(BIS Data Points to Currency Collapse 2011

 しかしその一方で、米国覇権に未練が少ないBRICやその他の新興諸国は、先進諸国とは関係ないところで、新たな国際決済体制を構築している。それは2国間の取引で、相互の通貨を使って貿易決済するものだ。特にBRICの4カ国(中露印ブラジル)は、相互通貨による決済を定着させようとしている。これは、利用する通貨が多すぎて効率的ではない。おそらくBRICは、日欧の未練があるゆえに、ドル崩壊前にドルに代わる新通貨体制が出現することはないと考え、ドル崩壊に備えた暫定的な決済体制として組んでいるのだろう。

 BRICやその他の新興諸国は、デリバティブなど影のシステムの金融技術に頼るつもりがない。それらは、崩壊していく影の銀行システムの産物である。新興諸国は、製造業や資源開発といった、一つ前の経済システムを重視している。自由な金融市場より、国家間や政府系企業間の契約で資金調達や貿易することを重視している。米英型の自由市場体制は、世界の主流ではなくなっていく。「中国などBRICはデリバティブなど金融技術が低いので、米英にかなわない」と考えている人は時代遅れだ。(China seen letting U.S. down gently as it prepares for dollar's fall

▼多極型世界の上に乗る世界政府を作る

 G20は「世界政府」になることを目論み続けている。少なくとも、そのような情報が意図的にG20の周辺からリークされている。先日、カナダで開かれたG20の会議では、地球温暖化対策の「炭素税」を国際的に課税し、その税収をG20(の傘下の財務部門になりつつあるIMF)が管理して、その資金をG20の財政として世界政府を確立していく構想(と思われるもの)を書いた会議メモとされる文書が、G20参加国である南アフリカの財界人のところから流出している。(Leaked G20 Documents Show Carbon Taxes Still High on Globalist Agenda

(温暖化対策は、もともと米英単独覇権を維持するための武器だったが、昨年末のコペンハーゲンサミットあたりから、多極主義者の側の武器に転換している。今夏の日本はやけに暑いので「温暖化のせいだ」と思う人がいるかもしれないが、太平洋の反対側のペルーは異様な寒波に襲われ、政府が非常事態を宣言した。これらは温室効果ガスではなく「ラニーニャ現象」など海流の影響だろう)(地球温暖化めぐる歪曲と暗闘(2))(Peru declares emergency over cold weather)(Temperature in Lima dips to 8.8C degrees, lowest in more than 40 years

 問題のG20のメモには、G20参加各国の大企業が集まって世界経済を議論する組織として「B20」(Bはビジネスの略)を設立する構想も載っている。世界の大企業を参加させ、大企業群に有利な世界経済の体制を作ってやる代わりに、法人税の一部を各国政府でなくG20に払わせる魂胆かもしれない。(Feedback from the G20 Summit in Toronto - June 25-26, 2010

 国連ではなくG20を世界政府に格上げしようとするのは、国連は最高意志決定機関である安保理事会の常任理事国の構成を改組する条項が全くないので、改組が不可能だからだろう(衰退しつつあった英国が、戦時中に米国と組んで国連を創設したとき、自国が常任理事国から外されるのを防ぐため、改組機能を意図的につけなかった)。

 G20が世界政府を構成したがる理由は、今後のドル崩壊によって、世界の覇権体制が米英中心から、米欧中露印など各地の地域大国を中心とする多極型に転換するため、その多極型の世界をまとめる合議型の世界的な意志決定機構が必要だからだろう。独自の財源を持ちたがるのは、国連が独自財源を持たなかったがゆえに限定的な権限しか持てなかった教訓に基づくものと考えられる(これも英国の謀略かも。1940年代にはロックフェラー家より英国の方がずっと巧妙だったわけだ)。

「世界政府」や、その別称である「新世界秩序」は、リベラルな国際市民運動の人々から「資本家による搾取的な世界支配」のレッテルを貼られている。だが、これまでの200年間の英米の一極覇権体制が、一極体制を維持するために発展途上諸国の経済発展を阻害する策略に満ちたものだったことを考えると、むしろ多極型の覇権体制の上に世界政府的な合議体が乗っている新世界秩序の方が、世界の貧しい人々を豊かにできる可能性を持っている。

 むしろ人権・民主・環境といった分野を重視するリベラルな国際市民運動の方が、参加者が気づかぬうちに英米覇権や大イスラエル主義の片棒担ぎをさせられてきた観が強い。また、左翼の人々は、ロシア革命後、コミンテルンという名前で世界政府が企図されていた歴史を思い出すべきである(ロシア革命が成功したのは、英国覇権を崩して世界を経済発展の方向に「解放」する効果があると米英資本家が考えて支援したからだと私は考えている)。

▼意外に有利な立場にいる日本

 FT紙のコラムニストであるマーチン・ウルフは7月13日の記事で「アジアなど新興諸国に対する欧米の優位が崩れている。この200年以上、欧米が経済的、知識的に世界を支配してきたが、そうした時代はもう終わる。欧米だけが決定権を握る時代は二度と来ない。G20の台頭が、覇権体制の新たな現実を象徴している」と書いている。(Martin Wolf: Three years and new fault lines threaten

 ウルフは、欧米の凋落の原因について、インド系米国人の経済学者ラグラム・ラジャンの新著「Fault Lines」の内容を引用しつつ、経済政策の失敗によって米国で急速に貧富格差が広がったことを一因と指摘している。これは、影の銀行システムの恩恵を米国民の全員が受ける体制を構築し切れなかった失敗のことだ。欧州の高福祉体制も終わると予測している。そして、今後再来しそうな金融危機の後、欧米が再建するのは非常に大変だとも書いている。

 やはり今後2−3年以内に、米経済の崩壊と、世界覇権の多極化が起きる可能性が高いと、私には思われる。

 すでに始まっている多極化の流れの中で、日本は特殊な立場にいる。日本は先進諸国の一員として、いわゆる「欧米」の一部(名誉白人的な立場)であるが、同時に「欧米の優位が崩れ、アジアが勃興する」と言うときには、中国やインドとともに日本の名前が挙がったりする。日本の政府や人々の多くは、中国と一緒にアジアを建設することなどまっぴらで、いつまでも米国に従属する体制で安定を続けたいと思っている。だが、日本人はそれを世界で大っぴらに言わないので、欧米の分析者や投資家は日本人の姿勢を軽視し、中国関連の材料で日本の円や株が買われたりする。

 日本が、欧米先進国群とアジア諸国群の両方に属していることは、今のような過渡期に、非常に有利な要素である。世界が多極化したら「日本はアジアの一員です。中国と協力して豊かなアジアを作りたい」と言えばよいし、意外に米国が延命して多極化が進まなければ「日本は対米従属一辺倒の先進国です。中国は脅威です」と言い続ければよい。そう考えると、日本の外交力が低いことは大した問題ではないとも思えてくる。ただその場合でも、米国の債券は早く売ってしまった方がいいだろう。



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影の銀行システムの行方

2010年7月19日  田中 宇

 2007年夏以来の米国発の国際金融危機の元凶の一つは「影の銀行システム」(shadow banking system)である。経済の金融部門の全体である銀行システム(金融システム)のうち、人々や企業から預金を集めて人々や企業に融資する既存の銀行業務を中心とする、米連銀など当局の監督を受ける部分が、伝統的な銀行システムであり、それ以外の部分が影の銀行システムである。影のシステムは投資銀行など銀行界によって作られたが、銀行は帳簿外に勘定を作って当局の監督を逃れていた。

 08年秋のリーマンショックの直後に報じられたところでは、米国では「伝統」と「影」の銀行システムがそれぞれ11兆ドル前後で拮抗していた。影のシステムは1985年の金融自由化以後に拡大し、特に90年代末以後、不動産担保ローンを債券化して投資家に売るCDO(債務担保証券)などの発行が急増した。影の銀行システムでは、リスクが高いローン債権を、束ねて保険(CDS)をかけることで、リスクのないトリプルA格の優良商品として売っていたが、07年夏からの住宅バブル崩壊でCDSに制度的な保険金の裏づけがないことが発覚し、影のシステム全体が信用不安となって金融危機が発生した。(Brokers threatened by run on shadow bank system)(リーマンの破綻、米金融の崩壊

 影のシステムには当局の監督がないため、高リスク商品を低リスクのように見せかけて売ることがまかり通っていた。金融危機後、米国の政府や議会の対策は、影のシステムの勘定を銀行の帳簿上に移させ、当局の監督下に置いて、影のシステムを伝統システムに統合することだった。影のシステムの金融商品の多くは「伝統化」して当局の監督下で再評価すると価値が急減するので、影のシステムを伝統化によって大幅な総価値の縮小が予想された。(A Map of Our Ridiculously Complex `Shadow Banking System'

 しかし実際には、影のシステムから伝統システムへの資金の移動は、あまり起きなかった。7月14日にニューヨーク連銀が発表した影の銀行システムについての調査報告書によると、08年3月の絶頂期に、米国の影のシステムの総額は、これまで概算されていた11兆ドルではなく20兆ドルだった。その後、影のシステムは縮小し、今年初めには16兆ドルまで減り、その間に伝統的銀行システムは11兆ドルから13兆ドルまで増えたが、いまだに16:13で影のシステムの方が伝統システムより巨額である。(世界規模で見ると、伝統分野では米国は世界の銀行資産総額30兆−40兆ドルの3分の1以上を占める一方、世界の影のシステムの残高のほとんどは米国にあると考えられる)(Staff Reports - Shadow Banking 5ページ(pdf全体の12ページ)に、影の銀行システム総額の推移グラフがある)(Shadow Banking Is Still Bigger Than Traditional Banking

▼影のシステムは必要悪

 影の銀行システムは、現在の米国の「経済回復」にとって非常に重要な存在だ。米国では失業率が下がらず(統計操作を除いた実質的な失業率は20%前後と分析されている)、米国の消費者の大半を占める中産階級が、階級ごと消えて貧困層に転落しつつあると指摘されている。銀行の資産担保の最重要部分を占める不動産の価格の下落傾向も続いている。そんな中で、株価など金融相場のみが上昇してきたが、上昇の最大の原動力は、影の銀行システムで調達された資金の流入である。今年3月に米当局が景気てこ入れ策を縮小した後、市場は影のシステムからの資金に頼る傾向が強まっている。今後、影の銀行システムの縮小が続くと、いずれ米国の金融市場も縮小(相場下落)する。(The U.S. Middle Class Is Being Wiped Out: Here's the Stats to Prove It

 NY連銀の報告書は、08年の絶頂期の影のシステムの総額を既存の概算値の11兆ドルではなく、20兆ドルと概算している。だが、報告書は概算の根拠を示していない。連銀は、07年の金融危機に至る過程で、米経済の成長を維持するため、影のシステムの急拡張を黙認した過去がある。危機後の今も、影のシステムを縮小したいと言いつつ、実は影のシステムに頼って米経済を維持している。このような背景を考えると、連銀は、意図的に絶頂期の影のシステム総額を高く見積もり、あたかも連銀など米当局が影のシステムの縮小を少しは実現しているようなグラフを描いた疑いがある。(見積もりに歪曲がないとしても、影11兆:伝統11兆という08年当時の概算値が、影16兆:伝統13兆という今の概算値へと推移したのだから、影のシステムの割合を減らせていないことには変わりないが)(Shadow banking system From Wikipedia

 米当局は99年、投資銀行だけでなく商業銀行も影の金融システムの事業(債券化)を手がけてよい金融規制緩和を実施し、影のシステムの急拡大はその後で起きている。99年は、アジア通貨危機に始まる国際金融危機が米国に波及し、米国の株価が上昇から下落に転じた時期であり、この時に影のシステムの規制を緩和したことが、その後の米経済を延命させた。影のシステムの急拡大がなければ、米経済は00年のIT株バブル崩壊後に不況入りしていた可能性が高い。ITバブル崩壊後、影のシステムの急拡大によって金融相場が維持され、企業倒産の増加が防止され(倒産寸前の企業でもジャンク債を発行して資金調達できる)、カードや住宅のローンが拡大して消費も保たれていた(当時は今と同様、金融トリック主導の「雇用なき経済回復」だった)。

 金融危機後、米当局は、連銀の簿外の不良債権買い取りも含めると3兆−5兆ドルの金融救済策を打ったが、この多くは、投資銀行が持つ債券化商品の不良債権を買い取ることを通じ、影のシステムの救済に回されたと考えられる。最近の米国では、商業不動産の相場下落を食い止めるため、商業不動産を担保としたローンの債務者が返済不能になっても不良債権の烙印を押さず、救済的な追加融資をするケースが増えているが、銀行界はこの資金も影のシステムで調達されていると考えられる。こうした救済は不健全だが、救済をしなければ銀行自体が不良債権の急増で潰れ、もっとひどいことになる。影のシステムはこの10年間、米経済にとって「必要悪」になっている。(To Fix Sour Property Deals, Lenders 'Extend and Pretend'

▼影のシステム維持をめぐる米政権と金融界の戦い

 オバマ政権は、大統領経済顧問のポール・ボルカーを筆頭に、影の銀行システムを、当局の監督外のところで高リスクの行為を続ける不健全な分野とみなし、影のシステムを伝統システムに組み入れて消滅させることを目指している。7月15日、米議会で可決された金融改革法も、その方針を掲げている。金融改革法をめぐっては、影のシステムに対する規制強化を目指すボルカーら当局者と、法案に抜け穴を多く作ってそれを防ぎたい金融界が争い、結局は抜け穴の多い法律になったと指摘されている。その後、NY連銀が影のシステムについての報告書を発表した。また、米証券取引委員会(SEC)が今年4月にゴールドマンサックス(GS)を相手に起こした濡れ衣的な訴訟も7月15日に和解している。これらは時期的に見て、金融改革法の成立と関係がありそうだ。(Goldman Sachs settles with SEC)(ゴールドマンサックス提訴の破壊力

 ボルカーと金融界の暗闘は、どちらが勝っているのかわからない。金融改革法が抜け穴だらけなので、ボルカーは怒っているという。これが本当なら、金融界が勝っていることになる。改革法は評価が下せないほど複雑だ。その一方で、SECがGSと和解したことからは、すでに米当局が優勢になっている感じもある(和解金は過去最高の5・5億ドルだが、GSにとって大した額ではない)。(The financial reform bill that couldn't)(Volcker Said to Be Disappointed With Final Version of His Rule

 金融政策をめぐる暗闘の行方は不透明だが、影の金融システムの立役者であるJPモルガン・チェースは7月15日、米株価の上昇は4−6月期で終わったようだとする見方を発表している。7月に入り、何人もの分析者が、株価は近いうちに下落に転じるという予測を発表している。株価が下落するとしたら、その最大の要因は、影のシステムの機能が衰えていることである。(JPMorgan signals end of Wall St rebound)(MSNBC's Ratigan: Stock market an `obviously corrupt' fraud)(The U.S. Economy is Falling. Towards another Credit Collapse?

 影のシステムは、ジャンクの価値しかない債権にお手盛りでトリプルA格をつけて売るという事実上の詐欺商法であり、そんなものが銀行融資総額より巨額の残高を持っていることは、確かに不健全である。しかし、オバマ政権が影のシステムを潰すことは、米国の経済的な自滅を意味する。また、すでに影のシステムの商品は、伝統システムの資金の大きな運用先となっており、両システムを分離して伝統システムだけ救済することは不可能だ。海外の投資家は、米国民が失業にあえいでいても、金融市場だけ成長していれば、米国に投資し、ドルや米国債を信用し続ける。しかし影のシステムが再び壊れて米金融市場が再崩壊すると、次はドルや米国債に対する国際信頼が揺らぐ。リーマンショック時には、米国にはまだ金融や景気を救済できる余裕資金があったが、今はそれも使い切っている。

 ボルカーら米当局者が影のシステムに対する規制を強化すると、米経済は失速する。失速が起きるかどうかは、今秋に見えてくる。失速は不可避だと言う人がすでに多い。個人投資家に対し、株を全部売り払い、資産は現金や国債で持っておけと勧める分析者もいる。今秋、米経済の失速が顕在化し、ドルや米国債に対する国際信頼が揺らぐと、来年にかけて大きな危機がやってくる。現金や国債も安全でないという見方もできる。となれば、今はまだ影のシステムの資金によって相場が抑制されている金地金を買うぐらいしか手がない。少なくとも、株式に投資している人は、非常に大きなリスクを抱えていることを自覚すべきだろう。(A Market Forecast That Says `Take Cover'



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インドとパキスタンを仲裁する中国

2010年7月15日  田中 宇

 7月3日から5日まで、インドの国家安全保障顧問をしているシブ・シャンカール・メノンが、シン首相の特使として中国を訪問した。メノンは7月4日、中国の楊潔チ外相と長時間会議をした後、5日に温家宝首相と会談してシン首相の親書を渡した。中国では通常、訪中した外国要人と、同じ地位にいる中国側の担当者が会談する。本来、温家宝が出てくるのは、シン首相自身が訪中した時だ。中国はメノンに破格の厚遇をしたことになる。印中は、国境紛争を解決するための会議の再開や、印中合同軍事演習の実施などを決めたと報じられている。(Wen Jiabao, Shivshankar Menon discuss new ideas to take Sino-India ties forward

 メノンが帰国すると、翌日の7月6日には、パキスタンからザルダリ大統領が北京にやってきた。ザルダリの訪中も、自国と中国の全般的な関係の好転が目的で、ひどい電力不足で毎日18時間も停電しているパキスタンで中国が原子力発電所を増設する件や、新疆ウイグル自治区の分離独立派の拠点となっているパキスタンの中国国境沿いで中パ合同の「テロリスト退治」をやる件、中国の新疆からアラビア海岸のパキスタンのグワダル港までパイプラインや鉄道を建設する件などが話し合われたとされている。ザルダリは、経済破綻しているパキスタンに中国からの投資を呼び込もうと、中国の銀行界や産業界、防衛関係者などと面談した。(Hu, Zardari team against terror

 ザルダリが訪中する前には、6月17日から22日まで、パキスタン軍のトップであるキヤニ陸軍参謀長が、人民解放軍の招待で中国を訪問した。キヤニと中国軍幹部は、相互の軍事協力について話し合った。軍のキヤニは、政争で議会に権限を次々と削がれている大統領のザルダリより大きな権力を握っているともいえる人物だ。(Pakistan army chief embarks on China visit

 キヤニが帰国した直後の6月24日、中国政府は、中国とパキスタンの「テロ対策」の合同軍事演習「友諠2010」を、7月3日から9日まで寧夏回族自治区(回族はイスラム教徒)で行うことを発表した。中国当局は同日、新疆ウイグル自治区で分離独立派の10人を「テロリスト」として検挙している。中パ合同軍事演習が行われた時期はちょうど、昨年7月5日に新疆のウルムチで暴動が発生してから1周年にあたっていた。中パ合同演習は、中国が金欠のパキスタンを開発投資で釣ってウイグル弾圧に協力させたと、反中国派から批判されている。(感受“友諠−2010”)(China, Pakistan conduct 3rd exercises

▼右派の反発を避け隠密に中国に接近するインド

 しかし、中パだけでなくインド、アフガニスタンも含めた全体の大きな地平で眺め直すと、印パのメノン、ザルダリ、キヤニが相次いで中国を訪問したことは、中国がウイグル弾圧のためパキスタンを巻き込むだけの話ではなくなる。(Shivshankar Menon arrives in China as PM's special envoy

 インド首相特使のメノンが訪中した7月3日は、ちょうど寧夏で中パの軍事演習が始まった日である。中国が計画している新疆からパキスタンへの鉄道とパイプラインは、インドが領有権を主張するパキスタン実効支配下のカシミールを通る。インドのマスコミは、中国の鉄道計画について「インドにとって大きな脅威だ」と反対している。ふつうに考えれば、中パ軍事演習の開始日にメノンが訪中するのはおかしい。インド政府は、何か別の計算に基づいてメノンを中国に送り出したことになる。メノンはインドの元駐中国大使で、中国語が堪能だ。メノンは中国を批判するためでなく、印中協調を深めるために訪中した感じだ。(PakiSTAN - CHINA Kashgar Gwadar railway line would give Beijing a window on the Persian Gulf

 6月に書いた記事「中国が核廃絶する日」で紹介したが、4月末にブータンで開かれた南アジア諸国サミットに、中国と米国の外務次官級の代表がオブザーバーとして参加した(ブータンのサミットでは、印パの外相会談も行われた)。その後、米中の2人は北京で、米中戦略対話の一環として、南アジアに関する米中対話を行った。これを見てインドなどでは、米国が中国に、印パ間の仲裁をやらせようとしているという警戒感が出た。(中国が核廃絶する日

 そして今回、インドの首相特使と、パキスタンの大統領が相次いで中国を訪問した。7月15日には、インドとパキスタンの外相が、08年のムンバイテロ事件以来中断していた印パの和平交渉を再開している。中国は、印パの代表を相次いで訪中させ、和平交渉の前に印パの間の主張の調整をしたのではないか。インドは右派が中国を敵視しているので、首相が訪中すると右派の反発が強まる。だからシン首相ではなくメノン特使が首相の親書を持って訪中しれたのだろう。(India and Pakistan to Revive Peace Process

 メノンが中国から帰国した数日後の7月10日、インドのラオ外相が、インド北部のダラムサラにある亡命チベット政府に行き、ダライラマと会談した。会談の内容は発表されておらず「中国がカシミールに鉄道を通すなど、パキスタンに接近しすぎているので、インド政府はダライラマと会うことで中国を牽制した」と分析するインドのメディアもある。しかしインド外相が中国を牽制するためにダライラマに会ったのなら、中国は会談を非難する声明を出すはずだ。中国は今年初めから、チベットや台湾など中国の中核的国益を侵害する者を許さないという、以前より強硬な姿勢を明らかにしている。(Why the Foreign Secretary met the Dalai Lama

 しかも、中国の温家宝はインドのメノンと会談した際に「中国とインドは、双方の中核的国益を尊重して助け合うことにした」と述べている。インドが絡む中国の中核的国益といえば、第一にチベット問題だ。インドがダライラマに同調して中国を敵視することはやらず、むしろインドがダライラマを説得して中国に従わせるような方向が、温家宝とメノンの会談で確認された。メノン訪中後にインド外相がダライラマに会いに行ったのは、中国を牽制するためではなく、逆にダライラマを中国に従わせるためだったと考えられる。インド政府がダライラマとの会談の内容を発表しないのは、インド国内の右派の反発を恐れてのことだろう。(Pakistan as China's force-muliplier against India

▼米国はこっそり中国に印パ和解を仲裁させる

 今年4−5月の南アジアサミットから米中戦略対話にかけての動きを見ると、中国が印パの交渉を仲裁するのは、米国に頼まれてやっていることであると感じられる。しかも米国は隠密に中国に頼み、中国も隠密に印パの仲を取り持っている。米国のやり方は「隠れ多極主義」的だ。しかしなぜ、米国が自分で印パを仲裁せず、こっそり中国に頼むのか。

 それはおそらく、米政府が印パの和解を仲裁しようとすると、米英の軍産複合体が印パの軍事衝突を誘発したり、米英諜報機関の創造物である「アルカイダ」がテロをやったりして、米政府の印パ仲裁策を妨害するからだ。中国が隠密に仲裁している今回でさえ、印パが和解に動くとともに、パキスタンのスーフィ寺院での爆破テロや、インドのカシミールの暴動など、和解を阻止するかのような出来事が相次いでいる。(Kashmir violence could strain India -Paki talks : Experts

 かつて90年代末、当時のクリントン政権が印パ仲裁を試みたが、それを阻害するかのようにパキスタンのシャリフ政権が崩壊していき、結局パキスタン軍のトップにいたムシャラフ統合参謀本部議長が99年にクーデターで政権を奪取し、独裁制を敷いてパキスタンを何とか安定させた。だが、01年の911事件とその後のテロ戦争で、再びパキスタンは不安定化になった。

 クリントン政権下で米国主導の和解が試みられたがうまくいかず、次のブッシュ政権で無茶苦茶な過激策をとって自滅し、その一方で米国は中国に問題解決を押しつける隠れ多極主義策を展開したのは、印パ問題だけでなく、北朝鮮問題にも共通している。

 クリントン政権は末期の00年秋にオルブライト国務長官を平壌に派遣したが時間切れとなり、次のブッシュは先制攻撃で北朝鮮を政権転覆させると言いつつ、実際には中国に6カ国協議をやらせ、今や北朝鮮は経済面主導で中国の傘下に入っている。米国は北朝鮮問題でも、中国への主導権移譲を隠密にやっており、ほとんどの人は、米国が意図的に中国に主導権を渡したことに気づいていない。(◆代替わり劇を使って国策を転換する北朝鮮

 米国だけでなく中国までもが隠密にことを進めている理由は、その方が米英中心主義の勢力に気づかれにくく、妨害されにくいからだろう。上海協力機構やBRICといった、中国が積極参加する多極型の国際組織は、自分たちの影響力を小さく見せようとしている。世界の多極化は隠然と進んでいる。いずれ米国覇権の崩壊感が急増した後、多極型の世界が(一気に、もしくは少しずつ)顕在化していくだろう。

 米国はパキスタンの安定化に中国が協力することを歓迎しているが、その一方で米国は、パキスタンがNPTに加盟せず核兵器を持ったことを理由に、中国がパキスタンに原発を建てることに批判的だ。米国は、自国がインドに原子力技術を与えたことを棚に上げている(インドもNPTに加盟せず核兵器を持った)。こうした状況も、パキスタンをめぐる状況で米国と中国が味方なのか敵なのかわからなくする、隠れ多極主義的な煙幕の一つと考えられる。(Why China struck N-deal with Pak 4 days after Indo-US deal

▼NATO撤退後を見据える中国のアフガン戦略

 インドとパキスタンの和解には、アフガニスタン情勢が密接に絡んでいる。01年の911事件以来の米国のテロ戦争で、パキスタンは「米国の南アジア戦略の実行部隊としての米国の同盟国」から「テロリスト(アルカイダやタリバン)をかくまう問題のある国」に転落した。インドはこの尻馬に乗って「パキスタンがテロリストを育成してインドを攻撃させている限り、パキスタンとは和解交渉しない」という立場をとり、この傾向は08年11月のムンバイテロ事件によって増大した。

 911後のインドは、日韓(対北朝鮮)やイスラエル(対イラク、イラン)と同様、米国の忠実な同盟国として振る舞うことで、テロ戦争の枠組みを使って、敵国に対し有利な立場に立った。インドは、米国の威を借りてパキスタンを非難し続けた。それでも03−06年ごろには、再び印パ間で和平の機運が高まった。08年には印パの和平が、調印の一歩手前まで進んでいたと指摘されている。しかし、パキスタン統合の要だった独裁者のムシャラフ大統領が08年8月に辞任し、同年11月にムンバイテロが起きるに及んで、印パ和解は再び不可能になった。(カシミールでも始まるロードマップ

 ムンバイテロは、パキスタンに訓練されたイスラム主義テロリストの犯行ではなく、インドのヒンドゥ過激派が、インド国内の宗教対立を扇動する目的で、イスラム主義者の犯行を装い、イスラエルの諜報機関の協力も得て挙行した可能性が高い。つまりムンバイテロにはインド側の自作自演色があるのだが、これは米当局が911の自作自演色を隠しているのと同じ構図だ。この構図自体、インドが米イスラエルの戦略に従っていることを示している。(韓国が今年3月末の天安艦の沈没事件で、米軍にそそのかされて北朝鮮に罪をなすりつけたのも、同じ構図の中にある)(ムンバイテロの背景

 インドは、昨年までの日本政府と同様、テロ戦争による米国の世界支配が長期的に続くと考え、その尻馬に乗って、パキスタンを非難してきた。しかし今、米国のアフガン占領の敗色が濃くなり、NATOがアフガン撤退を検討する事態となっている。来年7月に米軍のアフガン撤退を開始するオバマの構想は本気だろう。アフガンのカルザイ政権は、タリバンと和解して連立政権を作るか、もしくはタリバンに倒されるしかない。カルザイは最近、タリバンの事実上の創設者であるパキスタンに接近することで、NATO撤退後の政治的生き残りを模索している。

 NATOがアフガン撤退したら、欧米からパキスタンへの支援も激減するだろう。だが、パキスタンは以前から経済面で中国に頼る傾向が強い。欧米が捨てた後のパキスタンを救うのは中国である。パキスタンだけでなく、カルザイのアフガンも、経済面で中国に助けてもらいたいと考えている。すでに、中国政府系の鉱山会社が、アフガンにある世界最大級の未開発の銅鉱山の開発権を買い取っている。(As US fights, China spends to gain Afghan foothold

 中国は、アフガンを安定化し、経済発展させて、そこに開発投資して儲けようと考えているが、その際の軍事面の実働部隊は、中国軍ではなく、パキスタン軍である。NATOが撤退色を強める中、タリバンの創設者であるパキスタン軍は、カルザイとタリバンを和解させ、連立政権を作ってパキスタンを安定化しようとしているが、この戦略は中国の希望でもある。中国軍がパキスタン軍を招待して7月3日からった軍事演習「友諠2010」も、ウイグル平定だけが目的ではなく、中国がパキスタン軍との連携を深め、アフガニスタンの安定化に役立てようとする意図が感じられる。(Analysts Say Pakistan Is Beijing's Window on Afghanistan

▼上海機構で印パが和解する多極型新世界秩序

 NATOのアフガン撤退は、南アジアにおける米国の覇権の撤収になる。そして代わりに出現するのが、中国がパキスタンと組んでアフガンを影響下に入れ、中央アジア諸国やイランまでが、経済主導で中国の傘下に入る構図である。中央アジアはロシアの影響圏でもあるが、中国とロシアは数年前からユーラシア広域の利権調整をやっており、もう根本的な対立は存在しない。マスコミでは、中露が覇権争いしているかのような構図が描かれることがあるが、その多くは隠れ多極主義的な煙幕である。

 こうした「多極型新世界秩序」の中で、インドは、対米従属の姿勢をとっている限り、居場所がない(日本も同様)。この10年ほど、パキスタンは崩壊寸前の準失敗国家であり、高度経済成長するインドの方がはるかに優勢だった。しかし、NATOのアフガン撤退とともに、インドの優勢は揺らぎだす。中国がパキスタンやアフガンに中国型経済発展のノウハウと資金を提供して何年かすると、パキスタンは政治的に安定し、経済成長を開始するかもしれない。インドとしては、そうなる前に、パキスタンが劣勢のうちに、早くパキスタンと和解しておいた方が良いということになる。すでにカシミールなど印パ間の諸問題の多くは、解決の道筋について印パで合意ができている。

 そもそも、冷戦終結後のインドが、パキスタンや中国を敵視する戦略を持ったのは、圧倒的な単独覇権国だった米国に付き従っているのが得策だという考え方からだ。NATOがアフガンから撤退したら、米国は南アジアの覇権国ではなくなっていき、インドがパキスタンや中国を敵視する利益も失われる。実は米イスラエル諜報機関のやらせである「アルカイダ」のテロも、米軍が南アジアから出ていけば、しだいに減っていく(米国が出ていく前後、一時的にテロが増えるだろうが)。

 すでに中国はインドに対して「パキスタンと和解するなら仲裁しますよ」と誘っている。米国はそのうち南アジアからいなくなるのだから、いつまでも米国覇権への従属に固執せず、中国と一緒に南アジアを安定、発展させて儲けましょうというわけだ。この誘いに乗ったのがメノンの訪中であり、印パ外相会談だ。米国のホルブルック特使も「インドは、今後のアフガン和平策に大きく貢献できるはずだ」と述べている。これはインドに「中国やパキスタンと和解して、NATO撤退後の多極型のアフガン安定化に貢献してください」と言っているようなものだ。(India can play important role in Afghanistan: Holbrooke

 インド政界では、まだ対米従属の右派が強いが、シン首相ら政府中枢は、中国の仲裁によるパキスタンとの和解を進めることが得策と考えている。7月15日にパキスタンの首都イスラマバードで開かれる印パ外相会談は、表向きは目立った前進が発表されないかもしれないが、非公式の場では、すでに印パ間でかなり具体的な和解策が議論されている可能性が高い。(Pakistan, India poised to set peace agenda today

 中国が事実上主催する上海協力機構には、インド、パキスタン、アフガニスタン、イランがオブザーバー参加している。今年6月の年次総会の前に、インド、パキスタン、アフガンが正式な加盟国に昇格するのではないかとの見方がインドなどで出てきたが、今年は昇格は見送られた。イランのアハマディネジャド大統領は、上海万博訪問の名目で訪中し、中国政府に「上海機構に正式加盟させてくれ」と頼んだが、イラン問題で米国との直接対決を避けたい中国は「もう少し待ってくれ」と今年の加盟を断った。(Setback for Iran at SCO

 しかし今後、NATOのアフガン撤退が決まり、印パの和解が進んだら、印パとアフガンは、上海機構の正式な加盟国になるだろう。印パ和解とアフガン再建は、NATOや米国ではなく、上海機構やBRICが解決するテーマとなる(イランの上海機構への加盟はイスラエルの絡みがあるので別の話になるが、イランもいずれ加盟するだろう)。

 インドが中国と本格的に和解したら、今計画されている新疆(カシュガル)からパキスタンへの鉄道だけでなく、チベット(ラサ)からネパールを経由してインドに至る鉄道も敷設されるだろう。(SCO is to admit new members

▼中パに国権を譲渡するカルザイ

 すでにアフガンの大半の山村は、昼間にNATO軍がパトロールできても、夜間はタリバン系の勢力が支配するという、ベトナム戦争末期的な、半分陥落した状況にある。山国のアフガンは陸路の出口が限られている。NATOのアフガン撤退は、タリバンと不戦の約束を確立してからでないと、崩壊的な大敗走になる。だから英独など欧州諸国や、あとに残されるカルザイは、NATOとタリバンの和解交渉を早く進めたい。

 だが、NATOを主導する米国は、政界内でアフガン撤退に反対する右派が強い。オバマ政権は、タリバンとの戦争を続行しながら裏で交渉するという、どっちつかずの対応をしている。欧州では厭戦気運が強まり、米国の撤退決断やNATOの全体合意を待たずに自国軍だけ撤退すべきだという声が各国政界で強まっている。タリバンは、時間が経つほどNATOの足取りが乱れ、自分たちが優勢になると知っているので、米国が公式に和解したいと言わない限り、和解交渉の席に着かないという態度だ。カルザイはもともと米国の傀儡なので、タリバンは、カルザイが和解しようと接近してきても、本腰を入れて対応していない。カルザイは、あせりを強めている。(The US must choose to talk or fight the Taliban

 カルザイがいくらあせっても、米国はタリバンとの和解を決心せず、どっちつかずな態度をとっている。しかもオバマは、来年7月にアフガン撤退を開始すると決めている。生き残りに必死なカルザイはやけくそになり、米国から与えられたアフガンの統治権を次々とパキスタンに渡す代わりに、パキスタン軍にタリバンとの話を付けてもらおうとしている。アフガン軍の軍事訓練をパキスタン軍が請け負う話も進んでいる。(Afghanistan begins circumambulating Pakistan

 カルザイは最終的に(来年か再来年?)タリバンに政権転覆され亡命して終わるかもしれないが、そのころには、アフガンの国権はパキスタンと、その背後にいる中国の手中に落ち、タリバン・パキスタン・中国が、中国と仲の良いロシアやイランの協力も得ながらアフガン統治をしていくことになる。米国がもたもたしている間に、アフガンの利権は棚ボタ的、火事場泥棒的に、どんどん中国の側に移転されている。米国は何千億ドルもアフガン占領につぎ込んだのに、嫌われ者になって出ていくだけだ(イラクがすでにこの構図だ)。隠れ多極主義として見ると、これは米国による意図的な多極化策である。このような大転換を目の当たりにしたインドが、パキスタンや中国との和解を考えるのは当然といえる。



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代替わり劇を使って国策を転換する北朝鮮

2010年7月8日  田中 宇

 北朝鮮の権力中枢で、最高権力者(国防委員長)金正日の義弟(妹の夫)である張成沢(チャン・ソンテク)が急速に台頭している。金正日信頼している人物の一人に妹の金敬姫(金慶喜、キム・ギョンヒ)がいる。張成沢は、金日成総合大学の経済学部に在学中に金敬姫の同級生だった縁で金敬姫と結婚し、義兄となった金正日の側近となったが、2004年から06年まで失脚していた。

 しかしその後、06年に金正日のとりなしで復権し、08年9月には朝鮮労働党の最重要ポストの一つである行政部長に就き、検察、警察、裁判所の権限を握った。同時に、張成沢の数十人の側近も要職に復活した。09年4月には、張成沢は、北朝鮮の最高権力組織である国防委員会の委員に任命され、1年後の今年6月には副委員長に昇進した。国防委員会の副委員長は4人いるが、張成沢以外は高齢の将軍たちで、経済など実務の国家運営を担当できるのは張成沢だけだ。金正日は張成沢を自分に次ぐナンバー2の地位に就けたとみられている。

 日韓などでは、張成沢は、金正日の後継者となる予定の金正銀(キム・ジョンウン。25歳)の摂政であり、正銀に政治手腕がついた時点で権力を譲る予定だとの見方が日韓マスコミで主流だ(金正銀の名前は、ハングルのみで漢字が発表されておらず「正恩」かもしれないといわれる。以前は「正雲」と思われていた)。

 金正日には、金正男(37歳)、金正哲(27歳)、金正銀という3人の息子がいる(ほかに初婚の妻との間に娘がいる)。正男の母は成恵琳(金正日の略奪婚の相手、金日成に結婚を許されず愛人のままとの説も)、正哲と正銀の母は高英姫(金正日が再婚した妻)である(金正日は、今は金玉【キム・オク】という女性と2回目の再婚をしているとされる。正銀は金玉の子供だという説もある)。

 北朝鮮は1970−80年代に、金日成から金正日へ最高権力者の父子世襲をしたので、金正日も3人の息子のうちの誰かに最高権力を世襲すると、日韓などでは推測されている。以前は長男の金正男が後継者とされていたが、正男が01年に偽旅券で日本に入国しようとして捕まった後、後継者ではないとみられる傾向が強まり、その後次男の正哲が後継者になるとの説が出たが、最近では三男の正銀だという説が主流になっている。

▼張成沢は金正銀の摂政ではない?

 しかし張成沢が金正銀の後見人ないし摂政役だというのは、従来の流れからすると矛盾している。張成沢は以前、金正銀ではなく金正男の後見人とされていたからだ。金正銀の後見人は、張成沢のライバルの李済剛(イ・ジェガン。労働党組織指導部第1副部長)だった。

(金正日は、権力の所在をわかりにくくする権力維持策、もしくは側近政治の結果として、北朝鮮の党や政府の組織で、大臣にあたる部長より、副部長や次官、副官などの方が権力を持つ制度を作っている。外交の最高責任者は、朴宜春外相ではなく姜錫柱外務次官だし、金永春国防大臣より諜報担当の呉克烈大将の方が軍の権力を持っている)。 (大臣よりも次官が偉い北朝鮮

 李済剛は、04年に張成沢を失脚させる運動を推進した人物とされ、失脚前に張成沢が就いていた組織指導部第1副部長を継承したが、張成沢の復権とともに追い込まれ、張成沢を国防副委員長に昇格させる最高人民会議(国会)が開かれる5日前の6月2日、交通事故で死亡した。北朝鮮では建国以来、多くの高官が権力闘争の挙げ句、交通量がほとんどない道路を官用車で走行中に「交通事故」で死んでいる。おそらく李済剛は殺されたのだろう。張成沢も06年に交通事故にあっている。 (金容淳・呉振宇・高英姫の交通事故と金正日の秘密パーティー) (North Korea: Drastic dynastics

 張成沢が金正銀の摂政と思えない理由はまだある。張成沢がこれだけ権力を持ってしまうと、金正日の死後、金正銀に権力を渡さず、張成沢自身が独裁者になる恐れが大きい。金正日が、自分の死が近いと考えて、息子が権力者になれるまでの暫定として摂政を立てようと考えたのなら、摂政は一人ではなく数人に権力を分散し、摂政どうしが競う仕掛けを作るはずだ。

 金日成が金正日に権力を継承した際、1970年代に10年かけて朝鮮労働党内で金正日が隠密に権力を拡大するよう活動させ、80年の党大会で金正日が後継者として突然登場し、その時すでに金正日が党内の権力をかなり握っているという手法をとった。これは、中国やソ連など主要国の共産党が世襲を禁じていたため、金日成が事前に権力世襲を発表すると、党内や中ソから反対され実現できないおそれがあったからだと思われる。

 この故事から、すでに金正銀が労働党内で隠密に権力を拡大する活動をしており、今年9月に開かれることが決まった党代表者会議、もしくはその後開く党大会で、まだ顔も知られていない金正銀が後継者として登場し、張成沢はうやうやしく金正銀にかしづくだろう、という予測が出ている。

 しかし、金日成から金正日への継承時には、まだ共産主義(社会主義)の理想を求める人々が北朝鮮内部や、北を支援していた中国ソ連におり、だから金親子はクーデター的な父子世襲のやり方をしたのだが、今や北朝鮮内部は世襲を嫌う社会主義ではなく、逆に父子世襲を大歓迎する金日成主義(主体思想)が浸透している。ロシアは社会主義をやめたし、中国も社会主義は形式だけだ。金正日が息子に世襲したいなら、堂々と発表して実行できる状況にある。むしろ、金正日が後継者を決めないので、側近らが個別に3人の息子たちのいずれかを担ぎ出し、跡目争いをしている。

 9月に朝鮮労働党の代表者会議が開かれれば、金正日が何をしたいのかわかってくるかもしれないが、今のところ、私の分析では、金正日は息子ではなく、張成沢自身を後継者にしようとしている感じがする。

▼先軍政治から中国式への転換

 私の分析では、金正日が張成沢に権力を与えた背景に「中国」がいる。冷戦後、北朝鮮経済が崩壊して党内や軍、国民の反乱が懸念される中で、金正日は一族の権力を守るため、軍を最も優遇し、軍人に権力を分配する「先軍政治」を展開した。軍人や軍事が優先され、経済発展や経済専門官は軽視された。軍の最高機関である国防委員会は、朝鮮労働党の傘下から外されて独立し、金正日は国防委員長の肩書きで最高権力者となった。軍は党より上位になった。党の行政専門官の意見は軽視された。この20年、何度か経済改革や外資導入が試みられたが、先軍体制に阻まれて成功しなかった。

 先軍政治体制下の北朝鮮の国際戦略は、一方で核兵器開発などの強硬姿勢を貫き、他方で米国や韓国と交渉して譲歩と援助を引き出し、米韓日からの援助資金や、世界への武器販売などで北朝鮮経済を回していこうとするものだった。北朝鮮は、米国の先兵として中国と対峙すると米国に持ち掛け、米中対立を利用して、韓国をさしおいて米国と友好関係を回復する構想まで持っていた。

 しかし、08年秋のリーマンショック後、米国の経済覇権が弱り出し、中国が経済台頭して米中逆転が進んだ。09年に就任したオバマ大統領も、期待に反して北朝鮮と交渉してくれなかった。北朝鮮は米国の仲間にしてもらう戦略をあきらめ、経済台頭する中国の傘下につく傾向を強めた。金正日は、冊封の家臣よろしく旧正月に平壌の中国大使館を訪問したりした。中国は、北朝鮮に、中国と同じ改革開放経済体制と、父子世襲ではなく集団指導体制による一党独裁制度をとり、政治を安定させて経済発展するよう勧めていると考えられる。

 金正日は90年代まで、中国の改革開放政策を「修正主義」とののしっていたが、00年に訪中したときには中国の改革開放に学ぶ姿勢をとった。それ以来北朝鮮は、先軍政治に基づく軍事強硬策で米韓と交渉する戦略と、中国型の改革開放を真似る戦略の間を、行ったり来たりしながら、しだいに中国型をとる傾向を強めてきた。この流れの中で、もともと妻の金敬姫とともに経済学部を卒業した経済専門家である張成沢は、中国式の改革開放策を進める中心人物として機能してきた。

 張成沢は、04年春に失脚する半年前の03年夏、米国のキッシンジャー元国務長官らが立案して韓国政府に提案した、北朝鮮の政権を穏健な権力者と交代させる構想の中で、金正日後の北朝鮮権力者にふさわしい人物として出てくる。構想が出てきた03年夏は、米国が中国をけしかけて6カ国協議を主催させ、そこに北朝鮮が出ていく時期である。 (米国の北「リーダーシップ・チェンジ」シナリオ

 キッシンジャーは、1972年のニクソン訪中を企画して以来40年かけて、中国を、東アジアの覇権国、経済大国へと発展する方向に誘導したロックフェラー系の「隠れ多極主義者」だ。そして、03年からの北朝鮮核問題の6カ国協議は、朝鮮半島の分裂を中国主導で解決させ、朝鮮半島に対する覇権を米国から中国に委譲しようとする、米国の隠れ多極主義的な戦略だった。

 隠れ多極主義者のキッシンジャーは、北朝鮮を中国の傘下に入れて安定させようと考えていた可能性が高く、張成沢は、米国にとってではなく中国にとって「金正日よりもましな指導者」であるということで、キッシンジャーの推薦対象になったと考えられる。そもそも、キッシンジャーに張成沢を推したのは中国かもしれない。

 この構想から半年後、張成沢は失脚し、その理由は部下の朴明哲(パク・ミョンチョル。体育関係の党幹部。在日朝鮮人のプロレスラー力道山の娘婿)が子供の結婚式を豪勢にやりすぎて失脚した余波ともいわれている。しかし、こんな微罪だけで国家戦略上重要な高官一派を全員失脚させるとは考えにくいので、実のところは、米国や中国が張成沢を「金正日に代わる権力者」と考えたことが北側に漏れ、金正日が脅威に思ったか、張成沢のライバルたちが騒いだ結果かもしれない。 (朴明哲オリンピック委員長、「子女の豪華結婚式」物議で追放

▼張成沢に国防委員会を乗っ取らせた金正日

 04年に張成沢が失脚したのは「中国と通じているのではないか」と疑われた可能性があるが、06年に金正日が張成沢を復権させたときには、むしろ「おおいに中国と通じろ」という意図で復権させた感じだ。金正日は06年1月に中国を訪問し、改革開放政策の現場を視察して回ったが、その直後に金正日は張成沢を復権させた。張成沢は同年3月に中国を回り、北朝鮮が改革開放策を導入する際の具体策を中国側と協議した。 (張成沢訪中の狙い

 張成沢は中国政府と密接な関係を築き、09年6月には、張成沢は「後継者」と騒がれ出していた金正銀(金正雲)をつれて中国を訪問している。今年5月の訪中時、北京で胡錦涛が主催した晩餐会の席順では、張成沢が党内序列より高いナンバー3の席(金正日、金英春に次ぐ)についたことが確認されている。 (5日の中朝首脳夕食会テーブルの座席配置) (金正雲の中国訪問など

 金正日が、張成沢を重用して中国式の改革開放策の導入を試みる際、最大の阻害要因は軍最優先の「先軍政治」である。これを乗り越えるため、金正日は、08年秋に倒れる前後の時期に、かつて先軍政治の拡大時に廃止した労働党中央委員会の行政部を復活し、その部長に張成沢を就けた。以前からの張成沢の部下たちも行政部に結集した。金正日は、党を軽視して軍を重視する先軍政治の流れを、20年目にして逆流させ始めた。このころから「張成沢は北朝鮮のケ小平(改革開放をやった指導者)になるのではないか」と韓国で言われ出した。 (張成沢は北朝鮮のケ小平なのか?

 こうして金正日は、まず張成沢に党内で行政部という基盤を作らせた後、翌09年4月の最高人民会議(国会にあたる)で、張成沢を国防委員に就任させ、今年6月の最高人民会議で国防副委員長に昇格させて、党より上位にあった軍になぐり込みをかけさせた。金正日は、張成沢に国防委員会を潰させるのではなく、国防委員会の権限を経済など行政分野に拡大するため、張成沢を副委員長にするという理屈を作り、張成沢に国防委員会を乗っ取らせる策をとった。先軍政治をやめるのではなく、先軍政治を拡大するのだといって、事実上軍人から権力を剥奪した。

 金正日は独裁者といわれるが、冷戦終結期の財政破綻時に、軍にすり寄って権力を保持しただけに、将軍たちが結束して反対したら金正日は譲歩せざるを得ない。だから金正日は、暗闘的、クーデター的なやり方でしか、先軍政治を脱却できない。クーデター的な感じは、今年の最高人民会議が、定例の4月だけでなく6月にも臨時で開かれ、6月の臨時大会で張成沢の国防副委員長への就任が決まったことにも表れている。

 4月の会議は例年同様の形式的なもので、金正日は出席しなかった。そして5月初旬、金正日は張成沢らをつれて中国を訪問し、胡錦涛と会談して、中国が国有企業などを通じて北朝鮮に対し、インフラ整備など100億ドル規模の投資を行うことで合意した。この額は、北朝鮮のGDP(260億ドル)の3分の1以上にあたる。

 この巨額資金を得て帰国した後、金正日はおそらく「中国が巨額投資の条件として、張成沢に経済の全権を持たせることを望んでいる」などと言って将軍たちをしぶしぶ納得させ、6月に臨時の人民最高会議を開いて張成沢を国防副委員長に就けた。6月の会議で、金正日は議場の中央に座った。それまで3人の高齢の将軍たち(金永春、呉克烈、李勇武)が握っていた国防委員会の権力のうち、経済の全権が張成沢に渡され、3人の将軍の権限は、軍事や諜報に限定されていくことになった。同時期に、偶然であるかのように張成沢のライバルたちが消えた。李済剛は交通事故で死に、李容哲は心臓麻痺で死んだ。 (北最高人民会議 張成沢国防副委員長抜擢と外資誘致(下)

 韓国の脱北者からは「北朝鮮のナンバー2は張成沢ではなく、諜報と軍事を握っている呉克烈である」という見方が出ている。北朝鮮が従来どおりの先軍政治体制をとっているとしたら、この見方は正しいが、私の分析では、金正日は先軍政治を脱却して中国式改革開放策へと、北朝鮮の国策を隠然と転換しようとしている。もはや「軍を握るものが北朝鮮のナンバー2だ」という見方は古いと思う。 (「北朝鮮のナンバー2は呉克烈氏」韓国の報道に対し脱北者が語る

▼中国の辺境安定策としての北朝鮮投資

 台頭する張成沢と、権力防衛を試みる呉克烈は、経済の利権で闘争している。張成沢は、中国からの投資の受け皿として今年3月、国家開発銀行を設立し、金正日の個人資産の管理人(39号室長)をしている全日春が理事長に就いた。同時期に、中国共産党と党どうしの協力を担当してきた金養建・党元国際部長を理事長に据えて、開発銀行に資金を引っ張ってくるための政府系企業「大豊国際投資グループ」も作られた。 (北朝鮮、平壌で国家開発銀行の初理事会

 この動きより前の09年2月、呉克烈は機先を制するように、中国からの資金を受け入れる企業として「朝鮮国際商会」を設立し、09年7月には最高人民会議常任委員会の認可も取り付けた。国防委員会が経済政策も担当し、中国からの資金を受け入れるのなら、それを張成沢がやる前に自分がやり、張成沢の台頭を防ごうと呉克烈は考えたようだ。両者の対立が激化していると報じられている。 (北朝鮮、外資誘致めぐり内部対立 張成沢氏vs呉克烈氏

 中国が北朝鮮のインフラ整備に投資するのは、北朝鮮だけに対する政策ではなく、中国が周辺地域の全体に対して行っている総合的な戦略の一部である。中国は、雲南省など西南辺境の外縁部では、ラオスやカンボジアのインフラ整備に資金を出し、西方辺境である新疆ウイグル自治区の外縁部では、カザフスタンやキルギスタンのインフラ整備に資金を出している。いずれも、自国の辺境地域と、その向こう側にある貧しく不安定な国々の経済インフラを整備してやり、それによって経済発展を起こし、国境周辺を安定させようとする中国政府の長期戦略に基づいている。 (China bridges last Mekong gaps

 これらと同様に、中国は、東北辺境である吉林省の外縁部に位置する北朝鮮のインフラ整備に金を出そうとしている。中国は、北朝鮮に対するインフラ投資を、東北地方(旧満州)の辺境開発事業と結びつけて計画している。 ( Facing Food Shortages and Sanctions, Kim Jong Il Appears to Reach Out to China

(東北辺境では、いずれ中国がロシア極東の開発を手がけることも視野に入ってくるだろう。すでにロシアのプーチン首相は、中国がロシア極東の経済開発に入ってくることに歓迎を表明している) (中国の内外(3)中国に学ぶロシア

 北朝鮮は従来、国有の開発銀行を作っても、資金が活用されず、投資家が損をするだけだったので、今回の動きについて疑問視する向きが韓国などで強い。しかしすでに中国企業は、北朝鮮の鉱山や港湾などの権利を買い漁っており、韓国勢が「北に投資しても無駄だ」と思っている間に、北朝鮮は経済的にどんどん中国の傘下に入っている。 (The hermit economy Pyongyang hobbled and getting worse

 ロシアなど、中国以外のBRIC諸国や新興市場諸国、欧州諸国などが、今後、北朝鮮に対する投資や貿易関係を活発化する可能性もある。たとえば、BRICの一つであるブラジルは、北朝鮮との経済関係を急速に拡大している。BRICは、それぞれの大国が自国周辺を安定させるための経済政策の分野で、相互に協力し合っている。北朝鮮は、世界の多極化の波に乗って投資を集めようとしている。 (Brazil, North Korea: Brothers in trade

▼世襲劇や瀕死説の裏側

 北朝鮮では08年ごろから「2012年に強盛大国の大門を開く」ことを国家目標に掲げている。12年は金日成の生誕100周年だ。北朝鮮側の説明では、強盛大国とは政治的・軍事的・経済的に大国になることを指しているが、政治的と軍事的には、すでに北朝鮮は大国なので、あとは急いで経済発展することが目標なのだという。日韓では一般に、強盛大国は先軍政治の戦略だと考えられているが、08年に張成沢が台頭したことや、軍事も政治もといいつつ実は経済重視の政策であることを考えると「2012年に強盛大国の大門を開く」という言葉には「2012年から改革開放経済を導入できるようにする」という隠れた意味が盛り込まれているのではないかとも思えてくる。

 北朝鮮は昨年11月に通貨切り下げ(デノミ)を行って失敗し、この責任をとらされて朴南基(パク・ナムギ)労働党計画財政部長が失脚した(一説には銃殺された)。これについて、デノミは本当は張成沢がやったことなのに、朴南基の責任にされてしまったという説がある。しかし、デノミは北朝鮮の自由市場経済が急拡大したことに歯止めをかけようとした強行策だ。

 張成沢が中国式の経済政策をやる人なら、デノミは張成沢がやったことではない。中国は、かつて自国で自由市場経済が急拡大したときに、ほとんど抑制をかけず、市場経済を定着させている。デノミはむしろ、張成沢ら中国派の台頭を抑止する軍人側の抵抗策だった観がある。張成沢は経済専門家を元山に集め、デノミの混乱の収拾策を立案したと報じられている。 (北朝鮮デノミ混乱収拾を張成沢部長が主導) (◆北朝鮮通貨切り下げの意味

 張成沢の台頭について日韓では「金正日が病気で死にそうなので、息子の金正銀を後継者に定め、その摂政役に張成沢を置くことにした」という分析が主流だ。だが私は「金正日が北朝鮮の経済発展を実現するため、将軍らを出し抜いて先軍政治を脱却し、張成沢を台頭させて中国式の改革開放政策に転換しようとしている」と分析している。08年秋に金正日が倒れて瀕死の状態になったのは事実だろうが、その後回復し、間もなく死にそうな状態ではないかもしれない。09年8月に米国のクリントン元大統領が訪朝した時、金正日は元気だった。「病気で死にそうだから張成沢を摂政役として台頭させる」という話は、将軍らを納得させるための誇張かもしれない。 (◆クリントン元大統領訪朝の意味

 後継者と言われて日韓で騒がしく報じられる子息の名前が、金正男、金正哲、金正銀と、2−3年ごとにころころ変わるのを見ると、金正日が権力の父子世襲を考えていると人々に思わせるのも、金正日お得意の攪乱作戦の一つではないかと思えてくる。北朝鮮は主体思想ばかり宣伝しているが、土台は共産主義であり、金正日自身は、権力の世襲は封建的であって共産主義的でないと考えている可能性もある。中国は金正日に、政治を安定させたければ中国のように党中央を集団指導体制にした方が良いと忠告し、金正日が愚鈍でないなら、それをもっともな話だと思っているはずだ。

 それらの可能性をふまえつつ、張成沢の台頭を見ると、これは意外に北朝鮮が国策を中国式改革開放策に転換していく動きの始まりなのかもしれないと思えてくる。(北朝鮮の内情は見えないので、いずれまた張成沢が失脚して先軍政治が復活するとか、将軍たちが金正銀を担ぎ出して権力世襲を実行するといった、元のもくあみ的な展開もあり得るが)

 今年3月末に韓国で天安艦の沈没事件が起こり、5月に韓国政府が「北朝鮮の犯行だった」という調査結果を発表し、北朝鮮が「大ウソだ。わが国はやってない」と反論して、南北間の対立が劇的に高まった。この件と同じ時期の4−6月に、北朝鮮では張成沢が台頭している。この時期的な同期にも、何か意味があるかもしれない。この点は、今後考えていきたい。



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再燃する中東大戦争の危機

2010年6月29日  田中 宇

 6月18日、米国の空母トルーマンを含む11隻の軍艦と、イスラエル軍艦1隻からなる艦隊が、エジプトにあるスエズ運河の地中海側から紅海側に抜けた。これほどの規模の船団がスエズ運河を抜けるのは何年かに一度しかないと報じられた。米軍は運河航行中のテロ攻撃を恐れ、エジプト軍を警備員として運河沿いに出動させ、運河にかかる橋を通行止めにした。(Report: U.S., Israeli warships cross Suez Canal toward Red Sea

 空母トルーマンとイスラエル軍艦は、6月6日から10日までイスラエル沖の地中海で合同軍事演習をやった。その後、艦隊はスエズ運河を抜けて紅海からペルシャ湾周辺に行き、以前からインド洋にいた米空母アイゼンハワーと合流した。イラン近海のペルシャ湾周辺に、米軍艦が結集している。(Tehran declares State of Alert on its Western Border: Iran-US-Israel Drama goes into Act II)(Report: US warships stationed off Iranian coast

 おりしも、イランや、イランと関係を強めているレバノンが、パレスチナのガザに向けて救援物資を積んだ支援船を派遣すると発表した。5月末にトルコなどの支援船がガザに向かったときのように、イスラエル軍が支援船を襲撃し、イランやレバノンと一触即発の事態になるとの懸念も報じられている。イランの支援船は紅海からスエズ運河を抜けてガザに行く予定で、米イスラエル軍艦はこのルートを逆に通ることで、イランを威嚇したとみられている。イランの支援船はまだイランの港を出港しておらず、エジプトにスエズ運河の航行を拒否されたとか、米イスラエルの威嚇に恐れをなして出港を延期したとかいわれている。(Iran Says Egypt Barring Gaza Aid Ship From Canal)(Iran says plan to send ship to Gaza still on)(北朝鮮と並ばされるイスラエル

▼アゼルバイジャンに隠密に爆撃機を運び込む?

 イスラエル空軍は、イランの裏側(北隣)のアゼルバイジャンに爆撃機を運び込み、イランの原子力施設などを空爆する準備をしていると報じられている。イスラエルは、爆撃機を分解して貨物船に積み込み、アゼルバイジャンの西隣の国グルジアの黒海岸の港に荷揚げし、陸路でアゼルバイジャンの基地に運び込む隠密作戦を展開しているという報道もある。イスラエル爆撃機がトルコの上空を飛んでアゼルバイジャンの基地に移動しているとの指摘もある。トルコ政府は6月28日、イスラエル軍機の上空通過を禁止すると発表した。(Reports: Israel Plotting Tehran Raid)(Turks ban Israeli military flight from airspace

 アゼルバイジャンには6月6日、米国のゲーツ国防長官が訪問している。米政府の閣僚の同国訪問は5年ぶりだった。ゲーツ訪問3日後の6月9日、アゼルバイジャン議会は、国内の基地を外国軍に貸与できる新法を決議した。ゲーツは、アゼリの基地を借りに来た可能性が高い。米軍はアゼリの基地を、アフガニスタンに物資や要員を運ぶ際の中継基地として使う予定で、これまで中継基地として使っていたキルギスタンのマナス基地が国内混乱で先行き不透明になってきたからとされている。しかし、イスラエル軍がアゼリの基地を拠点にイランを攻撃する目的で、米国がアゼリの基地を借り上げたとも考えられる。イラン政府は6月22日、米イスラエル軍がアゼリに結集していることを警戒し、西部国境地帯に非常事態を宣言した。(Pentagon Chief: Afghan War Arc Stretches to Caspian and Caucasus)(Azeri MPs agree military doctrine

 イスラエルは6月22日、イラン上空を偵察するための軍事用人工衛星「オフェク9」の打ち上げに成功した。この衛星は地上の0・5メートル四方まで識別できる高い解像度を持っているという。また同日、イスラエルのネタニヤフ首相の顧問は「おそらくイランを先制攻撃せねばならないだろう」と述べた。イスラエルでは「米軍はすでに、アフガン、パキスタン、クウェート、イラク、トルコ、アゼルバイジャン、トルクメニスタンなど、イランを包囲する10カ国に駐屯している」とも報じられている。(Experts: Ofek 9 will detect Iranian activity)(Iran is Surrounded by US Troops in 10 Countries

 6月18−19日には、イラン南方のサウジアラビア西部の都市タブークの空港に、イスラエル軍機(一説にはヘリコプター部隊)が飛来し、軍事物資をおろしていったと報じられている。イスラエルがイランを空爆する際、タブークの空港を使うつもりではないかと指摘されている。その理由として、タブークがイランに近いからと書いている記事も見たが、実際にはタブークはイランよりイスラエルに近く、説得力に欠ける。(Reports: IAF Landed at Saudi Base, US Troops near Iran Border

 6月12日には、英国のタイムス紙が「サウジアラビアは、イランを空爆しにいくイスラエルの爆撃機が自国上空を通過することを認めた」と報道し、その直後にサウジ政府が「そんなこと認めてない」と報道を強く否定する展開もあった。何が事実で、何が(意図的な)誤報なのかわかりにくい、プロパガンダに満ちた状況だ。(Saudi Arabia: We will not give Israel air corridor for Iran strike

▼一人歩きする「米国との関係は修復不能」

 国際報道を見る限りでは、米イスラエルがイランを攻撃して中東大戦争が始まりそうな感じが高まっている。しかし、本当に戦争が起きるかどうかはわからない。イスラエルは06年夏、ブッシュ政権の米国に誘われ、レバノンを大攻撃したが、頼みの綱の米軍は来てくれず、イスラエル政府は、シリアやイランとの大戦争に発展する直前で停戦工作に転じ、自国の自滅を何とか防いだ経験がある。それ以来、米国が煽ってもイスラエル政府は戦争したがらなくなった。(イスラエルは一枚岩でなく、右派は戦争しかないと言い続けている)(大戦争になる中東(2)

 米国とイスラエルの右派の中には、親イスラエルのふりをしてイスラエルを潰そうとする勢力がおり、イスラエルを戦争の方向に引っ張っているのは彼らである。彼らはガザのハマスを敵視し、イスラエルがガザの経済封鎖を解かないようにしている。その結果、世界的にイスラエルに対する非難が強まり、米政府内では「イスラエルは米国にとって資産から負担に変わりつつある」という見方が出てきている。「オバマは、イスラエルよりアラブの石油利権を重視し始めた」という「解説」も出てきている。(Breaking an unbreakable bond

 この傾向が進むと、イスラエルは唯一の後ろ盾だった米国の支持を失う。これは亡国を意味する。「だからその前にイスラエルは、米国を巻き込んでイランを空爆する必要がある」という言い方で、右派はイスラエルにイランを空爆させようとしている。米イスラエルの右派がイスラエルを戦争に引っ張り込もうとしている図式は、03年のイラク戦争以来変わっていない。(Washington Asks: What to Do About Israel?

 6月27日には英国の新聞が、駐米イスラエル大使のマイケル・オレンが「イスラエルがパレスチナ問題を解決しないので、米国とイスラエルの間の亀裂がどんどん大きくなり、修復不能な状態になる地殻変動が起きている」と述べたと報じた。その後オレンは、そのようには言っていないと報道を強く否定したが「米イスラエル関係は修復不能」という見出しが一人歩きして世界を駆けめぐっている。これもイスラエルを戦争に誘導するための意図的な誤報かもしれない。(Israel-US relations rocked by 'tectonic rift'

 イスラエルのネタニヤフ首相は、米国との関係を立て直すべく、7月6日に訪米してオバマ大統領と会う予定だが、イスラエル外務省の労働組合は、この重要な時期を選ぶかのようにストライキに入っている。在米イスラエル大使館がネタニヤフ訪米の準備としての米国側との調整作業を拒否したり、外務省員が首相官邸や防衛省に情報を出すことを拒む事態が起きている。これも右派の策動くさい。このような連絡の切れた状況下で戦争が起きると、収拾がつかなくなる。(Netanyahu's U.S. trip threatened by disgruntled Foreign Ministry staff

 ネタニヤフは5月末にオバマと会うために訪米したが、オバマと会う直前にガザで支援船攻撃事件が起き、ネタニヤフはオバマに会わずに帰国した。次々と横やりが入り、イスラエルは米国との関係を改善させてもらえない。

▼外交も諜報も失敗し・・・

 5月末、ガザに向かったトルコの支援船がイスラエル軍に襲撃されて死者を出したことを機に、イスラエルに経済封鎖されているガザの人々の惨状が世界の注目を集めた。国際的な圧力を受けたイスラエル政府は6月17日、閣議を開いて「ガザの封鎖を緩和することを決めた」と発表した。しかし、英語の発表文にはそれが記されているものの、同時に発表したヘブライ語の発表文にはその件が何も書かれていなかった。どうやらイスラエル政府は、欧米からの批判をかわす目的で、閣議で決めてもいないことを、英語の発表文にだけ盛り込んだらしい。イスラエル政界では右派が強く、ガザの封鎖緩和を実質的に決めることは、ネタニヤフに許されなかったのだろう。(Israel announces let-up to Gaza siege - but only in English

 EUや国連はイスラエルのウソに怒り「イスラエルはガザの封鎖を緩和するだけでなく、完全に解除せねばならない」と表明した。カナダで開かれたG8サミットも、同様の決議を出した。(UNRWA: Israel's Gaza blockade became a blockade against the UN)(Israel's Gaza Blockade 'Not Sustainable': G8

 G8ではイラン核問題も議論されたが、G8がイランに対して発した警告は「イランが核兵器開発をやめない場合、イスラエルがイランを空爆することが確実だ。だからイランは早く核兵器開発をやめろ」という内容だった。イランは核兵器を開発していないのだから、やめようがない。イランに対するG8の警告をまとめたのは米国だろうが、G8がイスラエルにイラン空爆をさせたがっているかのようだ。(G-8 'fully believes' Israel will attack Iran, says Italy PM

 国連は反イスラエル的な傾向を強めつつある。イスラエルは反論を試みているが、効果は薄い。イスラエルの国連大使だったガブリエラ・シャレブは、有効な反論ができないまま世界から非難され続けることに疲れたのか、6月19日に辞任を表明した。02年から諜報機関モサドの長官をやってきたメイール・ダガンも、モサドがドバイでハマス幹部を暗殺した事件で世界から批判されて任期を延長できず、辞任することになった。ネタニヤフ政権は、外交や諜報で使える人材を失っている。外交や諜報活動がうまくいかないとなれば、爆撃機やミサイルを飛ばすしか手はなくなる。(Israeli UN ambassador resigns)(Mossad Chief Meir Dagan to Step Down

 イスラエル政府がイラン空爆を躊躇している間に、右派は、イスラエルを世界の悪者にする戦略を着々と進めている。イスラエル与党のリクード(右派政党)の内部では「パレスチナ国家を作る2国式の和平は破綻した。パレスチナ国家の建設を認めず、パレスチナ人をすべて西岸とガザの外側に追放するしかない」という主張が高まっている。これは911の前後にさかんに語られ、その後引っ込んでいた主張である。右派の学者は「欧州はこのやり方に反対だろうが、イスラエルは核兵器を使って欧州を脅すことができる」とまで書いている。イスラエルが核兵器で諸大国を脅迫する「最期の手段」としての「サムソン・オプション」が早々と提唱されている。(Israel aims its nuclear warheads at Europe)(中東問題「最終解決」の深奥

 リーバーマン外相らは、イスラエル国内のアラブ系市民の国籍を剥奪せよとも主張している。エルサレムでは、昔から住んでいるパレスチナ人を追い出してユダヤ人住宅や博物館を作る計画が進んでいる。(Israeli FM Wants Palestinians Stripped of Citizenship and Relocated

 イスラエルのアラブ系国民(イスラエル国籍パレスチナ人)は、急速に政治覚醒している。アラブ系のイスラエル国会議員であるハナン・ゾアビ(女性)は、トルコのガザ支援船に乗り込んでイスラエル軍の襲撃を経験し、その後イスラエル議会の委員会で襲撃時の自分の体験談を話し、イスラエル軍の行為を批判した。右派議員は「ゾアビのイスラエル国籍を剥奪してガザに追い出せ」と怒鳴り、委員会はゾアビの懲戒を決議した(在日朝鮮人に被選挙権を与えると、日本の国会でもこの手の罵声が聞けるだろう)。しかし米オバマ政権が新政策として、イスラエル政府にアラブ系の人権を重視することを求めていたことから、議長裁定で懲戒は本会議にかけられず、ゾアビの地位は守られた。(Interior Minister seeks to strip Israeli Arab MK of citizenship)(Israel's democracy Under siege too

 議会でのゾアビの発言はテレビで放映され、右派の罵声にひるむことなく凛として自分の主張を語ったゾアビは、アラブ系イスラエル人の間で英雄視され、多くのアラブ系市民を政治覚醒させた。オバマ政権がイスラエルに「アラブ市民の権利を重視せよ」と通告したのは、世界的な政治覚醒を狙うオバマの顧問ブレジンスキーの差し金かもしれない。すでにブレジンスキーはイスラエル右派から「ユダヤ人差別者」のレッテルを貼られている。(Obama's new vision of Jewish state guarantees rights of Israeli Arabs)(Zbigniew Brzezinski: Israel's push for Iran strike may hurt U.S. ties

 イスラエル政府はイランを空爆したくないが、何かの拍子に空爆せざるを得なくなる可能性は常にある。アゼルバイジャンやグルジアといったコーカサス諸国では、ロシアやトルコの影響力が強くなっている。ロシアやトルコは、イランも入れた昔の3帝国でコーカサスを支配していくことを、すでに決めている。彼らは、米イスラエルがコーカサスで勝手なことをするのを望まない。いずれロシアやトルコが、アゼルバイジャンから米イスラエル軍を追い出す動きをとる。その前にイスラエルは、イラン空爆をやるかどうかの最終決断を下さねばならない。(◆トルコ・ロシア同盟の出現

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米中は沖縄米軍グアム移転で話がついている?

2010年6月23日  田中 宇

 日本では「日米合意重視」の菅政権が就任し、鳩山政権時代に騒がれた「普天間基地の県外国外移転」は過去の話となった感じだ。マスコミも菅政権になって急に普天間問題を報じなくなった。しかし、米国の外交戦略を決める奥の院である「外交問題評議会」(CFR)が発行する論文雑誌「フォーリンアフェアーズ」の最新号(5・6月号)には「中国はいずれ東アジア海域において米国より強い軍事力を持つので、米軍は中国を刺激せぬよう、日韓の『いわゆる歴史の遺物的な基地』(so-called legacy bases)を縮小し、グアム島に移転するのが良い」と示唆する論文が掲載されている。

「中国覇権の地理学」(The Geography of Chinese Power。論文は中国の投資や外交の力を軍事力と並列分析しているので「Power」は狭義の「軍事力」でなく広義の「覇権」と解釈すべき)と題するこの論文は「新アメリカ安全保障センター」(Center for a New American Security、CNAS <URL> )の主任研究員であるロバート・カプランが書いた。(The Geography of Chinese Power

 CNASは、米国の軍事や安全保障問題を扱うシンクタンクで、2007年に創設されてまだ3年しか経っていないが、2人の創設者のうち、カート・キャンベルはオバマ政権の東アジア担当の国務次官補に、ミシェル・フルールノアは政策担当の国防次官に抜擢されている。CNASは国防総省や国務省の高官に高く評価されており、米国の軍事外交戦略に大きな影響を与えている。CNASの名称は、ネオコンが自滅的なイラク戦争を起こす際の計画立案に使われた「アメリカ新世紀プロジェクト」(Project for the New American Century、PNAC)と似ており、CNASはPNACを意識した(米政界に多い強硬論者を煙に巻くための?)命名だろうが、PNACが「世界民主化」という理想主義を掲げたのに対し、CNASは「現実主義に立って米国の国益を守る」ことを掲げており、方向性は正反対だ。PNACはネオコンで、CNASはキッシンジャー的である(両者は、前者が自滅的なやりすぎを演じた後、後者が登場して敵に覇権を譲渡するという隠れ多極主義の「ぼけと突っ込み」の組み合わせだ)。(Center for a New American Security From Wikipedia

 カプランの論文は、マッキンダーやマハンといった地政学の著名学者の理論を引用しつつ、前半が中国西方の内陸部を地政学的に分析し、後半で中国東方の海軍的な情勢を分析している。前半では、中国がここ数年、ロシアや中央アジアなど近隣諸国との国境紛争を次々と解決し、国境地域の緊張が低下したため、中国政府は陸軍に金をかけなくて良くなり、その分を海軍建設に回していることが指摘されている。冷戦時代の中国は、ソ連との対立のため北辺の国境地帯に膨大な陸軍兵力を配備せねばならず、海軍の建設を軽視していた。中国は、北朝鮮の政権が崩壊したら北朝鮮を併合するかもしれないし、インドで不測の事態(印パ戦争)が起きたら中国軍がインドに攻め込むかもしれないが、そうした予想外の事態がない限り、中国陸軍が国境を超えて外国に遠征することはなく、中国陸軍は人数的に160万人と世界最大だが脅威ではないと書いている。

(中国の東北三省には1億人が住むが、ロシア沿海州には400万人しかおらず、人口密度は62倍だ。もし今後ロシアが弱体化したら、中国は、極東、シベリア、モンゴル、中央アジアなどロシアの影響圏を併合すると予測するなど、本論文は地政学的な示唆に満ちている)

▼中国を刺激しない一石二鳥としてのグアム移転

 日本人にとって問題は、この論文の後半から末尾にかけてだ。中国東方の東シナ海、南シナ海、西太平洋には、朝鮮半島、千島列島、日本列島、琉球列島、台湾、フィリピン、インドネシア、オーストラリアと連なる、海洋の「逆万里の長城」(Great Wall in reverse 中国包囲網)がある。米国にとって、この列島の連なりは、中国の太平洋進出を阻む「第1列島連鎖」(first island chain、第1列島線)で、そのさらに東方のグアム島や北マリアナ諸島、オセアニア島嶼群が「第2列島連鎖」(第2列島線)である。

 論文は、以下のように展開している。米国は従来、第1列島連鎖に属する日本や韓国、フィリピンに米軍基地を置いて中国を監視してきたが、今後中国が強くなるにつれ、中国はしだいに、米国が第1列島連鎖を軍事支配するのを嫌がるようになる。すでに中国は、東南アジアとの紛争海域である南沙群島(南シナ海)に面した海南島の南側に大きな海軍基地を作り、米軍がこの海域のことに口出しするのを許さない「モンロー宣言」的な姿勢をとっている。

 米国は75隻の潜水艦を持つが、中国は15年後に米国以上の多数の潜水艦を持つ。2020年以降、中国が軍事的に台湾を占領しようとした場合、米軍はそれを阻止できなくなるとも予測される。すでに経済面で、台湾は中国に取り込まれている。米国は緊縮財政を強いられ、軍艦の総数を280隻から250隻に減らし、防衛費を15%減らすことになっている。米軍が中国との敵対を覚悟して第1列島連鎖(日韓)に米軍基地を置き続けるのは困難になる。そもそも、米軍が太平洋で圧倒的な軍事力を維持せねばならないという考えは第二次大戦の遺物だし、在韓米軍は朝鮮戦争の遺物である。

 グアム島からは、空軍機が4時間で北朝鮮に到達できるし、軍艦は2日で台湾に行ける。日韓に駐留する米軍をグアムに移しても、米軍は台湾を守れる。グアムは米国領である上、第2列島連鎖に属し、中国が今後の自国の影響海域として設定する第1列島連鎖の外にある。米軍が日韓からグアムに移動することは、中国との敵対を避けつつ第1列島連鎖の同盟国(日韓台湾など)を中国の脅威から守れる一石二鳥の戦略だ。グアムの空軍基地は、すでに世界最大の攻撃力を持っている。

 日韓などアジアの親米諸国は、米軍に第1列島連鎖から出ていってほしくないので、日韓などの地元軍と米軍が渾然一体になる戦略を望んでいる(そうやって米軍の足抜けを阻止しようとしている)。だが、鳩山政権の日本が米軍基地の国外移転を望むなど、アジアの側でも米軍のグアム移転を望む声もある。在日米軍をめぐる日米のごたごたは、もっと前に起きるべき問題だった(が、日本が対米従属に固執したため延期されてきた)。

 米海軍は引き続き、中国海軍に対峙して日本やインドの海軍と同盟関係を続けるが、いずれ中国海軍が自信をつけて領土問題に固執しなくなった段階で、中国は(米国主導の)大きな海軍同盟体に入ることになる。米国は西半球の覇権国であり、中国が東半球の大きな部分を占める覇権国になろうとするのを妨害している。

▼米軍に贈賄して引き留めるしかない日本

 論文はこのような展開で、中国は東半球の大きな部分(おそらく欧州、中東、アフリカ、南アジア?を除く地域)を占める覇権国になる道を歩み、米国は西半球の覇権国なので最終的に日韓を傘下に置かなくなると示唆している。論文は、従来型の中国包囲網の戦略を踏襲しつつ、結論として西半球と東半球が別々になる多極型の覇権体制を予測する。中国が軍事的に台湾を併合したら、東アジアは真に多極型の軍事体制になるとも書いている(だから米国は、中国が台湾を経済的に取り込むことを容認しても、軍事併合を容認してはならないと書いている)。

 この論文が書かれたCNASがオバマ政権と結びついたシンクタンクであることと、論文がCFRのフォーリンアフェアーズに掲載されていることから考えて、日韓の米軍をグアムに移転させることは、米国中枢の長期戦略である可能性が高い。短期的には、日本が巨額の「思いやり予算」をくれると言っている以上、沖縄に駐留すればいいじゃないかという考えも強いだろうが、長期的にはグアム移転である。これは、以前の記事に書いた、宜野湾市の伊波市長が指摘する米軍グアム移転計画とも符合する。(官僚が隠す沖縄海兵隊グアム全移転

 米国は、今からでもイラクやアフガン、イラン核問題などといった間抜けな自滅的戦争から足を洗い、中国包囲網を強化再編すれば、中国を東アジアの覇権国にすることを防げる。それなのにこの論文は、中国が東アジアの覇権国になることを防げない前提で、中国を苛立たせぬよう、米軍は日韓からグアムに退却するのがよいと、最初から負ける姿勢をとっている。米軍は表向き中国の脅威を喧伝するが、裏では中国の覇権拡大は防げないと言うだけでなく、米中軍事交流の中で「中国が空母を建造するなら米国が支援する」と米軍の将軍が言ったりしている。中国は、米国を押しのけて東アジアの覇権国になろうとしているのではない。米国が中国を地域覇権国の座に引っぱり出している。これは以前からの私の観察だ。今回の論文は、こうした米国の隠れ多極主義の傾向を改めて示している。(アメリカが中国を覇権国に仕立てる

(中国海軍はロシアから中古空母を買って2012年から空母利用の練習を開始し、15年には国産空母を完成させて本格利用を開始する予定だ。中国の空母保有はアジアの海軍のバランスを変える)(China's navy changing the game

 本論文では、鳩山政権が経験不足であるがゆえに日米同盟をぶち壊しかけたように書いてあるが、これはおそらく意図的な誤解である。鳩山政権(小沢一郎)の沖縄政策は2005年の沖縄ビジョン以来、周到に用意されてきたものだ。それがとりあえず破綻したのは、官僚機構(とその一部であるマスコミ)の反撃が予想以上に強かったためだ。米国が隠れ多極主義的なグアム移転を試み、それを日本側(自民党と外務省など)が阻止しようと「思いやり予算」を積み増す対米従属延命の構図を壊そうとしたのが鳩山政権であり、米国の隠れ多極主義に同調したため、日本の官僚機構に潰されたのが田中角栄や鳩山の失脚原因である。(日本の官僚支配と沖縄米軍

▼米中は話がついている?

 昨秋、普天間問題が持ち上がった後、中国の外交専門家と話す機会が何度かあり、私は、中国側が、在日米軍は最終的にグアムに移転すると考え、沖縄の米軍基地に対して傍観ないし寛容な姿勢をとっていることを知った。そのことと、今回のCNASの論文を合わせて考えると、米国が中国に、長期的に日韓の米軍基地をグアムに移す構想を伝え、中国側はその前提で自国の海軍戦略を立てているように思われる。米中間は、日韓の米軍がグアムに撤退することで話がついている観がある。

 米側はこの構想を、クリントン政権後半の1995年前後に立てたと考えられる。日韓は、当初から米軍が撤退していく方向性を知らされていただろう。韓国の金大中政権(98年から03年)が、北朝鮮に対する和解策を打ったのは、米国の対中譲歩構想への対応策だったとも考えられる。

 ニクソン政権時代の米国の隠れ多極主義戦略は、ウォーターゲート事件などで冷戦派(軍産複合体)に巻き返され、田中角栄は米軍産複合体からロッキード事件を起こされて失脚した。その教訓から、日本の官僚機構は、米中枢が暗闘状態で一枚岩でないことを重視し、米国の隠れ多極主義的な傾向を無視することにして、思いやり予算という賄賂で米軍の日本駐留を維持した。国内マスコミは、外務省発の歪曲報道によって日本人に実態を知らせないようにした。

 クーデター的な911事件の後、米国は軍産複合体の天下となったため、日本側は「米国は中露を封じ込める単独覇権主義を続ける」と思い込んだ。しかしその後イラクやアフガンでの過剰策の失敗で単独覇権主義が破綻し、ようやく日本でも対米従属の離脱を模索する鳩山政権が登場した。上述したように、日米の齟齬の発生は遅すぎたぐらいだとカプランは論文で書いているが、それも8カ月間の国内官僚との暗闘で潰れ、結局日本は思いやり予算の贈賄で在日米軍を引き留める策に固執している。

 カプランが指摘するように、中国が日韓を含む第1列島連鎖を自国の影響下に置くことを長期戦略としているとしたら、米軍をカネで引き留めておく今の日本のやり方が、この中国の脅威の拡大を避けることにつながるのかどうかを考えねばならない。その答えは、日本の対米贈賄策は間違っているということだ。カプラン論文に示されているように、すでに米国は「いずれ中国は軍事的に米国を抜かすので、早めにグアム撤退しておいた方が良い」と考える傾向を強めている。これは、裏を返すと「いずれ日本や韓国が中国の傘下に入るのはやむを得ない」と米国が考えていることになる。米海軍の司令官は「中国の影響力の拡大は良いこと(positive)だが、中国軍の透明性が確保されていないのが問題だ」と述べている。(US fears Chinese aggression in Pacific

 日韓を中国側に引き渡すという米国の帰着点がある中で、いくら在日米軍を今年、来年、再来年と引き留めても、それは日米同盟の未来が確保されたことにならない。日米同盟は、中国の拡大によって自然解消されざるを得ないというのが米国の認識であり、すでに述べたように、中国もそれを知っている可能性が高い。米国では「沖縄の2万人の海兵隊は、カリフォルニアの海兵隊と統合すべきだが、それを実行すると、この2万人の海兵隊はそもそも必要ないものだということが露呈するので、沖縄の海兵隊を米本土に戻せないのだ」という指摘も出ている。(Get Out of Japan by Doug Bandow

▼隠れ多極主義者は日本の反基地運動に期待?

 日本では、中国の軍事的拡大による脅威が喧伝されるが、中国の軍事的拡大を誘発しているのは米国である。「長期的に第1列島連鎖を米国が守り続けることはできないので日韓からグアムに移転する」と米国が言うことは、米国が中国に「頑張って軍事拡大して、第1列島連鎖を傘下に入れても良いですよ」と言っているようなものだからだ。米軍を買収して沖縄に駐留させ続けても事態の流れが変わるわけではなく、中国の軍拡は続き、財政難の米国は軍事縮小を続け、日本の経済成長が止まって米軍に贈賄できなくなれば、米軍は沖縄からグアムに移り、日本は無策で無知のまま放り出される。付和雷同者ばかりの対米従属論者は転向し、中国に尻尾を振り出すだろう。

 そんな事態になるぐらいなら、鳩山政権が提唱したように、中国との協調関係を早めに作り、同時に中国を良く分析して(中国の弱みを把握して)従属型の土下座外交ではない対等で自立的な関係を、日中間で締結する方がましだ。同時に、早めに軍事的な対米従属を脱し、有事の時には米軍に頼らず自衛隊のみで対応できるようにしておくことも必要だ。「外交」と「軍事」は表裏一体のものであり、外交で成功すれば軍事的解決(戦争)は必要ない。

 日本が米国とも中国とも対等な外交関係を持ち、自立した防衛力を持つことは、日本の外務省と防衛省にとって本領を発揮できる機会である。外交官や防衛政策立案者にとって、対米従属より自立体制の方がずっとやりがいがある。しかし実際には、戦後65年間の従属癖が染みついて自信がないのか、外務省は対米従属派の急先鋒だし、防衛省も対米従属色が強い。最近、日本の若手外交官の間に絶望感が強まっていると聞いたが、これは「日本には対米従属しかない」と思い込んでいるからだ。頭の良い人ほど、上司の指示をうまくこなすが、自発的な頭の切り替えが苦手なのかもしれない。

 それでは日本はもうダメかというと、そうでもない。変革は、高級官僚という「上」から起こるのではなく、草の根の市民運動という「下」から起こりうる。ウォールストリート・ジャーナル紙(WSJ)によると、日本における米軍再編の要諦は、グアム移転よりむしろ、米海兵隊が沖縄県の普天間基地から山口県の岩国基地に移転することである。しかし、沖縄で反基地運動が盛り上がった影響を受け、岩国でも反基地運動が盛り上がりそうで、神奈川県の厚木や横須賀といった首都圏の米軍基地周辺の反基地運動も盛んになる懸念があり、岩国市長など地元首長が基地利用の拡大に反対する傾向も強まりそうだという。これらの草の根の反基地運動が日本各地で同時多発的に盛り上がるという最悪の事態が起きると、日米安保同盟に致死的な悪影響を与えかねず(米軍が日本から撤退せざるを得なくなって)日本が軍事的に孤立する状況になりかねない、とWSJの記事は警告している。(The Real Futenma Fallout

 私のような裏読み好きからすると、こうした指摘は、米国側の「懸念」を素直に表現しているというよりも「こうなると多極化が進む」という隠れ多極主義的な「予測」や「期待」に見える。「人類の政治的な覚醒によって、国際政治体制が大転換する」というブレジンスキーらの隠れ多極主義的な期待は、どうも過剰な期待であり、人類はそう簡単には決起しない(嫌な事象を見ないようにして、我慢して生きてしまう)と、ここ数年の展開を見てきた私には思われるところもある。日本の人々はそんなに簡単に決起しないような感じもするし、マスコミの対米従属プロパガンダも強いが、逆にWSJの「期待」どおり、意外と反基地運動が全国的に盛り上がる可能性もある。まだ事態は動いている。



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世界経済多極化のゆくえ

2010年6月20日  田中 宇

 6月18日、ロシアのサンクトペテルブルグで開かれた「ロシア経済フォーラム」でメドベージェフ大統領が演説し、その中で「金融危機や国家財政破綻によって欧米中心の旧来の経済システムが崩れた後、それに代わる世界経済の新秩序を作るための主導的な役割を、他の諸国と共同して、ロシアが果たす」と述べた。(Medvedev sees opportunity for new world order)(メドベージェフ演説の動画

 メドベージェフはこの演説で、ドルだけが国際基軸通貨(備蓄通貨)である状況から世界を離脱させるため、中国やインドの首脳と、BRICサミットや上海協力機構などの場で話し合い、中国の人民元やロシアのルーブル、インドのルピーを基軸通貨にしていく話し合いをしていることも明らかにした。(Medvedev Talks Up Ruble as World Reserve Currency of the Future

 メドベージェフがこの手の提唱するのは今回が初めてではない。2008年秋のリーマンショックの直後から、彼は同じような主張を言い続けてきた。メドベージェフの主張は「米欧は巨大な金融財政危機の結果、単独で世界を支配していくことができなくなった。だから覇権を多極化し、中国やロシア(インド、ブラジル、EU、米国?)といった諸大国が共同で世界を運営し、複数の基軸通貨を持つ新世界秩序へと世界を転換しよう」という提案である。米国はこの提案を受けて、世界経済の意志決定を行う中心機関をG7からG20へと変えた。(Medvedev, Russia Call for New World Order November2008)(世界システムのリセット

 とはいえメドベージェフは、08年から09年にかけて繰り返していたこの主張を、その後しばらく発せず、今回は久々の「多極化節」の披露だった。メドベージェフは09年夏、ドルに代わる「世界通貨」の金貨(多極型の新世界秩序の通貨にふさわしく「多様性の中の統合」と刻印してあった)を試作してサミットに持参し、各国首脳に見せるというはしゃぎぶりだった。だがその後、米国の金融はレバレッジ再拡大の試みによって意外に延命し、今年は年初来のギリシャなどへの投機筋の攻撃によってユーロが崩れ、相対的にドルが延命する事態となっている。(Medvedev Shows Off Sample Coin of New `World Currency' at G-8

 メドベージェフは今回「人民元を国際基軸通貨のひとつにするための話し合いを、中国の首脳と行った」と明らかにしたが、それは昨年夏の上海協力機構のサミットで、もう1年も前のことだ。メドベージェフはさかんに基軸通貨の多極化や脱ドル化を提唱するが、中国は消極的だ。昨年のサミットでも、おそらく胡錦涛がメドベージェフの提唱を聞いて「貴国の提案は理解しました」と返答しただけだ。(Russia Backs Stronger Rivals to dollar

(中国人民銀行は6月19日、人民元のドルペッグをやめる方向を示したが、これはG20サミットで中国にドルペッグをやめろという圧力が欧米とBRICの両方からかかったため、批判をかわすために発した決定だ。転換の時期は明らかにされず、具体性に欠けている。人民元は3年ぶりに、ドルペッグから、ドルやユーロなどの通貨バスケットに対するペッグに戻るが、今はユーロ安であるため、むしろこの転換によって人民元の対ドル為替は下がるとの見方もある)(China forex move could thwart U.S. hopes - Roubini

 中国の人民元はドルにペッグしたままで、インドも政治的に対米従属の姿勢を崩したがらない。ロシアが旗を振っても多極化は進まず、メドベージェフももう多極化への提案をしないのではないかと、多極化ウォッチャーの私は思っていた。しかし、今回のメドベージェフの演説によって、ロシアがまだ多極化の構想を持っていることが示された。

▼多極化の行方を決めるのは米国

 今後、米国の金融システムが再生していくなら、メドベージェフの提案は、たわごととして消えていくだろう。だが逆に、米金融がこの先再び不安定さを増すとしたら、メドベージェフの提案が劇的に実現する可能性が出てくる。事態の行方を決定する要素は、ロシアや中国の側ではなく、米国の側にある。

 ここ数カ月、金融危機という言葉は米国ではなくユーロ圏の状況を示すものだったが、その影で、米金融の構造的な危険性の増加を示唆する動きが続いている。6月16日には、米政府系の住宅ローン金融機関の2社であるファニーメイとフレディマックが、ニューヨーク証券取引所で上場廃止になることが決まった。NY証券取引所では、株価が1ドル以下の相場が1カ月以上続いた銘柄を、資産価値がないと見なして上場廃止にするが、住宅金融2社はこれに該当した。(Update: Fannie, Freddie Delisting Signals Firms Have No Value

 米国では住宅価格の下落に歯止めがかからず、住宅金融2社の資産(ローン債権)は大幅に減価し、米政府の救済策(債務保証や資金供給)で何とか存続している。2社の不良債権は1兆ドルを超える。2社がなくなると米国民の多くが住宅ローンを組めなくなるので、政府や議会は2社を潰せない。上場廃止によって民間資金をあてにできなくなり、2社を国有化するしか手がなくなったが、それは米政府の財政負担を急増させる。(It's Time to Nationalize Fannie and Freddie

 6月18日には、グリーンスパン連銀前議長が「米政府が財政赤字を増やし続けると(どこかの時点で投資家が米国債に対するリスク感を急に感じるようになり)短期間で米国の長期金利が高騰し、そこから先、米政府は赤字を増やせなくなる。今はまだ金利は低いが、現状がずっと続くと慢心してはならない。米政府は、もう赤字を増やせないところに来ている」と警告する論文をWSJ紙に発表した。(U.S. Debt and the Greece Analogy By ALAN GREENSPAN

 グリーンスパンは赤字を増やすなと言うが、米政府はファニーメイなどを救済せざるを得ない。米国は失業率も上昇し、米政府が景気対策を再開しなければならなくなる可能性も高い。カリフォルニアなど財政破綻した各州への支援も増額せねばならない。財政赤字の削減はほぼ無理で、金利高騰の危険が高まる。ジョージ・ソロスも最近「世界金融危機の2幕目が始まりつつある」と指摘している。(Pension Plans Go Broke as Public Payrolls Expand)(Soros Says `We Have Just Entered Act II' of Crisis

 昨年からJPモルガンなどが画策してきた債券金融(ジャンク債市場)の再拡大も、うまくいかない可能性が増している。ジャンク債市場が復活すると、倒産しそうな企業でも資金調達が容易になり、倒産が減って景気が悪化しにくくなる。だが、ユーロ危機と米経済の不況二番底の懸念が増したため、ジャンク債に対する需要が伸び悩んでいる。今後の4年間で1・7兆ドルのジャンク債の借り換えが必要だが、それができない場合、米国で企業倒産と失業が急増し、景気が悪化する。(S.&P. Warns of Rising Corporate Defaults)(◆世界金融は回復か悪化か

 オバマ政権内では、債券金融の再拡大を嫌うポール・ボルカーの影響力が強く、金融界からの必死のロビー活動も今一つ効果がない。オバマは以前、JPモルガンの経営トップ(Jamie Dimon)と親密な関係だったが、ボルカーの力が強くなった今では、彼はオバマの晩餐会にも呼ばれなくなっている。(How Obama and Dimon Drifted Apart

 このように米経済は、バブル再燃の方向(金融再生)とバブル潰しの方向(金融不況)とのせめぎ合いが続いている。ロシアのメドベージェフは、こうした状況を横目で見ながら、米金融とドルが崩壊した時のために多極型の新世界秩序や複数基軸通貨制度を提唱し続け、ルーブルも基軸通貨の中に入ると宣言し続けている。

▼多極化に消極的だが準備している中国

 経済が強くない半面、欧米との地政学的な政治対決の中に置かれてきたロシアは、何とか中国を引っ張り込んで、欧米中心の従来の世界秩序を解体し、多極型に転換したいと考えている。だが、改革開放によって経済主導の国となった中国は、地政学的な事態より実体経済を重視する。実利的な中国は、米国と良好な関係を築きたいが、隠れ多極主義の米国は、中国が嫌がる問題を両国間に置き続けて関係改善を抑止し、中国をロシアの側に押しやっている。

 中国政府の外国為替管理局(SAFE)は先日、金地金市場に関して「市場の規模が小さすぎて流動性に欠け、相場が不安定なので(中国の国家)資産を運用する先として適当でない」と表明した。これは、金地金市場が毎日高値を更新する中で、世界的に資産がドル(株や債券)から金に移ることを中国政府が歓迎していないことを示している。中国政府は、ドルに崩壊してほしくないのだ。(China SAFE says Gold market too small for asset allocation

 中国がドルを支える背景には、中国が巨額のドル建て債権を持つこともあるが、それ以上に、ドル崩壊によって米国の覇権が失われると、世界が政治経済の両面で混乱し、中国が従来のように安上がりに経済発展できなくなるからだろう。貿易立国である中国は、米覇権の崩壊によってシーレーン防衛のコストが急増することを恐れている。太平洋に面した中国は、陸の大国であるロシアより、はるかに海路に依存している。

 中国は、多極化を推進していないが、多極化に対する準備は進めている。シーレーン防衛のための海軍力の急速な増強はその一つだ。日本や東南アジア諸国は、中国の海軍力拡大を恐れているが、ドル崩壊が起きて米国の海軍力が後退したら、その後のアジア諸国は、中国海軍と共同でシーレーンを守ることが必要になる。経済面では、前回の記事に書いた「労働争議による賃上げを黙認して内需拡大する」という件も、米欧が輸出市場として縮小する中での、多極化対応策の一つと考えられる。(◆中国を内需型経済に転換する労働争議

 中国は人民元の切り上げに消極的だが、その一方で、中国政府は6月17日、人民元建ての貿易決済を急拡大する方針を打ち出した。人民元建ての決済は従来、中国国内と香港とマカオの企業にしか許されていなかったが、今後はあらゆる国の企業が申請できるようになる。おそらく中国は今後、欧米や日本との取引にドル円ユーロなどを使う半面、BRICや途上諸国との取引には人民元を使う傾向を強めるだろう。(China expands yuan trade settlement programme

 メドベージェフ式に言うなら、ドル円ユーロの取引は「旧世界秩序」の経済圏で、人民元(やルーブル、ルピーなど)の取引は「新世界秩序」の経済圏になる。これは「欧米経済とは別の存在として新興市場経済が形成される」という「デカップリング」の一つの現象である。ドルの覇権は、旧世界秩序の範囲にのみ及ぶ。米日のマスコミや当局は、新世界秩序の存在をほとんど無視している。この先、ドルがずっと延命したり、中国経済が崩壊したりすると、新世界秩序の経済圏は拡大せず、縮小・消失するかもしれない。旧秩序の中にどっぷり浸っている日本からも、新世界秩序の存在が見えないままで終わる。しかし逆に米国の危機が再燃してドルが崩壊すると、日本と世界は大転換の中に投げ込まれ、新世界秩序が顕在化する。

 新世界秩序が拡大しなければ、ロシアはいつまでも石油ガスのみに頼る国であり続けるが、中国は事実上のドルペッグをしたまま経済成長を続ける(バブル崩壊があるかもしれない)。メドベージェフが提唱するとおり、旧世界秩序が崩れて新世界秩序が台頭すると、人民元は複数ある基軸通貨の一つとなる。日本は、鳩山・小沢が提唱していた東アジア共同体を再び模索するようになるだろう。多極化が進むかどうかは、中露の側ではなく、米国が経済面で危機を乗り切るか、それとも危機が再燃するかということにかかっている。



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中国を内需型経済に転換する労働争議

2010年6月14日  田中 宇

 中国・広東省などの工場で、労働争議が起こったり、職場環境の悪さが国際問題となった末に、従業員が3割から2倍という大幅な賃上げを勝ち取るケースが相次いでいる。(Chinese labour unrest spreads

 広東省の仏山市にある、変速機などを製造する本田技研工業の部品工場では、5月17日から賃上げを求める従業員のストライキが発生し、5月末にホンダは24%の賃上げを認めた。だが、ストの指導者が解雇されたことに労働側が怒り、その後もストが再発している。ホンダの仏山工場は、同社の中国の他の3つの工場に変速機などの重要部品を供給してきたが、仏山工場から変速機などが届かないため、ホンダは中国のすべての工場の稼働を停止する事態にまでなった。(New strike erupts at Honda plant

 世界不況をしり目に中国では自動車や二輪車の売れ行きが伸び、ホンダの中国での販売は、4月に前年同月比3割増の6万台弱だった。それだけに操業停止は同社に打撃だ。中国に進出している外国の大手製造業の工場が労働争議で操業停止に追い込まれたのは初めてのため、欧米の財界もホンダの争議を注視している。米国の自動車労組UAWは、重要部品の製造工場でストを行うことで、その会社のすべての製造ラインを止めてしまう戦術を得意としてきたが、仏山ホンダの労働者は、それと同じ巧妙な手法を採っており、今後の中国の労使関係の全体を変質させてしまうかもしれないと、米国で論評されている。(Honda Strike Becomes a Rallying Point in China

 ホンダの仏山工場では1600人の従業員の約半分が、月給500元(7千円弱)程度の低賃金の見習い工、残りの一般従業員も月給は1000元(1万3千円)ほどで、他の工場の中には、ホンダの賃金の2倍もらえるところもあると指摘されている。ホンダの仏山工場は、他業種の工場より低賃金で稼働することで利益を確保する戦略だったと報じられている。(Honda Strike Workers Propose Own Terms to End Protest

 6月1日には、自動車工場の労働争議が、仏山のホンダから北京の現代自動車の工場に飛び火した。ブラザー工業の西安の工業用ミシン工場や、上海近郊の台湾系の工場などでストが起こり、米国のヤム・ブランズ社が経営する瀋陽のケンタッキーフライドチキンやピザハットの68店舗でも、昨年12月以来の労働争議の末に3割の賃上げ(月給700元から900元へ)が実現された。(Labor woes spread to Beijing Hyundai)(Yum!'s KFC employees finally get long-awaited wage adjustment

 中国では08年から労働契約法が施行され、有給休暇を与えることを雇用者に義務づけたり、解雇の条件を厳しくするなど、労働者に対する保護が強められた。その後、中国の労働者は権利意識を強め、広東省や揚子江流域の工場で賃上げを要求する労働争議が起きるようになった。だが、そのほとんどは中国国内企業の工場で起こり、中国企業は地元の役所や共産党支部と良い関係にあることが多いため、争議はほとんど報道されず、外部に知られなかった。しかしここに来て、外国企業の工場で争議が頻発し、中国政府内にも賃上げ要求を容認する動きがあり、大騒ぎに発展した。(Is the Cheap Chinese Labor Party Quickly Coming to an End?

▼アップルなどがイメージ維持のため賃金倍増

 最近、仏山のホンダと並び、中国の内外で大きく報じられている中国の労働問題は、台湾の電子機器メーカー、フォックスコン(富士康)の、広東省深セン市にある龍華工場における、従業員の相次ぐ自殺についてだ。この工場は30万人が働く巨大なもので、そこで今年に入って未遂も含めて10件の従業員の自殺があった。中国の平均自殺率は10万人あたり14人前後(1999年の統計)なので、30万人の工場では年に40人程度の自殺者が出たとしても特に自殺が多いということにならないが、中国や欧米のマスコミでは、フォックスコンの労働環境が悪いので自殺者がたくさん出ているといった報道が5月から続出した。(Apple, and Foxconn's "Suicide Cluster"

「フォックスコンの自殺」が世界的に注目されたのは、この巨大な工場が、世界最大の電子機器の受注生産工場で、アップルのiパッドやiフォン、iポッド、ソニーのプレイステーション、任天堂のWii、デルやHPのノートパソコン、アマゾンのキンドル、モトローラの携帯電話、インテルのマザーボード、マイクロソフトのXbox360など、世界的に有名なメーカーの人気商品の躯体や電子基盤を作っていたからだ。フォックスコンは台湾の鴻海グループの一部で、鴻海(ホンハイ)は1970年代にコネクターなど電子部品のメーカーとして発祥した。(Foxconn From Wikipedia

 フォックスコンの自殺報道で特にビビったのはアップルだった。アップルの製品は、機能面だけでなく「かっこいい生活様式(ライフスタイル)」の一部として世界の人々の人気を博している。メーカーが環境保護、人権重視を守っていることと並んで、製造現場の労働環境が良いことが「かっこいい生活様式」の製品に必要だ(人権や環境を口実とした経済制裁などが、米英中心の世界体制を維持する米英の戦略を構成していることを考えると、こうした生活様式の希求は軽信の結果であり、偽善と気づかずに偽善をやっていることになるが)。(Apple "Saddened and Upset" By Foxconn Suicides

 アップルは、フォックスコンの労働環境の問題で、以前から濡れ衣的なイメージダウン攻撃をかけられてきた。深セン工場でiポッドを作っていた06年、労働虐待があるという通報があり、それが「iポッド搾取工場」と国際報道されて問題となり、アップル社が特別調査団を深センの工場に派遣した。結局、労働虐待の通報は無根拠だという結論になった(むしろ従業員が賃金を稼ぐために上限を超えて残業したがることが問題になった)。(Was Your IPod Made in a Sweatshop?

 08年には、iフォンの試作品が外部に流出した問題で、調査を受けた従業員の一人が飛び降り自殺したため、また「下請けの中国工員を自殺に追い込むアップル」的なイメージ報道が世界的に広まりかけた。そして今回、iパッドの世界的ブームの最中に、再びフォックスコンの自殺問題が過大に持ち上がっている。(Foxconn employee committed suicide over iPhone leak interrogations?

 フォックスコンは、アップルなど欧米日の元請け各社が求める労働環境の維持と、受注価格の安さとの間で板挟みになってきた。フォックスコンが受注製造で急拡大した理由は、受注価格が安いのに製品の不良率が低かったからだ。フォックスコンの経営者である郭台銘は、iフォンの製造を当初利益ゼロで受注したとされる。受注価格の安さは低賃金につながるが、不良率の低下は工場内での従業員に対する厳しい監督を必要とする。低賃金で労働効率を上げ、しかも労働環境も良くするのは難しく、軍隊式の訓練も行われているといわれる。フォックスコンは毎年アップルやマイクロソフトより多額の利益を計上している。(Why Apple is nervous about Foxconn

 すでにiパッドは世界的な入荷待ち状態になっており、アップル社はフォックスコンでの製造体制を崩せない。フォックスコンは、今回の自殺騒動を受け、従業員の待遇改善として賃金を2倍にする(約千元から2千元へ)ことを決めた。賃上げによるコスト増は、アップルなど米欧日の元請けメーカーが負担するという。(Foxconn raising factory salaries again

 今回のフォックスコンの案件が特異なのは、仏山ホンダなどと異なり、フォックスコンの従業員は争議を起こしていないことだ。欧米のマスコミが「アップルの搾取工場」などと騒ぎ、窮したアップルなど元請け各社とフォックスコンが対策として従業員の給料を倍増した。

▼争議拡大をむしろ煽る中国政府

 ホンダもフォックスコンも、中国の工場は労賃の安さを使った薄利多売の事業型だった。これまで中国に工場を作る欧米日の企業の多くは、この事業型だった。ところが、ホンダもフォックスコンも3割から2倍という大幅な賃上げを余儀なくされ、この余波で他の中国進出企業の工場でも早晩賃上げが必要になるだろうから、低賃金労働を当てにして中国に工場を作る事業型は今後、続けられなくなっていく可能性が高い。中国では一人っ子政策の影響で、若年労働者の数がしだいに少なくなり、広東省の工業地帯(珠江沿岸)の工場の9割が人手不足を訴えている。その面からも、低賃金労働型の工業生産は中国で望めなくなっている。(As China's Wages Rise, Export Prices Could Follow

 賃上げが全中国の工場に広がったら、中国は「世界の工場」であり続けられなくなり、経済破綻しかねないので、どこかで中国政府が抑圧に入り、天安門事件的な労働争議の弾圧が起き、中国は政治混乱していくと、考えられないこともない。しかし実際には、中国政府は労働争議を止めるどころか、むしろ逆に争議や賃上げを煽っている。

 中国各地で増えている労働争議の主導者たちは携帯電話や、ネット経由のチャット(QQ <URL> )を使って情報交換し、戦術を教え合い、賃上げ要求額を横並びに設定して要求を通りやすくしていると、人民日報傘下の環球時報などが報じている。だが中国政府は、国民の携帯電話やインターネット利用を傍受できる態勢にあり、労働争議の主導者たちを検挙して拡大を阻止することは簡単だ。中国政府がそれをしないどころか、共産党系の環球時報が「労働者は覚醒し、新たな情報交換の技術を活用し、発言力を強くしている」などと、スト参加者の方を持ち上げている。(Strikes call for collective bargaining - is there change ahead for China's workers?

 6月2日の環球時報の社説は「この30年間の改革開放の中で、経済拡大の恩恵に最もあずかっていないのは、一般の工員だ。これまで中国では労働者の権利が十分に保護されていなかった」「先進国の労働者は頻繁にストライキをやる(だから中国人がやるのは不思議ではない)。今の中国に必要なのは、労働側と企業側をうまくつなぐ仲裁機関である」とも書いている。(Strikes call for collective bargaining

 この社説を見てFT紙は「中国政府が、報道機関を通じて賃上げを容認した。中国が低賃金労働に頼る労働集約型産業によって発展した30年間の一時代が終わった」という趣旨のことを書いている。(Change is clearly afoot in China

▼賃上げと内需拡大、人民元ドルペッグの関係

 中国は、欧米や他の新興諸国から「輸出主導型の成長体制から内需で経済成長する体制に、早く転換してほしい」と圧力をかけられている。従来、圧力をかけるのは欧米だけだったが、今年4月のBRICサミットでは、ブラジルやインドが、中国に内需拡大と人民元切り上げを求めた。これまで、世界最大の輸入消費国だった米国の消費力が、不況と失業増で弱まり、中国が輸出大国でありつづることは不健全だと、世界の多くの勢力が考えるようになっている。(Filling the US-China gap

 中国が内需を拡大する手法として、低所得層である出稼ぎ労働者の賃金を引き上げることは効果がある。国家主席の胡錦涛は4月の演説で、内需を拡大するには国民所得を上げるしかないと示唆している。生活におおむね満足している中産階級と異なり、低所得者層は買いたいものがたくさんあるから、賃金を2倍(100%の賃上げ)にすると、彼らの消費は70−90%増えるとされる。中国の内需を拡大するなら、大都市のホワイトカラーではなく工場の出稼ぎ労働者の大幅賃上げが良いわけだ。(Pay-rise time for China's workers

 急激で広範な賃上げは、インフレを激化させる。中国のインフレは3%台という危険水域に入ろうとしている。しかしインフレの原因には、人民元がドルペッグしているため、ドルが他の主要通貨(国債危機のユーロ以外)に対して安くなる傾向の中で、中国が輸入する物資の価格が上がっていることもある。広範な賃上げを容認した中国政府は、近い将来に人民元の対ドル為替の切り上げをするつもりなのかもしれない。(China consumer price rise picks up pace

 中国から世界への輸出は4月に前年同期比で50%も増えた。対米輸出は44%増だ。人民元切り上げを要求する急先鋒でもある米議会は、今秋に中間選挙を控え「中国の対米輸出が米国の雇用を奪っている」というお得意の論法を強めそうだ。これまで中国政府は「外国から圧力をかけられるほど、人民元の切り上げをしたくなくなる」と豪語してきたが、世界の貿易不均衡をひどくしているとなれば、新興諸国の雄として、この態度をどこかで転換せねばならない。今回の賃上げ容認は、こうした転換の布石かもしれない。(China export surge stirs US anger)(The Rise of Chinese Labor

 中国政府は、労働争議などの結果としての賃上げを容認するという受動的なやり方ではなく、低賃金労働に頼った経済構造を転換すると宣言し、最低賃金の引き上げなどを堂々とやることもできた。そのようにしなかったのは、各地の企業と地方政府との癒着が強すぎて、北京の政府が賃金引き上げの音頭をとることができないからと考えられる。

 企業の多くは、低賃金を武器に低価格で製品を作って利益をあげており、賃金の引き上げをしたくないので地方政府に贈賄や納税をして賃金上昇を止めている。だから北京の政府が音頭をとっても賃金は上がりにくい。中国にも労働組合は存在するが、共産党の地方支部の傘下にあり、地方政府が企業からの賄賂の結果として賃上げしたくなければ、組合も動かず、むしろ組合外のストライキを取り締まる。

 フォックスコンやホンダの賃上げの話は、中国のマスコミでたくさん報じられている。北京の政府は、争議を黙認し、マスコミ報道も容認し(しかし数日間の連日の報道の後、ぱったり報道が止まったりする)、時には労働者の権利を擁護する社説まで書かせ、下(草の根)から労働争議を拡大した観がある。労働者が組合や党支部に頼らず賃上げを実現したら、共産党が「労働者のための党」である以上、その後は組合も党支部も、賃上げを「良いこと」と認めざるを得ない。フォックスコンの賃上げに合わせるかのように、同工場がある深セン市は7月から最低賃金を10%引き上げて1100元にすることにした。(フォックスコン(富士康)関連の簡体字中国語の記事一覧)(China on the brink of huge social changes

 草の根からの運動を扇動して国家の政策を転覆するやり方は、毛沢東が1960年代に学生を「紅衛兵」として決起させて文化大革命を起こしたのと同じ手法だ。(草の根を扇動して国政を動かすやり方は、意外にあちこちで隠然と行われている。日本の小沢一郎も、沖縄県民を決起させて、米軍基地を沖縄から追い出して、日本を対米従属をやめる方向に持っていこうとした。とりあえずは頓挫しているが)

 アップルはグーグルと並ぶ、米国の世界的な著名企業だ。今年初めのグーグルの検索制限問題は、米国の反中国派(もしくは隠れ多極主義者)がグーグルを巻き込んで起こした米国発の事件という感じだか、逆に今回アップルが巻き込まれたフォックスコンの自殺賃上げ騒動は、中国発の事件という感じがする。(グーグルと中国

▼汪洋広東省党書記の発案か?

 中国政府が賃上げを容認し、低賃金労働型の産業体制を終わらせようとしているという話で、私が思い出したのは、08年11月に広東省党書記の汪洋(ワン・ヤン)が「低賃金労働に頼った労働集約型産業は、広東省で成り立たなくなりつつある。広東省は薄利多売の労働集約型ではなく高付加価値のハイテク産業を育てねばならない」と2度にわたって表明したことだ。当時リーマンショック直後の世界不況が起こり、中国政府は労働集約型の中小の加工組立輸出メーカーを保護する政策を打ち出したが、汪洋は「労働集約型の中小加工組立業を潰れるに任せ、ハイテク産業育成の好機とすべきだ」と主張し、温家宝首相ら北京政府と真っ向から対立した。(Regions won't dance to Beijing's tune

 それから1年半が過ぎ、汪洋が党書記を続けている広東では、ホンダやフォックスコンの賃上げを通じて、労働集約型産業が主導の時代が終わり始めている。そして汪洋が主張した「ハイテク産業育成」の戦略に沿うかのように、中国政府は昨年から、国内企業の研究開発や発明を奨励している。中国政府が風力発電を奨励した結果、風力発電機の工場が中国各地に乱立し、生産過剰になるなど、中国らしい「土法高炉」「人海戦術」型の失敗も招いているが、労働集約型から脱皮する試行錯誤の一つとして見ると興味深い。(米国の前政権が奨励したエタノール精製所の供給過剰など、他国も中国を笑えないし)(China's wind power has faulty connection)(Geithner softens his stance on China)(Ethanol dream evaporates

 このほか、以前の記事に書いたように、中国のアパレルメーカーは、国内ブランドの創設に力を入れている。まだ販路は地方の中小都市だけで、大都市の人は「国内ブランドなんてダサい」と思っているようだが、これもいずれ変わるかもしれない。(中国のバブルが崩壊する?



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ロシアと東欧の歴史紛争

2010年6月11日  田中 宇

 ロシアのプーチン首相とメドベージェフ大統領が、スターリンを批判する姿勢を強めている。プーチンは、6月10日からのフランス訪問を前に仏マスコミのインタビューに応じ、その中で「ロシア社会は成熟したので、もはや1930年代、40年代、50年代の個人崇拝の惨事を繰り返すことはあり得ない」と表明した。「個人崇拝の惨事」とは、スターリンが1953年に死ぬまで続いた独裁体制によって、ソ連でひどい人権侵害や言論弾圧、経済の失敗などが続いたことを指している。(Putin says cult of personality cannot happen in Russia again

 プーチンは4月7日には、ロシア西部のスモレンスク郊外で行われた「カチンの森虐殺事件」の70周年記念式典に参加し、そこでもスターリン批判を行った。ロシア首脳がカチンの森の虐殺現場を訪れたのは、これが初めてだった。カチンの森虐殺事件は、1939年9月にドイツがポーランドに侵攻して第二次大戦が始まり、その2週間後にドイツと秘密協定を結んでいたソ連がポーランドの東半分を併合した時、ソ連はポーランドの国力を削ぐため、2万人以上のポーランド人の将校、技術者、弁護士、教授などをソ連に拉致してスモレンスクなどの収容所に入れ、翌年4月にスモレンスクの近くのカチンの森で、彼らを皆殺しにした事件だ。(Katyn massacre From Wikipedia

 事件を受けてロンドンのポーランド亡命政府はソ連と断交したが、事件の翌年にソ連は米英に誘われて寝返り、対独宣戦したため、ソ連は「カチンの森の殺害はドイツがやったものだ」と言い、米英も参戦してくれたソ連に気を使ってカチンの森事件を黙殺した(カチンの森事件を以前から問題にしてきたブレジンスキーは最近、この米英の偽善性を指摘している)。戦後、米ソ冷戦が始まるに及んで、米英はカチンの森事件でソ連を非難し始めた。ソ連はドイツ犯人説を貫いたが、冷戦終結直後の90年に、ゴルバチョフ書記長が、カチンの森事件はソ連軍が殺したことを認めた。(Katyn Massacre Conference Held

 4月7日、ポーランドのタスク首相も招待してカチンの森虐殺の70周年を記念する式典に出席したプーチンは、記念碑の前でひざまづき、犠牲者に対する祈りを捧げた。プーチンはこの日行った演説の中で、ソ連を「非人道的な全体主義」と形容し「この犯罪行為(カチンの森虐殺)は、決して正当化できるものではない」と述べた。(Putin Gesture Heralds New Era in Russian-Polish Relations

 ポーランド人の多くは、ソ連の後継国であるロシアの首相であるプーチンがカチンの森虐殺について謝罪すべきだと考えたが、プーチンはそうした立場をとらず、カチンの森ではポーランド人だけでなくソ連国民も殺されたことを指摘し、当時のソ連の上層部の責任としてスターリンを非難した。プーチンは以前、ソ連が崩壊してロシアが強国でなくなったことを残念がる姿勢をとっていただけに、ソ連を非人道的な全体主義と批判したことは、大きな転換だった。スターリン的な独裁者と揶揄されることが多いプーチンが、スターリンを批判したことを意外さをもって受けとめる向きもあった。(Putin pays tribute to Stalin's Katyn dead

 5月9日には、モスクワで例年行われる対独戦勝記念日の軍事パレードが行われたが、今年は初めての試みとして、ポーランドや米英仏といった連合諸国の軍隊が招待され、モスクワの赤の広場をパレードした。これに先立つ5月8日には、メドベージェフ大統領が、スターリンらがカチンの森殺害をどのように実行したかについてロシア当局が1990年代から調べ続けてきた調査結果の67巻にもおよぶ報告書を、ポーランド側に手渡した。そこには、カチンの森での虐殺が、スターリン側近で粛清・虐殺担当だったベリヤが立案し、スターリンが認可して実施されたものであることを示す当時の機密文書も入っていた。この日、新聞のインタビューを受けたメドベージェフは「スターリンは自国民に対してもひどい犯罪をおかした」と発言した。(Russia Has Trouble Escaping the Past

 ポーランド側は以前、カチンの森事件をソ連全体の犯罪と非難してきたが、最近ではスターリンやベリヤといった当時のソ連首脳が独裁的に決定したことで、しかもスターリンもベリヤもロシア人ではない(2人ともグルジア人)ので、ソ連崩壊で生まれ変わったロシアの現国家や現政権には責任がないという態度をとる傾向が出てきている。そこに合わせるように、ロシア側でプーチン首相やメドベージェフ大統領が、カチンの森事件をスターリンの犯罪と位置づけで批判する態度をとった。その結果、ロシアとポーランドは政府間で歩み寄り、ポーランド軍がモスクワでの戦勝記念パレードに参加する流れとなった。

▼歴史歪曲と戦うロシアの不器用さ

 とはいえ、ソ連やスターリンをめぐる歴史の問題をめぐる最近の展開に、関係国のすべての人が納得しているわけではない。ロシアでは戦勝記念日の前に、カチンの森虐殺を題材にした映画が初めて国営テレビで放映された。これはロシア政府が国民を啓蒙しているとポーランドに思わせる効果を狙ったものかもしれないが、ポーランド側で「ロシアで放映したのは、見る人が少ない文化専門チャンネルだった」と揶揄する声が出た。(Putin Gesture Heralds New Era in Russian-Polish Relations

 プーチンはソ連時代、スターリンやベリヤ以来の伝統を受け継ぐ諜報機関KGBで働いていただけに、スターリン批判に抑制がかかっているが、もっと若いメドベージェフは、歯に衣を着せぬスターリン批判をすることで知られている。だがメドベージェフがスターリンを批判したのは、ウェブ上の録画映像や新聞インタビューであり、公開された生中継の場ではなく、この点で腰が引けているという指摘もある。(Stalin Controversies Abound in Victory Day Run-Up

 ウクライナや米国の右派の間では、1932−33年にスターリンの政策の失敗の結果として起きた大飢饉について、スターリンが反ソ傾向のあるウクライナ人を大量に殺すために意図的に飢饉を起こしたもので、これは虐殺(Holodomor)だという考え方が広がっている。ロシア側は、こうした考え方を否定し、同時期にはウクライナ以外のソ連各地で飢饉が起きたと指摘している。(Russia sets up commission to prevent falsification of history

 従来の公式な世界史では、ソ連は米英に協力してドイツや日本と戦い、対独戦で多数の戦死者を出しながらも、世界がナチスや日本の全体主義に支配されることを防ぎ、人類の平和に貢献したことになっている。しかし、東欧バルト三国のエストニアやラトビアでは、ドイツの占領から「解放」されてソ連邦に組み込まれた後の方が、ひどい人権侵害や政治弾圧を受けたとして、第二次大戦でのソ連の功績そのものを否定する歴史観が勃興している。バルト三国では、ソ連時代に中心街に作られた戦勝記念碑を目立たない場所に移動させたり、ソ連よりナチスの方が良かったと主張する集会が開かれたりしている。

 ロシア政府は、これらの歴史観の改定を「ロシアを攻撃するためのもの」と非難し、メドベージェフ大統領は昨年5月に「ロシアの国益を損ねる歴史歪曲の試みに対抗する委員会」を諮問機関として作り、東欧諸国の反露的な歴史観の改定戦略に対抗する姿勢を見せている。米国の右派や東欧勢は「ロシアこそ歴史を歪曲している」と言うが、私から見ると、世界で最も巧妙に歴史を歪曲するのは英国系(アングロサクソンとユダヤの連合勢力)である。ロシアはむしろ、すぐにばれる歪曲しかできない。諮問機関の設立自体が、ロシアの不器用さを物語っている。(Presidential Commission of the Russian Federation to Counter Attempts to Falsify History to the Detriment of Russia's Interests From Wikipedia

▼オバマに捨てられたポーランドに近づく

 ロシアと東欧諸国の間で、歴史認識の対立が起きている背景には、2000年のプーチン登場以来のロシアの復活がある。ソ連崩壊後、東欧諸国は、ロシアの影響圏から脱せると思っていたのに、近年ロシアが復活して優勢になり、それに対抗するため、東欧諸国は、ロシアを認めない歴史観の押し出しを強めている。

 2000年にプーチンが首相に就任して権力を握るまで、冷戦後のロシアは経済をオリガルヒ(新興財閥)に私物化され、98年にはアジアから飛び火した通貨危機も起こり、弱体化していた。だがプーチンは、オリガルヒを逮捕したり傘下に入れたりして弱体化し、政府系のエネルギー会社に利権を再集約し、天然ガス供給を武器にウクライナや欧州諸国に対して強い立場を取れる体制を作った。米国は、ロシアの影響圏に隣接するアフガニスタンやイランに対する戦略を成功させるため、ロシアに譲歩する傾向を強め、国際政治の中でロシアの立場が強くなっている。(プーチンの逆襲

 98年のロシア通貨危機から03年のイラク侵攻後ぐらいまで、ロシアは弱体化し、米国はテロ戦争を口実に単独覇権主義を振り回して強気だった。ポーランドなど東欧諸国や、ウクライナ、グルジアなどの旧ソ連諸国は、この流れに便乗し、反ロシア的な姿勢を強め、米国のロシア包囲網の橋頭堡として機能しようとした。しかしその後、プーチンの巻き返し戦略が功を奏してロシアが盛り返し、上海協力機構やBRICとしての中露の結束が強まり、米国はテロ戦争が失敗し、独仏中心のEUもロシアに融和的な態度をとるようになった。東欧や旧ソ連の諸国は劣勢になり、反露的な歴史観を強めた。

 ロシア政府は、東欧諸国の反露的な歴史観を強く非難する一方で、ポーランドに対しては、カチンの森虐殺をめぐるプーチンやメドベージェフの対応に見られるように、昨年から歴史観の面で融和的な態度をとっている。ロシアがポーランドに融和的なのは、ポーランドが東欧諸国の中で最も反ロシア的であり、英国にそそのかされてポーランドがドイツに挑戦的な態度をとった結果、第二次大戦が起きたことなど、歴史的にもポーランドが英米の傀儡として独ソに楯突く傾向をもっているためだ。

 しかも現在のポーランドは、ロシアに融和的な米オバマ政権から疎遠にされ、欧州人の多くが「オバマはブッシュより良い」と思っているのに、ポーランド人だけは「ブッシュの方が良かった」と思っている。英国も財政難で国力が落ち、ポーランドは米英に頼りにくくなっている。ポーランドは、米国のイラク占領に協力して派兵したが、結局ほとんど何も見返りを得られなかった。イラク侵攻そのものが米国による戦争犯罪と見なされる傾向が世界的に強まり、ポーランドは損だけ被った。(Poland Presses US to Keep Missile Shield Pledge

 ポーランドは、ブッシュ政権の米国がポーランドに迎撃ミサイルを配備することを許し、ロシアを激怒させたが、オバマ政権になって米国はポーランドへの配備をやめてしまった。しかもオバマは、昨年9月17日という、第二次大戦のソ連のポーランド併合から70周年の記念日をわざわざ選んで、ポーランドへの迎撃ミサイルの配備をやめると発表した。これは二重の意味でポーランドにとって屈辱であり、危機だった。(Cohen: Poland and NATO

 ロシアはこのすきにポーランドに近づき、カチンの森事件やスターリンに対する歴史観を両国間ですり合わせて歴史観の対立を解消し、ポーランドを米英側から引き剥がして取り込もうとしている。プーチンは、ポーランドを迂回し、北海の海底にドイツまで天然ガスパイプラインを敷設する「ノルドストリーム」構想を持っていたが、ポーランドや北欧諸国から、北海の環境汚染を口実に阻止されており、この点でもポーランドの反露的な態度を崩すことがロシアにとって必要だった。

▼歴史論争してすり合わせる欧州諸国

 昨年9月1日、オバマがポーランドへの迎撃ミサイル配備をやめると発表する2週間前には、ポーランドの北部の港町グダニスクで、第二次大戦の開戦から70周年を記念する式典が開かれ、ロシアのプーチン大統領が、ドイツのメルケル首相らとともに出席した。プーチンのグダニスク訪問は、今年4月のカチンの森虐殺記念式典への出席と並ぶ、ポーランドとの歴史問題を乗り越えるためのプーチンの外交攻勢だった。(A Good Treaty - From Gdansk to Katyn

 ポーランドは「第二次大戦の責任はドイツだけでなく、ソ連にもある」と言い続けてきた。ソ連は、ドイツと1939年の独ソ不可侵条約の秘密付属文書でポーランド分割を密約し、40年9月1日にドイツがポーランド侵攻すると、2週間後にソ連がポーランドの東半分を併合し、その時にソ連に拉致した2万人のポーランド人を半年後にカチンの森で殺した。

 ソ連はこれまで、ポーランドの主張を受け止めなかったが、昨年9月のグダニスク訪問前、プーチンはポーランドの新聞に寄稿し「第二次大戦を起こした原因は、1939年の独ソ不可侵条約だったと認めざるを得ない」と、ロシア首脳として初めて、ポーランドの主張を受け入れる姿勢を示した。とはいえプーチンは寄稿の中で「(ドイツの拡張主義を生んだ)遠因は(第一次大戦で負けたドイツに対し、英仏が過大な賠償を負わせた)ベルサイユ体制にあった」と、返す刀で英仏を批判した。(Putin: Pages of History - Reason for Mutual Complaints or Ground for Reconciliation and Partnership?

 加えて「ソ連がドイツと不可侵条約を結ばねばならなかったのは、英仏がドイツに譲歩してドイツ軍がロシアを攻めるように誘導したことに、ソ連としてやむを得ず対抗する必要があったからだ。ソ連はアジアで日本とも対峙せねばならず、ドイツと戦争する余裕がなかった」とも主張した。プーチンはまた「英国が、ドイツが攻めてきたら英国が対独宣戦布告してやるから頑張ってドイツに対抗せよとポーランドをそそのかしたのが大戦の一因だ」とも示唆した。プーチンは演説の中で「ソ連が、理由はどうあれ、ナチスのような過激な勢力と組んだことは悲劇だった」と、今年のスターリン批判の下地となる発言もしている。(History Becomes a Battlefield as Putin Flies Into Poland

 プーチンは、歴史に関するポーランドの主張を受け入れつつも、相手の歴史観をすべて受け入れるのではなく、反論したり、英仏の責任を指摘したりして、論争を残しつつ、歴史観のすりあわせを行っている。昨年9月1日のグダニスクでは、ドイツのメルケル首相も、戦争でポーランド市民を殺したことと、ホロコーストについてあらためて謝罪する一方で、戦争によって多くのドイツ人がポーランドやチェコから追放されたと、敗戦国らしく少しだけ自己主張をした。ポーランドの民族派は、メルケルのこの発言を「不穏当だ」と罵った。敗戦国は永遠に黙って土下座してろということだ。('Putin Found the Right Words in Gdansk'

 ロシアと東欧との歴史論争について、独仏など西欧諸国はほとんど黙っている。だが実は、ロシアと独仏とは、すでに話がついている。独仏は、少し前までのポーランドが米国の単独覇権主義に乗って反ロシアの好戦的な態度を採っているのを警戒感を持って眺めていた(ポーランドの軽信的な冒険主義は、英国に扇動されて第二次大戦を誘発してしまった時から、ブッシュの米国に誘われてロシアを標的にする迎撃ミサイル配備を決めた時まで、懲りずに変わっていない)。(Poland to Meet on Missile Shield, Boosting Relations With Russia

 EUは08年から、反露的なポーランドやウクライナ、バルト諸国に対し、ロシアと和解するように勧めていた。ロシアが昨年来、ポーランドと歴史問題ですりあわせを行い、プーチンがグダニスクやカチンを訪問し、ポーランド軍が赤の広場で戦勝パレードに参加することを、独仏は歓迎している。(EU Asks Poland, Lithuania to Back Russia Talks

 ロシアは最近、北欧のノルウェーとも、冷戦時代から続く北極圏の海上の国境線紛争を40年ぶりに解決し、本格的に冷戦の体制が脱却しようとしている。プーチンやメドベージェフのスターリン批判と合わせて考えると、冷戦後20年たって優勢になってきたロシアが、米英の弱体化を横目で見ながら、欧州との脱冷戦型の協調関係を本格的に模索し始めたことがうかがえる。(Russia hits the reset button, but will it last?

▼カチンスキ大統領墜落死の考察

 ここからは余談になるが、今年4月10日、プーチンがカチンの森を訪問した3日後、カチンの森を訪問しようとしたポーランドのカチンスキ大統領の一行約90人が、専用機のスモレンスク空港への着陸失敗・大破によって全員死亡する事故が起きている。カチンスキは反ロシアの政治家で、彼らが乗っていたのがロシアのツポレフ機で、スモレンスクがロシアの空港であることから、ポーランドなどでは、これを「ロシアがやったんだ」と見る向きがある(スモレンスクは国境近くにあり、航空管制は隣国ベラルーシが担当しているのだが)。(Poland's Jaroslaw Kaczynski does not trust Russian authorities

 しかし、ポーランドと和解して外交的に取り込もうとしているロシアが、カチンスキを殺そうと考えるとは思えない。むしろ逆に、反露勢力の代表であるカチンスキを取り込んでポーランドと和解するのがプーチンのシナリオの一つだった可能性が高い。カチンスキの葬儀には、ちょうどアイスランドの噴火で航空路が絶たれ、欧州の国家元首の多くが参加できなかった中で、ロシアからプーチンとメドベージェフの両方が参列している。(Russia Has Trouble Escaping the Past

 カチンスキを暗殺する動機はロシアではなく、ポーランドとロシアの和解を阻止した方が地政学的に望ましい英国のMI6あたりの方が多く持っている。墜落した日は濃霧で、航空管制官は、危険だから着陸せず他の空港に行けと飛行機に指示していたが、カチンスキの飛行機は無視して4回着陸を試み、4回目に濃霧で先が見えない中、間違って滑走路でないところに着陸しようとして、木々の先端に羽がぶつかって墜落した。自損事故の可能性が高い。ポーランド流に考えるなら、こうした発表のすべてがウソであると思うべきなのかもしれないが。(Polish President Lech Kaczynski dies in plane crash



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北朝鮮と並ばされるイスラエル

2010年6月4日  田中 宇

 5月28日、ニューヨークの国連本部で1カ月近くにわたって開かれていたNPT(核拡散防止条約)の5年に一度の見直し会議が終わり、最終文書(final document)が可決された。そこには「中東非核化」の一環として、核兵器を持ちながらNPTに加盟していないイスラエルに対し、NPTへの加盟とIAEA(国際原子力機関)による核査察の受け入れを求める項目が盛り込まれた。28ページからなる最終文書の26−28ページに、中東非核化とイスラエルに対する要請について、特別に項目が立てられている。この項目を入れることを主張したアラブなど途上諸国と、項目を入れることを渋った欧米が最後まで対立したため、いつでもこの項目を外せるよう、末尾につけられていたのだろう。(NPT 2010 Review Conference draft final document (PDF)

 この最終文書では、イスラエルのほか、北朝鮮(3、28ページ)、インド・パキスタン(15ページ)が批判されているが、私が読んだ限りでは「イラン」という文字は一度も出てこない。イスラエルは、北朝鮮と並んで繰り返し批判されている。イスラエルは今や、北朝鮮と並ぶ「悪」に指定されている。イランの「核兵器開発疑惑」は濡れ衣だった観が強まっている。

 いつもは徹底的にイスラエルの味方をして、イスラエルに不利な国連決議に拒否権を発動して葬り去ってきた米国は、異例にも、今回のNPT最終文書に賛成した。中東非核化は、オバマが就任以来取り組んできた「世界非核化」の戦略の不可欠な要素である。一昨年、非核化を実現する前にノーベル賞をもらってしまったオバマ大統領は、NPTの最終文書に反対して潰すわけにいかず、しかたなく賛成したのだと報じられた。(Iran narrowly wins UN nuclear battle

 オバマは、イスラエル非難を含むNPT最終文書に賛成した後で「イスラエルを名指しで批判する最終文書に対し、強く反対する。イスラエルの国家的な安全をおびやかす動きには、強く反対する」という声明を発表した。「そんなに反対なら、最終文書に賛成しなければ良かったのに」「オバマは世界非核化で後世に自分の名を残すためにイスラエルを犠牲にした」と、イスラエルの新聞で批判された。(U.S. sacrificed Israel for success of NPT conference

 オバマは、秘密裏にイスラエルに対して「米国はNPT最終文書に同意するが、イスラエルは核兵器を持ったままでかまわない」と確約したとも報じられている。だが、裏がどのようになっていようが、表の世界でイスラエルが米国を含むすべてのNPT加盟国から非難されたことは決定的だ。(Obama Made Secret Pledges to Israel Over NPT

 NPT最終文書では、イスラエルが名指しされた半面、イランに対する批判は一言も載らなかった。「イランは核兵器開発している」と以前から叫んできたイスラエルは「イランを非難しない偽善的なNPT文書など、無視してかまわない」と表明し、NPT加盟を拒否した。だが、実はイランが核兵器開発している話は、イスラエルが米欧を脅して同調させてきた濡れ衣である。偽善なのは、NPT文書ではなく、イランに濡れ衣をかける一方で自国は核兵器を何百発も持ってきた従来のイスラエルの戦略の方であり、その偽善の化けの皮がようやくはがれたのが、今回のNPTである。(Report: Nuclear forum to ignore Iran, urge Israel to sign NPT

▼タイミング良く出てくる核兵器の暴露

 NPT会議でイスラエルの核に関する議論が進んでいた5月下旬には、英国の新聞が、イスラエルが1975年にアパルトヘイト時代の南アフリカに核兵器を売っていたことを示す機密外交文書を暴露した。機密文書は南アのもので、南アのボタ国防相(のちに首相、大統領。アパルトヘイト政策の推進者)が、イスラエルのペレス国防相(のちに首相、大統領)と交渉し、南アがイスラエルから核弾頭を買う話をまとめた時の議事録などだ。南アは翌76年に核実験を行い、6発の核弾頭を持ったが、アパルトヘイト廃止直前の89年に核を廃棄した(アラブ人たちは、南アが廃棄した核物質がイスラエルに戻されたと考えている)。(Revealed: how Israel offered to sell South Africa nuclear weapons)(South Africa and weapons of mass destruction

 この文書の存在は以前から知られていたが、その内容が暴露されたのは初めてだった。NPTでイスラエルの核兵器保有が非難されるのと時機を合わせて出てきた「イスラエルがアパルトヘイトの南アに核兵器を売った」という話は、イスラエルが「アパルトヘイトのようにパレスチナ人をガザや西岸に封じ込め、物資搬入も制限して飢餓線上に置いている」という国際的な批判と重なり、イスラエルの国際イメージを悪化させる方向に働いている。(The memos and minutes that confirm Israel's nuclear stockpile)(The Future of Palestine by John J. Mearsheimer

(イスラエルの核兵器の原料の中には、1957−67年に米国がイスラエルに供給した高濃度ウランが含まれている。この件もNPT会議直後の5月6日に、米政府の会計検査院GAOによって機密解除されている。米当局や英新聞が寄ってたかってイスラエルを悪者にしている)(Declassified GAO Report Exposes Fatally Flawed Israel Investigations

 イスラエルのネタニヤフ首相は、米オバマ政権に「核兵器を廃棄しろと世界から圧力をかけられ、国家の安全を守れなくなる。どうしてくれるのか」と詰め寄ったという。米側はネタニヤフに「イスラエルの今後の安全保障について会議したいのでワシントンに来てくれ」と訪米を誘った。ネタニヤフは5月31日にまずカナダを訪問し、その後6月1日に米ワシントンに行ってオバマと会う予定になっていた。しかしひょっとすると、ネタニヤフを米国に呼んだのも、米側による「引っ掛け」だった可能性がある。(Rahm Emanuel invites Netanyahu to discuss 'shared security interests' with Obama)(Netanyahu to ask Obama to block measures against Israel over nukes

 というのは、ネタニヤフがカナダを訪問中の5月31日、パレスチナのガザに救援物資を運ぶ途中のトルコや欧米の市民運動団体の船が、ガザ訪問を阻止しようとするイスラエル軍に公海上で襲撃され、20人近くの市民運動家が殺される事件が起きたからだ。ネタニヤフは、オバマとの会談をキャンセルし、カナダからイスラエルに急いで帰国した。(Netanyahu cancels Washington trip

▼罠にはまったイスラエル軍

 この事件についてイスラエル軍は「兵士が乗船を試みたところ、支援船に乗っていた市民運動家が、ピストルやナイフを持って襲い掛かってきたので、やむなく応戦した。支援船の活動家の中にはトルコのイスラム原理主義者もおり、彼らはテロリストを支援している」と発表した。イスラエル軍は、支援船の活動家たちが兵士の乗船を阻止しようと、兵士に向かって放水したり、金属の箱を投げつけたり、チェーンを振り回したり、スタングレネード(音と光だけを出す威嚇用の手榴弾)を投げたりする光景のビデオ映像も公開した。(Video: Gaza flotilla activists attacking Israel Navy commandos

 だが、活動家によるこの程度の抵抗は、世界各地の市民団体が反政府デモをする時に、デモを鎮圧しに来た機動隊や軍隊に向かってやることと同水準である。これに対してイスラエル軍が実弾を発砲して20人近くを殺してしまったのは、イスラエルの方が国際的に非難されて当然だった。アラブやEU、ロシアなどの政府が、イスラエルを非難する声明を出した。

 イスラエルのハアレツ紙は「イスラエルは1947年のエクソダス号事件と逆の失敗をしてしまった」と書いている。イスラエル独立直前の1947年、欧州のユダヤ人のシオニスト活動家たちがエクソダス号という船に乗り込み、独立に反対する英国軍が海上封鎖するイスラエル(英領パレスチナ)に向かった。エクソダス号は海上で英軍に阻止され、フランスに強制送還されたが、国際世論は人道無視の英国を非難し、この事件はイスラエルを有利にした。今回、パレスチナ運動家を海上で阻止したイスラエル軍は、昔の英軍と同様、イメージ戦略上で大敗した。パレスチナ活動家は、イスラエル軍が何人かの活動家を船上で殺す展開になることを誘発し、イスラエル軍は罠にはまったと、ハアレツのコラムニストが書いている。(ANALYSIS / Israel has forgotten the lessons of the Exodus

 イスラエル軍内の右派(入植者系)の中には、敵を作る戦略をやりすぎて失敗を誘発する、米国の隠れ多極主義者(ネオコン)とつながった勢力(イスラエル愛国者のふりをした反イスラエル派のスパイ)がいる。ネタニヤフ首相がいない間に今回の失敗をやらかしたバラク国防相(元首相)は、実はこの手のスパイなのではないかと、私は前から疑っている。

 イスラエル軍が襲撃したのは、支援船団のうちの6隻で、トルコ籍船が3隻、ギリシャ籍船が2隻、米国籍船が1隻だった。殺された活動家の約半数はトルコ人だった。ガザに支援船団を送る「フリーガザ運動」( <URL> )は、欧米やイスラム諸国の市民運動の集まりだが、トルコのIHH(人権と自由と救済 <URL> )という人道支援団体が今回、多くの船を出していた。以前からイスラエルを非難していたエルドアン首相らトルコ政府は、今回の事件を機に、より強くイスラエルを非難するようになった。エルドアンは「イスラエルは国家テロをやっている」と言い切った。米国のネオコン系新聞であるウォールストリートジャーナル(WSJ)は「IHHは、ハマスやアルカイダといったイスラムテロ組織とつながりがある。IHHは、隠れイスラム原理主義であるエルドアンの与党AKPに支援されている」と反論している。(Erdogan: Aid ship raid is Israeli state terrorism)(Turkey's Radical Drift

 とはいえイスラエルやネオコンと、アルカイダやハマスは、もともと真の敵どうしではない。ネオコンや米当局は、アルカイダを強化扇動してテロをやらせて、米国の覇権を強化する「テロ戦争」を挙行した。イスラエルのモサドは、ハマスを強化扇動して、パレスチナ和平を潰すとともに、米イスラエルがイスラム過激派と戦う中東支配の構図を作った。この支配戦略が米ネオコンとイスラエル右派の「やりすぎ」によって崩れ、イランやトルコ与党といったイスラム的な勢力が強まり、イスラエルが弱体化し、その中でWSJなどのネオコン勢力は、トルコやイスラム勢力に対する非難中傷を繰り返し、ますますイスラム側を強め、イスラエルの弱体化に拍車をかけている。

 エルドアンは5月17日、BRICの一角であるブラジルと一緒に、イランのウラン濃縮問題を仲裁した。イランが持つ低濃度ウランを、トルコが仲裁してイラン国外で濃縮し、イランの医療用原子炉の燃料として使うことで、イランが核兵器を作れない体制を組むことが目的だ。この新たな仲裁に対し、米国は「濃縮に出すウランの量が少なすぎるなど、内容が不十分だ」として拒否した。米国は、欧州も引き連れ、国連で改めてイラン制裁決議を出そうとする動きをやめていない。(善悪が逆転するイラン核問題

 しかし、5月28日にNPTがイスラエル非難・イラン放免の最終文書をまとめ、5月31日にはガザ沖でイスラエル軍による支援船襲撃事件が起こってイスラエルが悪者になる流れの中で、これまでイラン問題で米国の側についていたギリシャやスウェーデンが、トルコ・ブラジルが仲裁するウラン濃縮問題の解決案に賛成する声明を出した。国際社会の多くの国は従来、米イスラエル主導のイラン制裁が濡れ衣だと薄々わかっていても、米国の覇権に楯突くことを躊躇し、イラン制裁に賛成してきた。しかし、米国の単独覇権主義が失敗し、トルコのような国がイランを擁護して立ち上がり、その一方でイスラエルが悪者にされる流れが周到に繰り返される結果、これまで親米だった国々の中にも、非米化したトルコのやり方に同調する動きが出てきた。ギリシャはつい最近までトルコの仇敵だったが、金融危機でEUに見放される半面、トルコから経済協力の申し出を受け、親トルコに転換しつつある。(Greece, Sweden back Iran declaration

▼トルコとイスラエルは一触即発に?

 ガザへの支援船は、第2弾が準備されている。トルコ政府は「次にトルコの支援船がガザに行く時は、公海上をトルコ海軍が護衛する」と発表した。トルコとイスラエルの一触即発の事態がありうる。トルコでは「イスラエルをやっつけろ」という世論が高まっている。(Turkey: Future Gaza Aid Ships Will Have Military Escorts

 エジプトは、ガザとエジプトの間の国境を久々に開放した。従来、エジプトは対ガザ国境を開けても数日で再び閉めてきたが、今回の開放は無期限だという。エジプトは来年秋に選挙があり、独裁者のムバラク大統領が82歳で、早く息子のガマル・ムバラクに譲りたいが、与党内では世襲に反対する声が強い。まとめられないので、来年まで父子のどちらが次期選挙に出るか決めないことにした。何とか世襲をしたいムバラクは、エジプト国内で強まるイスラエル敵視の風潮に乗って人気取りを図っている。イスラム世界の反イスラエル感情は、扇動されるばかりだ。(Egypt opens Gaza border after Israel ship clash)(PM Hints at Uncertainty Toward Gamal Mubarak

 ロシアもこの風潮に乗っている。メドベージェフ大統領は5月中旬にシリアやトルコを歴訪し、シリアではハマスの指導者ハリド・マシャルと初めて会った。マシャルは、ハマスの外交担当としてシリアに駐在し、アエロフロート便の乗り継ぎのためによくモスクワに降り立つが、そのたびにマシャルはロシア政府に首脳との面会を要請しては断られてきた。それが今回は、メドベージェフの方から会いたいといって、わざわざシリアまで来てマシャルに初めて会った。ロシアは抜け目なく、中東政治の風向き変更に合わせて動いている。(Strategy shift in the Middle East

 トルコは6月1日から国連安保理の議長となった。議長就任は前から決まっている輪番制であり、トルコは非常任理事国だから米英仏中露のような拒否権は持っていない。しかしトルコは、5月17日にイラン核問題で米国に楯突く仲裁を挙行し、5月31日にガザ支援船問題でイスラエルを強く非難する立場になるという流れの中で安保理議長に就任した。どこまでやれるかわからないが、安保理議長の立場を最大限に利用し、イランに対する核の濡れ衣を晴らし、イスラエルを窮地に追い込み、米国の覇権体制を崩そうとするだろう。(Turkey to Assume UN Security Council Presidency in June

 米国はブッシュ政権時代から、親イスラエルのふりをしつつイスラエル潰しに精を出してきた観があるが、ここにきてトルコを反イスラエルの雄として押し出し、イランと結束させている。エルドアンは、NPT会議で世界的な核廃絶の気運が高まった5月28日には「核兵器保有を許されている核大国(5つの安保理常任理事国のこと)こそ、イランのことを非難する前に、自国の核兵器を廃絶すべきだ」と述べている。オバマがやろうとする世界核廃絶の真髄を突く発言を、エルドアンはすでに放っている。(Turkey: Powers should dismantle nukes



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鳩山辞任と日本の今後

2010年6月2日  田中 宇

 今日は、パレスチナのガザに救援物資を届けようとした欧米やトルコの市民運動の船団がイスラエル軍に襲撃された事件について書こうと分析していたが、そこに鳩山首相が辞めるニュースが入り、そちらを先に考察して書くことにした。

 鳩山首相の辞任理由について、鳩山や小沢一郎に汚職の疑惑が起きて人気が下がったからという「政治とカネ」の話として書かれることが多いようだ。しかし鳩山や小沢のスキャンダルは、官僚機構やマスコミなどの対米従属派が、日本を対米従属から脱却させようとした鳩山や小沢を引きずり下ろすべく、微罪的な話を誇張して騒ぎにしたものだ。

 検察は、水谷建設の社長をたらしこんで小沢に不利な発言をさせ、それを唯一の証拠として「陸山会事件」で小沢を起訴しようとして失敗し、次は素人集団である検察審査会を動かして「起訴相当」の結論を出させたが、結局その後も小沢を起訴することはできず、検察は5月21日、最終的に小沢を不起訴にした(あっけなく不起訴を決めたのは、鳩山政権が終わるのを見越したからかもしれない)。

 6月2日に鳩山が辞めたのは、政治資金のスキャンダルが主因ではなく、普天間基地の移設問題で、5月末という、昨年から決まっていた期限までに事態を前進させられなかったからだろう。対米従属を脱しようとする小沢・鳩山は、日本の対米従属の象徴である沖縄の基地問題に焦点を合わせ、普天間基地の移設問題で、地元沖縄の世論を反基地の方に扇動しつつ、普天間を国外(県外)移転に持っていこうとした。

 その結果、沖縄の世論は「基地は要らない」という方向に見事に集約されたが、東京での暗闘はもつれ、小沢・鳩山は、対米従属派の阻止を乗り越えることができなかった。「日本から思いやり予算がもらえる限りにおいて、米軍を日本に駐留させ続けたい」という米国の姿勢は変わらず、軍事技術的にも海兵隊は米本土にいれば十分で、沖縄にいる必要はない。米軍にとって日本には、自衛隊から借りる寄港地と補給庫、有事用滑走路があれば十分だ。日本側で「思いやり予算(グアム移転費)を出すのはやめる」と国内合意できれば、米軍基地に撤退してもらえるのだが、そうすると対米従属の国是が崩れるため、官界、自民党、マスコミ、学界などを戦後ずっと席巻してきた対米従属派が全力で阻止し、民主党内でも反小沢的な動きが起きた。(日本の官僚支配と沖縄米軍

▼小沢一郎の権力の行方

 鳩山が首相を辞めるのと同時に、小沢は民主党の幹事長を辞任した。これによって、対米従属派と脱却派との暗闘は、従属派の勝利で終わるのだろうか。それは、今後の民主党内で小沢が権威を失うかどうかによる。私は、鳩山政権の主要テーマだった普天間移設問題の期限を、昨年の時点で「来年5月末」と決めたのは小沢だったのではないかと思うのだが、その線で考えると、5月末までに普天間問題に目処がつかず、その結果として鳩山が辞めるというのは、小沢が、首相という「将棋のコマ」を、人気が落ちた鳩山から、まだあまり非難中傷攻撃をかけられていない菅直人あたりに入れ替える動きという感じがする。

 5月になって鳩山は、対米従属の脱却より自らの政権維持を重視し、沖縄に行って「抑止力のため沖縄に米軍基地が必要だ」と発言し、普天間基地の県外移設なしで何とか話をまとめようと最後のあがきをした。しかしこれは沖縄の人々(特に、ずっと東京に義理立てして島内の反基地世論に抵抗していたが、もうやっていけないと、最近になって反基地の方針に転向した仲井真知事や、土建屋政治の人々)を「いまさら何言ってんの?。はしごを外すな」と仰天・激怒させただけだった。

(普天間に関する鳩山の方針転換を、韓国の天安艦沈没事件で北朝鮮との日米韓の対立が高まったことと関連づけて考える人がいるが、両者の関係は薄いと私は思う。日本政府は、天安艦事件に謀略的な裏があることを早い段階から察知していたようで、わりと慎重に対応してきた)(韓国軍艦沈没事件その後

 そして鳩山は、自分をコマとして使い切る小沢に対して、最後に首相を辞めるときに「あなたも幹事長を辞めてください」と詰め寄り、小沢も一緒に辞めさせたと報じられている。このような経緯からは、鳩山と小沢は徹頭徹尾の同志ではなく、小沢が戦略を立てる黒幕、鳩山が実行役という役割分担だったことがうかがえる。

 今後、幹事長を辞任した小沢が、民主党内で力を失う場合、対米従属脱却派は力を喪失するだろう。その後の民主党は、自民党と対して変わらない方針しか残らない。沖縄の人々は、不満を抱きつつ泣き寝入りになるかもしれない。沖縄の民意が結束して盛り上がっても、それだけでは基地問題を転換できない現実がある。東京の政官界での暗闘で対米従属派を縮小させないと、沖縄から基地はなくならない。

 しかし民主党には、小沢以外に、党をまとめて選挙に勝てる指南役がいないように見える。小沢は幹事長を辞めたが、党内の肩書きはあまり重要でない。7月の参議院選挙に向けて党をまとめ、参院選である程度の結果を出せれば、民主党内の小沢の権威は失われないと考えられる。自民党は依然として、復活のための新たな強い党是(対米従属以外の保守の政治軸)を打ち出せていない。地方分権や政界再編を前提に、春先に作られたいくつかの新党も、その後、まだ歴史的な出番が来ていない感じが増した。私は4月に「大阪夏の陣」と題する記事を書いたが、夏の陣は夏以降に延期されそうだ。だがそもそも今後、地方分権が進むとしたら、それは中央集権体制の解体と、対米従属からの離脱の方向になる。最近結成された諸新党が活躍するときは、官僚機構が解体されるときでもある。渡辺喜美は、小沢一郎と似た「日米中等距離外交」を前から提起している。(日本の政治再編:大阪夏の陣

 最近は、地方分権の分野でも暗闘が激化している観がある。対米従属脱却派が、地方分権運動の象徴的な存在として推している政治家として、大阪府の橋下徹知事らと並んで、宮崎県の東国原英夫知事がいるが、東国原は最近、家畜伝染病の口蹄疫の問題で「私的な政治活動をやりすぎて」対応が遅れたとマスコミに強く非難されている。小沢や鳩山を攻撃してきた右翼(対米従属派の金で動く人々)は、この口蹄疫の問題も攻撃対象に加えている。もしかすると、口蹄疫の問題が発生した初期段階で、東国原から相談を受けた官僚の側が「大したことない」と返答し、東国原を引っかけて対応の遅れを誘発したのかもしれない。

 近年、不況の強まりとともにマスコミは広告収入や発行部数が減って赤字になっている。赤字になって経済的に窮すると「貧すれば鈍す」で、少しの金をもらうだけで記事の傾向を歪曲する傾向が強まり、ますますプロパガンダ機関になる。昔から、各国の諜報機関や公安は、潰れかけた雑誌社などに入り込んでプロパガンダを発し、弱体化した左翼組織や民族主義組織などの中に入り込んで「やらせテロ」をする。新聞より雑誌、駅売りの週刊誌より定期購読誌の方が、少ない金で動かせるので、新聞より雑誌の方がプロパガンダ色が強くなっている。今後も民主党を非難中傷する対米従属派のプロパガンダは続くだろう。(スペイン列車テロの深層)(朝日新聞、初の営業赤字 3月期、広告収入減で

▼米国経済危機の先行きとの関係

 日本がなかなか対米従属を脱却しない理由の一つとして考えられるものに、米国の経済的な延命がある。08年秋にリーマン・ブラザーズが倒産し、米英中心体制のG7が多極型のG20に取って代わられて「ドルに代わる国際基軸通貨が必要だ」という指摘があちこちから出てきた時には、ドルは2−3年以内に崩壊しそうな感じがあった。しかしその後、昨年末から米国でレバレッジ(債券バブル)の再燃によって金あまり状態が再現され、この資金でドル崩壊が防御され、株高が演出され、金相場は抑圧され、国債先物(CDS)の売りでユーロ潰しが謀られている。

 ドル崩壊が早く進んでいたら、日本でも「対米従属を続けても仕方がない」という気運が強まり、東アジア共同体の推進や、在日米軍の撤退が具現化していたかもしれないが、ドルが延命しているので「米国の覇権が続くかもしれないので、とりあえず対米従属を続けながら様子を見た方が良い」という方向性が強くなっている。ただ、米国の金融界は依然として不安定で、米中枢も暗闘的な状況なので、今後も突然の崩壊感の強まりがあり得る。(世界金融は回復か悪化か

 話をまとめる。鳩山辞任をめぐる話で重視すべき点は、民主党内での小沢の権力が弱まるかどうかだ。これまでの経緯を見ると、民主党内には、選挙戦をまとめる他の有力な指導者がいないように見えるし、自民党や諸新党が7月の参院選で民主党を大きく打ち負かす結果を出すとも予測されていないので、民主党内での小沢の力は弱まりそうもない。小沢が権力を握る限り、対米従属派と、小沢が動かす従属離脱派との暗闘が続く。普天間問題は、参院選後に再燃するだろう。米国の金融延命策が軌道に乗れば、対米従属派が巻き返せるが、逆に米国で大きな金融危機が再発してドルの崩壊感が強まると、日本は対米従属派が弱まる。

 11月の沖縄県知事選挙で、宜野湾市の伊波洋一市長(擁立の動きあり)あたりが立って勝てば、沖縄の世論はますます強固になる。米軍の訓練を全国に拡散することや県外移転構想の具体化は、沖縄県民と同様の「在日米軍はいらない」という思いを全国に拡大するだけだ。軍事的に考えても、日本は自衛隊だけで十分に守れる。天安艦事件の歪曲を見てもわかるように、米軍の存在はむしろ東アジアを不安定にし、日本人や韓国人を精神的にねじ曲げる依存症をひどくするだけである。日韓ともに、右翼は対米従属派の傀儡役に徹してきたが、そのような従来の役回りから早く脱して、自民族を対米依存症から脱却させる民族的な先導役になってほしいと思う。(官僚が隠す沖縄海兵隊グアム全移転



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世界金融は回復か悪化か

2010年5月26日  田中 宇

 世界の金融情勢が、米国のレバレッジ再拡大という「回復」の方向性と、ユーロ圏の国債危機という「悪化」の方向性の間で揺れている。米国経済は、失業率や不動産市場といった実体経済の面で回復していないが、錬金術的な金融システムの再生によって、経済が回復している感じが醸し出されている。今年の初めから、ジャンク債など社債やデリバティブの市場が復活して企業の資金調達が以前より容易になり、金融界限定の「ミニ金余り現象」が戻ってきて、その金が米国の株価を押し上げ、金利を引き下げ、インフレを抑える原動力となっている。(US Home Prices Could Hit New Low: Shiller

 社債やデリバティブ市場などレバレッジの拡大は、90年代から08年のリーマンショックまで、米経済の発展の最大の要因だった。特に00年にITバブルが崩壊して以来、米経済の成長はレバレッジの拡大のみに頼っていた。リーマンショックから今春まで、社債市場は凍結され、レバレッジは縮小し、米政府や連銀による資金注入(不良債権買い取り)で穴埋めされていた。昨年後半あたりから、米金融界ではレバレッジの再拡大が試みられ、今年3月末で連銀は不良債権の買い取りをやめて「補助輪」が外された。米経済は4月から、レバレッジ再拡大に頼るリーマンショック前の状態に戻った。(Senate's Goldman Probe Shows Toxic Magnification

 米国の銀行は、不良債権の増加を警戒する当局からの指導で、引き続き貸し渋りがひどく、米の中小企業が銀行から金を借りるのは困難だ。だが社債を発行できる企業は、資金調達が簡単になっている。(Still No Credit Where It's Due

 市場は物忘れが早い。08年秋のリーマンショックでジャンク債に対するリスク意識が急騰したが、それから1年以上が過ぎ、再びリスク意識が下がる傾向となった。08年末、米国債の55%の価値まで下がったジャンク債の評価は、4月末の時点で、99・7%にまで上がり、優良債とジャンク債との差(リスクプレミアム)が、金融危機前のように縮まっている。この現象が「米経済は復活している」と言われる現状の、ほとんど唯一最大の原因である。(5月後半、不安定化が再燃しているが)(Junk Bonds Poised for Par as Upgrades Increase: Credit Markets

 分析者の間からは「レバレッジの拡大に頼る米経済は、再びバブル崩壊の危険が増す」との警告が出ている。デリバティブの総残高(名目値)は650兆ドルにもなり、リーマン破綻後も大して減っていない。今後レバレッジが再拡大した後、また金融破綻が起きたら、次回の破綻はもっと大きくなる。(Crisis expert says derivatives market still 'grave threat'

 しかしその一方で、今春のレバレッジ復活で、これから1−2年ぐらいは米経済が延命する可能性もある。レバレッジ拡大は、これまで20年近く米経済を支えており、その間、何度かバブル崩壊を経験しつつも、しばらくするとレバレッジ拡大(バブル再燃)の構造が復活し、米経済の成長を支えることが繰り返されてきた。レバレッジ構造が破壊される時はリーマンショックに象徴されるように大騒ぎになるが、再生する時はほとんど報じられず静かに復活し、いつのまにか金融界に景気が戻る。

▼株を上げる勢力と下げる勢力

 4月には米国の株価が上昇し、レバレッジ構造が蘇生する観があったが、5月に入ってダウ平均株価が下落傾向を続けており、レバレッジを再生しようとする勢力と、それを阻止しようとする勢力が暗闘している観が増している。今、米国の株を買っている最大の勢力は投資銀行である。年金、ヘッジファンド、小口の投資家など、通常は株価の上昇時に買い手となる人々は、今回の局面で買っておらず、売り越しになっている。(Equity rally not driven by the usual investors

 投資銀行は、債券やデリバティブで作った資金を株式市場に流し込んで株価を押し上げ、今はまだ株式市場に戻っていない他の投資家を誘い込み、株価の上昇が自走していく状況を演出しようとしている。しかし、それが成功するかどうか、まだわからない。5月後半の展開を見ると、株価下落の勢いの方が強い。悲観的な分析で知られる経済学者のヌリエル・ルービニは最近、米国の株価は20%下がりそうだと言っている。(Stocks to Tumble Another 20%, Cash the Safest Place: Roubini

 今回の下落の発端として、5月6日、米国のダウ平均株価が1000ポイント近く急落し、すぐに再上昇する事件があった。この理由について、ディーラーが株取引の際に取引の桁数を間違えたからだとか、諸説が流布している。だがこの日、市場関係者の間には、下落しそうだという懸念があったと、関係者がFT紙に話している。入力ミスや誤作動ではなく、何者かが株価を暴落させるために売りを浴びせた可能性の方が大きい。(Plunge in US equities remains a mystery

米国の株式市場では当局と金融界が組み、急落が起きたら買い支える裏の機能(Plunge Protection Team)があると以前から指摘されている。5月6日は、それが発動された結果、急落が一瞬で終わり、すぐに反騰したと見ることもできる。米当局による補助輪なしで自走を再開したばかりの不安定な米国の市場を、株の投げ売りによって破壊して儲けようとした者がいたのではないか。(金融界の関係者で占められる「金融専門家」は、こうした話を頭から否定する。当局が市場を歪曲しているとなれば、個人投資家が市場に入ってこなくなり、株価が上がらず、金融界にとってマイナスだ)(Was The Market Mayhem A Mistake? Maybe Not)(Paulson re-activates secretive support team to prevent markets meltdown

▼米政界に金融潰しの動き

 レバレッジシステム蘇生の画策を主導しているのは、JPモルガン・チェースやゴールドマンサックス(GS)といった米投資銀行のようだが、投資銀行による再生戦略を潰そうとする勢力は、米国の金融界だけでなく、政界にもいる。米議会では、金融改革の一環として、デリバティブに対する規制強化が検討されている。議会と連動して、米政権では大統領の経済顧問であるボルカー元連銀議長が、銀行が自己資金でデリバティブ取引を行うことを禁止しようとしている。これらの動きに対し、JPモルガンの経営者は「銀行にデリバティブ取引を禁じると、市場が急落して大混乱になる」と言って牽制している。(JPMorgan chief warns on derivatives reform

 議会が強いデリバティブ規制を可決すると、JPモルガンやGSは利益の4割を失うとも予測されている。金融界は、米議会に対してロビー攻勢をかけ、デリバティブ規制を緩和しようとしている。法律になるのは7月の見込みで、攻防は6月いっぱい続くかもしれない。(Study: Derivatives Rules Would Cost Banks Billions)(Derivatives Spinoff Proposal 'Goes Too Far,' Frank Says)(ゴールドマンサックス提訴の破壊力

 米ニューヨークの検察当局は、GSやシティ、ドイツ銀行、UBSなど米欧の8つの大手銀行が、自社が発行する不動産担保債券の格付けを実態よりもよくするため、債券格付け機関と結託してごまかしを行った容疑で捜査を開始した。また証券取引委員会(SEC)は、格付け機関のムーディーズが発表した格付けのやり方に関する情報公開の中に実態と異なる誇張があるとの疑いで捜査を開始している。いずれも、最終的に金融界の側が無罪になるとしても「金融界はごまかしをやっている」というイメージの醸成につながり、市場に悪影響となる。(Eight banks face US investigation)(Ratings rethink - Debt crisis prompts fund portfolio review

▼住宅ローン破綻を背負う米政府

 米議会には金融潰しを画策する勢力がいるものの、議会は金融界からの圧力に弱い組織でもある。圧力を受けると、税金の節約より金融界の利益が優先されてしまう。米議会は連銀を査察する法案も審議していたが、修正条項が出されていく中で、抜け穴の多いものに変質してしまった。(Senate Passes Amendment for One-Time Audit of Fed

 だが逆に、金融界にとって短期的な利益となるはずの議会の決定が、長期的には米国の財政そのものに巨大な負担をかけ、金の卵を産むにわとりを殺してしまう結果になりそうな展開も起きている。それは、フレディマック(連邦住宅金融抵当公庫)とファニーメイ(連邦住宅抵当公庫)という、米政府系の住宅ローンの債務保証機関に対する公金救済の金額の枠に対して上限を設けようとする法案を、米上院が否決した件だ。(What's big, risky, and losing billions? Fannie Mae and Freddie Mac

 米国の住宅市況は悪化を続け、ローン破綻が増えている。一般の銀行は住宅ローンを融資したがらず、政府系の抵当公庫の債務保証をつけた融資が、住宅ローン全体の96・5%を占めている。これらの公庫の債務には、米政府の保証がついている。今後、住宅市況の悪化が続き、ローン破綻が増加していくと、住宅公庫は不良債権が増えていく。それは最終的に、米政府の負担、つまり米国民の税負担となる。すでにファニーメイは11四半期連続の赤字で、米政府は毎年、公庫の赤字を補填する予算を組んでいる。(US Government Now 96.5% of the Mortgage Market Q1, 2010)(US home financing 'sick,' needs private capital-FHA

 米政府系の住宅公庫は、住宅市況が上昇にある時期には、利益を出して民間企業のように振舞っていたが、今のように住宅市況が悪化している時は「役所」に変身する。民間企業ならとっくに潰れている事態になっても、米政府から公金注入を得て存続している。米国民は、住宅公庫の債務保証なしにはローンが組めなくなっているので、公庫の存在は社会的に不可欠だ。だが、公庫の赤字に対する公金負担は増え続ける。(What Should We Do With Fannie and Freddie?

 米議会では、財政赤字拡大に反対する共和党から「公庫の赤字を制限するか、公庫の倒産を容認すべきだ」という法案が出され、上院では2つの住宅公庫に対する政府救済の上限額を4000億ドルに設定しようとした。だが、この法案は否決され、米政府は2つの公庫に対して無制限の救済をせねばならない状況を変えることができなかった。($145 Billion and Counting - Fannie and Freddie lose it all for you

 公庫2社は、合計で5兆ドル以上のローン債務保証をしている。米国の住宅市況が崩れていき、2社が破綻を余儀なくされた場合、米政府が負担せねばならない額は、AIGやベアースターンズ破綻時よりはるかに大きい。米政府は、国民が住宅ローンを組みやすくするため、今後の金融改革で新設予定の消費者保護機関を通じて、2社のローン債務保証をさらに増やそうとしている。これは、米国民に対する人気取りの政策としては良いが、米政府財政への負担を大きくし、米政府自身の財政破綻の引き金となりかねない。(A Fannie Mae Political Reckoning)(Financial Reform Bill Is A `Disaster': Sen. Gregg

▼ドイツはナショナリズムの拘泥から脱せるか

 このように米国の金融は、レバレッジの回復と、住宅市況の悪化、米政界の金融規制とがバランスした状況になっている。世界規模に視野を広げると、そこにユーロ圏の状況が加わる。ギリシャの国債危機が他の南欧諸国に拡大しそうな中、EUは5月9日、市場の予測の10倍にあたる7500億ユーロの救済融資枠を準備することを決定した。予測をはるかに上回る救済枠を設定したことで、市場は反撃の意志をとりあえず失い、その後ユーロ圏の国債市場は小康状態となっている。(Europe prepares nuclear response to save monetary union

 ユーロ圏の中核をなすドイツの政府と議会は、救済融資枠を決めた後、その財源として、G20で以前から検討されてきた世界的な国際金融取引課税の収入を使う方針を決め、国際金融課税制度の実現に向けてG20などで働きかけていくことを決めた。同時にドイツ政府は、株式の空売り(株を手当せずに先物売りする「裸売り」)を禁じ、ユーロ危機が投機筋の空売りを誘うことを抑止した。(German governing parties call for market tax

 EUの巨額の金融救済金は、調達方法の詳細が決まっていない。国際金融取引への課税を財源にするというが、課税制度はG20が以前から提唱してきたのに成立せず、今後なかなか実現しそうもない。この課税は、米国を含む世界の主要地域が同時に開始しないと資金逃避を誘発して失敗するが、米国で市場原理主義が強いので合意は困難だ。そのため米英には、依然として「ユーロ圏の救済は長続きしない」「ユーロ危機はいずれ再燃する」といった見方が強い。ドイツでも、早々とユーロに見切りをつけ、ユーロの預金をおろして金地金を買う人が増えた。(When Risk Becomes Uncertainty by: Felix Salmon

 ドイツ政府は債券格付け機関やヘッジファンドなど、ユーロ危機を誘発するすべての勢力に対する規制を強化する方針を出している。メルケル首相は「ドイツにとって最重要のことは、ユーロを守ることだ」と表明し、ドイツ国内に根強い「ユーロよりドイツの国益を優先せよ」というナショナリズムに固執する態度を超越する姿勢を強めた。ドイツがナショナリズムに拘泥していると、英米系の投機筋によるユーロ潰しが進行し、ドイツの国益自体が破壊されてしまう。(Merkel toughens stance on financial regulation

 欧州では19世紀以来、各国のナショナリズムどうしをぶつけ合うことで相互に疲弊させ、覇権国である英国が漁夫の利を得る「均衡戦略」が英国によって続けられてきた。ドイツなど欧州諸国でナショナリズムが扇動されるほど、英米の覇権が守られる。半面、国別のナショナリズムが抑制され、EUの政治経済統合が進んでいくことは、欧州が英米覇権の拘束から脱却し、英米とは別の地域覇権主体になることを意味している。(What Next for NATO? by William Pfaff

 ドイツは冷戦後、米国の隠れ多極主義者(レーガンら)が東西ドイツ統合と抱き合わせにしてドイツに押しつけたEU統合に取り組みつつも、ナショナリズムを脱却したり、地域覇権の主体になること(多極化推進)に消極的だった。だが今回、ドイツが10年かけてマルクを進化させ大事に育ててきたユーロが、ギリシャ危機によって潰されかけている。この危機の中で、ドイツの上層部はようやく、G20など多極型の世界機構と連携するかたちで、ナショナリズムを乗り越えてユーロを防衛しようとし始めたように見える(独国内では、EU嫌いのナショナリズムの傾向も強いが)。(◆ユーロ危機はギリシャでなくドイツの問題)(Germans turn against the EU2 as eurozone meltdown heaps misery on Angela Merkel

▼経済統合だけ先に進めすぎたのは意図的?

 ユーロにとって最も重要なのは、EUが政治統合を進めることである。ギリシャ危機の原因は財政赤字の多さであり、EUが政治統合を進め、各国の財政政策を赤字削減の方向で統一できないと、いずれ同様の危機が再発する。メルケル自身「ユーロの将来は、EUの政治的な結束にかかっている」と述べている。米国のボルカー大統領経済顧問や、英国のキング中央銀行総裁も「財政政策を統合しないとユーロは解体するかもしれない」と言っている。(Merkel-Germany can't turn back when euro threatened)(Volcker Sees Euro `Disintegration' Risk From Greece

 EUの政治統合は、非常に難しい作業だ。民主国家にとって、ナショナリズムを超越することほど難しい政治事業はない(だからこそ、各国のナショナリズムをうまく操ってきた英国は、本国の経済力が衰えた後もずっと黒幕的な覇権の座にいる)。

 しかしもしかすると、そもそも冷戦を終わらせて欧州を統合の方にいざなった米国の隠れ多極主義者は、政治統合を無視して先に経済統合をどんどん進め、経済統合を不可逆的な状態にするのが、国別ナショナリズムの拘束から欧州を解放するための、当初からの作戦だったのかもしれない。経済統合が後戻りできなくなった今、ユーロ圏で決定的な財政危機が起きたことで、欧州諸国は、いまさらユーロ解体を容認するわけにいかず、各国の上層部が無理矢理にでもナショナリズムを超越し、財政政策などの政治統合を進めざるを得なくなっている。

 ドイツの政府と与党は、今回のユーロ救済策にともなう金融規制強化を決める際、野党にもEUにも相談せずに決定、発表した。独国内では、メルケルが民主主義を無視したと批判されているが、ナショナリズムに飲まれない方策の一つが「独裁」であることをふまえると、独与党のやり方は理解できる(EUに相談しなかったのは英米への漏洩防止策かも)。(Germany Acts Alone to Protect the Euro and Big Banks Against Speculators

 EUの政治統合は短期間に達成できるものではなく、各国のナショナリズムに凌駕されて失敗するかもしれない。その場合、ユーロは解体に向かう。しかし逆に成功した場合、EUは強化され、米英の財政赤字の方が大きな問題となる。英中銀のキング総裁は、政権交代後の最初の記者会見で、従来の慎重な言い方から脱却した大胆な発言を放ち、記者団を驚かせたが、その発言は「EUは財政政策を統合せねばならない。英米は巨額の財政赤字があり、ギリシャと同質の問題を抱えている」というものだった。(US faces same problems as Greece, says Bank of England

 米国とユーロ圏のどちらが再生あるいは崩壊していくかが注目される。その一方で、インドや中国などの新興市場諸国は、欧米の経済難をしり目に高成長を続けているが、世界からの投資金流入に加え、国民の所得が全般的に上がり、貧農から中産階級になっていく人が増えた結果、食料品などの物価が上昇している。インドでは卸売物価が年率10%も上がっており、特に食料品が15%前後の高騰だ。各地域とも、経済は混乱の状況を増している。(The India Inflation Fight



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トルコ・ロシア同盟の出現

2010年5月23日  田中 宇

 ギリシャの国債危機に対するEUの救済策が発動され、救済策にどのくらいの効果があるかという議論が、米欧の分析者の間で続いている。しかし、米欧マスコミの基本的な姿勢は「放蕩癖が治らないギリシャはEUの落第生」というものだ。米国の投資銀行がドルやポンドを守るためにユーロを潰そうとしてギリシャ国債の相場を崩壊させたことや、ギリシャの不安定さは、第1次大戦前の反トルコ、第2次大戦後の反ソ連の橋頭堡として英米の傀儡国だったことに起因しているという観点は少ない。

 EU各国の首脳は国債危機後、誰もギリシャを訪問しなかったが、5月14日、国債危機の発生後、初めての外国の首脳がギリシャを訪問した。それは、歴史的にギリシャの仇敵だったトルコのエルドアン首相だった。エルドアンは、トルコ政府の経済や観光、エネルギーなどを担当する10人の閣僚と、多くのトルコ企業の経営者を引き連れ、6年ぶりにアテネを訪問した。2日間の訪問で、トルコ側は両国が対立する軍事問題を避け、経済に特化して話し合いを進めた。トルコ人がギリシャをビザなしで訪問できる新たな仕組みなど、経済に関する両国間の協定がいくつか締結された。(Erdogan visits Greek in show of solidarity

 伝統的に「反トルコ」の姿勢がしみついているギリシャの右派マスコミは、エルドアンの訪問について冷淡に報じた。しかし、今回の国債危機で格下げされ、資金調達が難しくなって窮しているギリシャの大手銀行は、昨年イスタンブールの銀行を買収するとともに、今年に入ってトルコ国内に新たな支店網を開設し、ギリシャよりトルコで利益を出している。(Turkey Buoying Greek Is National Bank's Strategy

 ギリシャでは、政界右派はトルコを敵視し続けるだろうが、財界はすでにトルコとの隠然とした蜜月を開始している。これは、日本の右派が過剰に中国を敵視する一方で、日本の財界は対中国ビジネスに頼る傾向を静かに強めているのと似ている。

 ギリシャ政府は、EUからの救済策が決まった後、国債危機を扇動した米国の投資銀行に対し、法的制裁を検討すると発表した。EUの主導役であるドイツは、ギリシャ危機の元凶となった投機的金融を抑制するため、ヘッジファンドへの規制強化や、国際金融取引に課税する構想を打ち出している。ギリシャの動きは、ドイツの動きと連動したものだろう。欧州のヘッジファンドの8割はロンドンを拠点としており、ドイツが発したのは英米の金融覇権に対する抑制策である。歴史的に英米の傀儡だったギリシャが、英米の金融覇権に抵抗する姿勢に転換し、それと時期を同じくして、仇敵だったトルコの首相が経済的な土産を持ってギリシャを訪問したことは、歴史の転換点として象徴的だ。(Greek Considering Legal Action Against U.S. Banks for Crisis

▼パイプライン外交でナゴルノカラバフ紛争を解決?

 トルコのエルドアン首相は、ギリシャから帰国した翌日の5月16日、イランのテヘランに向かった。前回の記事に書いたように、G15サミットに出席し、トルコとブラジルによるイランの核問題の仲介策をまとめた。これは、米イスラエルがイランに核兵器開発の濡れ衣を着せて潰そうとする中東覇権戦略に風穴を開けるという国際政治上画期的なもので、トルコにとっては、ギリシャを取り込もうとしたのと同種の動きだ。(善悪が逆転するイラン核問題

 テヘランで核問題の仲介をした後、エルドアンは5月16日にアゼルバイジャンのバクーに行った。5月17日にはグルジアの黒海岸のリゾート地バツーミ(バトゥミ)に赴き、サーカシビリ・グルジア大統領と会談した。(Turkish PM Visited Baku

 トルコは、アゼルバイジャンの天然ガスをトルコ経由で欧州に運ぶ「ナブッコパイプライン」の敷設を計画している。エルドアンはバクーで、ナブッコのためにアゼルバイジャンがトルコに売る天然ガスの価格や年産量について、アゼルバイジャンのアリエフ大統領と合意したが、正式な契約調印までは至らなかった。事前の予測では、エルドアンとアリエフが今回ナブッコ用の天然ガス売買について正式な契約に調印すると見られていたが、調印は6月7日にアリエフがトルコを訪問する時まで延期された。関係者の間では、この延期が意外感を持って受け止められている。(Turkey Delays Breakthrough Gas Agreement with Azerbaijan

 この延期はおそらく、アゼルバイジャンとアルメニアとのナゴルノカラバフ紛争と関係がある。ナゴルノカラバフではソ連時代、多数派のアルメニア人と少数派のアゼルバイジャン人が共存していたが、ソ連が崩壊してアルメニアやアゼルバイジャンが独立すると、ナゴルノカラバフのアルメニア人も独立を宣言し、アルメニアが軍事介入して自国に編入し、アゼルバイジャンと戦争になった。

 アゼルバイジャンはその後、90年代中ごろからカスピ海の湖底の油田・ガス田を開発しており、石油ガスをトルコや欧州などに売る利権をテコに、ナゴルノカラバフ問題で国際社会にアゼルバイジャンの側に立ってもらい、失地を回復しようとしている。その影響で、トルコのエルドアンは08年以来、ナゴルノカラバフ問題を解決することと、ナブッコ用の天然ガスをアゼルバイジャンから買うこととを抱き合わせで進めてきた。

 その経緯から考えて、今回アゼルバイジャンがトルコにガスを売ることを決めたのは、近いうちにトルコがアルメニアを動かしてナゴルノカラバフ問題で何らかの進展を実現しそうな見通しだからと考えられる。ナゴルノ問題で何も進展がないのに、アゼルバイジャンがトルコにガスを売るとは考えにくい。今後、ナゴルノカラバフ問題で何らかの進展があるかどうか注目される。(Erdogan visit to Baku to give fresh impetus to Nabucco

 ナゴルノカラバフで5月23日に議会選挙が行われたが、EUはこの選挙について無効と宣言した。またEUは最近アルメニアに対し、軍事占領しているアゼルバイジャン領からの撤退を求めたが、これはアゼルバイジャンから支持され、アルメニアから批判されている。このように、EUはアゼルバイジャン寄りの態度をとっているが、その背景にはおそらく、EUがナブッコ経由でアゼルバイジャンの天然ガスを買うことがある。(EU does not recognise so-called "parliamentary elections" in Nagorno Karabakh)(Friends of Azerbaijan Shape EU Policy Toward Armenia

 90年代から開発が始まったカスピ海底の石油ガスは、アゼルバイジャンが国際社会に対して影響力を発揮できるほとんど唯一の強みである。アゼルバイジャンは、石油ガスの利権を使って、ナゴルノカラバフ問題を一気に逆転したいと考え、09年にナブッコパイプライン用のガスを買いにきたトルコのエルドアンに対し、アルメニアを大幅に譲歩させたらガスを売ってやると、高く吹っかけたと推測される。

 しかしトルコ自身、アルメニアとは昔の虐殺問題で対立している。エルドアンはむしろ、アゼルバイジャンの要求を無視するかのように、トルコとアルメニアとの関係改善を進め、今年初めの段階で、関係正常化の一歩手前まで到達した。その段階でトルコは、アルメニアとの関係正常化をナゴルノカラバフ問題と結びつける方向転換を行い、話を止めてしまった。この「寸止め」の裏で、トルコはアゼルバイジャンに「このままトルコにアルメニアとの関係を正常化してほしくなければ、ナブッコ用のガスを売る政治条件を緩和せよ」と持ち掛け、今回の協約に持ち込んだのではないかと私は推測している。(Armenia: Yerevan Suspends Reconciliation Process with Turkey

 エルドアンは、アゼルバイジャン訪問を終えた後で「ナゴルノカラバフ問題が解決するまでアルメニアとの関係は改善しない」と改めて表明した。アルメニアは譲歩を迫られているが、一方的な譲歩を求められているわけではない。もしアルメニアが譲歩してナゴルノカラバフ問題が解決され、アゼルバイジャンとの和解が実現したら、ナブッコパイプラインは、アゼルバイジャンからアルメニア経由でトルコへと敷設され、アルメニアはパイプラインからの収入(ガスの通行手数料)を得られる。この構想は08年からのものだ。うまく行けば、ナブッコはコーカサスの「和平のパイプライン」になる。(Azerbaijan: Potential Pipeline Deal Could Help Settle Nagorno-Karabakh Issue)(Turkish-Russian strategic depth in South Caucasus

▼米国に頼らない地域安定策

 エルドアンは5月16日にアゼルバイジャンに行った後、5月17日にはグルジアのバツーミに行き、サーカシビリ大統領と会った。サーカシビリは1週間の外国歴訪でギリシャとの対立解消、イラン核問題、ナゴルノカラバフ紛争と次々に取り組んだ後、自国に来てくれたエルドアンを「こんなに短期間で、こんなに多くの国際問題を解決した指導者はいない」と絶賛した。(Turkish Prime Minister visits Georgia

 エルドアンのグルジア訪問は表向き、トルコ国境に近いバツーミにトルコ資本の新たなホテルが建設され、その竣工式への出席だった。だが、国際関係で窮地に陥っているサーカシビリのところをエルドアンが訪れたことは、トルコが仲裁してグルジアを救ってやることになるので、外交的な意味が大きい。グルジア外務省は「グルジアにとってトルコは戦略的なパートナーだ」と表明した。(Turkey is our strategic partner - Georgian MFA

 サーカシビリは08年夏、当時の米ブッシュ政権のチェイニー副大統領らタカ派にそそのかされ、ロシアとの紛争地である南オセチアとアブハジアに侵攻して奪還しようとしたが、逆にロシア軍に打ち負かされた。サーカシビリは、ロシアとの対決姿勢を鮮明にして、米露対立の構図の中で米国の先兵として機能しようとした。だがその後、米国は、アフガン駐留やイラン核問題、世界核廃絶などの案件において、ロシアの協力を必要とするようになった。サーカシビリは、米国に捨てられる可能性が高まり、EUからは、地域の安定を乱す好戦的な厄介者と見なされるようになった。グルジア国内の野党も、サーカシビリ政権を倒そうとする動きを強めた。(米に乗せられたグルジアの惨敗)(米露逆転のアフガニスタン

 エルドアンは、08年夏のグルジアとロシアの戦争後、トルコ、ロシア、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンといったコーカサス諸国間の関係安定化をめざす「コーカサス安定協調プラットフォーム」(Caucasus Stability and Cooperation Platform、KIIP)を提唱した。これは、グルジアとロシアの対立、アルメニアとアゼルバイジャンの対立(ナゴルノカラバフ紛争)、トルコとアルメニアの対立(20世紀初頭の虐殺問題)、コーカサス諸国間の対立を並行して解いていくと同時に、アゼルバイジャンからグルジア、トルコ経由で欧州に石油ガスを送るナブッコのパイプライン敷設など、コーカサス全体の経済発展の要になる事業を行い、コーカサスの安定と協調、発展を実現しようとするものだった。(Ankara will host Caucasus Stability and Cooperation Platform

 ロシアも、米国がグルジアを扇動して自国に戦争を仕掛け、グルジアをNATOに入れてコーカサスにロシア包囲網を広げようとしていることに脅威を感じたので、エルドアンのKIIPの提案に賛成した。グルジアは当初、米国の先兵としてロシアと対立する戦略をとっていたのでKIIPに参加していなかったが、米国に見放されるとともに態度を軟化した。今では、グルジアのメディアが「トルコがコーカサス地域で大きな役割を果たすことに大賛成だ」とトルコを礼賛する状況になっている。今後、トルコの仲裁によって、グルジアとロシアが何らかの和解をしていく可能性がある。(Georgia Supports Turkey's Bigger Regional Role

 トルコ自身、イラク戦争までは、いずれEUに加盟できると夢見つつ、NATOの一員としてロシアとの協調強化を避け、米国に対する追随を国策としていた。KIIPはもともと欧州が00年に提案したが、対米従属を重視していたトルコが乗らなかったことが一因で、いったん頓挫していた。

 しかし、911後にイラク戦争を推進した米国のネオコンは、北イラクのクルド人に独立を約束してしまった。イラクのクルド人に独立が認められると、いずれトルコの東部の3分の1を占めるクルド人地域も、トルコから独立していきかねない。これはトルコの国家が解体することを意味しており、ネオコンの米国はトルコにとって非常に危険な存在になった。

 米国はオバマ政権になって言い方が柔軟になったが、米国の戦略は本質的に大して変化せず、イラクの次はイランに大量破壊兵器の濡れ衣をかけている。この流れの中でトルコは、従来の対米従属を捨て、EU加盟にも見切りをつける方向に軸足を移した。08年夏に米国がグルジアを扇動してロシアと戦争させたことを機に、トルコは米国に頼らず自国周辺を安定化させていく戦略を少しずつ始めた。その一つが、エルドアンによるKIIPの提案だった。

 イラク戦争前に対米従属していた時期のトルコは、ロシアの邪魔をすることが外交戦略の一つだった。しかし、イラク戦争後のトルコは、反ロシア的な戦略をしだいにやめていき、トルコとロシアの協調関係は強まった。08年夏のグルジア戦争後、トルコとロシアは、コーカサスから米国の影響力を排除しない限り、地域の安定化は実現しないという見方で一致した。(Are Russia and Turkey Trying to Alter the Nagorno-Karabakh Peace Process Format?

 米国は依然として世界的な覇権国であり、トルコはNATOに加盟したままだし、米露関係も好転の方向にある。そのため、ロシアとトルコが協力してコーカサスから米国の影響力を排除する戦略は、目立たないよう、ひそやかに進められてきた。そして、ロシアとトルコの同盟関係が、従来の隠然とした状況から脱し、顕在化しつつあるのが、現在の状況だと私は見ている。(Caucasus Stability & Cooperation Pact implies U.S. removal from South Caucasus

 エルドアンが展開しているトルコの転換は、アタチュルク以来のトルコの近代史(欧米化、対英米従属)を根底からくつがえしている。エルドアンのトルコは、宗教面の国策でも、アタチュルクの「非イスラム化、欧米化」を捨てて「イスラム化、欧米依存を脱却する中東圏作り」を進めている。アゼルバイジャンのメディアは「トルコが強くなるほど、中東とコーカサスは安定する。エルドアンは、アタチュルクと並ぶ成功した政治家だ」と書いている。(Azerbaijani politologists: Strengthening of Turkey's role in region meets Azerbaijan's interests

▼たすきがけ外交でコーカサスを安定させる

 話が広がりすぎたのでまとめる。トルコはもともとNATOの一員として親米反露の戦略をとっていたが、911後の米国が中東やコーカサスの秩序を破壊する戦略を展開し、これがトルコにとって脅威になった。そのためトルコは静かに国策を転換し、ロシアと組んでコーカサスを独自に安定化し、結果的に米国の影響力を排除する動きを開始している。それが顕在化した一つの動きが、今回のエルドアンの各国歴訪だ。同時にトルコは、中東でイラクやシリアとの関係を強め、米国の動きに対抗している。米国は基本的に、トルコのこの動きを黙認している(米国の右派マスコミはトルコを非難するが、オバマ政権はトルコに対して融和的だ)。(変容する中東政治

 伝統的にロシアはアルメニアと親しく(両国民とも正教会のキリスト教)、トルコはアゼルバイジャンと親しい(両国民ともイスラム教徒でトルコ系民族)。ナゴルノカラバフ紛争は、ロシアとトルコが仲裁役としてうまく機能すれば、解決できる。またロシアは、アルメニアとトルコの関係改善を支援してきた。半面トルコは、グルジアと関係が良いので、ロシアとグルジアの関係改善を仲介できる。このように、トルコとロシアのコーカサス安定化戦略は「たすきがけ」の枠組みになっている。

 ギリシャ正教系の国であるロシアは、歴史的にギリシャとの関係が良いので、事前にロシアがギリシャとトルコの間を仲裁する何らかの動きを非公然にやった可能性もある。エルドアンが5月14日にギリシャを訪問して関係を改善する直前の5月12日に、ロシアのメドベージェフ大統領がトルコを訪問している。(Turkey Building Role As Euro-Asian Oil And Gas Crossroads

 ロシアは、トルコと組むことで、EUに対してエネルギー面で優勢になる。EUは天然ガスの大半をロシアから買っているが、ロシアは天然ガスの価格やパイプラインの通行手数料の問題でウクライナと対立することを口実に、これまで何度かEUへのガス供給を短期的に減らした。EUは、この脅威を回避するため、ロシア以外の天然ガスの供給元を求め、アゼルバイジャンからトルコ経由で欧州にガスを運ぶナブッコパイプラインの構想を進めてきた。(Russia, Turkey: A Grand Energy Bargain?)(Turkey's gas deal with Azerbaijan fuels hopes in EU

 だが08年夏のグルジア戦争以来、トルコとロシアがしだいに関係改善し、戦略的な同盟関係を強め、EUの思惑は崩れ出した。以前のロシアは、ナブッコパイプラインに対抗して、黒海を通る「サウスストリームパイプライン」を作ろうとしてきた。ナブッコとサウスストリームは敵対関係だった。だが今年に入ってロシアは、ナブッコとサウスストリームは補完的な関係になると言い出して態度を転換し、今では「欧州が使うガスは、すべてロシア・トルコ同盟から買わねばならなくなる」という見方が出てきている。(Russia opens a new pipeline of diplomacy)(South Stream, Nabucco not rivals - Chizhov

 英国を筆頭とする欧州列強や米国はコーカサスに介入し続けるため、ロシアとトルコ、イランという、コーカサスに隣接する3つの大国をうまく対立させ、小国をけしかけて各地の紛争を固定化し、教科書や新聞には「トルコやロシアのせいでコーカサスはいつも不安定だ」と書かせてきた。08年のグルジア戦争も、NATOをコーカサスまで拡大する機会となるはずだった。しかし、グルジア戦争を起こした米国の「やりすぎ戦略」は、トルコとロシアを接近させる効果をもたらし、今では逆にトルコとロシアが結束し、エネルギー供給の面から欧州を支配する事態に近づいている。

 こうした歴史的な経緯に立ってイラン核問題を見ると、なぜロシアやトルコがイランの側に立って米欧の濡れ衣戦略を批判するのかも見えてくる。トルコやロシアが望んでいるのは、コーカサスや中東の安定である。大量破壊兵器の濡れ衣をかけてイラクやイランを潰したり、クルド人の独立心を扇動して中東の再分裂を画策するのは、もうやめてほしいということだ。BRICの中国やブラジルも、ほとんど同じ考えだろう。今後、トルコやロシアが進める安定化策が成功するほど、コーカサスや中東は安定し、発展できる。米国やNATOがイラクやアフガニスタンから敗退した方が、中東の人々の幸せにつながる。同様に、イランが強くなった方が、中東は安定する。

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シーレーン自衛に向かう日本

2010年5月17日  田中 宇

 外電で2週間前に報じられたので、すでにご存じの方も多いかもしれないが、日本の自衛隊が、ソマリア沖のアデン湾(インド洋西岸)を航行する船舶を海賊被害から守るため、アデン湾の奥にあるアフリカのジブチに、基地を作ることになった。自衛隊は米国のイラク占領に付き合ってイラクに駐留した際、サマワに基地を作ったが、日本のシーレーン(貿易航路)を防衛するために自衛隊が海外に基地を持つのは今回が初めてだ。

 ソマリア沖ではここ数年、国際船舶に対する海賊の攻撃が相次ぎ、米国、EU、中国、ロシア、インド、イラン、韓国などが海軍を派遣し、多国籍軍体制(SHADE)を組んで航路警備を行っている。日本の自衛隊も昨年春以来、駆逐艦2隻と哨戒機2機などを派遣し、国際的な警備活動に参加している。ソマリア沖は、年間2万隻の国際船舶が航行しており、日本籍船はその1割を占める。日本は、米軍に依存するだけでなく、わずかでも自衛隊を派遣して航路警備に貢献するよう、米国などから要請されたのだろう。(Piracy rattles Japan to open first foreign military base

 自衛隊は従来、米軍がジブチに作った基地の施設を借りて、派遣した150人の自衛隊員の宿舎としていた。だが、海賊の活動がなかなか下火にならず、駐留が長引きそうなので、自衛隊は、自前の宿舎と哨戒機のための格納庫を今年中に完成させることにした。米軍の宿舎を使う限り、ジブチの自衛隊員はハンバーガーなど米国の食事ばかり食べねばならないが、派遣が長引くので和食も食べられるよう、自前の宿舎を作るということらしい。(News Spotlight: Japan's Military Base in Djibouti

 以前の記事「中国を使ってインドを引っ張り上げる」に書いたように、ソマリア沖の航路警備の多国籍軍体制を率いるのは、中心の合同軍(CMF)、EU諸国海軍(EU NAVFOR)、中国軍という、米欧中の三極体制である。米国は、インド洋の地域大国だが対英米従属姿勢が抜けないインドではなく、遠くの自立した大国である中国に、多国籍軍のアジア代表をやってもらっている。これは「隠れ多極主義」の米国による、インドに対するあてつけ(引っぱり出し作戦)だろうと私は分析している。同様に、ここまで中国が重視されるのなら、日本も出ていかざるを得ないわけで、海上自衛隊がジブチに海外基地を作るのは「中国を使って日本を引っ張り上げる」という動きともいえる。(中国を使ってインドを引っぱり上げる

 中国は、おそらく米国からの要請で、海賊退治の多国籍軍のアジア代表を引き受けたものの、派兵のコストを気にして3隻しか軍艦を派遣していない。2隻出している日本とあまり変わらない。「日本が海外に軍事基地を作る」というと「日本軍国主義の再来」とみなされて中国の反日感情を煽るのが従来の構図だったが、今回の話は全く逆だ。3隻しか出していないのにアジアの代表にされた中国は、同じアジア勢として日本の自衛隊がジブチに基地を作り、腰を据えて海賊退治を継続するのを喜んでいるはずだ(新華社はこの件で「日本の軍事拡大」を指摘する記事を出したが)。(Japan's first overseas base aimed at expanding military boundaries

 日本がジプチの米軍基地を借りているように、中国はジブチのフランス軍の基地を借りている。中国軍もアデン湾周辺に独自の基地を持とうと考えたが、まだ実現していない。(EU anti-piracy force welcomes China interest

 ジブチでの自衛隊基地の建設は、控えめに考えるなら、自衛隊員に和食を出し、哨戒機の雨ざらしを避けるための施設を作る話になる。そのためか、日本のマスコミはこの件をほとんど報じていない。しかし、貿易大国となったのにシーレーンの防衛を米軍に頼ってきた日本の戦後体制を考えると、本件は、日本が自分でシーレーンを防衛する方向性を示す話として画期的である。自衛隊は、すでに「テロ対策(米国のテロ戦争)」の枠内で、イラクのサマワに基地を作ったり、米軍と一緒に公海上の臨検に参加したり、インド洋の給油活動を行ってきたが、今回の基地建設は、それをさらに一歩進めるものとなる。

 対米従属的な頭で中国を「日本の敵」と考えれば「海賊退治の国際貢献で中国に負けるな」ということになる一方、左翼的な頭で考えれば「自衛隊の海外基地建設は憲法違反!」ということになる。だが、今後米国の覇権が退潮していく多極化の流れで考えると、海賊退治は「日中韓などアジア諸国の共同シーレーン防衛」の試みということになり、安全保障面の「東アジア共同体」作りの一環となる。

▼海賊の黒幕は英米イスラエル諜報機関?

 911以来のテロ戦争は、米英イスラエルの諜報機関による自作自演の色彩があるが、ソマリア沖の海賊問題も似た構図を持っている。

 ソマリアの海賊は、アブダビ、モンバサ(ケニア)、ピレウス(ギリシャ)、ナポリ、ロッテルダム、ロンドンなど、ソマリア沖に向かう船の出港地となりうる各国の港町にネットワークを張りめぐらせ、船舶保険の代理店などから情報を詐取して、ソマリア沖を通る船の積み荷の種類や、自衛用の武器や警備員を乗せているかどうかを、事前に把握している。積み荷に違法性が感じられる場合、海賊の標的になりやすい。海賊に船を乗っ取られても、積み荷の違法性が暴露すると困るので、船主は公的機関に通報したがらず、海賊の言いなりで身代金を払うからだ(戦車を運んでいたウクライナの船が襲撃されている)。海賊は、GPSや食糧など装備も万全だ。「ソマリア沖の海賊は、情報収集や後方戦略の面で、そんじょそこらの欧州諸国の諜報機関よりはるかに優れている」との指摘もある。(Somali pirates set up "agencies" on three continents

 昨年5月、英ガーディアン紙は、ソマリア沖の海賊が英国ロンドンの情報コンサルタントに支援され、ロンドンで集めた情報が衛星電話でソマリア沖の現場に伝えられ、襲撃する船を決めていると報じた。人質となった船長は、海賊が船の運航日程や船内装備について非常に詳しく知っているので驚いたという。この記事は、スペインのラジオ局が、EUの諜報機関から得た情報をもとに報じたものの転電だ。英国の船は襲撃対象から外されているとも書かれている(今年に入って英国船が襲撃されたが、カモフラージュかも)。(Somali Pirates Guided by London Intelligence Team, Report Says

 情報分野のコンサルタントは多くの場合、どこかの国の諜報機関の出先機関である。英国の船舶が襲撃対象から外されているとしたら「コンサルタント」の背後にいるのは、英国のMI6か、その兄弟分である米CIAやイスラエルのモサドである。('Somali pirates receive tips from London'

 MI6とCIAとモサドは、一つのつながった機関であるともいえる。彼らは911事件の「犯人」とされる「アルカイダ」の背後にいる機関だ。911によって引き起こされたテロ戦争は、米英イスラエルが「テロ対策」の名目で、世界を諜報面から長期支配できる構造を持っていた(米国の「やりすぎ」の結果、その構図は崩れているが)。(アルカイダは諜報機関の作りもの

 米英イスラエルの諜報機関がソマリア沖の海賊の黒幕だとしたら、その戦略の目的は「テロ戦争」と同じものだ。国際船舶の1割以上が航行するソマリア沖で、米英イスラエルにとって警戒すべき国の船舶が海賊に襲撃される。新興諸国の経済的な発展を阻害できるし、反米諸国の武器輸送を妨害できる。ソマリア沖はサウジアラビアの前面にあり、イスラエルはアラブの大国であるサウジに脅威を与え続け、サウジの対米従属を維持させられる(アルカイダもサウジの組織とみなされた)。(Piracy in the Red Sea: Saudi points towards Israel

 テロ戦争は、米国の「やりすぎ」のために破綻し、米軍の力は浪費され、イスラム諸国は反米になり、ロシアや中国の台頭を招いて多極化につながっているが、ソマリアの海賊も同様の展開になっている。隠れ多極主義な傾向を強める米国は、米軍がイラクとアフガンで手一杯なことを理由に、ソマリア沖の海賊退治に中国やロシア、インド、それからイランにまで参加を許し、中国を多国籍軍のアジア代表にしてしまう多極化策をやっている。海賊退治の多国籍軍は、多極型の「世界政府海軍」の原型になりうる。これは、従来の米国主導の多国籍軍とは対照的な存在だ。(Navies of the world uniting

「米英イスラエル中心体制」の維持発展のためのはずのテロ戦争やソマリア海賊は、いつのまにか、その体制を破壊して世界を多極化する流れを生み出している。流れの中で、日本の自衛隊もジブチに基地を作らざるを得なくなり、対米従属から「日中韓での合同シーレーン防衛」へと転換していく道を歩まされている。日本が米国に頼らず、中韓と合同でシーレーンを守れるなら、沖縄の米軍基地も要らないことになる。

▼沖縄からいよいよ覚醒する日本

 普天間の米軍基地問題では、鳩山首相の「5月までに解決」の約束が果たされなかったため、マスコミ総出で鳩山たたきに熱中している。しかし、以前の記事に書いたとおり、民主党(小沢一郎)の戦略は「沖縄を皮切りに日本を覚醒させ、巨額の思いやり予算で米軍を引き止めて日本に駐留させてきた官僚機構の対米従属戦略と官僚支配を崩すこと」である。(沖縄から覚醒する日本

 沖縄県民は「基地は要らない」という意思でますます結束している。4月27日、沖縄の読谷村(よみたんそん)で沖縄島民(123万人)の1割弱にあたる10万人近くが参加して反基地集会が開かれた。米国の分析者ダグ・バンドウは「(この集会で示された)基地負担の重さに関する沖縄県民の意思表明を、米政府が受け止める時が来ている」と書いている。読谷の10万人集会は、沖縄の民意を示す分水嶺となった観がある。本土のマスコミがどんな歪曲報道をしても、本土の人々が騙され続けるだけだ。この先、誰が日本の権力を握ろうが、沖縄の民意は変えられない。小沢の戦略は成功している。(Japan Can Defend Itself by Doug Bandow

 鳩山政権は、普天間や嘉手納で行われてきた米軍の飛行訓練を、沖縄だけでなく全国各地の基地に分散することを検討し始めた。これは1972年の返還以来、沖縄というパンドラの箱に封じ込められていた基地問題を、40年ぶりに再び全国にばらまき、米軍基地に出て行ってもらいたいと明確に考える沖縄の覚醒を、全国に拡散させる動きである。小沢は戦略を拡大している。ブレジンスキーはワシントンでニヤニヤしているだろう。(米軍飛行訓練を全国に分散…政府検討



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英国政権交代の意味

2010年5月14日  田中 宇

 5月6日、英国で総選挙が行われ、13年間続いた労働党政権が終わった。5月11日、労働党のブラウン首相が辞任し、保守党と自由民主党(自民党)の連立政権が生まれ、43歳の保守党のキャメロン党首が首相となった。英政府が連立政権となるのは60年ぶりだ(43歳の首相は約200年ぶり)。英国は650の1人選挙区からなる小選挙区制で、全国展開する余力が少ない小政党の得票が無駄になる傾向が強く、保守・労働の2大政党が有利になる制度的歪曲によって、二大政党制を維持してきた。(Conservative Cameron takes over as British PM

 今回、銀行への増税や、米国との「特別な関係」の見直し、核兵器(潜水艦搭載トライデント弾道ミサイル)の廃止などを掲げ、人気が急増した第3政党の自民党は、投票総数の23%を獲得したが、議席数では議会の9%にあたる57議席しかとれなかった。労働党は得票率が29%で258議席(40%)、保守党は36%の得票で306議席(47%)だった。小選挙区制のせいで自民党は議席数が少なかったものの、二大政党が拮抗し、自民党を取り込んだ連立が必要になった。(Nick Clegg's Britain - A bad week for British politics

 英国では、20世紀は保守党が優勢だったが、1997年からは3期連続で労働党が勝っていた。その最大の理由は、ブレアとブラウンが率いる労働党が、米英連動の金融システムの債券化(レバレッジ拡大)の波に乗ったからだった。経済が沈滞して企業の業績が悪化してもジャンク債の発行で資金調達できて倒産しにくくなり、経済が金融主導で成長し続け、高い内閣支持率が維持された。国際的には、米英の金融覇権の強化され、金融主導の英米中心主義が成功して、ロンドンはニューヨークと並ぶ国際金融センターであり続けた。労働党で、この経済戦略の最高責任者が、ブレア政権で財務相をつとめたブラウンだった。(The end of an era

 ブレアは弁術巧みでカリスマ性が強く、首相として人気が高かったが、ブラウンは戦略立案力があるがカリスマ性に欠けていた。首相になれずに終わることを恐れたブラウンは、イラク戦争に参加して失敗したブレアの人気失墜を利用して07年6月に首相となったが、その1カ月後に米国で住宅ローン債券危機が始まってレバレッジ金融は巻き戻しに入り、米英の金融覇権体制は崩壊に向かった。ブラウンの就任直後から、労働党政権は終わりゆく運命にあった。

 ちょうど日本で小泉政権の終わりが実質的な自民党の終わりで、その後の安倍、福田、麻生の3首相が「死に体」の自民党政権を復活できなかったように、ブラウンはようやく英首相になったものの労働党政権の行き詰まりに歯止めをかけられず、英経済は悪化を続け、財政赤字は急増し、議会の任期満了で行われた今回の選挙で敗北した。

▼意味が薄れた二大政党制

 今回の英選挙の結果、成立した英政府は、保守党と自民党の連立となったが、2党は、いくつかの点で主張が大きく食い違っている。保守党内にはEU統合(英国の国家主権をEUに譲渡していくこと)への強い反対があるが、自民党はEU統合を支持している。特に、自民党首のニック・クレッグは、母がオランダ人(戦時中インドネシアで日本軍に捕まっていた)、祖父はロシア系、妻がスペイン人で、欧州大陸諸国とのつながりが深く、親EUである。

 また、二大政党制を維持するための小選挙区制の歪曲の犠牲になってきた自民党は、小選挙区制をやめて比例代表制を導入することを主張している。だが、小選挙区制のおかげで議席を多めに獲得してきた保守党は、比例代表制の導入に反対してきた。

 連立政権が発足した5月11日、2党は連立を組むにあたっての合意事項を決め、翌日に発表した。そこでは、保守党が選挙制度改革に対して前向きな姿勢をとって自民党に譲歩した。半面、EUに対する今後の国家主権移譲には国民投票を必須にしてEU統合に歯止めをかけたほか、今回の連立政権が続く限りユーロに加盟せずポンドを使い続けるとも合意され、この点では自民党が保守党に譲歩し、バランスをとった。(Conservative Liberal Democrat coalition negotiations Agreements reached

 英国は、二大政党制の世界的なモデルだった。二大政党制は、選挙制度を操作して政権をとりうる政党を2つに限定し、2党がうまく談合することで「2党独裁」を実現した。この手の限定を加えない民主主義体制は、選挙のたびに国家戦略が変動しかねず、国家の不安定と弱体化につながりがちだ。独裁制にすれば安定するが、民主体制より政治倫理的・道義的に劣っている。この点、二大政党制は「民主主義」と「独裁」の両方の長所を得られる体制だ。二大政党制をとった英米などは昔から、中国やソ連など、独裁制をとらざるを得ない新興諸国を道義的に非難でき「人権外交」によって、新興諸国の台頭と覇権の多極化を抑えてきた。

 だが、英国と並んで二大政党制と人権外交を推進していた米国は、911事件後「政権転覆による世界民主化」という過激な戦略を展開し、やりすぎによって人権外交の利点を自滅的に破壊した。「それはやりすぎだ」と諭す英国に対して、米国は「単独覇権主義」を振りかざし「文句があるなら米国との縁を切ればよい」と突き放して過激戦略を突き進んだ。イスラム世界など新興諸国の人々は「米英こそ人権侵害をしている」と非難を強め、民主や人権といった概念で英米(欧米)が優位に立つ構図は自滅的に崩れている。(人権外交の終わり

 こうした現状は、英国が二大政党制に固執する意味が減っていることを意味している。そう考えると、今回の政権交代を機に、英国で選挙制度の見直しが本格化するのは不思議ではない。今後の英国が比例代表制を導入(併用)し、二大政党制から多党制に転換していくと、英米を真似てここ15年ほど小選挙区制を導入し、二大政党制を目指した日本の選挙制度も、再び見直され、中選挙区制度へと先祖返りしていくかもしれない。

▼金融増税でロンドンから銀行が逃げ出す?

 一方、今回の保守党と自民党の連立合意でEU加盟の加速が抑制されたことは、ギリシャ国債危機を皮切りとするユーロ圏の危機によって、英国にとってポンドを手放してユーロに加盟する可能性が当面なくなったことと、たぶん関係している。(David Cameron and Nick Clegg joke as they announce tax rises and huge cuts

 とはいえ今後、ポンドがいつまで無傷でいられるかは不明だ。英国の新政権は今後、日本の鳩山政権がやった「事業仕分け」に似たことをやり、財政緊縮策を強化する予定だが、財政支出をうまく切り詰められない場合、英国債のトリプルA格を見直すと格付け機関が言っている。(Britain's Brown to call general election for May 6

 格付け機関は歴史的に「英米の傀儡」と呼べる存在で、英国がトリプルAを失うことは政治的にあり得なかったが、このところ格付け機関に対して米国の議会が捜査の手を入れており、格付け機関は従来よりも「公正な格付け」をせざるを得なくなっている。以前ならあり得ない英国債の格下げがあり得る事態となっている。英国債の格下げは、ポンドの崩壊を意味する。(Why The UK Is The Next European Country To Experience A Massive Debt Crisis

 労働党と自民党は、金融機関や銀行幹部の高給に対する課税強化でも合意したが、これは国際金融センターとしてのロンドンの地位を危うくする。ロンドンでの事業を急拡大してきた日本の「投資銀行」である野村証券は今年3月、英政府が金融界への課税を強化するなら、ロンドンで事業を拡大する意味がなくなると警告を発し、増税なら英国から撤退するかもしれないと示唆した。そのため前ブラウン政権は金融増税を躊躇した。この状況は新政権になっても変わっておらず、金融増税には限界がある。増税できず、財政が立ち直らないと、ポンド崩壊の危機が近づく。(Nomura chief warns on UK taxes on banks

▼米英弱体化で推進される世界核廃絶

 保守党と自由党の連立合意の中に盛り込まれた画期的な新政策のもう一つは「核廃絶」である。英国はトライデント核ミサイルの更新が必要になっているが、財政緊縮策の一環としてトライデントの更新をやめることを検討し、代わりにニューヨークで開かれているNPT(核拡散防止条約)の見直し会議などで世界的な核廃絶を進め、英国が核兵器を持たなくても安全保障上問題のない世界体制づくりを目指す方向性が、連立合意文に盛り込まれている。(Conservative Liberal Democrat coalition negotiations Agreements reached

 核廃絶はリベラル政党である英自民党が以前から主張してきたことだが、同時に英軍内部でも「アフガニスタン駐留の費用がかさむので、トライデントの更新をやめて、浮いた予算をアフガンに回してくれ」という主張が出ていた。(Generals: Britain Should Scrap Nukes

 選挙制度が英国の世界覇権と関係していることを前述したが、核兵器もまた、英国の世界覇権と関係している。第二次大戦中、核兵器を世界で最初に開発し、広島と長崎に投下したのは、米英連合の「マンハッタン計画」だった。もし、核をめぐる状況がここで固定していたら、核兵器を持つのは米英に限定され、核兵器は米英覇権の強さの象徴になっていたはずだ。しかし、核兵器技術が(意図的に)流出する覇権の暗闘的な状況がすぐに始まり、ソ連が核兵器を持ち、やがてフランスや中国も核を持った。1963年に国連が作ったNPTは「米英仏ソ中は核兵器を持っても良いが、他の国はダメ」という世界体制で、これはつまり国連安保理の常任理事国の5カ国だけが核武装を許されるという、国連の多極型の覇権体制だった。米英覇権の象徴になるはずの核兵器は、いつの間にか、国連安保理の多極型の世界体制の象徴になっていた。

 しかし同時に、英保守党の首相だったチャーチルが46年の「鉄のカーテン演説」で扇動して作った冷戦体制は、米国とソ連だけが突出して互いに大量の核兵器を持って対立する体制をも作り出した。米英同盟の拡大版であるNATOが、ソ連中国と恒久対立する擬似的な英米覇権体制が冷戦であり、その恒久性を担保するのが米ソの大量の核兵器だった。米ソ相互の核抑止力がある限り、米ソは戦争しないが対立も解かず、冷戦体制が維持され、英米同盟が西側の中心であり続ける英国好みの世界体制が続いた。

(核兵器は、インドとパキスタンも保有したが、これを英国の戦略との関係で見ると、インドが英米の影響下から出て自立した地域覇権国になるのを防ぐための印パ対立の固定化策と見ることができる。北朝鮮が核武装したのも、朝鮮半島の統一と在韓米軍の追い出しを阻止するため、軍産複合体がパキスタンのカーン博士を通じて北に核技術を漏洩したと考えれば、同様の対立固定化策である。イスラエルの核も、中東の対立固定化を後押ししている)

 冷戦体制は89年に終わった。その時点で核兵器もNATOも不要になるはずで、英国は軍事重視の戦略を捨てて金融覇権体制に移行したが、軍産複合体が粘ったため、核廃絶は進まなかった。軍産複合体はクーデター的な911事件とともに復権し「小型核兵器(バンカーバスター)でイラクや北朝鮮の地下軍事施設を破壊する」といった話が頻出し、英国も米英同盟を維持するためイラク侵攻に参加した。だが、実はこの軍産複合体の巻き返しの中には、ネオコンなど隠れ多極主義者による「やりすぎ」による自滅策が潜んでいた。米英覇権は崩壊感を強め、オバマ政権になって核軍縮が推進されるようになった。

 近年、イラン、サウジアラビア、エジプト、ベネズエラ、ブラジルなどの発展途上諸国が、新たに「核の平和利用」を開始している。同時に米英覇権は弱まっており、米英が途上諸国を監視しきれず、途上国が次々と核兵器を持つ事態になりかねない。そうなる前に、核兵器を世界的に全廃しておいた方がよいと英国が考えて、オバマの核廃絶に賛成していると考えられる。(Saudi Arabia Announces Nuclear Plant, and It Could Have Huge Consequences for US-Iran Relations

 英政府(ブラウン政権)は昨年、オバマ政権に対して「核廃絶は賛成だが、トライデントの更新だけはやらせてくれ」と言っていたが、今では財政難から、トライデント更新をやらずに核廃絶していく方向になっている。国際政治の動きを先導する技能を持つ英国が今後、自国の核廃絶を正式決定するなら、米英主導となった世界核廃絶は大きく一歩踏み出すことになる。すでにフランスは、EUとしての核廃絶を了承している。今は沈黙している中国も、いずれ核廃絶の方向性を宣言しなければならなくなる。米ロも核全廃ではないものの、核の相互削減で合意している。(British Govt Could Cut Nuclear Weapons

▼英米同盟が終わる?

 核廃絶と並んで、英国の新政権が打ち出した重要な外交戦略は「米国との同盟関係の見直し」である。英米同盟については、連立合意文書では言及していないが、キャメロン新首相は就任直後の記者会見で「米国との関係は強固(solid)だが、米国に従属する(slavish)のはもうやめる」と表明した。これは、日本で昨夏の選挙で自民党に勝った民主党の鳩山首相が「米国との関係は非常に大事だが、日米関係は対等にする」と表明したのと似た流れだ。(UK govt promises 'solid, not slavish' US ties

 日本の戦略は対米従属だが、英国の戦略は「対米黒幕支配」だ。英国は911以来、英米同盟を維持するため、イラク侵攻への参加など、米国の「自滅的やりすぎ戦略」につき合わざるを得ず、それが英国民には「対米従属」に見えて、政府批判が強まった。英国民の反米感情を背景に、英自民党は選挙前から「英米同盟(英米の特別な関係)は解消すべきだ」と主張していた。(Lib-Dem Leader: UK Must Stop Doing US Bidding)(British party leader calls for end to "special relationship" with U.S.

 英新政権は、英米同盟から離れていく姿勢を見せると同時に、インドや中国に接近する姿勢を見せ、世界の多極化に対応している。この点も、日本の鳩山政権が「対等な日米関係」と「東アジア共同体(対中接近)」を同時に打ち出したのと同じ流れだ。キャメロン新首相は就任後の初日に米オバマ大統領と電話会談したが、同日には中国の胡錦涛主席、インドのシン首相とも電話会談している。米ウォールストリート・ジャーナル紙の「さよなら、特別な関係?」と題する記事は「キャメロンの特別な関係のお相手は、米国ではなくインドだ」と揶揄している。(Farewell, the Special Relationship?

 英国は、米国の世界戦略を牛耳ってきただけに、米国との同盟関係を失ったら、英国の国際影響力や経済的繁栄は大きく損なわれる。ポンドが弱い状態でユーロに入ることになりかねず、英国にとってギリシャ(歴史的な英の傀儡国)と同等に見なされる屈辱である。米国はオバマになっても英国を冷遇し続けており、米国は英国との関係を切りたいようだが、英国は、これに簡単に従うわけにはいかない。

 英政界でも親EUの自民党は「米国との関係を切ってEUに入ればよい」と言うが、これが英政界の総意になるとは考えにくく、今後の英政界は国家戦略の根幹をめぐって波乱が続きそうだ。

▼英自民党は意外に力があるかも

 自民党は英連立新政権の劣位の参加者だ。しかし、ブラウン前首相を辞任させたのは自民党のクレッグ党首の政治手腕である。クレッグは、いったん保守党と連立交渉に入った後、労働党がすり寄ってくると、保守党との連立交渉を止めて「ブラウンが辞めるなら労働党と連立交渉に入っても良い」と言ってブラウンに辞表を出させた。これを見てあわてた保守党は、大幅に自民党の要求を受け入れた。半日後、クレッグは保守党との連立を決定し、発表した。

 新政権は、外相も蔵相も保守党で、自民党はこれらの要職を得なかった。しかし、ブラウンを騙して辞任させると同時に、保守党から大幅譲歩を引き出したクレッグの手腕から考えて、自民党は、今後の連立政権の運用の中で、意外と自分たちの政策的要求を実現させていく可能性もある。(Nick Clegg to Haaretz: I admire Israel, but won't stop criticizing its government

 英自民党の政策は、特に国際政治の分野で、英国の戦略を大転換させていく可能性を持っている。米英同盟解消、核兵器廃棄のほか、パレスチナ問題をめぐるイスラエルに対する厳しい態度、アフガニスタン占領を終わらせること、イランとの戦争反対などを掲げている。英連立新政権の内部の政治力学がどうなっているかまだ不透明だが、英国は世界の先導役であり続けてきただけに、今後しばらくは英政界から目が離せなくなった。



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資本主義の歴史を再考する

2010年5月4日  田中 宇

 最近の記事「米中逆転・序章」で、15世紀末からのスペインやポルトガルなど欧州諸国による「地理上の発見」が、なぜ欧州諸国間の熾烈な競争として展開したのかという問いを立て、それへの推測的な答えとして「欧州各国に金を貸し、地理上の発見を資金面で支えた資本家(ユダヤ商人)が、資本の効率を上げるために、各国間の競争を煽る金の貸し方をしたのではないか」と考えた。これが、やがて欧州から世界に広がった資本主義の原動力である「競争原理」の源泉ではないかと書いた。(◆米中逆転・序章

 欧州は、16世紀から現在までの500年間に、人類史上まれにみる急速な発展を続けたが、急速な発展を長く続けながら国家間の競争状態が維持されたことも奇異だ。一般的に、ある国が急速に発展すると、その国は強大な軍事力を持って周辺諸国を滅ぼし、戦勝国と敗戦国が明確化した時に国家間の競争状態は終わる。この2000年間、統一と分裂を繰り返してきた中国が象徴的な例である。

 欧州の500年間は、この人類の一般的なパターンを踏襲していない。欧州では何度も諸国間の戦争が起きたが、一つの帝国的な大国家に統一されることはなく、複数の国々が割拠する状態が続いてきた。500年の均衡的競争状態が偶然の産物だったとしたら、それが起きる確率は極小だ。それが起きた理由について、歴史家はいろいろと説明をつけてきたが、私が考えた理由は「競争状態が維持された方が、各国政府に金を貸す資本家(宮廷ユダヤ商人)にとって都合が良かったから」というものだ。借り手が必死に事業を展開した方が、貸し手の儲けは大きくなる。

 戦争の時、国家に金を貸すのも資本家だ。戦争は国家に金を貸す資本家にとって大儲けできるが、戦争で決定的に勝負がつき、欧州諸国間の均衡的な競争状態が崩れ、最終的な戦勝国が全欧を支配する大帝国になってしまうと、その帝国の支配者は資本家の言うことを聞かなくなる。資本家は儲けるために戦争を始めるものの、適当なところで双方の国に金を貸している資本家どうしが集まって談合し、諸国に戦争をやめさせて、欧州の均衡的な競争状態を壊さないようにしてきたと考えられる。

 欧州が世界に広めた資本主義制度や熾烈な競争社会は、しばしば「野蛮なジャングル」にたとえられるが、実際には、競争社会を長く維持するには、社会や国際社会に対する巧妙な制御が必要だ。競争している当事者に、自分たちが競争させられているという意識を持たせてはならない。自然に競争が誘発維持されるようにせねばならない。私の仮説が正しいとすると、欧州の資本家群は、各国の王侯貴族たちに知られることなく、各国の中枢を操作するという、非常に巧妙なことをやっていたことになる。

▼資本主義は資本家の儲けを極大化する体制

 欧州における国家間の均衡状態での競争は、産業革命とフランス革命(国民革命)を経て、19世紀前半以降、個人間・企業間の均衡状態下への競争システムへと発展し、そのシステムが20世紀に世界に普及して、今の世界標準の「資本主義」「自由市場経済」となった。欧州での資本主義の始まりは「地理上の発見」だとされるが、要するに資本主義とは「資本家が儲けを増やすため、国家間や企業間、個人間の均衡状態下の競争体制を形成する(国際)社会体制」のことだともいえる。

 国家間の競争状態を、個人間の競争状態へと発展させられた背景には、プロテスタントの宗教改革があったと考えられる。16世紀以降の欧州キリスト教の宗教改革の結果、それまでの神と信者の間に必ず教会が挟まり、信者は教会の支配下でしか神からの信号を受けられなかった状況が打破されて、神と信者が直結するプロテスタントの新事態が生まれた。現状維持を求める教会の支配から解放されたプロテスタントの人々は、個人の努力によって仕事を成功させ、金儲けをすることを前向きなことと考えるようになった。

 個人の努力によって収入が増えたり社会的地位が上がることは、今の世界では当然のことだが、18世紀まで、そうした社会体制は世界に存在しなかった。人々の地位は、個人の努力に関係なく決まっていた。「個人の努力」に報酬が与えられる新体制は、18世紀後半からの産業革命(工場労働者の誕生、工業製品の消費役としての中産階級の必然的増加、商業資本主義から工業資本主義への転換)と、フランス革命(愛国心に駆られ、喜んで納税や兵役を行う「国民」の誕生)という、欧州の近代化を起爆した2つの革命を経て、個人間・企業間の均衡的な競争体制を形成していった。

 16世紀から18世紀までの欧州の商業資本主義(重商主義)の体制は、各国に金を貸しつつ欧州の均衡的な国家間競争体制を維持誘導したユダヤ資本家群(ネットワークと金融技能)がいなければ起きなかった。そして19世紀以降の近代資本主義の体制は、ユダヤ資本家群と、プロテスタントの宗教改革がうまく組み合わされなければ起きなかった。資本主義が、イスラム世界や中国ではなく、欧州で発生したのは、ユダヤとプロテスタントの組み合わせがあったからだ。欧州の中でも経済が最も急発展したのが英国とドイツだったのは、いずれもユダヤ商人の存在と、プロテスタントの勤勉性(個人の努力の誘発)が強かった地域だったからと考えられる。

 とはいえ、イスラムや中国に近代資本主義が合わないかというと、そうでもない。イスラム世界や中国が、この200年ほど衰退したのは、イスラムや中国の気質に問題があったからではなく、勃興した欧州が、文明的な観点からイスラムや中国の台頭を恐れ、分割して植民地化するなど、封じ込め続けてきたからだ。中国や日本、韓国などの東アジアは、一神教ではないので宗教の縛りがゆるく、世俗的である。東アジアは、個人の努力の礼賛を難なく受け入れられる。

 イスラムは、最初から神と信者が直結した宗教で、改革が出てくる可能性は十分にある。私が注目している一つの点は、20世紀初頭までイスラム世界の盟主で、近代化(ケマリズム)の過程でイスラムを捨てて欧州化しようとしたが欧州(EU)に入れてもらえず、近年再びイスラム世界の盟主になろうとする方向に転換したトルコが、イスラム教の改革を試みていることだ。(Tin-opener theology from Turkey)(Turkey seeks a more modern Islam

▼中産階級を必要とする資本家

 産業革命(工業化)は、18世紀後半に英国で起こり、19世紀に欧州全域に広がり、20世紀に全世界に広がった。産業革命は工業生産力を飛躍的に増大させ、投資家にとっては投資効率の急増となる。だから資本家は、産業革命を世界に広げたいが、その一方でイスラム世界や中国などが産業革命に成功して強大な国力を持つと欧州(もしくは19世紀以降の覇権国である英国)にとって脅威になるという懸念もあった。そのため、欧州(欧米)の資本家内部では常に、世界に産業革命を広げる(中国やイスラム世界を勃興させる)「資本の論理」に基づく動きと、欧州(欧米、英米覇権)を中心とする世界体制を崩さぬようイスラムや中国を封じ込めておくという「帝国の論理」に基づく動きが交錯し、暗闘・相克的な状態を続けてきた。

「消費者」は、産業革命とともに生まれた。産業革命によって、工業製品の生産量が飛躍的に増え、多くの人々が工業製品を買えるだけの経済的、時間的な余裕を持つことが必要になった。生産効率が上がって増え続ける商品を、売れ残りのないよう人々に消費をさせるには、人々の所得を賃上げで増やさねばならないし、金を使う余暇を適当に与えねばならない。酷使される貧しい工場労働者を、消費する中産階級に変えていくことが、実は資本家の好むところでもある。大量生産がなかった産業革命前には、資本家の事業が一般の人々を巻き込む必要はなかったが、産業革命後、資本家は一般の人々を、労働者と消費者の両面で巻き込まねばならなくなった。

 産業革命が始まって30年も経つと、その国の人々が豊かになって消費力が落ちてくるので、新たな地域で産業革命を起こさねばならない。この「焼き畑農業」的な産業革命の国際伝播が、資本主義を世界に広げた。今では、欧米中心体制に代わって中国、インド、ブラジル、イスラム諸国などで中産階級を急増させていく多極型体制に世界を転換しなければならない事態になっている。

 資本家は、従業員にやる気を持ってもらう必要がある。産業の効率が上がるほど、機械の性能の上昇は横ばいとなり、従業員のやる気が重要になる。ここでまたプロテスタント的な「個人の努力は報われる」という欧州社会の機能が働く。また、人々のやる気は、国家の強化の面でも注目されるところとなった。国家に金を貸す資本家は、国民が喜々として納税や兵役をやってくれた方がよい。

 封建国家は、国民国家になることによって、国力の増大に貢献する人が劇的に増加した。封建国家では「国」のことを考えるのは王侯貴族など一部の人々だけで、農民など残りの人々は、いやいやながら年貢を納めるだけだった。しかし、フランス革命を皮切りとした国民国家革命によって、国家が自分たちのものとなったと(扇動されて)認識するようになった「国民」は、喜んで納税や兵役を通じて国家に貢献し、国民国家は封建国家よりずっと高い成長をするようになった。国家を動かす人々にとっては、国民国家の方が好都合だ。義務教育(人々を愛国心ある国民に仕立てる洗脳の義務化)が施行され、マスコミが発達した。

 1792年のフランス革命とその後の各国の国民革命は、腐敗した王侯貴族の打倒が必要だと多くの人々が思ったため自然に進行したのではなく、ルイ16世の政府の失政を受けた政情不安を利用した、国力の増進率を引き上げるための試みとして、資本家(フランス革命の第三身分の代表)が革命を誘導した側面がある。同時にいえるのは「政治活動家」の中に資本家のエージェントがいるということだ。

 産業革命による工業生産力の劇的な向上は、工業製品の一種である武器の性能の改善と大量生産に結びついた。平時には工業の大量生産にたずさわる「国民」が、戦時には大量生産された強い武器を持ち、愛国心を発揮して勇敢に戦う兵士となった。この国民国家の強大な戦力を活用し、欧州の征服を企てた最初の指導者がナポレオンだった。(ナポレオン戦争は、英国が欧州大陸諸国を反フランスで結束させた外交力によって何とか鎮圧された)

 産業革命と国民革命の組み合わせによって、国家の力が劇的に向上することがわかると、欧州各国は、この2つの革命を上から積極的に導入するようになり、封建制を捨て、支配者の権力を維持しつつ領民を国民に変身させて愛国心を持たせるための立憲君主制に競って転換した。2つの革命を他国より早く進め、他国より良い製品を作って市場から他国製品を駆逐し、他国より強い軍隊を持って他国を征服することが、欧州各国の戦略となった。ここでまた、国家間競争をあおる資本家的な仕掛けが登場した。

 2つの革命を進めることを、一般の用語では「近代化」と呼ぶ。18世紀末以来、欧州各国は「近代化」を競って進めた。勤勉性の高い国民を持つドイツが特に成功し、ビスマルクやヒットラーが欧州制覇を試みた。欧州各国の間の競争が過熱して自滅的な戦争にならないようにする外交の枠組みが(欧州で最もユダヤ資本家と国家中枢の結託が強い)英国の主導で確立された。欧州内で市場や領土を奪い合うのではなく、代わりにアフリカやアジアなどの植民地の拡大の分野で欧州各国が競争するメカニズムが作られ、19世紀から20世紀にかけて、欧州列強による世界的な植民地争奪戦が展開された。(植民地争奪戦のメカニズムを誘導した英国が、最もほしい地域を取り、覇権国の座を維持した)

▼社会主義も資本家のための体制?

 19世紀前半以降、欧州各国は競って産業革命と国民革命を進め、強国をめざしたが、ドイツやイタリアは国家として統一したのが遅かったため、先進の英仏に追いつくため、ナショナリズムを強く打ち出して国民の結束を高め、国家が産業育成を主導するターボエンジン的な国家体制として全体主義(ファシズム)を導入した。

 一方、多民族国家でナショナリズムによる結束を進めにくいロシアでは、ロマノフ朝政府の失政によって起きた混乱に乗じて政権が転覆され、ナショナリズムの代わりに共産主義の思想を使って国民の結束を高めようとする社会主義が導入された。全体主義も社会主義も、建前的に選挙で代表を選ぶ民主体制をとり、国民国家システムの改訂版という色彩を持っている。

 一般に、資本主義(国民国家+自由市場経済)は資本家のための体制で、社会主義(国家計画経済)は貧民のための体制のように言われ、2つは敵対するあり方と認識されることが多い。だが実は、投資対象としての国家の成長力として見ると、社会主義は、資本主義を導入できない国々で急成長を実現するやり方だ。(すでに述べたように、フランス革命も「市民のための革命」と言われつつ、実は資本家にとって都合の良いものだった)

 ロシア革命には、ニューヨークの資本家群(ロスチャイルド系のヤコブ・シフ)が資金援助しており、ロシアの初代外相として国際共産主義運動(コミンテルン)を主導したトロツキー(ユダヤ人)は、革命の最中に亡命先のニューヨークから帰国した。当時のNY資本家群は、革命後のロシア(ソ連)の経済建設に投資するつもりだったのではないか(スターリンによって潰された)。

 ロシア革命後の国際共産主義運動は、国民国家革命を導入しにくい世界中の国々で革命を起こして社会主義国家を作っていき、社会主義国の国際ネットワークを作ろうとする動きだった。これは、当時の第一次大戦後の国際社会で何とか覇権を維持しようともがいていた英国の覇権体制を潰すための「別の覇権体制作り」に見える。近年、米国の隠れ多極主義者が進めている「多極化」と同質の、覇権転換の動きに見える。

 結果的にソ連は、独裁を強めたスターリンがトロツキーを失脚させ、国際共産主義運動は下火になり、欧米とソ連との関係も対立的になったが、もしソ連が国際共産主義運動を先導し続け、ソ連自体の経済政策も成功していたら、社会主義諸国のネットワークは高成長に入り、当時の英国中心の国際社会の成長力をしのぐ、NY資本家肝いりの「新興市場諸国」になっていたかもしれない。今のBRICは、かつての国際共産主義運動の延長線上にある多極主義運動といえる。

 これより前、NYの資本家は、中国で国民国家革命をやろうとする孫文の中国国民党を、ハワイの華僑(孫文の兄ら)を通じて支援していた観がある。これは、ニクソン訪中や今の米中G2につながる米国の隠れ多極主義としての中国テコ入れ策と考えられる。孫文の革命は、清朝を倒して中華民国を建国したものの、第一次大戦後は、欧州勢が撤退した空白を埋めて日本が中国支配を広げ、中国は混乱が続いた。その中で、ソ連のコミンテルンは、共産党と国民党を仲裁して連立政権を作らせようとする第1次国共合作を手がけた。NYの資本家は、中国を強い統一国家にして経済成長させることを目標に、孫文に託した国民革命が不発に終わった後、コミンテルンに中国を託したと考えられる。

 結局、国民党では蒋介石が日本との敵対をやめて第1次国共合作は崩壊し、その後第二次大戦中に米国によって第2次国共合作が目論まれたが、それも戦後の国共内戦によって失敗し、米国の軍産複合体が金日成を引っかけて朝鮮戦争を起こしたことで米国と中国は決定的な敵対関係となり、冷戦構造がアジアでも固定化された。

 結局、米国と中国の関係が親密になり、中国の経済成長が実現するのは、ニクソン訪中に始まり現在に至る、米国の隠れ多極主義勢力の戦略によってだった。08年の金融危機後、米国は国民と政府の赤字体質が悪化して消費力が落ち、代わりに中国やインド、ブラジルなどBRICが内需を拡大して消費を増やしている。産業革命以来、資本家にとって大量消費してくれる国が重要であることをふまえると、これはまさに覇権の多極化を象徴する事態といえる。



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ユーロ危機はギリシャでなくドイツの問題

2010年4月30日  田中 宇

 4月27日、債券格付け会社のS&Pがギリシャ国債を3段階格下げし、リスクが高い「ジャンク債」相当の「BB+」にした。ギリシャの次はポルトガルが危ない、その次はスペインも危ないという話が広がり、S&Pはポルトガルとスペインの国債も格下げした。危機はイタリアやアイルランドにまで拡大するとか、米国の投資家がユーロから大量の資金を引き上げているとか報じられ、ギリシャ危機はユーロ危機へと拡大している。(Greek Junk Contagion Presses EU to Broaden Bailout

 ギリシャの赤字問題は最近始まったことではなく、悪化が近年特にひどくなったわけでもない。英国が、欧州の覇権をとった後の19世紀前半、トルコ帝国に対抗するための傀儡勢力として近代ギリシャを建国させて以来、ギリシャは産業や社会の基盤が弱く、財政赤字の体質だ。しかもギリシャのGDPはユーロ圏全体の2・5%と小さい。ドイツを筆頭とするユーロ圏の大国群が適切な危機回避策をとっていれば、ギリシャ危機が今のようにユーロ危機に発展することはなかった。

 しかしこの問題が危険なのは、ギリシャの危機を扇動しているのが、ゴールドマンサックスやJPモルガンといった米国の投資銀行的な勢力と、S&Pなど米英の格付け機関であることだ。彼らは、ドルやポンドの危機を回避するために、ドルやポンドより先にユーロを潰そうとしている。ギリシャ国債のCDSを売ってギリシャの危機がひどくなっているように演出しつつ、英米などのマスコミも動員して投資家の不安を煽り、時機を見てS&Pがギリシャ国債を格下げし、危機を激化させた。これは要するに、以前の記事「激化する金融世界大戦」に書いたように、英米の金融覇権勢力(米英中心主義)が、覇権の多極化を阻止するために「金融兵器」を発動したものであり、覇権をめぐる金融世界大戦の一部である。(激化する金融世界大戦

▼ユーロ潰しの必要が出てきた背景

 英国は、19世紀のパックス・ブリタニカの時代から、欧州諸国どうしを競わせて漁夫の利を得る均衡戦略として、欧州諸国のマスコミや暴徒の動きを扇動する諜報的なネットワークを持っていた。今回もそれが発動され、ギリシャでは反政府暴動が続き、ドイツでも「怠慢なギリシャ人を救う必要などない」という世論が掻き立てられ、もともと弱かった凡欧州主義は消え、代わりにドイツ民族主義が復活している。EUが統合を維持するには、凡欧州主義を涵養し、経済から政治へと統合を進めることが必要だが、それはかなり難しくなっている。(Euro Sales Extend as Morgan Stanley Mulls EU2 Breakup

 そもそもEU(欧州統合)は、欧州人の努力の結晶のように見えるが、実はそうではない。欧州人の努力の結晶なら、今のようにドイツがギリシャの崩壊を傍観するわけがない。欧州統合推進の黒幕は米国の隠れ多極主義勢力であり、欧州を冷戦時代の傀儡状態から脱却させて米英と対抗できる強い勢力にして、米英の覇権独占を解体していく長期戦略だった。

 冷戦終結とEU統合開始と前後して、米英は金融自由化によって、債券金融を急拡大し、米英のデリバティブ残高600兆ドルという圧倒的な金融の富の力で覇権を維持する金融覇権の新戦略を軌道に乗せた。そのため、07年の金融危機開始までの世界では、紆余曲折でなかなか進まないEU統合による欧州の力の増加より、金融の力を使った米英の強さの方が勝っており、英米中心主義勢力がユーロ潰しをやる必要は少なかった。

 だが、07年からの米英金融危機は、ポールソン前財務長官やバーナンキ連銀議長らの失策によって、必要以上に悪化した(彼ら自身が隠れ多極主義者というより、ドルの無限発行を好むバーナンキのような人材を連銀議長に据えたところに多極主義的な采配があった)。JPモルガンなど米金融大手は、金あまり状態を再燃させて債権のリスクを低下させ、金融覇権を復活させようとしているが、オバマ政権の経済顧問であるボルカーは、これを潰す政策を進めている。(ゴールドマンサックス提訴の破壊力

 その一方でEUは昨秋、大統領と外相ポストを新設し、いよいよ政治統合に動き出した。オバマもブッシュ同様、隠れ多極主義者の側近に囲まれているようで、英国を邪険にする態度をとり、英政界では「英米の特別な関係はもう終わりだ」との見方が出ている。米英の財政赤字も急増し、このままでは英米覇権は崩壊だ。そのため英米中心主義の側は、ギリシャ危機を扇動し、ドルの対抗馬となりそうなユーロを潰しにかかる金融戦争を先制攻撃的に起こした。(Special Relationship Is Over, MPs Say)(British party leader calls for end to "special relationship" with U.S.

▼戦わずして負けるドイツ

 ギリシャやポルトガルは格下げされたが、4月29日に行われたイタリア国債の入札は比較的堅調で、今のところ南欧の全体に危機が感染してはいない。だが、これが金融兵器を使った覇権をめぐる金融戦争である限り、米金融筋は、ポルトガルやイタリア、スペインなどの国債のリスク評価を悪化させる策略をもう開始しているはずだ。米ハーバード大学の教授あたりは、すでにギリシャとポルトガルの財政破綻は不可避だと豪語している。(Italy bond auction eases eurozone debt fears)(Feldstein Says Greek Will Default and Portugal May Be Next

 金融戦争といっても、戦っているのは米英の側だけで、ドイツはほとんど応戦せず、無抵抗でやられているばかりか、利敵行為をする人がドイツ内部に多い。ドイツの与党CDU(キリスト教民主同盟)の内部には、ユーロが崩壊しても良いと思っている英国のエージェントのような人々がいて、ドイツの公金でギリシャを救済することに強く反対し、首相のメルケルは動きがとれなくなった。危機が大きくなって以来の1カ月間、独政府はギリシャ危機の拡大を防止する有効策をとれなかった。メルケルは4月中旬、「ギリシャ政府に融資しても良いが、その金利はギリシャ政府が民間から借りた場合と同率にする」と、救済になっていない計画を発表し、市場を落胆させ、危機を深化させてしまった。(German Merkel softens stance on aid for Athens

 野党のSPD(社会民主党)は、ギリシャ救済に反対する方向に扇動される世論に乗って「国民に開かれた議論をせねばならない」と言いつつ、メルケル政権批判をしながら、ギリシャ救済を阻止する動きをしている。独政府内には、国民にわかりにくい形でギリシャ救済をやってユーロを救おうとする動きがあったが、SPDは「開かれた議論」を主張することで、それを止めようとした。ドイツの政界とマスコミの大半は、英米にユーロ潰しの金融戦争を起こされていることに気づかない人々か、意識的・無意識的な英米のエージェントという人々のようだ。(Germany's CDU keeps pressure on Greece over aid

 ドイツのこの状況は、日本と似ている。同じ敗戦国の日本の官僚機構の中に、日本の国益よりもドルや英米覇権の維持を重視する意識的・無意識的なエージェント(対米従属派)が強いのだから、ドイツの中枢に英米の傀儡が多くても不思議ではない。英国にとって、遠くの日本より近くのドイツの方が、ずっと危険な、永久に去勢すべき潜在敵である。

 それでも独政府は、年に84億ユーロをギリシャに支援する計画を立てた。しかし、S&Pによる格下げでギリシャ国債の価値が急落したため、ギリシャ救済のために必要とされる資金の総額が急増し、最大で年に250億ドルもかかる事態になった。救済に必要な額が急増したため、独政界はギリシャ支援策にますます賛成しにくくなった。ギリシャ国債の格下げにより、ユーロ全体が危険になり、ドイツが被る悪影響が一気に拡大したが、ドイツはいまだに決定的な対応をとれないでいる。独当局は、2週間以内に何とかすると言っているが、1カ月前も同じことを言っていた。(Aid Package Talks in Berlin

 デリバティブ(金融兵器)を敵視する投資家のジョージ・ソロスは「投機筋のギリシャへの攻撃に対し、ドイツ政府が受けて立つ姿勢を鮮明にすれば、投機筋は恐れをなして撤退し、ギリシャ危機は解消できる。最大の要点は、ドイツが立ち上がるかどうかだ」という趣旨のことを述べている。逆に言うと、ドイツが優柔不断を続けると、ユーロ全体が瓦解し、ドイツも国家的な大打撃を受ける。(Greece needs discount from Germany: Soros

 皮肉なことに、ドイツがギリシャ救済に関してEUを主導したがらない結果、EU内で誰がギリシャを助けるのかわからなくなり、それが米英の金融兵器によるユーロ破壊を許している今の事態は、EUを主導するのがドイツ以外にないことを如実に示す結果となっている。ドイツにとってユーロ創設は、旧ドイツマルクの強さを他の欧州諸国に享受させてやる代わりに、ドイツ連銀が他のユーロ加盟諸国の中央銀行を吸収して欧州中銀(ECB)になるという、経済覇権の拡大を意味していた。(ECB Official Warns That Greece May Have to Cut More Deeply

 冷戦を終わらせた米国の隠れ多極主義者(レーガン政権)は、ドイツに対し「東西ドイツの統合を許してやるから、同時に通貨統合もやって、ドイツが再び強大になってもフランスと対立しない構造を作れ」と条件を出し、ドイツはそれをのんだ。米国のこの策略は、ドイツが主導する欧州を地域覇権勢力へと引っ張り上げる、多極化の一環としての「覇権の押しつけ」だった。

 だが敗戦以来、ドイツの中枢には英米中心主義のエージェントが多数おり、覇権を目指していた戦前に対する悪いイメージもはぐくまれてきた(この点は日本と同じ)。ドイツでは覇権国を目指すことへの抵抗が強く、欧州の経済統合は進めても政治統合が進まないという、中途半端な状況が20年続いた(経済だけしか重視しない点も日本と同じ)。その結果、EUは、英米中心主義勢力の金融攻撃に対して脆弱な状態にある(この点、日本はドイツ以下で、バブル崩壊を自演した)。

 ドイツは、欧州を主導して地域覇権国になる実力が十分にあるのに、それを行使したがらない国になっている。これは「平和主義」とは似て非なるものだ。米国が単独覇権主義を掲げ、イラクなどで戦争犯罪的な行為を繰り返しても、ドイツ政府は黙っている。こうした戦後ドイツの状況は、日本とよく似ている(憲法9条は対米従属のためにあった)。米国の隠れ多極主義勢力は、日独を誘っても覇権を取ろうとしないので、代わりに中国やロシア、ブラジル、イラン、トルコなどに覇権を取らせようと、各国の反米感情を鼓舞している。

▼ギリシャはユーロから離脱できない

 ドイツが不甲斐ないので、代わりに欧州中銀(ECB)が伝家の宝刀を抜き、ギリシャ国債を買い支えることで投機筋を撃退する作戦を検討している。欧州中銀のトリシェ総裁は、ユーロ創設の立役者の一人で、ユーロが潰されるのを看過できない。米連銀は、金融危機対策の一環としてドルを刷って米国債を買い支えてきたが、欧州中銀は「財政と金融の分離」を重視して、平時にはユーロ圏諸国の国債を買い支えてはいけないことになっている。だが緊急時には、この禁が解かれ、無制限に国債買い支えができる。欧州中銀は、緊急事態を宣言してギリシャ国債を買い支えることを検討している。しかしこれも、独政府に強く反対されれば、実施は難しい。(ECB may have to turn to 'nuclear option' to prevent Southern European debt collapse

 どの有力勢力もギリシャ救済に立ち上がらない場合、ギリシャは早ければ5月19日の国債償還時に、国債の債務不履行(デフォルト)を宣言せざるを得ない。ドイツの右派は「ギリシャを放置し、ユーロから追い出せ」と言っている。しかしギリシャが債務不履行になった後、ユーロを離脱して旧通貨であるドラクマの発行再開を宣言した場合、ドラクマは最初から紙くずの通貨となり、ギリシャの債務の大半を占めるユーロやドル建ての債務をドラクマ建てで換算すると膨大になり、返せない傾向が強まる。ドラクマ建ての債券は誰も買わず、金利が高騰する。事態はますます悪くなる。ギリシャの方からユーロ離脱を宣言することは考えにくい。一方、他国がギリシャを追い出すことも、EUの手続きとして存在しない。(Greece wouldn't find it easy to leave the euro

 ドイツでは、ギリシャをユーロから追い出すのではなく、ドイツがユーロを捨てる道も検討されている。財政基盤が比較的強い独仏とベネルクス、北欧だけで「新ユーロ」的な通貨を作る構想だ。しかし、事態が好転した後にこれをやるならまだしも、これを今の悪い状況下で行うことは、ドイツの責任感のなさを露呈し、ドイツと新旧ユーロ圏の全体に対する信用を落とす。結局、現実的には、どこかの時点でドイツがユーロの「最後の貸し手」になることを宣言し、投機筋からの攻撃を受けて立つしかない。(Are we already in a two-speed Europe?

 もう一つ気になる点は、財政危機がスペイン、イタリア、アイルランドに波及した場合、ユーロ圏ではないもののギリシャ並みの財政赤字比率になっている英国が無傷でいられるかということだ。金融兵器を発動して財政危機を蔓延させている勢力には英国もいるはずだが、金融や世論(プロパガンダ)の扇動兵器は、発動すると慣性がついてしまい、自国だけ攻撃されないようにするのは難しい。(U.K.'s AAA Rating, Negative Outlook Affirmed by S&P

 それから、欧州の先進諸国を順番に襲っている財政危機が、いずれ日本に感染するのかどうかも気になる。米マスコミでは「日本もいずれやられる」と記事が出回り、格付け機関も日本に警告を発している。だが、日本の財政赤字比率はギリシャより高いものの、国債の95%は機関投資家など日本国内の勢力が買っており、その多くは事実上、政府の許可なしに売れない。金融兵器が日本に対して発動される余地は少ない。(Japan's deficit Comparisons with Greece are inevitable

 ギリシャ国債はジャンク債に突き落とされたが、米国では逆に、JPモルガンなど投資銀行的な勢力によるレバレッジ再拡大策が軌道に乗り、ジャンク社債が優良社債並みの低利で取り引きされる状態に戻っている。米国の株式も、投資銀行だけが買っていることで上昇を続けている。ユーロの危機は、欧州から米国への資金逃避を生み、米国だけ金あまり状態が増強されている。この事態がずっと続けば、多極主義と米英中心主義の暗闘は、米英中心主義の逆転的な勝利になりうる。(Equity rally not driven by the usual investors

 米国の投資銀行は「EUは解体される」と気勢を上げているが、彼らが予測する将来のユーロ相場は、1ユーロ1・2ドル前後だ。今の1・3ドル台よりは低いものの、1ドルより1ユーロの方が価値がある状態は維持されると、米銀行でさえ予測している。ここで潜在的に指摘されているのは、ドルつまり米国金融も、ユーロに劣らずひどい状況にあるということだ。やはり、米国と欧州のどちらが先に崩れるかわからない状態が続いている。(Euro Sales Extend as Morgan Stanley Mulls EU Breakup



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ゴールドマンサックス提訴の破壊力

2010年4月24日  田中 宇

 4月16日、米国の証券取引委員会(SEC)が、最大手の投資銀行であるゴールドマンサックス(GS)を、サブプライム住宅ローン債権の証券化をめぐって不正な金融取引を行っていたとして提訴した。これは「ボルカー裁定」(Volcker rule)の一つだ。今年1月にオバマ大統領の金融改革を主導することになったポール・ボルカー元連銀議長が、以前から制裁したいと思っていたGSに対し「果たし状」を突きつけた。

 SECがGSを提訴したのは、サブプライム住宅ローンの債権を証券化した金融デリバティブ「合成CDO」(synthetic collateralized debt obligation、シンセティックCDO)に関するものだ。GSは、サブプライム住宅ローン債権の市場が崩壊する数カ月前の07年1−3月、欧州系銀行(独IKB、英スコットランドロイヤル銀行、ABNアムロ)などに対し、住宅ローン債権を組み合わせた合成CDO「アバカス2007AC1」を売った。その際、合成CDOを設計したのが、住宅ローン市況の下落を予測するヘッジファンド「ポールソン社」だったにもかかわらず、それを隠し、別の会社「ACAマネジメント」が設計したように見せかけ、顧客を騙して損失を負わせたと、SECは主張している。(Goldman accused of subprime fraud

 合成CDOは、CDO(債務担保証券)とCDS(債権破綻保険)を合成した金融派生商品(デリバティブ)である。CDOは、負債と資産からなる法人のような勘定で、投資家から金を集めて(このとき証券を発行する)負債とし、その金でローンなどの債権を買って資産として、利ざやを利益とする。CDSは、CDOがローン破綻の増加によって損失を出した場合に保険金を払う保険契約だ。CDSは、CDOのリスクヘッジのためある。

 合成CDOは、一般のCDOと形式上は同じで、投資家から金を集めて負債とする一方、一般CDOのようにローン債権を買うのではなく、CDSの保険引き受けを行ってそれを資産に立て、その保険料収入を投資家に儲けとして還元する。問題のGSの合成CDO(アバカス2007AC1)では、CDOが引き受けたCDSの買い手(保険料の支払い者)としてポールソン社がいた。ローン市況に問題がなかった最初の数カ月は、ポールソン社が払ったCDSの保険料が投資家(欧州銀行など)の儲けとなったが、07年7−8月にローン市況が崩壊すると、逆に保険金の支払いが必要になり、欧州銀行などが合成CDOに出した金は、そっくり保険金としてポールソン社に入り、合成CDOは大損失を出して破綻した。

 一般のCDOはローン市況が悪化しても、ローン債権が減価するだけで、ある程度の資産価値が残り、投資家が資金の全額を失うことはない。一方、合成CDOは、設計者がどのようなCDSの保険金支払い体系を組むかによって、CDSの保険対象となる債権の状況が悪化した場合の価値の減価の度合いが変わってくる。ローン市況が少し悪化しただけで巨額の保険金支払いが行われる保険設計にすることは可能だ。

 住宅ローン破綻を予測していたポールソン社は、少し破綻が起きただけで巨額の保険金支払いが行われる保険設計を作った。だが、米国の住宅ローン破綻を予期していなかった欧州系銀行などは、破綻時の保険金の巨額さを憂慮せず、破綻しなかった場合の保険料収入の多さのみに注目し、GSからアバカスのCDO証券を買った。

▼欧州銀行のリスク判断がまずかっただけだが・・・

 この話が、銀行が一般市民に証券を売った時に起きたのなら、銀行の責任は大きい。だが本件では買い手も金融のプロだ。買い手もCDSについてよく知っており、CDO購入時に中身のCDS保険設計について確認したはずだ。CDSの保険設計者と、CDS保険金の受け取り手が同じだったことは、リスク判定上、大した問題ではない。この話は基本的に、住宅ローン破綻を予測できなかった欧州系銀行が間抜けだった。だから「SECはGSを微罪で提訴した」「SECは勝訴しそうもない」という指摘が、米国の金融分析者の間から出ている。半面、政府系銀行であるIKBがアバカスで巨額損失を出して破綻したドイツの政府は、今こそGSに復讐するとばかり、GSを捜査し始めた。英国もGS捜査を開始する。(Charges against Goldman Sachs & Co. likely to kick off a torrent of bank lawsuits

 金融分析者の中には、今回問題になったGSの合成CDOのやり方を、1929年の株価暴落前によくあった株式の「ノミ行為(bucket shop)」の詐欺にたとえる者がいる。下落しそうな株の銘柄を投資家に推奨して買わせ、実際には株を買わず、代わりにその株を先物売りして下落を早め、投資家に投げ売りさせ、差額を詐取するやり方だ。たしかに、下落しそうな銘柄に投資させる点はGSのアバカスと同じだ。だが、ノミ行為が実際に株を買っていない不正を犯すのに対し、アバカスではポールソン社が自分で作って自分で買うやり方ではあるが、実際にCDSの保険が売買された。CDOやCDS自体に、ネズミ講的ないかがわしさがあるが、機関投資家は、いかがわしいと知りつつ売買している(はずだ)。(Now I See Why Soros Hates Derivatives

 金融の仕掛けを知る人々は、GSに対するSECの提訴は濡れ衣的と指摘するが、一般のマスコミの報道では、CDSやCDOの仕組みを書いても複雑で読者に理解してもらえないので「GSは自作自演の仕掛けを作り、下落するとわかっている証券を売った」というGSたたきの報道になっている。GSがたたかれて当然と思う点は、このCDOの件自体ではなく、もっと広義に、GSがローン債権が下落すると儲かるCDOの裏の仕組みを多数作ることによって、07年夏のサブプライムローン破綻を誘発し、その後の金融危機の進行でも「下落で儲ける」仕掛けを裏で作り続けた疑いがあることだ。

 リーマンブラザーズやベアースターンズの破綻の前には、これらの銀行の債券を対象にしたCDSが売られて保険料率(リスク評定)がつり上げられた。リーマンなどの実際のリスクは上がっていないのに、GSなど複数の大手銀行が裏で組んでCDSの売買を行い、CDS料率が上がると「リーマンは危ない」という話になり、破綻が早まった。今年に入っては、ギリシャ国債のCDSをめぐって同様のことが行われている。しかもGSは、3月に巨額のボーナスを出している。「GSは金融システムを破壊しつつ儲けている」と非難されて当然だ。(米金融界が米国をつぶす

▼銀行を地味な産業に戻すボルカー

 オバマの金融改革を主導するポール・ボルカーは、GSなど米大手銀行が手がけているCDSや合成CDOといったデリバティブが、金融バブルの崩壊をひどくすると批判している。ボルカーは「銀行は、預金者から金を集め、それを必要な企業や個人に融資し、わずかな利ざやで経営するという、本来の銀行業務に立ち戻るべきだ」と主張している。デリバティブなどの「金融技術」は詐欺で厳しく規制すべきだと言い「銀行が発明した役に立つ唯一の新技術は(ぼろ儲けのデリバティブ技術ではなく、本業の効率化を実現した)ATM(現金自動支払機)だ」とボルカーは言う。(Paul Volcker From Wikipedia

 米英の金融界では1985年の金融自由化後、従来の預金型の銀行業務とは別の、株式・債券・デリバティブといった証券業務が急速に拡大した。大恐慌時に作られた、銀行が証券業務に参入する際の規制(グラス・スティーガル法)が90年代末に撤廃され、多くの銀行がデリバティブに参入した。デリバティブの利益率は銀行業務の100倍ともいわれ、米金融界では銀行業務の資金残高が、証券業務の残高と同水準の10兆ドル超まで拡大した。(リーマンの破綻、米金融の崩壊

 だがデリバティブは、一般のCDOから派生して合成CDOが作られて資金を集めた上で、一般CDO以上に激しく破綻したように、経済の実体から乖離した資金の急拡大(レバレッジ)を招く。金融バブルの膨張につながり、07年夏以来の金融危機がひどくなる原因となった。金融バブルが肥大化するときに最も儲けるのは大手金融機関だが、バブルの破綻時に最も苦痛を受けるのは、貧しい方から順に一般市民だ。

 投機筋と呼ばれつつ貧困救済も手がけるジョージ・ソロスも、バブルを肥大化させて人類に迷惑をかけるデリバティブを規制すべきだと、以前から何回も言っている。(Soros On Derivatives

 銀行にデリバティブなど証券業務を禁じる政策をとるべきだというボルカーの主張は、グラス・スティーガル法の復活を意味する。英米金融バブルが崩壊し始めた08年夏に英国の銀行協会長が予測的に発した「レバレッジ金融はシステム的に破綻した。銀行は儲からない地味な業界に戻る」という宣言が実行されることをも意味している。(米英金融革命の終わり

▼米金融界全体にデリバティブをやめさせる

 ボルカーは、大統領就任時からオバマの金融政策顧問だったが、その過激な主張ゆえ、サマーズやガイトナーといった政権の他の金融担当幹部と衝突し、今年初めまで外されていた。オバマは今年に入って、サマーズやガイトナーを軽視してボルカーを重用する方針に転換し、1月末にはオバマが、ボルカーに金融改革を任せると記者会見で発表した。(Obama's 'Volcker Rule' shifts power away from Geithner

 この直後にボルカーは、GSを標的にし始め「GSが、預金業務より証券業務を重視し続けるなら、銀行であることをやめて、政府から救済される権利を放棄せよ」と要求した。GSはボルカーの警告を無視し、ヘッジファンドに資本参加するなどして、デリバティブ業務を続ける姿勢をとった。(Goldman Trades Shouldn't Get U.S. Aid, Volcker Says

 金融危機より前、米国には預金業務を行う「商業銀行」とは別に、預金業務を行わない「投資銀行」が5つあった。07年からの金融危機によって投資銀行は相次いで経営難に陥り、リーマンは倒産し、3行は大手商業銀行と合併したが、GSだけは単独で生き残っている。GSは、リーマン倒産直後の08年9月、米財務省や連銀からの支援を受けられるよう、商業銀行への転換を宣言し、形式だけ商業銀行に転換した。だが、その後も預金業務をやっていない。

 JPモルガンチェースは、GS以上にデリバティブを積極展開してきたが、旧チェース・マンハッタン銀行の預金業務を持っており、商業銀行である。シティやバンカメといった商業銀行も、90年代後半以降、大々的にデリバティブをやっている。ボルカーは生き残った投資銀行であるGSを標的にしているが、実際のねらいは、JPモルガンなどの商業銀行にもデリバティブをやめさせることだ。

 SECがGSを提訴したのは、おそらくボルカーの差し金だろうが、提訴の対象となった合成CDOは、GSだけでなく、ほとんどの大手銀行が06−07年の住宅ローン崩壊前の時期に発行を急拡大した。商業銀行の多くは、地域の市民に住宅ローンを融資する一方で、そのローン債権を証券化するCDOを作り、さらにはローン債権のリスクヘッジを兼ねてCDSを発行する合成CDOを作り、それらの証券を機関投資家向けに売っていた。これらのデリバティブに対し、米当局の監督はほとんどなく、デリバティブ商品のリスクや価格の透明性を保証する公開市場も存在せず、すべての取引は相対(店頭)で行われてきた。(Details on Abacus, Synthetic CDOs at the Heart of the Goldman Sachs Fraud Case

 今回の提訴で、たとえ原告であるSECが敗訴し、GSの潔白が証明されても、裁判をめぐる報道などを通じて、CDSやCDOの危険性や、ねずみ講的なイメージが、広く知られていくことになる。SECが勝訴すれば、その判例を活用し、他の銀行が発行した合成CDOで損失を被った機関投資家たちが、発行者の各銀行を提訴して金を取り戻そうとする訴訟を多発させるだろう。

 いずれにしてもこの裁判は、米金融界の全体に対し、CDSやCDOの利用に歯止めをかけるものになりうる。今回の提訴が「銀行にデリバティブをやめさせる」というボルカー戦略の一環だとすると、この流れは合点が行く。

 SECは、今回のように民事の裁判など起こさず、捜査を続けてGSを処分することもできたはずだが、その方法を採っていない。おそらく、捜査によって処分まで持っていくことが難しいほど、濡れ衣的な案件なのだろう。だが濡れ衣だとしても、SECがデリバティブに関してGSを提訴したという事実によって、ボルカーら米当局は、各銀行にデリバティブの事業をやめさせることが可能になる。

▼オバマの不人気挽回策としての金融規制

 米当局は権力を持っているのだから、それを使ってデリバティブ規制すれば良いではないかと思う人もいるだろうが、話はそんなに簡単ではない。米金融界は19世紀以来、儲けた資金の一部を政界に回し、金融を規制する多くの政策を潰してきた。

 オバマは健康保険改革が一段落した後、4月に入り、金融改革法の実現に向けて動いている。そこにはボルカーの考え方が多く盛り込まれているが、金融界は全力で規制を阻止しようとしている。デリバティブ規制は、米議会上院の農業委員会で審議されているが(デリバティブはもともと農民が穀物相場の乱高下の悪影響を防ぐするために開発された)、4月に入って本格化した農業委員会の審議には1500人のロビイストが集まり、規制を骨抜きにしようと各議員に圧力をかけている。(A Finance Overhaul Fight Draws a Swarm of Lobbyists

 デリバティブ規制を実現しようとするボルカーは、あらゆる手段を使って、金融界の対抗策と戦う必要がある。その一環が、SECによるGS提訴だと考えられる。

 オバマは今秋、中間選挙を控えているが、この大事なときに人気が落ちている。米経済は金融界だけ回復し、株価は上がるが、それ以外の実体経済は悪化し、失業は増え続け、住宅市況も悪化が続き、地方財政の破綻が広がって行政サービスが全米で低下している。多くの米国民が困窮し、オバマ不支持に転じている。健康保険改革も米国民に不評で、アフガン占領も失敗色を強めている。

 だが、ここでオバマが、一人だけ儲けている金融界に鉄槌を下すという金融改革のイメージを国民に与えられれば、不人気を挽回できるかもしれない。そうした思惑から、オバマはボルカーに「どんな手を使ってもいいから、金融改革を進めよ」と指示したのだと思われる。

▼金融界が画策するバブル再拡大を阻止する

 SECのGS提訴や、米議会の金融規制の審議といった、デリバティブのシステムを縮小させる米当局の動きは、金融界にとって非常に悪いタイミングで発せられている。08年秋のリーマン倒産から今年3月まで、連銀など米当局は、低利融資や不良債権の買い取り、公金注入などの金融救済策を続けてきたが、財政赤字増やドルの過剰発行が限界となり、これらの多くが終了している。

 代わりに米金融界は、デリバティブを使った金融バブルの再拡大を画策している。米企業が資金調達しやすい「金あまり」の状態を再拡大し、その資金が株や債券の市場に回って株高などを実現し、米経済が回復しつつあるかのように見せる構想を進めている。これまでデリバティブをめぐっては、JPモルガンがバブルを拡大させて儲け、GSがバブルを潰して儲ける構図があったが、JPモルガンは4月に入り「米大手企業の資金繰りは、かつてない良い状況だ。金融市場は復活しつつある」という宣言を繰り返し発している。(J.P. Morgan's Braunstein: `Optimism Is Back!' So, Ahh, Where Are the Deals?

 ところが、今後もしボルカーの戦略が功を奏して、デリバティブの拡大が阻止されると、JPモルガンなど米金融界が画策するデリバティブの再拡大による金融浮上策は失敗してしまう。米経済は、金融のみが活況で、他の実体経済部門はひどい状況だ。株価は実体経済をますます反映しなくなっている。デリバティブによる錬金術のみが活動している感じだ。ボルカー戦略は、この錬金術さえも潰してしまう。株価急落、米国債の金利高騰、ドル崩壊という、米覇権失墜の図式が水平線のかなたに見えてくる。(Lynn Tilton: "Huge Disconnect Between Stock Market and the Real Economy"

 ここで湧く疑問は、連銀元議長であるボルカーは米金融界のエージェントであるはずだが、ということだ。連銀(FRB)は、第一次大戦前にニューヨークの米金融界の肝いりで作られた組織で、連銀議長は米金融界の番頭のようなものだ。金融界の番頭だったボルカーが、金融界の経営難を悪化させ、ドル崩壊につながるデリバティブ規制をするのは理解しにくい。

 だが、ボルカーが「隠れ多極主義者」だとしたら、どうだろう。オバマ政権の経済顧問団の中で、ボルカーはジョセフ・スティグリッツ(経済学者)と並び称される急進改革派で、オバマの信任を得て、サマーズやガイトナーといった延命派を押しのけ、デリバティブ潰しの金融改革を進めている。サマーズが辞めるのは時間の問題とされている。スティグリッツは、国連総会議長の経済顧問でもあり、先進諸国の利権を壊し、BRICや発展途上諸国が経済発展できる世界体制作りを目指している。この新世界秩序は、多極型のものである。(Yes, Larry Summers is Leaving

 多極型の新世界秩序の中枢に位置することになるG20の事務局となるIMFは最近、金融機関に対する世界的な課税体制を作ろうとしている。この税収を管理するのは「世界政府財務省」になりそうなIMFで、税収は金融バブル崩壊の再燃を防ぐために使うことになっているが、銀行だけでなく、ヘッジファンドなど金融界のあらゆる企業体から徴収することを予定している(さもないと銀行が脱税のために「ヘッジファンド」を自称しかねない)。(Banks hit out at IMF `punishment tax'

 この金融国際課税は「世界政府」の初めての財源になるという意味で画期的だが、それとともに、初めての国際的なヘッジファンド規制にもなる。デリバティブや先物取引は、各国当局が実態をつかめないヘッジファンドやCDO勘定(両者はよく似ている)を通じて行われてきたが、そこに初めて国際的な監督が入る。BRICの力が強いG20が、英米金融覇権体制の隠れた「金融兵器」であるヘッジファンドを初めて規制する。これは英米金融覇権の解体と、世界の多極化に不可欠な施策である。(激化する金融世界大戦

 米国でボルカーが手がけているデリバティブ規制と、G20やIMFが国際的に進めている銀行課税制度は、英米金融覇権の解体という点で一致している。多極化策の一つであるとすれば、デリバティブを規制したことによって米の金融危機が再発し、米国債やドルの崩壊まで至ったとしても、全くかまわないどころか、むしろそれを誘発するためのデリバティブ規制だということになる。ボルカー自身は、正義感で動いているだけかもしれないが、その場合でも、ボルカーを今の政権中枢に据えたのは、多極化戦略の一環であろう。



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米中逆転・序章

2010年4月14日  田中 宇

「米中逆転」と題する本を、角川書店の新書(角川ワンテーマ21)の一冊として出すことになった。6月前半の発売予定で、5月連休前に大体を書き上げるのが締め切りとなっている。私が出す17冊目の書籍となる。(もともと今回は「オバマとカルザイ」の続きを書こうと思っており、ほかにEUに関する分析も書きかけだが、本の締め切りが近づいて尻に火がついてきたので、その考察を先にする)

 私が本を書く理由は、国際情勢の中の一つのテーマについて400字詰めで250−300枚の原稿をまとめる作業を通じて、世界のことについて大局的に考察する良い機会となるからだ。私は毎週2本ネット配信する分析記事を書き、それはそれで知的興奮がある。ここ数年、世界が転換期に入っているようで、米欧日などのマスコミがさらりと報じるだけの出来事が、詳細に読み込むと、実は世界の政治経済システムの転換の一環として深い意味があると思えてくる事象が多くなっている。だから毎週の記事配信の作業は意味がある。だが、毎週書き散らかしている記事の一部を使いつつ、一つのテーマで250枚以上の原稿をまとめる書籍執筆の作業をすると、それまで点と点でしか考えていなかった分析の間に、線的な新たな分析が浮かび上がる。

 世の中には、事実をおさえれば意味など考えなくてもわかると思う人が多いが、国際情勢に関して、この常識は間違っている。世界を動かす戦略の多くは機密で、重要事項の多くは事実の水面上まで浮かんでこない。当事者がもらす情報には意図的な歪曲が多く、それがジャーナリズムをプロパガンダ化している。国際情勢の分析には、見えない水面下や洞穴の奥を推測すること(洞の奥を見る「洞察」)が必須である。私の考察には間違いだといわれるものも多々あるが、事実集めだけでは事態を見誤るのも確かだ。そして考察を進める際に、250枚を書く作業は役に立つ。

 蛇足になるが、私は自分の本の売れ行きにあまり期待していない。書店は、プロパガンダ機関(マスコミ界)の端末である。911ぐらいより後、私は本屋に行くとげんなりする。売れる本を書くには、国際情勢の考察より先に、プロパガンダへの迎合方法の考察をせねばならない。対米従属の日本では、米英覇権が自滅して世界が多極化しつつあることは報じられず、その方向の直裁な題名をつけても大多数の人にはピンとこない(「非米同盟」など)。そもそも、どんな本なら売れるのかというのは出版社の人にもわからない。最近は内容の薄い本がベストセラーになることが多いとも聞いている。

 せっかく出すのだから、多くの人に読んでもらえる方が良いので、本の題名や章立てについてはあれこれ考える(それも創造性を鍛えられる作業だ)。だが、書籍よりネット配信の方が発表媒体の中心である私は、売れ行きよりも250枚を書くことによる自分の分析深化のために本を書くようにしている。

▼中国は世界覇権にならないが

 余計な前置きが長くなった。今回は「米中逆転」にまつわる考察として、田中宇プラスの読者にも興味を持っていただけそうなことを考えたので、ここに書いていく。ここに書くことは「米中逆転」の序章にしようと思っているのだが、思いついたままに書くので、序章の原案・たたき台である。(この後、米中に関係した経済、地政学、日本、朝鮮などの章立てを考えている)

 まず「米中逆転」という題名でつまづく。このキーワードで思いつく事象は、中国のGDPが米国を抜いて世界一になるとか、米中間の軍事バランスが逆転するといった話だが、それらは一般に、20年ぐらい先と考えられている。しかも、中国はいくら台頭してもアジアの地域覇権国であり、世界覇権国である米国に取って代わることはない。米国は戦後、欧州を支配したが、この先中国が欧州を支配することは、ほとんどあり得ない。この点の米中逆転はない。「米中逆転」は、最初から座礁した題名だ。

 しかし、今の国際情勢の全体を見ると「逆転」の感じがただよっている。米英中心体制や先進国(G7)の優勢が崩れ、BRIC(中露印ブラジル)や発展途上国が新興諸国として集団的に台頭し、その中心を担う国の一つが中国である。世界経済の中心組織としてG7に取って代わったG20では、米英とBRICが対等な関係になっている。「米中逆転」ではなく「米中対等化」だ。米中対等化は、覇権多極化の一部である。(G20は世界政府になる

 しかも、これまでに何度か書いてきたが、米中枢が行うことの中には、以前から、中国などBRICの台頭を煽る策略が感じられ、それは最近、幾何級数的に強まっている。対照的に、経済と外交の分野で米英の力が弱まりつつある。軍事面でも、世界最強の米軍はアフガンとイラクで自滅している。ゴールドマンサックスは「2020年に世界の中産階級は20億人になる」と予測したが、それが現実になると、中産階級(今は世界で8億人)の半分以上は中国インドなど新興諸国の国民となる。(米国の運命を握らされる中国

 こうした傾向が続くと、中国を主導役の一つとする新興諸国と、欧米日の先進諸国との集団どうしの力関係は、今後まさに逆転する。東アジアの中心が日本から中国に移り、日中の力関係が逆転しつつあることは、日本人の多くが感じているはずだ。つまり、事態はすでに逆転期に入っている。こうした話の全体を、本の題名として4文字に凝縮したのが、今回の私の「米中逆転」である。

▼獅子を眠り続けさせたい勢力と、起こしたい勢力の相克

 中国は「眠れる獅子」と呼ばれてきた。1840年のアヘン戦争など、19世紀の清朝末期から第二次大戦後(中共成立)まで、中国は欧日の列強に分断・支配される弱い国だったが、それ以前の明・清の最盛期には非常に強く、当時の世界水準で考えると大先進国だった。そのため欧米では、中国は潜在力のある獅子のような存在と考えられ、眠っているので弱いが、起こしたら大変な力を発揮すると考え、中国を「眠れる獅子」と呼んだ。

 1949年の中共成立後も、中国は朝鮮戦争、中ソ対立、大躍進の失敗、文化大革命など、失策や国力を消耗する出来事が連続した。獅子はなかなか起きなかった。しかし、1972年のニクソン訪中(米中和解)、79年の米中国交正常化と改革開放政策の開始を経て、中国は経済発展の軌道に乗った。

 89年の天安門事件後の数年間は先進諸国から経済制裁されたものの、97−98年のアジア通貨危機は人民元の閉鎖的為替制度のおかげで乗り切り、2007年以降は米欧が金融危機に見舞われ、米国が財政赤字(米国債発行)を急増するのをしり目に、中国は米国債を買い続け、最大の保有国となった。財政的に、米国が大赤字、中国は大黒字という逆転状態が顕著になり、米国は米国債を買ってくれる中国に厳しい態度をとれなくなっている。

 これで中国が今後、内需拡大の傾向を定着させ、米国に代わって中国が世界経済を牽引する大消費国になれば、経済の米中逆転はさらに如実になる。80年代以降、米英の経済力の源泉は債券やデリバティブなど金融の力だったが、07年以降の金融危機で米英型金融システムは破綻し、今後本格的に復活する可能性は低い(一時しのぎに延命しているだけだ)。

 いずれ米英金融界は儲からない業種になり、米英の金融覇権は終わりつつある(今は株や金融界に資金を集中させ、延命している)。世界経済は再び製造業が主流となり、中国など新興諸国は生産と消費の両面で経済力をつけ、先進諸国と新興諸国の逆転が進むだろう。眠れる獅子がいよいよ起き出したように見える。

 私のいつもの「英米中心主義」と「隠れ多極主義」との、米中枢での暗闘の図式で言うと、英米中心派は「永久に中国を眠れる獅子にしておきたい」と考えているが、多極主義者は「早く中国を起こして強い獅子(高度成長する国)になってほしい(そこに投資して儲けたい)」と考えている。明治維新以来ずっと獅子が眠っているおかげでアジアの大国であり続けた日本は、もちろん「永久に獅子に眠っていてほしい」と考えるのが国策だ。(最近の日本では、獅子が起きつつあることは認めざるを得なくなっているが「中国はバブル崩壊する」「米国と対立して潰される」といった楽観的・神風的な「獅子はまた眠る」の予測が目立つ)

▼モンゴル帝国はイスラムからの発想

 なぜ中国は「眠れる獅子」になったのか。なぜそれが起き出しているのか。それが今回の本のテーマのひとつだ。中国が19世紀のアヘン戦争で負けたのは、英国を筆頭とする欧州列強が産業革命でに強大になったのに対して、中国には強大化がなかったからだ。産業革命以前には、中国は欧州より経済力が強かったが、産業革命によって「欧中逆転」が起こり、中国はアヘン戦争に負けて列強に分割支配され、獅子は眠らされた。

 産業革命前、中国は欧州を支配下に置こうとはしなかった。だが、産業革命で欧中逆転が起きた後、欧州は中国を支配下に置いた。この違いはなぜ起きたか。それは、私なりの言葉で書くと、コロンブス(もしくは欧州から喜望峰回りのインド航路をひらいたポルトガル人バスコダガマ)以来の「世界帝国」と関係がある。15世紀の「地理上の発見(大航海)」以来、欧州は「世界帝国」を持つようになった。最初はスペインとポルトガルによる世界分割、その後はオランダの植民地拡大、英国による大英帝国、近代の二度の大戦の後は米国による覇権と、主役は欧州(欧米。米国は欧州の拡張地)の内部で交代しつつも、欧米はこの500年、ずっと世界帝国を保持してきた。

 欧米はこの500年、世界帝国を保有してきたが、中国はその手のものを持ったことがない。中国は、東アジアから中央アジアにかけての地域限定の覇権(帝国)でしかない。だから、中国は優勢な時に欧州を侵略しなかったが、欧州は優勢になったら世界帝国の策略の一環として中国を侵略した。世界覇権の維持はコストがかかる。

 米国は、500年前にスペインとポルトガルが世界を二分する帝国を築いて以来の欧州の世界帝国を、戦後に英国から引き継がされ、理想主義の米国民は「わが国が世界を主導せねば、世界は良くならない」と自己暗示にかけているが、911以来の米国の世界戦略の無茶苦茶ぶりを見れば、現実は理想とかけ離れている。今後たとえ米国の覇権が崩壊しても、中国が世界覇権を引き継ぐつもりはないと、私は分析している。中国が世界覇権にならないので、米英中心主義で世界経済が成長できなくなった後、世界を「多極型」にする必要があるというのが多極主義者の考え方のようだ。

 歴史的には、中国にも例外がある。それは、13世紀に騎馬の軍事力でユーラシア全体を侵略支配し、欧州をも侵略しかけたが果たせなかったモンゴル帝国である。モンゴル帝国は、世界帝国を目指していた。だがモンゴル帝国の発想は、中国に由来するものではない。チンギスハンは、7世紀からのイスラム勢力による世界帝国の策略をまねて、そこに中央アジアの草原で培った騎馬の軍事力を加えることで、世界帝国を目指した。中国の影響でモンゴル帝国ができたのではなく、モンゴル人が中国を侵略して元王朝を作った。モンゴルは帝国の運営において、中国人の漢族ではなく、中央アジア系のイスラム教徒である胡人(色目人)を重用した。世界帝国創造の発想の原点は、シルクロード西部のイスラム側にある。(世界史解読(1)モンゴル帝国とイスラム

▼イスラムが作った世界帝国への勧誘としての鄭和の大航海

 ここで「世界帝国」とは何かを分析する必要が出てくる。コロンブスは15世紀だが、ムハンマドのイスラム帝国は6世紀で、世界帝国の構想としてはイスラムの方が先だ。コロンブス以降の欧州の世界帝国は、インド洋沿岸の東アフリカ、中東、インド、東南アジアの貿易拠点をイスラム帝国から奪って作られている。イスラム世界が持っていた国際商業ネットワークを奪うことで、欧州は世界帝国を作った。

 世界帝国の起源は、アレキサンダー大王らにさかのぼる話として、シルクロードの征服によって西アジア(今の中東、インド、中央アジア)に帝国を作る東方の動きと、ギリシャやローマ以来の地中海の帝国が合体したものだ。その後9−10世紀になってイスラム世界はインドやインド洋を経由して東南アジアに拡大した。インド洋のマレー半島からインド、アラビア半島、アフリカ東海岸には古代から季節風を活用した帆船の航路があり、マレー人やアラブ人の商人がこのルートで商売をしていた(アフリカ東海岸のマダガスカル島の住民の大半はマレー系)。イスラム帝国は、このインド洋海域に布教して影響圏を広げた。

 歴史教科書的には、イスラム帝国は、13世紀にモンゴルがバグダッドのアッバース朝を滅ぼした時に終わったが、実質的には15世紀にオスマントルコ帝国がイスラム世界の盟主の後継者として出現して北アフリカから東欧までを支配し、トルコがイスラム帝国を継承した。イスラム世界はその後、欧州にインド洋の支配権を奪われたが、その後も第一次大戦までオスマントルコとしてのイスラム帝国は縮小しつつ存続した。

 15世紀には、中国を統一して強い勢力となった明朝が、おそらくイスラム世界からの招きを受けて「鄭和の遠征」をしている。明朝は元朝の衰退後に建国したが、元朝が重用したイスラム教徒の胡人たちは明朝にも登用され、鄭和は永楽帝に仕えた胡人の一人だった。鄭和は皇帝のお墨付きをもらって艦隊を建造し、東南アジアからインド洋、アフリカまで何度も航海し、表敬訪問や貿易をした。それらは中国側が企画した事業というより、明朝ができて中国が繁栄し始めたのを見て、イスラム世界の側が中国を自分らの商業ネットワーク(世界帝国)の中に引っ張り込もうとした感じだ。鄭和の艦隊は、インド洋沿岸の各港を支配する地元のイスラム勢力から物資補給や情報提供を受けなければ、航海できなかった。

 鄭和自身がイスラム教徒であり、イスラム世界の側は、明朝の中国を国際商業ネットワークに引き込んで儲けさせ、中国をイスラム化していく戦略だったとも思える。しかし、その戦略は成功しなかった。明朝の宮廷では、国際派の鄭和ら胡人(宦官)と、鎖国派の儒家が、国家戦略の立案で対立し、最終的には儒家が勝って中国は鎖国策(海禁)を採り、イスラム国際ネットワーク(世界帝国)への参加を見送った。(世界史解読(2)欧州の勃興

(日本も17世紀から鎖国したが、日本の鎖国も中国と同様、欧州の世界帝国から自らを切り離す政策だった。日本は鎖国しても中国との管理貿易を続けていた)

 鄭和の遠征から約100年後、東からの中国に代わって、西からの欧州が、インド洋・アジアの国際商業ネットワークに入ってきた。それがコロンブス以後のスペインとポルトガルによる世界帝国の創建である。これは、実は「創建」ではなく、イスラムが作った既存の世界帝国の「共用」から「奪取」への動きだった。バスコダガマもコロンブスもマゼランも、命をかけてめざしていたのは「インド」だった。それは「香辛料貿易」のためだとされているが、私は違う見方をしている。

 欧州の勢力、特に、地中海や欧州諸国間、欧州と中東以東などの貿易をめぐる資金決済や資金提供(資本家)の役割を長く独占してきたユダヤ商人(宮廷ユダヤ人。スファラディ)たちが、インド洋貿易の支配権をイスラム商人から奪うこと、イスラムが作った世界帝国を欧州が乗っ取ることが、欧州の「地理上の発見」事業の隠れた最大の目的だったのではないか、ということだ。

▼世界秩序の後ろの方に並ばされた中国人とイスラム教徒

 私がいう世界帝国とは、欧州から東アジアまでの商業ネットワークであり、陸上では中央アジアや西アジア経由のシルクロード、海上ではインド洋の航路の支配権のことである。ネットワークは、古代にはユーラシアの陸路が主役だったが、その後イスラム帝国がインド洋航路を組み入れ、15世紀に欧州がアフリカ回りの航路を新設してインド洋を乗っ取るとともに、南北米州や太平洋にも新航路を作ってネットワークを拡大し、全世界を網羅するに至った。近代英米の「地政学」は「ユーラシア大陸を制するものが世界を制する」と陸路系のみを強調するが、それはユーラシア内陸部が英露の確執の場だったからであり、それ以前に「インド洋は永久に英米のもの」という暗黙の揺るがぬ前提がある。インドと中国が台頭し、欧米軍をグアム以東・スエズ以西に退却させ、インド洋がBRICの海になると、地政学は前提から崩れ去る。地政学的な米中逆転が起きる。(中国を使ってインドを引っぱり上げる

 地理上の発見以来、ネットワーク(世界帝国)の支配者はずっと欧州(欧米)である。第二次大戦では日独が世界帝国の乗っ取りを図ったが、これは「欧米」内部の主導権争いである(日本は明治維新でうまく欧米化した)。今の世界は「自由貿易体制」で、商業ネットワークの支配者などいないことになっているが、本質はそうではない。経済界の中で最も利幅が大きい業界である金融ネットワークは米英が握り、米英に脅威となりそうな国は米英系ヘッジファンドに売り先物を仕掛けられて潰される(日本は狙われたくないので、米国を抜く前に自分でバブル崩壊を起こして自滅した)。行いが良くない国には、米英主導のIMFが厳しい「財政改革」を強要する。今でもネットワークの支配は強固だ(IMFはBRICが強いG20の事務局になりつつあるが)。

 19世紀まで、中国(清朝)とオスマントルコ(イスラム帝国の後継国)は、欧州支配に属さず、世界帝国に入らずに自立する2つの地域帝国だった。この2つ以外に自立的な地域帝国はなかった(ロシアは欧州の外縁部として拡大した。中南米の帝国は15世紀にスペインに滅ぼされた)。中国とイスラムの帝国は20世紀初頭に相次いで崩壊し、中国は「眠れる獅子」となり、トルコとその傘下のアラブ人などイスラム世界は、近代化(欧米化)しきれない「遅れた人々」に成り下がり、中国人とイスラム教徒は、世界帝国内の序列の後ろの方に並ばされた。世界には「世界帝国」以外は存在しなくなった。

 その後、中国もトルコも近代化を急ぎ、経済も政治も欧米式である(社会主義は欧州で考案され、欧州の端くれであるソ連の支援で中国に導入された)。今では中国の軍幹部が「わが軍はNATO式の組織論を導入し、立派になりました」と胸を張る。もはや世界には、欧米流(世界帝国流)でない国は存在しない。中国が台頭しても、欧米流と全く異なる明朝や清朝の体制が復活するわけではない。中国の台頭は、中国が欧米流を完全に取り入れて世界帝国の序列を上がることを意味する。やり方として、明治以降の日本と同じである。(中華文明と欧米文明は衝突するか

▼地理上の発見とユダヤ商人

 話を歴史分析に戻す。「米中逆転」を歴史的に見ると、まず500年前からの欧米の世界支配があり、200年前ぐらいに産業革命で欧米がさらに強くなって、この力で約100年前に欧州は、それまで世界支配の外にあった中華帝国(清朝)を滅ぼした。だがその後、中国は欧米化に努力し、ここに来て中国(やその他の新興諸国)の再台頭となり、米中逆転の現象になっている。こうした歴史を見ると、分析すべきは「中国の再台頭」の前に「欧米の世界支配」である。(私はこれまで、ニクソン以来の米国の隠れ多極主義者が、中国の台頭を誘発してきたことは何度も記事にしてきた。そのことは新刊本には書くとしても、ここで改めて詳述する必要性はなさそうだ)(世界多極化:ニクソン戦略の完成)(隠れ多極主義の歴史

 私が見るところ、欧州が15世紀の「地理上の発見」を引き起こし、世界帝国になった背景には「エンリケ」と「ユダヤ商人」の合体がある。エンリケは、15世紀前半に「航海王子」と呼ばれたポルトガルの王子で、彼は航海術を教える学校を作って船乗りを養成し、欧州より進んでいたイスラム世界の航海術を学び、アフリカ西海岸や南大西洋を南下する航路を開拓したとされる。彼は「地理上の発見」の先駆者である。

 ポルトガルやスペインが大航海に乗り出したのは「世界にキリスト教を広めるためだった」という説明もある。だが、艦隊を組んでの航海には巨額の費用がかかり、難破のリスクも大きい。キリスト教を広めるためなら、スペインとポルトガルが新天地発見をめざして必死に競争する必要などなく、一緒に仲良く艦隊を組めばよいはずだ。当時、巨額の費用を出せたのは、地中海など欧州の貿易を握っていたユダヤ商人である。コロンブスもユダヤ系だ。

 ユダヤ人は分散民族で、ユダヤ商人のネットワークは古くから中東やインドにおよび、イスラム世界の貿易ネットワークをユダヤ商人も享受していた。また、欧州からアフリカ大陸を南下するとインド洋に到達できることは、古代からわかっていたとされる(古代エジプトの地図にアフリカ南部まで描いてあった)。1453年にオスマントルコが東ローマ帝国を滅ぼし、地中海東部から中東経由でインド洋に行く貿易ルートがトルコによって断たれた。

 東ローマ帝国の学者がイタリアに移ってルネサンスが始まり、欧州の科学技術の発展が始まった。ユダヤ人は、地動説や羅針盤など科学技術の取得に積極的で、アフリカ回りのインド洋航路の存在、大西洋を西に行くことでインドに到達するという考え方を合わせ、そこから「どこかの国王に金を貸し、中東イスラム世界を経由する従来ルート(陸路)ではなく、海路でインドに行く新ルートを開拓し、イスラム世界からインド洋のネットワーク(世界帝国)を乗っ取り、世界貿易の利益を一手に握る」というユダヤ商人の戦略が出てきて実現したのが、ポルトガルやスペインによる地理上の発見事業だったと考えられる。

▼資本家の存在と競争原理の始まり

 地理上の発見事業には、ポルトガルとスペインだけでなく、英国やフランス、オランダも乗り出したが、各国間の競争状態になったことも、ユダヤ商人たちが裏で資金と戦略素案を出していたとすれば合点がいく。資本家は、自分の資金をできるだけ効率的に、短期間で大きな利益を出そうとする。資本の効率を上げるには、金を貸す先の人々を必死にさせる必要がある。ポルトガル王家に大航海の話を持ちかけて金を貸し、ポルトガルから航海技術の機密を入手したら、その一部をスペイン王家に教えて金も貸し「急げば、ポルトガルより先に新天地を発見できる」とそそのかす。ポルトガルとスペインは必死になり、新たな航路の発見が早まり、ユダヤ商人の資本効率が高まる。

 事業がある程度達成されたら、そこで競争をやめないと、次はスペインとポルトガルが領土争奪戦を起こす。戦争は、ユダヤ商人の目的である貿易ネットワークの構築を損なうので、適当なところで両国に別々に和解をそそのかす。こうしてスペインとポルトガルが必死に競争した後で談合し、両国による世界貿易ネットワーク(世界帝国)が形成されたのではないかと私は推測している。

 競争はユダヤ商人たちの間にも存在していたはずだ。各国の王室に取り入り、今でいう財務大臣や中央銀行総裁になったユダヤ商人は、キリスト教に改宗し(たふりをして)、その上で「ユダヤ人差別」の動きを扇動し、ライバルのユダヤ商人たちが弾圧処刑されるように仕向ける。ユダヤ人差別を扇動した上で、差別を理由に利権拡大を図るのは、1970年代以降の米国のシオニスト右派(AIPACなど)にまで継承されている「お家芸」だ。

 資本家が王侯貴族に資金と事業素案を出し、競争させるやり方は、その後もずっと欧州諸国の特性となった。19世紀には、欧州諸国が競ってアフリカや中国に進出して植民地を作り、アフリカや中東を分割したが、これも「資本家による競争扇動」と考えれば納得できる。このころになると、覇権国となった英国が、資本家的なやり方に熟達し(英国には改宗ユダヤ人の政治家や官僚が多い)、列強によるアフリカや中東の分割を進めて「均衡戦略」による効率的な世界支配を展開した。(覇権の起源

 世界を植民地化するにあたり、欧米人は武力を多用したが、これも資本の効率化との関係がありそうだ。資本家に扇動され、競争の図式にはめ込まれて、できるだけ早く植民地を拡大せねばと考えた欧州列強の政府は、最も手っ取り早く支配を拡大する方法である「殺害」や「武力による脅し」を多用した。ゆっくりやって良いのなら、双方が利益を得られるやり方を話し合いで模索し、そもそも植民地支配などしなかっただろうが、それでは他の列強に先を越されてしまう。

 この手のやり方は、今では世界に定着し「市場原理」「自由競争社会」が、ありがたいものとして席巻している。「従業員にやる気を出させる方法」みたいな感じの本が、世界中の書店に山積みされている。この手の考え方の源流がどこにあるかという話は、見事に消えている。欧米の金融業だけでなく記者や学者、理論家、分析者、広告業にユダヤ人が多いが、歴史的に見てそれは、資本の効率化に「人々をその気にさせること」が必要なことと関係している。

 権力が表(王侯貴族など政治家)と裏(資本家)に分かれていた欧州は、この分立があったがゆえに競争原理が導入され、経済と国力が成長した。だが中国やイスラム世界にはこのような分立がなく、単一の権力構造だったため成長の効率が悪く、帝国を欧州に滅ぼされ、人々は貧しくなった。

「米中逆転」が主題なのに、いつのまにかユダヤ分析になっている。こんな風にあさっての方向に展開してしまった話を、どうやって元々の主題に戻し、最後に読者に「なるほど」と思わせるかを考えるのも、書籍執筆の醍醐味(苦しみ)の一つだ(それもユダヤ的な「詭弁の世界」の営みなのだが)。今回の記事について4日間も考察してしまい、配信が遅れているので、今回はここで終わり、配信作業に移る。



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操作される金相場(2)

2010年4月5日  田中 宇

 2008年秋、リーマンブラザーズが倒産し、レバレッジ金融の大崩壊が始まった後のタイミングで、私は「操作される金相場」という記事を書いた。私の記事の多くは、インターネット上で日々公開されている英文情報などをもとにしている。この時期、ネット上で「金相場は価格抑止の方向で操作されてきたが、この構図はいずれ破綻し、金は高騰する」という分析が多く流れ、それを受けて私は自分なりの分析を加えつつ記事を書いた。(操作される金相場

 私の記事の予測には当たり外れがあるが、予測の多くは私の独断ではなく、記事を書いた時期に、そのような予測を感じさせる言説が英文ネット界に流れていることが多い。諜報界で「ノイズ」「チャット」と呼ばれるものとして、盗聴対象のテロ組織関係者の電話の会話などで、特定の種類のうわさ話や雑談が交わされる量が増えるとテロが起きる兆候という見方があるが、それと似た現象がネット上の情報流通にもある。

「金がいずれ上がる」という話は、金地金関係者が客観的な分析のふりをして価格上昇をねらって流すものかもしれないが、特定の時期にそれが流れることには何らかの意味がありそうだ。前回「操作される金相場」を書いた後、しばらくは、金相場の操作についてネット上の「ノイズ」の中には目新しいものがなかったが、最近また新種のノイズが出てきて騒がしくなっている。

▼GATAを呼んで権威づけたCFTC

 象徴的なのは3月25日、米国の商品先物取引委員会(CFTC)が、金銀の相場操縦に関する公開公聴会を開き、金相場が操作されていると以前から主張してきたGATA(Gold Anti-Trust Action Committee)のマーフィ会長(Bill Murphy、元トレーダー)らが呼ばれ、公的な公聴会で初めて金相場の操作について議論が行われたことだ。(A London trader walks the CFTC through a silver manipulation in advance

 CFTCが公聴会でGATAの話を聞くこと自体、画期的だ。GATAは以前から「米英などの当局や中央銀行、金融界は、金価格を操作して引き下げている」と主張してきたが、当局や金融界、マスコミなどは煙たがり、無視するか「とんでも(空想家)」扱いしてきた。金取引を監督する米当局であるCFTCがGATAを公聴会に招いたこと自体、GATAの主張が空想でなく、なにがしかの根拠があると認める行為となっている。

 公聴会でGATAのマーフィが発表を許された時間は、わずか5分だった。この短さは、米当局内と、当局に影響力を及ぼす米金融界で、GATAを公聴会に呼ぶことに反対の声が強かったことを示唆している。同時に、金融界の反対を押し切ってGATAに発言の機会を与えるべきだという意見がCFTC内で強かったことも意味している。米マスコミも金融界と一心同体のようで、公聴会でのマーフィの発言について、ほとんど報じていない。CFTC公聴会はテレビ中継されたが、なぜかマーフィの証言の時だけ「技術的理由」で中継が中断した。(CFTC Gets Facts of Bullion Manipulation

 マーフィは、用意してきた文書を早口で読み上げ、以前から繰り返しCFTCに書簡などの形で伝えてきた、金相場が操作されているという主張の根拠となる分析を述べた。公聴会の議事録に載ったことで、CFTCは今後「金相場の操作が行われていることについて全く知らなかった」と言えなくなった。

 この日のGATAの発言の要点は2つある。一つは、世界の中心的な金相場であるロンドン金市場において、JPモルガン・チェースなど大手の金取引業者である米英金融機関が、相場が上がりそうになるたびに大量の先物売りを浴びせかけ、相場の上昇を防いできたことが、ロンドン金市場のアンドリュー・マグワイヤ(Andrew Maguire)というトレーダーによる暴露で明らかにされたことだ。

▼JPモルガンの不正を告発する

 JPモルガンなどによる金価格操作は、世界経済の最高意志決定機関がG7からG20に移転したことを受けて金相場が上がり出した昨年10月以降にひどくなった。マグワイヤは11月、CFTCにメールを送って相場操作の実態を知らせ始めた。マグワイヤは、今年2月3日には「2月5日の米雇用統計(失業率)の発表に合わせ、JPモルガン主導の金相場抑制策が行われ、相場上昇が妨げられるだろう」とCFTCにメールを送った。(A London trader walks the CFTC through a silver manipulation in advance

 失業の増加が発表されると、税収減と景気対策の財政出動増による米財政赤字の増加を市場参加者が懸念し、ドルが売られ金が買われるが、その瞬間をねらって大量の金先物売りが放たれ、金相場の上昇を抑制するとマグワイヤは指摘した。そして、2月5日に事態がその通りに展開した。金相場抑制を主導するJPモルガンは、抑制の効果を大きくするため、事前に他社トレーダーにやり口を吹聴し、儲けたい他社が同じポジションをとるよう誘導する。マグワイヤはJPモルガンの吹聴を聞き、これは不正だと思ってCFTCに通報した。(Jobless Claims Rise Unexpectedly to 480,000

 マグワイヤによると、ロンドン金相場では、米国で重要な経済指標が発表される時や、先物の限月が切り替わる時など、金相場が上昇しそうなタイミングで、JPモルガン主導で上昇抑止の動きがとられる。マグワイヤは、CFTCに通報しても何も手が打たれないため、CFTCの公聴会でGATAが発言をする数日前に、CFTCとのやりとりのすべてをGATAに送り、GATAを通じて告発を発表した。(GATA's evidence of silver and gold manipulation at CFTC hearing

 その数日後、マグワイヤとその妻がロンドン市内で自家用車を運転している時、一台の車が横町から飛び出してきて、マグワイヤの車に衝突し、そのまま逃走した(警察がパトカーで犯人を追いかけて逮捕した)。さいわいにも、マグワイヤ夫妻は1日の入院ですむ軽傷を負っただけだったが、タイミング的に見て、これはマグワイヤに対する暗殺未遂だった疑いがある。パトカーが犯人を追いかけた(カー・チェース)ことと、JPモルガン・チェースを引っかけて、ニューヨーク・ポスト紙は「英国でJPモルガンの『チェース』」という記事を出した。(JPMorgan 'chase' story in UK

▼多すぎる金の取引量

 CFTC公聴会でGATAは、もう一つ重要な証言をした。それはJPモルガン「チェース」の話より、もっと大規模で長期的、構造的な話である(いずれも金取引関係者には知られた話だが)。

 世界の金地金の価格はロンドン金市場で決まるが、この市場は株式のように取引が集中する公設取引所があるのではなく、私的で非公開の店頭市場の集合体になっている。ロンドン貴金属市場協会(LBMA、London Bullion Market Association)という、約60社で構成する英国の金取引の業界団体の主要会員9社が、1日に2回、金と銀の取引価格を持ち寄って、その日の金銀の平均価格を算出し、これが世界的な金相場となる。(London bullion market From Wikipedia

 この値決めの仕組みは、世界の短期金利指標の代表格とされてきた英国銀行協会(BBA)のLIBORとほとんど同じだ(LIBORのドル金利の値決め企業は現在16行)。LBMAとLIBORの両方の仕組みが1985−87年の同時期に創設され、双方の会員企業もかなり重なっている。JPモルガン、HSBC(英)、UBS(スイス)、ドイツ銀行、ソシエテジェネラル(仏)は、両方の値決め会員である。(BBA Libor US Dollar Panel

 LBMAの値決めにたずさわる9社は、米英が2社ずつ、独仏日カナダ・スイスが1社ずつで、G7と似た構成国になっている。米国勢は、おなじみのJPモルガンとゴールドマンサックスだ。日本勢では、三井物産の貴金属取引子会社(Mitsui & Co Precious Metals)が値決めに参加し、数社の商社が一般会員になっている。(LBMA Market-Making Members

 GATAの指摘は、このロンドン金市場において取り引きされている金の総量が、実際にLBMAの会員企業が保有している金地金の総量よりはるかに多いということだ。金地金を買う人のほとんどは、金地金を買った業者(商社や金融機関)の金庫に預け、自分は預り証だけを持っている。業者の多くは、預かっている金地金を借用して金先物市場で運用して利益を出すが、その結果、同じ金地金が何度も金市場で売買され、すべての預り証に記載された金地金の量の合計が、業者保有の地金量より多くなっている。

 世界の金の年間生産量は2000トン台とされるが、これはロンドン金市場の1日の地金取引量とほぼ同じ程度でしかない。同じ金地金が何度も売買されれば市場の取引量は増えるが、1日の取引量が年間産出量と同じというのは異常だと、前から指摘されている。(The world Largest Fraud: 5.5 Trillion? Time you stood up

 この異常さについて、詭弁が得意な英米人が各種の説明を試みている。その一つは「終戦直前に日本軍がフィリピンに埋めた『山下奉文の財宝』などの膨大な金塊が、米英によって戦後ひそかに掘り出され、市場で売られている。ヤマシタの亡霊が金市場の取引量を大きくしている」というものだ。(Is your Gold really there?

▼金の取り付け騒ぎ

 もし、金地金を買ったすべての人が、預けてある実物の金地金の引き渡しを求めたら、金地金業者は引き渡しができず「金の債務不履行」が起きる。LBMAは英国の中央銀行が監督しており、地金が足りない場合は、中銀が貸し出す。LBMAには米国の金融界も深く関与しているので、世界最大の金保有者である米連銀も貸し出せるとされる。しかしGATAの推定によると、米英中銀も、保有しているはずの金地金のほとんどを、ドル防衛のために金融界に貸し出して売らせており、実際の保有量は少ない。金地金が物理的に米連銀の金庫にあっても、その所有者は米当局ではないという状況が疑われる。

 従来は、ドルや債券といった「紙」の証券に対する揺るがない信用が世界的にあり、金地金を物理的に手元に置こうと考える金保有者は少なかった。しかし、すでにドルや債券に対する信頼が揺らぎだしており、今後さらに紙の証券に対する世界的な信頼が揺らぎそうだ。そうなると金地金を手元に置かないと安心できない人が増え、金の債務不履行が起こりうる。ニューヨークや東京などの金市場も、主導役はLBMA会員企業だから、同じ構図である。

 金の債務不履行が起きるときには、前提として、紙幣を含む紙の証券に対する信頼が失われている。金地金業者は「保有する金地金が少ないので、代わりに現金でお支払いします」と言うだろうが、現金が信用できないから金地金を手元に置きたいと思っている人々は拒否し「紙切れは要らない。金地金をくれ」と怒るだろう。これは「金の取り付け騒ぎ」である。

 ここ10年ほど、金地金や金鉱山株など金関連の資産を債券化した「金ETF」の売り上げが世界的に急増した。株は危ないが金なら安心だと人々は考えて金ETFを買っているのだろうが、金ETFは、金地金よりもっと「紙」に近い。金ETFの中には、金地金と交換できないものも多い。金地金が資産としての真価を発揮するはずの、ドルや米国債の崩壊時(金の取り付け騒ぎが起きる時)に、人々は、金ETFの多くは「金」ではなくて、金に交換できない「紙」なのだという現実(契約の詳細)を知ることになる。金ETFは、LBMAのニセの「現物」の延長であり、ドルと米国債を延命させるために「金のふりをした紙」に人々の資金を吸い取らせる英米主導の「ねずみ講」と考えられる。(Gold ETFs or fraud funds?)(Who "Owns" the Bullion in a Precious Metal ETF?

▼金のふりをした紙の市場

 LBMA参加企業群が売った金の総量は、同企業群が保有する金の総量より多いことは確かだが、その差はどのぐらいなのか。ウィキペディアでは、差分が1万5000トンとされている。世界の金採掘量の7−8年分だが、LBMAの1日の金取引総量約2000トンと比べ、さほどの量ではない。(London bullion market From Wikipedia

 だが、CFTCでの公聴会では、もっと大きい数字が取り沙汰された。GATAのメンバーが「LBMAの企業群は、保有する金の100倍の量を金市場で取引している」と証言したのに対し、世界的に著名な金投資のコンサルタントであるCPMグループ社長のジェフリー・クリスチャン(Jeffrey Christian、元ゴールドマンサックス)が、100倍という数字を認めたうえで「金の売り先物は買い先物で相殺する仕掛けができているので全く問題ない」と証言した。

 この証言を聞いた分析者からは「先物どうしの相殺は、金地金取引を現金で清算することであり『現物取引』の体をなしていない。金保有者の大多数が金地金そのものの引き渡しを求めた場合に破綻する危険性を、権威あるCPM社長が認めたことになる」「金地金市場として世界で最も信頼されているはずのロンドン金市場が、実は現物市場のふりをした先物市場だということが露呈した」との指摘が出ている。(Former Goldman Commodities Research Analyst Confirms LMBA OTC Gold Market Is "Paper Gold" Ponzi

 CFTCでの議論は「世界の金保有者の全員が今日、金の預り証をLBMA業者に持ち込んで地金との交換を求めたら、そのうちの1%にしか地金を渡せない」ということだ。金保有者の中にはLBMA会員の業者自身も多く、彼らは地金の引き渡しを求めないだろうから、実際には1%より多くの人に地金を渡せるだろうが、それがたとえ50%だったとしても、残りの50%の人は金地金を得られず、預り証を、紙切れになりそうな紙幣と交換できるだけだ。

 このところ米国債の売れ行きが落ちており「金の取り付け騒ぎ」の可能性は架空の話と片づけられない。「自分は金地金を持っているので、米国債やドル(円)が崩壊しても大丈夫」と思っている人の多くは、実は預り証しか持っていない。

▼ロンドン金市場は金融覇権体制の一部

 私が見るところ、世界の金相場をロンドンで決めるLBMAの体制は、世界の金利をロンドンで決めるLIBORの体制と合わせ、英米が主導するG7構成国の大手金融機関の間の談合による相場の値決めによって、金地金と金利の上昇を防ぎ、ドルの不安定化を防ぐ「裏G7」とも呼ぶべき仕掛けだ。これは、前回の記事で書いた英米主導の「金融覇権体制」の一部である。(激化する金融世界大戦

 ニクソンやレーガンの政権内にいた米国の隠れ多極主義勢力が、1970年代以降、米国のドルや財政を失策によって破壊して、戦後の米英覇権体制を壊して世界体制を多極化しようとした。英米の金融覇権体制は、それへの対抗策であるドル延命策として生まれ、85年にプラザ合意とG7の設立、英米の金融自由化を行ったことから開始されている。LBMAが創設されたのは、それから間もない87年だった(LIBORは85年)。(BBA Libor Historical Perspective

(金と金利の世界市場の両方が、ニューヨークではなくロンドンにあるということは、つまり、1980年代に金融覇権体制を発案したのは英国である。米国は、英国から誘いを受けて乗っただけだ。英国は、米政府ではなく米金融界を巻き込み、米金融界が政治資金の政治力を発揮して、米国を金融覇権国へと移行させ、90年代のクリントン政権を発足させたのだろう)

 それ以前のロンドン金市場は、英国の金融機関が毎日集まって相場を決定していたが、透明化を口実としたLBMAの創設とともに、ロンドン金市場の参加企業はG7加盟国と似た体制へと拡大され、裏G7として機能し始めた。

 価格決定の仕掛けは、値決め会員の中で数が多い英米銀行が、談合を主導できるようになっている。LBMAとLIBORは、値決め会員各社が持ち寄った今日の価格のうち、最も低い2社分と最も高い2社分を無視し、中値の5社(LIBORは12行)の平均値を、今日の価格として発表する。談合に参加しない会員が1−2社出ても、それらの価格は切り捨てられる。現実の店頭で金利や地金の相場上昇が起きても、米英主導の談合によって、世界の人々が知りうる「今日の相場」に反映されないようにできる。

 談合参加の各社は最大手なので、金や金利(銀行間融資市場)の市場で主導的な役割をしている。今日の相場を談合で決める一方、現実の相場を引き下げる先物取引などを各社が談合して活発にやれば、現実の相場の方も1−2日で下げられる。談合参加企業は、売り先物を仕掛け、実際に相場が下がることで儲け、最大手の座を維持できる。談合に参加しない企業は損を出し、業績が悪化して、定期的に見直しがかかる値決め会員のリストから外されていく。LIBORが歪曲されている疑いは、これまでに何度か出されている。(U.K. bankers group to speed review of Libor

▼JPモルガンの功罪

 JPモルガンは、この談合体制の中で光る存在だ。JPモルガンは、債券(債権)のリスクを債券化した金融派生商品(デリバティブ)であるCDS(債券保険)を1997年から開発して毎年倍増の勢いで巨額発行し続けた。これによって米英中心の国際金融市場におけるリスク(金利)の低下に大きく貢献し、IT株バブル崩壊後の2000年以降の国際金融を「金あまり状態」にして、ドルや米財政の崩壊につながる金融破綻を防ぎつつ、自社も大儲けした。その一環としてのJPモルガン主導の金相場の操作も、以前から指摘されてきた。(How the Thundering Herd Faltered and Fell)(Comex Gold and Silver Markets Hurtling Towards Default

 世界のCDS発行残高の85%はJPモルガンが発行・流通時に関与したと言われる。同社は、債券市場で大量のCDSを売って金利を下げる一方、LIBORとLBMAで金利と金の相場を談合で低めに誘導し、英米金融覇権体制を永続させる見事な戦略を展開していた。ゴールドマンサックス(GS)よりJPモルガンの方が黒幕という感じだ(GSは現在、LIBORの値決めに参加していない)。(JPMorgan Responsible for the Destruction of U.S. Financial System

 だが完璧なはずの金融覇権策は、2007年のサブプライム住宅ローン危機を発端として、総崩れの状況を強めた。この崩壊は、なぜ起きたのか。私が見るところ、JPモルガンがデリバティブの仕掛けを作って誘発した金あまり状況に、米欧金融界の各社が過剰に乗り、債券市場が膨張しすぎてバブルとなり、それが崩壊して金融危機が起きた。

 これは単に、米金融界が欲張りすぎてバブルを膨張させたと考えられることが多いが、私はそうは考えない。金融危機がひどくなる過程で、G7(英米金融覇権体制)の代わりにG20(多極型覇権体制)が世界経済の最高意志決定機関となり、今回のCFTC公聴会のように「裏G7」としてのLBMAの詐欺的体制を暴露する動きが起きている。昨年末の金相場高騰は、G20がG7に取って代わることが決まった直後に始まった。

 こうした流れを見ると、どうも最初から金融崩壊を引き起こす「やりすぎ」としてバブル拡張が画策され、JPモルガンが作った巧妙な構図を潜在的に破壊する隠れ多極主義的な政治策動があったと思えてくる。これは、ブッシュ政権のネオコンが、最初から失敗が予測されたイラク侵攻を強行する過剰策をやって、米国の軍事覇権を自滅させた戦略の「金融版」である。

 JPモルガンは、リーマンブラザーズなど大手金融機関が次々に潰れた08年に、ドイツ銀行やUBS、ソシエテジェネラルなどを誘って米大手金融機関のCDSを次々に売り、連鎖破綻を起こそうとした疑いを持たれている。ドイツ銀行、UBS、ソシエテジェネラルは、いずれもJPモルガンと一緒に毎日ロンドンのLIBORやLBMAで金利や金の世界相場を決める談合仲間である。英米覇権を維持するためのロンドン談合体制が、覇権の自滅に使われている。この動きのどこかで、隠れ多極主義者が画策している感じがする。(米金融界が米国をつぶす

 今回CFTCが公聴会を開いた背景には「金相場が操作されているとしたら取引規制が必要だ」という考えがある。CFTCは、金融機関が1日に金市場で取引できる上限額を設定しようとしており、これは金融界の猛反対を受けている。もしCFTCが金融界の反対を押し切って金取引規制を設けたら、金相場の上昇を先物やETFで抑制してきた策略も続かなくなる。隠れ多極主義者はCFTCの中にもいる。(Dispute over curbs on metal futures)(Executives: Metals trade limits would hurt US

▼G20が金を高騰させる?

 08年秋、リーマンブラザーズ倒産後に「第2ブレトンウッズ会議」の触れ込みでG20サミットが開かれた。この直後、分析者の間から「G20は、金相場を高騰させることで、ドル基軸を終わらせ、新たな複数基軸通貨体制の世界を創出しようとしている」とする見方が出た。数十兆ドル規模の巨大なバブル崩壊への対応策として、世界の金融資産の総価値のうち90%を償却(帳消し)し、残りの10%の資産を金と連動する3つの新たな基軸通貨に置き換えることで、複数基軸通貨の金本位制を確立するという分析だ。金は、今の5倍の1オンス5300ドルになるという。(The G-20's Secret Debt Solution)(Gold at $53,000 an ounce?

 米国では1930年代に、国民の金保有を禁止して政府が国民から金地金を強制的に買い上げた後、金の公定価格を大きく切り上げて金本位制を復活したが、それと似た世界戦略がG20で検討されているとも推測されている。(Executive Order 6102 From Wikipedia

 G20サミットが開かれるたびに金相場が上がり、G20の事務局として機能するIMFが新興諸国に金塊を売り、G20が世界的な金ドル本位制を確立したブレトンウッズ会議の再来と称されている。これらのことから、G20がドル崩壊を見越して何らかの金本位制を模索していることが感じられると、FTブログも指摘している。それに加えて私は、G20は覇権多極化のための機関だと感じている(多極化をしないならG8プラス中国で十分だ)。

 米英(もしかすると独仏日も含む)の国家資産を急減させ、代わりに中露印ブラジル(BRIC)やその他の発展途上国の資産を急拡大させると、多極化が起こる。これを、金地金の移動とその後の金の大幅値上げによって引き起こすことができる。世界各国政府の公式な金地金保有量は、米国が8千トンで突出し、独仏などが3千トン、中国は千トン、日本が800トンなどとなっている。だが、米当局(政府と連銀)の金地金は、この20年間のドル延命策の一環として、民間銀行に貸し出され売却されており、米当局の金保有は8千トンよりはるかに少ないと考えられている。

 うわさ話だが、連銀は90年代に、金地金を大量に保有しているように見せかけるため、タングステンを中につめた金塊を大量に作り、連銀保有の金塊の多くが実はタングステンだという話もある。これが本当だとしたら、それはドル延命策の一環として米当局が金を売り続けた穴埋め策である。昨年10月、中国当局が米国から買った金塊を調べたところ、中身がタングステンの「もなか(最中)」の状態だったという(この話はウソだという指摘もある)。(Fake Gold bars in Bank of England and Fort Knox)(A Revisit to the Fake Gold Plated Tungsten Story

 英国ではブラウン首相が、蔵相だった1999年前後、金相場が非常に安かった時代に、英政府保有の400トンの金塊を売却してしまった。当時は、07年以降に崩壊した米英金融バブルが膨張し始めたころだ。ブラウンは、米国からの圧力でドル延命策の一環として金を売らされたのかもしれないが、これから金が高騰するとしたら、あの売却は英国にとって致命的だった。(Waiting for the train wreck

 敗戦国である日本とドイツの政府が持つ金塊の多くは戦後、米当局の金庫で保管されている。スイスも同様だ。これらの金は、すでに米当局の金庫にないか、タングステンに化けている可能性がある。これと似た話として、中国やアラブ諸国が、これまでロンドンの金庫に金塊を保管してきたが、タングステン事件の発覚と前後して、自国に金を引き揚げているという。(World to America: We Want Our Gold Back

 中国は最近、中央アジアのウズベキスタンの金鉱山を買収するなど、公式な金備蓄以外の金保有を拡大している。IMFは、中国やインドに金を売っている。ロシアや韓国などの新興市場諸国の政府も、金を買い漁っている。先日のCFTCの公聴会では、新興市場諸国政府が金を買い漁っているため、いずれ世界的に金地金不足が露呈する懸念が指摘された。(Uzbekistan: Chinese Investors Buy Majority Stake in Gold Firm

 今後、ドルと米国債の崩壊が進み、金相場が高騰、もしくはロンドン金相場の信頼低下が起きて金地金の実勢価格が上がる可能性がある。それが単なる市場原理の動きではなく、政治的な策略(多極化策)であるとしたら、金が高騰してふたを開けてみると、英米政府は金をほとんど持っておらず、中国などBRICが多くの金を持っているという状況があり得る。すでに世界の石油利権の多くは、いつの間にか米英からBRICに移っているが、それと同種のことが起こるかもしれない。(反米諸国に移る石油利権)(Russia remains a Black Sea power

 世界が金本位制に戻り、1オンス5000ドルに値上がりし、地金業者に金を預けておくのが危険なら、金地金を買って自宅に置くか、一般の金庫に入れて保管すれば良いと思うかもしれないが、金本位制に戻るとなると、もしかすると1930年代と同様、国家が国民の金地金を強制的に安く買い取る政策が発動され、せっかく貯蔵した金を政府に奪われるかもしれない。全体的に、従来の常識からすると思いもよらないリスクが浮上しうる時代に入っている。

 英米による金相場の操作を以前から指摘してきたGATAは4月1日、英米金融界の詐欺的な手法を皮肉ったエイプリルフール記事を載せた。それは「GATAはIMFから191トンの金塊を仕入れ、ロンドン相場より100ドル安く皆様に販売します。省力化したネット販売ならではの安さです。皆様が買った金地金は、米英など各地にあるGATAの金庫に保管し、預り証を発行します。セキュリティを重視し、金庫の所在地はGATAだけが把握しますので安心です」と書いてある。間違ってこのエイプリルフールを本気にする人は「紙の金」にまだ騙されていることになる。(GATA will sell 191 tonnes of Gold on IMF's terms but $100/oz cheaper



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危うくなる米国債

2010年3月27日  田中 宇

 最近、米国債の売れ行きが落ちた結果、米国の著名な投資家であるウォーレン・バフェットが経営する大手機関投資家バークシャー・ハサウェイが今年2月に発行した2年ものの社債が、2年ものの米国債よりも高い価値(低い利回り)を持つようになっている。同様に、プロクター&ギャンブル(P&G)やジョンソン&ジョンソン、カナダ・ロイヤル銀行といった大手企業の社債も、同条件の米国債より高い価値を持ち始めている。これは市場が、米国債は優良企業社債よりリスクが大きいと考え始めたことを示している。(Obama Pays More Than Buffett as U.S. Risks AAA Rating

 S&Pなど信用格付け機関がつける格付けは、米国債が最高位のトリプルAである一方、バークシャー債券はダブルAプラス、P&GがダブルAマイナスで、いずれも米国債よりリスクが高いという評定だ。だがこれは、市場の評定と食い違っている。米政府は今年、史上最多の1・4兆ドルの財政赤字を予定している。市場は、米政府が景気対策と税収減の狭間で、国債発行増を止められなくなっていることを懸念している。最近米議会で可決された健康保険制度(オバマケア)も、長期的には大幅な財政赤字増になる。(Gross Says Health-Care Reform to Raise Liabilities

 連銀は、景気が回復してきたとして、金融機関から不動産担保債券を買い取る金融救済策を3月末でやめるが、これによって米債券市場に流入する資金が減ると予測され、先行的な米国債の売れ行き減につながっている。米国債は、財政赤字が少ないドイツ国債に比べても、価値が低くなった。ドイツ国債は、1年前には米国債より0・6%ポイント価値が低かったが、今では米国債より0・5%ポイント高くなっている。

「これは、まもなく雪崩が起きる兆候だ」と金融関係者は言っている。雪崩とは、歯止めの利かない長期金利の高騰のことだ。中央銀行は、短期金利なら政策的に動かせるが、長期金利は債券の需給関係で決まるので動かす力がない。金利高騰は、住宅ローンや企業の資金調達の金利に反映し、景気をますます悪くする。すでに高水準にある住宅ローン破綻に拍車がかかり、金融機関の経営難をひどくする。

 米連銀は、裏で大手金融機関に資金調達させて米国債を買わせ続け、長期金利の高騰を防ぐかもしれない。だが、そうした裏技はすでに行われた上での米国債の売れ行き悪化が起きている観もある。米国債は今週、売れ行きが悪くなって下落(金利上昇)したが、これは主に外国投資家が買わなくなった結果だった。連銀の息がかかった米国内の金融機関が買い支えても、それ以上に外国人が買わなくなっているのではないか。昨年末以来、投資家はユーロ危機に注目し、資金逃避先として米国債を買っていたが、今やユーロ危機より米財政危機の方に注目が戻っていると指摘されている。(Debt Fears Send Rates Up

 市場では「米国債のトリプルA格はいつまで持つのか」という懸念が広がっている。ガイトナー米財務長官はテレビに出て「米国債がトリプルAを失うことなどあり得ない」と力説したが、自信のない青二才に見える彼が力説するほど、信憑性が薄くなる仕掛けになっている。(Bond Market Verdict: Treasuries Riskier Than Toilet Paper!

▼米英金融覇権の行き詰まり

 連銀(FRB)のグリーンスパン前議長は、以前から「米国債の金利高騰が心配だ」と言っていたが、彼は先週再び「最近の米国債金利の上昇は、今後さらに金利が高騰していく可能性を示す『炭坑のカナリア』だ」と述べた。米政府はすでに借金できる上限近くまで借りてしまっていると、彼は指摘した。(Greenspan Calls Treasury Yields `Canary in the Mine'

 グリーンスパンは、米国の景気について興味深い指摘をしている。景気の回復は、株価の上昇によって起きていると彼は言う。1年間で70%という米国の株高によって企業は資金調達の余力が増え、連動して社債(ジャンク債)の発行も増えて、金あまりが経済成長を喚起し、株式市場にも資金が流入する循環になっている。企業の本来業務が拡大しているわけではないので、失業が減らないまま、景気が回復しているように見える状況になっている。

 これは、08年のリーマンショックで死んだはずの構図だ。この構図は1985年の金融自由化で作られ、市場原理の中で約20年間の連続的な成長を米経済にもたらした。しかし、リーマンショックでいったん壊れた後に再生された構図は、米当局と大手金融界による応急処置の結果であり、金融界はボーナスが巨額に戻ったが、お金が一般国民の方に流れず、いびつな状況になっている。勘の鋭い投資家は、現状のいびつさを知っており、先行きに悲観的だが、マスコミや金融関係者は、株価上昇を持続するため、大衆(個人投資家)向けに「景気が回復している」というプロパガンダを流している。

 とはいえ世論調査によると、すでに米国民の8割は「米経済は崩壊するかもしれない。米政府は崩壊を回避する策を持っていない」と感じている。だましの構図は、この先あまり長く続かないだろう。(Fox News Poll: 79% Say U.S. Economy Could Collapse

 米国債が売れなくなって格下げされたら、何が起きるのか。日中など経常黒字が多い国々や、各国の大手金融機関は、米国債を大量に持っている。米国債が格下げされると、世界各国の政府や金融機関の資産の価値も下落し、各国政府や金融機関の格付けも下がる。全世界が格下げされるので、相対的に米国債の格付けは下がらず、トリプルAが保持されるという説がある。ガイトナーが正しいというわけだ。(What explains a Moody's change?

 この説の主張者は「格付け機関は、銀行から金をもらって格付けしている。米国債を格下げするかもしれないと言うムーディーズは、米国債の格下げで儲けたい金融機関から金をもらったのではないか」という見方を示している。現実には、冒頭に書いたように、米国債より優良社債の方が価値が高くなっているのだから、米国債格下げの方向性は謀略でない。

 この手の説は、私から見ると、詐欺団の内部の仲間割れである。ムーディーズなど大手の格付け機関各社は、すべて英米企業である。80年代の金融自由化によって、英米主導で債券発行や株式上場による資金調達の体制が作られ、この資金力が冷戦後の「米英金融覇権」の源泉となった(だから冷戦体制は不要になり、終わらせた)。その際に重要だったのは、政府や企業の債券の価値(リスク)を評価する格付けの権限を米英が握り、米英国債がすべての債券の頂点に立つ体制を作ることだった。

(この分析を拡大すると、企業経営者は英米中心主義に立たねばならない、ということにもなる。日本のホリエモンのように、権力に反逆しようとする経営者は潰される。経営者は、中国で大儲けしても、中国を評価する発言をしてはならない。さもないと、株式上場できず、債券格付けも低くなる)

 米英の金融覇権が壊れつつある今、格付け機関は、市場の現実に合わせて米英国債を格下げし、自社の格付けに対する信頼性を保持するか、それとも米英覇権体制の一部であるという政治機能を貫いて米英国債の格下げをせず、その結果、格付け自体への信頼性を失墜するかという二者択一を迫られている。国債格下げによって米英の金融覇権が崩壊すれば、おそらく世界の債券市場全体が収縮し、格付けという機能自体が重視されなくなるだろうから、二者択一のどちらを選んでも結果は大して変わらない。(すでに英国銀行協会の会長は2年前に、債券金融の時代は終わったと宣言した)(米英金融革命の終わり

▼世界経済のシステム的な崩壊に?

 米英金融覇権が崩壊感を強めるとともに、債券格付け以外にも、覇権体制を維持するために必要だったさまざまな経済指標が信頼性を喪失している。たとえば、米国の株価の将来的な変動性(ボラティリティ)を予兆する数字として知られていたVIXは、実体経済がどう見ても不況なのに、景気がよいときにしか出ない水準(17前後)を推移している(数値が高いほど、今後の株価が下落しそうなことを示す)。すでに書いたように、米国の株価が実体経済の状況を反映していないので、VIXも予測指数として使えなくなり「明日の状況すら示していない」と酷評されている。(Analysts scramble to decipher calmer Vix)(VIX Doesn't Work as Signal for Stocks, Birinyi Says

 失業率、インフレ率、原油相場なども、統計のとり方を変えたり、在庫量の誤差を意図的に多くすることで、歪曲された数字になっていると指摘されている。(WTI is losing its glitter)(Economy Kept On Life Support While Global Governance Is Organized

 経済の緊急事態の時に政府が統計数字をごまかすのは、どこの国でも行われてきたが、それが恒常化すると、政府の統計数字そのものに対する信頼失墜となる。米英の金融覇権体制は、1971年にドルが金との交換性を失った後の危機的状態を逆手にとって、米国の覇権が続く限りドルへの信頼が失われないことを利用して、ドルが危なくなったら先進諸国全体で助けるというG7の体制を85年に作った上で開始されている。

 ドルは米国の信頼性(覇権)に依存し、米国の覇権はドル(の無限発行による価値の無限創出)に依存するという、ねずみ講的な体制に立脚している。経済指標や債券格付けに対する信頼性が喪失し、米国に対する信頼性が失われると、覇権は歯止めなく崩壊していく悪循環に陥る。

 今の世界は、あらゆるところに米英が作った金融システムが浸透し、新興市場諸国の人々にも大きな恩恵を与えている(だから中国はドルペッグすらやめたくない)。米英金融覇権の崩壊は、世界経済のシステム的な崩壊になる。しかも、ギリシャの財政危機を悪化させ、ユーロを潰そうとしているのが米英金融界の投機資金であることからもわかるように、米英は自分らの覇権崩壊の際に、世界経済をシステムごと道連れにして壊そうとしている。世界経済の無理心中である。これは、大変なことになる。

 今後の2−3年、世界経済の崩壊感が強まり続けるだろう。日本の財政赤字は巨額だが国内で消化されているといって安心はできず、今以上のひどい財政破綻があり得る。中国もどうなるかわからない。バブルは沿岸都市だけだというのが定説だが、断末魔の米英勢力(投機筋)に経済を壊される懸念があるからこそ、中国政府はドルペッグに固執し、人民元の自由化を拒んでいる。多民族で地域多様性の高い中国は、経済が少し混乱するだけで政治社会の混乱が激増しうる。全体的に、世界がすんなり多極化していくとは考えにくい状況が生まれている。金融財政を使った覇権をめぐる世界規模の戦い(暗闘)が激化し「金融世界大戦」と呼ぶべき状況になりつつある。



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中国がドルを支えられるか?

2010年3月18日  田中 宇

 伝統的に、中国人の蓄財といえば「金」(金地金)である。清朝末期から革命まで、混乱が続いた中国では、通貨が信用できず、人々は金地金で蓄財していた。そんな伝統を考えると、3月9日に中国政府の外貨準備の責任者が「金は相場が不安定で、長期的に良い投資先とは考えられない。金が中国の外貨準備の大きな部分を占めることはない」と述べたことは驚きに値する。この発言は、中国政府の易綱・外貨管理局長が、全人代(議会)後の記者会見で放ったもので、中国の外貨準備に占める金地金の割合は1・6%にすぎず、これ以上あまり買い増しする予定はないと発表された。この発言を受け、金相場は2%ほど下落した。(China Cautious on Gold Buying

 さらに驚きなのは、この金に対する消極的な姿勢の表明と同時に易綱局長が発した「米国債は中国にとって重要だ」という宣言である。中国の外貨準備は巨額なので、世界最大の市場を持つ米国債での運用が不可欠だと同局長は述べた。(China Says US Treasurys Important, Wary on Gold

 確かに金地金はこの30年で、1オンス200ドルから1200ドルまで大きく上下し続けてきた。だが、金相場はドルに対する信用の裏側に存在しており、ドルの信頼性が落ちる時に、金が高騰する。ドルの信頼性は、米国の財政赤字(米国債)に連動している。そして今はまさに、債券格付け機関が「このままだと米国債は格下げされる(米国債の価値は急落する)」という警告を繰り返し発し、米国債とドルの信頼性が揺らいでいる。(S&P issues warning over America's top-tier rating

 市場では、世界最大の米国債保有者である中国政府が、米国債を売って金地金を買いあさっているのではないかという推測が渦巻いている。分析者の中には「中国当局は、今回の発言によって金相場を引き下げて、金地金を安く買おうとしているのだろう」と勘ぐる者もいる。(Behind China's Stance on Gold

 そんな中で中国当局者が発した「中国は金を買わず、米国債を買い続ける」という宣言は、中国当局が実際に採っている行動を示しているのではなく、米国債の下落を防ぐための口先介入ではないかと疑われる。自国の外貨準備の内容についてほとんど発表してこなかった中国当局が、今回のような一見赤裸々な表明をしたことは、すでに米国債が潜在的にかなり危険な状態になっていることをも示している。

 中国の外貨準備に占める金地金の割合は少ないが、中国の政府系企業は、世界各地で金鉱山の所有権を買っている。石油、天然ガス、鉄鉱石、銅、レアメタルなど、金以外の鉱山の利権も、中央アジア、中近東、アフリカ、中南米などの地域で買っている。中国は外貨準備を着々と資源に換えており、外貨準備の統計外の領域で備蓄を進め、米国債やドルの下落に備えている。(Uzbekistan: Chinese Investors Buy Majority Stake in Gold Firm)(CNOOC to pay $3.1bn for Argentine stake

 中国が中近東やアフリカなどの鉱山の権利として資産を備蓄するということは、これらの地域の政治的な安定に中国が関与するという国家的な意志を示している。中国は、中央アジアをロシアと共同で影響圏にしているし、中東では欧米によるイラン制裁に強く反対している。中南米ではBRICのブラジルなどと良好な関係にある。これらの多極型の覇権戦略の裏付けがあるので、中国は、海外で鉱山の利権を買い漁っている。対照的に、日本は対米従属のみが国家戦略なので、国家として独自に海外の資源の利権を持たない方針を採っている(独自に海外利権を持つと、米国との調整がつかない場合に対米従属が続けられなくなる)。

▼日銀の量的緩和強化もドル救済策

 中国がドルと米国債を支える意思を見せたとたん、米国側は、中国に助けてもらえてうれしいどころか、逆に、米議会の130人の議員が「中国は、人民元を低すぎる水準でドルにペッグ(為替固定)しており不当だ。オバマ大統領は中国を非難せよ」とする決議に署名した。人民元が安すぎるので、米国内で製造した商品が、中国からの輸入品に価格で太刀打ちできず、米経済に悪影響を与えているという主張だが、たとえ人民元が切り上げられても、代わりに他の発展途上国で製造した似たような価格の商品が米国に輸出されてくるだけで、米国製の商品が売れるようにはならない。米議会の主張はむしろ「ドルを自滅させようとしているのだから助けないでくれ」という、ニクソンショック以来の隠れ多極主義的な態度とも感じられる。(Currency wars: US v China

 米議会は以前から人民元の切り上げを要求してきたが、今回はIMFのストロスカーン専務理事も「人民元は安すぎる」と表明し、中国に対して国際的に切り上げの強い圧力がかかっている。だが実際には、人民元の切り上げは中国にとって危険だ。中国の輸出産業への打撃以上に、いったん中国が切り上げを実施したら、その後さらに追加の切り上げが行われると予測する投資家の資金が世界中から中国に殺到し、中国の金融バブルを膨張させる。同時に米国債などドル建て債権から資金が引き、米国債金利の高騰もおきうるので、米中双方にとって破壊的だ。中国の温家宝首相は3月14日の記者会見で、人民元を切り上げないことを改めて表明した。(IMF Head Says Yuan Remains Undervalued

 中国当局が金を敬遠する発言をして米国債とドルを支持した3日後の3月12日には、日本の鳩山首相が国会で「日本の経済の力を反映していない円高になっている」と、円を引き下げようとする発言を行っている。鳩山が為替について発言することは珍しい。彼は「為替安定のための国際協力が必要だ」とも述べており、G20などでドルの下落を抑止するための策が練られている可能性がある。鳩山発言も、中国の易綱発言と同様、ドルと米国債の下落を防ぐための口先介入だと思われる。(Japan PM Hatoyama Threatens Steps Against Strong Yen)(Hatoyama says yen is too strong

 EUでも、ギリシャの国債危機をめぐり、ユーロを引き下げる方向のさまざまな発言や分析が発せられており、これらもドルの下落を防止する力として機能している。(The Fundamental Flaw of Europe's Common Currency

 鳩山発言から5日後の3月17日には、日銀が追加の量的緩和策を決定し、市場に供給する円を過剰供給することにした。これは米連銀と連動した政策であり、円を過剰発行にすることでドルを救済する策の一環だ。鳩山政権はもともと対米従属からの脱却をめざしていた。鳩山の顧問だった榊原英資(大蔵省OB)らは、円高ドル安は日本が海外で石油など資源を買う力を増大させるので好ましいと表明し、通貨政策でデフレは直らないとも言って、対米従属的な「デフレ対策」を口実とした円安戦略からの脱却を目指していた。しかし鳩山政権は就任後、対米従属の官僚機構から延々と戦いを仕掛けられ、円高容認策は影をひそめ、従前通りの円安ドル支援策が続けられている。

 ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は、日銀の追加量的緩和策が決まる前日の3月16日に「日銀がいくら市場に金を供給しても、企業や消費者が金を使わないので、日本経済のためにならない」とする批判記事を出した。この指摘は正しいが、日銀の「デフレ対策」は、日本経済ではなくドルを救うために行われているのだから、WSJの批判はお門違いだ。これも「ドルを自滅させようとしているのだから助けないでくれ」という隠れ多極主義的な論評と読める。(Give the Bank of Japan a Break

 1971年のニクソンショックによって米国がドルを基軸通貨の座から下ろそうとしたのに対し、英国が主導する欧日はG7を作ってドルをテコ入れして、ドル基軸制を守った。一昨年からG7はG20に取って代わられたが、これによって中国が新たな助っ人として加わり、米国が人民元を切り上げろといっても拒否し、ここにきてドルを防衛するような姿勢を強めている。

 米大統領の経済顧問であるローレンス・サマーズは最近「最も重要なことの一つは、世界の主導役がG7からG20に代わり、新興市場諸国が加わったことだ」と述べている。サマーズは、なぜこの交代が重要なのか語っていないが、私の分析では、この交代によって、中国がBRICを率いてドルを救うという、新たな構図ができたことが重要だと考えられる。(White House's Summers Says U.S. `Close' to Seeing Job Growth

▼不良債権を連銀経由で米政府に押しつけた米金融界

 米国の連銀(FRB)は、3月末で不動産債権の買い取り策をやめる。米国では不動産市況の悪化が続き、多くの銀行が経営難に陥っているが、連銀の買い取り策は、銀行の不良債権を買い取り、銀行の連鎖破綻を防いできた。連銀は、米経済が回復しているとして買い取り策を予定通りやめることにしたが、実際には米経済は回復しておらず、連銀の買い取り策や、当局の他の景気対策によって何とか回っているだけであり、連銀が買い取り策をやめた後の4−6月に、不動産市況の二番底、銀行の連鎖破綻、不況再突入などが起こりうる。(Is this the lull before the storm for US mortgages?

 連銀が不動産債権の買い取りをやめるのは、連銀が抱える資産(バランスシート)が不健全なまでに肥大化したためだ。資産の大半は、米国の民間銀行が抱えていた不良債権で、不動産市況の下落によって担保割れしている。連銀は、民間の不良債権を自分で抱え、その結果、連銀自身が事実上の債務超過になっている。債務超過が続くと破綻する民間銀行と異なり、連銀は債務超過でも潰れないが、連銀が発行するドルの信頼性を揺るがすので危険だ。

 今後、連銀の代わりに、米政府の傘下にあるフレディマックとファニーメイという2つの不動産金融機関が債券を発行し、その資金で連銀から1兆ドル以上の不動産債権を買い取ることになるとも指摘されている。この隠し玉的な政策が発動されれば、不動産市況の二番底は防げるかもしれない。だが、不動産金融機関2社の債券は政府保証のついた公債であり、米国の財政赤字の一部となる。統計上は、米国債と異なるため「隠れ財政赤字」といえる。米銀行界は自分たちの不良債権を、連銀を経由して、米政府に背負わせることになる。問題は、このような米政府の事実上の財政赤字の急増の中で、日本や中国など、外国勢がいつまで米国債を買い続けるか、ということだ。(The Next Big Bailout "Any Day Now"

 米議会では、財政赤字の削減が議論されているが「大きな政府」を容認する民主党は財政支出の削減に反対で「小さな政府」を主張する共和党は増税に反対なので、議会は支出減も増税も実行できない。これでは財政赤字は増えるばかりで、格付け機関が警告するところの「財政赤字が増え続けると、米国債は格下げされる」という最悪の状況に向かっている。(Roubini Worried by 'Runaway Fiscal Deficits'

▼軟着陸かハードランディングか

 そんな中で、中国は、米国債とドルを支持すると表明している。日本も同様だが、日本が対米従属からなかなか脱しないのに対し、中国には米国債とドルを支持せず劇的に覇権多極化を進展させるという、日本にはない選択肢がある。この先、中国はいつまで米国債とドルを支持するのか。支持しきれるのか。

 これについては、2つの可能性があると私は考えている。一つは、中国がドルの助っ人に加わったことにより、ドルが今後何年か延命し、その間に基軸通貨体制の多極型への転換が軟着陸的に進む可能性。もう一つは、中国の高度経済成長が続き、インフレがひどくなって人民元のドルペッグを維持できなくなるか、米国債の価値急落によって、中国がドル支持をやめざるを得なくなり、ドル崩壊とハードランディング的な転換(混乱)が起きる可能性である。

 中国の温家宝首相は最近「インフレ防止は、中国共産党にとって最重要課題の一つだ。1998年の天安門事件は、インフレと貧富格差と役人の腐敗が重なった結果、人々の不満が増大して起きた。天安門事件の再来を防ぐには、インフレの防止が必須だ」と述べている。今後もし米経済が不況に再突入する一方で、中国経済が高度成長を続け、中国のインフレがひどくなった場合、共産党政府はインフレ防止のために人民元を切り上げてドル支持をやめるという意味である。これはハードランディングになる。(Wen links inflation to Communist party future

 軟着陸で進む場合、国際社会では、中国と、中国主導のBRICの優勢が続く。中国やロシアはこの優勢を利用して、国連やIMF、G20など、世界政府的な国際機関における主導権を米英から奪っていくだろう。英国など、米英中心主義の勢力が、こうした覇権の剥奪を防ぐには、英米傘下のヘッジファンドなどを動員して、中国の金融バブルを膨張させて潰す対抗策がありうるが、中国が米国債を買い支えている現状が続く限り、もし中国が金融破綻させられたら、それは米国債とドルの崩壊、つまりハードランディング的な英米中心体制の崩壊となる。中国が、ぎりぎりまで「ドルペッグを続ける」「米国債を支持する」と言い続けることは、英米系投機筋に潰されることを防ぐ政治策略とも考えられる。



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大均衡に向かう世界

2010年3月8日  田中 宇

 3月3日、これまで投資家から受けていた不信感をぬぐうべく、ギリシャ政府が改めて緊縮財政政策を発表し、3月4日のギリシャ国債の入札は、発行額の3倍の応札が来るという成功に結びついた。3月5日には、欧州中央銀行の幹部が「ギリシャ問題は一国の問題であり、ユーロ全体が弱体化することはない」と宣言した。3月6日には米大統領の経済顧問であるポール・ボルカーも「ユーロは壊れないだろう。ギリシャ問題で強い対策をとれば、危機が他のユーロ圏諸国に波及しない」と指摘した。(ECB's Weber:Greek problems are not euro zone problem)(Volcker Says Euro to Survive as Greek Budget Crisis Manageable

 どうやらユーロの危機は山を越えつつあるようだ。次に問題になっていくのは、英ポンドとドルの危なさだろう。4月に米連銀が金融緩和策をやめる方向に動き出すと、米経済は支えを失って不況に戻りそうだという話が以前から根強い。(Fed Might Have to Continue Supporting Economy: Gross

 英国は、冷戦後に米国が独仏をけしかけて通貨統合を急がせて以来、陰に陽に統合に反対し、EUの主導役である欧州理事会議長を6カ月ごとという超短期の持ち回り制にしたり、全会一致の原則を持たせたるといった誘導をして、EUが統合的な強い意志決定力を持てないようにしてきた。英国の戦略は、米国が欧州を傘下に入れる体制を持続すること(そして米国が英国好みの世界戦略を採り続けること)で、EUやユーロが強くなって米国やドルと並び立つことを、英国は何とか阻止しようとしてきた。

 英国自身が財政難を加速してポンドが潰れかけている今、ポンドより先にユーロを潰すことが英国の戦略であり、英米マスコミを動員してギリシャやユーロの危なさを喧伝した。英国にとって独仏は、露中よりはましな(組める、使える)存在だが、英国が財政破綻して独仏が生き残ると、その後の英国はポンドを捨てて独仏より弱い立場でユーロに参画せねばならず、200年続けてきた直接・間接の世界支配ができなくなる。だから英国はユーロを潰そうとしたのだと考えられる。

 中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁は3月6日の全人代(議会)での演説で、08年から続けている人民元の対ドル固定為替制(ペッグ)は、国際金融危機に対応するための「特別な政策」であり、いずれ変更すると表明した。中国の当局者は従来「外国からの圧力を受けて為替を変えることはしない」と言い続け、ペッグが一時的な特別な政策であると明言したことはなかった。周小川の発言は、いよいよ中国が人民元を切り上げる兆候と受け取られている。(China ready to end dollar peg

 08年以前のように、少しずつ人民元を上げていくと、今後の上昇を期待する投機資金を世界から集めて金融バブルを膨張させてしまうので、一度に切り上げるのではないかとか、一度にやると輸出産業に打撃を与えるのでゆっくりやるだろうとか、分析者の議論は、中国がいつどのように切り上げを実施するかという話に移っている。(Zhou Signals Yuan Policy Shift

 周小川の言い方は、いずれ人民元のドルペッグ制度をやめていくという、遠い将来の計画のような感じで発せられている。だが、これを本当に遠い将来の話と考えるのはたぶん間違いだ。周の発言は、世界の市場関係者を懸念させたが、今日明日の相場に関係ない遠い将来の話なら、懸念の必要はない。

 当局に近い人々が為替をめぐる発言をする時は、市場への悪影響を軽減するため、できる限り曖昧なかたちで発せられる。米当局筋が自国の財政赤字の急増に警告を発するときも「このままではいずれ財政破綻する」といった、遠い将来の警告として提起される。だが市場関係者は、今日明日の問題として、米財政破綻の兆候としてのインフレと米国債の金利上昇を心配している。グリーンスパン前連銀議長は先日、インフレが心配だという指摘の中で「私は毎日、朝と午後、必ず10年もの米国債の金利を確認していますよ」と言っている。これを、彼は前連銀議長なのだから金利の確認は日課だと考えてしまうのは間抜けである。(Greenspan: U.S. recovery "extremely unbalanced"

▼英国主導のウィーン体制

 私たちは今、第二次大戦以来65年間(英国にとっては1815年以来の200年間)続いてきた米英覇権体制が終わっていく状況に立ち会っている。これから世界体制はどうなっていくのか、この体制転換の意味は何か、といったことを考えねばならない。

 それを考える際に参考になりそうな興味深いことを最近、米イェール大学のポール・ケネディ教授が言っていた。彼は、米公共テレビ(PBS)の番組で「今後の世界は、単独覇権とか(米ソ対立的な)2極体制には戻らず、多極体制(multipolar world)になる。おそらく今後25年ほどの間に、米国、ブラジル、中国、インド、そしておそらく(うまく政治統合できれば)EUといった、諸大国が調和する体制(a concert of big powers)になる」と言っている。(Is the U.S. the Latest World Power in Decline?

「何だ、また多極化の話か。もう飽きたぜ」と思った方も多いかもしれないが、私がこのケネディの発言で注目したのは、この新たな多極体制について「1815年に作られたウィーン体制に似た体制であり、そう考えると、この新世界体制は、そんなに悪いものではない」と述べた点だ。

 ケネディはウィーン体制を、会議を主催したオーストリアのメッテルニヒが作った体制と呼んでいるが、一般的に流布しているこの見方は、当時の英国が作った説明で、おそらく意図的に本質を外している。1815年のウィーン会議は、フランス革命によって世界最初の国民国家となって強大化したナポレオンのフランスが企てた全欧州征服の試みを、英国がロシアやオーストリア、プロイセンなどと組んで潰し、その後第一次大戦まで100年間の欧州の秩序となるウィーン体制を決めた国際会議だ。

 ウィーン体制は、欧州の諸大国が拮抗した状態で並び立つことで安定した国際体制となったが、それをうまく制御したのは、新興諸国ではなく、古株の英国だった。英国は、欧州内でダントツの最強ではなかったものの、ロスチャイルド家などユダヤ人の手を借りて、全欧州に張りめぐらせた諜報網を使い、各国の政治経済を操作し、ウィーン体制を100年維持した。この均衡戦略によって、英国は覇権(パクス・ブリタニカ)を維持したが、最後は新興国ドイツの経済力が、先進国の英国を上回って均衡が崩れ、第一次大戦が起きた。ウィーン体制の100年間は、産業革命が英国から全欧州に拡大していく時期であり、英国が隠然と主導した均衡戦略がなければ、各国が競って工業化と軍事大国化を行って、欧州は戦争で早々と自滅しただろう(実際、その後2度の大戦で自滅した)。その点で、英国は非常に有能だった。

 ウィーン体制の当初、まだ世界は一体的でなく、複数の小世界が併存していた。アジアの中国(清朝)は欧州より豊かだったし、中東はオスマントルコ帝国の支配下にあった。ウィーン体制は、欧州人にとっての「世界」である欧州地域だけを対象にしていた。産業革命と国民革命の結果として、その後の欧州が強くなるにつれ、欧州はアジアやアフリカ、中東を植民地化したが、その過程では、隠然とした英国主導下で欧州諸国間のアフリカ分割や中東分割、アジア分割が行われ、ウィーン体制の均衡戦略は植民地支配にも適用された(英国は一番ほしい地域を取るが、残りはフランスやドイツ、ロシアなどに取らせ、英国が少し優位な均衡体制を作り、英国は優位を利用してこの体制を維持した)。

▼大均衡化をめぐる米英100年の暗闘

 ウィーン体制に対する上記の分析を加味すると、ポール・ケネディの発言は「今後25年ほどかけて、世界は、英国の覇権戦略の基本だったウィーン体制に似た体制になっていく」という予測になる。しかしケネディの予測には、英国が登場しない。欧州(EU)すら将来の大国群の中に入るかどうかわからない(今後の政治統合の行方しだい)。ウィーン体制は、英国を筆頭として、英国と似た規模(国力)の国家群が並び立つ均衡体制だったが、ケネディが言うところの25年後の世界体制は、米国を筆頭として、米国と似た規模の国家群が並び立つ均衡体制になっている。EUは、各国単位ではなく、統合すればその国家群の中に入る。

 ここまで書いて、以前から私の記事を精読している読者なら「ケネディが言っていることは要するに、英国主導の小均衡から米国主導の大均衡への、世界体制の転換のことだ」と思うだろう。まさにその通りで、前者は「英米中心の世界体制」で、後者は「多極型の世界体制」だ。前者は「(大英)帝国の論理」で、後者は「資本の論理」である。(覇権の起源(3)ロシアと英米)(ビルダーバーグと中国

 ケネディは、あと25年かけて『自然に』世界が多極型に転換していく感じで予測している。しかし、キッシンジャー元国務長官をはじめとする米中枢の関係者の多くが、何年も前から「いずれ世界は(自然に)多極型に転換する」と予測し、その一方で米政府はブッシュもオバマも、中国やインドやイスラム世界など新興諸国の台頭を誘発するかのような行動を繰り返してきた。私がうまく説明しきれていないこともあり、国際情勢を詳細に見ていない人には理解不能で飽き飽きするだろうが、私には、多極型への転換は、自然なものではなく、自然に見せかけた米中枢による意図的な転換であると思える。

「米国は最強の覇権国なのだから、世界を多極型に転換したければ、自由にやれるはず。今のように自国を自滅させて世界を多極化する必要などない」と言う人がときどきいる。この見方は、米英関係の本質を見落としている。米国が、小均衡の世界を大均衡に転換させようとしたのは、今回が初めてではない。約100年前に第一次大戦に参戦したとき、米国は、英国を対独敗戦の瀬戸際から救ってやる交換条件として、国際連盟を作り、世界を大均衡型に転換させる了解を、英国から得た。しかし、実際に国際連盟ができてみると、英国がフランスなど他の欧州諸国を使った巧妙な外交術によって、国際連盟を英仏主導の組織に変えてしまっていた。外交の本場である欧州から遠く離れた米国は、外交技能がまだ素人で、英国に一杯食わされた。そのため米国自身が加盟せず、国際連盟は不完全に終わった。

 その後、米国の資本家はドイツに投資して再台頭させ、第二次大戦を誘発して英国を潰しにかかったが、英国は再び米政界にとりついて、対独敗戦の直前に、今度は本当に多極型の世界を作ってやるからと持ちかけて、また米国の参戦を勝ち取り、戦後は米国を本拠に国際連合が作られた。事前にスターリンや蒋介石とも談合し、米国を筆頭に5つの安保理常任理事国が立ち並ぶ、立派な多極型の組織ができた。しかし、2度目も英国は巧妙に立ち回り、英チャーチル首相の「鉄のカーテン」演説を皮切りに、米ソ対立が扇動され、常任理事国は米英仏の西側と、中ソの東側に分断されて、多極型の国連は麻痺した。米国は2度目も英国に一杯食わされた。

 戦後、米国に作られた諜報機関CIAは、英国の諜報機関MI6の分家であり、おそらく今に至るまで、米国の機密は英国に筒抜けだ。英国筋は、米国の軍事産業を取り込んで、冷戦構造を維持した。冷戦が続く限り、軍事産業の儲けは減らず、有事体制が続くのでマスコミや言論界も潜在的に軍事部門の一部として機能し続け、米国の世論は英国好みの範囲であり続けた。米国は最強の覇権国だったが、英国好みの戦略しか採れない仕掛けになっていた。

 1960年代のケネディ大統領は、ソ連と和解し、英国との同盟関係を隠然と切っていこうとしたが、暗殺された。70年代のニクソン大統領は、初めて自滅による多極化を模索し、ベトナム戦争を過剰にやって財政難からドルを破綻させるニクソンショックをやり、中国との国交正常化をめざしたが、ウォーターゲート事件で潰された。

 英国のウィーン体制の「小均衡」が第一次大戦で崩れて以来、米国は100年近く、世界体制の「大均衡化」を試みているが、まだ成功していない。この10年の稚拙な「テロ戦争」のやりすぎと、金融バブル大崩壊の過程での(意図的な)失敗の連続によって、ようやく25年後の大均衡体制が見えてきたところだというのが、ポール・ケネディ発言を読んだ私が感じたところだ。

▼米国はリブートする

 隠れ多極主義者のネオコンは911後、軍事産業の中枢である国防総省に入り込み、米軍をイラクとアフガンという2つの泥沼の消耗戦に引っ張り込み、軍産複合体の自滅を引き起こした。またネオコンら隠れ多極主義者たちは、諜報機能を国防総省に集中させてCIAの機能を縮小し、ホワイトハウスに新たな諜報監督官を設置して、CIAが大統領に不要な入れ知恵をしないようにした。インターネットの普及と大不況の影響で、軍産複合体の一部である米マスコミも潰れかけている。これらは、米国を英国のくびきから解放するために必須の作業だったといえる。(つぶされるCIA

 米国が25年後の多極型世界の筆頭役になるというケネディの予測が正しいとすれば、米国が今、財政破綻に向かっていることは、永久の米国の衰退ではなく、米国が英国のくびきから解かれるための「再起動」の過程であることを示している。米国は今後、数年から10数年のどん底の時期を経験した後、再起していくのだろう。もともと米国は蘇生力があるので、再起し始めたら意外と早いかもしれない。

 再起動によって別のシステム(OS)が立ち上がるコンピューターの仕掛けのように、米国の自滅と再起によって『世界システム』も小均衡から大均衡に移行していきそうだ。小均衡に依存してきた英国は世界覇権延命の野望を捨ててユーロ圏の一員になり、日本は対米従属をあきらめて中国中心の東アジア圏に入るのだろう。

 世界システムにリセットがかかっているからこそ、そのプロセスを詳細に見ていると、これまでシステムの後ろで隠然と動いていて見えなかったデーモン的な各種の機能(軍産複合体とかマスコミのプロパガンダ機能とか隠れ多極主義とか)の本質や停止の瞬間がちらりと見えるのかもしれない。システムがいったん完全に停止するまで、起きていることがリブートなのかシャットダウンなのかわからない点も重要だ。うかうかしていると、米国だけリブートして、英国や日本はシャットダウンで再起不能の貧困に陥るなどという結末があり得る。

 世界の覇権体制が小均衡から大均衡に拡大することは、世界経済の発展を解放する。小均衡の時代には、覇権体制の都合で発展を阻害される国が多かったが、大均衡に転換しつつある今、そうした阻害が消え、中国、インド、中近東や中南米、アフリカの経済成長が可能になっている。

 もう一つ思うことは、英国中枢の人々の有能さについてである。英国は表向き、かなり前からボロボロの国であるが、世界戦略を立案して実行する諜報的な能力だけは米国以上だ。たとえば英国は、1980年代に米国が対ソ冷戦を終わらせることが不可避と見るや、英米が同時に債券化などの金融革命をやる計画を85年から実行し、英米中心の金融覇権を強化して、金融立国として英国を再活性化するとともに、英米中心体制を維持した。

 今後も、もしかするとまだユーロ圏の危機は終わりではなく、英国より先にユーロ圏が崩壊し、中国もバブル崩壊して、世界の資金は行き場を失ってドルに戻らざるを得ず、英米中心の小均衡体制が延命するといった、どんでん返しがあり得る。英国はしぶとい。(それでも25年以内には、中国などBRICが経済成長を回復し、長期的に世界は大均衡に移行するだろうが)

 ポール・ケネディは、覇権国の心得として「米国の為政者は、繁栄をできるだけ長く持続するため、衰退ができるだけゆっくり進むように管理し、優位な立場をできるだけ長く持続し、自国好みの世界体制をできるだけ長く維持するのがよい」と言っている。だが、実際にこの心得をやって100年成功してきたのは英国だ。米国がこの60年間やってきたのは、全く逆の「自国の繁栄をできるだけ他国に大盤振る舞いし、優位を維持しようとする行為をやりすぎて衰退を早め、ベトナムやイラクなど無意味な戦争の泥沼を繰り返す」ということだった。

 だが、米国が破天荒ですごいのは、こうした自滅策を通して、実は世界を自国好みの大均衡に転換し、その上で再起して、英国に牛耳られた従来のニセモノではない、真の「パックス・アメリカナ」を実現しようとしているところである。戦後の日本人なら「生活が豊かなら、英国に牛耳られていても良いじゃないか」と対英従属を喜んで容認しただろうが、米国人は、そんなうつわの小さな人々ではないということだ。



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米国トヨタ欠陥問題の意味

2010年2月27日  田中 宇

 2月23−24日に米議会下院の委員会で行われたトヨタ自動車のアクセル制御システムの欠陥隠し疑惑問題での公聴会は、芝居がかった濡れ衣による攻撃だったと、私には感じられる。

 今回の事件は、米国で販売されたトヨタ製の乗用車の中に、アクセルが制御不能になる不具合があるものが含まれているようだという案件で、アクセルが制御不能になる原因は特定されていない。トヨタは、フロアマットがアクセルに干渉するときがあるためだと考えて対策を採ったが、米議会では、アクセルを制御する電子機器の設計に問題があるはずだと考え、トヨタはこの問題を矮小化して欠陥隠しをしたとトヨタを責め、米国の運輸省や司法当局も「トヨタによる欠陥隠し」の線で動き出している。(Editorial: Congress should determine if NHTSA can be made more effective

 なぜアクセルが制御不能になる時があるのか、原因は解明されておらず、トヨタが主張するとおりフロアマットとの干渉である可能性も残っている。その場合、トヨタの対応は、それほど悪いものではなく、豊田社長が米議会に出向いて謝罪する必要のある案件ではない。しかし、すでに米国の議会、政府、裁判所というすべての当局が、トヨタを極悪とみなしている。

 トヨタは米当局から「大量破壊兵器を持っている(はずだ)」と言われて国を潰されたサダム・フセイン時代のイラクや、核開発が平和利用ではなく兵器製造だと考える証拠がないのに核兵器開発していると非難されている今のイランと同類に陥れられている。米議会が「トヨタは強欲な企業だから、欠陥隠しをやるに決まっている」と断定することは、米議会が「サダム・フセインは極悪な独裁者だから、大量破壊兵器を持っているに決まっている」と断定したことと本質的に同じだ。

 米当局は、先に事故原因を解明し、トヨタが悪いという証拠をつかんでからトヨタを責めるべきだが、現実はそのように動いていない。イラクやイランに対する非難が濡れ衣だと判明しても、それをほとんど無視している米当局に、真摯な対応を求める方が無理とも思える。米国に敵視されたら最後、無実でも極悪にされてしまう構図がある。

 米国では「トヨタが何に対して謝罪する必要があるのか、私には理解できないままだ。アクセル制御欠陥の発生を疑われた2000台のすべてが(運転者ではなく)トヨタの責任だったとしても、リコール対象の800万台に占める比率は4000分の1で、この程度の欠陥比率は大した問題ではない。米議会の議員が間違いを犯す比率の方がずっと高い」との指摘が出ている。(Toyota's apology

▼悪そうな案件を流布しトヨタを極悪に仕立てる

 米議会では、トヨタから流出した内部文書を根拠に、アクセルが制御不能になる原因についてトヨタが米当局と交渉し、原因をフロアマットのせいにして1億ドルの経費を浮かしたとする批判が出た。これも、アクセル制御不能問題の原因が不明だという前提をふまえると「本当の原因はシステムの欠陥なのに、トヨタは当局と交渉してそれを曲げた」というよりも「原因が不明なので、米当局がシステムの不具合と断定しないよう交渉した」と考える方が妥当だ。

 アクセル制御の不具合が米議会でたたかれるのと同期して、トヨタに電子制御用の車内配線(ワイヤーハーネス)を供給する日本やドイツの部品供給メーカー数社が価格設定で談合していた疑いがあるとして、FBIが主導して日米独の国際捜査が開始された。これも、捜査時期の偶然の一致ではなく、トヨタ叩きを目的とした政治的な動きだろう。(Toyota Car-Parts Sellers Probed

 豊田社長の公聴会が行われた後の2月26日には、米国トヨタの元顧問弁護士が米議員に「トヨタ車の交通事故の裁判で、トヨタは裁判所に対して情報を出さずに隠匿した」と伝えていたことが報道された。同日には、別件で「トヨタは、08年にハッチバックの事故が自社の欠陥ではないと当局に認めさせ、リコール回避を『勝ち取って』いた」という、内部文書を元にした報道も流れた。(Toyota `Deliberately Withheld' Documents, Towns Says)(Toyota Claimed `Win' in Handling Sienna Injuries

 これらは、公聴会で問題になったアクセル制御機器とは別の問題で、違法性は不明だ。トヨタに極悪の印象を付与するために、多数の「悪そうな案件」が流されている感じだ。イラク侵攻前にイラクの極悪さを強調する情報がマスコミに流され、その後はイランの極悪さを強調する報道が目立つが、これらの根拠の薄い情報の奔流と、今回のトヨタの件は似ている。イラクの時は「イラクはそれほど悪くない」と指摘する人に「あんな独裁者を擁護するのか」と罵声が浴びせられたが、今回も同様に「おまえはトヨタと癒着しているんだろう」と罵倒されかねない。すでにトヨタを擁護する議員は批判されている。マスコミや評論家は、かつてイラクを非難したように、トヨタを非難していれば安全だから、そちらに流れる。(Congress-Connections with Toyota

 トヨタが欠陥を増やしたのは、渡辺前社長の時代(2005−09年)に、性急なコスト削減や開発期間の短縮をやりすぎて、安全面がおろそかになった結果だと、前から指摘されている。「渡辺時代の失策の結果、トヨタは欠陥車だらけになり、米国で顧客の信頼を失い、米議会で非難されるに至った」という解説が流布している。確かにそうした面はあるだろう。トヨタは企業だから強欲さもあるだろうが、私から見ると、米国でのトヨタの欠陥問題は、トヨタ側の失策だけによるものではなく、米当局が欠陥を誇張している部分がある。この点も、イラクのフセインは確かに聖人君子でなく狡猾な独裁者だったが、イラク侵攻の根拠となった大量破壊兵器の話は米国による誇張と捏造だったというのと同じである。(Toyota Woes Said to Lie in Cost Cuts, Growth Targets

 トヨタはロビイストを使って、米国流にうまくやろうとしたが、議会やマスコミから「トヨタはロビイストを使って、欠陥隠しの事実をねじ曲げようとしている」と批判され、裏目に出ている。半面、豊田社長は公聴会で、日本式にひたすら謝罪する態度に出たが、これも米議員(Paul Kanjorski)から「自分が悪いと認めたのだから、賠償金をたっぷり払ってもらいますよ。うちの国民を殺した企業を許すわけにはいきませんから」と脅されることにつながっている。(Lawmakers grill Toyota execs over lobbyists, liability

 米当局が、イラクと同じくトヨタにも極悪のレッテルを貼ることを最初からの目的にしているのなら、トヨタがロビイストを使おうが、平身低頭謝ろうが、大した効果はない。これに対し、日本のマスコミは、対米従属機関にふさわしく「米議会に理解してもらえなかったトヨタが悪い」という論調だ。

▼GMを救うためにトヨタを叩く?

 なぜ米国は、トヨタにイラクと同類の濡れ衣をかけて叩くのか。そもそも、米国がイラクやイランに濡れ衣をかけた理由も確定せず「イスラエル系による謀略」など推論以上のものがない。米当局がトヨタに濡れ衣をかけた真の理由も、おそらく今後ずっと謎のままだろう。だが推論はできる。

 米国のウェブログで散見される見方は「ゼネラル・モータース(GM)など国内自動車メーカーの株を買って国有化した米政府は、トヨタを攻撃して顧客離れを起こし、国内メーカーを有利にしたいのだろう」というものだ。(GM, Ford luring Toyota drivers)(The Market Should Decide Toyota's Fate)(Toyota makes far, far better cars than GM

 もしこれが米議会の意図だとしたら、その目的は実現しそうもない。トヨタ車の代わりに米国人が買うのは、GM車ではない。ホンダや日産といった他の日本車か、現代など韓国車、フォルクスワーゲンなどドイツ車である。フォードには、ある程度追い風だろうが、GMはダメだ。トヨタは、米国民の間でかなり高い評価を受けており、今回の事件で一時的に販売が悪化しても、長期的な悪影響は少ないだろうと、米マスコミが報じている。(Toyota recalls to hurt suppliers in short-term

 GMは、車種ごとに買収先の外国企業を探す解体過程にあるが、うまくいっていない。GMは、燃費が悪くて売れなくなったSUV(4輪駆動車)のハマー(Hummer)を中国企業に売ろうとしたが、エネルギー効率を重視するようになった中国側から断られ、売却をあきらめて事業を廃止する方向だ。(GM Axes Hummer after China Deal Falls Through

 ハマーの工場はインディアナ州にあり、3000人を雇用してきたが、彼らは解雇されかねない。同州には4300人を雇用するトヨタの工場もあり、州内の失業増を心配する同州の知事や議員は、今回の事件でトヨタを擁護する表明を行っている。インディアナ州民の立場で考えると、GMを再建するためにトヨタ車を売れなくするのは、全くとんちんかんな話である。トヨタの工場があるアーカンソー、ミシシッピ、ケンタッキーなどの各州でも状況は同じだ。(More On The Toyota Hearing

▼米国が経済覇権をおろすこととの関係

 私は今回の事件の意味を、米国が変化しつつある方向性との関係で考えた。それは、以前の記事「経済覇権国をやめるアメリカ」にも書いた。「米国は、全世界の企業や人々を儲けさてやるために自国の市場を開放する『経済覇権国』の任務を一国で背負うのをやめて、他国に分散しようとしており、その象徴としてトヨタを叩いているのではないか」ということだ。覇権に関連した濡れ衣攻撃という点で、米議会のトヨタ叩きとイラク侵攻は同類だ。(◆経済覇権国をやめるアメリカ

 米国は戦後に覇権国になって以来、一貫して世界から旺盛に輸入し、世界の企業を儲けさせ、世界経済の成長に貢献してきた。世界経済を牽引する消費役であることが、覇権国としての米国の義務となってきた。だが最近の米国は、金融危機と大不況によって世界の消費主導役を果たせなくなった。米政府は、代わりに人口が世界最大で急成長している中国に、消費主導役の一部を肩代わりさせようと「米中共同覇権体制(G2)」を提案したり、中国がインド、ブラジルといった他の新興大国と結束し、BRICとして消費の主導役となる経済覇権の多極化を支持している。

 米国の外交戦略決定の奥の院であるCFR(外交問題評議会)の雑誌フォーリン・アフェアーズの最新号に載った、日米同盟存続の意義を疑問視する論文「(日米同盟は)いまだに得策なのか?」(Still a Grand Bargain?)でも、日本企業が米国で製品を売らせてもらうことが、1952年のサンフランシスコ条約以来の日米同盟の経済面として存在すると指摘されている。(米国は日本をアジア支配の拠点として使え、日本を傘下に入れられる半面、日本は軍事費を使わず経済成長に専念できるのが、日米同盟の互恵体制だという)(The United States-Japan Security Treaty at 50 - Still a Grand Bargain?

 トヨタやその他の日本車メーカーが米国で自由に販売ができ、その結果GMやクライスラー車が売れなくなって潰れても黙認されてきた背景には、日米同盟の存在があった(韓国や欧州からの輸出も同様)。だが、すでに冷戦が終わって久しく、中国は米国の敵から味方に変わり、北朝鮮の問題解決も中国に任され、台湾も経済面から中国の傘下に入りつつある。米国は、日本を拠点にする軍事的な必要がなくなり、グアム島に撤退しつつある。(官僚が隠す沖縄海兵隊グアム全移転

 昨夏までの自民党政権と官僚機構は、対米従属の国是を何とか維持しようと、米軍に「思いやり予算」を出し、もがいていた。しかし今の鳩山政権は、対米従属をこれ以上続けるのは日本にとって不健全と考えたようで、戦勝国と敗戦国の同盟という日米同盟の本質と矛盾する「日米の対等化」を掲げ、日米同盟で米軍に与えられていた「日本に(秘密裏に)核兵器を持ち込む権利」を「沖縄密約問題」の暴露(日米間の「解釈のずれ」の認知)によって無効化し、普天間基地もグアムに撤退させようと沖縄の反基地運動を煽り、日米同盟を解消する方向に隠然と動いている。

 日本や韓国の企業は、依然として、対米輸出や米国での現地生産によって発展する形態を好んでいる。だが、政治的な状況を見ると、もはや日韓が軍事・政治的に対米従属する代わりに、日韓の企業が米国で自由にものを売れるという日米と米韓の同盟体制は終わりつつある。そのため米側は、日本企業の代名詞であるトヨタを標的に「そろそろ米市場に頼るのはやめてくれ」というメッセージを送るべく、濡れ衣をかけて戦犯扱いの非難攻撃を開始したのだろうというのが、私の読みである。豊田社長の公聴会では「これはトヨタだけでなく、すべての日本製品の信用の問題だ」と、日本企業全体の話にする意志が議員から示された。(Toyota chief struggles to limit damage from safety recalls - Feature

▼東芝ココム事件との類似

 米国が、覇権国としての世界的な消費の主導役をやめて、その一環として日米同盟も解消しようと考え始めたのは、最近のことではない。米国は、1970年代に不況と財政難になり、80年代に冷戦を終わらせる方向に動くとともに、85年のプラザ合意で円の対ドル為替を切り上げさせ、日本に米市場への輸出依存を脱出させ、内需拡大やアジアでの円圏創設などによって、日本を米国から自立した経済覇権国に仕立てようとした。

 この時期、今回のトヨタ叩きと似た事件が起きている。米議会の前で議員がハンマーでラジカセなど東芝製品をたたき壊す演技をやり、米国に敵視された東芝の社長が辞任に追い込まれた1987年の「東芝機械ココム事件」である。この事件は表向き、東芝の子会社がソ連に輸出した工作機械を使ってソ連が潜水艦の性能を向上させ、米国が探知しにくい状況を作ったという、冷戦政策(ココム)への違反事件だった。

 だが当時、すでに米国のレーガン政権はゴルバチョフのソ連と対話を開始し、米国自身が冷戦終結を準備していた。ソ連への敵視を終わらせる時に、輸出規制は不必要だった。東芝ココム事件の本当の意味は、米国が不必要な案件で日本企業叩きをやって、日本に「そろそろ米国市場に頼るのを終わりにしてくれ」という、経済面からの日米同盟解消の信号を発したことだった。もし、日本政府が「米国は冷戦を終わらせるのだから、ココム規制なんか不必要でしょう」と言い返していたら、そこで米国の思惑通りに日米同盟は終わり、日本企業は旧共産圏など米国以外の輸出市場を拡大して対処せざるを得ず、対米従属から自立していただろう。

 だが、日本では政府(自民党と外務省など)とマスコミが、対米従属を何とか維持しようとがんばり「間もなく冷戦は終わるのだからココムは不必要」という事件の本質を見ないようにして、米議会と同じ姿勢で東芝を非難し、東芝の社長を辞めさせ、米国にくびを差し出して幕引きとした。その後、日本政府は、米国から叩かれないよう、日本企業に対し、米国から敵視される国との取引を自粛するよう求めた。ロシアや中近東など、今では新興市場諸国と呼ばれるようになった市場で日本企業は不活発となり、後発の韓国や中国にシェアを奪われていくことになった(それでも日本製品は高品質なので売れたが)。

 東芝ココム事件に対する日本政府の対米従属的な対応は、結果として、悪いものではなかった。米国ではその後、金融界で債券化によるレバレッジ拡大の勢いが強まり、金融主導の経済成長が20年にわたって続き、米国は世界の消費役であり続けたからだ。米当局は、日本など外国勢に「米国でものを売っても良いが、米経済に貢献するかたちにしろ」と命じ、トヨタなど日本車メーカーは、日本で作った完成車を米国に輸出するのではなく、部品から米国で製造し、米国の雇用に貢献する構造転換を進めつつ、米国で売り続けた。

 しかし、07年のサブプライム危機を機にレバレッジ解消の壮大な金融収縮が起こり、この20年間の金融主導の米経済の成長は、実は20年のバブル拡大だったことが明らかになった。08年秋のリーマンショック後、米経済は崩壊を加速し、今年に入って米国債の金利高騰やインフレという米国の財政破綻とドル崩壊が起きる懸念が増している。(Double-Dip, Rate Spike 'Danger' Looms: Ex-Fed Governor

 こうした状況下で、米当局は、今回のトヨタを標的にした敵視戦略を展開している。米国外では、中国やブラジル、インドなど新興市場諸国や発展途上国の市場が急拡大している。米国が単独覇権的な世界経済の消費役だった時代が終わり、消費役がいくつも存在する多極型の世界経済に転換するのだから、トヨタは米国以外で車を売ればよい、日本も早く経済の対米従属をやめて、米国に日米同盟を解消させてくれと言わんばかりだ。

▼07年の従軍慰安婦問題との類似

 私が今回のトヨタ叩きと似ていると思った過去の件は、もう一つある。2007年4月に親米派の安倍首相が就任から半年も待たされた後、初めての訪米をしようとしたときに、米議会はタイミングを合わせたように日本の戦争責任としての従軍慰安婦問題を議論し始め、日本は謝罪が少ないと安倍を非難した。今回のトヨタ叩きでは、米議会にトヨタ車の事故で死んだ人の遺族と、アクセルが効かずに事故になりかけた人を登場させ、感情的なトヨタ非難の証言をさせたが、07年の従軍慰安婦問題でも、米議会は元慰安婦を議会に呼び、感情的な日本非難の証言をさせている。(意味がなくなる日本の対米従属

 安倍元首相とトヨタでは、立場がかなり違うが、米議会が発するメッセージは「米国に頼るのをやめてくれ」という同一のものだ。米国は、何とか米国に貢献したいと近寄ってくる安倍やトヨタに対して理不尽な敵視を浴びせかけ、日本側を怒らせようとしているようにも見える。だが、日本の外務省やマスコミは、この米国からの挑発をできる限り無視して、日本国民が反米になって米国から売られた喧嘩を買ってしまうことを防いでいる。この状態は以前から続いており、その結果、日本は何とか対米従属を続けられているが「見ざる聞かざる」の副作用として、日本人は国際情勢の本質が理解できず、多極化にも対応できていない。

 前回日本が叩かれた冷戦終結期には、その後の米経済がレバレッジ化で20年の成長過程に入り、対米従属を維持した日本は恩恵を受けたが、今回もそうした「神風」が吹くとは思えない。米経済の状況は非常に悪い。20年前に神風となった米金融界は、今は逆に米経済の足を引っ張っている。第二次大戦のパターンが繰り返され「米国が中国と戦争して打ち負かし、覇権を維持する」という希望的予測を発する人もいるが、米国が中国に戦争を仕掛けたら、米国は中国に米国債を売られて財政破綻する。米軍はアフガンとイラクで手一杯で、中国と戦争できない。

 世界の新興市場は、すでに中国勢などにかなり押さえられてしまっているが、まだ日本製品の高品質をもって売り込める余地はある。東芝ココム事件で日本政府が東芝を叩いたように、今回の件で日本政府がトヨタを叩くことは、日本にとって自滅でしかない。日本の対米従属の持続(日米同盟の維持)は、日米双方にとってマイナスだ。日本人は、米国による今回のトヨタ叩きを、政治的、経済的、精神的な対米依存から自分たちを脱出させる好機とすべきだ。



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揺らぐドル

2010年2月20日  田中 宇

 世界的に著名な投資家(投機筋)であるジョージ・ソロスは、1月末にスイスで開かれたダボス会議で「金は究極のバブルだ」と発言した。ソロスは、世界各国の政府が不況対策として低金利と巨額資金供給の政策を続けているため、資金過剰が起こり、世界的にバブルが拡大していると警告し、そのバブルの究極のかたちが金相場の上昇だと示唆した。金相場が史上最高値を更新した後だったので、この発言を受けて「ソロスは、金相場のバブル崩壊を予測した」とする報道が出回った。(Davos 2010: George Soros warns Gold is now the 'ultimate bubble'

 しかし実は、ソロスは金を売るどころか逆に、金関連の金融商品(ETF)を買っていた。ソロスの投資基金が米当局に申告した昨年末の資産残高の中に、7億ドル近い金のETFが含まれていたことが2月17日にわかった。(Soros Doubles Gold Holdings: Expect Others to Follow

 ソロスは昨年末、ドルの代わりにIMFのSDRを使った通貨体制や、中国を地域覇権国として容認する新世界秩序の容認、より多極型の国際社会への移行などを盛り込んだ政策を提言した。ソロスは、米国とドルの覇権が崩壊し、中国やBRICが台頭して世界が多極化すると予測した。ドルが崩壊するなら、金が高騰するはずである。ダボス会議でのソロスの「金は究極のバブルだ」という発言が、金相場の大幅下落予測を意味するのなら、それはソロス自身の多極化予測と矛盾する。(A New World Architecture George Soros)(中国が世界経済の中心になる?

 ソロスのダボスでの発言に裏があると思った米国の分析者は「金が究極のバブルだという指摘の意味は、今は株や債券にたまっている価値(バブル)が、最後にはすべて金に行くということで、金融崩壊が進むと金が高騰するという予測なのだ」「ソロスが『売りだ』と言ったときには、買うのが正解だ」などと指摘していた。ソロスが金関連に投資していたことは、この分析が当たっていたことを示している。(Why Soros Is Probably Buying Gold Now

 この先、どのぐらいの速さで進むか不透明なものの、米英の経済悪化と財政難深化、金融危機の再燃、ドルの基軸通貨性の喪失、金の再高騰などが起きていく感じがする。ソロス発言の顛末をみて、その感じに間違いがないようだと改めて思った。

▼人民元ドルペッグの終わりがドルの終わり?

 2月15日には、中国が米国債を売った結果、中国の米国債保有残高(7550億ドル)は日本(7688億ドル)より少なくなり、日本が再び世界最大の米国債保有国になったと報じられた。この日、米財務省が昨年12月の各国別の米国債売買を発表し、中国が342億ドル分を売却したことがわかった。日本も同月に115億ドル売却したが、中国より売った額が少なかったので、逃げ遅れた感じで世界一に戻った。12月の全世界合計の米国債の売却総額は530億ドルで、史上最大だった。(Treasuries suffer as sentiment shifts

 中国が米国債を売っているのと対照的に、英国は米国債を買っている。英国の政府や金融界は赤字や損失を拡大しており、米国債を大量購入する余裕がないはずなので「中国がドルペッグ維持のため、ロンドンの機関を通じてこっそり米国債を買っているのだろう」との推測もある。だが、中国では昨春からドルや米国債の過剰発行について高官や学者らが繰り返し懸念を表明しており、中国は、米国債を買う危険さを知っている。むしろ米国の連銀あたりが、国債金利高騰を防ぐためにドルを刷って米国債をこっそり買っているのかもしれない。実態は不明だ。(China: a Slow Soft Kill for the Dollar; Sells $34.2 Billion in Treasury bonds in December

 人民元のドルペッグをめぐる話は、矛盾と不透明に満ちている。米政府は今後数カ月間に、米国から中国への輸出を増やす目的で、人民元の対ドル為替を切り上げろという中国への要求を強めるつもりだと報じられている。だが、中国が人民元の切り上げを容認すると、米国債を大量保有する必要性が下がり、米国債は買い手が減って下落(金利高騰)に近づく。(U.S. Expected to Press China on Yuan

 中国の高官や学者は「ドルや米国債は危ない」と言い続けるが、その一方で中国の温家宝首相は「人民元の対ドルペッグは絶対変えない」と明言し、これを受けて「今年上半期は人民元の切り上げはない」とする予測が出回った。ドルペッグを続けるなら、危険な米国債を持ち続けねばならない。それと対照的に「BRIC」という言葉を作ったゴールドマンサックスのジム・オニールは最近「中国政府は、間もなく人民元を切り上げるだろう。いつ切り上げが行われても不思議ではない」と発言している。高度成長の中国は、不況のぶり返しそうな米国と同期する通貨政策を続けられなくなるとの予測である。(Goldman's O'Neill Says `Something Brewing' in China on Currency)(Renminbi Roller Coaster

 米経済は再び不況に入っていきそうな感じを強めている。連銀も、失業が来年まで減りそうもないと認めた。米国では、失業増と連動して住宅ローンの返済不能が急増し、住宅市場が史上最悪になっている。連銀は「景気が回復しそうだ」と言って公定歩合を引き上げたが、金融界では、銀行から企業への融資が急減している。この急減ぶりも史上最速だという。景気が回復するなら、融資は増えるはずだが、実際は全く逆だ。これは不況がひどくなる予兆にしか見えないと指摘されている。(US Fed: US unemployment remains high for years)(A Bad Time For Fed To Tighten?)(US home loan foreclosures reach record high %%%

 米国の景気が回復せず不況が再来するなら、不況の米国と、好況の中国の齟齬がひどくなり、中国は人民元のドルペッグを続けられなくなる。「いつ中国が人民元を切り上げてもおかしくない」という見方が正しそうだ。市場では「ドルは中国に見放されたら終わりだ」という見方が強い。人民元が切り上げられたら、ドルに対する世界的な信頼低下が加速し、人民元のドルペッグ維持はいっそう難しくなる。

 中国が米国債を売った結果、日本が世界最大の米国債保有国に返り咲いたことに関して、日本の対米従属筋は「米国に対して貢献できる事態が戻ってきた」と思うかもしれない。だが米国では「日本は世界最大級の財政赤字を抱えている上に、金のかかる高齢者ばかりの国になりつつあり、他国の赤字を背負う余裕はない。ずっと日本に米国債を買ってもらえるとは思えない」という、米国債は今後も高度成長する中国に持ってもらった方が安心だと言わんばかりの分析が出ている。(At least U.S. has Japan to fall back on

▼ケインズ式景気てこ入れ策の間違い

 米国ではここ2年ほど「公共事業を増やせば雇用が拡大し、景気が好転する」というケインズの理論に基づき、財政赤字を増やして公共事業を急拡大したが、いっこうに雇用が拡大しない。今年2月には、米政府が失業者数を過小に見積もっていたことを認め、07年末に米経済が不況入りして以来の約2年間の失業者数を100万人増やす修正を行った。(US data send mixed message as 1m more jobs lost

 ケインズ理論に基づくなら、1ドルの公共事業投資は1・5ドル分の経済成長として跳ね返ってくる。不況突入以来1・6兆ドルの財政支出を公共事業に投入した米国は、2兆ドル分以上の経済成長をするはずで、米経済は今ごろ過熱状態だったはずだが、実際には経済も雇用も回復していない。「ケインズ理論はインチキだ」という指摘が、米分析者から出ている。(Why the Stimulus Failed - Fiscal policy cannot exnihilate new demand)(The Stimulus Didn't Work

 日本には、ケインズ経済学を固く信じている人が多い。日本がケインズ理論に基づいて財政赤字を急増して公共事業を延々とやった結果、使いものにならないハコモノばかりの未来のない高齢の大赤字国になったことと、ケインズ理論が正しくないかもしれないことが、日本で関連づけて考えられることは少ない。ケインズ信奉者が多い中高年は、何とか死ぬまで年金をもらい続けられるが、下の世代は、終身雇用も年金も経済成長も失われる中で、今後何十年も国の借金を背負わされる。

「ケインズは、ブレトンウッズ会議で米国に覇権をとらせた英国の外交官で、米国に金を使わせる英国の戦略を実現するため、ケインズ理論という詐欺を人々に信じ込ませたMI6の要員だ。戦後の日本のケインズ信仰は、英米に対する従属と関係ある」と書くと、中高年の読者から「あなたに失望しました」と批判メールが来そうだ。だが、1980年代に流布して多くの日本人を信用させた「財政赤字を増やすと、金が民間に回って倍増の税収として政府に戻り、財政は黒字になる」という「レーガノミクス」が隠れ多極主義者の詐欺だった可能性が高くなっていることから考えて、ケインズが絶対正しいとはいえない。(いまだにレーガノミクスを信じる日本人もけっこういそうだが)(アメリカは破産する?)(拡大する双子の赤字

 話がそれて行くが、そもそも「経済学」なる学問自体、大資本家層が絡んだ詐欺であると考えてみることは無駄ではない。マルクスが詐欺でケインズは真実だというのは、イスラム教はテロリストの迷信で、キリスト教は真実だと考える宗教信者と大して違いがない。さらに言うなら、心理学や社会学など「社会科学」には全般に詐欺が多く紛れ込んでいる疑いがある。地球温暖化問題のIPCCの学者群による歪曲を見れば「自然科学」も大差ないかもしれない。

 学問をする人はラディカルな(根本的に深く考える)姿勢を持つのが良いので、詐欺と言われて怒り出す学者は、学問ではなく「宗教」をやっていると思われてもしかたがない。欧州で学問を担ったユダヤ人はラディカルな思考が好きだったので、欧州は学問が発達した。中世のイスラム世界の人々もラディカルだった(神と自分が直結し、人的な権威に対する転覆が許される)。「お経をそのまま信じるのが良い」と考える傾向が強い日本(や中国・朝鮮の)人々は、ラディカルな思考をしたがらず、学問を発達させる役に向いていないのかもしれない。

▼連銀理事がドルの超インフレを予測

 日本の財政赤字はほとんど国内で消化され、ツケは後世の国民が払うが、米国の財政赤字は約半分を海外に売っており、外国人が買わなくなると債務不履行だ。すでに米国の地方政府(郡、市町など)の中には、財政破綻を裁判所に申請する動きが広がっている。州は債務不履行の宣言を許されないので、厳しい支出の切り詰めしかない。(Muni Threat: Cities Weigh Chapter 9

 米連銀のホエニッヒ理事(カンザスシティ連銀総裁)は最近「新たな財政緊縮策を打たない限り、今後数年間に米連邦政府の財政赤字が急増し、超インフレになる。連銀が景気回復を重視しすぎてドルの過剰発行を続けると、事態は意外な速さで悪化するだろう。2020年以降に財政破綻するという予測もあるが、すでに破綻が始まっているという考えもある」とする警告の論文「破綻に向かう連銀」を発表した。(The feds on course to doom By THOMAS M. HOENIG)(Federal Reserve Officials, Often Tight-Lipped, Openly Voice Deficit Concerns

 米連銀内では、ホエニッヒの主張に賛同する理事がほかにもおり、彼らの突き上げを受け、連銀は2月18日に公定歩合を1年3カ月ぶりに引き上げた。これを「連銀は金融引き締めに入った」と見る向きもある。だが実際には、連銀は失業が減らない限り金融引き締めには入らないので、今回の利上げは、連銀内の利上げ主張に配慮した一回きりの動きだろう。連銀が最も重視するのはFF金利であり、公定歩合はそれほど重要ではない。連銀自身が、雇用は少なくとも来年まで回復しないと予測しているのだから、来年まで連銀は金融引き締めをしない。その分、ホエニッヒが懸念する超インフレや国債金利の高騰の可能性が高くなる。('Groundhog Day' Will See Year of Low Rates: Pimco's Gross

 英国も米国と同様、国債破綻の予兆が見え出している。英国では1月に財政収支が意外な悪化を見せた。通常、1月は金融機関のボーナス月で所得税収が増えるのだが、今年は金融界の不振から税収が前年比9%減で、支出の方は景気テコ入れのため15%増となり、赤字が急拡大した。英国の新聞は「英国は、ギリシャ並みの財政難になった」と報じた。投資家は英国債を売り、国債価格が15カ月ぶりの安さとなった。英政府は財政赤字を増やせない分、通貨ポンドの増刷で対応せざるを得ず、英国のインフレ率(消費者物価指数)は12月の2・9%から1月に3・5%へと上がった。すでに英国は、米連銀のホエニッヒが指摘した超インフレによる財政破綻への道を歩み出している。(Shock as British deficit equals that of Greece)(UK2 monetary isolation)(Inflation soars to 3.5% and prompts Bank letter to Darling

 2月16日、財政難に苦しむギリシャの首相がロシアを訪問し、プーチン首相と会った。EUが助けてくれないので、ギリシャ政府は、外貨準備が豊富なロシアに助けを求めたと推測されているが、プーチンは共同記者会見で「ギリシャの財政はそんなにひどくない。ギリシャに劣らずひどい財政状態の国が海の向こう(米国)にある。彼らこそ、金融危機の元凶だ」と、ギリシャ擁護と米国批判を展開した。(Putin calms Greek, says U.S. debt big too

 米欧日のマスコミでは、プーチンの発言は信用ならないものとされ「あんなやつの言葉を信じるのか」ということになる。だが私には、プーチンの発言はかなり当を得たものに感じる。米連銀のホエニッヒも、同じように考えているだろう。



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欧米日すべてが財政破綻する?

2010年2月12日  田中 宇

 2月10日のFT紙に、米ハーバード大学の歴史学者ニアール・ファーグソンの「ギリシャ財政危機は米国に飛び火する」(A Greek crisis is coming to America)と題する論文が載った。それによると、EUは、ギリシャからポルトガルに飛び火した国債危機を救済する制度を持っておらず、今後数カ月間はユーロ圏の危機が続き、資金逃避先としてドルや米国債が買われる。

 だが、米国も財政赤字が急増し、赤字を増やして挙行した雇用対策も大した効果がなく、米議会は「米国は二度と均衡財政に戻らない」とまで予測している。米国の財政破綻を防いできたのは、金融救済策として連銀が米国債を買い、人民元のドルペッグ維持のため中国が米国債を買うという、2つの買い手がいたからだ。だが、連銀は「金融が安定してきた」として米国債の買い支え(量的緩和策)をやめる方向に動いている。中国の米国債購入も減り、06年には新規発行の米国債の47%を買っていたのが、昨年は5%しか買わなかった。米国は「世界最大の赤字国が、いつまで世界最強でいられるか」という問題を抱えている。国債危機は、近く英国に波及するが、問題は、その後いつ米国に危機が波及するかであり、これは欧米全体の財政危機であるとファーグソンは書いている。(A Greek crisis is coming to America

 英国でロスチャイルド家の研究をして著名になった英国人ファーグソンは、911とともに米ニューヨークに移り、すぐに米国の言論界で有名になった。マスコミを操作する筋から引っ張り上げられた観がある。彼は当初「米国は911を機に、顕在的な帝国に転換すべきだ」とタカ派の(英国の国益になる)論調を発していた。(米英で復活する植民地主義)(せめて帝国になってほしいアメリカ

 その後、イラク占領の失敗、リーマンショック後の経済危機などを経て、彼は、米国が破綻に向かっていると指摘するようになった。08年には「米国は、19世紀に過剰な借金で財政破綻したオスマントルコ帝国のように崩壊しそうだ」と書き、昨秋のG20サミット後には「ドルは、中国に見捨てられて崩壊する。それは意外に早く起きるだろう」「来年はドル安になる」と述べている。(An Ottoman warning for indebted America)(Niall Ferguson: The Dollar Is Finished And The Chinese Are Dumping It

▼台湾問題の制裁で中国が米国債を売る?

 国際金融の現状を見ると、ファーグソンの予測や分析が、かなり当を得たものだと感じられる。先日、米連銀のバーナンキ議長は「量的緩和策をやめるので、民間銀行から企業・消費者への融資の金利が上がる」との予測を発表した。連銀は「米金融界が安定し、景気は回復しつつある」と分析し、民間銀行への資金流通を引き締め、その後利上げもする予定だ。実際には、米経済は回復しておらず、連銀が引き締めを開始する3月以降、状況が再び悪化しそうだ。米国の住宅ローン全体の2割は、担保価値が負債を下回る債務超過になっており、ローン金利の上昇は、住宅市況と景気全般をさらに悪化させる。(Higher interest rates ahead, Bernanke says)(One in five US mortgages "underwater" in Q4

 格付け機関のムーディーズは先日、米経済が成長鈍化した場合、税収減と景気対策の財政再出動が重なって、米国の財政状況がさらに悪化するので、米国債は今のトリプルAから格下げされうると発表した。連銀の下支えがなくなるので、バンカメやシティといった米国の大手商業銀行も、格付け会社から格下げの方向に見直しされている。(Moody's warns US of credit rating fears)(BofA, Citigroup rating outlooks negative-S&P

 連銀と並んで、米国債とドルを買い支えてきた中国も、先日米政府が台湾への武器輸出を決めた後、いつまで米国を救済し続けるか不透明になってきた。中国軍の幹部は2月9日、台湾に武器を売る米国を制裁するために、米国債の一部を売って米経済を混乱させるのがよいと提案した。(China PLA officers urge economic punch against U.S.

 実際には、中国は人民元のドルペッグをやめないと表明し続けており、米国債を投げ売りする可能性は低い。中国軍幹部の発言は口だけの脅しと考えられる。だが、米経済が不況の二番底に向かう半面、中国経済が驚くべき高成長になるという、米中が対照的な状況になる中で、ドルペッグは中国のインフレを激化させている。(Analysis: Yuan Not In Play As Sino-U.S. Tensions

 中国のシンクタンク(China International Capital Corp)は、6月にカナダで開かれるG20サミットの前後に、中国政府が人民元の対ドル為替を切り上げると予測している。同社は、以前は「人民元は3月に切り上げられる」と予測していたが、2月4日に米政府が中国に「人民元を上げろ」と圧力をかけ、中国が「圧力を受けて人民元を上げたと思われるのはいやだ」と考えた結果、切り上げは6月に延期されたと説明している。この説明が正しいかどうか不明だが、人民元が切り上げを必要とする時期に入った感じはする。中国政府が人民元の上昇を容認するほど、中国はドルや米国債を買わなくなる。(Yuan Peg May Hold Until June as U.S. Calls Backfire, CICC Says

▼いつ英米に危機が飛び火するか

 2月11日には、アジア重視のスイス人投資家マーク・ファーバーも、CNBCテレビで「いずれ、米国を含むすべての(先進)諸国の財政が破綻する。新興諸国は、先進国より財政が健全だ(だから新興諸国より先進国の方が破綻する)」と述べている。(Marc Faber: All governments will default on their debt including the US

 また、以前からドル崩壊や多極化を予測してきた欧州のシンクタンクEU2020は昨年末の段階で「2010年春、ギリシャの財政危機が欧州各国から英国、米国に飛び火し、先進諸国が全体的に国債破綻に瀕する新事態が起きる」と予測していた。(LEAP/E2020 Spring 2010 - A new tipping point of the global systemic crisis

 この予測通り「2010年春」に先進諸国の国債破綻が起きるとしたら、今後の数週間はギリシャ、ポルトガル、スペインなどユーロ圏諸国の国債危機が続くものの、3月末に連銀が量的緩和策をやめる時期に入ると、その後6月のG20サミットあたりにかけて、危機が米国や英国に飛び火し、G20サミットで人民元の切り上げや、新たな世界的な金融危機対策がとられるといったシナリオが考えられる。その間に英米側から新たな延命策が発せられれば、危機は先延ばしされるが、延命策も無限ではない。今年じゅうに危機が再燃する可能性が高い。

▼日本は財政破綻しにくい

「すべての先進諸国が財政破綻する」と言う場合、米英とユーロ圏だけでなく、日本やオーストラリア、カナダなども財政破綻すると考えられるが、それはあり得るのか。まず日本から考えてみると、確かに日本は累積の財政赤字が世界最大規模であり、英米の国債が売れなくなって破綻するなら、日本国債の破綻も当然考えられる。しかし、日本は国債の85%を国内の投資家に買わせている。

 日本国民の預金が政府に貸し出され、30年かけて役立たずの土木建造物が全国各地に作られ、巨額の財政赤字が残った。国民の預金が無駄に使われたのは確かだが、政府の監督下にある日本の機関投資家が日本国債を買わない傾向を強めるとは考えにくい。米英は資金逃避を防ぐため、日本を含むあらゆる他の国々を「危険だ」と吹聴する報道の傾向を強めている。日本人は米英発の論調に流されやすいので、今にも日本が財政破綻しそうだという感じが強まるだろう。だが、金のやりとりがおおむね国内で完結している日本の財政は、昨今のような国際的な資金流出による危機の中では、意外と破綻しにくい。ファーグソンも、以前の論文でそのことを指摘している。(Newsweek: Niall Ferguson - An Empire at Risk

 オーストラリアやカナダは、英米より財政と金融が安定している。両国は資源輸出国なので、今後予測される資源インフレの中でむしろ優勢になる。先日、豪州の野党が「我が国はまもなく財政破綻する」と表明して物議を醸したが、実際には、豪州の財政赤字は先進諸国内で最低水準だ。豪野党はむしろ、アングロサクソンの一員として英米の財政を救おうと、自国の財政を意図的に悪く描いてみせたのかもしれない。(Australia close to defaulting on debts

 欧州のユーロ圏も、短期的に財政危機が続くものの、長期的にはむしろ危機を利用して、EU加盟諸国の国権をEU当局が奪い、超国家組織としてのEUが強化される。独仏を中心とする欧州大陸諸国が、英米に従属してきた従来の状態を脱出していく方向になる。EU当局は昨秋、事実上の大統領制を確立し、超国家組織として権限を強めていける体制になっている。

 今回、ギリシャが他の諸国からいくら批判されても放漫な経済政策を改めなかった経緯が問題視され「加盟国の経済政策の決定権をEUに集約すべきだ」という論調がEU上層部で出ている。EU統合は、加盟国の国民には不評で、デンマークやフランス、オランダ、アイルランドなどの国民投票で何度も否決されている。だが、そのたびに欧州のエリートたちは、否決された政策の名前だけ変えて再評決にかけるなど、本質的に非民主的なやり方でEU統合を強行し、かなり成功している。その流れで見ると、ギリシャの財政危機を口実に、経済政策に関する政治統合が進められていくと予測される。(Germany backs Greek bail-out as EU creates 'economic government'

 今のユーロ圏の国債危機が、やがて英米の財政破綻へと波及したら、英米の覇権は解体される。中国はドルペッグをあきらめ、人民元はアジアの国際通貨として地位を高め、アジアは対米従属を脱して中国中心の地域になる。一方、EUは政治統合を進め、欧州も米英の傘下から抜けて自立した地域になる。これは、私が数年来予測してきた多極化の進展である。

 英国は、しぶとく生き残りを画策している。先日カナダで開かれたG7の財務相会議で、英国は、国際的な金融破綻を救済する基金として、世界の大手金融機関に国際的な金融取引税(トービン税)を課すことを提案し、他の諸国の同意を得た。これまでトービン税に反対してきた米オバマ政権も、自国の金融救済に使えると考えたのか賛成に転じた。今後、4月のIMF理事会での了承を経て、6月のG20サミットで正式決定される見通しとなった。(G7 warms to idea of bank levy)(Global bank tax near, says Brown

 英米はこの基金で自分たちを救済しようとしており、この件は英米中心主義の延命策である。たがその一方で、トービン税の導入は、G20、IMF、国連といった「世界政府」的な機関に独自財源を与え、多極型の世界構造の樹立に不可欠な要件を満たすことになる。英国が、自国を救うために、世界を多極型に転換させるトービン税制の導入を提唱せねばならなくなったこと自体、英国の国際的な影響力の低下を象徴している。



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ドイツ・後悔のアフガン

2010年2月7日  田中 宇

 アフガニスタンに駐留するドイツ軍は、ほとんど基地から出ていけない状態が続いている。米英は、911事件直後の2001年10月にアフガニスタン侵攻し、タリバンを政権から追い出し、代わりに傀儡的なカルザイ政権を打ち立ててアフガン占領を開始したが安定を実現できず、アフガン人は反米傾向を強め、タリバンへの支持が再拡大した。窮した米英は06年、ドイツやカナダ、オランダなどのNATO諸国に支援を頼んだ。ドイツは約2500人を派兵し、米英に次ぐ駐留兵力数となった。

 しかし、その後もアフガンの不安定化は続き、タリバンの支配地域が拡大し、NATOは不利になった。ドイツやカナダは、米英から「すでにタリバンを抑え込んであり、今後は経済建て直しなどの国家再建の時期に入るので手伝ってほしい」と言われ、平和維持活動にたずさわるつもりで派兵した。しかし実際には、タリバンは抑え込まれておらず、ドイツやカナダの軍は、タリバンとの戦闘に直面した。(アフガンで潰れゆくNATO

 ドイツ軍は、他のNATO諸国と異なる状況におかれている。ドイツは日本と同様、第二次大戦の敗戦国だからである。戦後のドイツは、いったん軍隊のない状態にされた後、冷戦が始まって西ドイツが東西対立の最前線となった1950年代に、米英の方針転換で西ドイツ軍(Bundeswehr)が再建され、徴兵制が敷かれ、NATOに加盟した。西ドイツ軍の任務は、憲法で「防衛」に限定されていたが、冷戦は実際の戦闘にならなかったので、西ドイツ軍の行動は事実上、災害復旧に限られていた。(Federal Defence Forces of Germany Bundeswehr From Wikipedia

 冷戦終結後、西ドイツ軍は東ドイツ軍を吸収し(東欧諸国や英仏がドイツの軍事再台頭を恐れたため、吸収にあたって大量の兵器を東欧に売却させられた)、94年に憲法裁判所で、軍の任務である「防衛」の解釈が拡大された。それまでドイツ国内が軍事侵攻された場合のみに限定されていたのが、国外での紛争予防策を含む幅広いドイツの安全保障行為に改訂された。

▼防衛限定をタリバンに突かれて窮した独軍

 その後ドイツ軍は、NATO軍やEU、国連軍の一員として、ボスニア(EUFOR)、コソボ(KFOR)、ソマリアなどの平和維持活動に参加し始めた。ボスニアやコソボといった旧ユーゴは、かつてドイツの影響圏であり、ドイツ経済の後背地になりうるため、積極的な平和維持活動が行われた。

 ドイツは冷戦後、任務を平和維持活動に限定しつつ、国際機関の一員としてのドイツ軍の海外派兵を繰り返し、慎重に国際影響力の拡大を図った。ドイツは、米国が単独独覇権主義を掲げて行ったイラク侵攻とその後の占領は、国際機関によるものでなかったため参加せず、同様の理由でアフガン戦争にも行かなかった。だが、米国の依頼を受けてNATOが組織的にアフガン再建(占領)に協力することになったため、ドイツも4500人の枠を設定してアフガン派兵に踏み切った。この派兵枠は、コソボ派兵(2000人)の二倍以上で、冷戦後のドイツの海外派兵として突出した最大規模になった。

 前述のように、ドイツは憲法で軍隊の任務を「防衛」に限定しているため、なるべく戦闘をせずにすむ地域への駐屯を希望し、アフガンの中でも比較的タリバンが少なく安定していた北部地域に駐留した。しかし駐留開始後、アフガン全土でタリバンの反撃が強まり、北部でもタリバンがドイツ軍に対し、爆弾設置や自爆テロを含む攻撃を仕掛けてくるようになった。

 ドイツ軍司令官は、自軍の行動が防衛の範囲を超えることを恐れ、できる限りタリバンとの戦闘を避けた。かつてイラクのサマワに派兵された日本の自衛隊がとった態度と同じである。ドイツ軍は、できるだけ基地にこもり、基地の外にパトロールに出る時には、装甲車を連ねて走るだけで、基地外で兵士が装甲車から降りて歩くことはほとんどなかった。米軍幹部は「われわれはアフガンの村人と一緒に飯を食い、村人をタリバンから守るが、ドイツ人は怖くてそれができない」と揶揄した。

 ドイツ軍に戦意がないと見たタリバンは09年に入り、積極的に北部地域での攻撃を拡大した。北部の治安が悪化していくのを見て、北部地域のアフガン人の行政官は、ドイツではなく別の国の軍隊に来てほしいとNATOに要請した。米軍筋は「ドイツ軍は基地でビールを飲んでいるだけの役立たずだ」とマスコミに語るようになった。これは、日本の自衛隊がイラク駐留に固執したり、アフガニスタンに駐留したりしていたら、陥ったであろう事態でもある。

▼クンドゥス空爆事件は米軍にはめられた?

 ドイツにとって決定的な事態は、09年9月4日に起きた。この日、中央アジアのウズベキスタンから首都カブールに向けてNATO軍用のガソリンを運んでいた2台のタンクローリーが、ドイツ軍の守備範囲であるクンドゥス市内でタリバンに乗っ取られた。NATOの主要な補給路は、もとともパキスタンからカブールへの経路だったが、その経路が頻繁にタリバンに襲撃され、代わりの補給路としてウズベクからの道路が使われるようになったが、タリバンはそちらも襲うようになっていた。(Target Germany: A Second Front in Afghanistan?

 乗っ取りの目的は、NATOの補給路を絶つことだったと考えられるが、ドイツ軍の現場司令官のところには地元諜報筋から「タリバンは、タンクローリーをドイツ軍基地に突っ込ませて爆破するテロを計画している」という情報が入っていた。装甲車から出られず、独自に情報収集ができない独軍司令官は、この情報に振り回され、基地に突っ込まれる前にタンクローリーを捕獲するか破壊せねばならないと考えた。

 米軍戦闘機の偵察により、ローリーは、クンドゥス郊外の川を渡ろうとして河床に車輪がはまり、立ち往生したことがわかった。現場は独軍基地から5キロしか離れておらず、のちに米軍司令官は「米軍なら現場に地上軍を派遣し、ローリーを奪回していたはずだ」と語ったが、ドイツ軍は戦闘を恐れ、タリバンがいる場所に歩兵を派遣することを躊躇した。すでに夜だったが、米軍機が撮った不鮮明なビデオ映像を米独で解析したところ、ローリーの周囲にはタリバン兵士がいるだけで、一般市民はいないとの結論になった。そこで独司令官は、米軍に頼んで戦闘機を出してもらい、ミサイルを発射してローリーを爆破した。(Kunduz: Did German Defense Minister Know More Than He Let On?

 しかし実際には、タリバン兵は、ローリーが動けなくなったので、近隣の村に呼びかけ、ローリーの積み荷であるガソリンを人々に無料で配っているところだった。ポリタンクなどを持ったおおぜいの村人がローリーの脇に集まっているところに、米軍機が攻撃を加えて大爆発が起こり、一瞬にして150人近くが殺された。のちの調査で、このうち40人ほどが一般の村人とわかった。

 この事件の後、ドイツは国を挙げて激しい呵責の念に襲われた。戦後のドイツは、二度と戦争の人殺しをしないことを誓い、冷戦後の派兵は国際貢献のはずだった。アフガンに駐留しても、できるだけタリバン兵を戦闘で殺さないようにしていた。それなのに、独軍は米軍機に依頼して、タリバンを殺すよりもっと悪い、一般市民に対する虐殺行為をしてしまった。ドイツでは、アフガンからの撤退を求める世論が一気に強まった。(End of Innocence in Afghanistan 'The German Air Strike Has Changed Everything'

 私はこの事件について、ドイツ軍は米軍にはめられたのではないかとの疑いを持っている。米軍は、戦場のどさくさにまぎれて、同盟国の軍隊を困らせる策略を行ってきたふしがある。米軍は、独軍が情報不足なのを見越して、不鮮明な映像を示し、タリバンしかいないようだと示唆して、独軍が米軍に空爆を要請するように仕向けた疑いがある。イラクでは03年11月、米国に貢献する気持ちの強い外交官だった奥参事官らが自動車で走行中に射殺されたが、米軍が殺したという説が強い(日本のマスコミの一部は、奥を殺したのは米軍だと報じたが、外務省自身は国内の反米感情をあおることを恐れ、もみ消した)。

 米軍は、ベトナムでもイラクでもアフガンでも、初めから失敗が予測されている戦略を展開し、自滅的に失敗している。アフガンでは、タリバンを撲滅しようとする米軍の戦略が、逆にタリバンをアフガン社会の人気者にしている。米国の自滅策は、自国の覇権を自ら解体しようとする「隠れ多極主義」と考えられるが、その一環として米軍などは、英国が先導する同盟諸国による米国支援によって覇権解体がくい止められることに対する破壊行為をも行っている。その例が、ドイツ軍を窮地に陥れたローリー空爆であり、イラクでの日本外務省の積極性を大幅にそいだ奥殺害だったと考えられる。(Going 'deep', not 'big', in Afghanistan - Gareth Porter

▼カルザイの不正をめぐる駆け引き

 09年夏、ローリー空爆と前後して、イタリア軍がタリバンにお金を払いって戦闘を回避していたことや、英国軍がタリバンとの戦闘を避けるための賄賂行為として、タリバン兵士群をアフガン南部から北部にヘリコプターで空輸していた(英軍は、タリバンの独軍攻撃を助長した)ことなどが発覚し、おまけに英軍のタリバン空輸の証拠写真を入手したニューヨークタイムスの現地スタッフが英軍の「誤射」によって射殺される事件も起きた。NATO加盟国相互の不信感と、世論の厭戦機運が強まった。(Has Italy Been Paying Off the Taliban?)(UK army 'providing' Taliban with air transport

 米国は、911の「犯人」とされる「テロ組織」アルカイダが多く潜んでいると言ってアフガン占領を開始したが、米軍のマクリスタル司令官は昨年9月、アフガンにアルカイダがほとんどいないことを認めた。米軍は、占領を続ける意味がないことを自ら認めたことになるが、同時にマクリスタルは4万人の米軍増派をオバマに申請し、大筋で認められている。(Obama's Secret: Only 100 al-Qaeda in Afghanistan)(International Terrorism Does Not Exist

 昨年8月にはアフガンの大統領選挙で、カルザイ陣営が大規模な不正を行っていることが発覚した。だが、11月のやり直し的な決選投票を行う直前に、対立候補が立候補を取り下げ、なし崩し的にカルザイの勝ちになった。これは、カルザイの政治信頼性を低下させた。カルザイは04年の選挙でも不正を指摘されたが、カルザイは米国が据えた傀儡なのだから、選挙不正は米中枢が了承(黙認)していたはずだ。(アフガニスタン民主化の茶番

 何とか政権を維持したカルザイは、アフガン人の反米感情の高まりの中で、米国と自分との対立をことさらに見せることで、人気の保持を図った。アフガン占領の失敗がしだいに決定的になる中で、米政府内では国務省などに「カルザイの腐敗」を口実にアフガンからの米軍撤退を進めようとする勢力も出てきた。米政界では、米国の覇権を自滅させようとする勢力と、自滅策を途中で転換して覇権を維持しようとする勢力が暗闘しており、自滅を防止したい勢力が、アフガンからの撤退を模索したようだ。(Is the White House Signaling an Afghan Exit Strategy?

 駐アフガン米大使のエイケンベリーは昨年10月「カルザイは米国にとって適切な伴侶ではないので、米軍はアフガンに増派すべきでない」とする報告書を、二度にわたってオバマ大統領に打電した。この提案をめぐり、政権中枢で激論があったが、結局オバマは3万人の増派を決めた。(Obama Ignores Key Afghan Warning

 昨年10月にはアフガン南部で、英軍と交戦中にタリバンが民家に入ったため、オランダ空軍機がその民家を空爆し、住んでいた一般市民を殺してしまう事件が起きた。オランダでは連立与党内でアフガン駐留を続けるかどうかで激論が続き、結局2011年にアフガンから自国軍を撤退させることを決めた。カナダとニュージーランドも同様の決定を行った。(Dutch jet accidentally bombs Afghan civilians)(Canadian Forces Prepare for Afghan Withdrawal

 アフガンは冬に厳寒となるので、戦闘は主に夏に行われる。昨年夏の戦闘はNATOが負け、タリバンの優勢が進んだ。タリバンは今や、夜間に国土の8割を支配している。昼間はNATO軍が戦闘機を出せるので、タリバンは隠れているが、夜は事態が逆転する。NATOがおさえているのは首都カブール周辺のみだ。歴史を見ると、かつてアフガンを支配した英国もロシアも、しだいに支配が失敗してカブールのみの占領となり、撤退に至っている。(Taliban Claims to Control 80% of Afghanistan

 カブールでは、米大使館の警備などをする米軍傘下の傭兵団が、夜になるとタリバンの格好で武装して市内に出ていき「無許可の軍事行動」を行っていると報じられている。イラクでも、米傭兵団による市民殺害など不法行為が問題になった。こうした行為の放置が、どんな戦略に基づくのか不明だ。市民の反米感情をあおる自滅行為に見える。(US Embassy Guards Dress as Afghans, Go on Military Ops at Night)(米イラク統治の崩壊

▼足抜けできないドイツ

 NATOは、アフガン人を訓練してアフガン政府軍と警察組織を創設し、治安維持任務を委譲して占領を終わらせる計画だが、これは成功しそうもない。訓練中の軍や警察の中に、タリバンの回し者が無数におり、アフガン政府の作戦内容はタリバンに筒抜けだ。戦闘になると寝返りが続出する。米国は、イラク人を訓練した時にも全く同じ問題に直面して失敗したのだが、全く懲りずに失敗を繰り返している。米政府は「アフガン軍を編成できなければ占領は失敗だ」と言うが、失敗はすでに決定的といえる。(Afghan Police Penetrated by Taliban at `Every Level')(Afghanistan's Sham Army

 オランダやカナダが撤退するなら、ドイツも撤退できなくはないが、撤退すると「ドイツのせいでアフガン再建が失敗した」と米英などからいわれる。古くから英米の同盟国であるオランダやカナダは、英米の軍事行動に協力し、世論を説得できたら派兵し、厭戦機運が強まると撤退することを繰り返してきたが、ドイツは「敗戦国」の縛りを解除されてから日が浅い。アフガン撤退は、冷戦後のドイツが欧米内で築いた安全保障面の信用を崩し、国内的にも、海外派兵はもうごめんだという機運を作ってしまう。

 ドイツ政界の左派は、欧州から遠いアフガンに派兵すべきでないと前から言っていた。だが、ブッシュ政権時代の米国が、単独覇権主義や拷問容認など、欧州人に受け入れられない方針を採り、欧米関係が分裂してしまった後、何とか欧米関係を元に戻したいという考えがドイツ政界の右派にあったので、米国からアフガン再建を手伝ってほしい要請された時、ドイツ政府は断りたくなかった。

 結局、ドイツはアフガン撤退に踏み切れないが、米軍のように積極的な軍事行動をする気になったわけでもなく、中途半端に駐留を続けている。米軍は、アフガン北部に2500人を派兵する構えを見せ、使いものにならない独軍ではなく米軍が北部に駐留した方が良いと言わんばかりの行動をとっている。(Berlin Reluctant to Follow American Lead on Afghanistan

 米国は、こうした意地悪をする一方で昨年末、ドイツ軍に2500人の増派を求めた。増派どころか撤退を求める世論が強いので、ドイツの国防相は昨年末「民主主義は、アフガニスタンにふさわしい政治形態ではない」と発言し、増派を断る姿勢を見せた。しかし、米国との関係を悪化させたくないドイツ政府は結局、800人の増派に応じた。ドイツ軍は不本意ながら、無意味と知りつつも、失敗色を強めるアフガンに駐留し続けねばならない。(Afghan Planning Faces Grim Realities)(German Defense Minister: Afghanistan Not Suited for Democracy

 米国は、兵力増派による戦力強化によってタリバンに勝ち、アフガンを安定化すると言っているが、ドイツ政府は、その戦略は失敗すると考え、むしろタリバンとの交渉を望んでいる。ドイツに撤退されるとNATOが解体しかねないと恐れる英国は、米独の間を取り持ち、アフガン占領を立て直すため、1月末にロンドンに60カ国の代表を集め、アフガン関連諸国会議を開いた。(Is London Conference Becoming a Taliban Fundraiser?

 この会議では「タリバンの下っ端の兵士たちは生活に困って兵士として雇われている」との分析から、日独などに金を出させ、下っ端の兵士たちを雇う失業対策事業を盛んにして、タリバンの軍事力をそぐ作戦の実行が決まった。しかし、この作戦もアフガンの社会構造を誤認しており、成功しそうにない。アフガンは前近代の部族社会が生きており、人々は個人の意志や生活事情から兵士になっているのではなく、部族や地域社会の大きな利害関係の中でタリバンに協力したり、敵対したりしている。タリバンの下っ端に渡した金は、部族連合体であるタリバンに上納され、敵を利するだけだ。(Spirits up as allies prepare Afghan offensive

 このタリバン買収策と並行して、米軍主導のNATOはタリバンへの攻撃を再開する予定だが、NATOに攻撃されるほど、タリバンの部族連合は結束し、買収用にあげた金はNATOにとって良い効果を何ももたらさない無駄金となる。買収策をやるなら、戦闘をやめた上で行わねばならない。タリバン側は「外国軍が撤退しない限り、買収策など成功しない」と発表したが、これは正しい。(Taliban: Buyout Futile Without Foreign Pullout

▼アフガンに必要な多極型解決

 NATOのアフガン占領は失敗に向かっている。タリバンは勢力を強め、NATOは陸路の補給路を断たれつつある。物資のすべてを空輸せざるを得なくなり、戦費がかさむ。すでにNATO軍がアフガンで使う燃料は、1リットルあたり10から100ドルの輸送費がかかっている。米軍は1日一人当たり80リットルの燃料を使う。オバマは財政緊縮策を発表したが、軍事費は対象外だ。金をケチりだしたらアフガン占領は続かないが、占領を継続する限り、米政府は米本土での教育費や社会保障費をいくら削っても、財政難は終わらない。(Afghanistan: 22 Gallons of Fuel Per GI Per Day; At $300-400 Per Gallon

 財政難になっても米政府はアフガンで軍事行動をやめにくい。支持率が落ちているオバマは弱腰と批判されたくない。だが、武力に頼る限り、タリバンの優勢が進み、いずれ核保有国である隣国パキスタンの政権も反米イスラム主義に乗っ取られ、米軍との戦場になっていく。関係各国は、この最悪の事態を何とか防ぎたいが、流れを変えることはできていない。

 とはいえ、最近になって新たな動きが出てきた。一つは、中国が少しずつ関与を強めていることだ。2月初めにドイツのミュンヘンで、毎年恒例の「ミュンヘン安全保障会議」が開かれ、そこに史上初めて中国の高官(楊潔チ外相)が招かれ、開会式で演説を行い、米国やドイツなどの閣僚と相次いで会談した。今年のミュンヘン会議の主要テーマの一つはアフガン問題だった。(Chinese debut sets scene for Munich security talks)(台頭する中国の内と外(2)

 今年のミュンヘン会議には、インド、パキスタン、アフガニスタンも招待され、インドがパキスタンに高官協議の再開を提案した。印パ間の協議は08年のムンバイテロ事件以来止まっていた。同時にインドは、アフガン問題に関して、イランとの協調関係も強化している。アフガンをめぐっては従来、タリバンがパキスタン系で、その敵の北部同盟(タジク系など)がインド、イラン、ロシアに支援されていた。米国は1998年ごろを境にタリバン敵視に転じ、北部同盟と組んだが、同時に米国はイランを敵視し、ロシアをも警戒していたので、関係は複雑になった。(US welcomes Indian offer of talks with Pakistan

 イランは近年、インド、中国、ロシアとの関係を強めており、印中露の3カ国はBRICとして協調している。アフガン占領が失敗色を強めるほど、NATOは中露やイランなど、これまで味方でなかった国々の協力を得ることが不可欠となる。その一例が、ミュンヘン会議への中国招致だったといえる。米国がイラン敵視をやめるかどうかは、イスラエルとの関係もあって不透明で、むしろイラン・イスラエル戦争の懸念も色濃いが、全体として、イラン、中国、ロシアといった非米諸国が入ってくると、アフガン問題は新たな解決の方に向かう可能性が強くなる。

 米軍はイラクから撤退する過程にあるが、米軍撤退後のイラクは、イラン、トルコ、シリアといった近隣諸国の協力を得て統一を維持する新たな国際体制が確定しつつある。同様にアフガニスタンも最終的には、印パ、中国、ロシア(中央アジア諸国)、イラン、サウジアラビアといった、近隣と周辺の諸国の協力によって、アフガンの統一と安定が維持される体制になると予測される。欧米も引き続き関与するだろうが、欧米と中露イランは、対等な立場でアフガンに関与するようになる。

 その事態に至るまでには、少なくともあと1−2年、米軍が軍事行動を拡大し、失敗していく過程が続くだろう。だが、いずれ米国は軍事力に依存する今のアフガン政策をあきらめ、中露イランの協力を得る新たな多極型の政策に転換する。その際に、国際政治全体の多極化が進むことになる。米軍司令官は最近「アフガンの戦争は今後1年半が正念場で、この戦争の結果は、今後数十年間の世界の安全保障体制を決定する」と語っている。この発言は、米軍が失敗した場合の世界体制の多極化を容認しているように見え、興味深い。(Next 18 Months Vital to Afghan War



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通貨安定策の多極化

2010年2月3日  田中 宇

 東南アジアのASEAN10カ国と日本、中国、韓国で作る「ASEAN+3」が、通貨危機の際に各国通貨の急落を防ぐための共通の防衛基金を持つ「チェンマイ・イニシアチブ」(CMI)が3月24日から始まることになった。CMIは2000年、タイ北部のチェンマイで開かれたASEAN+3とアジア開発銀行の会議で創設が構想され、これまで初期段階として、ASEAN+3全体の基金ではなく、ASEAN+3に加盟する各国間の2カ国の通貨スワップ協定の集合体として存在していた。構想開始から10年たって、ようやく全体基金が立ち上がることになった。(Chiang Mai Initiative to Allow Regional Currency Swap by March)(Finance Ministers of China, Japan, South Korea pledge to further strengthen financial cooperation

 創設されるCMIの共通基金の総額は1200億ドルで、これは1997年のアジア通貨危機の経験などから考えて少なすぎ、最低5000億ドルは必要だと指摘されている。中国と日本の外貨準備を合わせると4兆ドルだ。それに比べ、1200億ドルは少ない。(Asia's foreign exchange policies

 欧米政府筋や、日韓などの対米従属勢力は「世界共通のIMFがあるのだから、アジア版IMFの創設を意味するCMIなど要らない」「アジア諸国は結束して自分たちの通貨をドルやユーロより安いままにして、不当に有利な貿易を続けようとしている」と批判してきた。アジア諸国は、日中韓もASEANも、IMFと米当局が作る既存の世界体制から無理をして離脱する必要はないと考えてきた。そのため、CMIの共通基金の創設は08年に決まっていたが、実際の開始は今年にずれ込んだ。(Asia Agrees on Expanded $120 Billion Currency Pool)(The yuan lies in waiting

▼連銀中心体制の終わりとCMI

 対米従属的な通貨体制でかまわないと思っているASEAN+3が、今のタイミングで独自体制への転換へと重い腰をあげたのには理由がある。米国の連邦準備制度(FRB、連銀)が2月1日をもって、連銀と欧日韓国など各国の中央銀行と締結していた為替スワップ協定を終わりにしたからだ。連銀と各国の協定は、リーマンブラザース倒産後の為替の混乱をおさえるため、中央銀行どうしが資金を融通しあう制度だった。連銀は「金融が再び安定し、経済成長も戻ってきたので、スワップ協定は必要なくなった」として、協定をやめることにした。(Fed's Emergency Efforts Winding Down Amid Market Approval)(U.S. to end currency swap lines with S. Korea, others: Fed

 実際には、金融は安定していないし、経済成長も不況の二番底の危険が大きい。米経済は昨年10−12月期、年率6%近い成長をしたことが明らかになったが、これは、リーマンショック以後、米国で消費が急減して生産を止めた工場が多かったのが、1年経って在庫がなくなり、生産を再開する工場が増えたためだ。消費自体が回復したわけではなく、生産を続けて在庫が積みあがってきたら再び生産が止まり、経済成長も再び止まる。(US GDP growth fastest in six years

 米経済学者のクルーグマンは、今の状況は1930年代の大恐慌と似ていると分析している。在庫減による生産の一時的な再開を景気回復と見誤り、1937年に米政府が景気対策をやめた結果、その後もっとひどい不況の二番底に陥ったのが大恐慌の長期化の理由で、今の米当局は、1937年の過ちを繰り返そうとしているとクルーグマンは指摘している。(That 1937 Feeling

「景気が回復して金融が安定しつつある」と言って、危機対策としての為替スワップ協定をやめてしまう連銀は、判断を誤っており、自滅的なことをやっている。IMFは、今年の世界経済の成長率予測を3・1%から3・9%に上方修正したが、これは中国など新興諸国の意外な景気回復を織り込んだものだ。米国は改善していない。米国は失業が増え、不動産価格が落ち続け、銀行の倒産につながるローン破綻の増加も止まらない。

 そもそも、リーマンショック後の連銀と各国との為替スワップ協定によって最も救われたのは、円やユーロでなくドルである。ポールソン前財務長官は、間もなく刊行する回顧録(On the Brink)の中で、リーマン倒産によってドルが急落する危険があったと書いている。ドル危機を回避するため、連銀は欧日とスワップ協定を結び、欧日がドルを買って、ドル崩壊の危険を防いだ。「危機の時にはドルや米国債を買え」というのが従来の常識だが、それがくつがえる一歩手前の事態になっていた。(`Everything that could go bad, did not'

 スワップ協定がなくなる今後は、金融危機が再来してドルが危なくなっても、他の国々がドルを買い支えてくれる仕掛けがない。アジア諸国は、米国中心の通貨の安定した体制が続くことに期待できなくなり、代わりにアジア諸国間で危機に備えるCMIの体制を開始することにした。米国(連銀、ドル)中心の世界体制とは別に、CMIというアジア独自の体制を作ることにした。

 日本と韓国はこれまで、日銀と連銀、韓国銀行と連銀という、米国中心の2国間為替スワップ協定が存在し、その補助として日韓の為替スワップ協定があったが、2月1日からは、CMIの一部としての日韓のスワップ協定だけが残ることになった。(BoK Extends Currency Swap Facility With Japan

▼地域体制とG20の二段階構造

 欧州は、すでにユーロという、米国中心ではない地域通貨体制を組んでいる。ユーロ圏では、ギリシャの財政危機がユーロ全体の信頼性を揺るがし始めている。財政危機はアイルランドやスペインに飛び火する可能性があり、ユーロ圏の主導役であるドイツが、ユーロを守るためにギリシャやスペインを救済すべきかどうかという議論になっている。EUは、各国の通貨や財政について域内の規範や防衛体制を作り、それを実践しつつある。(Should Germany bail out Club Med or leave the euro altogether?

 つまり、米国と並んで大きな経済圏であるアジアとEUに、為替安定の独自体制ができつつあるか、すでにできている。世界では、欧米日だけが経済大国だった戦後の状況から、中国、インド、ブラジルなどの新興諸国が欧米日と並び立つ存在になる転換が起きているが、IMFなど国際機関での発言権は、依然として欧米に偏重しており、中国などが発言権の拡大を求めても、欧米の抵抗にあい、変化はゆっくりとしか進まない。IMFなどの体制は、しだいに世界の現状に合わないものになっている。

 これを是正して世界単一の体制を維持するより、欧州やアジアで地域の独自体制ができつつあることを重視して、各地の地域ごとの体制と、それを統合する世界体制という、多極型の2段階の新しい体制に移行した方が手っ取り早いという多極主義的な主張が、米国のブルッキングス研究所から出てきている。(Are Davos Man's Days Numbered?

 世界の通貨体制が地域ごとになっていくと、すべての国がどこかの地域体制の中に組み込まれねばならない。アジアでは、東アジアにASEAN+3があるが、インド周辺の南アジアは協調体制が薄い。インドは独立後、英国の間接支配からうまく抜け出せずに低迷し、南アジアをまとめられずにいる。オーストラリアやニュージーランドはどうするかという話もある。そのため、東アジアの通貨安定策は、ASEAN+3をさらに拡大してインド、オーストラリア、ニュージーランドを入れたASEAN+6にする構想がある。(Asean+6 needed to deal with future crises

 世界のすべての地域に、地域統合的な通貨安定体制ができるとは限らない。アフリカ連合の議長として経済統合を提唱してきたリビアのカダフィは、議長をもう一期やらせてほしいと表明したが、アフリカ南部の諸国から「次は南部から議長を出す」と拒否された。アフリカの統合には、まだ紆余曲折がある。中南米の域内協調も難しい。G20やIMFなど、国際機関の必要性は残る。(Libya's Qaddafi May Plunge African Union Summit Into Conflict

 今年のG20の議長国である韓国の李明博大統領は、1月末のダボス会議で演説し、世界の各地域を代表する国が集まるG20と、各地域の為替安定体制(CMIやユーロなど)が連携して世界の通貨を安定させていくことを提唱した。(Korean president calls for safeguards against risky capital flows

 李明博の提案は、同じダボス会議でフランスのサルコジ大統領が発した、ドルの単独基軸通貨体制から多極型の通貨体制への転換をG20で進めるべきだという「第2ブレトンウッズ会議」の提案ともつながる。今後、ドルがいつまで基軸通貨として延命するか予測が難しいが、早ければ今年中に崩壊感の高まりがあり、多極型への転換が進むかもしれない。(「第2ブレトンウッズ」再び



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欧米のエネルギー支配を崩す中露

2010年1月26日  田中 宇

 昨年末12月28日、ロシア極東のウラジオストク郊外に、新しい石油積出港としてコズミノ港が開所した。約5000キロ離れたシベリアの油田から送ってきた原油を、アジア太平洋地域に輸出するための港である。開所式には、開港を国家事業として推進してきたロシアの最高指導者プーチン首相も出席し、あいさつの中で「これは単なるパイプライン事業ではない。地政学的な大事業である」とぶちあげた。(Putin opens oil-export route

 コズミノ港は、シベリアの油田地帯にあるタイシェトから、中国国境に接したスコボロジノを経てコズミノまでの石油パイプラインと組み合わせて「東シベリア太平洋石油パイプライン」(ESPO、East Siberia-Pacific Ocean oil pipeline)と呼ばれる。ESPOは、このルートを通ってアジア太平洋地域に供給され始めた原油の銘柄の名前にもなっている。

 ESPOのパイプラインは昨年11月、産出地のタイシェトから中間点のスコボロジノまで2700キロが完成し、残りの部分は2015年までに完成予定となっている。それまで、未完成区間は鉄道で原油を輸送する。スコボロジノでは、中国向けのパイプラインが分岐し、中国のパイプライン網の出発点(かつての大油田)である黒竜江省の大慶までつなぐ工事が昨春に始まっている。石油パイプラインと並行して、ロシアの国営ガス会社ガスプロムが天然ガスのパイプラインを建設する予定もある。(Russia launches 'geopolitical' oil pipeline to Asia

▼ロシアと欧州の関係を変えるアジア向け原油販売

 プーチン首相がESPO事業を「単なるパイプラインではなく地政学的な大事業」と呼んだのは、この輸送路の新設によって、ロシアの原油の新たな売り先として、中国をはじめとするアジア太平洋諸国が加わり、ロシアは原油の9割を欧州に売っていた従来の状態から脱せられるからだ。原油の輸出はロシア経済の大黒柱だが、その売り先がほとんど欧州だった従来は、欧州がロシアの原油を買ってくれなくなるとロシア経済がたちゆかないという弱みがあった。欧州はロシアの原油に頼っているが、ロシアも欧州の消費に頼っていた。

 しかし今後、中国などアジア諸国に原油を売リ出すと、ロシアは欧州に原油を売らなくても大して困らないようになる。従来、シベリア(西シベリア)の原油は欧州向けに輸出されていたが、シベリアの油田地帯から欧州国境まで約5000キロで、太平洋まで距離とだいたい同じだ。ロシアは、これまで西に送っていた原油を東に送ることで、たとえ欧州との関係が悪化してEUがロシア原油の不買活動をしても、ロシアは大して困らなくなる。EUに対するロシアの政治的な力関係は、大きく優位になる。

 現在、ロシアは原油輸出の6%しかアジア太平洋諸国に売っていないが、2030年にはこれを20−25%まで増やす構想になっている。JPモルガンのアナリストは「ESPOの登場で、世界の原油市場は変わり出す」と予測している。(Russia Pipeline Sets New Course in Oil Market

 凍土の上の長距離パイプラインの建設費は巨額だ。建設費から輸送コストを算定すると、ESPOの送油は油田から積出港まで、1トンあたり130ドルかかるが、パイプラインの運営主体である国有企業のトランスネフチは55ドルしか徴収していない。この事業は年間10億ドルの赤字となる。

 しかしプーチンは柔道の猛者らしく、この赤字問題を、敵の力を使って敵を倒す「背負い投げ」方式で政治的に解決している。ロシア政府は昨年から、欧州向けの原油輸出にトンあたり約30ドルの輸出関税をかけ、この収入を使ってESPOの赤字を埋めている。西向きの原油は関税がかけられて割高になるが、東向きの原油はそれがないので、ロシアの石油業界にとっては、西向きで欧州へ輸出するより、東向きで中国などに輸出した方が良いことになり、シベリアの原油は自然に東向きに流れていくようになる。(Russia launches 'geopolitical' oil pipeline to Asia

 ロシアが原油の輸出先として中国などアジア市場を得ることは、欧州(EU)だけでなく、ポーランド、ウクライナ、ベラルーシといった、ロシアから欧州へのパイプラインが経由する国々をも不利にする。これらの国々は従来、自国を通過する原油や天然ガスのパイプラインの利用を規制するとロシアを脅すことで、自国に対するロシアの影響力拡大の動きに対抗し得たが、今後はそうした脅しも効果が薄くなる。

 ロシアとベラルーシの間では昨年末から、原油の輸出関税の支払い問題でもめている。ロシアはベラルーシに対し、新関税の課税分を含めた原油価格を払えと求めているが、消費者であるEU諸国はベラルーシに課税分を払ってくれない。ベラルーシはロシアに対し、税金分は払えないと通告したが、それなら原油を止めると言われて困っている。ロシアに原油を止められると、ベラルーシだけでなくEU全体が困る。このロシアの強気の姿勢は、原油価格の高騰をも招くので、ロシアにとって一石二鳥だ。(Belarus and Russia fail to agree Russian Oil supply deal

▼プーチンの功績

 プーチンは、欧州(欧米)特に英米に対して、優位に立とうとしている。その理由は冷戦終結後、英米が、レーガンとゴルバチョフの間で冷戦終結時に約束した「欧米はロシアに対する敵視をやめ、国際社会の仲間として扱う(代わりにロシアは東欧を手放す)」という事項を守らなかったからだ。ロシアは、ワルシャワ条約機構を廃止したのに、欧米はNATOを解体せず、それどころかバルト3国やポーランドなど、ロシア近傍の国々をNATOに入れ、ウクライナやグルジアも加盟させようとするなど、NATOをロシア包囲網として強化した。

 冷戦後のロシアは、欧米資本が自由に入ってこれるようになったが、その結果、欧米資本や英イスラエルの諜報機関と結託した、オリガルヒと呼ばれる新興財閥(主にユダヤ人)がロシアを政治・経済の両面で牛耳り、国営企業の民営化政策を使って私腹を肥やし、エリツィン政権の中枢に入り込んでロシアの国策を骨抜きにした。(ロシア・ユダヤ人実業家の興亡

 エリツィンは、政権末期に自らの過ちに気づき、後継者に諜報機関出身のプーチンを立ててから辞めた。プーチンは、私物化された石油ガス産業などの国有企業を政府の手に戻し、オリガルヒを逮捕や亡命に追い込んで、荒っぽくロシアの国策を立て直した。サハリンなどでロシアの石油ガス田の開発利権を取得していた英米日企業も、環境問題などでいちゃもんをつけられ、利権をロシアの国営企業に譲渡させられた。

 ESPOの事業も、初めは最有力オリガルヒだったホドルコフスキーの石油会社ユコスが01年に立案した。だが、ホドルコフスキーが逮捕され、06年にユコスが消滅すると、ESPOはプーチン主導の国営事業になり、ロシアが中国の需要を使って欧米に対抗する構図に塗り変わった。諜報戦略の一環として世界のマスコミ論調を握る英米は、プーチンを独裁者として描く傾向がいまだに強いが、ロシア人の大多数にとって、プーチンは祖国を英米の傀儡状態から救った英雄である。(プーチンの光と影

 欧州では、ドイツがシュレーダー前首相の時代に、プーチンのロシアとの関係を強化した。米国の単独覇権主義に頼って反ロシアの姿勢をとりがちなポーランドやウクライナを迂回してロシアからドイツに天然ガスを直送する、バルト海の海底パイプライン計画(ノルドストリーム)も進められ、今春から建設工事が始まる予定だ(11年完成予定)。だがドイツは、05年にメルケル政権になった後、米英の覇権下から出ていく姿勢をとることに慎重になり、独露関係は良いものの、目立たないかたちになっている。(Germany is aiding Russia's run around Central Europe)(Gazprom confirms plans to start Nord Stream construction in April

▼中露協調で実現したESPO

 中国はESPOのパイプライン建設に出資している。代わりに中国は、ESPOの原油を20年間購入する権利を得た。中国の協力を得て、ロシアの石油ガスを中国に売るのがESPOの中心事業である。プーチンはESPOの事業を皮切りに、今まで開発が遅れていたロシアの極東から東シベリアにかけての地域に新たな産業基盤を作りたい考えだが、それにも中国の投資を誘致しようとしている。

 ロシアと中国は、歴史的に相互不信が強くて仲が悪く、以前ならロシアのパイプライン建設費を中国に出してもらうことは、ロシアの安全保障を危うくすると考えられて実現しなかっただろう。だが近年、プーチンはむしろ「政治は独裁、経済は自由化」という中国共産党のやり方を評価し、極東やシベリアの開発を中国に手伝ってもらう道を選んでいる。

 極東のロシア人の間では、中国人に商売の儲けを奪われているという反感が根強いが、中露の政府間では、ロシアがパイプライン建設に対する中国からの投資を受け入れたことで、伝統的なわだかまりが取り除かれた。ロシアは従来、極東シベリア開発を日本に手伝ってもらおうとしたが、対米従属の日本は、ロシアとの相互の警戒心を解く工夫をしなかった。(中国の内外(3)中国に学ぶロシア

 ESPOの石油開発は、日本や韓国、東南アジアやインドなども売り先として想定しており、インド企業もロシアの油田開発に参画している。シベリアの油田は、今まで欧州向けに生産してきた西シベリアの油田がそろそろ枯渇期に入り始めている。東シベリアの方はまだ未開発で、その開発が予定通りに進むかどうか懸念がある。不安材料はあるものの、リスクのあるホルムズ海峡もマラッカ海峡も通らず、数日で東アジアに原油を供給できるロシア極東の積出港を持つシベリアの油田の意味は大きい。(Changing the rules of the energy game

 中東情勢は不安定で、イスラエルとレバノン(ヒズボラ)やハマスとの戦争がいつ再開してもおかしくない。イスラエルとレバノンが戦争になると、イランも参戦し、サウジアラビア産など世界の原油の25%が通行するイラン前面のホルムズ海峡が封鎖される可能性が一気に高まる。イスラエルの南にあるスエズ運河も閉まりうる。中東からの原油供給が大幅減になった場合、ロシア原油の価値は一気に上がる。太平洋に面したコズミノ港からなら、米国の西海岸にも短期間で原油を運べる。ロシアはOPECに加盟していない。OPECは米国からの圧力に弱い。ESPOによって、ロシアはアジアでOPECをしのぐ勢力になりうる。(原油安に窮するロシア

▼トルクメニスタンのガスからEUを締め出す

 ロシアと中国は、中央アジアの天然ガス利権をめぐっても、協調的な動きをしている。昨年12月、中国と中央アジア諸国の間で、トルクメニスタンの天然ガスを中国まで運ぶ6千キロのパイプラインの建設契約が調印された。パイプラインが経由するウズベキスタンとカザフスタンも天然ガスの産出国で、それらの国々のガスもパイプラインに合流し、中国に売られる。(China Scores Again in Energy: Russia & Central Asia

 トルクメニスタン政府は、天然ガスを輸出する契約を中国と締結したのと前後して、南に隣接するイランに対してもガスを輸出する契約を結んだ。従来からの輸出先だったロシアと合わせ、トルクメニスタンのガスは、全量がロシア、中国、イランの3カ国に輸出される体制が固まった。(Russia, China, Iran redraw energy map

 この事態は、欧州にとって大打撃である。欧州はこれまで、天然ガスの大半をロシアから輸入しており、欧州が米英に引っ張られてNATOがロシア包囲網的な態度をとる中で、ロシアは欧州にガスを輸出しないと脅してきた。EUはエネルギー安全保障のため、トルクメニスタンのガスをカスピ海、アゼルバイジャン、トルコ経由で欧州に送る「ナブッコ・パイプライン」の計画を進めてきた。しかし、トルクメニスタンのガスの全量がロシア、中国、イランに売られることが決まった今、EUがナブッコを経由して買えるガスはなくなってしまった。(プーチンの逆襲)(エネルギー覇権を強めるロシア

 トルクメンは従来ロシアだけにガスを売ってきたので、中国がトルクメンのガスを買い始めることを「ロシアがトルクメンのガス利権を中国に奪われた」という中露対決の構図で描く記事もある。だが、要点は別のところにあるとの指摘もある。ロシアは、トルクメンのガスの全量を中国やイランと分け、EUのガス輸入を不可能にすることで、EUがロシアのガスに頼らざるを得ない状況を作ることに成功した。(China ends Russia's grip on Turkmen gas)(Turkmenistan-China pipeline changes energy balance

 天然ガスの埋蔵量で見ると、ロシアが世界第1位、イランが2位、トルクメニスタンが4位である(3位はペルシャ湾のイラン対岸のカタール)。イランは南北をつなぐガスのパイプラインがないが、北からトルクメンのガスを買って首都のテヘランなどで消費し、代わりに自国南部のガス田のガスを輸出して、その代金をトルクメンに支払う予定にしている。イランのガスをトルコ経由で欧州にパイプラインで送ることもでき、トルコはそれに期待しているが、EUは米英イスラエルがイランに「核兵器開発」の濡れ衣をかけて制裁していることに協力せざるを得ず、EUはイランからガスを買えない。(Beware the winds of December

 しかし、何もしなければ、EUはロシアの言いなりでガスを買い続けねばならない。最近、米国がイランに対する制裁強化をあきらめ始めているのを見て、ドイツはイランのガスを買う契約の交渉を開始した。イラン制裁の網はほころんでいる。(Iran in billion-euro gas deal with Germany

▼心もとない日本

 トルコは今後、イランだけでなくイラクの石油ガスを欧州に送る通り道として機能するだろうが、すでにロシアは先回りして、エネルギー輸送に関してトルコとの協調関係を築いている。正月早々、トルコのエルドアン首相がモスクワを訪問してプーチン首相と会談し、黒海の海底にパイプラインを作ってロシアの天然ガスをトルコまたはブルガリア経由でEUに送る「サウスストリーム」と「ブルーストリーム」の構想に協力する方向を打ち出した。(Russia says Turkey backs all its energy projects

 ロシアと中国のESPOパイプライン計画が、石油ガスの輸送だけでなくロシア極東の経済開発計画になっているのと同様、ロシアとトルコの石油ガス輸送構想も、エネルギー以外も含む全面的な経済協力となっている。以前の記事に書いたように、トルコはEUに入りたいが入れてもらえない「欧州の辺境」から、オスマン帝国時代の中東の覇権国としての立場を取り戻す「イスラム再重視」の方向に転換している。ロシアもエリツィン時代には、G7(G8)に入れてもらって欧米の仲間入りを目指したが、プーチンはその国策を捨て、中国(上海協力機構、BRIC)やイスラム諸国などと組んで覇権の多極化を目指す国策に転換している。今のトルコとロシアの国家戦略は重なるところが多い。(Turkey and Russia on way to `strategic partnership')(近現代の終わりとトルコの転換

 中露と中央アジア諸国で構成する「上海協力機構」は、参加国の顔ぶれからは、NATOや日米同盟によって構成される米英覇権によるユーラシア包囲網(冷戦体制)を崩すための「ユーラシア内部の結束機能」と考えられるが、上海機構は縛りのゆるい組織なので、米欧日の政府当局者や「専門家」らは「上海機構は地政学的なバランスを崩す組織ではない」と言って油断していた。(多極化の進展と中国

 しかし実のところ、上海機構は石油ガスの共同開発を中心とする経済協力の面を持つ。それがESPOや、トルクメニスタンから中国へのパイプラインのかたちで結実し始めた今になってみると、上海機構はエネルギー利権の面から米英覇権を崩している。中国やロシア、イランの国営企業が、欧米企業からエネルギー利権を奪う構図は、2007年にFT紙が描いた「新セブンシスターズ」の分析とも一致する。エネルギー利権は、基軸通貨制度と並び、世界の覇権構造にとって最重要の分野だが、利権の構造は、米英中心から中露などの多極的な状況へと、不可逆的に転換しつつある。(反米諸国に移る石油利権

 こうした状況下で、わが日本が置かれているエネルギー安全保障の状況を見ると、はなはだ心もとない。日本は対米従属を重視するあまり、ロシアとの関係改善を怠ってきたので、ロシアの石油ガスを安く買えない。日本の原油輸入の80%は狭いマラッカ海峡を通っている。中国はインド洋に面したミャンマーの港から雲南省までの原油を運ぶパイプライン建設を進めており、これができるとマラッカ海峡が通行不能になっても中東の原油を中国に送れる。(Big brother focuses on stability in Burma

 ロシアの石油ガスは、中国のような迂回ルートを持たない日本にとってこそ重要であるはずなのだが、ロシアの石油ガスの最優先の売り先は中国になってしまっている。中露が相互不信を乗り越えてエネルギー戦略で協調できたのだから、日本も国策を工夫すれば、冷戦型の思考を乗り越えて中露との協調関係を強め、エネルギーの安全保障を強化できるはずだ。小沢一郎が中国との関係強化を開始したとたん、小沢は日中国交を正常化した田中角栄がやられたような検察とマスコミからの潰しに遭っているが、このような事態が続く限り、長期的な日本の安全保障はむしろ危うい。



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迷走するオバマの経済対策

2010年1月24日  田中 宇

 米国のオバマ政権が1月22日、新たな銀行改革案を発表した。新政策は、商業銀行(預金を集める銀行)に対し、顧客の依頼を受けた場合をのぞき、企業買収ファンド(プライベートエクイティ)やヘッジファンドに投資してはならないとする自己勘定取引の禁止や、預金市場全体の10%を越える預金を集めた銀行は解体を余儀なくされる市場占有率の上限を盛り込んでいる。自己勘定取引の禁止は高リスク投資をやめさせ、市場占有率の制限は「大きすぎてつぶせない銀行」をなくす保護行政である。(Obama Calls for Limiting Size, Risk-Taking of Financial Firms

 今のタイミングで銀行改革案が発表された背景には、オバマ政権の経済政策の失敗色が強まっていることがある。米政府は、財政赤字を急増させて不況対策をやっているが、景気回復の要となる失業はむしろ増えている。不況の元凶となっている金融危機の拡大を防ぐため、米政府は税金を使って銀行を救済してきたが、米銀行界は「焼け太り」で未曾有の利益を出し、大銀行の役員らはお手盛りで巨額の報酬をもらっている。失業増に苦しむ一般国民は、不況対策と言いつつ銀行を儲けさせたオバマ政権への反感を強めている。1月19日には、これまで全米随一の民主党の牙城だったマサチューセッツ州の上院議員選挙(補選)で民主党候補が敗北した。これまで民主党のオバマ政権を支持していた州民がオバマに失望し、共和党候補に票を入れた結果だった。(Scott Brown Election Win A Massive Rebellion Against Big Government

 民主党はすでに昨年11月、以前は楽勝だったニュージャージー州の知事選挙でも負けている。米民主党内では、1月19日の選挙敗北の直後から、銀行に対して厳しい政策を打ち出して民心を再掌握しないと来年の中間選挙で勝てないと予測する、危機感のこもったメールが飛び交った。そして、この危機感を受けて上院補選の3日後、オバマは新たな銀行規制を打ち出した。(Obama takes on the banking Terminators

▼グラス・スティーガル精神の復活

 新政策は「オバマは大銀行を儲けさせている」と考える米国民をなだめる人気取り政策として打ち出された。だが、金融界に悪影響を与えると懸念される半面、人気取りとしての効果は不明だ。

 米国では、1930年代の大恐慌の際、国民の預金をあずかる商業銀行がリスクの高い投資を行って連鎖破綻した教訓から、商業銀行に厳しい規制を課す「グラス・スティーガル法」が作られた。1980年代から金融自由化が進み、債券発行など預金以外の資金調達方法が拡大し、同法の規制を受けない投資銀行が債券発行で資金調達してデリバティブで儲ける新たな金融システム(影の銀行システム)が急成長し、従来の預金型の銀行システムを凌駕した。商業銀行からの圧力で、99年に同法の規制は事実上廃止され、JPモルガンやシティなど商業銀行もデリバティブを急拡大した。(Glass-Steagall vs. the Volcker Rule

 07年からデリバティブが崩壊して金融危機となり、08年秋に投資銀行リーマンブラザースが倒産した。他の投資銀行も連鎖破綻しかけたため、ゴールドマンサックス(GS)など生き残った投資銀行は、連銀からの救済を受けられるようにするため、商業銀行に転換した。投資銀行は業界ごと消滅したが、その後、危機が一段落すると再びデリバティブ取引など高リスク高リターンの取引が拡大し、GSや他の大手商業銀行は、米当局に救済された状態のまま儲けを回復したため、米国民の怒りをかった。

 そのため今回オバマは、グラススティーガル法に似た、商業銀行だけを対象にした自己勘定での高リスク取引を禁じる政策を打ち出した。だが新政策は、デリバティブ再拡大の中で儲けを増やした商業銀行を再び赤字に転落させかねない。新政策は銀行の貸し渋りを助長し、景気の足を引っ張ると指摘されている。政策発表を受け、米国の金融株は急落した。(Rep Biggert: Obama Bank Proposal Misguided, May Slow Lending)(Stocks tumble as Obama takes on banks

 新政策は、商業銀行を危うくする半面、GSなど元投資銀行は、当局から救済金をもらうため形式的に商業銀行になった後も預金を扱っていないので、再び投資銀行に戻れば、高リスク高リターンの取引を続けられる。商業銀行がヘッジファンド業務を禁じられた分、投資銀行はシェアを拡大してむしろ儲けを拡大できる。銀行界は、議会に圧力をかけ、規制対象の「自己勘定取引」の範疇を小さくして、儲けを減らさないようにするだろう。「オバマは銀行を儲けさせている」と感じる米国民の怒りは消えそうもない。(Why Obama's Bank Plan Will Fail

 銀行にとってデリバティブは儲かるが、住宅ローンや企業融資は赤字だ。米国は住宅相場の下落が続き、住宅ローンの残額が自宅の時価より高くなる債務者が急増している。借り手が弱い日本と異なり、米国では、債務者がローンの担保物件である自宅を手放せばローン債務も消え、債務超過分は債権者である銀行がかぶる制度なので、銀行に損をかぶせて自宅を手放す人が増え、銀行の損を増やしている。銀行を潰したくない米政府は、ローンを放棄する債務者の倫理の欠如を非難するが、放棄は違法ではないし、米国民の多くは「倫理がないのは強欲な銀行の方だ」と思っているので効果がない。(NYT: Walk Away From Your Mortgage!

 不況が続き、企業倒産や個人のカード破産も高水準なので、商業銀行はシティやバンカメなど大手も赤字だ。商業銀行に対して自己勘定投資を禁じるオバマの新政策が議会を通ると、商業銀行の経営難がさらにひどくなる。米国では、今年に入ってすでに9行の中小銀行が潰れ、預金保険制度(FDIC)の余裕がしだいに失われている。(Fitch: U.S. Retail Credit Card Defaults Hit Near-Record Levels with No Relief in Sight

▼全方面で悪化する米経済

 マサチューセッツ州の上院補選で与党の民主党が破れたことが米金融界に与える悪影響は、ほかにもある。昨年末には問題ないと予想されていたバーナンキ連銀議長の再任が、米上院で否決される可能性が出てきたことだ。このままの金融政策では国民の支持を失うという危機感が民主党内に高まる中、2人の民主党上院議員がバーナンキの再任に反対し始めた。バーナンキの任期は1月末に切れる。(Bernanke second term suddenly in doubt)(Fed's Bernanke Faces Tighter Vote in Senate

 バーナンキは、ドルの大増刷による経済への資金注入(量的緩和策)によって金融危機と不況を緩和したが、根本的な問題解決になっていない。金あまりが再演されて株価が保持され、表向き米経済は不況を脱しつつあると言われるが、失業はむしろ増えている。失業率も、米国の公式な数字は10%だが、これには職探しをあきらめた人々や、失業保険の給付が切れて失業者の範疇から出された人々が含まれておらず、これらを含めた実勢の失業率は22%と言われている。(Shrinking U.S. Labor Force Keeps Unemployment Rate From Rising

 昨年3月以来、米国の株式市場には6兆ドルの資金が流入し、これが米株価を押し上げてきたが、常識で考えると、今時こんな巨額の金を出せる資金源は存在しないので、この資金の大半は、米当局による株価つり上げ策(Plunge Protection Team)ではないかと、金融専門サイトのマーケットウォッチが指摘している。連銀が増刷したドルが株価をつり上げ、景気が回復しているかのような幻影を人々に見せてだけで、実際の雇用は回復していないというわけだ。連銀は議会からの批判を受け、量的緩和をやめねばならない時期に来ているが、連銀が量的緩和策をやめると、米当局による株価つり上げの資金も失われ、株価の急落があり得る。(Time for Fed to disprove PPT conspiracy theory

 連銀は金融危機対策として、米政府系の住宅ローン与信会社であるファニーメイとフレディマックの債券を買い上げ、米国の社債市場を下支えしてきたが、米政界で連銀の量的緩和策に対する批判が強まっているため、連銀はこの債券買い上げを3月末でやめる計画だ。そのため4月以降、ローン金利の高騰、社債市場の下落、金融危機の再燃などが起こりうると懸念されている。(Fed Plan to Stop Buying Mortgages Feeds Recovery Worries

 連銀がファニーメイなど2社の債券を買い支えなくなると、2社が破綻するおそれが強まるが、米政府は1月23日、2社が損失を出したら政府が公金で穴埋めし、2社の破綻を回避する新政策を打ち出した。2社への損失補填で、米政府の財政赤字が数百億ドル増えると予測されている。米政界では連銀に対する批判が強まっているが、連銀が批判されて金融救済策をやめると、そのつけは米国民の増税や、米政府の財政赤字増としてはねかえり、最終的には米政府の財政破綻につながりかねない。(Fannie, Freddie Losses May Hit U.S.)(ドル自滅の量的緩和策をやめられない米国

 米政府は7000億ドルの予算をつけて景気対策の公共事業を行ったが、米ABCテレビによると、景気対策事業のうち、道路工事について調べたところ、地元の雇用増加にほとんど貢献できていないことがわかった。米国の実体経済の不況の度合いが非常に大きいため、公共事業をいくらやっても、失業の増加にほとんど歯止めをかけられない。米政界では、追加の景気対策をやるべきだという意見もあるが、これまでの対策で効果があったと立証できない以上、追加の対策をやるべきではないとする学者の主張を、ABCテレビは紹介している。(Billions of stimulus dollars for roads, bridges didn't chop unemployment

 米国の財政は、すでに地方の各州で破綻している。カリフォルニア州は新年早々に財政危機を宣言した。全米50州のうち30州で増税が行われ、さらに多くの州で支出の切り詰めが実施されているが、状況は今後もっと悪くなりそうだ。各州は、連邦政府に追加の景気対策をやってもらうしかないと期待しているが、すでに述べたように、それをやっても効果は疑問だ。地方政府は行政サービスが低下し、公務員や教員が減らされ、失業保険の財源が底をつく州も出てきた。オバマを支持する米国民が減るのは当然だ。(Schwarzenegger declares budget emergency, proposes deep cuts)(More and More States on Budget Brink

 潜在的に健康保険制度の赤字増、公的年金の損失の増加(5000億ドルといわれていた損失が実は2兆ドル)なども続いている。米経済は悪化の一途にあり、いずれ暴動が起きても不思議ではない。(US public pensions face $2,000bn deficit

▼ようやくボルカーの出番が来たが・・・

 オバマが今回発表した新たな金融政策は、政権中枢の経済顧問のうちポール・ボルカー元連銀議長の発案と報じられ、新政策は「ボルカー規制」(Volcker Rule)とあだ名されている。昨年からオバマ政権中枢では、ボルカーが規制強化を唱えた半面、サマーズ経済顧問とガイトナー財務長官は緩い規制のままの現状維持の方が米国の強さを保持できると主張してきた。従来はサマーズとガイトナーが優勢だったが、従来の政策に失敗色が強まったため、オバマは今回、ボルカー案の方に大きく転換した。(Obama's 'Volcker Rule' shifts power away from Geithner

 ボルカー案は銀行に高リスク高リターンの投資を禁じるが、反面、ボルカー自身はこれまで高リスク高リターンの政策を好んでやってきた。彼は1971年にニクソンショック(金ドル交換停止)が行われた時の米財務省の国際通貨担当の次官で、ニクソン政権で金ドル交換停止策の草案を書いた一人である。81年からのレーガン政権では連銀議長となり、ドルの弱体化によるインフレを抑えるため金利を21%にまで上げ、不況を招きつつドルを延命させ、85年のプラザ合意(円マルク高の誘導)につなげた。ボルカーは、ロックフェラー系のチェース・マンハッタン銀行の出身である。(Paul Volcker From Wikipedia

 オバマは政権就任前、経済顧問として、穏健派のサマーズか過激派のボルカーのどちらかを起用すると予測され、結局サマーズを起用した。それから1年経ち、サマーズのやり方ではダメなので、ボルカーに変えるということのようだが、高リスク政策をいとわないボルカーが3度目も成功するとは限らない。サマーズは、金融バブルを再膨張させて金融界を救済しようとしてきたが、バブル再膨張を禁じるボルカーは、金融機関の体力を落とし、危機を再燃させかねない。

 すでに述べたように、今はサマーズだけでなく、量的緩和策のバーナンキ連銀議長の権威も落ちた。ボルカーはバーナンキを無力化し、連銀に量的緩和策をやめさせ、金利を高騰させてドルを救おうとする80年代の自分の政策を繰り返すかもしれない。しかし、すでに世界中がドルと米国覇権の弱体化を感じている中で、ドルの弱さの露呈である金利高騰策をやることは、むしろ中国やアラブがドルを見放すことにつながりかねない。プラザ合意は、相手が日独という傀儡的な「敗戦国」だったから成功した。量的緩和策はドルにとって自滅的だったが、ここまでドルが膨張してしまうと、それを無事にやめていくことも、とても難しくなっている。



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短信集

2010年1月21日  田中 宇

●温暖化誇張コンビに離別の危機!?

 英国の気象庁とBBCといえば、地球温暖化問題をを世界で最も煽ってきた2つの組織である。世界の気温情報を歪曲的に解析して「温暖化傾向」をねつ造する裏の仕掛けをハッカー(内部犯との説あり)に暴露される「クライメート・ゲート」を起こした英イーストアングリア大学の気候研究所(CRU)は、英気象庁と関係の深い組織だった。英国を代表するテレビラジオ局であるBBCは、英気象庁とCRUが出した「温暖化」に関する解析を大々的に報じ「温暖化対策」の必要性を世界に報道(宣伝)してきた。しかし最近、温暖化問題の誇張が暴露されつつある中、BBCと英気象庁の長い蜜月が終わるかもしれない事態が起きている。

 英サンデータイムス紙が1月17日に報じたところによると、BBCは「英気象庁の天気予報は当たらない」という理由で、天気予報の情報の買い付け先を、英気象庁ではなく、世界の天気予報を発信するニュージーランドのメトラ( Metra )に変えることを検討している。英国では天気予報の情報発信市場が自由化されており、複数の企業が参入し、品質や価格で競争している。(BBC forecast for Met Office: changeable

 BBCは90年前から英気象庁の天気予報を報じてきたが、英気象庁は、このところ予報の大外れが目立っている。英気象庁は昨夏、酷暑を予報したが、実際には雨続きで冷夏だった。今冬は暖冬を予報したが、実際には零下22度まで下がる極寒となった。BBCは、英気象庁との契約が4月に切れる時にメトラへの切り替えを検討しているという。

 英気象庁は「地球温暖化」を誇張するあまり、実際より気温を高めに予測し、酷暑や暖冬を予報して、大外れになったのだろう。欧米日のマスコミの中には、多様な気候現象のうち、温暖化をイメージさせるものだけを誇張して報道するやり方で、いまだに温暖化を宣伝しているところが多いか、BBCと英気象庁の離別の可能性に象徴されるように、今後、目立たないように、しだいに姿勢を変えていくのかもしれない。(地球温暖化めぐる歪曲と暗闘(1))(BBC considers a change to NZ for weather forecasts

●深まるインフルエンザ誇張疑惑

 次も英国の話。私は最近の記事で、国連機関WHOの顧問団の委員であるオランダの著名な専門家たちが製薬会社から金をもらい、インフルエンザの流行予測を誇張し、WHOに誇張した警報を出させていたスキャンダルがEUで問題になっていることを書いた。これに絡み、英国では、インフルエンザに関する英政府の専門家による諮問機関の委員の半分以上が、製薬会社から金をもらっていたことが明らかになった。(Swine flu taskforce's links to vaccine giant: More than half the experts fighting the 'pandemic' have ties to drug firms

 英デイリーメール紙が1月14日に報じたところによると、英政府の緊急事態に関する科学顧問団(SAGE)の委員20人のうち、11人が、自分たちの研究機関を通じて製薬会社から金を受け取っていた。資金提供先として最も多かったのは、インフルエンザで最も儲けた英国の製薬会社グラクソ(GlaxoSmithKline)だった。英政府は、顧問団の議論をもとに結局は必要なかったワクチンを買い、10億ポンドの予算を無駄遣いした。顧問団は昨夏、英国で6万5千人がインフルエンザで死ぬと予測したが、実際の死者は251人だった。

「薬品の研究を行う者が、製薬会社から研究費を援助されることは悪いことではない」と思う人も多いかもしれない。だが英政府は、製薬会社から金をもらう研究者が、その製薬会社の薬を使う疫病の拡大予測をすることを利害の衝突とみなし、そのような研究者は政府顧問としての議論に参加できない規則を作っている。インフルエンザに関する政府顧問の半数以上が、この倫理規定に違反していたことになる。(インフルエンザ騒動の誇張疑惑

 日本のNHKは1月17日、インフルエンザ・ウイルスに関するBS放送の分析番組で、オランダで製薬会社から金をもらってインフルエンザ問題を誇張していた疑いでオランダ議会から調査されているアルバート・オスターハウス教授を、主役の一人として出演させている。(2010年世界の英知が語る「第二部 未知なる脅威 ウイルス」

 EUに取材拠点を持つNHKは、オスターハウスがインフルエンザについて誇張している疑いがあると知っていたはずだが、そんなことにおかまいなく、オスターハウスを世界的権威として出演させた。インフルエンザに関して、NHKは軽信できないプロパガンダ機関と見るべきだろう。

●ベネズエラ経済崩壊で多極化の逆流?

 南米のベネズエラで、インフレがひどくなっている。米金融界では、同国の今年のインフレ率の予測を38%から45%に引き上げ、経済成長率の予測を2%から0・7%に引き下げた。(Fitch Cuts Venezuela GDP Growth Forecast in Half

 ベネズエラは反米主義のウゴ・チャベス大統領が10年以上も選挙に連勝し、独裁的な権力を保持し続けている。反米なので米政府から嫌われて経済基盤への投資が不十分になり、電力網や水道網が機能不全に陥っている。チャベス大統領は、米国から投資を止められた分を経済の国有化で乗り越えようとしたが、失敗色を強めている。(Venezuela Inflation to Quicken, Morgan Stanley Says

 チャベス大統領は、国連など国際社会では、反米感情を強める中南米、中東、アフリカなど発展途上諸国の英雄的なリーダーで、世界の覇権多極化を推進する人物だ。昨年の地球温暖化のコペンハーゲン・サミットでも、チャベスは途上国を率いて欧米によるとりまとめ工作を潰した。彼は、石油輸出で得た収入を、他の貧しい国々に気前良く分けてやっているが、国内からは「外国に金を大盤振る舞いする前に、自国の水道や送電線を直して」と不満を持たれている。

 ここ数年の中南米全体の反米感情の高まりの中で、米国に支援されていたベネズエラの野党は人々の支持を失い、チャベスに対抗できる勢力ではなくなっている。国民の不満が強まっても、チャベスがすぐ失脚することはない。ベネズエラ経済が崩壊を続けるとチャベス政権の将来は危ういと、米国の評論家たちは喧伝している。だが「すぐ潰れる説」には、軍産複合体系の誇張が入っている疑いもある。北朝鮮が明日にでも潰れそうだと喧伝されつつなかなか潰れないように、チャベスも以外としぶといかもしれない。(Venezuela: Go Hugo, Go!

 ベネズエラと同様に、イランや北朝鮮など他の反米諸国も、経済難が深まっている。米英の財政赤字増や金融危機も再燃しそうだが、米英より先にベネズエラやイランが経済崩壊していくと、ここ数年続いた多極化の傾向が逆流し、米英の覇権が延命する可能性もある。

 ベネズエラは原油を輸出し、日用品や食品など物資のほとんどを輸入する石油依存経済なので、イスラエルがイランを攻撃して戦争になり、原油が高騰したら、チャベス政権は国庫が再び豊かになり、延命する。イスラエルに攻撃されたら、中東におけるイランの正当性も強まり、多極化に拍車がかかりうる。

 日本でも、小沢一郎が権力を失えば、民主党政権による多極化対応策も進まなくなり、官僚機構が戦後60年以上やってきた対米従属の国策が延命するかもしれない。世界は、英米体制延命か、多極化かという、暗闘的なせめぎ合いの中にある。



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中華文明と欧米文明は衝突するか

2010年1月17日  田中 宇

 世界経済は、全体として毎年の成長率が3%未満になると、成長が人口増加やインフレを下回り、人々の平均的な生活水準が上がらなくなる。世界は毎年3%以上の経済成長をする必要があるが、欧米日の先進国は未曾有の不況で、そんなに成長できない。この問題に助け船を出しているのが中国だ。中国は、輸出入とも急増し、特にアジア諸国から中国への輸出が急増している。

 昨年、韓国から中国への輸出は前年比94%増、台湾から中国へは91%増、マレーシアから中国へは51%増となった。マレーシアは、中国への輸出が急増した半面、米国への輸出が13%減、日本への輸出は30%減だった。この数字は、米国や日本が世界経済を牽引できなくなり、代わりに中国が牽引役になっていることを象徴している。世界は、経済面で中国に頼る度合いを強めている。(Chinese demand drives regional recovery

 中国自身は今年、16%の経済成長が予測されている。こんな化け物のような成長はバブルであり、いずれ崩壊するという見方もあるが、少なくともバブル崩壊するまで、中国は世界経済の救世主であり続ける。経済成長しても対米従属を続けたかった(国際政治力を持ちたくない)日本と異なり、中国は経済力を政治力に変える意志と策略を持っており、中国経済が成長し続けるほど、国際政治における中国の影響力も拡大する。(China May Overheat With 16% Growth, Government Researchers Say

 中国人は近年、自国が大国になることを意識している。中国の書店には、中国の大国化や中華文明の勃興、覇権論、欧米の世界支配に関する本が何冊も平積みされている。私自身の「世界がドルを棄てた日」も昨秋、中国の大手出版社である「鉄道出版社」から中国語訳が刊行された。(「世界抛弃美元的臨界期」中国鉄道出版社

 中国の台頭が著しくなってくると、気になり出すのが「中華文明」と「欧米文明」の対立や、欧米文明と異なる中華文明が世界を席巻する未来像である。1996年に米ハーバード大学のハンチントン教授が出した本「文明の衝突」は、2001年の911事件後の「テロ戦争」の構図を的確に予測したと話題になったが、その一方でこの本には、欧米(西欧)文明が衰退し、中華(中国)文明などが台頭して欧米をしのぐとか、米中戦争が起こりうるといったシナリオが書かれている。この本は、欧米文明、中華文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明(インド)、ロシア(東方正教会)文明、ラテンアメリカ文明、日本文明など、世界の諸文明の境界線で衝突が起き、欧米の覇権の低下によって多極化した世界の各極間で衝突が起きると書いている。(ただしこの本は、大事なところになると書き方が漠然としており、分析書というより、米国の世界戦略の企画書である)

▼欧米文明に統合された世界

 中華文明と欧米文明の「衝突」が起きるかどうかを考えるには「文明とは何か」ということを考えねばならない。日本の辞書的な語義でいうと「文明」とは「人々が生み出した技術的、物質的な資産」である。この場合の「文明」は「文化」と対等関係で区されている。文化の語義は「人々が生み出した精神的な資産」だ。モノが文明であり、心が文化である。「文明(civilization)」の英語の語源は「都市(civic)」であり、文明とはもともと「未開」や「野蛮」と対峙する意味としての「都市化」である。

 ハンチントンの「文明の衝突」では、上記の語義はドイツで作られたもので、世界的には少数派にすぎないと退けた上で「文明は文化を拡大したもの」と定義している。それなら本の題名は「文化の衝突」で良かったと思うが「文化の衝突」では迫力に欠ける。語感として「文明」は衝突しそうな感じがするが「文化」は衝突しそうもない。米国(軍産複合体)の世界戦略の企画書として「文明」と「衝突」を使う必要があったのではないか。

 私が見るところ「文明」は、歴史的な過去の概念である。第一次世界大戦まで、世界には複数の文明があった。コロンブスに始まるスペイン帝国は、マヤ、アステカといった中南米の文明を侵略して滅ぼした。欧州で産業革命が始まるまで、中国は欧州よりずっと豊かで、中国には欧州にない高度な技術やシステムが存在していた。当時の中国は「中華文明」だった。中国には文明と野蛮を区別する「華夷秩序」があったが、この特質も文明の定義と合う。第一次大戦まで中東にあったオスマントルコ帝国も、一時は欧州より豊かで、欧州とは異なる物質的資産を持つ「イスラム文明」が存在していた。

 産業革命で欧州が強く豊かになり、欧州の覇権国となった英国が、アヘン戦争で中国を破って植民地化し、第一次大戦でオスマントルコを滅ぼしたことにより、世界の文明は欧米文明に単一化された。大量生産や交通・通信などの産業技術から、科学の基礎研究、経済学、法学、企業経営や会計、選挙制度、マスコミのプロパガンダ(ジャーナリズム)など国家システムの運営技術まで、すべて欧米文明の産物だ。

 孫文以来の近代中国の指導者たちは、何とか早く欧米文明の技術やシステムを中国に根づかせようと努力した(共産党が見習ったソ連は欧米文明の一形態である)。オスマン帝国滅亡後のトルコでは、ケマル・アタチュルクら指導者が、いかに急いでイスラムを捨てて欧州化するかを考えた。孫文もアタチュルクも、欧米化を急速に成し遂げた日本に学ぼうとした。

 中国では、ナショナリズム(国家への国民の結束を促す強化策)のため、衣服や建築デザインなど中国文化に対する重視が続けられたものの、本質的には、早く中華文明やイスラム文明の残滓を脱し、欧米の技術や国家システムを導入することが自国の発展に重要と考えられた。日本の明治維新(文明開化)も、欧米文明を導入して日本を開化、強化することが目的で、幕藩体制など旧来の国家システムは急いで捨てられた。

 明治維新後の日本は、欧米をしのぐ強国になることをめざし、やがて英米と戦争にまでなったが、日本はドイツと組んでおり、大戦は欧米文明と日本文明の衝突ではなかった。日本では、戦前や1980年代の国力の絶頂期でさえ「日本文明」という概念が出なかった。日本人は、近代以前の自国が中国文明を基盤とし、近代以後は欧米文明を基盤として、それらに改変を加えて日本風にして発展したところに自国の伝統を感じているので「日本文明」を自称しないのだろう。

(ハンチントンは「文明の衝突」で、日本を一国だけの「日本文明」と定義し、日本人を面食らわせた。この事態は、同書が冷戦戦略を文明論で仕立て直そうとした企画書であることを象徴している)

▼幻想の中華文明

 文明とは、地理的概念である。長距離の行き来が非常に困難だった産業革命以前は、アジアと欧州に別々の文明が存在し得たが、産業革命が世界に拡大し、世界中が交通・通信網で一体化した後は、ある地域で発明された技術やシステムがすみやかに他の地域に伝播し、世界に複数の文明が存在することが不可能になった。

 交通通信網の拡大は、欧州の技術やシステム、そして資本主義の考え方に基づくから、この現象は「欧米文明」が世界を恒久的に席巻したといえる。文明の発展は、経済発展と同じ意味だが、交通や通信によって単一市場化した世界を再分断することは、世界の経済発展に明らかにマイナスだ。だから、世界が再び複数の文明の共存が可能な分断状態に戻ることは、巨大な天変地異や世界核戦争でもない限り起こらない。世界が複数文明体制に戻らない限り「文明の衝突」はあり得ない。

 このような視点で現在の中国の台頭を分析すると、中国は「中華文明」として台頭しているのではなく、孫文以来の中国人が欧米文明の技能とシステムを修得する不断の努力を続けた結果、台頭している。今の中国は「中華文明」を捨てて「欧米文明化」を成し遂げたからこそ、急成長し、政治台頭している。

「偉大な中華文明」という言い方は、中国人(漢民族)のナショナリズムを奮い立たせるために流布されているにすぎない。もし今の中国の台頭が「中華文明」の台頭だとしたら、かつて中華文明の傘下にあった韓国や東南アジア、日本などの周辺国が、欧米文明と異なる「新中華文明」の恩恵を受けられるはずだが、そんな事態にはなっていない。欧米文明と異なる中華文明など、どこにも現存していない。文化としての中華風は顕著に存在するものの、中華文明はアヘン戦争とともに死んで久しい。

 私が最初に中国を旅行したのは、中国が自由旅行者に開放された直後の1983年ごろだが、今の中国の都会は、約30年の当時と比べ「日本の都会に似てきている」と感じる。30年前の中国は発展途上国的な混沌が席巻し、人々はやたらとやかましく粗野に話し、私は「中国語は shi ri zhi chi qi とか er化といった特殊な発音があるので静かに話せない言語なのだ」と思ったが、最近の中国の都会に行くと、人々が日本人と同様に静かに丁寧に話すので「何だ、できるじゃないか」と思ったりした(台湾人は昔から静かに話しているが、かつて日本の植民地だった)。

 私から見ると、中国人は「日本人化」した。中国の都会の生活も、多くの人が冷暖房完備のマンションに住むなど、日本や韓国、欧米と大して変わらない。中国は文明化するほど、都会の物質的環境が、アジアで欧米文明化を先行した日本に近いものになっている。これは、中国の発展が中華文明化ではなく欧米文明化であることの表れである。中国、韓国、東南アジアなど、アジアで発展する国々の生活様式は、いずれも日本と似てきている。

 中国は「人民元の対ドル為替ペッグを外せ」と欧米から言われているが、ドルペッグを外して通貨を自由流通させることは、中国が欧米文明の一部としての通貨管理技術を習得したことを意味している。中国は、通貨管理技術の面で、まだ欧米文明を修得し切れていない。(中国が人民元を自由化しないのは、自由化したら米英投機筋が人民元を空売りして乱高下させ、中国経済を破綻させかねないからという理由もある)

▼多極化で進む文明の普遍化

 世界は欧米文明に席巻されているが、そのことと、欧米が世界を政治的に支配してきたこととは別のことである。従来の100年間は、欧米文明の席巻と、欧米による政治的な世界支配(英米覇権)が当時に起きていた。文明的に先行した欧米が、他の国々を支配する(影響下に置く)のは当然だった。しかしここ数年、米国の経済面、政治軍事面での(意図的な)大失敗の結果、米英覇権は瓦解に瀕し、世界の覇権は多極化している。今の世界の文明基盤を作ったのは欧米だが、政治的には欧米が単一覇権だった状態が終わりつつある。

 戦後の高度成長の過程で、日本は製造業の技術面で世界にかなり貢献した。日本は、欧米文明を取り入れた後、欧米文明の高度化に貢献をした。FTなど欧米の新聞は、今後の世界経済を牽引するのは中国インドなどアジア勢だと予測している。今後、欧米文明の摂取期を卒業し、高度経済成長に入りそうな中国などアジア勢は、従来の日本と同様、欧米文明の高度化に何らかの貢献をするだろう。

 日本は欧米文明の牽引役の一つとなっても、国際政治の牽引役になることを拒否したが、中国は政治的なアジアの地域覇権国になる方向がほぼ確実だ。インドやロシア、中南米、中東なども、政治的に米英からの自立が進むとともに、欧米による抑制や分断策から解かれ、経済成長の可能性が増す。世界は物質的には欧米文明を基盤とするものの、その文明の高度化は、欧米以外の国々の貢献が大きくなり、同時に政治的にも覇権構造の多極的な非欧米化が進むだろう。(これと逆方向の米英覇権の延命策も行われているので、多極化の進行速度は確定しがたいが)

 この多極化の傾向を踏まえると、この100年間に世界を席巻した「欧米文明」は、文明としての単一性が今後も維持されるものの、今後は牽引役が非欧米諸国になって、「欧米文明」ではなく、もっと普遍的な「世界文明」と呼んだ方がふさわしいものに変わっていくだろう。

 世界で「文明の衝突」は、第一次大戦で英国がオスマントルコを倒して以来、起きていない。しかも、トルコの敗北は第一次大戦の中心テーマでない。2度の大戦の中心テーマは、欧米文明の内部で、ドイツや日本といった後発の諸国が、先進の英国などよりも欧米文明の導入を効率的にやり遂げ、英国の覇権を壊そうとした結果、戦争になったことだ。2度の大戦は、文明の衝突ではなく、国民国家間の競争という欧米文明の構造から起きた戦争である。この戦争誘発構造を乗り越えるため、国際連盟や国際連合、そして最近ではEUが作られ、世界を政治統合に向けて動かしている。

 文明の衝突でなく、世界文明の内部の国家間抗争として、米中や米露、印中など、ハンチントンも懸念する地域覇権勢力間の戦争が将来も起こらないとは言い切れない。だが、中露印などBRIC諸国は、国連やG20など世界の政治統合に協力的であり、その意味で小競り合い以上の戦争は起こりにくい。

「しかしグーグルはどうなんだ」「中国における言論弾圧は文明に逆行している」と言う人がいるかもしれない。これについては次回に書く。



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ガザ戦争の危機再び

2010年1月14日  田中 宇

 ここ一週間ほど連日、中東ガザのイスラム主義勢力が、イスラエルに対して短距離ミサイルを撃ち込む行為を約1年ぶりに再開している。08年末から09年初めにかけて起きたガザ戦争(Operation Cast Lead)は、同様の短距離ミサイル攻撃が続けられたことに対し、イスラエル軍がガザを空爆したことによって起きている。1年前の戦争が再演される懸念が増している。(Israel needs to rethink its Gaza strategy before it's too late

 短距離ミサイルは精度が低く、イスラエル側の畑や空き地に着弾し、今のところイスラエル側の被害は少ない。だが、一昨年末も同様の状況でイスラエル国内の世論が激昂して好戦的になり、報復的な空爆に至った。すでにイスラエル軍は、ガザに近い地域の国内住民に対し、戦争を覚悟するよう広報している。(IDF issues warning to Gazans after mortar barrage on Israel

 ミサイルを撃っているのはガザを支配しているハマスではなく、他の中小のイスラム武装組織であり、ハマスは中小組織に攻撃をやめるよう圧力をかけているというが、本気の圧力かどうかわからない。国際世論はイスラエルに不利に、ハマスに有利になる傾向が続き、次にイスラエルがガザを大規模に空爆したら、国際世論におけるハマスの有利が強まる。ハマスが中小組織にロケット攻撃をやらせている可能性もある。(Hamas Wants Militant Groups to Halt Rocket Fire

 欧州では、英国などの市民団体(Viva Palestina)がガザに人道援助を送ろうとして、エジプトやイスラエルに邪魔された。EU議会やEU各国議員の合計50人の政治家によるガザ訪問の計画も出てきた。EUは、パレスチナ人の願望だがイスラエルの拒否によって実施できていない「エルサレム分割案」(エルサレムを二分し、それぞれをイスラエルとパレスチナ新国家の首都とする案)への支持決議を検討しており、パレスチナ側を支持してイスラエルを非難する姿勢を強めている。(50 European MPs to visit Gaza)(EU foreign ministers likely to call for division of Jerusalem

 米政府でもパレスチナ和平担当のミッチェル特使が、ヨルダン川西岸地域での入植地建設をやめないイスラエルに業を煮やし、米政府がイスラエルに与えている債務保証を凍結するという経済制裁をするかもしれないと、米テレビのインタビューで表明した。(Likud MPs Slam US 'Threats'

 米国は、イスラエルの仇敵であるイランを許してしまうこともやっている。米政府は昨年秋「年末までにイランが核開発をやめる方向性を示さない場合、来年(2010年)初めにイランを制裁する」と言っていたが、イランがこの警告を無視して何も米側に返答しないまま年明けになると、クリントン国務長官は「イランが回答してこなければ制裁するが、回答の期限は設けない」と方針を修正した。米国は、イランからの回答を無期限に待つと表明したわけで、イランが何も回答しない限り、米国はイランを制裁しないということだ。米国はアフガニスタンを安定させるため、アフガンの隣国であるイランの協力か必要なので、イランを許したという解説が流布している。(Obama finally forswears tough sanctions on Iran. Jerusalem says nothing

 かつては中東有数の親イスラエル国だったトルコの反イスラエル化も続き、年明けにトルコがガザで人権侵害を続けるイスラエルを非難し、イスラエル外務省高官が「トルコに非難する資格などない」とやり返し、トルコ政府がイスラエルとの国交断絶も辞さずと最後通牒を突きつけると、イスラエル側が謝罪するという事件も起きた。トルコへの謝罪は、国際政治におけるイスラエルの弱体化を象徴している。(Turkey envoy: Israel shamed me more than ever in my career

 スウェーデンの新聞(Aftonbladet)は昨年夏、イスラエル軍の医師が遺族に無許可でパレスチナ人の遺体から臓器を抜き取って販売することを黙認されていたと報じた。その後、スウェーデンとイスラエルの政府間で対立が起きたが、これも昨年末、イスラエル側が臓器抜き取りの事実を部分的に認めることで一段落した。イスラエルは「731部隊」的な悪者にもなっている。(Israeli military admits to organ harvesting

▼いろいろやっても実らない和平交渉

 イスラエルが、自国の不利がひどくなる中でガザに再侵攻したら、世界的なイスラエル非難が強まる。昨年のガザ戦争に対し、国連の人権理事会は、イスラエルが戦争犯罪を犯したとする「ゴールドストーン報告書」を出した。国連では、安保理事会(合法な世界的制裁発動ができる唯一の組織)で、パレスチナ和平を進めないイスラエルへの制裁を決議すべきだという主張が強まったが、米国が拒否権を発動して葬った。今年、イスラエルがまたガザに侵攻したら、米国も国際世論に押され、安保理の拒否権発動ではなく「棄権」に転換し、国連でイスラエル制裁が可決される事態になりうる。イスラエルはハマス以上、サダム・フセイン並みの悪者にされかねない。(オバマのノーベル受賞とイスラエル)(パレスチナ和平の終わり

 イスラエル政府は、昨年初めのガザ戦争をハマスとの停戦合意によって終えた後、事態を改善しようとハマスやパレスチナ自治政府(PA、アッバス大統領)と和平交渉したが、うまくいかなかった。イスラエルとハマスは昨年秋から、ハマスが捕虜にしているイスラエル軍兵士ギルアド・シャリートを釈放する代わりに、イスラエルが拘束している約1000人のパレスチナ人を釈放する交渉を行い、昨年末には「数日内に話がまとまる」と報じられたが、結局まとまらなかった。(Hamas: Shalit deal won't be sealed in near future

 ネタニヤフ首相は、この「1000対1」の相互釈放でハマスとの対立解消を狙ったが、イスラエル政界の右派は、ハマスの譲れない主張である「マルワン・バルグーティ釈放」に反対して交渉を潰した。バルグーティは、ハマス(ガザ)とPA(西岸)を和解させられると期待されている数少ないパレスチナ若手指導者である。(Lieberman Deputy: I'll Fight Any Shalit Deal That Frees Barghouti

 昨年の秋から年末にかけて、イスラエル、ハマス、PA、サウジアラビア、エジプト、EU、米国などが、各種の和平構想を公式ないし隠密に出したが、どれもうまくいかなかった。そして今年に入り、ガザからイスラエルに再び短距離ミサイルが撃ち込まれ出している。ハアレツ紙によると、イスラエル軍はすでに再戦争の準備をしている。(Israel's looming war in Gaza: Can Obama stop it before it starts?

 エジプトに隣接するガザでは、国境下に掘られた無数の密輸用地下トンネルを通り、エジプトから武器が搬入されてきた。イスラエルとエジプトは、トンネル潰しや国境の隔離壁構築に余念がない。ガザが再戦争になると、エジプト国内ではハマスの兄弟組織であるイスラム同胞団(非合法政党)への支持が強まり、ムバラク親子(父は死期が近く、息子は権威がない)の独裁体制を壊しかねないので、エジプト政府も必死である。(Israel to build $1.5b fence along Egypt border

 12月には、ハマスを支援しているイランのラリジャニ国会議長がエジプトを訪問した直後、エジプトのムバラク大統領が80歳代の高齢を押して急遽サウジアラビアなどを訪問し、イラン、エジプト、サウジという中東の3大国が新たな中東和平でまとまりそうな気配を見せた。1月7日には、サウジとエジプトがまとめた和平案がホワイトハウスに提示された。しかし、こうした新和平策も、ガザが再び戦争になったら徒労に終わる。(Mubarak on urgent trip to Gulf about Iran's reconciliation move)(New Egyptian-Saudi peace plan to be presented to Obama Friday

 イスラエルには、パレスチナやサウジとだけでなく、仇敵のはずのイランとも和解することで自国の存続を図ろうとする動きもあり、先日はイスラエル軍の核担当者だった元将軍が「イランは核兵器を開発していない」という意味の発言を発した。しかし、こうした政治的な観測気球の打ち上げは、ほとんど無視されて終わっている。(Israeli Ex-Nuke General: Iran Is No Nuclear Threat

▼パレスチナ問題は帝国と資本の相克

 イスラエル政界では、事態が戦争に近づくほど、好戦的な右派が強くなる。イスラエル右派は上層部が、米国のネオコン(ユダヤ系主体の軍事強硬派)と同様、親イスラエルのふりをして実はイスラエルを潰そうとしている隠れ多極主義者で、イスラエル政界で和平の動きが出てくるたびに、パレスチナ側との敵対を扇動して潰しにかかる。一般に敵対の扇動は、和平の推進よりずっと簡単だ。イスラエルが和平を実現するのは非常に難しい。最近は世界の世論がパレスチナ寄りになり、パレスチナ側も「イスラエルが入植地を撤退しない限り和平には応じない」と断言している。イスラエルでは右派が政府の抑止を無視して入植地を拡大し、和平を阻止している。(反イスラエルの本性をあらわすアメリカ

 私の推測では、ネオコンやイスラエル右派は実行部隊にすぎず、隠れ多極主義者の黒幕はユダヤ人が多い「ニューヨークの資本家」である。彼らがイスラエルを潰したい本質的な理由は「イスラエル嫌悪(ユダヤの敵はユダヤ)」ではなく「イスラム世界を怒らせることで欧米支配から解放して自立させ、経済成長させ、そこに投資すること」(資本の論理)である。これは、以前の記事に書いた「帝国と資本の相克」の一部である。(資本の論理と帝国の論理

 欧州が英国発祥の産業革命によって急発展するまで、オスマントルコなどの中東は、欧州に負けない強さを持っていた。それだけに英国主導の欧州は、第一次大戦でトルコを解体した後、中東を恒久的に分断しておく必要を感じ「番犬」としてイスラエルの建国を許した。英国中枢には「帝国支持」(のちの米英中心主義)と「資本の論理支持」(多極主義)の両派があり、帝国派は英国覇権の恒久化を狙ったが、資本派は英覇権を解体して多くの独立国を作り、欧州以外の地域を発展させ、そこに投資して儲けることを画策した。豊富な石油がある中東イスラム諸国は、経済大国になる潜在力を持っている。

 帝国派はイスラエル建国を画策し、資本派はイスラエル建国に反対した。イスラエルは建国したが、ニューヨーク資本家の肝いりで作られた国連は、その直後にパレスチナ国家の創設やエルサレム分割を決議し、イスラエルの正当性を制限した。その後、中東イスラム諸国は、冷戦で「ソ連寄り」のレッテルを貼られて発展を阻止され、冷戦後は911後の「テロ戦争」によって「恒久的な悪」にされかけた。

 100年の暗闘は帝国の勝利に推移するかに見えたが、帝国派の内部にはネオコンやチェイニー前副大統領といった「帝国派のふりをした資本派のスパイ」(隠れ多極主義者)がおり、彼らはテロ戦争を過剰にやって失敗させ、イスラム世界を激怒させ、団結させて強化し、イスラエルを不利に追い込んでいる。2006年夏、イスラエルを騙してレバノンに侵攻させたのがチェイニーだったことは、中東分析者の間では知られた話である。(大戦争になる中東(2)

 隠れ多極主義者でないイスラエル中枢の人々は、米中枢にイスラエルを潰そうとする勢力がいることをすでに知っており、米国が画策する中東大戦争(イスラエルとイランの戦争)に引き込まれるのを避けようとしている。だが、イスラエル国内で右派が強いため、最終的に戦争を防ぐ唯一の方法であるパレスチナ和平の道は閉ざされている。

▼イスラエルが消えると石油が上がる

 米国を信頼できなくなったイスラエルは、EUの協力を得たいが、イスラエル右派は「ホロコースト」を使ったドイツ(EUの中心国)に対する脅しと「賠償金」のむしり取りを続けており、イスラエルとEUとの信頼関係は強まらない。1970年代以来、ホロコーストをプロパガンダ的に誇張してきたのはイスラエル右派と米ネオコンである。(Israel to seek another 1b euros Holocaust in reparations from Germany)(Time for Germany to reassess its relations with Israel)(ホロコーストをめぐる戦い

 イスラエルがうまくやれば、今回のガザ危機も、大戦争につなげずに回避もしくは短期で停戦できる。しかし、恒久和平への道が閉ざされている以上、イスラエルは和平と戦争の間の不安定な延命状態を脱せない。その間に、イスラエルの敵であるイランやハマスやヒズボラは国際社会で正当性を認められていき、国連は反イスラエルの傾向を強める。

 レバノンなどにいるパレスチナ難民は、イスラエルへの帰還権を放棄せず、すきあらばイスラエルの土地(パレスチナ)を軍事的に奪還しようとする。レバノンやシリアの政府は、パレスチナ難民に自国の市民権を与えないことで、イスラエルに反攻させようとしてきた。難民がいる限り、イスラエルは安定を得られない。以前は仇敵だったレバノンのハリリ政権とシリアが最近和解し、イランからシリアを経由してヒズボラに渡される武器の量が増えている。(Hariri visit seals a good year for Syria

 イスラエルは「レバノンに軍事援助する国を制裁せよ」と世界に呼びかけたが、レバノンに軍事援助する主要国の一つは米国だ。米国は、以前にレバノン政府とヒズボラが対立していた時期に、ヒズボラと戦うレバノン政府を支援する名目で軍事支援を開始したが、レバノン政府がヒズボラと仲良くなった後も、依然としてレバノンを軍事援助している。米国はこの点でも「隠れ親ヒズボラ(隠れ反イスラエル)」である。イスラエルは「米国の支援はヒズボラには渡っていないはずだ」と言っているが、そんな確証はない。(Israel tries to block military aid to Lebanon

 中東イスラム諸国が団結できれば、すでにかなり欧米から奪回している石油利権を使って、国際政治的な台頭と経済的な発展が可能になる。その分、イスラエルはさらに不利になるが、中東イスラム世界にとっては、新たな発展の時代の始まりとなる。未来は、イスラエルにとって暗いが、中東のイスラム教徒にとっては明るい。イスラエル国家は消滅するかもしれないが、イスラエル人の多くは「帰国」前に住んでいた国(東欧、ロシア、米国など)との二重国籍だ。もともといた国に「投資」と称して家を買ってある人も多い。

 イスラエルは米国の政治を牛耳ってきただけに、イスラエルが今後どうなるかは、基軸通貨としてのドルの地位が今後どうなるかという問題と並び、世界の覇権構造にとって大きな話である。イスラエルの力が縮小ないし消滅すれば、サウジアラビアなどペルシャ湾諸国が安全保障を米国に頼る必要が減り、イランとサウジ、イラクが談合して石油利権の非米化に拍車がかかり、石油価格は超高値安定になりそうだ。



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中華文明と欧米文明は衝突するか

2010年1月17日  田中 宇

 世界経済は、全体として毎年の成長率が3%未満になると、成長が人口増加やインフレを下回り、人々の平均的な生活水準が上がらなくなる。世界は毎年3%以上の経済成長をする必要があるが、欧米日の先進国は未曾有の不況で、そんなに成長できない。この問題に助け船を出しているのが中国だ。中国は、輸出入とも急増し、特にアジア諸国から中国への輸出が急増している。

 昨年、韓国から中国への輸出は前年比94%増、台湾から中国へは91%増、マレーシアから中国へは51%増となった。マレーシアは、中国への輸出が急増した半面、米国への輸出が13%減、日本への輸出は30%減だった。この数字は、米国や日本が世界経済を牽引できなくなり、代わりに中国が牽引役になっていることを象徴している。世界は、経済面で中国に頼る度合いを強めている。(Chinese demand drives regional recovery

 中国自身は今年、16%の経済成長が予測されている。こんな化け物のような成長はバブルであり、いずれ崩壊するという見方もあるが、少なくともバブル崩壊するまで、中国は世界経済の救世主であり続ける。経済成長しても対米従属を続けたかった(国際政治力を持ちたくない)日本と異なり、中国は経済力を政治力に変える意志と策略を持っており、中国経済が成長し続けるほど、国際政治における中国の影響力も拡大する。(China May Overheat With 16% Growth, Government Researchers Say

 中国人は近年、自国が大国になることを意識している。中国の書店には、中国の大国化や中華文明の勃興、覇権論、欧米の世界支配に関する本が何冊も平積みされている。私自身の「世界がドルを棄てた日」も昨秋、中国の大手出版社である「鉄道出版社」から中国語訳が刊行された。(「世界抛弃美元的臨界期」中国鉄道出版社

 中国の台頭が著しくなってくると、気になり出すのが「中華文明」と「欧米文明」の対立や、欧米文明と異なる中華文明が世界を席巻する未来像である。1996年に米ハーバード大学のハンチントン教授が出した本「文明の衝突」は、2001年の911事件後の「テロ戦争」の構図を的確に予測したと話題になったが、その一方でこの本には、欧米(西欧)文明が衰退し、中華(中国)文明などが台頭して欧米をしのぐとか、米中戦争が起こりうるといったシナリオが書かれている。この本は、欧米文明、中華文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明(インド)、ロシア(東方正教会)文明、ラテンアメリカ文明、日本文明など、世界の諸文明の境界線で衝突が起き、欧米の覇権の低下によって多極化した世界の各極間で衝突が起きると書いている。(ただしこの本は、大事なところになると書き方が漠然としており、分析書というより、米国の世界戦略の企画書である)

▼欧米文明に統合された世界

 中華文明と欧米文明の「衝突」が起きるかどうかを考えるには「文明とは何か」ということを考えねばならない。日本の辞書的な語義でいうと「文明」とは「人々が生み出した技術的、物質的な資産」である。この場合の「文明」は「文化」と対等関係で区されている。文化の語義は「人々が生み出した精神的な資産」だ。モノが文明であり、心が文化である。「文明(civilization)」の英語の語源は「都市(civic)」であり、文明とはもともと「未開」や「野蛮」と対峙する意味としての「都市化」である。

 ハンチントンの「文明の衝突」では、上記の語義はドイツで作られたもので、世界的には少数派にすぎないと退けた上で「文明は文化を拡大したもの」と定義している。それなら本の題名は「文化の衝突」で良かったと思うが「文化の衝突」では迫力に欠ける。語感として「文明」は衝突しそうな感じがするが「文化」は衝突しそうもない。米国(軍産複合体)の世界戦略の企画書として「文明」と「衝突」を使う必要があったのではないか。

 私が見るところ「文明」は、歴史的な過去の概念である。第一次世界大戦まで、世界には複数の文明があった。コロンブスに始まるスペイン帝国は、マヤ、アステカといった中南米の文明を侵略して滅ぼした。欧州で産業革命が始まるまで、中国は欧州よりずっと豊かで、中国には欧州にない高度な技術やシステムが存在していた。当時の中国は「中華文明」だった。中国には文明と野蛮を区別する「華夷秩序」があったが、この特質も文明の定義と合う。第一次大戦まで中東にあったオスマントルコ帝国も、一時は欧州より豊かで、欧州とは異なる物質的資産を持つ「イスラム文明」が存在していた。

 産業革命で欧州が強く豊かになり、欧州の覇権国となった英国が、アヘン戦争で中国を破って植民地化し、第一次大戦でオスマントルコを滅ぼしたことにより、世界の文明は欧米文明に単一化された。大量生産や交通・通信などの産業技術から、科学の基礎研究、経済学、法学、企業経営や会計、選挙制度、マスコミのプロパガンダ(ジャーナリズム)など国家システムの運営技術まで、すべて欧米文明の産物だ。

 孫文以来の近代中国の指導者たちは、何とか早く欧米文明の技術やシステムを中国に根づかせようと努力した(共産党が見習ったソ連は欧米文明の一形態である)。オスマン帝国滅亡後のトルコでは、ケマル・アタチュルクら指導者が、いかに急いでイスラムを捨てて欧州化するかを考えた。孫文もアタチュルクも、欧米化を急速に成し遂げた日本に学ぼうとした。

 中国では、ナショナリズム(国家への国民の結束を促す強化策)のため、衣服や建築デザインなど中国文化に対する重視が続けられたものの、本質的には、早く中華文明やイスラム文明の残滓を脱し、欧米の技術や国家システムを導入することが自国の発展に重要と考えられた。日本の明治維新(文明開化)も、欧米文明を導入して日本を開化、強化することが目的で、幕藩体制など旧来の国家システムは急いで捨てられた。

 明治維新後の日本は、欧米をしのぐ強国になることをめざし、やがて英米と戦争にまでなったが、日本はドイツと組んでおり、大戦は欧米文明と日本文明の衝突ではなかった。日本では、戦前や1980年代の国力の絶頂期でさえ「日本文明」という概念が出なかった。日本人は、近代以前の自国が中国文明を基盤とし、近代以後は欧米文明を基盤として、それらに改変を加えて日本風にして発展したところに自国の伝統を感じているので「日本文明」を自称しないのだろう。

(ハンチントンは「文明の衝突」で、日本を一国だけの「日本文明」と定義し、日本人を面食らわせた。この事態は、同書が冷戦戦略を文明論で仕立て直そうとした企画書であることを象徴している)

▼幻想の中華文明

 文明とは、地理的概念である。長距離の行き来が非常に困難だった産業革命以前は、アジアと欧州に別々の文明が存在し得たが、産業革命が世界に拡大し、世界中が交通・通信網で一体化した後は、ある地域で発明された技術やシステムがすみやかに他の地域に伝播し、世界に複数の文明が存在することが不可能になった。

 交通通信網の拡大は、欧州の技術やシステム、そして資本主義の考え方に基づくから、この現象は「欧米文明」が世界を恒久的に席巻したといえる。文明の発展は、経済発展と同じ意味だが、交通や通信によって単一市場化した世界を再分断することは、世界の経済発展に明らかにマイナスだ。だから、世界が再び複数の文明の共存が可能な分断状態に戻ることは、巨大な天変地異や世界核戦争でもない限り起こらない。世界が複数文明体制に戻らない限り「文明の衝突」はあり得ない。

 このような視点で現在の中国の台頭を分析すると、中国は「中華文明」として台頭しているのではなく、孫文以来の中国人が欧米文明の技能とシステムを修得する不断の努力を続けた結果、台頭している。今の中国は「中華文明」を捨てて「欧米文明化」を成し遂げたからこそ、急成長し、政治台頭している。

「偉大な中華文明」という言い方は、中国人(漢民族)のナショナリズムを奮い立たせるために流布されているにすぎない。もし今の中国の台頭が「中華文明」の台頭だとしたら、かつて中華文明の傘下にあった韓国や東南アジア、日本などの周辺国が、欧米文明と異なる「新中華文明」の恩恵を受けられるはずだが、そんな事態にはなっていない。欧米文明と異なる中華文明など、どこにも現存していない。文化としての中華風は顕著に存在するものの、中華文明はアヘン戦争とともに死んで久しい。

 私が最初に中国を旅行したのは、中国が自由旅行者に開放された直後の1983年ごろだが、今の中国の都会は、約30年の当時と比べ「日本の都会に似てきている」と感じる。30年前の中国は発展途上国的な混沌が席巻し、人々はやたらとやかましく粗野に話し、私は「中国語は shi ri zhi chi qi とか er化といった特殊な発音があるので静かに話せない言語なのだ」と思ったが、最近の中国の都会に行くと、人々が日本人と同様に静かに丁寧に話すので「何だ、できるじゃないか」と思ったりした(台湾人は昔から静かに話しているが、かつて日本の植民地だった)。

 私から見ると、中国人は「日本人化」した。中国の都会の生活も、多くの人が冷暖房完備のマンションに住むなど、日本や韓国、欧米と大して変わらない。中国は文明化するほど、都会の物質的環境が、アジアで欧米文明化を先行した日本に近いものになっている。これは、中国の発展が中華文明化ではなく欧米文明化であることの表れである。中国、韓国、東南アジアなど、アジアで発展する国々の生活様式は、いずれも日本と似てきている。

 中国は「人民元の対ドル為替ペッグを外せ」と欧米から言われているが、ドルペッグを外して通貨を自由流通させることは、中国が欧米文明の一部としての通貨管理技術を習得したことを意味している。中国は、通貨管理技術の面で、まだ欧米文明を修得し切れていない。(中国が人民元を自由化しないのは、自由化したら米英投機筋が人民元を空売りして乱高下させ、中国経済を破綻させかねないからという理由もある)

▼多極化で進む文明の普遍化

 世界は欧米文明に席巻されているが、そのことと、欧米が世界を政治的に支配してきたこととは別のことである。従来の100年間は、欧米文明の席巻と、欧米による政治的な世界支配(英米覇権)が当時に起きていた。文明的に先行した欧米が、他の国々を支配する(影響下に置く)のは当然だった。しかしここ数年、米国の経済面、政治軍事面での(意図的な)大失敗の結果、米英覇権は瓦解に瀕し、世界の覇権は多極化している。今の世界の文明基盤を作ったのは欧米だが、政治的には欧米が単一覇権だった状態が終わりつつある。

 戦後の高度成長の過程で、日本は製造業の技術面で世界にかなり貢献した。日本は、欧米文明を取り入れた後、欧米文明の高度化に貢献をした。FTなど欧米の新聞は、今後の世界経済を牽引するのは中国インドなどアジア勢だと予測している。今後、欧米文明の摂取期を卒業し、高度経済成長に入りそうな中国などアジア勢は、従来の日本と同様、欧米文明の高度化に何らかの貢献をするだろう。

 日本は欧米文明の牽引役の一つとなっても、国際政治の牽引役になることを拒否したが、中国は政治的なアジアの地域覇権国になる方向がほぼ確実だ。インドやロシア、中南米、中東なども、政治的に米英からの自立が進むとともに、欧米による抑制や分断策から解かれ、経済成長の可能性が増す。世界は物質的には欧米文明を基盤とするものの、その文明の高度化は、欧米以外の国々の貢献が大きくなり、同時に政治的にも覇権構造の多極的な非欧米化が進むだろう。(これと逆方向の米英覇権の延命策も行われているので、多極化の進行速度は確定しがたいが)

 この多極化の傾向を踏まえると、この100年間に世界を席巻した「欧米文明」は、文明としての単一性が今後も維持されるものの、今後は牽引役が非欧米諸国になって、「欧米文明」ではなく、もっと普遍的な「世界文明」と呼んだ方がふさわしいものに変わっていくだろう。

 世界で「文明の衝突」は、第一次大戦で英国がオスマントルコを倒して以来、起きていない。しかも、トルコの敗北は第一次大戦の中心テーマでない。2度の大戦の中心テーマは、欧米文明の内部で、ドイツや日本といった後発の諸国が、先進の英国などよりも欧米文明の導入を効率的にやり遂げ、英国の覇権を壊そうとした結果、戦争になったことだ。2度の大戦は、文明の衝突ではなく、国民国家間の競争という欧米文明の構造から起きた戦争である。この戦争誘発構造を乗り越えるため、国際連盟や国際連合、そして最近ではEUが作られ、世界を政治統合に向けて動かしている。

 文明の衝突でなく、世界文明の内部の国家間抗争として、米中や米露、印中など、ハンチントンも懸念する地域覇権勢力間の戦争が将来も起こらないとは言い切れない。だが、中露印などBRIC諸国は、国連やG20など世界の政治統合に協力的であり、その意味で小競り合い以上の戦争は起こりにくい。

「しかしグーグルはどうなんだ」「中国における言論弾圧は文明に逆行している」と言う人がいるかもしれない。これについては次回に書く。



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ガザ戦争の危機再び

2010年1月14日  田中 宇

 ここ一週間ほど連日、中東ガザのイスラム主義勢力が、イスラエルに対して短距離ミサイルを撃ち込む行為を約1年ぶりに再開している。08年末から09年初めにかけて起きたガザ戦争(Operation Cast Lead)は、同様の短距離ミサイル攻撃が続けられたことに対し、イスラエル軍がガザを空爆したことによって起きている。1年前の戦争が再演される懸念が増している。(Israel needs to rethink its Gaza strategy before it's too late

 短距離ミサイルは精度が低く、イスラエル側の畑や空き地に着弾し、今のところイスラエル側の被害は少ない。だが、一昨年末も同様の状況でイスラエル国内の世論が激昂して好戦的になり、報復的な空爆に至った。すでにイスラエル軍は、ガザに近い地域の国内住民に対し、戦争を覚悟するよう広報している。(IDF issues warning to Gazans after mortar barrage on Israel

 ミサイルを撃っているのはガザを支配しているハマスではなく、他の中小のイスラム武装組織であり、ハマスは中小組織に攻撃をやめるよう圧力をかけているというが、本気の圧力かどうかわからない。国際世論はイスラエルに不利に、ハマスに有利になる傾向が続き、次にイスラエルがガザを大規模に空爆したら、国際世論におけるハマスの有利が強まる。ハマスが中小組織にロケット攻撃をやらせている可能性もある。(Hamas Wants Militant Groups to Halt Rocket Fire

 欧州では、英国などの市民団体(Viva Palestina)がガザに人道援助を送ろうとして、エジプトやイスラエルに邪魔された。EU議会やEU各国議員の合計50人の政治家によるガザ訪問の計画も出てきた。EUは、パレスチナ人の願望だがイスラエルの拒否によって実施できていない「エルサレム分割案」(エルサレムを二分し、それぞれをイスラエルとパレスチナ新国家の首都とする案)への支持決議を検討しており、パレスチナ側を支持してイスラエルを非難する姿勢を強めている。(50 European MPs to visit Gaza)(EU foreign ministers likely to call for division of Jerusalem

 米政府でもパレスチナ和平担当のミッチェル特使が、ヨルダン川西岸地域での入植地建設をやめないイスラエルに業を煮やし、米政府がイスラエルに与えている債務保証を凍結するという経済制裁をするかもしれないと、米テレビのインタビューで表明した。(Likud MPs Slam US 'Threats'

 米国は、イスラエルの仇敵であるイランを許してしまうこともやっている。米政府は昨年秋「年末までにイランが核開発をやめる方向性を示さない場合、来年(2010年)初めにイランを制裁する」と言っていたが、イランがこの警告を無視して何も米側に返答しないまま年明けになると、クリントン国務長官は「イランが回答してこなければ制裁するが、回答の期限は設けない」と方針を修正した。米国は、イランからの回答を無期限に待つと表明したわけで、イランが何も回答しない限り、米国はイランを制裁しないということだ。米国はアフガニスタンを安定させるため、アフガンの隣国であるイランの協力か必要なので、イランを許したという解説が流布している。(Obama finally forswears tough sanctions on Iran. Jerusalem says nothing

 かつては中東有数の親イスラエル国だったトルコの反イスラエル化も続き、年明けにトルコがガザで人権侵害を続けるイスラエルを非難し、イスラエル外務省高官が「トルコに非難する資格などない」とやり返し、トルコ政府がイスラエルとの国交断絶も辞さずと最後通牒を突きつけると、イスラエル側が謝罪するという事件も起きた。トルコへの謝罪は、国際政治におけるイスラエルの弱体化を象徴している。(Turkey envoy: Israel shamed me more than ever in my career

 スウェーデンの新聞(Aftonbladet)は昨年夏、イスラエル軍の医師が遺族に無許可でパレスチナ人の遺体から臓器を抜き取って販売することを黙認されていたと報じた。その後、スウェーデンとイスラエルの政府間で対立が起きたが、これも昨年末、イスラエル側が臓器抜き取りの事実を部分的に認めることで一段落した。イスラエルは「731部隊」的な悪者にもなっている。(Israeli military admits to organ harvesting

▼いろいろやっても実らない和平交渉

 イスラエルが、自国の不利がひどくなる中でガザに再侵攻したら、世界的なイスラエル非難が強まる。昨年のガザ戦争に対し、国連の人権理事会は、イスラエルが戦争犯罪を犯したとする「ゴールドストーン報告書」を出した。国連では、安保理事会(合法な世界的制裁発動ができる唯一の組織)で、パレスチナ和平を進めないイスラエルへの制裁を決議すべきだという主張が強まったが、米国が拒否権を発動して葬った。今年、イスラエルがまたガザに侵攻したら、米国も国際世論に押され、安保理の拒否権発動ではなく「棄権」に転換し、国連でイスラエル制裁が可決される事態になりうる。イスラエルはハマス以上、サダム・フセイン並みの悪者にされかねない。(オバマのノーベル受賞とイスラエル)(パレスチナ和平の終わり

 イスラエル政府は、昨年初めのガザ戦争をハマスとの停戦合意によって終えた後、事態を改善しようとハマスやパレスチナ自治政府(PA、アッバス大統領)と和平交渉したが、うまくいかなかった。イスラエルとハマスは昨年秋から、ハマスが捕虜にしているイスラエル軍兵士ギルアド・シャリートを釈放する代わりに、イスラエルが拘束している約1000人のパレスチナ人を釈放する交渉を行い、昨年末には「数日内に話がまとまる」と報じられたが、結局まとまらなかった。(Hamas: Shalit deal won't be sealed in near future

 ネタニヤフ首相は、この「1000対1」の相互釈放でハマスとの対立解消を狙ったが、イスラエル政界の右派は、ハマスの譲れない主張である「マルワン・バルグーティ釈放」に反対して交渉を潰した。バルグーティは、ハマス(ガザ)とPA(西岸)を和解させられると期待されている数少ないパレスチナ若手指導者である。(Lieberman Deputy: I'll Fight Any Shalit Deal That Frees Barghouti

 昨年の秋から年末にかけて、イスラエル、ハマス、PA、サウジアラビア、エジプト、EU、米国などが、各種の和平構想を公式ないし隠密に出したが、どれもうまくいかなかった。そして今年に入り、ガザからイスラエルに再び短距離ミサイルが撃ち込まれ出している。ハアレツ紙によると、イスラエル軍はすでに再戦争の準備をしている。(Israel's looming war in Gaza: Can Obama stop it before it starts?

 エジプトに隣接するガザでは、国境下に掘られた無数の密輸用地下トンネルを通り、エジプトから武器が搬入されてきた。イスラエルとエジプトは、トンネル潰しや国境の隔離壁構築に余念がない。ガザが再戦争になると、エジプト国内ではハマスの兄弟組織であるイスラム同胞団(非合法政党)への支持が強まり、ムバラク親子(父は死期が近く、息子は権威がない)の独裁体制を壊しかねないので、エジプト政府も必死である。(Israel to build $1.5b fence along Egypt border

 12月には、ハマスを支援しているイランのラリジャニ国会議長がエジプトを訪問した直後、エジプトのムバラク大統領が80歳代の高齢を押して急遽サウジアラビアなどを訪問し、イラン、エジプト、サウジという中東の3大国が新たな中東和平でまとまりそうな気配を見せた。1月7日には、サウジとエジプトがまとめた和平案がホワイトハウスに提示された。しかし、こうした新和平策も、ガザが再び戦争になったら徒労に終わる。(Mubarak on urgent trip to Gulf about Iran's reconciliation move)(New Egyptian-Saudi peace plan to be presented to Obama Friday

 イスラエルには、パレスチナやサウジとだけでなく、仇敵のはずのイランとも和解することで自国の存続を図ろうとする動きもあり、先日はイスラエル軍の核担当者だった元将軍が「イランは核兵器を開発していない」という意味の発言を発した。しかし、こうした政治的な観測気球の打ち上げは、ほとんど無視されて終わっている。(Israeli Ex-Nuke General: Iran Is No Nuclear Threat

▼パレスチナ問題は帝国と資本の相克

 イスラエル政界では、事態が戦争に近づくほど、好戦的な右派が強くなる。イスラエル右派は上層部が、米国のネオコン(ユダヤ系主体の軍事強硬派)と同様、親イスラエルのふりをして実はイスラエルを潰そうとしている隠れ多極主義者で、イスラエル政界で和平の動きが出てくるたびに、パレスチナ側との敵対を扇動して潰しにかかる。一般に敵対の扇動は、和平の推進よりずっと簡単だ。イスラエルが和平を実現するのは非常に難しい。最近は世界の世論がパレスチナ寄りになり、パレスチナ側も「イスラエルが入植地を撤退しない限り和平には応じない」と断言している。イスラエルでは右派が政府の抑止を無視して入植地を拡大し、和平を阻止している。(反イスラエルの本性をあらわすアメリカ

 私の推測では、ネオコンやイスラエル右派は実行部隊にすぎず、隠れ多極主義者の黒幕はユダヤ人が多い「ニューヨークの資本家」である。彼らがイスラエルを潰したい本質的な理由は「イスラエル嫌悪(ユダヤの敵はユダヤ)」ではなく「イスラム世界を怒らせることで欧米支配から解放して自立させ、経済成長させ、そこに投資すること」(資本の論理)である。これは、以前の記事に書いた「帝国と資本の相克」の一部である。(資本の論理と帝国の論理

 欧州が英国発祥の産業革命によって急発展するまで、オスマントルコなどの中東は、欧州に負けない強さを持っていた。それだけに英国主導の欧州は、第一次大戦でトルコを解体した後、中東を恒久的に分断しておく必要を感じ「番犬」としてイスラエルの建国を許した。英国中枢には「帝国支持」(のちの米英中心主義)と「資本の論理支持」(多極主義)の両派があり、帝国派は英国覇権の恒久化を狙ったが、資本派は英覇権を解体して多くの独立国を作り、欧州以外の地域を発展させ、そこに投資して儲けることを画策した。豊富な石油がある中東イスラム諸国は、経済大国になる潜在力を持っている。

 帝国派はイスラエル建国を画策し、資本派はイスラエル建国に反対した。イスラエルは建国したが、ニューヨーク資本家の肝いりで作られた国連は、その直後にパレスチナ国家の創設やエルサレム分割を決議し、イスラエルの正当性を制限した。その後、中東イスラム諸国は、冷戦で「ソ連寄り」のレッテルを貼られて発展を阻止され、冷戦後は911後の「テロ戦争」によって「恒久的な悪」にされかけた。

 100年の暗闘は帝国の勝利に推移するかに見えたが、帝国派の内部にはネオコンやチェイニー前副大統領といった「帝国派のふりをした資本派のスパイ」(隠れ多極主義者)がおり、彼らはテロ戦争を過剰にやって失敗させ、イスラム世界を激怒させ、団結させて強化し、イスラエルを不利に追い込んでいる。2006年夏、イスラエルを騙してレバノンに侵攻させたのがチェイニーだったことは、中東分析者の間では知られた話である。(大戦争になる中東(2)

 隠れ多極主義者でないイスラエル中枢の人々は、米中枢にイスラエルを潰そうとする勢力がいることをすでに知っており、米国が画策する中東大戦争(イスラエルとイランの戦争)に引き込まれるのを避けようとしている。だが、イスラエル国内で右派が強いため、最終的に戦争を防ぐ唯一の方法であるパレスチナ和平の道は閉ざされている。

▼イスラエルが消えると石油が上がる

 米国を信頼できなくなったイスラエルは、EUの協力を得たいが、イスラエル右派は「ホロコースト」を使ったドイツ(EUの中心国)に対する脅しと「賠償金」のむしり取りを続けており、イスラエルとEUとの信頼関係は強まらない。1970年代以来、ホロコーストをプロパガンダ的に誇張してきたのはイスラエル右派と米ネオコンである。(Israel to seek another 1b euros Holocaust in reparations from Germany)(Time for Germany to reassess its relations with Israel)(ホロコーストをめぐる戦い

 イスラエルがうまくやれば、今回のガザ危機も、大戦争につなげずに回避もしくは短期で停戦できる。しかし、恒久和平への道が閉ざされている以上、イスラエルは和平と戦争の間の不安定な延命状態を脱せない。その間に、イスラエルの敵であるイランやハマスやヒズボラは国際社会で正当性を認められていき、国連は反イスラエルの傾向を強める。

 レバノンなどにいるパレスチナ難民は、イスラエルへの帰還権を放棄せず、すきあらばイスラエルの土地(パレスチナ)を軍事的に奪還しようとする。レバノンやシリアの政府は、パレスチナ難民に自国の市民権を与えないことで、イスラエルに反攻させようとしてきた。難民がいる限り、イスラエルは安定を得られない。以前は仇敵だったレバノンのハリリ政権とシリアが最近和解し、イランからシリアを経由してヒズボラに渡される武器の量が増えている。(Hariri visit seals a good year for Syria

 イスラエルは「レバノンに軍事援助する国を制裁せよ」と世界に呼びかけたが、レバノンに軍事援助する主要国の一つは米国だ。米国は、以前にレバノン政府とヒズボラが対立していた時期に、ヒズボラと戦うレバノン政府を支援する名目で軍事支援を開始したが、レバノン政府がヒズボラと仲良くなった後も、依然としてレバノンを軍事援助している。米国はこの点でも「隠れ親ヒズボラ(隠れ反イスラエル)」である。イスラエルは「米国の支援はヒズボラには渡っていないはずだ」と言っているが、そんな確証はない。(Israel tries to block military aid to Lebanon

 中東イスラム諸国が団結できれば、すでにかなり欧米から奪回している石油利権を使って、国際政治的な台頭と経済的な発展が可能になる。その分、イスラエルはさらに不利になるが、中東イスラム世界にとっては、新たな発展の時代の始まりとなる。未来は、イスラエルにとって暗いが、中東のイスラム教徒にとっては明るい。イスラエル国家は消滅するかもしれないが、イスラエル人の多くは「帰国」前に住んでいた国(東欧、ロシア、米国など)との二重国籍だ。もともといた国に「投資」と称して家を買ってある人も多い。

 イスラエルは米国の政治を牛耳ってきただけに、イスラエルが今後どうなるかは、基軸通貨としてのドルの地位が今後どうなるかという問題と並び、世界の覇権構造にとって大きな話である。イスラエルの力が縮小ないし消滅すれば、サウジアラビアなどペルシャ湾諸国が安全保障を米国に頼る必要が減り、イランとサウジ、イラクが談合して石油利権の非米化に拍車がかかり、石油価格は超高値安定になりそうだ。



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アジア経済をまとめる中国

2010年1月10日  田中 宇

 昨年12月14日、中国の習近平副主席が訪日した際、日本での報道は、鳩山首相や小沢一郎が宮内庁の「1ヶ月ルール」を破り、習近平が天皇陛下に会えるようにしたことに集中していた。だが私が見るところ、習近平の訪日の主目的は天皇に会うことではなく、日中が自由貿易圏(FTA)を設立するための地ならしが目的だった。(Japan-China FTA part of Xi's agenda)(Vice President Xi calls for closer ties

 中国は、今年の元旦から東南アジアASEANとのFTA(CAFTA)を発足し、韓国ともFTAの話し合いに入ろうとしている。中国がめざすのは、ASEAN+3(日中韓)の13カ国で20億人規模のFTAを作り、その中心に位置することだ。このFTAは、鳩山政権が提唱する「東アジア共同体」と同じものだ。中国は、台湾ともFTA的な協定(ECFA)について交渉している。中国、香港、台湾という大中華圏の主要企業500社の平均株価を新設する予定もある。(Biggest regional trade deal unveiled)(China set to launch new Greater China region stock indices

 習近平は2012年に胡錦涛から国家主席の座を禅譲されそうだが、最短で進むと、ちょうどそのころにASEAN+3の東アジアFTAが立ち上がる。その関係で、今後、中国高官の中で習近平が東アジアFTAの話を進める局面が多くなるかもしれない。習近平は先月、日本、韓国、ミャンマー、カンボジアを歴訪したが、いずれの国でも貿易体制作りが訪問の主眼だった。ミャンマーとカンボジアは、ASEANでも後発4カ国のうちの2つ(残りはベトナムとラオス)で、中国が政治的な後見役を担っている。(Free trade with China

 日本にとって、中国とのFTA締結は日米同盟の解体を意味しうる。だから、日中FTAが実現するのは今後、米国が財政金融面で瓦解感をもっと強め、日本人が米国覇権の終わりを実感し、対米従属の国是から脱する踏ん切りをつけた後だろう。日中FTAは時間がかかりそうなので、中国は、日本より先に韓国とのFTAを締結しようとしている。習近平は訪韓時に「FTAを結べば、中韓間の貿易量は5年で倍増する」と宣伝し、李明博大統領とFTA交渉の本格化で合意した。(China's Xi Positive About East Asian Economic Bloc

▼米経済崩壊に対処するためのアジアFTA

 従来は、日中韓もASEANも、経済発展の原動力は対米輸出だった。しかし、08年秋のリーマン・ブラザーズ倒産以来、米国は不況で、連銀のゼロ金利貸し出し(量的緩和)や、財務省の米国債増発による景気テコ入れ策で、経済を何とか持たせている。今年は、米国の景気が上向くとマスコミは予測するが、好転の要因の大半は連銀と米財務省によるテコ入れ策だ。連銀はドルの過剰発行を米議会から非難され、量的緩和策の主力である不動産担保債券の買い取りを今年3月末でやめることにした。4月以降、米国の景気が再び悪化する可能性が増す。連銀が債券買い取りをやめると、米国の不動産価格が20%下落し、銀行の貸し倒れが急増すると予測されている。(Fed Plan to Stop Buying Mortgages Feeds Recovery Worries)(Fed signals pullback in liquidity support

 米国債(財政赤字)も過剰発行で、米国債を大量購入してきた中国当局は、昨春から何度も米国の政策に懸念を表明している。オバマ政権は、連邦政府の来年度予算(今年7月から)に歳出削減など赤字の大幅削減策を盛り込む予定だ。これが実施されると財政赤字が減り、中国や日本、サウジアラビアなど、米国債を大量購入してきた国々はやや安心するが、その一方で米政府の景気対策が手薄になり、景気を悪化させる懸念がある。大恐慌が終わったと思って金融を引き締めたら恐慌がぶり返した「1937年の大失敗」が繰り返されると警告されている。(How Deficit Hawks Could Derail The Recovery

 ドルの将来や米政府の経済政策に懸念を表明してきた中国政府は、米国の景気回復が政府のテコ入れ策だけに頼る脆弱なものだと知っているはずだ。中国は、米国の景気が回復せず、アジア諸国が対米輸出で儲けられなくなる事態に備え、ASEAN+3の自由貿易圏(東アジア共同体)を早く作り、アジア域内の需給関係でアジア諸国の経済が回る新体制に転換しようとしている。早ければ米経済は今年じゅうに再崩壊するかもしれないので、東アジア共同体作りは急ぐ必要がある。(Chinese Central Banker Zhu Says dollar Set to Weaken

 日本では昨年末、日銀総裁が1年ぶりにテレビ出演し、ゼロ金利策を今後もずっと続けると宣言したが、この発言の真意は、ドルが崩壊して円が急騰しかねないので、円を意図的に弱くするためにゼロ金利策の永続を宣言せざるを得ないのだろう。先日、藤井裕久に代わって財務相となった菅直人が、就任日に円安誘導発言をしたのも同様の流れだ。米国の金融財政策の行き詰まりによってドルが潜在的に危機なので、日本の当局が必死に円安誘導しないと為替を安定できなくなっている。(Shirakawa Says BOJ to Fight Deflation `Persistently'

 日本政府は、もう米市場に頼れないので中国と共同市場を組まねばならないと知っているだろう。だが日本では、いまだに対米従属策としての反中国プロパガンダ体制が強いので、公人が大っぴらに「日中FTA」や「ASEAN+3のFTA」を提唱できる政治状況にない。しかし、米国の経済覇権崩壊が近い以上、中国やASEANとのFTAを結成しなければ、将来の日本にとって経済的な大損失となる。アジア経済が中国中心になっていくのをしり目に、米国はいずれカナダやメキシコ、中南米とのNAFTA体制を再び構築し、アジアとの関係は後退するだろうから、中国と経済面で組まない場合、日本は孤立を深め、マイナス成長を続けて貧しい国に戻っていくことになる(日本人がどうしても中国を嫌いなら、自ら貧しくなる鎖国策が適切だが、日本人の大半はマスコミが作ったイメージにだまされて反中国になっているだけだ)。(Trading Away Asia-Pacific - U.S. cedes advantage to China)(The yuan lies in waiting

 日本の民主党政権は、いくつもの側面で、長かった自民党政権時代に作られた対米従属プロパガンダ体制(外務省やマスコミ)との戦いを強いられ、直接的に政策を発表できず、代替策として、政権内部で意図的な右往左往を演じつつ、最終的にやりたい政策を実行するという迂遠な手法をやっている。沖縄の基地を、沖縄県民や、連立与党である社民党の「怒り」を使って、最終的に日本国外に出そうとしているのが一例だ。中国との関係改善も、対米従属プロパガンダ機関と化したマスコミを煙に巻きながら進められている。

▼日中FTAの準備としての歴史観すり合わせ

 日中や日韓がFTAを組むには、経済以前に政治的な対立を解消せねばならない。日中間には、両国の専門家10人ずつで構成する「日中歴史共同研究委員会」がある。同委員会は、日中双方で政治利用されがちな歴史観の問題について、日中両国の認識が本当はどれほど違うのかを整理し、歴史の政治利用をやめさせることを主目的として06年に作られ、昨年末、歴史観のすり合わせの範囲を第二次大戦の終戦までにとどめ、戦後の中国現代史への検討を避けることで、民主化や人権といった中国政府が嫌う問題を扱わず、戦時中の南京大虐殺問題については両論併記で最終報告書をまとめることにした。(日中歴史共同研究、「南京事件」は両論併記へ

 日中の歴史観すり合わせが終わったら、次は「鳩山が南京を、胡錦涛が広島を訪問する」という構想が出てきた。歴史観をすり合わせるなら、胡錦涛が訪問すべきは広島ではなく「靖国」だろうが、来るべき多極型世界での日中の力関係からすれば、日本がそれを望むのは「過分なこと」になるのだろう。国際認知としての大戦の戦勝国と敗戦国という片務関係もある。

 民主党政権は、靖国代替施設を考えているので、早く代替施設を作り、そこに胡錦涛を訪問させる手もあるが、そもそも靖国重視が戦後の日本で喧伝されたのは、中国が靖国を嫌悪しているからであり、靖国喧伝は冷戦策・対米従属策の一環である。戦死者は、国のために公務で死んだのであり、その廟を敬愛するのは末代の国民として望ましいが、その廟を、中国や韓国朝鮮との関係を悪化させておくために政治利用するのは、まつられている英霊に対して失礼であり、間違っている。(短かった日中対話の春

 日本では「鳩山政権は政策に実体がない」「毅然とした実行力に欠ける」という世論が多いが、毅然として明確に発言したらプロパガンダ装置に潰される。支持率がかなり下がっても、対抗馬の自民党が復権する可能性がないので、鳩山政権は「対米従属からの離脱(対等な日米関係)」「中国との親密化(東アジア共同体)」など、大枠の方針だけを明示し、具体策は曖昧にしたまま進めている。政府が国民を煙に巻くのは民主的でないが、世論を形成するマスコミがプロパガンダで偏向している以上、情報操作のない民主主義にならない。また、今のような歴史的な移行期には転換が潜在的(暗闘的)に進み、いずれ暗闘に不可逆的な勝敗がついた後、崩壊的に転換が顕在化するのが歴史の常である。

▼米国傘下から中国傘下に移る東南アジア

 元旦に発足したASEANと中国のFTA(CAFTA)は、東南アジアにとって歴史的、地政学的な大転換である。ASEANが結成されたのは1967年だが、この年、英国はスエズ運河より東のアジア地域(スエズ以東)における軍隊の駐留をやめる新戦略を発表した。英国は、19世紀初めからアラビア半島、インド、マレー半島、香港といったスエズ以東の地域を、フランスやオランダといった英国のいうことを聞く国々と組んで支配していた(フランスは、英国のライバルを演じるが、実は英が仏を破って傀儡化した1815年のナポレオン戦争以来、外交の重要事項において英国の言いなりである)。(East of Suez, From Wikipedia

 英国は、第二次大戦で東南アジアに進出した日本を破った後、インドやパキスタンの独立を認めつつ、マレー半島などに限定的な支配(英連邦体制)を残存しようとした。だが、英国自身の国力の低下に加え、戦後の覇権国となった米国が植民地支配を嫌い、1957年に英仏がエジプト支配を持続しようとして米に止められたスエズ動乱などが起きた結果、英国はアジアでの覇権を放棄した。そして英国の覇権放棄と同時に、米国は、東南アジアでの冷戦体制として、タイなど5カ国にASEANを作らせた。ASEANは、日米安保と並ぶ、米国が作ったアジア覇権の一部だった。

 そのASEANが今年から、中国との自由貿易圏(CAFTA)を形成する。これを「たかが貿易だけじゃないか」「完全な無関税体制ではない」と軽視するのは間違いだ。CAFTAは人民元を決済通貨として使う計画を開始し、今後何年かかけて東南アジアの基軸通貨はドルから人民元に切り替わる。東南アジア諸国は、1997年のアジア通貨危機の際、ドルと自国通貨の為替市場を米英の投機筋に壊され、米国傘下のIMFから厳しい財政切り詰めを強要され、苦渋の数年をすごした。基軸通貨がドルである限り、米英は東南アジアを通貨や財政の面から支配できる。人民元が基軸通貨になることは、東南アジアが米国の覇権下から中国の覇権下に移転することを意味している。

 中国が画策する東南アジアでの人民元利用は、慎重だが周到だ。今はまだ人民元自体がドルに為替ペッグしており、人民元の国際流通も限定的だが、中国政府は昨年末から、ラオスとミャンマーに国境を接する雲南省と、ベトナムに接する広西壮族自治区の企業に対し、ASEANとの貿易において人民元を使うことを許可した。中国政府は以前から、雲南や広西を東南アジアとの陸路貿易の拠点として発展させようと、道路などインフラ整備に力を入れてきたが、香港などを経由する海路貿易からの転換が思ったように進まず、国境地帯の産業の大半は、中国人が隣接国に越境して行う買春や賭博、それから違法品の密輸だった。(China to Expand Influence in SE Asia via FTA

 雲南と広西を経由すると東南アジアとの貿易決済に人民元が使えるようにしたことで、雲南や広西がようやく本当の貿易拠点になり、中国沿岸部からの企業誘致にはずみがつき、地元の人々が沿岸部に出稼ぎにいかなくてすむようになる可能性が出てきた。東南アジアでの人民元の利用拡大は、中国国内の均衡ある経済発展策もかねる構造となっている。中国は、マレーシアやインドネシアと通貨スワップ協定を結び、米英の投機筋から攻撃されたときに相互に資金を融通して助け合う仕掛けも作った。

 CAFTAの自由貿易圏の開設は、東南アジアが米国から中国の覇権下に移転する動きの象徴であり、いずれ日本と韓国がこのFTAに参加し、もしかするとオーストラリアとニュージーランドも参加して、東アジア共同体に発展する流れの始まりである。

 覇権の移転は短期間の動きではない。東アジアFTA構想の始まりは、冷戦が終わった1990年、マレーシアのマハティール首相が提唱したEAEC(東アジア経済協議体)である。EAECは米国抜きの構想で、世界が多極型に転換した後も米国の覇権を維持したいと考えていた米クリントン政権がこの構想に反対した結果、米国も入れたAPEC(アジア太平洋経済協力閣僚会議)となった。米国は、90年代にはEAECに反対したが、今ではCAFTAを黙認している。クリントン政権は米国の覇権を守ろうとしたが、ブッシュ政権は覇権を自滅させ、国力が低下してから就任したオバマ政権は、多極化を容認せざるを得ない。

 日本では「東アジア共同体」を鳩山政権の発案と思う人が多いが、実はそうではなく、東アジア共同体の構想は自民党時代から存在しており、自民党系の「東アジア共同体評議会」は中曽根康弘元総理を会長として04年に作られた。しかし、外務省など政府内の対米従属派の抵抗は強く、リーマンショック後に米国の破綻色が強まった昨年まで、東アジア共同体構想は日本で事実上お蔵入りしていた。

▼中国覇権は米英覇権より悪いか

 中国が覇権国になったアジアはどんな状態になるか、まだ見えていない部分が多い。たとえば、東南アジアでの決済で人民元が使われるようになった時の、日本円の地位はどうなるのか。日中が参加する東アジア共同体ができると、円と人民元やその他の諸通貨を包括したアジア共通通貨があった方が良い。それはすでに2002年以来、アジア開発銀行やASEAN+3で構想されているが、まだ流通可能な具体的なものになっていない。(静かに進むアジアの統合

 政治的には、覇権国としての中国は、米英よりも「安定」を重視するだろう。米英は、支配下にある国々の内政を操作して相互に敵対させ、米英の恒久的な介入が必要な状況を意図的に作り出すなど、地域の安定を軽視し、支配維持を重視していた(朝鮮半島の南北恒久分断や印パの恒久対立など)。最近の中国は、覇権国になることを意識して「安定が大事だ」と繰り返し表明している。

 たとえば中国は、北朝鮮に対して経済安定化のために市場経済の導入を求め続け、北朝鮮の金正日はそれを受け入れつつも、昨年末に突然の通貨切り上げ(既存通貨の無効化)をやり、中国に対して隠然と反抗的な態度をとっている。中国は、金正日政権にかなり手を焼いているはずだが、北朝鮮を公式に非難することはない。安定が重要だからである。これは、ミャンマーやカンボジアなど、政治が不安定になりやすい東南アジアに対しても同様だ(習近平が日韓の後に2国を訪問した意味はそこにある)。

 米英は人権や民主、言論の自由を重視するが、中国はこれらを軽視ないし無視する。この点も、日本や欧米人の反中国感を強めているが、米英が世界戦略として人権や民主を重視したのは、米英が人権と民主において世界最先端のイメージを維持する半面、米英の支配対象の国の多くは人権や民主を守れない状況に追い込まれ、米英の優位を維持できたからである。英米は、人権や民主を世界支配の道具に使ってきた。国際的なマスコミ自体が英米の創造物なので、英米は自分たちを「正義」として、敵国を「悪」として描く国際イメージ戦略に長けている。人権や民主を名目とした米英による軍事侵攻も、イラク侵攻までは「良いこと」とされていた。中国の言い分は、民主や人権は米英が第三世界を支配するための道具なので、軽視しても良いというものだ。

 近年の日本では、プロパガンダの浸透の結果、中国を理解しようとする分析行為そのものが「中国におもねること」とされて非難中傷される。中国を敵視する文章を書いている限り、マスコミから重宝される。しかし「まず敵視ありき」で、中国が台頭する(米国が中国を台頭させる)世界の現実を見ない日本人が多いままだと、日本は閉塞するばかりだ(すでに日本は、世界の現実を見ないがゆえに、かなり閉塞している)。日本が経済成長を続けるつもりなら、中国との関係強化が不可欠である。中国は米国に比べ、外交面で抑圧的な国ではない。

 日本人が、中国に支配される懸念を持っているなら、中国を嫌うのではなく、中国に負けないよう自国を強化すればよい。たとえば中国は、覇権国になる準備として太平洋とインド洋のシーレーン(航路)を自主防衛するため軍事力を拡大している。日本は、米国の覇権が失われたら、米国にシーレーンを守ってもらえなくなり、自分で守らねばならなくなる。その際、中国やASEANなどと協力すれば、効率的に防衛ができる。ASEAN+3(東アジア共同体)は安全保障面の協議もしており、シーレーンの共同防衛を協議できる場だ。

 日本人が陥りそうな最悪の未来は、無為無策のまま、対米従属ができなくなった後、対中従属に切り替えてしまうことである。日本は、中国の良きライバルになることが必要だ。シーレーンだけでなく、石油や食糧などの資源も、日本はいまだに米国企業などからの購入だけが頼りだが、中国はすでに海外で独自に資源利権を拡大する巧妙な戦略を展開している。日本も遅まきながら同様の国際展開をやれるはずだ。この件については、改めて書く。



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中国のバブルが崩壊する?

2010年1月5日  田中 宇

 今年の世界経済のキーワードになりそうなものの一つは「国家財政危機」(公債危機。Sovereign Debt Crisis)である。昨年11月にドバイの政府系企業ドバイ・ワールドが事実上の債務不履行に陥って以来「2010年は国家財政危機の年になるだろう」といった予測をよく見かけるようになった。(Could sovereign debt be the new subprime?

 08年のリーマン・ショック後の金融危機と、不況への対策として、各国は財政赤字を急増して景気対策や銀行救済をやったが、その結果、米英やEUの一部諸国、日本などは、巨額の財政赤字を抱えている。赤字増を放置すると、国債が忌避され金利が高騰し、財政危機に陥るが、赤字を減らそうと増税や支出減をやると、国民の怒りをかって政治不安に陥る。今後の数年間に、世界中の先進国から途上国までのあちこちで、経済と政治の危機が起きそうだ。(Moody's warns of 'social unrest' as sovereign debt spirals

 以前の記事「ユーロの暗雲」に書いたように、財政破綻するのは米英が先か、ギリシャなどを皮切りとするEUが先かという感じだが、英米とEUが先を争うように財政難を深めていくと、漁夫の利を得て台頭しそうなのは、中国に象徴される新興市場諸国である。(◆ユーロの暗雲

▼中国は今年、日本を抜く

 中国は今年、日本を抜いて、米国に次ぐ世界第2位の経済大国になる見通しとなった。中国政府は昨年12月25日、2008年(一昨年)の経済成長率が、これまで発表してきた9・0%ではなく9・6%だったと上方修正した。中国では、製造業に比べてサービス業の生産総額の把握が難しい(企業が脱税のため帳簿に載せない取引が多いためだろう)。(China revises up 2008 growth to 9.6 per cent

 中国政府が精査したところ、サービス業の総規模は従来考えられていたより大きく、GDPの40・1%ではなく41・8%だった。この分が上乗せされ、中国のGDPは上方修正されて4・52兆ドルとなり、今年中に日本(4・9兆ドル)を抜くことが確実となった。(CHINA: Deep Concerns Amid Rapid Economic Growth

 国民国家の歴史が長い欧米や、お上に対する下々の服従意識が強い日本では、政府が課税のために、企業や個人の経済行為を詳細に把握している。だが中国では、政府が経済成長を重視し出したのが1980年代で、人々の商魂がたくましすぎる(脱税・節税に余念がない)こともあり、当局が人々の経済行為を詳細・正確に把握する制度が確立していない。中国では、所得の申告漏れが非常に多く、億万長者(資産10億ドル以上)の数は、把握されている人数(130人)の2倍はいると考えられている。(China's rich throw lifeline to the West

 中国では、公式に把握されないまま急速に経済成長し、高級品もよく売れている。中国と香港の株式市場では昨年、新規上場株の総額が516億ドルとなり、265億ドルだった米国の2倍になった。上海と深センの株式市場は、08年9月のリーマンブラザーズ倒産から昨年6月まで株式の新規上場を中止していたが、それでも中国(香港以外)昨年の上場総額は244億ドルと、米国に匹敵する額だった。(China eclipses US in initial public offferings

▼経済を把握できず供給過剰を繰り返す

 しかし、こうした繁栄の一方で、経済状況が把握しにくく、成長神話だけ先行する状況下で投資が行われる結果、あちこちで過剰投資のバブル状態が発生する。中国政府は昨年10月、アルミニウムや鉄鋼、セメントなど7つの原材料品目の生産設備が過剰になっていると宣言し、アルミ精錬所新設の3年間の凍結など、設備の増設を抑制した。投資ブームの中、国有銀行は原材料の製造業への投資・融資を急増し、中国政府は咋年7月から何回も設備過剰への懸念を表明したが、北京政府の抑制を無視して工場の増新設を許可する地方政府が続出し、強い規制が必要になった。(China to cut back industrial expansion

 中国政府は、生産設備の新設を抑止しただけで、生産自体を抑止していない。欧米は、中国が鉄鋼やアルミを不当に安く売り込んでくるのではないかと懸念している。中国では、産業界に対する融資の総額が、咋年8月までの1年間で前年比34%も伸びており、過剰投資の懸念がある。鉄鋼とセメントの、世界の生産と消費の半分が中国で行われている。需要が大きいだけに、供給過剰となった時の破壊力も大きい。(A bubble in Beijing? The debate about Chinese asset prices

 リーマンショック後の中国経済は、政府による内需拡大のための財政出動によって支えられており、それが経済成長の要素の95%を占めるとも言われている。政府が内需拡大策を止めたら、中国経済は成長が大きく減速しかねない。中国では株価もすでに高すぎると言われているし、上海では商業ビルの作り過ぎで空室率が50%になっている。中国はバブル崩壊前夜だという指摘があちこちから出てきている。(China's stock market Blindfolded on a cliff edge)(Chinese leader aims to avert bubble in property market

 12月28日には、中国の著名な経済学者(姚樹【シ/吉】。Yao Shujie)が、広東省での経済会議で、中国(沿岸諸都市)の不動産市況は明らかに供給過剰のバブルになっており、2年以内にバブルが崩壊するとの予測を発表し、人民日報がこれを報じた。バブル崩壊の見通しは、公式なものになっている。(Economist expect real estate bubble to burst in 2 years

 中国の温家宝首相は12月27日、米欧からどんな圧力をかけられても、人民元の対ドル為替を切り上げることはしないと明言した。温家宝は、欧米は中国に為替切り上げを要求する一方で自国の保護主義政策を拡大しており、人民元切り上げを要求する欧米は中国の発展を阻害しようとしていると反論した。中国が人民元の切り上げを強く拒むのは、中国経済の牽引役がいまだに輸出であり、内需ではないことを示している。中国政府の内需転換策は、まだ初期段階である。欧米の財政難が深まって財政による経済テコ入れができなくなり、欧米経済が不況に逆戻りすると、中国から欧米への輸出が減り、中国経済も減速する。(Wen dismisses currency pressure

 日本は自由市場経済だが中国はそうでないと思っている人が多いかもしれないが、実はそれは間違いで、日本の方が見えない輸入規制が多く、中国の方が日本より食品や各種製品、原材料の国際価格が国内価格に直結する度合いが強い。人民元がドルペッグされているため、諸通貨に対するドルの下落に合わせて、中国では食品や日用品の価格が値上がりし、インフレになる傾向が続いている。ドルが崩壊感を強める中、輸入製品の値上がりを我慢して輸出競争力を維持する現状を中国政府がどこまで続けられるか、我慢大会的な状況になっている。

 今年、米欧日では「国家財政危機」がキーワードとなりそうだが、その一方で中国では「バブル崩壊」がキーワードになりそうで、その上、米欧日が不況になると中国経済にも悪影響が出る。先進国の財政難をしり目に中国が高成長する展開にはなりにくい。

▼混乱だが多様な中国経済

 とはいえ、中国のバブル崩壊は、日本が90年代のバブル崩壊で経験した「失われた10年」のような長く大きな不調にはなりにくい。中国は80年代以来の高度成長の中で、何度もバブル崩壊を経験している。すでに述べたように、中国では経済全体の状況把握が難しいので、供給過剰に陥りやすい。しかし、中国は広大で多様性が強いので、沿岸部経済でも、加工組立・再輸出産業から発展してきた広東と、揚子江流域の莫大な人口を背景に発展してきた上海が別々に動いている要素も強く、中国全体が崩壊することには、なかなかならない。

 広東省だけを見ても、複数の方向性が絡み合っている。これまで広東省の産業の中心は労働集約型の加工組立の製造業で、内陸の貧しい地域から多くの出稼ぎ労働者を雇用し、内陸の人々に収入を与え、沿岸部と内陸部の所得格差の縮小に貢献してきた。しかし、広東省の共産党書記の汪洋(ワンヤン)は最近、労働集約型の加工組立業は国際競争が厳しく利幅が薄いので、広東省の産業は早くそこから脱皮し、もっと儲かる高付加価値のハイテク系の製造業に移行せねばならないと主張している。汪洋は、リーマンショック後の世界不況のあおりで、広東省の加工組立企業がどんどん倒産しても救わず、この苦境を逆に活用して加工組立からの脱皮を促進し、雇用は少ないが利幅が大きいハイテク系企業を増やすべきだと主張している。(Regions won't dance to Beijing's tune

 汪洋は広東省の利益を考えて「加工組立業など潰れてしまえ」と言い放ったが、北京の共産党中央は逆に、広東省が加工組立業を繁盛させ、内陸諸省からの出稼ぎ労働者をさかんに雇用し続けてくれないと、内陸の人々の生活が向上せず、共産党に対する支持が失われかねないと考えている。昨年夏の新疆ウイグル自治区でのウルムチ暴動の背景の一つは、昨年初めからの世界不況のあおりで広東省の工場も閉鎖が相次ぎ、広東省への出稼ぎに行けないウイグル人青年が増えたことだった。(◆ウイグルと漢族の板挟みになる中国政府

 加工組立業を脱皮してハイテク産業を育てることは、中国の産業発展にとって重要だが、同時に広東省が内陸からの出稼ぎ労働者を雇用し続けることも、中国の均衡ある発展にとって重要だ。汪洋と党中央の論争は、秘密主義の中国共産党としては異例の公開的な討論となっているが、共産党は、広東省がどうあるべきかという論議の片鱗をあえて公開して、中国経済の今後のあり方を模索しているのかもしれない。論争は、中国経済の混乱を表しているとも言えるが、多様性を示しているとも言える。重要なのはバランスだろう。

▼拡大する農村の消費

 中国経済におけるバランスの要素はいくつもある。輸出産業と内需産業とのバランスも、その一つである。総人口13億人の中国には7億2000万人の農民がいるが、農村の消費の総額は、都市での消費総額の4分の1から5分の1しかない。出発点が低く、人口が多いので、農村の消費が少し増えるだけで、中国の内需は急増する。7億農民のうち4億人は貧困層であるが、貧乏人は中産階級予備軍でもある。中国政府は昨年、農村の人々が小型自動車や家電製品を買うと、その分を免税にする実質的な補助金政策を実施し、その結果、中国は世界最大の自動車市場となった。(China car sales reach record high

 中国は、土地がすべて国有であり、私有できないが、代わりに土地の使用権を売買できる。従来は、農地の使用権の売買は制限されていたが、中国政府は08年からそれを緩和し、農地の使用権の売買が認められるとともに、農民が自分の農地の使用権を担保に銀行から金を借りられるようになった。これにより、大規模農業が可能になるとともに、借入金によって農村の金回りは一気に良くなり、中国での内需拡大に大きく貢献した。農地の使用権をインターネット上で売買するサイトも出現した。(土流网

 中国経済は何事も極端から極端に走る傾向があり、この展開も借金漬けになって苦しむ農民が増えることにつながりそうだが、そうした極端な状況を経てしだいに定着し、長期的に農村の経済発展が続けば、中国の中産階級を倍増させる結果になる。中国では従来、健康保険の加入率が都市で8割だったが、農村では2割だった。中国政府は昨年10月から、全国に2488ある農村の村々のうち10%で国民健康保険的な制度を開始し、いずれすべての農民が健康保険に入れるようにする計画を開始した。これも中産階級倍増計画の一つである。(Seeds of change in rural China

 農村の消費力の増大を受けて、中国では最近、農村市場向けの衣料品や靴のブランドが相次いで生まれている。従来の中国の製造業は、外国のブランド製品を下請けで作るか、外国のブランド製品の偽物を作り、海外に輸出してきたが、最近は、下請けとして培ってきた製造技術を使って自社ブランド製品を作り、農村向けに売るメーカーがいくつも出てきた(スポーツウェアではAnta、Xtep、Peak、361など)。(China outsourcing boomerangs on brands

 農民の収入では、まだ国際ブランド品を買えないが、その何分の1かの価格で売っている国内ブランド品は買える。大都市に住む私の中国人の知人に尋ねたところ、これらの国内ブランドはほとんど聞いたこともないということで、まだ農村市場でしか売れていないようだが、いずれ都会でも認知されるようになるだろう。中国の製造業は「偽造メーカー」「下請け」を脱しつつある。農村で売っている衣料品のブランドを都会の人が聞いたこともないというのは、日本では考えられない。中国の広さや多様性を象徴している。

▼アジアに欠けているシステム思考力

 中国経済は多様で混乱もあり、全体像の把握が困難であるがゆえに、バブルの発生と崩壊が繰り返されてきたが、バブル崩壊は広大な多様さに吸収され、日本の90年代のような大崩壊になりにくい。日本のバブル崩壊後の失われた10年は、米国を抜きたくなかった対米従属戦略の日本の大蔵官僚らが意図的にやったことではないかと疑われるが、この点も中国は、米国を抜くことへの抵抗がない。ゴールドマンサックスは、03年には「中国がGDP総額で米国を抜いて世界一になるのは2040年だろう」と予測していたが、昨年夏には「2020年に抜かすだろう」と、予測を前倒している。(A decade of Western losses and Asian gains

 中国のGDPは、いずれ世界一になるだろうが、それでも中国が欧米を抜いて世界一になれない大事な要素がある。それは、国民の「システム的な思考力」である。中国人や日本人、韓国人などアジアの人々は、物事の全体像を自分の頭で考える傾向が弱い。欧米の人々は、世界規模や国家規模の政治経済のシステムから、企業会計の仕組み、大量生産のやり方、コンピューターのソフトウェアに至るまで、現代世界のシステムのほとんどを考案した。その背景には、考えることを「お上」に頼らず、自分の頭で考えるのが良いという価値観がある。それが欧米人の思考力、システムを思考する力である。

 日中などアジアの人々は、政府や上司の言いつけを守ることはできるが、自分の頭で考える訓練をほとんどやっておらず、システム思考力が低い。日本の場合、企業には、自社製品の技術開発や経営のシステムを思考する能力の高い人々がいたが、企業を超えて国家システムや、世界の中での日本勢のあり方については、すでに欧米人が作ったものの上に乗って動くことしかやっていない。中国は、共産党の一党独裁体制が続く限り、個人の自由な思考の涵養が阻止される。そのため、中国がアジアの覇権国になっても、世界システムを切り盛りできない。欧米の多極主義者に黒幕的に思考してもらい、中国は隠然とその言いなりになるしかない。

 私は、国際政治経済を専門とする中国の研究家と交流する機会が時々あるが、そのたびに、中国人は日本人と同じぐらいに杓子定規にしか思考できない人々であると失望する。ひどいときには、私の世界情勢分析に対して「それはあなたが勝手に考えたことでしょう」と言われたりする。私が会った中国の研究者のほとんどは、権威ある人や機関が発表したことだけが「分析」だと思っている(日本のマスコミや研究者も同じだが)。世界について「勝手に考える」ことこそ、欧米が覇権を取る際に重要だったことなのに、それがわかっていない。日本では、国際政治のシステムに対する考察は「陰謀論」と呼ばれ、疎んぜられている。中国人研究者でも、米国の大学に長くいる人はラディカルで面白かったりするので、これは東アジアの社会風土が権威重視であり「勝手な思考」を殺しているのだと考えられる。本質的な世界の多極化には、まだまだ時間がかかる。



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