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○○区にある○○治療のクリニック  ○○駅から徒歩3分  ホームタウンクリニック
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○○式治療
ホームタウンクリニック
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江戸絵画に描かれた朝鮮通信史の楽隊
毎年8月は戦争に思いを致す月なのだが、東日本大震災と東電原発事故のあった今年は、原爆と原発をリンクさせることから逃げてはならないと考えている。だが、8月6日の松井一実・広島市長の「平和宣言」はそれから逃げるものだった
毎年8月は戦争に思いを致す月なのだが、東日本大震災と東電原発事故のあった今年は、原爆と原発をリンクさせることから逃げてはならないと考えている。だが、8月6日の松井一実・広島市長の「平和宣言」はそれから逃げるものだった。
 この平和宣言の中に、
今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させるものであり、とても心を痛めています。
というくだりがあるが、66年前の広島と今年の東北は違う。地震は天災だが、戦争は人災だ。さらにいうと、津波は天災だが東電原発事故は人災だ(ちなみに、東電原発事故は、単に津波による全電源喪失だけではなく地震動によって原子炉の配管などが破壊されたという説が有力だ)。その東電原発事故に関して、
「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。
と片づけられると、これはもう力が抜けてしまう。今年ほど広島の「原爆記念日」で脱力感を抱いた年はなかった。
 菅直人首相はかろうじて「脱原発」を「個人の考え」としてではなく政府の立場として表明したが、既に経産省の人事争いで海江田万里−経産省官僚のラインに敗れ、原発輸出の継続を閣議決定したとあっては、その言葉に説得力があろうはずもなかった。
 当日の朝日新聞も、BLOGOS編集部などは毎日新聞ともども「特集満載」だったと書くのだが、原爆特集は紙面の中ほどに追いやられていて、何か力を感じなかった。毎日新聞はどうだったのかなともちらっと思ったが、確認しようという気にもならなかった。毎日新聞の原発報道にもっとも力が入っていたのは震災直後で、これは主に社会部の記者たちの活躍によるものだったのだろう。原発推進派だった岸井成格を転向させるほどの力があったが、同紙の政治部長は頑迷固陋な保守派であって、「脱原発」の言論が活性を失ってきた現在、同紙も政治部や経済部の悪弊が目立つようになって、最近ではあまりパッとしない印象を持っている。
 首都圏では東京新聞(名古屋の中日新聞が親会社)がもっとも「脱原発」に力を入れている新聞だが、同紙も定評のある社会部の記者たちの奮闘には敬意を表するけれども、論説面では高橋洋一に近い論説副主幹の長谷川幸洋がリードする形となっていて、手放しでは賛意は表せない。その長谷川幸洋はこんなことを書いている。
  首相官邸サイドは先週から、改革派官僚として知られた古賀茂明官房付審議官に数回にわたって電話し、事務次官更迭を前提にした経産省人事について相談していた。そこでは次官の後任だけでなく、海江田経産相が辞任した後の後任経産相についても話が出たもようだ。
  このタイミングで古賀に相談したのは、当然、古賀自身の起用についも視野に入っていたとみていいだろう。少なくとも、官邸サイドが「改革派の起用は論外」とは考えていなかった証拠である。
  経産省のスパイとなる官僚は官邸にいくらでもいるから、官邸サイドが古賀に接触したのは経産省も知っていたはずだ。そんな動きを察知して、経産省が先回りして松永ら3人のクビを自ら差し出し、引き換えに後任人事を牛耳ろうとしたのではないか。
  2日に海江田が官邸を訪ねて菅に後任を含めた人事案リストを提示した段階では、問題が決着していなかった。朝日が4日朝にスクープしてから、経産省は一挙に勝負に出て同日午後、なんとか安達昇格の発表にこぎつけた。そんなところではないか。
 この長谷川の推測が当たっているかどうかは私は知らない。ただ、あらゆる情報は海江田と経産官僚は一枚岩、というより海江田が経産官僚の言いなりになっていることを指している。例の海江田の記者会見にしても「人事権者はあなたなんですよ」と念を押された操り人形の言葉とでも解さなければ意味が通じないものだった。
 とはいえ、「改革派官僚」の古賀茂明を手放しで礼賛する、一部の「脱原発派」の論調にも私は与しない。ベストセラーになっているという古賀の著書を本屋で手に取ってページをめくってみたが、買って読む価値はないと判断した。私は当ブログでも別ブログでも古賀茂明を取り上げたことは一度もなかったはずだ。
 だが、古賀茂明は評価しないけれども、今回の東電原発事故を引き起こしたばかりか、数々の問題が明らかになった原発を維持することなどとんでもない、そのことだけは確かだろう。あの東電福島第一原発の近くに再び人が住めるようになるのはいつのことだろうか。おそらく今世紀中には不可能なのではないかと思う。世論調査でも、「脱原発・反原発」の世論は、およそ7割から8割を占める。
 それでも動けないのが権力機構というものなのだろう。「ポスト菅」として名前の挙がっている政治家たちが、ことごとく菅直人程度の「脱原発」の姿勢さえ示せないことは、当ブログでも少し前から論難しているが、最近よく頭に浮かぶアナロジーは、先の戦争に敗れた日本政府が占領軍に憲法改正案の作成を要求された時、松本烝治らが国体護持を基本として明治憲法から大きく踏み出すものではなかった憲法草案を提出して、GHQにあっさり否定されてしまったことだ。今の民主党を見ていると、当時の日本政府と同じではないかと思えてしまう。
 憲法に関しては、マッカーサー草案を下地とした日本国憲法が制定された。右翼はこれを「押し付け憲法」として否定するが、GHQが叩き台とした憲法研究会の憲法草案は、古くは植木枝盛らの思想なども反映されており、日本にももともと下地があったものだ。そもそも当時「国体」と称されていたものには、明治以来80年弱の歴史しかなかった。
 とはいえ、GHQの強制力なくして平和憲法が生まれなかったのは事実だ。外国からの強制力のない現在、いかに「脱原発」を実現していくかはわれわれ日本国民に問われているのだ、そうずっと思っている。
 東電原発事故後、特に5月か6月頃から、書店に大量の「原発本」が並ぶようになった。その大部分が「脱原発・反原発」の立場に立つものだ。つまり、「脱原発」はもはやコマーシャルベースに乗っている。東電原発事故の直後にテレビ番組で過激な原発擁護発言を行った勝間和代の人気が、その後勝間が「脱原発」への転向を表明したにもかかわらず凋落気味であることなど、「原発推進」の方が「金にならない」のが現状だ。
 しかし、東電原発事故後に新たに出版された「脱原発」本の多くは、私の心をとらえない。私が読んで「これはいい」と思ったのは、高木仁三郎著『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書, 2000年)や鎌田慧著『原発列島を行く』(集英社新書, 2001年)など、東電原発事故以前に出版された本がもっぱらだ。内橋克人『日本の原発、どこで間違えたのか』(朝日新聞出版, 2011年)も、中身は非常に良い。ただ、事故後あわてて編集されたらしく、初出が明記されていないなどの難点がある。この本では、80年代に取材を始めた時には原発に対して中立だったと思われる内橋氏が、取材を重ねるうちに原発に疑問を持つようになったことがよく伝わってくる。
 ところで、現在の国政および地方行政の関係者では、自民党も民主党(菅直人も小沢一郎も含む)も「原発」にがんじがらめになっているところに、一件奔放に「脱原発」を論じているかに見えて人気を集めている橋下徹のことがどうしても頭に引っかかる。橋下は、巧みに民意の多数を占めながら国や地方の政治家がなかなか踏み込めない「脱原発」にポジショニングすることで自らの人気の浮揚を狙っている。
 たまたま昨日から佐野眞一著『巨怪伝 - 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文春文庫, 2000年=単行本初出は1994年)を読み始めている。まだ上巻の半分ちょっと、第5章までしか読んでおらず、原発どころか終戦にさえ至っていないが、正力松太郎とは橋下徹に似た人間だったんだなという思いを持ち始めている。
 「原子力の父」と言われた正力松太郎は、最近では「ポダム」とのコードネームを持つCIAのエージェント、という印象が一人歩きしているきらいがあるが、正力がアメリカに忠誠を誓う「ポチ」だったわけでは全くない。警察官僚時代の関東大震災の時には「朝鮮人の煽動」のデマを自ら撒き散らして朝鮮人虐殺を招く張本人となったり、王希天虐殺事件の真相を知りながら沈黙を貫いたりなどの悪行で知られるが、1924年に事業が傾いた読売新聞を買収するや、戦時中には読者の目を引く戦場の写真を大きく掲載するなどの扇情的な紙面作りによって部数を大きく伸ばした。
 以上の点が、タレント弁護士時代には光市母子殺害事件の弁護団懲戒請求を煽るなどの悪行で知られながら、当初劣勢を予想された大阪府知事選を圧勝で制するや、次々と人気とりの政策を打ち出しては大阪府民の拍手喝采を得て、現在は気に食わない平松邦夫・大阪市長を追い落とそうと躍起の橋下徹と重なり合う。
 1923年の関東大震災では、東京の新聞が大打撃を食い、大阪に本社を持つ朝日(東京朝日新聞)や毎日(東京日日新聞)が勢力を拡大したが、朝日も毎日も大阪本社でお家騒動があり、朝日の騒動によって社を追われたリベラル派の記者が読売に流れ、正力による買収以前の読売は、東京でもっともリベラルな新聞だった。それを正力は、センセーショナリズムを売り物にする紙面が特徴の新聞に変えてしまい、戦争も利用して部数を拡大した。といっても読売の特徴は国家主義ではなく、あくまでセンセーショナリズムだった。もちろん私は「朝日・毎日=善玉、読売=悪玉」などという立場に立つものでは全くない。東京日日新聞の幹部は、正力暗殺を企て、正力は暴漢に襲われて大怪我をしたこともあった。その事件には、正力を快く思わない警察の一部が関与していたというのだから驚きだ。
 正力が育てた読売は、その後正力自身の原発推進によって、現在でも原発推進勢力の中枢を占める。橋下徹が育てたものは、いったい日本にいかなる災厄をもたらすのか。現時点では想像もつかない。
 尻切れトンボになったが、時間切れでもあり今回はここまで。この続きを書くかどうかは気分次第だ。きまぐれな個人ブログのこととて、ご了承いただきたい。
 http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1206.html  @@@@@@@政局を熱く語る園田博之氏=東京・六本木のバー「エルアミーゴ」(水内茂幸撮影)
 8月を迎えても、菅直人首相は元気いっぱいだ。退陣条件にあげた特例公債法案は成立の見通 しが立たず、永田町にはいいようのない倦怠感も漂う。「ポスト菅」の適材者はみつからない。政局展望に頭を抱えていたら、与野党に太いパイプを持つたちあ がれ日本の園田博之幹事長の顔が浮かんできた。夜の六本木に園田さんを訪ねると、「もう民主党は政党として再生できない」と手厳しい答えで出迎えてくれ た。
 園田さんと待ち合わせたのは、六本木交差点に近いバー「エルアミーゴ」。盟友の与謝野馨経済財政担当相から紹介され、2人で20年以 上通い続ける。アコーステッィクギターによる生カラオケが評判。与謝野氏はポール・アンカの「ダイアナ」など美声を披露するが、園田さんはひたすら聞き役 だ。
 体質的にお酒の飲めない園田さんはウーロン茶。歌わず、飲まず…静かなのかと思いきや、今日は乾杯から怒りの言葉があふれ出る。自民党が菅首相のもとで衆院解散に追い込もうと、なかなか特例公債法案の採決に応じないからだ。
  「岡田克也幹事長は『公約はいい加減だった』と認めたんだからそれで終わり。これを武器に菅さんを降ろせると考える方が間違いだ。逆に辞めない口実を与え ちゃう。懸案を片づけて『菅さんの時代にやるべきことは終わりました』というべきだ。もしそれでも辞めないなら、内閣不信任案でも問責決議案でも出せばい い。菅さんが辞めなけりゃ、日本は次のステップに進めないんだから」
 怒る園田さんだが、「おっ!」と急にほおが緩んだ。裏メニューのクラムチャウダーがやってきたのだ。
 「これ好きなんだけど、なかなか食わせるところがないんだよね」
 僕も一口いただくと、優しいミルク味に、根菜とシジミのいい出汁が効いている。店はバー形式だが、特別に頼むと牛ロースや焼き魚、ご飯とみそ汁まで出てくる。バー特有の、淡い照明の下でいただく夕食も妙味。居心地のいい店だ。
 ところで園田さんといえば、自民党から新党さきがけに参加し、再び自民党に戻った後、最後はたちあがれ日本へ移った。確か「さきがけ」「たちあがれ」とも、結党理由は政界再編の起爆剤だったはず。また勝負時は近づいているのか。
 「今こそ立派な政党を作る時期だ。今は民主も自民も信頼されておらず、政治の停滞を招いている。『これは』と思う人が集まらないと、この国難は救えないよ。もし今衆院が解散されたら、2晩くらい駆け回って政党を作る。現職議員が70人程度いれば第1党を奪えるよ」
 クラムチャウダーをすくうスプーンが止まった。
 「特に民主党は、もう政党として再生できないと思うね。党の体をなしてないもん。あそこにいる人たちは、自分の当選が最終目標になっている。サラリーマンなんだ。政治家として『この政党でこれをやる』という意識はないよ」
 園田さんは、東日本大震災の復興財源をめぐり、民主党内が増税の反対論であふれたことにも嫌な思いを抱いている。
 「結局民主党は、2年前の衆院選と同じ失敗をしようとしているんだ。『財源は特別会計から取ってくりゃいいんだ』とか言ってさ。できなかったんだから。1回でも国の予算を組み、財源をどこにするか苦しんだ経験があれば、本質は理屈抜きで分かるんだけどね」
 そういえば、菅首相も財務相と首相として2度予算編成をしたはずだ。2人はさきがけ時代に同じ釜の飯を食べた仲。菅首相も就任後、何度も電話で相談を持ちかけている。菅首相は政権運営の苦しみを分かっているはずだが。
  「菅さんをみてつくづく思うよ。首相ってのは満を持してやらなければダメなんだ。中曽根康弘元首相は最初評判が悪かったけれど、一応歴史に名が残った。中 曽根さんはずっと『首相になったらこれをやろう』と考え、その通り実行したからね。小泉純一郎元首相は首相になれないと思っていただろうが、『なったらこ れだけはやりたい』と思っていた。だから国民は芝居と思わず反応した」
 「ところが、ある日突然舞い込んできた首相は満を持していないから、『どうやったら受けるのか』ってところから始まってしまう。消費税増税も引っ込み、今じゃTPP(環太平洋経済連携協定)の『T』の字も聞こえない。今度は脱原発だ。こっちは芝居にしか見えないんだ」
 菅さんって、昔からそんな人でしたか。
 「絶えず1人でやるというたくましい人ではあった。チームでやるのは意見調整が必要だから、嫌がっていたね。役人は昔から信用していない」
 菅さんがダメなら、民主党内で次の首相を担える人物は誰なのか。党内には前原誠司元外相や枝野幸男官房長官、玄葉光一郎国家戦略担当相ら、園田さんがさきがけ時代に育てた逸材も多い。
 園田さんはウーロン茶のグラスを置いた後、ポツリと「いないと思う」。店内が急にシーンとなった。
 「素質を持った人はいるが、みんな満を持していないんだよ。それどころか『あれがなれるならおれもなれるんじゃないか』と思う奴がいる。首相ってのは厳しくて、他にないものを要求される仕事だとしんから思えなければ、失敗するよ」
 はしが味のしみ込んだぶり大根に向かう。
 「民主党が悪いのは、このまま菅さんが辞めても、反省を党全体で持たないこと。このままなら同じ失敗を繰り返す。『菅がダメ』は間違いで、体質の問題。そこに気付いていない」
 まな弟子の前原氏でもダメなのか。
  「魅力的だ。彼と会った誰もがそう言うよ。能力も高い。でもまだ首相に必要な条件は備えていない。本人にも言っているが、彼の魅力は発信力。しかし、発信 力は危険の裏返しでもある。彼は自分が感じたことをパッと話すけど、よく考えると『始末の付くような発言でなかった』というのがあるでしょう。首相はこれ じゃ許されないんだよ」
 民主党に候補者がいなければ、自民党に政権を渡すべきなのか。
 「これもダメだね。衆院選で大敗した当初は改革ムードが高かったけれど、鳩山由紀夫前首相と菅さんがコケると、相手の失点をつっつくだけに戻った。責任政党といわれる時代は過ぎたよ」
 かつて腹心として支えた谷垣禎一総裁は、今党運営に苦しんでいる。
  「実は谷垣さんに期待しているんだ。むしろ彼のもとを離れてから、この人しか(政界を)まとめる以外ないとすら感じる。ただ、党内で大きな声を出す人を遮 れないよね。必要なのはそこだ。党内を常に刺激する必要はないから、大事な時にスパッとリーダーシップを発揮してほしい。そうすれば首相になる可能性はな いことはないんじゃないか」
 なんとも微妙な言い回しだが、乱世を乗り切るには、堅実さが大切ということだろうか。
 最近園田さんを喜ばせているのが、母校・習志野高校(千葉県習志野市)が10年ぶりに夏の甲子園出場を決めたこと。「スターはいないが、鍛えられたいいチーム。期待できる」と目尻は下がりっぱなしだ。園田さんは同高野球部の1期生で、OB会長も務めた。
 「高校から野球を始めたから、最初はスイングが弱くて打球が内野手の頭上を越えなかった。けど、練習は楽しくて仕方なかったね。水を飲まずにウサギ跳びなんて、むちゃなこともしたよ」
 習志野高は創部から6年後、早くも甲子園に初出場する。大学生だった園田さんは、当然アルプススタンドに駆けつけた。
 「いきなり強豪の中京商とあたっちゃって、2対0で惨敗。点を取るチャンスなんてほとんど なかった。ただ、思いだすのは9回最後の攻撃。2アウトランナー3塁だった。声を殺して見守っていたら、突然3塁ランナーが自分の判断でホームスチールし たんだよ! 試合後に批判の的にはなったけど、ランナーの気持ちはよく分かる。『勝つなんて考えられないが、1点でも取りたい』というね」
 そのランナーって、今の菅首相とだぶりませんか。
 「いいこというねえ!確かにそうかもしれない。どうせダメだけど、点数はちょこっとでも稼ぎたいと。ガハハハ!」
 一抹の寂しさを伴う大爆笑が、夜の六本木に響いた。@@@@@@@溶けた燃料がどうなっているのかも分からない状況なので世界の英知を集めてこの事の把握方法を見出さなくてはならない。
また、地下ダムを作って地下水を通じた放射能汚染を食い止めなくてはならない。
溶けた燃料を確実に閉鎖系の中に閉じ込めなくてはならないからだ。
更に冷却の必要がある。
どのような方法でこの溶けた燃料を冷却するのかを検討しなければならない。
 小出氏を中心にして、誰が首相になればこの事故収束をもっともうまくやれるかを検討しなければならない。
 増税などを争点にさせてはならない。
 事故対策政府を超党派で作るという発想の人間が代表になるべきである。
 2番目の争点は環境中に放出されてしまった放射能をいかに扱うのかをめぐってである。
@@@取り合えず高汚染地域からの避難を最大限行う事を公約にする人間を代表にすべきだ。
放射線測定器を大量に汚染地域住民に渡す事もしなければならない。
測定された数値をネット上で公表するしくみも作らなくてはならない。
 食品の放射能汚染測定も大量に機械を購入して行うべきだ。
測定結果は全て商品自体に記載する。
出荷停止処分の基準値を最大限下げる。
出荷停止にした食品は一旦全量政府が買い上げ費用負担を東電に求める。
 東京は汚染がヒドイので首都機能を大阪に移転する。
 3番目の争点は原発をなるべく早く運転停止し廃炉にする事だ。
 4番目の争点はガスタービン発電のような比較的早く稼動できる発電方法を中心に環境に配慮した発電方法への転換だ。太陽光、風力、バイオマス、地熱、波力、潮力など巣全ての発電方法を検討し同時並行的に開発していかなけれえばならない。
 5番目は送電事業の国営化だ。国は環境に配慮した発電方法で生み出された電力を全てなるべく高い価格で買い上げるべきだ。太陽光発電を屋根に設置するインセンティブを付けるべき。
 6番目の争点は福島原発事故で発生した損害賠償を東電に最大限請求する事だ。
 以上の争点をめぐって民主党代表候補は意見を述べ国民が誰がやるのが一番実行できるのかが分かるようにすべきである。
 各候補の見解はネットで詳しく閲覧できるようにすべし。
 自由報道協会主催で全候補者が一同に会した公開討論会を行うべきである。 @@@@@@@テレビは戦争をどう描いてきたか
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/3/0240150.html

Ustream.tv: ユーザー gendai_biz: 児玉龍彦(東大先端研教授)×津田大介(ジャーナリスト), Recorded on 2011/08/05. 政治 <http://www.ustream.tv/recorded/16442790>
http://www.asahi.com/politics/update/0417/TKY201104170338_01.html
http://kgcoms.cocolog-nifty.com/miyagi2.pdf
─────────────────────────────
http://homepage2.nifty.com/mv_storia/nitiro-sankousiryou.htm
日露戦争の参考資料
http://homepage2.nifty.com/mv_storia/nitiro-sankousiryou.htm
日露戦争図書館 <http://www5e.biglobe.ne.jp/~isitaki/page043.html>

基本的には最初に発表された日付の順に並んでいます(長期連載の場合は連載第一回もしくは第一巻刊行日。また、翻訳物は原著刊行日)。が、版を改めたり、出版社が変わったりしているものなどで不明の場合は、私の読んだ版の日付で並んでいます。
また、書籍が主ですが、映画やテレビのドキュメンタリー番組などもあります。
今でも大して変わりませんが、特に最初の頃はな〜んにもわからない状態で、手に取ったものから買って読んでいたので、玉石混交です。
おまけに、あまりに一気にまとめ読みしたので、頭の中で内容がごっちゃになっているものが少なくありません。そういうものは、再読するまでは基本情報のみの掲載となります。ご勘弁を。
感想・評価の文章の有無や長さと評価の高さとは、基本的には相関しません。
ただし、褒めるときには理由なく褒めてよいが批判するときには根拠を示すべきであるとの考えを持っているので、プロの研究者の著作でありながら内容があまりにずさんであったり偏向していたりする場合にはやたらと長くなる、ということはあります。
なお、「感想・評価」の文章にはネタバレがあります。特にフィクション的要素の混じる小説や劇映画の場合、読む楽しみが減退する恐れがありますので、ご注意ください。
近年の新刊・復刊は、「新刊・復刊情報」として書名一覧を作成しました。ご参照ください。
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凡例
『タイトル』 著者名 【分類】
  初出年月日および形態
  (私の読んだ版の)初版発行年月日 出版社 体裁 入手方法もしくは読んだ状況
概要
(感想・評価の執筆年月日 およびその時点での読み進み具合)
感想・評価
※  は、国立国会図書館のホームページの電子図書館>近代デジタルライブラリーで画像ファイルが閲覧できるもの。ただし、このページに挙げているものとは版が違う場合があるのでそれは各自ご確認いただきたい。
※  は、当ホームページの「水野広徳site:http://kakaue.web.fc2.com/ 小特集」>「著作・参考文献」にも記述のあるもの。
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『ネルソン提督伝』 ロバート・サウジー 【伝記】
  1818年原著刊行
  2004年7月20日 原書房 四六版上製・上下巻 新刊書店で購入
トラファルガー海戦で有名な、ネルソン提督の伝記。
秋山真之がアメリカでマハン大佐に勧められたネルソン伝はマハン大佐自身の書いたものだが、当時このサウジー版は欧米人には一般教養になっており、日本でも明治31年には翻訳されているので、真之ほか当時の日本海軍軍人には広く読まれていたと推察できる。
(未読)
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『土耳古航海記事』 大山鷹之助 【航海記・トルコ滞在記】
  1891年
  1988年 ゆまに書房『明治シルクロード探検紀行文集成 第10巻』 A5版上製 国立国会図書館で閲覧
日本近海で沈没したトルコの軍艦エルトゥールル号(エルトグロール号)の生存者の本国送還に、海軍兵学校17期の遠洋航海実習の金剛と比叡を使うことになった。
本書は金剛の乗組みだった人物による手記。
(2005/10/1 拾い読み)
読めない(泣)。漢和辞典を引いても出てこない字がてんこ盛り。
読んだ(読もうとした)のは復刊本なのだが、活字を組みなおしてあるのではなく、旧版を撮影してそのまま印刷してあるのである。
それでもなんとか読んだのが、トルコで市民を艦に乗せて案内しているところ。
案内役は航海実習の少尉候補生達だったが、下町の小母さんたちを貴婦人と思い込んで案内しながら鼻高々になっているのやら、腰の低い男性をチンピラのたぐいと勘違いして追い返してしまうのやら。
候補生の個々の名前が出てこないのだが、秋山真之や山路一善、森山慶三郎ははたしてどうだったのだろう。
トルコについての本を読むと、かの国が親日になった最初のきっかけがこのエルトゥールル号事件だそうなので、それほど極端な失敗はやっていないと思うのだが。
なお、親日になった決定打は日露戦争の勝利。トルコにとって、ロシアは執拗に南下してくる怨敵だったのである。
《付記》(2005/10/30)
それにしても、現代人が書いたものでも海軍がらみの本では「エルトグロール号」だが、そうでない本では「エルトゥールル号」である。どちらが原音に近いのだろう? 私は日露戦争に興味を待つずっと前、ヴェネツィアとの関連からトルコについて関心をもち、現代トルコについての本も何冊か読んだことがあるが、そちらはすべて「エルトゥールル号」だったので、「エルトグロール号」と書いてあるたびに頭の中で置き換えて読んでいるのだが。
《付記の付記》(2007/3/11)
昨日BS朝日で放送の日土関係を紹介した番組『東の太陽・西の月星』で、エルトゥールル号について詳細に述べていた。エルトゥールルのつづりはGの上に<を下向きにしたものが付く「ERTUGRUL」。発音は「エトゥル」に近い「エルトゥールル」であった。
ついでに、トルコの首都アンカラの「TOGO」という靴屋を紹介していた。東郷平八郎の「東郷」である。前から知っていたのだが、店舗の映像を初めて見た。店舗もあるが、たぶんチェーン店の本社なのではないかというほど、でっかいビルである。しかし、ここの靴の中敷には「TOGO」と書いてあるので、履くと、東郷の名を踏んづけることになってしまうのであった(^_^;)。
ついでのついでに、よく言われる話に「イスタンブールにはトーゴー通り、ノギ通りがある」というのがあるが、私が読んだ限り、トルコで生活経験のある現代人の書いた本には出てきたことが無い。
おそらく、@今でもあるが、話題にならないほど小さな通りなのか、Aかつてはあったが、今は無いのか、B単なる伝説で、もともと無いのか、のどれかであろう。(ご存知の方、教えてください。)
《追記》(2007/12/23)
三笠保存会事務局長の小山力さんよりご教示いただいた。
「イスタンブール駐在武官の1等海佐に依頼し調査してもらいましたが今は見当たらないそうです。」とのこと。
また、昔あって今ないのか引き続き調査するとの返事であったが、その後連絡がないのでおそらくないのかもしれません、ということである。
少々残念。
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『米国特派員が撮った日露戦争』 コリアーズ編 【報道写真集】
  1904年および1905年原著刊行
  2005年5月12日 草思社 B5版並製 新刊書店で購入
報道写真誌コリアーズによる下記2冊の本を1冊にまとめて翻訳刊行したもの。
『The Russo-Japanese War : A Photographic and Descriptive Review of the Great Conflict in the Far East』(1904年)
『Collier's Photographic Record of the Russo-Japanese War』(1905年)
開戦劈頭の仁川上陸のスクープ写真の他は、日露の兵站を撮影したものが多い。また、旅順攻防戦や日本海海戦のものより、黒木第一軍の写真が多いのが特徴。
短文だが、マハン大佐による日本海海戦分析を併録している。
(拾い読み)
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『日露陸海軍公報集』 新橋堂編輯部編 【公報集】
  1905年2月23日〜12月18日 新橋堂 国立国会図書館ホームページの「近代デジタルライブラリー」で閲覧
タイトルどおり、陸海軍の公報をまとめたもの。
(拾い読み)
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『黒木軍百話』 来原慶助 【従軍逸話集】
  1905年10月13日 博文館 国立国会図書館ホームページの「近代デジタルライブラリー」で閲覧
黒木為髣ヲいる第一軍に従軍した著者による従軍記。タイトルどおり100話からなる。
行軍難などを書いた章もあるが、こぼれ話や笑い話の類いの方が多い。
(2004/10/25 漢文のところ以外は読了)
著者が黒木軍の中でどういう立場にいたのかがよく分からないのだが、鹿狩り大会の幹事などをやっているところをみると、参謀の一人だったのだろうか。(追記:主計士官であった。)
それにしても、終戦直後に笑い話の本・・・。やっとこさでも、勝つと余裕が出るもんですねえ。
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『極秘 明治三十七八年海戦史』 海軍軍令部 【公式戦史】
  1905年12月〜1911年3月 海軍軍令部 国立公文書館アジア歴史情報センターのホームページで閲覧
一般刊行されない文書であるので奥付などがなく、上記刊行年月は北澤法隆氏の「日本海海戦研究最前線」(歴史読本2007年9月号↓所収)による。
全150冊。目次だけで1冊231ページを要するという浩瀚な史料で、一人で全巻を細部まで検証するのは、専業の研究者であっても不可能と思われる。大規模なプロジェクトチームを組織して、項目ごとにそれぞれの専門分野を検討した上ですり合わせるという事業がなされないものだろうか。
『日本海海戦とメディア』(2006年↓)の木村勲氏のように、極秘戦史といっても全面的には信用できないとするものもあるが、戦紀に限ればすでに多くの著作がこれを最重要資料として使用しており、本書によって判明した事柄は多い。
ともあれ、ネットで容易に閲覧できるようになったのはまことに意義が大きい。
(2008/9/14 戦紀を中心に拾い読み)
「日本海海戦に丁字戦法はあったかなかったか」の議論について、私はこれを読んで「あった」と結論するにいたった。
というか、これを読んで「丁字戦法はなかった」という論が出てくることにむしろ不思議を感じる。
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『露艦隊来航秘録 露艦隊幕僚戦記 露艦隊最後實記 (露艦隊三戦記)』 時事新報社飜訳 【バルチック艦隊幕僚の手記】
  原著刊行日不詳(1905年から1907年の間)
  1907年11月18日 海軍勲功表彰會 A5版上製 ネット古書店で購入
もとは別々に刊行されたバルチック艦隊の幕僚による戦記3冊を合本したもの。
『露艦隊来航秘録』…バルチック艦隊旗艦スウォーロフと運命を共にした造船技師ポリトウスキーが妻に書き送ったバルチック艦隊廻航のようすを公刊したもの。したがって、日本海海戦の4日前まで。
『露艦隊幕僚戦記』…同じくスウォーロフの幕僚の手記。本書では著者名がないが、翻訳が多数あるウラジーミル・セミョーノフのものの最初の翻訳。ただし、原書の前・中・後編のうちの中編のみ。下記↓参照。
『露艦隊最後實記』…バルチック艦隊のうち、後発のネボガトフ艦隊の匿名幕僚による手記。ホンコーヘで合流したところから、ネボガトフ艦隊の降伏まで。こちらだけ近代デジタルライブラリーで閲覧できないのは、著者不明のため著作権保護期間が満了しているのか否かが確認できないからと思われる。
(2008/8/4 拾い読み)
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『露艦隊幕僚戦記』 (著者名なし) 【ロシア海軍士官の手記】 
  原著刊行日不詳(1906年4月以降、1907年11月の間)
  1907年11月18日 海軍勲功表彰會 A5版上製(↑『露艦隊三戦記』のうちの一編) ネット古書店で購入
『ラスプラタ』 ウラジミル・セミヨノフ 【ロシア海軍士官の手記】  
  1911年8月20日 画報社支店 国立国会図書館ホームページの「近代デジタルライブラリー」で閲覧、そちらで公開のない5巻と11巻は国会図書館でマイクロフィッシュを閲覧。
『日本海大海戦 殉国記』 ウラジミル・セメヨノフ 【ロシア海軍士官の手記】 
  1912年5月7日 明治出版社 A5版上製 ネット古書店で購入
  1929年6月〜1930年8月 戦記名著刊行会 四六版上製函入第12巻 ネット古書店にて購入
『嗚呼此一戦』 ウラジミル・セメョ−ノフ 【ロシア海軍士官の手記】
  1912年6月 博文館 国立国会図書館ホームページの「近代デジタルライブラリー」で閲覧
『ツシマ敗戦記』 ウラジミル・セミヨノフ 【ロシア海軍士官の手記】
  1934年5月15日 春秋社 B6版並製 ネット古書店で購入
『壊滅!!バルチック艦隊 日本海海戦の回想』 ウラジーミル・セミョーノフ 【ロシア海軍士官の手記】
  1982年6月30日 恒文社 四六版並製 地元図書館で借出
すべて同一著作『ラスプラタ』からの翻訳。ただし、原書から直接訳したとの明記があるのは『殉国記』のみ。『ラスプラタ』『壊滅!!バルチック艦隊』は英訳からの重訳。『ツシマ敗戦記』は原書をロンドンで発行されたものと書いているので、これも英訳からの重訳と思われる。このほか、1962年に『バルチック艦隊の最期』の題で刊行されたものもあるようだが、筆者は未見。
もと旅順艦隊に属し、黄海海戦後本国へ帰還してバルチック艦隊に乗り組んだロシア海軍士官による手記。
原著『ラスプラタ』は大きく三部に分かれており、旅順艦隊に属していたときから日本海海戦の直前までが第一部、バルチック艦隊の幕僚として日本海海戦について書いたのが第二部、日本での捕虜生活と帰国する過程が第三部。第一部から第三部までを通して翻訳したものは見当たらない。
第一部「ウ・ポルト・アルトール」を訳したものが『ラスプラタ』。
第二部「ボイ・プリ・ツシマ」のみを訳したものは『露艦隊幕僚戦記』『嗚呼此一戦』『壊滅!!バルチック艦隊』。
第二部と第三部「シエナ・クロウイ」を続けて訳したのが『殉国記』と『ツシマ敗戦記』。ただし、特に第三部ではこの2冊を読み比べると、一方にある内容がもう一方にないことが相互にあり、どちらも完訳ではないようである。
(2005/1/4 『壊滅!!バルチック艦隊』を読了)
日本海海戦で連合艦隊主力とバルチック艦隊が向き合ったとき、バルチック艦隊は陣形が混乱してダンゴになっていたというのが定説だが、本書では異なっている。バルチック艦隊の偵察を続けた巡洋艦隊が離れた後、単縦陣に整えるのに成功しており、東郷が敵前回頭をしたのも、これに驚いてあわてて陣形変更をしたのだろうというのである。
『千九百四、五年露日海戦史』によれば、ロジェストウェンスキーは本国帰還後に査問会で単縦陣であったと報告し(ただし、調査が進んだ後はオスラビアとアリョールが並行していたことを認めている)、オスラビヤ他の乗員は、第一戦隊の殿艦アリヨールが遥か右に見えたと陳述している。
先頭の艦からは単縦陣にできているように見えたのだろうか。
(2008/8/5 『殉国記』『ツシマ敗戦記』『壊滅!!バルチック艦隊』は読了。その他は拾い読み)
《付記》(2008/9/20)
国立国会図書館には『ラスプラタ』が2セットある。ひとつは全11巻揃いで、もうひとつは5巻と11巻が欠けている。近代デジタルライブラリーで公開されているのはなぜか不揃いの方。逆にすればいいのに。
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『日露観戦記』 イヤン・ハミルトン 【観戦武官の見聞私記】
  原著刊行日不詳(1905年または1906年)
  1908年 兵林館 国立国会図書館でマイクロフィッシュを閲覧
『日露観戦雑記』 イアン・ハミルトン 【観戦武官の見聞私記】
  1930年5月20日(1906〜7年訳のものの再録) 戦記名著刊行会 熱血秘史戦記名著集第11巻 四六版上製函入 ネット古書店で購入
『思ひ出の日露戦争』 イアン・ハミルトン 【観戦武官の見聞私記】
  1925年 平凡社 A5版上製 国立国会図書館で閲覧
鴨緑江渡河すぐ後の黒木第一軍に従軍し、奉天会戦直前に本国に任地換えになって去ったイギリス陸軍中将による日記。
原著は同一のもの。原題の直訳は『一参謀官の随筆 若くは備忘録』であるらしい。
『日露観戦記』は旅順攻防の後を視察した辺りが省略されている。(他にも省略があるかもしれないが、拾い読みしかしていないので不明。あるいは、原書は二分冊刊行なので、上巻しか訳していないのかも知れない。)
『日露観戦雑記』は大阪新報社による抄訳を、新聞連載の後に単行本にまとめたもの。
『思ひ出の日露戦争』は著者の日露戦争従軍中の通訳だった人物の姪による訳。これも抄訳であるが、『日露観戦雑記』よりは省略が少ない。
(2005/6/11 『日露観戦雑記』『思ひ出の日露戦争』両方を拾い読み)
観戦武官の著作であるが、あくまで見聞私記であり、真剣に戦略・戦術を検討した論文ではない。まあ、当然である。終戦直後にそんなものを公刊したら、所属する軍から処罰されてしまうだろう。
しかし文章にはユーモアがあり、読んでいて楽しい。また、著者は黒木第一軍に従軍した観戦武官の中で最高齢かつ最高の階級なので、しばしば元帥、大将クラスの人物と会話をしているのが興味深い。
なお、どちらか一方だけ読むのなら明治の訳で文語文の『雑記』より、昭和の訳で口語文の『思ひ出』の方が、読みやすいし省略がなく(もしくは少なく)、訳者が叔父から聞いていた事をいくつか補足情報として書き加えてあるので、お勧めである。
ただし、どちらかが細部を作ってしまっているのか、それとも単に翻訳能力の問題か、記述が微妙に異なることがあるので、資料として研究に利用しようというのなら両者を比較検討する必要がある。
(2005/7/24 『日露観戦記』を拾い読み)
『日露観戦記』は訳者序文によると、単に英語の勉強のために翻訳したもので、当初は出版のつもりはなかったという。読んでみると、確かに不親切。地名が英語のアルファベット表記をそのままカナに開いてあるようで、漢字の日本語読みで覚えている筆者にはどこがどこやら、である。
(もっとも、筆者の興味が海戦に集中していて陸戦は大雑把にしか把握していないから分からないだけかも知れない。)
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『肉弾』 桜井忠温 【戦記文学】
  1906年 丁未出版社
  2004年6月20日 明元社 四六版上製 ネット書店で購入
旅順攻防戦に従軍した著者が、第一回総攻撃で敵弾に倒れるまでの体験を克明に綴った戦記小説。
(2004/10/11 読了)
私の持っているのは今年、開戦100周年を記念して『此一戦』と共に復刊された最新版。
旧字のほとんどを新字に置き換え、現代では使われない語句には解説を付け、ルビをふんだんに振って読みやすくしてあるもの。
正直なところ戦後生まれの私には、「お国のために戦って死ぬ」ことばかりを求める主人公には、とうていなじめない。なじめないのだが、そうした部分を除けば、戦場という異常な状況下では、人としての感情はより強く表れて、感動的である。友の安否を気遣い、部下の誠実に感動して弟とも思い、上官の厚情に触れて親とも慕う姿に、「戦友」とは、このように結ぶ絆であるのかと思う。
また、情景描写が秀逸で、主人公の目にしているものを自分もまた見ているかのように思い浮かべることが出来る。(ただし、死傷者続出の場面までそうであるので、その部分では比喩でなく気持ちが悪くなった。)
「面白い」と評価するのにはためらいを覚える。しかし、読む価値はある作品だろう。
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『朝日艦より見たる日本海海戦』 塚本義胤 【戦記】
  1907年6月 滄浪閣書房 国立国会図書館でマイクロフィッシュを閲覧
旗艦三笠の次の次の次についていた戦艦、朝日に乗艦していた著者による日本海海戦戦記。
(2004/10/16 日本海海戦の始まりのところを拾い読み)
2004年刊の『日本海海戦かく勝てり』で、本書の一部について言及があったので読みたくなった本。まだその部分しか読んでいないが、面白そうなのでそのうち全部読もうと思っている。
(2004/11/14 読了)
著者は公式記録をとるという任務のために朝日に乗り組んでいたのだが、それにしては主観的な記述や装飾的文言が多い。公式報告文には個人的な感想を書けなかった反動かもしれない。
この書で知った新しい事実と言うのはあまりないのだが、主観的な部分が多いだけに実際に戦っていた人たちの心理状態が良く分かる。
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『旅順・松山の歌』 ヒョードル・レンガート 【戦記・捕虜体験記】
  1907年 原著刊行
  1974年2月15日 新時代社 四六版上製 ネット古書店で購入
日露開戦により兵学校を繰り上げ卒業して少尉となり、旅順艦隊に配属された新米士官が、旅順開城により捕虜となって、松山の捕虜収容所で日本女性と恋におち結婚を約するが、果たせず帰国するまでを描いたもの。
1912年の邦題『剣と恋』、あるいは原題直訳『少なき歳月の数多き体験』の方が知名度があるかもしれない。
本書は旧訳を現代語に再編し、編者による捕虜時代の著者についての調査を巻末に付したもの。
(2005/7/24 斜め読み)
ロシア側からみた旅順艦隊の戦記で入手可能なものは少ないので貴重なのだが、8月10日は著者が旅順に居残りであったので、黄海海戦についての描写がないのが、仕方ないとはいえ物足りない。
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『明治三十七八年海戦史』 海軍軍令部 【公式戦史】
  1909年〜1910年 春陽堂 全4巻
  上巻:1934年8月25日 下巻:1934年9月20日 内閣印刷局朝陽会 A5版上製函入・上下巻 ネット古書店で購入
海軍軍令部が極秘扱いで編纂した『明治三十七八年海戦史』全150巻から、公にしても差し支えないと判断した部分だけを抜き出して公刊したもの。
明治のものは戦記3冊、医務についての1冊の全4巻だが、昭和の再刊は第4巻を省略し戦記3巻を2冊にまとめて上下巻とし、かつ本のサイズ自体が若干小さく、装丁もまた簡略化されている。代わりというわけか、冒頭に「三笠艦橋の図」の絵など、カラー印刷のページが数枚追加されている。(他にも違いがあるかもしれないが、どちらの版も拾い読みしかしていないので不明。)
(2004/10/17 拾い読み)
明治の版が国立国会図書館のホームページで自宅にいながら無料で閲覧できるのだが、目の酷使が深刻になったので思い切って購入。(興味があるのが陸軍でなくて良かった。参謀本部編の『明治卅七八日露戦史』なんて、5〜15倍の予算が必要である。)
公式記録なので事実関係が無味乾燥に並んでいるだけかと思ったら、これが意外と面白い。(意外と、である。さすがに血わき肉おどる、というわけには行かない。念為。)
執筆陣に、後に『此一戦』を書く水野広徳がいたり、資料が「秋山文学」といわれた秋山真之の報告文であったりするためだろうか。1904年3月10日の駆逐艦同士の戦闘には、この戦闘を表現するために真之が造語した「舷々相摩す」が、しっかりと使われている。
後年、第一次大戦のときも海戦史編纂を命じられた水野広徳は、作戦のサの字も知らない自分が文章力があるというだけで命じられるのはおかしい、とごねて(正論ではある)海上勤務にしてもらっている。してみると、海軍は公式戦史に読み物としての面白さもあってよいと考えていたらしい。
なお、オリジナルである極秘版は、防衛庁防衛研究所資料閲覧室で閲覧できるようである。
《付記》(2004/11/20)
明治版の戦記3冊が、芙蓉書房出版より2004年11月復刊予定。しかし本体価格(税抜き価格)75000円。別の意味で入手困難である。古書店のサイトをまめにチェックして古い版を探した方が安価に手に入る。
当然ながら、明治版より昭和版の方が安価なのだが(状態にもよるが、明治版1〜3巻揃いで4〜5万円、昭和版上下巻揃いで2万円前後。明治版4巻は滅多に出物がない)、安価なだけにすぐ売れてしまうのか、昭和版が上下巻そろいで出ていることはあまりない。
ついでに、本書を寄贈されたロシア海軍軍令部が、これを資料に使って編纂した『千九百四、五年露日海戦史』も同社より復刊。本体価格38000円。ぜひ読みたいのだが、これは古書店サイトに出ているのを見たことがなく、国立国会図書館で検索しても出てこない。防衛庁防衛研究所で閲覧できるらしいのだが、同所は平日しか開いていないので、会社を休まないと読みにいけない。ということで、倹約生活が始まっている。
《付記の付記》(2004/11/27)
『千九百四、五年露日海戦史』、買ってしまった。原著刊行日も翻訳の初版刊行日も不詳のため、ずっと下の2004年の所に掲載。ご参照あれ。
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『此一戦』 水野広徳 【戦記文学】
  1911年 博文館
  2004年6月20日 明元社 四六版上製 ネット書店で購入
水雷艇長として日露戦争に参戦し、海軍公式戦史『明治三十七八年海戦史』の編纂に携わった著者が、公式戦史編纂で得た知識と実体験とを元に描いた日本海海戦戦記。
(2004/10/17 読了)
私の持っているのは今年、開戦100周年を記念して『肉弾』と共に復刊された最新版。
旧字のほとんどを新字に置き換え、現代では使われない語句には解説を付け、ルビをふんだんに振って読みやすくしてあるもの。
非常に面白い。読む前は、この本が当時ベストセラーになったのは、情報の非常に少ない時代、日本海海戦の大勝利の経緯を知りたがった人が多かったからだろうと思っていたが、文章自体が躍動感に富んでいて飽きさせない。
日本海海戦について書いた本はたくさんあるが、それらのほとんどは敵前大回頭に始まる主力艦同士の戦闘に力点が置かれていて、その夜の小艦艇による夜襲を詳述してある本はあまりない。それに対し、本書は著者が水雷艇乗りであっただけに、むしろこちらの方が面白い。
また、著者が公式戦史編纂に携わった人だけに、敵味方の戦力比やこの海戦の意義など、全体的な内容も充実している。
同時復刊の『肉弾』の帯のコピーが「日露戦争を描いた世界的ベストセラー」であるのに対し、こちらのコピーは本書の結びの一文であるのは、『肉弾』が「当時」を強調しなければならないのに対し、『此一戦』は現代に通用する内容である証左という気がする。
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『旅順閉塞回想談』 栗田富太郎 【講演】
  1912年 啓成社 国立国会図書館でマイクロフィッシュを閲覧
最初の二回の旅順閉塞作戦に広瀬武夫指揮の船に機関長として参加した著者が、中学校で請われてした講演の筆記をまとめたもの。
(2005/4/17 拾い読み)
著者はもともと別件を題材に講演をする予定でいたが、当日になって旅順閉塞の話を、といわれてした講演である。
そのため話が脇にそれたり、冗漫な部分があったりなど準備不足の感は否めないのだが、8年前の話でありながら実に詳細であるのは、やはり忘れがたい記憶であるからだろう。
閉塞作戦の経過を知りたいだけなら後に本書を取捨要約した『第一回第二回旅順閉塞隊秘話』(1933年↓)の方が枝葉が刈り込んであって読みやすいように思われる。
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『日露海戦敗軍の真相』 クラド大佐 【ロシア海軍の内部告発書】
  原著刊行日不詳
  1913年 博文館 国立国会図書館でマイクロフィッシュを閲覧
ロシアの海軍軍人にして海軍批評家が、自国海軍の壊滅理由を暴露した書。
(2004/11/6 拾い読み)
本書が革命前のロシアで発行され得たというのに驚くが、攻撃対象が皇帝ではなく海軍組織であったからであろう。
著者は開戦前からロシア海軍が日本海軍に抗し難いとみて当局に献策を提出。開戦後バルチック艦隊に乗り組んだが、ドッガーバンク事件の事後収拾のためイギリスに留まる。帰国して自分の建白書が放棄されているのを発見、当局攻撃記事を書き始めた。ロシア海軍は一時期著者を免職にし圧力をかけたが、著者の舌鋒がますます鋭くなったため、復職させたという。
訳者の序文では本書のオリジナルは戦争中から発表されたということだが、内容からすると、終戦後にまとめなおして刊行されたもののようである。
本書をまるまる信じるわけにはいかないが、ロシア海軍が(ひいてはロシア帝国全体が)ここまで退嬰的であったとすれば、いかに強大国といえどもその力を十全に発揮できないのは当然である。著者の献策が無視されたのは、日本にとっては幸いであった。
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『戦影』 水野広徳 【戦記文学】
  1914年 金尾文淵堂
  1929年3月15日 改造社 四六版上製・函入 ネット古書店で購入
『此一戦』の著者による、開戦から旅順艦隊壊滅までの水雷艇の戦いを描いたもの。
(2004/11/16 読了)
「連合艦隊VS旅順艦隊」の参考資料にと、『此一戦』と同様の客観的分析を期待して読んだのだが、こちらは私的戦記の色合いが濃い。後の水野を思わせる社会批判も、頻々と顔を出す。数日間の出来事である日本海海戦を描いた前作と、ほぼ1年間にわたる内容の今作とでは、自ずと趣が異ならざるを得ないということか。まあ、同一の作家は同一の手法をとらねばならないということもないのだが。
旅順艦隊を相手にしていた頃の水雷艇隊は日本海海戦のときより戦果が少ないとはしばしば言われる。
確かにそうなのだが、大型艦と比べて小艇では船上生活をしているだけで乗員は疲労困憊するし、故障もしばしばで、戦闘の際には敵の砲弾より機関が止まりはしないかの方を恐れていたという状況では、いたし方ない部分もあるかもしれない。水雷艇の戦術が、日本海海戦の頃ほど練れていなかったこともあろう。
どうでもいいことだが、息抜き部分の会話に「海軍用語」が注釈なしで登場するので、それを知らないと笑えないかもしれない。同著者の自伝にまとめて説明してあったので、「逸話集」に収録した。本書を読む際にはご参照あれ。
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『軍談』 秋山真之 【評論・講演集】
  1917年 実業之日本社  国立国会図書館でマイクロフィッシュを閲覧、著作権が既に消失しているので、全文コピーを入手。
秋山真之の著者名で存命中に公刊された唯一の書。ただし本にするために執筆したものではなく、雑誌に寄稿したものや、講演会の速記録などをまとめたもの。各タイトルは、次の通り。
「黒船初めて江戸湾に来たるの図に題す」 明治33年
「黄海海戦の回想」 大正2年8月 (秋山眞之会『秋山眞之』に全文が引用されている。)
「露国の北亜経略由来」 年月不詳、中佐時代
「日本海海戦の回想」 大正2年5月
「海軍補充の近況」 大正5年11月
「列国海軍の趨勢に対する我海軍の現位置」 大正3年11月
「米価と国防の関係―附 燻炭肥料普及の必要」 大正3年4月
「支那と対比して日本国民性の自覚」 大正2年2月
「大戦後に於ける兵器の進化」 大正3年10月
「欧州大乱の心的原由」 大正5年11月
「欧州大戦の三大力素」 大正5年11月
「軍紀の整粛」 大正2年2月
「欧州大戦と工業」 大正5年11月
「米国海軍の大拡張」 大正5年11月
「世界大乱の将来」 大正6年2月
(読了)
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『大戦余響:日露戦役話集』 鳳秀太郎 【戦記集】
  1917年 博文館 国立国会図書館でマイクロフィッシュを閲覧
『肉弾』(1906年↑)『此一戦』(1911年↑)『旅順閉塞回想談』(1912年↑)その他多数の当時刊行済みであった戦記から、時系列順にハイライトシーンを抜き出して並べたもの。
(2007/4/26 拾い読み)
既刊からおいしいところだけを抜き出して並べた著作。各方面の戦記を手軽にまんべんなくつまみ食いできるのはありがたいが、これ、著作権者の了解を全部得るのは大変だったのじゃないかなあ、それともひょっとして無許可か?と思うのは私が出版社の人間だからか。
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『明治日本見聞録 英国家庭教師婦人の回想』 エセル・ハワード 【回想録】
  1918年 原書刊行
  1999年2月10日 講談社学術文庫1364 新刊書店で購入
1901〜7年を元薩摩藩主島津家の子息の家庭教師として過ごしたイギリス人女性の回想録。
(2005/10/19 拾い読み)
印象的なページあったので購入。逸話集に収録したのでご参照あれ。
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『乃木』 スタンレー・ウォッシュバーン 【従軍記者の手記】
  1924年 文興院 国立国会図書館にてマイクロフィッシュを閲覧
乃木軍に従軍した記者による手記。
(2006/1/2 拾い読み)
『その時歴史が動いた 第238回』で引用されていたので、その前後だけ拾い読み。
記者というのは著述に際し客観的で事実だけを述べるよう心がけなければならないものであるはずだが、なにやら伝説めいたエピソードが頻出するのが気になる。
検証する能力がないので本書を全面的には否定しないが、ごく一部にあったエピソードを針小棒大に語っている可能性はあるのではないかと思う。
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『砲弾を潜りて』 川田 功 【戦記文学】
  1925年 博文館 国立国会図書館にてマイクロフィッシュを閲覧
執筆時海軍少佐であった著者による、小説仕立ての戦記。
全14章中、1〜12章が第一次旅順口閉塞隊に参加し日本海海戦には水雷艇に乗っていた水兵を主人公としたもの。13章が上村艦隊、最終章は第一次世界大戦の日独戦を扱っている。
(2004/10/23 9割読了)
3人称の小説仕立てで、著者と同じ名前の登場人物がいない。最も多く登場する水兵、京文吉(「かなどめぶんきち」と読む)というのが著者の仮名であるのかもしれないし、主人公に自分を投影しているにしても架空の人物とすることによって、後になって知ったことなども盛り込んでしまおうとしたのかもしれない。序文や推薦文を読んでもよく分からない。
しかし水兵の視点で書かれたものは珍しいので、いくつかの局面で他の著作とはちょっと変わった見方をしているのが面白い。
バルチック艦隊が戦艦が多くそれもごてごてしたフランス式であったため、「金城鉄壁の移動のようであった」と圧倒されている一方、「眼を転じて味方を見ると(略)僅かに四隻の戦艦で、それすら痩せこけて折れそうな貧弱さを見せて居た。(略)英国式は一般に華奢に見えはしたが、ぼろぼろの艇隊迄も付きまとって居た陣容はどう見ても余り堂々たるものではなかった」とくる。「我軍は闘犬に吠えかかる子犬のようであった」し、あの「浪高シ」の電報さえ、「子犬が遠吠えするような空威張り」と評しているのである。
味方は劣勢に見えるものだというが。
ところが翌日、第一戦隊第二戦隊が1隻も欠けていないのを確認し、ネボガトフ艦隊を包囲したときには「余りに敵が弱いと惻隠の情が起こる」し、そのくせ降伏されれば「戦艦が四隻も居ってですかっ」と敵に失望し、「武士の情けに撃沈してやったらよささうですねえ」などと言い出す。
気分がころころ変わっていくところに、かえってリアリティがあるではないか。
また、阿諛追従にならないように注意したと序文にあるとおり、滅多に味方を賞賛したりはしていないのだが、秋山真之だけは例外なのは、真之ファンとしてはちょっと嬉しい。(本書出版時、真之が既に故人であったからかもしれないが。)
もう少しというところで閲覧時間が終わってしまったので読了していないのだが、次の土曜日には必ず読みに行こうとと思っている。
(2004/11/7 読了)
マイクロフィッシュは眼が疲れるので、津野田是重の『斜陽と鉄血』『軍服の聖者』と抱き合わせになっている『戦記名著集:熱血秘史 第5巻』というのを閲覧したら、14章が省略されていた。日露戦争の部分だけでいいなら、紙で読めるこちらの方がいいかも。でも、読んでいないのがその14章だったので返却して借り直し。ただ、返す前にせっかくなので前の方を少し読み返した。
本書では、日本海海戦の始まりのとき、悪天候のため実行されなかった部分の駆逐艦&水雷艇の作戦行動を、悔しがった水雷艇隊の一部が夜襲のときに規模縮小して実行した結果、ナワリンを沈めたということになっている。だが、その肝心なところになると、「是からの運動方法は記載することが出来ない」。
大正になっても極秘作戦のままなのである。ぼかしながら書いてあることを総合してアウトラインだけでも掴めないかと思ったが、やっぱりよく分からない。お預けを食らった犬の心境である。
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『斜陽と鉄血』 津野田是重 【戦記】
  1925年
  1935年 香風閣(同著者の『軍服の聖者』との合本) 四六版上製函入 ネット古書店にて購入
陸軍第三軍の参謀津野田是重による旅順攻防戦戦記。
(読了)
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『軍服の聖者』 津野田是重 【戦記】
  1927年
  1935年 香風閣(同著者の『斜陽と鉄血』との合本) 四六版上製函入 ネット古書店にて購入
陸軍第三軍の参謀津野田是重による奉天会戦戦記。
(読了)
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「軍議(日本海海戦秘録)」 水野廣徳 【秘話】
  1927年6月1日 中央公論社 雑誌「中央公論」6月号掲載 A5版並製 ネット古書店にて購入
 日本海海戦の数日前、バルチック艦隊が対馬海峡にくるか、あるいは津軽海峡、宗谷海峡かで連合艦隊司令部も大本営も揺れたのだが、その軍議の様子を描いたもの。
(2008/8/10 読了) 
 水雷艇の艇長だった水野は無論どちらでもその場に居合わせなかったわけだが、のちに『明治三十七八年海戦史』の編纂委員であった水野は任務として当事者から話を聞いている。この文の末尾にも、「此問答の要領は当時其席に在りて今は故人となりたる人の直話に據れるものである。」とある。
 『日本海海戦の真実』(1999年↓)を読んで、このときの大本営からの「移動せずに待て」の電報はさぞかし真剣な討議を経て発せられたのだろうと思っていたのだが、その決定の重大さに比して軍議というには軽い会話から発せられたことに拍子ぬけする。
 歴史とは案外そんなものかもしれない。
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『熱血秘史 戦記名著集』 【戦記選集】
  1929年6月〜1930年8月 戦記名著刊行会 四六版上製函入全15巻 ネット古書店にて購入
明治から大正にかけて書かれた、国内外の戦記や新聞記事等をシリーズ刊行したもの。
第一巻 「残花一輪」市川禪海 / 「鉄血」猪熊敬一郎 / 「実践実話」14人による短文の戦記
第二巻 「明治大正外交秘話」大瀧鞍馬・長瀬金平
第三巻 「忠烈美譚 戦場秘話」赤堀又二郎 / 「鉄蹄夜話」由上治三郎
第四巻 「此一戦」水野広徳 / 「軍事断片」小笠原長生
第五巻 「砲弾を潜りて」川田 功 / 「斜陽と鉄血」「軍服の聖者」津野田是重
第六巻 「血烟」安川隆治 / 「剣と筆」大竹末吉
第七巻 「乃木将軍」綿貫六助 / 「東郷元帥」最上哲夫 / 「広瀬中佐」若月保治 / 「橘中佐」大谷深造
第八巻 「外国武官の観戦秘聞」戦記名著刊行会編
第九巻 「兵車行」大月隆仗 / 「旅順閉塞」桃陰 / 「風雲回顧談」諸名士回顧談
第十巻 「記事そのまま 日露戦争当時の内外新聞抄」戦記名著刊行会編
第十一巻 「日露観戦雑記」イアン・ハミルトン / 「弾痕抄」マックス・ベールマン
第十二巻 「殉国記」ウラジミル・セミヨノフ / 「敗戦」ウエー・ウエレッシエヨー
第十三巻 「爆撃」大瀧鞍馬(訳・著)
第十四巻 「威海衛海戦記」平田勝馬
第十五巻 「青島戦記」大阪朝日新聞社編 / 「北清観戦記」坪谷善四郎
1〜12巻は日露戦争。13巻は第一次大戦のイギリス・ドイツの軍人の手記をもとに日本人が補足して書いたもの。14巻は日清戦争、15巻は前者が第一次大戦の青島攻略、後者が北清事変。
(5巻読了、その他は拾い読み)
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『敵中横断三百里』 山中峯太郎 【戦記文学・少年向け】
  1930年 「少年倶楽部」連載
  1975年10月16日 講談社少年倶楽部文庫4 ネット古書店で購入
建川挺身斥候隊の一部始終を、少年向けに冒険小説として描いたもの。
(2004/10/16 表題作のみ読了)
これを原作に作られた映画が面白かったので入手。
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『ラ・バタイユ』 フアレエル 【小説】
  原著刊行日不詳
  1930年 改造社 新書版上製 国立国会図書館で閲覧
『戦闘』 クロード・ファレル 【小説】
  1991年1月 葦書房 四六版上製 国立国会図書館で閲覧
日本の軍人貴族夫妻とフランス人とをからめて描いた小説。
(2008/9/14 拾い読み)
国会図書館で日露戦争関連の雑誌記事をあさっていたら、これが日本海海戦を描いたものとあったのでビックリ。
『ラ・バタイユ』というタイトルも、そのヒロインが「ミツコ」という日本女性だということも、フランス語の「バタイユ」が英語なら「バトル」になることも、それこそ20年近く前から知っていたのだが、そのバトルが日本海海戦だったとは……!
とはいえ、海戦部分は記述が多くない上に主人公の乗るのが「日光」という実在しない戦艦で、三笠の次、敷島の前の2番艦だったなど、戦史の参考書としては期待しない方がよい。
当時のフランス人の東洋人への見方がフィクションの世界ではどうなるか、という興味で読むなら面白いかもしれない。
《以下余談》
『ラ・バタイユ』のタイトルを知っていたのは、一時期香水に凝っていたから。フランスのブランド、ゲランから発売されている「ミツコ」の名前の由来としてである。
日本女性の名前がついている香水ってどんなかな〜と香水売場で試した覚えはあるのだが、果たしてどんな香りだったのかの記憶が全然ない。サンプルやムエット(試香紙)をもらって帰った記憶もないので、私の好みには合わなかったのだろう。どうも私はフランスものとは相性が悪く、買っても使い切ったことがない。イタリアもの、特にブルガリのはどれも何度も買い足しているのだが。
ルーブルとギュスターヴ・モロー美術館だけは行ってみたいけれど、イタ飯は大好きだがフランス料理は口に合わないことからしても、たぶん私がフランスに行くことは、何か事情が発生しない限りないだろ〜な〜、と思う。
ヨーロッパ直行の夜行便があるのはエールフランスだけなので(少なくとも3年前まではそうだった)空港だけは何度か降りたことがある。が、あるときなどは乗り継ぎ時間が短いからと全力疾走させられたのに(息切れして立ち止まると、係員に早くしろとばかりに急かされた。こっちは旅行帰りで疲れてるっつーの)、いざゲート前に行ったら20分も待たされた(怒)。
やはり私はフランスとは相性が悪い。
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『元帥島村速雄伝』 中川繁丑 【伝記】
  1933年 中川繁丑 縦23cm上製 国立国会図書館で閲覧
島村速雄の伝記。
(拾い読み)
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『秋山眞之』 秋山眞之会 【伝記】
  1933年2月10日 秋山眞之会 四六版上製 ネット古書店で購入
秋山真之の伝記。
写真や、真之の手になる文章が多数収録されている。
真之を直接に知る人々が、やはり直接に知る人々に取材して著したものであり、真之についての一級資料である。
なお、立案・監修を担当したのは『此一戦』(1911年↑)や『戦影』(1914年↑)の水野広徳。
(読了)
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『第一回第二回旅順閉塞隊秘話』 栗田富太郎 【戦記】
  1933年5月10日 東京水交社 四六版上製 国立国会図書館で閲覧、著作権が既に消失しているので、全文コピーを入手
最初の二回の旅順閉塞作戦に広瀬武夫指揮の船に機関長として参加した著者による体験記。
明治45年刊行の旧作『旅順閉塞回想談』を取捨要約したもの。
(2005/4/17 読了)
講演の筆記であったため話が脇にそれたり冗漫であったりした旧作より、読み物としての完成度は高い。
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『ツシマ』 アレクセイ・シルイッチ・ノビコフ・プリボイ 【戦記文学】
上巻:バルチック艦隊遠征 下巻:バルチック艦隊壊滅
  1933年原著刊行 
  2004年8月20日 原書房 四六版上製 新刊書店で購入
戦艦アリョールに乗り組んだ著者による、バルチック艦隊の記録。各巻の副題どおり、上巻はバルチック艦隊がリバウを出港して対馬海峡に達するまでの航海を、下巻はバルチック艦隊がツシマ海戦(日本海海戦)で壊滅する様子を描いたもの。
(読了)
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『提督秋山眞之』 秋山眞之会 【伝記】
  1934年2月5日 岩波書店 四六版上製函入 ネット古書店で購入
限定出版であった『秋山眞之』を、公刊するため抜粋したもの。
(読了)
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『第三回旅順閉塞隊秘話』 匝瑳胤次 【戦記】
  1934年9月25日 東京水交社 四六版上製函入 ネット古書店で購入
第三回旅順閉塞隊に三河丸の艇長として参加した著者による手記。
そのほかの船に乗船した数人による手記や、閉塞隊員の収容に当たった水雷艇長の手記(水野広徳『戦影』からの抜粋)、東郷平八郎が大本営に提出した報告の抜粋なども併録する。
(拾い読み)
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『東郷元帥を偲ぶ』 【記録映画】
 不詳だが、1934年6月以降、それほど遠くない時期と思われる。 日本海海戦100周年記念事業の際に記念艦みかさで上映されたものを視聴。
東郷平八郎の没後に作られた36分の記録映画。
内容は、東郷平八郎の経歴の簡単な紹介、最晩年ではあるが生前の映像がいくつか、葬儀の様子など。
生前の映像は、正装して式典に参加したときのものや、自宅の庭を孫(曾孫?)と散歩している姿など。肉声もわずかながら聞ける。
(2005/5/28 視聴済)
東郷平八郎の見た目を「風采が上がらない」と記述するものはいくつかあり、森山慶三郎などは『名将回顧 日露大戦秘史 海戦編』(1935年↓)で、初めて東郷平八郎を見たときの印象を「僕等こんな人がおれらのとこの長官に来ちゃ叶わんと思った」と述懐したぐらいだが、実際、写真(静止画像)ならともかく動画だと、元帥の正装をしていてもあまりえらそうに見えない。
むしろ、自宅での和服姿の方が威厳がある。飾り立てないほうがさまになるタイプの男であったようだ。
上映されたのはVTRに複写されたものだそうだが、フィルムの劣化が激しい。ぜひデジタル保存していただきたい。
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『参戦二十将星 日露大戦を語る』 【対談集】
  1935年3月23日 東京日日新聞社・大阪毎日新聞社 四六版並製 ネット古書店で購入
日露戦争に参戦した20人による対談集、陸軍篇。
(拾い読み)
『参戦二十提督 日露大海戦を語る』 【対談集】
  1935年5月27日 東京日日新聞社・大阪毎日新聞社 四六版並製 ネット古書店で購入
日露戦争に参戦した20人による対談集、海軍篇。
(読了)
『名将回顧 日露大戦秘史 陸戦篇』 【対談集】
  1935年3月20日 朝日新聞社 四六版並製 ネット古書店で購入
日露戦争に参戦した15人による対談集、陸軍篇。
(拾い読み)
『名将回顧 日露大戦秘史 海戦篇』 【対談集】
  1935年5月15日 朝日新聞社 四六版並製 ネット古書店で購入
日露戦争に参戦した13人による対談集、海軍篇。
(読了)
(2004/10/17)
上記4冊とも、日露戦争30周年を記念して、新聞社の企画で行われた対談を収録したもの。
『参戦』の2冊はそれぞれの担当した分野を順々に語っているもので、対談集というよりは談話集に近いが、分量が多く、中身が濃い。
『名将回顧』は量は少ないものの会話になっているので、ひとつのことにも意見の相違があったり、話し言葉からそれぞれの性格がうかがえたりと別の興味を満たしてくれる。
(何度読んでも笑ってしまうのが森山慶三郎。東郷平八郎のことを「無能と思わなかったか?」って、それをよりによって小笠原長生に聞くか?)
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『回顧卅年 日露戦争を語る 「海軍の巻」』 【談話集】
  1935年5月2日 時事新報社 四六版並製 ネット古書店で購入
↑の4点の対談集と同様の主旨で刊行された談話集。「陸軍の巻」も刊行されている(筆者は未見)。
(2006/4/29 拾い読み)
本書掲載の9人の内、対談集と重複のない4人の談話が目的で購入したのだが、笑ってしまったのが例によって森山慶三郎。こちらの最後に、エピソード・4として載せておいた。
真面目なところで興味深いのは日本海海戦当時に和泉乗り組みの士官候補生であった島田繁太郎の回想談。
和泉の行動が詳細に語られること自体もだが、前年海軍兵学校を卒業しこのとき初陣であった彼の視点は素人に近いものが部分的にあって、それが素人読者の私にはリアリティを増して感じられるのである。
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『秋山好古』 秋山好古大将伝記刊行会 【伝記】
  1936年11月1日 秋山好古大将伝記刊行会 A5版上製函入 ネット古書店で購入
秋山好古の伝記。
写真や、好古の手になる文章が多数収録されている。
好古を直接に知る人が、やはり直接に知る人々に取材して著したものであり、好古についての一級資料である。
代表者名は弟の伝記『秋山眞之』(1933年↑)同様、桜井真清となっているが、執筆は『此一戦』(1911年↑)や『戦影』(1914年↑)の水野広徳が主導して、『水野廣徳』(1949年↓)『乃木希典』(1960年↓)の松下芳男と二人で行われた。
水野と松下の執筆分担や執筆中のエピソードはこちら。
(読了)
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『新聞集成 明治編年史 第十二巻 日露戦争期 明治三十六年〜同三十八年』 【新聞記事集】
  1936年 財政経済学会
  1982年 本邦書籍 四六版上製 地元図書館にて借出
文久2年から明治45年までの国内の新聞各紙の記事を全15巻(第15巻は索引)にまとめたもののうちの一冊。
(拾い読み)
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『ロジエストウエンスキイの悲劇 日露海戦 前編』 フランク・ツイース 【小説】
  原著刊行日不詳
  1937年6月20日 昭森社 四六版上製函入 ネット古書店で購入
『戦争事実小説 對馬海峡』 フランク・ツイース 【小説】
  1938年5月15日 高山書院 四六版上製 ネット古書店で購入
『全滅の戰列 バルチック艦隊回航記』 フランク・テイエス 【小説】
  1940年 牧野書店 四六版上製 国立国会図書館で閲覧
ドイツ人作家が、バルチック艦隊の東航および日本海海戦を描いたもの。原題は『Tuschima』。
『ロジエストウエンスキイの悲劇』と『對馬海峡』が、原著を前後二部に分けた完訳。当初は後編の『對馬海峡』も前編と同じ版元から出る予定であったらしく、巻末に『對馬海峡の遭遇戰 日露海戦 後編』と広告が載っている。
版元が変わったために、後半だけでも独立して読めるよう、『對馬海峡』は前半から部分を再録している。
前編のタイトルからも推測できるように、ロジェストウェンスキーを有能だが、部下に恵まれず本国の支援も受けられないまま死地へ向かわねばならなかった悲劇の提督として描いている。
序文に、「本書は、海戦小説であるが、作者が創作したものではなく、歴史そのままを叙述したものだ。」とあり、確かによく調べて書かれた本である。が、著者は日本語が読めなかったか、あるいは読めても入手が困難だったようで、日本側の記述については細かな間違いがいくつかある(秋山真之を「大尉」と書いてあったりなど)。まあ、目くじらを立てるほどの間違いではないのだが。
もう1点の『全滅の戰列』は一冊にまとめた抄訳。副題から分かるように回航部分を中心にまとめられ、旅順艦隊の戦闘や日本海海戦の部分はほとんどカットされている。
(2005/9/24 完訳は読了、抄訳は拾い読み)
2005年9月24日の朝日新聞夕刊連載コラム『交流150年 司馬遼太郎のロシア』(2005年↓)の第2回によると、ロジェストウェンスキーの曾孫が本書の「ロシア語訳を出版するのが夢」と語っているそうだ。
長い間提督の話はタブーであったというから、無理もない。
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『水野廣徳』 松下芳男 【伝記】
  1949年7月1日 四州社 四六版上製 ネット書店で購入
『海軍大佐の反戦 水野広徳』 松下芳男(原著)前坂俊之(編) 【伝記】
  1993年12月5日 雄山閣 四六版上製 ネット書店で購入
水野広徳の親友、松下芳男による伝記。
『海軍大佐の反戦 水野広徳』は、松下芳男の著作を前坂俊之が現代語訳(当て字を仮名に開くなど)した上で、若干の省略、補足をしたもの。
(拾い読み)
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『捕らわれた鷲 バルチック艦隊壊滅記』 ウラジミール・コスチェンコ 【戦記】
  1955年原著刊行
  1977年7月20日 原書房 四六版上製 ネット古書店で購入
機関学校造船科を卒業した直後に戦艦アリョール(ロシア語で「鷲」の意)の建艦にたずさわり、その後バルチック艦隊の東航、日本海海戦に参加した造船技師による戦記。
(2005/4/10 読了)
著者は『ツシマ』のノビコフ・プリボイと同様にアリョールの乗員であり、『ツシマ』にワシーリェフの仮名で登場していると同様に、本作にもノビコフ・プリボイが登場する。
描かれている期間は、こちらが戦後の査問会のことにも言及していることをのぞけば『ツシマ』と全く重なっており、内容に共通している部分が多いのだが、先行する作品との差別化を意図しているのだろう、『ツシマ』が文学作品的色合いが濃いのに対し、こちらの方はより記録的である。
特に顕著なのが、著者が造船技師であったため、バルチック艦隊の主力戦艦の沈没理由を技術的側面から分析している部分である。ロジェストウェンスキーの指揮を、艦の型ごとの特長を殺してしまうものだとして批判してもいる。
しかし批判しながらも総じて論理的、理性的であり、私は『ツシマ』よりもこちらの方が好感を持てる。
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『日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里』 【劇映画】
  1957年 角川映画 モノクロ 日本映画専門チャンネルにて視聴
山中峯太郎の少年向け冒険小説を原作に、建川挺身斥候隊を描いたもの。
監督:森一生 原作:山中峯太郎 脚本:黒澤明&小国英雄 
出演:菅原謙二 高松英郎 根上淳 川崎敬三
(2004/10/24 視聴済)
面白い。演出に古さを感じないではないし、原作をはしょったためご都合主義になってしまっている部分もあるのだが、さすがはクロサワというべきか(と言っては共同脚本の小国氏に失礼だが)。
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『乃木希典』 松下芳男 【人物評論】
  1960年11月1日 吉川弘文館
  1985年12月1日 吉川弘文館 新装版 四六版並製 地元図書館で借出
乃木希典の人物評論。
(2006/9/19 読了)
実は、乃木希典についてよりも、松下芳男のような人物は乃木をどう評価するのかを知りたくて読んだ。
著者の松下芳男は大正2年に陸軍士官学校を卒業しながら、社会主義思想にかぶれて中尉で陸軍を追い出された人物である。もっとも、後に反戦平和主義者ではあったが社会主義者ではなかった水野広徳を先生と慕っているのでガチガチの共産主義者ではないと思われる。
結果は、社会主義にかぶれようと、平和主義者だろうと、ものの感じ方には軍人教育が抜けていないなあ、というところである。
著者の乃木評価は要するに、家庭人としては落第、軍政家としては資質なし、作戦指揮能力についても疑問符あり、ただし、軍人としての人格のみ絶賛、というところである。
しかし、軍人というのは突き詰めて言えば戦争技術者であって、その最大の存在意義は戦争に勝つことである。それも指揮官となれば、なるべく見方の損害を少なくかつ短期間に、つまり効率よく勝つように算段することである。
旅順で大苦戦したことについて、大本営が旅順を軽く見ていたことがそもそもの原因としつつも、「その情報の収集と偵察とが不十分であり、その判断が不適当であったという非難はまぬかれないであろう」とするのであれば、いかにその軍人精神が理想的な域に達していようとも、肝心の指揮能力に疑問があっては「理想的軍人」とはいえないだろう。
また軍人としていかに立派であろうと私人としての面に大きな欠落があっては、人格者とも言えないのではなかろうか。
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『ロシヤにおける広瀬武夫 武骨天使伝』 島田謹二 【人物評伝】
  1961年 弘文堂
  1970年4月30日 朝日新聞社 四六版上製函入 ネット古書店で購入
広瀬武夫の評伝。タイトルどおりロシア駐在期間中を集中的に取り上げている。
(未読)
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『機密日露戦史』 谷壽夫 【戦史】
  1966年 原書房 四六版上製・別冊付き 国立国会図書館で閲覧
戦前に執筆され、陸軍内部の秘密文書であった通称『谷戦史』を公刊したもの。
(ほんの数か所だけ拾い読み)
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『坂の上の雲』 司馬遼太郎 【小説】
  1968年4月22日〜1972年8月4日 「サンケイ新聞」連載
  1999年 文春文庫 新装版全8巻 新刊書店で購入
秋山好古と真之の兄弟、そして真之の親友、正岡子規。
この三人の生涯を追いつつ、日露戦争の経緯を描いた長編小説。
(2004/10/11 読了)
これを読まずして日露戦争は語れない。
小説の内容に史実と相違があったところで、普通は「小説なんだから」と大目に見られそうなものだが、この作品に限ってはしつこいまでに戦史研究家から「ここが違う」という指摘を受けるのは、それだけこの作品の影響力が巨大だからだろう。
これ以上の評価は、恐れ多くてできません。
とにかく、読んでください。面白いことは保証します。
《以下余談》
あとがきに、「(略)こっけいなことに米と絹のほかに主要産業のないこの百姓国家の連中が、ヨーロッパ先進国とおなじ海軍を持とうとしたことである。(略)人口五千ほどの村が一流のプロ野球団をもとうとするようなもので、財政のなりたつはずがない。」という一文がある。
実は、このたとえ同様のことが、イタリアで実現している。
サッカーのセリエAで「キエーヴォ・ヴェローナ」というチームが健闘している(2004年10月26日時点で4位)が、このチーム、ヴェローナ市のものではない。ヴェローナ市郊外の一地区、人口3000人弱のキエーヴォ区のチームなのだ。
貧乏国日本が艦隊を揃えて大国ロシアに勝ってしまったように、世の中何が起こるかわからないものである。
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『明治文学全集97 明治戦争文学集』【戦記文学集】
  1969年4月30日 筑摩書房 A5版上製 地元図書館で借出
『肉弾』と『此一戦』の全文、『従軍三年』の数章、『旅順籠城 劍と戀』の前半をメインに、11篇の短い戦記文学や発表当時の書評等を収録したもの。
なお、『旅順籠城 劍と戀』は『旅順・松山の歌』(1907年↑)の元訳。
(2006/9/13 数編読了)
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『アメリカにおける秋山真之 明治期日本人の一肖像』 島田謹二 【人物評伝】
  1969年7月10日 朝日新聞社 四六版上製函入 ネット古書店で購入
秋山真之の評伝。タイトルどおりアメリカ留学期間中を集中的に取り上げている。
(読みかけ、半分ぐらい)
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『駆逐艦 その技術的回顧』 堀元美 【駆逐艦研究】
  1969年 原書房 A5版上製 国立国会図書館で閲覧
駆逐艦という艦種について、その変遷を解説したもの。
(2005/4/2 日露戦争の部分を拾い読み)
「その技術的回顧」という副題にたがわず、ハードウェアとしての駆逐艦についての解説書だが、技術の発展には実用に供してみて特徴や欠点を洗い出すことが必要。軍艦の場合も同様である。
したがって本書では実戦の状況もいくつか解説されている。
海軍の主力はなんと言っても戦艦であり、日露戦争が後の大艦巨砲時代をもたらしたため、小説でも戦史でもどうしても戦艦についての記述が中心であり、駆逐艦や水雷艇についてはついでの扱いとなる。
そんな中、何であれメインより周辺に関心が行くへそ曲がりの筆者は、駆逐艦主体の著作というのはそれだけで面白かった。
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『日本海大海戦』 【劇映画】
  1969年 東宝映画 セルDVD
日露戦争の海戦を史実を追って描いたもの。
監督:丸山誠治 特技監督:円谷英二 脚本:八住利雄 音楽:佐藤勝
出演:三船敏郎 加山雄三 仲代達矢 草笛光子 笠智衆 松本幸四郎
(2004/10/24 視聴済)
極めてオーソドックスな歴史解釈。日露戦争の海戦のハイライトを手っ取り早く知るには、これが一番かもしれない。
円谷英二の特撮も、昨今のCGを多用したハリウッド映画を見慣れた眼には古めかしいと言わざるを得ないが、TVで見ている分には充分な迫力を出している。
ひとつだけ文句を言うならば、仲代達矢演じる明石元ニ郎は、カッコ良すぎると思う。
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『海軍砲戦史談』 黛治夫 【砲術研究】
  1972年 原書房 四六版上製 国立国会図書館で閲覧
砲について、ハードウエアとその戦術運用の発展を解説したもの。
(日露戦争の部分を拾い読み)
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『日露戦争全史』 デニス・ウォーナー&ペギー・ウォーナー夫妻 【戦史】
  1976年原書発行
  1978年 時事通信社 A5版上製 神田古書店街で購入
アジア情勢に造詣の深いオーストラリア人ジャーナリスト夫妻による日露戦争通史。
(拾い読み)
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『ソ連から見た日露戦争』 I・I・ロストーノフ編 【戦史】
  1977年原書発行
  1980年7月30日 原書房 四六版上製 ネット古書店で購入
刊行当時、国防省軍事史研究所に勤務し、現役の陸軍中佐、歴史学博士・教授である、ソ連の日露戦争研究の第一人者による編纂の戦史。
(2004/11/28 拾い読み)
 数箇所を拾い読みしただけであるし、また読んだ箇所が仁川沖の海戦や日本海海戦と日本側の一方的勝利に終わった部分であったので余計なのであろうが、日本側の資料から、ロシアの勇戦を評価している部分や日本側の損害を記述してある部分ばかりを頻繁に引用してあるのは微笑が漏れる。
 また、ロシア側の戦いぶりを書いた部分では、全体の戦況はなるべく言葉少なに、個人の勇戦を熱心に語り、沈没、撃沈、大破の文字を極力避けていて、本書をうっかり読んでいると、日本は両海戦で苦戦して大損害を被ったかのように思えてくる。
 仁川沖の海戦は、その直後から日本側の損害について彼我の認識に差異があるのは事実だが、自国の敗北を惨敗として書きたくはないのだろうなあと、心情をおもんぱかりたくなる。
 もっとも、8月15日を終戦記念日と称し敗戦記念日とは言わない日本も似たようなものか。
《付記》
 『明治三十七八年海戦史』のロシア語訳を頻繁に引用していているのだが、題名がロシア語題から重訳したのか『明治三十七・八年の海戦記』となっている。大江志乃夫氏が監修しているのだから気づかないはずはないので、本来の題名に戻せばよさそうなものだと思うのだが。
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『反骨の軍人・水野広徳』 水野広徳 【自伝】
  1978年9月 経済往来社 四六版上製函入 ネット古書店で購入
日露戦争に水雷艇長として参戦して、戦後『此一戦』を書き、のちに平和主義評論家に転じた水野広徳の自伝。
著者が公刊を望まず、遺族もその意を尊重して保管したままになっていたもの。近親者がなくなったのを機に出版された。自伝らしからぬ書名はそのためだろう。
出生から海軍兵学校に入学するまでの「剣を吊るまで」と、海軍兵学校時代から海軍を去るまでの「剣を解くまで」の前後2部構成で、評論「新国防方針の解剖」が付録として収録されている。
(2004/10/28 自伝部分読了)
『錨と星の賦 桜井忠温と水野広徳』(1980年刊)を途中まで読んで著者の前半生の概要はつかんでいたのだが、著者自身の筆で知りたくなったので、読むことにしたもの。
生まれ持ってのものか、逆境に鍛えられたからか、著者の強さに感動する。
幼くして両親に死に別れ、兄弟達と生き別れに母方の伯父に引き取られた著者は、当時の養われ児としては順当かも知れないが、しかし平成の今日では虐待と見る人もいるかも知れないような育てられ方をする。
しかし著者は少年期から退役までの全期間において、しばしばひねくれたり居直ったりするのだが、卑屈にだけはならない。著者の筆は乾いていて、笑わせてくれさえするのである。
もっとも、卑屈にならない代わりに無鉄砲になっている。
私ははじめ、本書を国立国会図書館で閲覧していたのだが、日露戦争前後を先に拾い読みしたら、しんとした閲覧室であまりにもしばしば吹きだしてしまい、周りの顰蹙を買ったため読むのを中断、購入を決意した。
面白おかしく書こうとした訳ではないのだろうが、尉官時代の著者は、無茶苦茶と言っていいくらいに無鉄砲。特に、日露戦争直前に水雷艇長を命じられるきっかけとなった、天長節のエピソードは出色である。
後に、戦史編纂を命じられて陸上勤務となったのをきっかけに本を読むようになって、無鉄砲なだけから反骨精神へと変わっていくのだが。
なお、公表を目的としない執筆のためか、順不同で書かれたものを年代順に並べなおしてまとめられたからなのか、文体が不統一であったり内容に重複があったりするが、それでも読ませる文章力は、さすがと言うべきだろう。
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『二百三高地』 【劇映画】
  1980年 東映映画 セルDVD
旅順攻防戦を、架空の兵士たちの人間模様を交えて描いたもの。
監督:舛田利雄 脚本:笠原和夫 主題歌:「防人の詩」さだまさし
出演:仲代達矢 丹波哲郎 あおい輝彦 新沼謙治 湯原昌幸 佐藤允 永島敏行 夏目雅子 三船敏郎
(2004/10/24 視聴済)
邦画には珍しく壮大な戦争映画。
実在の人物達の上層部の作戦指揮と、架空の兵士たちの人間模様とがうまくかみ合っていて、人間ドラマとしても見ごたえあり。
中隊長が司令官の方針を批判し詰め寄るなど実際にあったら軍法会議ものだろうが、この映画の中で展開されるドラマを集約する説得力あるシーンとなっている。
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『歴史への招待 バルチック艦隊来たる 日本海海戦 前編』【TVドキュメンタリー】
  1980年5月22日 NHK総合 NHKアーカイブスにて視聴
『歴史への招待 対馬沖の20時間 日本海海戦 後編』【TVドキュメンタリー】
  1980年6月5日 NHK総合 NHKアーカイブスにて視聴
司会は鈴木健二、ゲストは司馬遼太郎。
前編は、バルチック艦隊の航路や編制を知るために、軍人や外交官のみならず、民間人もまた重要な働きをしたことに焦点を当てている。後編は、日本海海戦の勝利が僥倖のみでなくちゃんとした計算があったことを述べたもの。
(2005/5/21 視聴済)
25年前の番組であるから画面作りがローテクなのは仕方ないにしても、内容がいささか散漫な気がしなくもない。
前編はそれほどでもないが、後編はわずか30分にあれもこれもと盛り込みすぎの感がある。
しかし、当時まだ存命だった三笠の乗組員の肉声による体験談が聞けるのはよい。
(それにしても司馬遼太郎さん、マイナーなキャラは名前が音読み。水野コートク(広徳=ひろのり)って誰だか一瞬分からなかったぞ。)
《以下余談》
NHKアーカイブス、今回初めて行ったのだが、土曜の午後というのに実に閑散。
まあ、分からないでもない。
もっと見られる番組を増やして欲しいし、一回あたりの視聴の時間制限も2時間では、数回シリーズの大型特番などは何度も通わねばならないではないか。
視聴料タダではあまり文句も言えないが、少しぐらいなら有料でもいいから、もっとじっくり見せて欲しいものだ。
(2005/5/29 再視聴)
これを見た帰りに買って読んだ『アイアイの眼』(2003年↓)が前編と重なる内容であったため、細部を確認するため再視聴。下記を参照されたい。
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『錨と星の賦 桜井忠温と水野広徳』 木村久邇典 【伝記】
  1980年11月25日 新評社 四六版上製 ネット古書店で購入 
『肉弾』の桜井忠温と、『此一戦』の水野広徳の二人の生涯を、同時進行で述べた伝記。
(2004/10/20 半分まで読了)
読むのを半分でとめたのは、つまらないからではない。
水野広徳の平和主義がどういったものであるかの部分を読みかけて、後世の人の解釈で読むよりは水野広徳自身の著作を先に読もうと思ったからである。
二人とも波乱の人生であり、それぞれに興味深いのだが、それにしてもこの著作、二人の人生をまったく同時進行で語るという手法はいかがなものだろう。同郷であり文筆で名を成したという共通点があるにしても、二人の人生はほとんど交錯することがないのだから、せめて段落ごとに交互にして欲しかった。
私のような粗忽者は、注意深くしっかりと読まないと、どちらのことを書いてあるのか分からなくなりそうである。
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『日露戦争』 児島襄 【小説】
  1982年〜1990年 「自由民主」および「プレジデント」連載
  1990年 文芸春秋 四六版上製・全5巻 ネット古書店で購入
日露戦争の経緯を詳細に描いたもの。
(2005/4/24 1巻読了 2〜4巻海戦と旅順攻防戦の部分のみ読了 5巻未読)
【 】の分類をどうするかで困ってしまった。
とりあえず小説としてあるが、小説にしては特定の主人公がいないし、読んでいて娯楽への期待よりは知的興味の方を満足させるような作風である。といって、戦記と言うには創作部分がある。
読み始めたときはドキュメンタリーと思ったほど細かく記述しているのだが、旅順降伏後に、津野田是重が乃木希典からステッセルへの使者に赴いた部分で、あれ?となった。
津野田自身の手記『斜陽と鉄血』には「喜劇の一幕を演じ」とか「大失態を再演」などどしか書かれていない津野田の失敗が、具体的に書かれているのである。その場にいた人物で本人以外にそんなことを書き残す人もいなさそうなので、どうやら著者の創作だろう。となると、ドキュメンタリーとは言い得ない。
しかし、実に綿密に調査され記述されていることには変わりない。
読み応えのある大著である。
(2005/6/11 追記)
上に「その場にいた人物で本人以外にそんなことを書き残す人もいなさそう」とかいたが、その場にいなかった人が「喜劇の一幕を演じ」の内容を書いていた。
『思ひ出の日露戦争』(1905年↑)の著者、イギリス観戦武官イアン・ハミルトンが、津野田から聞いていたのである。ネアカの津野田のことではあり、この分では「大失態を再演」の方も、誰かが聞き書きしているかもしれない。
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『銀河英雄伝説』 田中芳樹 【スペースオペラ】
  1982年11月30日〜1989年7月31日 徳間書店 新書 本編10巻・外伝4巻 新刊書店で購入
専制国家「銀河帝国」と、共和政府「自由惑星同盟」との攻防に、商業惑星「フェザーン自治領」の思惑をからめて描いた、宇宙版三国志。
個性的なキャラクターが多数登場するのが人気の源だが、それよりは、スペースオペラにロジスティクスの概念を導入した点を評価する向きもある。
(2004/10/17 読了)
すみません。冗談です、これを入れたのは。
友人に『坂の上の雲』を勧めようと、秋山真之のことを「稀代の戦術家」とか「タダで勉強するために軍に入った」とか言ったら、「ヤン・ウェンリーだあ(本書の主人公の一人)」という返事が。そういえば、戦術家のくせに碁が下手なところも似てるかも(ヤンは三次元チェスですが)。
先日まで、似ているのはそういう表面的なところだけで性格は全然違うと思っていたのですが、世界の情勢が見えすぎて軍人の枠を大幅に超えた心労を抱え込んでしまうあたり、ひょっとして本当に真之がモデルかも知れません。ヤン・ウェンリーは病気になる前に暗殺されてしまいますが。
「銀河帝国」は、野心家の下級貴族が帝位簒奪を果たし、上からの改革を断行したため専制が磐石となり、衆愚政治と堕した「自由惑星同盟」はわずかな自治領を残してなくなってしまいますが、これも深読みすれば日露戦争の裏返しの歴史と見えなくもありません。
でも、やっぱり、かんぐりすぎかしらん。
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『海軍用語おもしろ辞典』 瀬間 喬 【辞典】
  1983年1月8日 光人社 四六版並製 ネット古書店で購入
海軍で使われていた用語のうち正式なものではないものや、士官たちの隠語などを一括紹介したもの。
もと海軍主計中佐による。
(2005/10/29 読了)
最初は国会図書館で閲覧していたのだが、読み始めてすぐ、これは人目のあるところでは読めないと気づいた。
理由はふたつ。笑ってしまってしまうからというのと、下ネタが満載であることである。この程度のネタで赤面するような年ではないが、女の身としてはやはり人前で読むには抵抗がある。
(しかし、下ネタとは言っても陰湿さとは無縁であっけらかんとしているので、むしろ健康的な感じもしないではない。)
そうしたものが多いのは、士官たちの隠語の成立理由にある。先に『反骨の軍人・水野広徳』載っていたものを「逸話集」の「海軍兵学校では教えてもらえない「海軍用語」」として紹介しているが、そこへ補足情報として書き加えておいた。
笑ってしまうのがそちら方面に多いのは否めないが、興味深いのはそれだけではない。通常の戦記では書かれない平時の軍艦内での日常生活や、雑学に類することがたくさん載っていて、本書を読んだら「生活の場としての軍艦」がイメージしやすくなった。
また、軍がその体面を維持するための考え方の一端をうかがい知ることが出来る。
海軍は玄人の女性に対価を払って遊ぶのは、奨励とまでは言わないまでもそれに近い態度をとっていたが、その一方で素人に手を出すのは厳禁であったという主旨の記述が何度か出てくる。間男などしようものなら直ちにクビ、奥さんに間男されたら離縁するか本人がクビになるかのどちらかを勧告されたという。
思うに、「玄人には寛容だったが、素人には厳しかった」のではなくて「軍の威信を保つことをすべての士官やその家庭に厳格に求めたが、その代わりに、玄人相手には羽目をはずさせていた」のではなかろうか。
著者が海軍に入ったのは昭和になってからなので日露戦争当時と異なるところはあるだろうが、総じて面白い著作であった。
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『広瀬武夫全集』 広瀬武夫 【報告書・日記・書簡など】
  1983年12月 講談社 A5上製 上下巻 国立国会図書館で閲覧
第二回旅順口閉塞作戦で戦死し、日本陸海軍で最初の「軍神」と称えられた広瀬武夫の生前の文章を一括紹介したもの。
編者は、『ロシヤにおける広瀬武夫』の島田謹二、『坂の上の雲』の司馬遼太郎、広瀬武夫の兄勝比古の孫である高城知子の3氏。
(2005/7/30 拾い読み)
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『日本海大海戦 海ゆかば』 【劇映画】
  1983年 東映映画 セルDVD
日露戦争の海戦を、史実に架空の水兵たちの人生をからめて描いたもの。
監督:舛田利雄 脚本:笠原和夫 音楽:伊部晴美
出演:三船敏郎 沖田浩之 三原順子 佐藤浩市 宅間伸 伊東四郎 ガッツ石松 平幹二朗 丹波哲郎
ナレーター:仲代達矢
(2004/10/24 視聴済)
言い切ってしまおう。駄作である。
記念艦みかさ(横須賀に保存されている連合艦隊の旗艦三笠)の中で、この作品を15分程度にまとめたダイジェスト版を見たときは面白そうだと思ったのだが、あれは鑑賞に耐える部分だけをつなぎ合わせてあったからか。
なんといっても、脚本が悪い。『二百三高地』と同じ脚本家とは思えない。
実在の人物達の上層部と、架空の水兵たちというドラマの二重構造は、大ヒットした『二百三高地』の手法を再度試みたのだと思われるが、上層部の作戦指揮や苦悩と兵士たちの悲痛とが見事に絡み合っていた前作と違って、こちらでは別のドラマが同時進行しているだけになっている。
せっかく主人公に戦闘中は伝令となって艦の中を走り回る軍楽隊員を持ってきたのだから、海戦が始まったら、全部主人公の視点で描き出してしまえばよかったのである。そうすれば、物語が多少は有機的につながっただろう。それを、任務を放り出して楽器を演奏させるなどもったいないというものだし、リアリティがないにもほどがある。どうしても主人公のトランペットをラストシーンに持ってきたかったのなら、海戦終了後に回想させながらという手段があるではないか。
大砲を撃つ手順が説明されていたり、戦闘の前にみなで入ったと言うお風呂が再現してあったりと、豆知識が得られないわけではないんだからとDVDを買った自分をなぐさめている次第である。
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『海軍兵学校・海軍機関学校・海軍経理学校』 水交会編 【学校紹介】
  1984年5月 秋元書房 A4版上製 国立国会図書館で閲覧
表題の各学校の回想、紹介。
(2005/10/29 拾い読み)
卒業生たちが懐かしんで著した著作である。遅れて作られた卒業アルバムといったところか。
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『知将秋山真之 個性派先任参謀の生涯』 生出 寿 【伝記】
  1985年 (旧版の副題は「ある先任参謀の生涯」) 光人社
  2003年7月11日 光人社名作戦記010 四六版並製 ネット書店で購入
秋山真之の伝記。
(2004/10/14 読了)
戦前の秋山眞之会による伝記にもっとも忠実(悪く言えば焼き直し)。
戦前のものが引用している真之の文章をこちらもしばしば孫引きしているが、元のままではなく「現代語訳」しての引用である。明治の文章を読み慣れていなかった頃は、これが大いに役立った。
ただし、この著者の文章には今ひとつ品格がない(下品とまではいかないが)ので、真之の美文が妙にくだけた物言いに変じてしまっている。
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『日露海戦史の研究 戦記的考察を中心として』 外山三郎 【海戦史】
  1985年8月31日 教育出版センター A5版上製 上下巻・附図 ネット古書店で購入
『極秘版明治三十七八年海戦史』と『千九百四、五年露日海戦史』とを比較し、そのほかの資料も参照して、「海戦史」というもの自体をも考察しつつ執筆された大著。
(2004/12/25 拾い読み)
私の読んだ日露海戦通史の中で、もっとも詳細なのが本書。添付資料なども豊富である。本書を通読すれば、日露海戦についての知識のあらかたは得られるのではなかろうか。
なお同著者は、本書を一般向けに短く書き改めた『日露海戦新史』を1987年に出している。
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『日露旅順海戦史』 真鍋重忠 【海戦史】
  1985年12月20日 吉川弘文館 四六版上製 ネット古書店で購入
日露戦争の陸海を通じての最初の戦闘である仁川沖の海戦から、旅順艦隊壊滅までを述べた海戦史。
(2004/10/23 読了)
日本海海戦やバルチック艦隊についての本はいくらでもあるのに、旅順艦隊との海戦をメインに取り上げた本はなかなかない。日露海戦全体を述べた本では旅順港閉塞作戦や黄海海戦についてはしばしば取り上げられているが、小規模な戦闘まで筆が及んでいることは珍しい。その意味で、貴重な本である。
著者についての情報が本書の奥付の略歴しかないのだが、これを見る限り著者の専門は戦史ではなく日露関係史にあるようだ。実際、本書は戦術について批判したり新説を述べたりはしておらず、日露双方の資料を丁寧にあたって、時系列に沿って述べているにとどまる。
しかし本文中に、参照した資料の著者名、発行年、ページをそのつど明記してあるので、より詳細を知りたい時に当たるべき資料が判りやすいのは非常に便利。ただし、ロシア語の資料であっても著者名をカナ表記し書名を和訳してあるので、検索しても見つからないことが間々ある。日本語資料とロシア語資料の見分けがつきやすいように工夫してあれば、なお有難かった。
とにかく、秋山真之が旅順攻囲中の第三軍に随従する海軍中佐に宛てた手紙で「婆艦隊(バルチック艦隊)丈ケナレハ見事ニ撃滅セントノ勝算アルニ」と述べ、事実日本海海戦は完勝したように、連合艦隊が苦心、苦戦を続けたのはバルチック艦隊ではなく旅順艦隊であった。
日本海海戦が日本人に人気のあるのは分かるのだが、旅順艦隊についての本も、もう少し出て欲しいものである。
《付記》
ウォーナー夫妻の『日露戦争全史』(1976年)は本書出版時には既に翻訳されていたのだが、著者が参照したのが原書であったらしく『日の出の上げ潮――露日戦争史(略称『露日戦争史』)』と原題直訳で紹介されている。
また、『戦影』の「一海軍中佐」となっている著者は、『此一戦』の水野広徳である。昭和5年の改造社での再刊では本名を名乗っているので、カッコ書きででも付け加えておけばいいのにと思うのだが。
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『海軍経営者 山本権兵衛』 千早正隆 【人物評伝】
付 連合艦隊参謀秋山真之が二〇三高地奪取に関し乃木軍参謀に送った書翰
  1986年12月2日 プレジデント社 四六版上製 ネット古書店で購入
山本権兵衛の海軍における業績を述べたもの。
巻末に、秋山真之が旅順攻囲中の第3軍に随従している岩村団十郎中佐に宛てた書簡のうち、機密版『明治三十七八年海戦史』の備考文書として残っていたものの全文が掲載されている。
(読了)
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『秋山真之のすべて』 生出 寿・他 【人物評伝】
  1987年4月25日 新人物往来社 四六版上製 新刊書店で購入
秋山真之についての、複数の著者による評伝集。
「秋山真之―人と風土」 田中歳雄
「秋山と明治海軍」  野村実
「海軍兵学校から日露戦争終結まで」 志摩亥吉郎
「秋山兵術の秘密を探る」 篠原宏
「その後の秋山真之」 田中宏巳
「秋山真之エピソード抄」 生出寿
「資料 1・官歴 2・秋山の意見書 3・秋山の著作と伝記」 戸高一成(構成)
(読了)
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『日露海戦新史』 外山三郎 【海戦史】
  1987年11月25日 東京出版 四六版上製 ネット古書店で購入
同じ著者による『日露海戦史の研究』(1985年↑)を、一般向けに書き改めたもの。添付資料などを削って分量を大幅に減らしてあるが、章立てなど構成は原著を踏襲している。
(2004/12/25 拾い読み)
実は本書と、もととなった『日露海戦史の研究』のふたつを知って少なからず落ち込んでいる。
日露双方の海戦史を比較してより実相に迫るというのは、レベルの高低を別にすれば、私が「連合艦隊VS旅順艦隊」でやっていることそのものではないか。当然ながら、拙劣なのは私の方である。しかも、私の参照している『明治三十七八年海戦史』は公刊のものだが、こちらは極秘版。
『日露海戦史の研究』だけなら、「こんな重厚な著作は普通の人は読まないよな〜」と居直れるのだが、一般向けのものまであるとは。
両書とも現在入手困難というのが唯一の救い(?)。復刊される前にがんばって先を書こうか。
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『兵士たちの日露戦争 五〇〇通の軍事郵便から』 大江志乃夫 【軍隊研究】
  1988年3月20日 朝日新聞社
  2003年6月1日 発行:朝日新聞社 発売:デジタルパブリッシングサービス 四六版並製 通信販売で購入
兵士たちが軍事郵便で故郷の人々に書き送った手紙を元に、兵士たちの境遇から、戦場の実態までを研究する。
(拾い読み)
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『名将秋山好古 鬼謀の人 前線指揮官の生涯』 生出 寿 【伝記】
  1988年7月 光人社
  1993年5月12日 光人社NF文庫 新刊書店で購入
秋山好古の伝記。
(読了)
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『日露戦争を演出した男 モリソン』 ウッドハウス暎子 【人物評伝】
  1988年12月 東洋経済新報社
  2004年11月1日 新潮文庫 上下巻 新刊書店で購入
母国オーストラリアの安全を図るには英国の極東勢力維持が必要であり、そのためには日本にロシアを叩かせるのが最上と判断したジャーナリストが、日英同盟や日露開戦への世論を、日英はもちろん諸外国に作るべく奮闘する姿と、それに影響されて、または影響されることなく動いてゆく国際情勢や日露戦争の戦況の変化を描いたもの。
(2004/11/6 読了)
「日露戦争を演出した」というのはいささか過剰な表現であるかも知れない。時と場合によっては各国政府が「演出させてやった」部分もあるし、「演出家が無視された」場面もあるからだ。
が、モリソンが書いた記事が国際世論を動かしたことが少なからずあったのは事実であろう。そして、外交下手な日本にとって、その記事が都合が良い場合が多かったのは、幸いであったと思う。
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『ロシヤ戦争前夜の秋山真之 明治期日本人の一肖像』 島田謹二 【人物評伝】
  1990年5月28日 朝日新聞社 四六版上製函入・上下巻 ネット古書店で購入
秋山真之の評伝。タイトルどおり日露戦争直前を集中的に取り上げている。
(未読)
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『日露戦争 陸海軍、進撃と苦闘の五百日』 【戦史ムック】
  1991年6月30日 学研・歴史群像シリーズ24 B5並製 新刊書店で購入
鳥瞰図や航路図を多数用いて陸海の戦闘をわかりやすく解説。
(拾い読み)
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『戦艦三笠すべての動き』 吉村昭(監修)【軍艦三笠戦時日誌】
  1995年5月15日 エムティ出版 A5版上製函入・全4巻 ネット古書店で購入
1904年2月6日から翌年8月31日までの、三笠の戦時日誌の全文。
防衛庁防衛研究所戦史部より提供の資料による。
(2005/3/6 拾い読み)
いくつかの書籍の巻末に参考文献としてあげられているのに気づいていたのだが、書名や発行年から三笠の運動の解説書だと思い込んで後回しにしていた。国会図書館で閲覧してみて戦時日誌の全文と知り、「一級資料やないか〜!」となぜか怪しげな関西弁でびっくりして、その勢いのまま帰宅するなりネット古書店に発注してしまった。紛らわしい書名にせず、『軍艦三笠戦時日誌』として発行すればよかったのに。
閑話休題。
日誌であるから、主観の混じる余計な文章がなく、事実のみが簡潔に記録されていて、内容の信頼性が非常に高い。
また、各海戦での事態の変遷が分刻みでわかるので、事務的な文章でありながらその臨場感は、卓越した作家の手になる冒険小説に劣るところが全くない。
戦闘のない日には、どんな訓練をしたかやその評価、人事や艦の配属がえの発令など、興味深いところがたくさんある。
戦闘関連以外の部分でも、武器弾薬、食料、その他事務用品の細目に到るまでの(「現金出納簿 壱冊」とか)給与の明細など、なるほど軍というのは戦闘だけでなく運営も重要なのだなとあらためて納得させてくれる。
ただ、当然のことながら部外者や後世の人間に見せることを想定して書かれたものではないので、専門用語など、意味がわからない所にしばしば行き当たる。
「「エンコルダビット」ノ「アフタルガイ」切断シ為メニ錨ヲ定所ニ納ムルコト能ワズ」。う〜む。錨がうまく下ろせないのは判るが「エンコルダビット」と「アフタルガイ」って、いったい何?
保存食の艦内在庫の明細にある「三本行」って? 茶や塩、醤油などと並んでいるので、嗜好品か調味料ではないかと思うのだが、数量がやけに大きいので妙に気になるのである。
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『深謀の名将 島村速雄 秋山真之を支えた陰の知将の生涯』 生出 寿 【伝記】
  1995年5月25日 光人社 四六版上製 ネット書店で購入
島村速雄の伝記。
(斜め読み)
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『水野広徳著作集』 粟屋憲太郎・前坂俊之・大内信也・編 【個人著作集】
  1995年7月7日 雄山閣 A5版上製函入全八巻 ネット古書店で購入
『此一戦』で知られ、海軍軍人から平和主義評論家に転じた水野広徳の著作集。
日露戦争に関係あるのは主に第一巻。第四〜七巻に収録の多数の評論のなかにも、日露戦争や、日露戦争にかかわった人について触れたものがいくつかある。
第一巻 日露戦記  『此一戦』『戦影』
第二巻 渡欧記  『バタの臭』『波のうねり』他
第三巻 日米未来戦記  『次の一戦』『興亡の此一戦』他
第四巻 評論T  『軍人心理』『新国防方針の解剖』他
第五巻 評論U  『大災記』他
第六巻 評論V  『主将と幕僚』『日露戦争と今日の戦争』他
第七巻 評論W/日記/書簡    『噫、秋山海軍中将』『上村彦之亟』他
第八巻 自伝  『剣を吊るまで』『剣を解くまで』
(2006/3/22 拾い読み)
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『海将伝』 中村彰彦 【伝記小説】
  1998年7月 角川書店
  2000年8月25日 角川文庫 ネット書店で購入
島村速雄の生涯を小説仕立てで書いたもの。
(拾い読み)
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『日露戦争秘話 杉野はいずこ 英雄の生存説を追う』 林えいだい 【異説の検証・評論】
  1998年9月25日 新評論 四六版並製 新刊商店で購入
第二回旅順口閉塞作戦で、「軍神」広瀬武夫とともに戦死して英雄とたたえられた杉野孫七が生存していたという説を検証したもの。
(斜め読み)
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『アルゼンチン観戦武官の記録』 マヌエル・ドメック・ガルシア 【観戦武官の報告書】
  原著刊行日不詳
  1998年10月 日本アルゼンチン協会 A5版上製 ネット古書店で購入
『日本海海戦から100年 アルゼンチン海軍観戦武官の証言』 マヌエル・ドメック・ガルシア 【観戦武官の報告書】
  2005年4月6日 鷹書房弓プレス A4版上製 新刊書店で購入
装甲巡洋艦日進・春日の建造の監督官を勤め、のちに日進に観戦武官として乗り組んだアルゼンチンの海軍軍人が帰国後にまとめた報告書。
題名が異なるが、同じ著作からの同じ訳者による翻訳。2005年の再刊は、1998年のものに旅順閉塞作戦についての章を補追し、改題したもの。
原書は全5巻。翻訳はそのうちの最初の2巻を部分訳したもので、日本海軍の戦争準備や優秀性についてのべた1巻を第一部、実際の戦闘について述べた2巻を第二部としている。
(2005/5/3 読了)
著者と日本とのかかわりの最初が、自分が作った巡洋艦を買ったことであるからか、著者は日本に好意的。日本海軍の質を述べた第一部は、絶賛と言ってもいいくらいの記述である。
第二部も基本的には日本の作戦行動を称賛。しかし、のちにアルゼンチン海軍総司令官や海軍大臣を務めたほどの人物であるから、単に日本びいきでは無論なく、日本の失点についての指摘も忘れない。
日本海海戦の日本の勝利は、作戦の良さによるのだけでなく、ロシア側の準備の悪さや指揮のまずさによって助けられたことも要因として挙げている。
また、再刊で補追された旅順閉塞作戦については、この作戦自体に一貫して否定的である。
日本側は、いかに好意的な相手ではあるとはいえ、他国の軍人に機密資料をすべて見せるようなことは当然しないので、記述に細かな誤りは多い。
しかし同時代の第三者の専門家による評価というのは、資料的価値の高さと同時に、その時代のものの考え方を知る上でも有用である。
《付記》
再刊の書名だが、不適当である。日本海海戦以後の100年間の推移を書いているかのような印象をあたえる。
筆者は出版社に務めているので、書名は内容を的確に表しさえすればよいというものではないことはよく知っている。確かに、翻訳初版の題名では、販売促進には不利であろう。
近い形で内容にもっとも忠実な書名を付けるとすれば、『日露海戦―アルゼンチン海軍観戦武官の記録―』といったところだろう。販売促進をも勘案すれば、『日本海海戦―アルゼンチン海軍観戦武官の記録―』ぐらいが適当だったのではあるまいかと思う。
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『秋山真之 日本海海戦の名参謀』 中村 晃 【伝記】
  1999年4月2日 PHP研究所 四六版上製 新刊商店で購入
秋山真之の伝記。
(読了)
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『激闘 旅順・奉天 日露戦争 陸軍“戦捷”の要諦』 【戦史ムック】
  1999年8月1日 学研・歴史群像シリーズ59 B5並製 新刊書店で購入
鳥瞰図や航路図を多数用いて陸海の戦闘、特に旅順攻防戦や奉天会戦をわかりやすく解説。
(拾い読み)
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『日本海海戦の真実』 野村 實 【戦術研究】
  1999年7月20日 講談社現代新書1461 新刊書店で購入
極秘版『明治三十七八年海戦史』をもとに、日本海海戦の実相の解明を試みたもの。
(読了)
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『国際通信の日本史―植民地化解消へ苦闘の九十九年―』 石原藤夫 【通信史】
  1999年12月 東海大学出版会
  2008年8月1日 栄光出版社 A5判上製 ネット書店で購入
島国である日本にとって国際通信に不可欠な海底ケーブルの権利が、ロシアをバックに持つデンマーク企業に握られていたこと、それを取り戻すまでの歴史をのべたもの。
旧版は未見なのだが著者によると、再刊の際に主に日本海海戦の通信問題を改訂しているそうである。
(2008/9/6 日露戦争部分は読了。その前後は拾い読み)
情報がロシアに筒抜けの海底ケーブルをどのように避けて日露戦争を戦ったのかが興味深い。
著者の石原藤夫氏は元NTT研究所の研究者で、かつ『宇宙船オロモルフ号の冒険』等のSF作家。最近は、歴史著述に専念。
ハンドルネームに「オロモルフ」をお使いで「オロモルフのホームページ」というホームページも主催。
当ホームページの掲示板にもオロモルフの名でおいでいただいている。
実は、「日露戦争」をキーワードにネットサーフィンしているときに著者のサイトに行きあたり、「オロモルフって、SF小説のタイトルから取ったのかしらん」と思っていたら(20年ほど前までワタクシの読書の中心はSFだった)、なんとご本人。
はなはだ一方的ながら、思いがけない再会であった。
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『伝説の名参謀 秋山真之』 神川武利 【伝記】
  2000年2月15日 PHP文庫 新刊書店で購入
秋山真之の伝記。
(読了)
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『鈴木貫太郎 昭和天皇から最も信頼された海軍大将』 立石 優 【伝記】
  2000年3月15日 PHP文庫 新刊書店で購入
鈴木貫太郎の伝記。
(読了)
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『その時歴史が動いた 第1回 運命の一瞬・東郷ターン 〜日本海海戦の真実〜』 NHK大阪 【TVドキュメンタリー】
  2000年3月29日 NHK総合 番組ホームページ http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2000_03_04.html#01
  2006年1月2日 ヒストリーチャンネル ケーブルテレビにて視聴
日本海海戦の概要を、主として野村 實氏の『日本海海戦の真実』(1999年↑)の論に従って解説したもの。
ゲストは半藤一利。
(2006/1/2 視聴済)
細かな間違いや、日露戦争に詳しくない視聴者への説明不足が目立つのが気になる。2年前の私であったら、わけが分からなかったかもしれない。
たとえば、「開戦後間もなく、連合艦隊はバルチック艦隊の回航を知って震え上がった、日本海海戦まで7ヶ月」となっている。
まず、海軍は開戦する前にバルチック艦隊が来ることを想定しており、旅順艦隊の撃破を早めねばならないとの危機感を強めはしたろうが、震え上がりはしなかった筈である。
開戦が2月上旬、バルチック艦隊の回航決定が4月、実際に出港したのが10月であるから、開戦後間もなく知ったのは回航決定の方であるが、回航決定から日本海海戦までは13ヶ月で、出港してからが7ヶ月である。よく知らない視聴者であれば、時間関係に誤解を生じそうだ。
また、ウラジオストックに行こうとしていた旅順艦隊との黄海海戦を単に失敗としかいわないのでは、旅順艦隊がウラジオストックに逃げてしまったと誤解しかねない。丁字戦法は失敗だが勝つことは勝って、旅順艦隊は旅順に逃げ帰り、そのあと出てこなくなったと説明しなければ、陸軍の旅順攻略で旅順艦隊が壊滅する理由が分からない。
また、細部を省略せざるを得ないのは分かるが、ネボガトフ艦隊の降伏までが東郷ターンのあったその日のうちに終了してしまったかのような表現もいかがなものか。
ゲストの半藤一利氏の番組の終わり近くの解説も、日本海海戦そのものの総括より、その後の日本がたどった道筋の方に力が入っているのは余計だと思う。それは番組のエンディングですればいいことだ。
再現フィルムの映像が、古めかしく見せるためかあるいは東郷のイメージを壊さないためか、役者を明瞭に写さないようフォーカスを甘くしてあるのは余計な配慮だと思う。輪郭のくっきりしたCG画像との差が大きすぎてわずらわしい。(まさか、単なるカメラマンの腕不足ということはないと思うのだが。プロなんだから。)
更には、レポーターに素人っぽい台詞を言わせているのもうっとおしい。
要するに、第1回であるからある程度は仕方ないにしても、番組作りのノウハウが確立していないのである。
ただし、後にこの番組でよくやるせこい手段、既存の映画やドラマの映像を流用する、しかも時には別の場面のを使ってそれらしいシーンに仕立ててしまうというやつ(第238回(2005年11月↓)で映画『二百三高地』(1980年↑)の映像を奉天会戦に使ってしまうなど)を使っていないのはよい。
なお、ついでに意地悪くバラしてしまうと、第205回(2005年1月↓)に使われていた再現フィルムやCGのいくつかは、この回の使い回しであることを発見した。
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『創出の航跡 日露海戦の研究』 吉田惠吾 【戦術研究】
  2000年3月31日 発行:本田技研工業株式会社・共創フォーラム 発売:すずさわ書店 A5版上製 新刊書店で購入
あのクルマやバイクのホンダが、社内のエンジニアに日露戦争の海戦について研究執筆させたもの。
(2004/10/17 拾い読み)
 なぜホンダが、しかもエンジニアに? という疑問は横において、文科系の研究者が多い中、純然たる技術者の研究は切り込む角度が違っていて面白い。読むほうの私がメカや数学に弱いので理解できているかどうかは、はなはだ疑問だが。
 なお、研究スタッフの一人による挿話「『日進』『春日』横取り物語」は、ドタバタふうに書いてあるので笑ってしまうが、この2隻の巡洋艦を手に入れたときのきわどい状況が活写されている。
(2004/12/1 読了)
 「なぜホンダが、しかもエンジニアに?」という疑問は、通読して解答を得た。(本というものは、やはり拾い読みではなく通読しなくてはだめである。反省。)
 長い平成不況のなか、まだ現在のような一筋の光明さえ見られなかった時期に、本田技研もまた打開策を求めていたのだろう、「創造性」とはどんなものであるのか探っていたのである。その題材に日露戦争の海戦を選んだのは、たまたま相談役とエンジニアとが、ともに関心を持っていたからということであるらしい。
 そして、「勝利」とされてはいるが失敗であった黄海海戦の後に、日本海軍が何を反省し、いかなる改善をはかり、どのような「創出」を果たして、日本海海戦の圧倒的勝利を得たのかを調べ、「創造性」とは何であるのかの解明を試みて得た仮説が、本書にまとめられているのである。
 それにしても、黄海海戦の後に日本海軍が対処しなければならなかった事柄の、あまりの多さに愕然とする。
 砲をはじめとする各種ハードウェアの改善、それを有効に使うためのシステムの構築、システムを有効ならしめるための技能を総員が身につけるための猛訓練、戦術の全面的な見直し。しかもそのそれぞれが相互にフィードバックを要求するのである。よくぞ9ヶ月で成し得たものだ。
 それを成さしめた動機として本書は、旅順艦隊撃沈のために、陸軍第3軍に厖大な犠牲を強いてしまったことへの自責の念を挙げる。
 ならば、日本海海戦の勝利は、海軍の勝利であるのみならず、乃木第3軍のものでもあると言っていいだろう。
(2005/2/26 再読)
戸高一成氏が「日本海海戦に丁字戦法はなかった」という論文を1991年に発表してから、丁字戦法の有無についての言及をせずに日本海海戦の戦術を語ることは難しくなっているようだ。
本書では、日本海海戦での戦術を「丁字戦法というのか並航戦であると称するのかは軍事専門家の問題である」としてこの論議に参加することを避けている。
しかし、丁字戦法の主旨を、「敵の嚮導艦ないし任意の一艦を、味方の全力を以って攻撃し、順次撃破する」ということにあるのであって「丁字の陣形を描く」ことにあるのではない、と解釈しているものにとっては、本書は「並航戦は丁字戦法の改良版であり、日本海海戦に丁字戦法はあった」との証明をするものとなるだろう。
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『東郷平八郎伝 日本海海戦の勝者』 星 亮一 【伝記】
  2001年1月 光人社 (初出時の題名は『沈黙の提督』)
  2004年6月13日 光人社NF文庫 新刊書店で購入
東郷平八郎の伝記。
(読了)
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『旅順 日露決戦の分水嶺』 柘植久慶 【小説】
  2001年3月15日 PHP文庫 新刊書店で購入
旅順攻防戦を主題に描いたもの。
(2004/10/17 読了)
小説とも戦史ともつかない、中途半端な著作である。小説なら小説、戦史なら戦史とはっきりと区別して書かないと、読むほうは混乱するし、内容を信頼することも出来なくなる。
とにかく乃木希典を無能であると証明したいがために書かれたかのようだ。
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『日露戦争物語 天気晴朗ナレドモ浪高シ』 江川達也  【伝記マンガ】
  2001年〜 「週刊ビッグコミック スピリッツ」連載
  2001年10月〜 小学館ビッグコミックス 1〜21巻(続刊中) ネット書店および新刊書店で購入
秋山真之の伝記。同時に、明治時代を克明に描く群像劇。
(2004/10/11 13巻まで読了)
私が最初に読んだ日露戦争関連書籍。
はっきり言って絵はうまくない。また、時間経過を表現するテクニックにも問題あり。まえのシーンの続きだと思って読み進めると、いきなり何日も後の話になっていることがある。
しかし、それを充分におぎない得るほどおもしろい。
いかにも漫画的な誇張はあるのだが、そのぶん登場人物それぞれのキャラクターが際立っていて存在感がある。中でも、真之の兄、好古は、その少ない登場回数でも主人公を食ってしまいかねないほどかっこいい。(私が真之は呼び捨てなのに好古は「兄上」付きになるのは、この作品のせい。)
ただ。
作品冒頭に「この物語は、(中略)秋山真之作戦参謀の生涯を描いた漫画である」とある。確かにそうではあるのだが、内容がしばしば主人公をほったらかしにして、朝鮮の甲申政変へ行ったり、陸軍の戦闘にかかりきりになったりする。最新刊である13巻では、真之はたったのひとコマしか登場しなかった。
おそらく、真之の伝記というのは連載を開始するに当たって企画を通しやすくするための口実で、著者が本当に描きたいのは明治時代そのものであろう。その意味では、現在のところ非常に面白い。真之のファンである私としては、じれったいものがあるが。
本筋(なのかな?)に立ち戻って、真之の伝記として見たとき、他にない特色がひとつある。
白川義則を真之のライバルとしてクローズアップしている点だ。戦後に読み物として書かれた伝記には、白川義則はほとんど、あるいは全く登場しないが、彼は真之の幼なじみであると同時に、真之の臨終に立会い後事を託された人で、好古兄上とのかかわりも深い。
私が再登場を待っているのは、一番は真之、二番は好古兄上なのだが、三番目は実は彼だったりする。
ただし、問題がひとつ。
13巻で未だ日清戦争のなかば。日本海海戦に行き着くのは何十巻で、それを読めるのは何年後の話になるのだろう? 想像すると、気が遠くなるのである。
(2006/9/27 21巻まで読了)
16〜17巻あたりから作品に物語性が失せて、変に著者の主張が目立つようになってしまった。日清戦争では主人公の秋山真之が活躍しないので、物語の核が定まらなくなったのだろう。日清戦争は基本的な経緯がわかる程度に留めておくべきであった。
どうしても日清戦争を省略したくないのだったら真之を再登場させられる局面となるまで、陸と海にそれぞれ一人ずつ仮の主役を立ててその人の視点を中心に描くなどの工夫をしたり、細部を割愛する断を下したりするべきだったのだが、とにかく何でもかんでも描こうとし、著者の見解を加えようとした結果、ストーリーが拡散してしまった。
漫画という表現形態は本来エンターテインメントであるはずなのに、著者はそこを忘れてしまったのである。
しかも、ただでさえ上手くない絵に手抜きが目立ち、荒れてきた。山県有朋の顔なんて、ほとんどバケモノである。
19巻あたりからは読むのがしんどくなってきたのを、とにかく主役が戻ってくればとの忍の一字でいたのだが、連載の方が「第一部 完」で「中断」してしまった。おそらく、本当のところは「打ち切り」なのだろう。
残念である。
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『再考東郷ターン』 北澤法隆 【戦術研究】
  2001年 「海事史研究 通巻第58号 2001年9月号」掲載 国立国会図書館で閲覧、コピーを入手
防衛研究所戦史部調査員の著者が、豊富な史料を基に東郷ターンについて検討したもの。
「はじめに」「一 丁字戦法の起源について」「二 開戦当初の戦策の策定」「三 黄海海戦」「四 日本海海戦」「おわりに」からなる。
「一」明治33年の大演習の際に丁字戦法のもととなる思想が現れていたことから始まり、
「二」開戦時に策定されていた戦策に明らかに、丁字戦法は陣形の維持そのものよりも敵の一端に味方の砲火を集中することにあり、並行戦や反航戦になることをあらかじめふくんでいたこと、
「三」黄海海戦では戦力が劣勢だったため、戦策どおりに反航戦だったこと、それにより敵を後方に逸したことが後の戦訓となったこと、
「四」艦隊の運動方法は基本的に一斉回頭であった丁字戦法に、はじめて戦策で正面転換(逐次回頭)を適用したことと、また実際に正面転換の方がが艦の運動性能、砲の旋回速度などから、一斉回頭よりも正面転換の方がより早く攻撃を開始でき、かつ柔軟な運動が可能であることなどを明らかにしたもの。
(2008/9/10 読了)
A5版29ページという、それほど長くはない分量でさまざまなことに検討を加えていながら、駆け足の感じがしない。考察の一つ一つに論拠が示されており、理の展開にも説得力がある。
「丁字戦法はあったかなかったか」の論議については、極秘戦史を読んで既に「あった」と判断しているのだが、なおも残っていた疑問のうちのいくつかにきれいに解答を示されて、読んでいて非常にすっきりとした。
防衛研究所戦史部調査員の著作で私が最初に接したのは菊田愼典氏の三部作(『坂の上の雲の真実』他(2004年5月↓))だが、その偏向と杜撰に「史料の宝庫にいて、しかも税金から給料をもらっててこんなものしか書けないのか」と防衛研究所戦史部の能力にはなはだ疑問を持っていたが、個人の資質の問題と判明してめでたい限りである。
北澤氏はまとまった著作をものされる予定はないのだろうか。お忙しいようなら既出の論文を集めたものでもいいから、刊行されればぜひ読みたいと思う。
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『改訂版 日本の軍装―幕末から日露戦争―』 中西立太 【図鑑】
  2001年
  2006年8月7日改訂版刊行 大日本絵画 26×26cm並製 ネット書店で購入
幕末から日露戦争までの、主に陸軍の各兵科・各階級の軍服や銃などの変遷を詳細な解説図で紹介。海軍のページもあることはある。英文対訳つき。
(2006/9/27 後半を拾い読み)
この本の存在を知ったのは復刊ドットコムでなのだが、そこでのこの本へのコメントによると、軍服を描いた図鑑は他にはあまり無いのだそうである。で、せっかく復刊されたのだから、また無くならないうちにと買っておくことにした。
『坂の上の雲』に、秋山真之が初めて上京したとき、兄の騎兵の軍装の華やかさに驚くというシーンがあるが、騎兵ほどではなくとも明治初期〜日露戦争前半の陸軍の軍服というのは実に華やか。将官の袖の金筋なんて、「筋」というよりは袖全面に施された「柄」である。しかし日本人の体型でこの派手な服が似合うかどうかは微妙。
日露戦争中に荒野での戦闘の際に目立って仕方がないというのでカーキ色に変更になるわけだが、日清戦争のときに気づかなかったのだろうか、というのが以前からの疑問である。(どなたかご存知の方、ご教示ください。)
一方海軍は、軍楽隊が赤を用いているのを除けば、一貫して文字通りのネイビーブルー。筆者はこちらの方が好きである。夏服の白もカッコいい(洗濯は大変そうだが)。
なお、副題の付かない『日本の軍装』も刊行されていて、そちらは日中戦争以降についてのもののようである。
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『日本海大海戦の名参謀 秋山真之』 羽生道英 【伝記】
  2002年8月19日 学研M文庫 新刊書店で購入
秋山真之の伝記。
(読了)
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『秋山好古 明治陸軍屈指の名将』 野村敏雄 【伝記】
  2002年11月5日 PHP文庫 新刊書店で購入
秋山好古の伝記。
(読了)
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「アイアイの眼」 西木正明 【小説】
  2003年6月 オール讀物掲載
  2005年2月25日 文芸春秋(『孫文の女』所収) 四六版上製 新刊書店で購入
東航途上のバルチック艦隊がマダガスカルに滞在していたとき、そこで酒場を経営していた日本人がバルチック艦隊についての情報を日本へ通報したという史実と、同時期そこには日本人娼婦いわゆる「からゆきさん」がいたという史実を元にした小説。
「アイアイの眼」というのは主人公の娼婦のコードネーム。アイアイは童謡で有名なマダガスカルにのみ生息する猿の一種のこと。
(2005/5/22 読了)
日露戦争で女性が主人公になることは滅多にない。政治を担当したのも実戦に出たのも全部男性であったのだから当然である。そのなかで極めて例外的な作品であることに興味を持った。
だが、読後は性別よりも、国から棄てられたも同然の境遇でありながらそれでも国のために働き、しかし決して報われない社会の最底辺の存在としての主人公が心に残った。
末尾に東郷平八郎と秋山真之の会話がある。これは著者の創作であろうが、真之の台詞がそっけないのがいかにも真之らしいのが、ちょっとうれしい。
(2005/5/29 再読)
本書で、主人公が探ってきた情報を日本に通報したのは「赤坂伝三郎という名の、形の上では予備役となっている、伊集院五郎の配下の中佐」となっている。しかし、実在した人物の名前は「赤崎伝三郎」である。
この人物、『歴史への招待』(1980年↑)では海外で一旗あげに行き、後に故郷に錦をかざる人物が、単に愛国心から働いたとして紹介されている。
この違いは、25年の間に赤崎伝三郎についての調査が進んだためであろうか、それとも著者が物語を面白くするために赤崎の「正体」を創作したもので、史実とは異なることを示すために名前を変えたのであろうか。
あとがきにその辺についての記述がないのだが、文庫化の際にでも明らかにしてもらいたいものだ。
(2005/6/1 追記)
『歴史街道』2005年6月号が巻頭の日本海海戦特集のなかで、ごく短くではあるがこの件に触れている。
こちらでは「日本人の民間人として、バルチック艦隊を目撃した最初の人間」と記述されている。
やはり「伊集院五郎の配下の赤坂伝三郎」は創作であるらしい。
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『激闘日露大戦争』 高貫布士 【小説】
上巻:南山・旅順大攻防戦 下巻:日本海海戦驚威の敵前大回頭
  上巻:2003年11月20日 下巻:2004年1月20日 ワンツーマガジン社 新書 新刊書店で購入
主人公(というより話の進行役)に海兵隊員を配して日露戦争を描いたもの。
(2004/10/15 読了)
細かいことをいちいち説明しながら話が進むので、日露戦争についてろくに知らなかった当時はそこそこ興味深く読んだ記憶があるのだが、数ヶ月たってみたら主人公の名前を覚えていない。
私の記憶力の悪さを棚に上げて言えば、一生懸命調べて書いてあるのだが、小説としての出来はあまり良くないということだろう。
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『日露戦争特別展 公文書に見る日露戦争』 国立公文書館アジア歴史資料センター 【公文書資料】
  2004年2月9日 国立公文書館アジア歴史資料センターホームページ http://www.jacar.go.jp/frame1.htm
国立公文書館、外交資料館、防衛研究所等の所蔵の公文書のうち、日露戦争に関連したものを一括紹介したもの。
(2004/10/26 拾い読み)
このホームページで陸海軍の軍人の給料を知ってちょっとびっくり。海軍は、陸軍の倍も給料が出るんですねえ。
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『「坂の上の雲」では分からない旅順攻防戦 乃木司令部は無能ではなかった』 別宮暖朗 【戦術研究】
  2004年3月10日 並木書房 四六版並製 新刊書店で購入
旅順攻防戦について、各局面ごとに似た事例をあげて比較し解説したもの。
(2004/10/15 読了)
「乃木司令部は無能ではなかった」という副題だが、といって有能だったと言っているわけではなく、軍隊司令部としてはそこそこの能力はもっていた、とする。
著者は第一次世界大戦が本領のようで、比較事例は第一次大戦のものが多い。
《付記》(2006/5/4)
PHP研究所よりPHP文庫で『旅順攻防戦の真実 乃木司令部は無能ではなかった』と改題の上再刊。
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『日露戦争と習志野』 習志野市教育委員会 【郷土史】
  2004年2月 習志野市教育委員会ホームページ(その後習志野市のホームページへ移動)
http://www.city.narashino.chiba.jp/konnamachi/shokai/rekishi/nichiro/index.html
習志野にあったロシア人捕虜収容所についての調査記録。
なお、同ホームページには、第一次世界大戦のときの、ドイツ人捕虜収容に関するページもある。
(2004/10/17 読了)
『日露戦争と習志野』とくれば、「秋山好古と騎兵」が真っ先に思い浮かぶが、残念ながら好古兄上についての記述は一言二言しかない。
作成しているのが教育委員会なので、軍を顕彰すると問題になるのだろう。
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『マツヤマの記憶 日露戦争100年とロシア兵捕虜』 松山大学・編 【郷土史】
  2004年3月30日 成文社 四六版上製 ネット書店で購入
松山にあったロシア人捕虜収容所についての調査記録。
(拾い読み)
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『極秘 日露海戦写真帖』 戸高一成(監修)【写真集】
  2004年3月 柏書房 22×31cm上製函入 国立国会図書館で閲覧
下記の3冊の写真集を合本復刻したもの。
『極秘 明治三十七八年海戦史付録写真帖』 海軍軍令部
『征露海戦写真帖』 戦艦「朝日」機関長の関 重忠が、軍令部長よりの委嘱で撮影したもの。
『WAR VESSELS OF JAPAN』 (編集者を控えるのを忘れてしまった…ボケ)日本の海軍が充実していることを海外に喧伝するために、海外向けに英文で発行された、日本海軍の軍艦の写真集。
(読了)
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『日本海海戦かく勝てり』 半藤一利&戸高一成 【対談】
  2004年4月5日 PHP研究所 四六版上製 新刊書店で購入
かねてより「日本海海戦に丁字戦法はなかった」、「「浪高シ」はわが軍有利の意味ではなく、用意の作戦が使えなくなった、の意味である」と説いてきた戸高氏が、本書の出版のため歴史家の半藤氏と対談したもの。
付録に、東郷平八郎の朗読による「連合艦隊解散の辞」のCDが付いている。
(2004/10/16 読了)
本書を最初に読んだのは定説、新説、異説、奇説、珍説の見分けがつかない頃だったので、丁字戦法があったとする説とその逆とが、私の中でしばらく並立することになった。
長年研究を重ねてきた戸高氏の説にど素人の私が異を唱えるのは身の程知らずの極みだが、現在のところ丁字戦法はあったと判断しているので、今読み返すと両氏の意見には少々疑問を感じる。
私ごときが自説を主張しても信憑性を疑われるばかりなので、研究者の力を借りてしまおう。
田中宏巳氏は1991年刊の『日露戦争 陸海軍、進撃と苦闘の五百日』の戦術解説では戸高氏の説に従った文章を寄せているが、2004年の人物評伝『秋山真之』では作戦の前の段階でこそ戸高氏の説を捨てていないものの、主力艦同士の砲撃戦そのものについては「絵に描いたような丁字戦法が実現し」と、意見を180度変えている。
なお、重箱の隅をつつくようであるが、97ページで戸高氏が言及している本『朝日の艦橋から見た日本海海戦』の、正確な書名は『朝日艦より見たる日本海海戦』(1907年↑)である。本書の説を検証しようと思えば参照したくなるので、書名を出すなら正確にしてもらいたいものだ。(探し当てるのに3ヶ月もかかったので恨みが入っている)。
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『坂の上の雲の真実』 菊田愼典 【戦史研究】
  2004年5月9日 光人社 四六版上製 新刊書店で購入
『日本海海戦100年目の真実 バルチック艦隊かくて敗れたり』 菊田愼典 【戦史研究】
  2004年12月24日 光人社 四六版上製 新刊書店で購入
『東郷平八郎 失われた五分間の真実』 菊田愼典 【人物評伝】
  2005年7月1日 光人社 四六版上製 新刊書店で購入
元防衛研究所戦史部主任研究官による日露海戦史三部作。
1作目は、司馬遼太郎氏による『坂の上の雲』(1968年↑)に描かれる日露海戦の実相が、史実に反すると述べたもの。
2作目は、ロジェストウェンスキーを中心にバルチック艦隊を描いたもの。ロ提督の世評が低すぎるとしている。
3作目は、東郷平八郎の人物評伝。
(2006/11/5 読了)
実は、このホームページを開設したとき、1作目は既に読んでいた。
でありながら今まで掲載せずにいたのは、著者の度量の小ささ、いささか下品な言い方をしてしまえば、ケツの穴の小ささに我慢が出来なかったからである。
著者は、海上自衛隊で護衛艦に乗務していた若き日に『坂の上の雲』をわくわくして読み、真之にわが身をダブらせていた。が、戦史研究の結果、日露海戦の実像が小説のそれとは異なることに気づき、本書を著すことにしたのだという。
崇拝した対象が自分の思っていたものと違っていたと感じると、一転して激しく攻撃する人がいる。本書の著者はまさしくそのタイプのようだ。
私は真之ファンを自称しているくせに、真之が戦術の天才でなくともかまわないと思っているカワリモノなので(いや、もちろん天才である方が嬉しいには違いないが)、『日本海海戦とメディア』(2006年↓)のように、史料をもとに冷静に著述している限り、真之の人物像の下方修正を試みる著作にも腹は立たない。無論、理性的に同意できない部分に対しては心の中で「そこは違うだろう」とツッコミを入れはするが。
しかし、この著者の場合、文章が戦史研究者のものというよりも、小説家のそれである。それも描写が秀逸だとかいう話ではなく、「講釈師、見てきたようにものを言い」の文章なのである。しかも、いちいちねちこく真之を貶めるような書き方になっている。
その最たるものが、島村が自分のことではないことで新聞に称揚された下り(P.148〜P.153)である。島村のような人物が、「覆面論士」の文章をどのように感じたかなどをこと細かに書き残すとは思いにくいし、他では出典史料をそのつどあげているのにここにはそれがないので、ここで描かれているのは著者による推測であろう。
であれば、変に遠まわしな書き方をせず、「島村は覆面論士を秋山であると推測した可能性がある。」とストレートに述べ、その論拠を展開すればいいのである。その論拠があればの話だが。(『元帥島村速雄伝』(1933年↑)の該当部分には島村が小笠原長生にあてた手紙が紹介されているだけである。また、中村彰彦氏の『海将伝』(1998年↑)は評伝ではなく小説だが、こちらでは小笠原と推測させている。)
更に、『坂の上の雲』は戦史研究論文ではなくあくまで小説であるのに、しかも司馬氏は極秘戦史が現存することさえ知ることが出来ない状況にある中で、手に入る限りの史料を積み上げ取材して著作をなしたのであるのに、司馬氏の読み得なかった史料で事実を知っているからといって、その内容の誤りに、「捏造」という語を使用(P.140)するのは不当というものだろう。捏造というのならば、著者の上記の部分の方がよほど「捏造」である。
読んでいて感じたのは、それが本当に真之の実像であるかどうかは別として、この著者は、著者自身があばいて見せた秋山真之の「実像」に、スケールを小さくすればそっくりなのではないか、ということであった。
すなわち、「真之」へのここまでの敵意は、近親憎悪なのであろう、と。
それでも1作目は、文章の不快さを除けば菊田氏の説には説得力が無いわけではない。
ところが、2作目、3作目となると。
一転して、敵方ロジェストウェンスキーについて述べた2作目は、これも1作目同様『坂の上の雲』に対し、史実を精査した著者の反論として書かれたようにみえるが、ここで描かれたロジェストウェンスキー像は『對馬海峡』(1937年↑)の引き写しである。更には海戦が始まって以降の描写は幕僚セミョーノフの著作『殉国記』(1929年『熱血秘史戦記名著集12巻』↑)に寄りかかっている。(のみならず、日本側を卑小化するように文章をわざわざ改めている。)
また、帯に「新事実初公開!」と謳われている「ロジェストウェンスキー提督の弁明」であるが、著者はなにゆえにこの「弁明」こそが真実で、秋山の起草した連合艦隊戦闘詳報は誤りであると決め付けたのであろうか。
ロジェストウェンスキーは「弁明」では日本の第一戦隊第二戦隊と会敵したとき艦隊を単縦陣に編制していたと述べているが、これは、事実に反する。
そう断言できるのは、『千九百四、五年露日海戦史』(2004年↓)に、連合艦隊がバルチック艦隊の前方を右から左に横切るのを見て、単縦陣にするための信号を発したとあり、また、オスラビアの乗員が第一戦隊の殿艦アリョールが遥か右に見えたと陳述しているからであり、また、ロジェストウェンスキー自身が査問委員会で「アリヨールハ(略)オスラビアノ右舷外ニアリタリトノ事実ハ今日ニ至リテ殆疑イナキモノノ」とと陳述しているからである。
著者は戦史研究室にいたのであるから、『千九百四、五年露日海戦史』は当然読めたし、読んだはずである。2作目はロシア側の記述が中心となるのだから。しかし、巻末の参考文献一覧に、同書の書名は無い。
自説の著述に不都合だからわざと載せなかったのだとすれば、あまりにも陋劣である。(ちなみに、3作目の巻末には載っている。)
また、『捕らわれた鷲』(1955年↑)は第二次大戦後の著作および翻訳で、もちろん軍による検閲などというものはありえないのだが、こちらでも、単縦陣にしようとした第一戦隊は速度を挙げて第二戦隊の前方へ出ようとしたが、アリョールとオスラビアがまだ横並びの内にスウォーロフが速度を戻してしまったため、この2艦はしばらく平行することになった、ばかりか、オスラビアがアリョールを前に出すため速度を落とし、ついには機関を停止したため、後続艦の隊列が非常に乱れたとある。
であるから、事実は、単縦陣にしようとしたが、完成する前に戦闘開始になってしまった、そのために第二戦隊は速度がいちじるしく落ちて後続艦は混乱し、オスラビアは集中砲火を浴びて最初に沈没することとなった、なのである。
この傍証となるのが、実は、3作目の記述(P.136)である。
菊田氏は、連合艦隊及び各戦隊の戦策には、我方の火力を敵の先頭艦もしくは一端に集中する、と、言葉こそ違え同じ内容が書かれている、そしてこれを実現するのが丁字戦法である、と強調している。が、もしオスラビアが単縦陣の5番目にいたのであって列の先頭にいたのではないのであれば、連合艦隊は全体でも各戦隊でも、戦策を無視していたことになってしまうのである。
同一著者の三部作の2作目と3作目で内容に矛盾があるとは、いったいどうしたことか。
まさか2作目刊行から3作目までのわずか7ヶ月の短期間で考えを改めたというのでもあるまいが、もしそうだというのであれば、3作目でちゃんと訂正しその理由を明記するべきである。著者は野村實氏を憧憬して戦史研究者の道に進んだそうであるが、野村氏は『日本海海戦の真実』(1999年↑)で、「かつてはそう考えていて、そう著述もしたが、考えを変えた、その根拠を述べる」ということを実際にしている。著者も師の先例に倣うべきである。
さて3作目。
副題の「失われた五分間」とは、日本海海戦午後2時57分の第一戦隊の一斉回頭の後、第二戦隊が直進したために艦列が重なってしまった5分間のことである。
第二戦隊がバルチック艦隊の頭を押さえなかったら、脱落したスウォーロフとオスラビア以外のバルチック艦隊を、三笠の後ろから逸走させてしまった恐れが高いとして、この独断専行は一般に評価が高い。敵方の『千九百四、五年露日海戦史』でさえ、この上村艦隊の行動を絶賛している。
ところが著者は、ここで第二戦隊が命令違反をしたために東郷の意図した戦略的丁字戦法が実現できなかった、と嘆いている。
しかし、嘆くのであれば、第二戦隊が第一戦隊に従っていたとしたらこの後はどのような展開になったはずであるのかを述べた上で、その蓋然性が高いということを証明しなくてはならない。それもせずただ嘆いているだけでは、説得力に乏しいと言わざるを得ない。
『〜の真実』とか、『真実の〜』とかいう書名の本に説得力のある本は少ないというのがかねてからの私の持論であるが、いずれにも『〜の真実』のつくこの三部作は、私にとってその持論を強固にする役割を果たしたといえるだろう。
《付記、あるいは小心者の筆者の弁解》
われながら、「ここまで書いちゃったらまずいかな」という文章である。
一次資料を好きなだけ見ることの出来るプロの研究者の著作を、たかだか2年半勉強しただけのど素人が批判する、というのがそもそも無謀なのだが、しかし、これが正直な感想なのである。
もしこれが私の誤解によるものであるとの意見をお持ちの方がいらしたら、ご教示いただけると幸いである。
(2007/4/15 1作目の一部分を再読)
あまり批判ばかり書き連ねるのもどうかと思うが、前回、書かなかったことを追加する。
本筋とは外れた部分ではあるが、1作目に明白な間違いがある。
P.199終わりから8行目に「北原鉄雄氏があらわした『次の一戦』(金尾文淵堂、大正三年刊)」とあり、次ページ6行目に「文章表現の特徴などから、北原鉄雄なる著者は、佐藤鉄太郎であると信じられる。」とある。二重に間違いである。
私の手元に大正3年刊の『次の一戦』の現物がある。
函にも本文冒頭にも、著者として記されているのは「一海軍中佐」である。ひょっとしたら資料室の本が函をはずしてあり、著者名を確認するために冒頭ではなく奥付を見に行ったのかもしれないが、そこに記されているのは「編集者 北原鉄雄」であって、「著者 北原鉄雄」ではない。奥付に「一海軍中佐」を記していないのは確かに不親切ではあるが、普通ならここで、著者は誰なんだろうと冒頭をめくって探すものなのではないか。あるいは、菊田氏は著者と編集者の区別も付かないのか。また、「一海軍中佐」の正体だが、これは『此一戦』(1911年↑)の著者、水野広徳である。
正直なところ、菊田氏がなぜこんな馬鹿な間違いをしたのか謎である。
まず、匿名性を高めるために階級を偽ったと考えたのかもしれないが、大正3年当時の佐藤鉄太郎は中佐ではない。
何より、同じ章の注に猪瀬直樹氏の『黒船の世紀』(1993年)が挙げられているのである。『黒船の世紀』は副題を「ガイアツと日米未来戦記」といい、太平洋戦争前に、日米戦争が勃発という仮定で描かれた小説を分析した評論である。
この著作だけで水野の生涯がひととおり追えるぐらいに水野を中心として記述されており、もちろん『次の一戦』は水野の著作として紹介されている。全編にわたって、繰り返し何度も、である。これを読んでいて『次の一戦』の著者を佐藤鉄太郎と思い込むなどは、平均的な記憶力がありさえすれば、絶対に、100パーセント「ありえない」のである。
前回、「それでも1作目は、文章の不快さを除けば菊田氏の説には説得力が無いわけではない。」と書いた。
説得力が無いわけではないとした理由は、なんと言っても一次資料の参照、引用の多さである。著者の判断能力に留保を置いたとしても、拠って立つ資料が多ければ、導き出されるものは自ずと真実に近づくだろうと判断したのである。
今更ながら白状するが、今回読み返すまで、注に『黒船の世紀』が挙げられていることを見落としていた。であるから、水野について知らない人は大正版の『次の一戦』を読んで著者がわからなくても仕方ないと思っていた。
だが、『黒船』を読んでいてなおこの記述であれば、著者の資料に対する態度に不誠実を感じざるを得ない。
この件について、著者の弁明がもし既にあるのならば、読んでみたいものである。
《付記》(2007/7/20)
『次の一戦』の著者が水野広徳である件だが、『黒船の世紀』だけでは納得しない向きがあるようなので追記する。
1.水野の3作目の著作『戦影』(1914年↑)初版の巻末に、「海軍中佐水野廣徳著」として『此一戦』と『次の一戦』が紹介されている。
2.『次の一戦』は1982年に原書房から水野広徳著で復刻され、1995年には雄山閣の『水野広徳著作集』(↑)3巻に収録されている。
3.水野広徳の自伝『剣を解くまで』(『反骨の軍人 水野広徳』(1978年↑)および『水野広徳著作集』8巻に収録)に、『次の一戦』を出版した際、規則が新設されているのを知らず軍に無許可であったため、謹慎処分を受けた経緯が述べられている。
4.謹慎処分を通達した「懲罰言渡書」が松山市の子規記念博物館に現存している。
5.水野の著作『打開か破滅か興亡の此一戦』(1932年)に、著者の既刊からとして、『次の一戦』の自序の引用がある。
他に水野についての数種の人物評伝などもあるが、これ以上は必要ないだろう。
国会図書館の検索データベースは、以前は大正版の『次の一戦』には一海軍中佐著と北原鉄雄編しか表示されていなかったが、2を理由として司書に投書したところ、「水野広徳」も追加された。
国会図書館の司書も認めているわけである。
また、4の「懲罰言渡書」は、松山市のNPOが作成しているホームページ「水野広徳ミュージアム」で見ることができる。
http://www.mizuno-museum.com/index.html
「水野広徳ゆかりの品」の一番下を参照いただきたい。
(ただし、このホームページは画像資料以外は、記述に入力ミスや事実誤認が非常に多いので注意したい。)
《追記》(2008/3/1)
2作目について、オンライン書店BK−1に「アルテミス」のハンドルネームで投稿した書評はこちら。
《追記》(2008/3/13)
上記、BK−1に書評を投稿した後、ひとつの可能性に思い至った。
『極秘 明治三十七八年海戦史』に掲載の瓜生提督の戦闘詳報が、原文と改変して収録されている可能性である。
瓜生提督一人が単縦陣と書いてあったのでは、瓜生提督の立場がないと判断した戦史編纂者たちが改変を加えたというのが全くないとは、瓜生提督の戦闘詳報のオリジナルを見ていない私には、言い切れない。
もしそうであれば、「史料と異なって書きながら」と書いた点だけは著者に対して、謝罪せねばなるまいと思う。
ただし、その場合でも、バルチック艦隊主力が二列縦陣であったという私の考えは揺らがない。
著者が書くように、真之が自分の目では見ていなかったから単縦陣を二列縦陣と書いたというなら、第一戦隊の艦長たちもまた、全員が敵艦隊を目視していなかったことになる。いくらなんでもそれはありえない。
逆に、極秘海戦史に収録の戦闘詳報がすべて改変してあったならば、原文を見ている著者は当然、第一戦隊の後からやってきた第四戦隊の詳報などでなく、第一戦隊の諸艦の戦闘詳報を引用するはずだ。
それをしなかったのは、第一戦隊の艦長たちがみな二列縦陣と書いていたからとの推測が成り立つ。
この推測は、何の史料の裏づけもなく真之を「艦内に降りていた可能性も否定できない。」とする著者の推測よりも妥当だと考えるが、異論をお持ちの方がいらしたら、ご一報いただけると幸甚である。
《上記追記に対する追記》(2010/11/6)
「『極秘 明治三十七八年海戦史』に掲載の瓜生提督の戦闘詳報が、原文と改変して収録されている可能性」についてだが、オリジナルの方もアジア歴史情報センターにて公開されていたため確認したところ、この件については改変はないことが判明した。
《訂正》(2008/8/30)
上記2006年11月5日の文章の内の、「幕僚セミョーノフの著作『殉国記』(1929年『熱血秘史戦記名著集12巻』↑)に寄りかかっている。」を訂正する。著者が参照しているのは、原書は同じだが訳の違う『ツシマ敗戦記』(1906年↑)の方。
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『その時歴史が動いた 第182回 日露戦争100年 二〇三高地の悲劇はなぜ起きたのか』 【TVドキュメンタリー】
  2004年6月9日 NHK総合 エアチェック視聴
旅順攻防戦のあらましをCGなどを多用し、解説したもの。
『その時歴史が動いた 第183回 日露戦争100年 逆転の極秘電報154号』 【TVドキュメンタリー】
  2004年6月16日 NHK総合 エアチェック視聴
ポーツマス講和会議の真相を新資料をもとに明らかにしたもの。
(2004/10/25 視聴済)
この番組自体も分かりやすくていいが、ホームページに載っている参考文献リストやQ&Aなども参考になる。
なお、この番組の第1回は「運命の一瞬、東郷ターン」。再放送してくれないかしらん。
《付記》(2006/1/2)
第1回「運命の一瞬、東郷ターン」をヒストリーチャンネルにて視聴。上記(2000年↑)をご参照あれ。
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『秋山真之』 田中宏巳 【人物評伝】
  2004年9月10日 吉川弘文館人物叢書237 四六版並製 新刊書店で購入
秋山真之の人物評伝。
真之の行動を追いつつ、海軍大学校での講義録や真之自身の手になる文章などを精査することによって真之の軍事理論や思想を解析。その一方で、境遇や業績の近い者の例を多数あげることで真之の属した社会を描いて間接的に真之への理解を深める一助としている。
また、折々で海軍が変質していく過程や社会情勢の変化に触れており、それが真之の晩年の苦悩の原因となっていることを明らかにしている。
(読了)
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『ロシア・兵士たちの日露戦争―新資料が語る100年目の真実―』 【TVドキュメンタリー】
  2004年10月9日 NHK−hi ハイビジョン画像から通常画像に変換して受信、エアチェック視聴
『ロシアから見た日露戦争〜兵士たちの手紙・日記が語る真実〜』 【TVドキュメンタリー】
  2004年12月18日 NHK教育 エアチェック視聴
タイトルは違うが、 同じ番組である。前者が「ハイビジョン特集」で放送した時、後者は「ETV特集」の時。
日露戦争100年を機にロシアで新たに公開された記録や手紙などから日露戦争の推移をロシア側から解説しつつ、ロシア革命へとつながっていく経緯をたどる。
(視聴済)
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『日露戦争 その百年目の真実』 産経新聞取材班 【新聞連載コラム】
  2004年11月20日 発行:産経新聞ニュースサービス 発売:扶桑社 四六版上製 新刊書店で購入
産経新聞に連載された記事をまとめたもの。5部構成。
第1部 国民の戦争  戦争中の日本国内事情
第2部 帝国の憂鬱  ロシア側の当時とその後
第3部 現場を訪ねて  戦場他、世界のゆかりの地の今昔
第4部 広瀬家の人々  「軍神」広瀬武夫の家族のその後
第5部 怨讐を超えて  今も残る怨讐と、それを超えようとする試みと
(読みかけ)
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『千九百四、五年露日海戦史』 露国海軍軍令部 【公式戦史】
  原著刊行日、翻訳初版刊行日ともに不詳。
  2004年11月30日 芙蓉書房出版 A4上製・上下巻函入 新刊書店で購入
ロシア側の海軍公式戦史。日本海軍より寄贈された日本海軍軍令部編纂『明治三十七八年海戦史』を資料として使用している。
翻訳原本は1巻上下、2巻、3巻、4巻、6巻、7巻の7分冊。5巻はロシアでの原著自体が刊行されなかったらしい。
原本を縮小し1ページに4ページ分を掲載。原本1巻上下を収録した復刻上巻は元の活字が相当大きかったらしく、縮小してあると意識せずに読めるほどだが、2巻以降を収録した復刻下巻は、虫眼鏡が欲しくなるぐらい細かな字となっている。
(2004/11/27 拾い読み)
 まだ「仁川沖の海戦」の部分しか読んでいないのだが、『明治三十七八年海戦史』よりも遥かに記述が多い。『明治』の18ページに対し58ページ(原本の方で)もある。
 こんなに記述量に差があるのは、ワリヤーグの奮戦がその直後からロシア側では盛んに喧伝されたからであろうが、全体の分量自体が『明治』よりも多いからでもあろう。
 また、分量だけでなく、日本側とロシア側とで内容に明らかに相違がある。
 詳細は「連合艦隊VS旅順艦隊」で述べるつもりなので、ここでは書かない。が、そのどちらが正しいのか、あるいはどちらも間違っているのかを検証するのは、面白そうである。(多分私の手には余るのであろうが。)
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『その時歴史が動いた 第205回 日露戦争100年 日本海海戦〜参謀 秋山真之・知られざる苦闘〜』 NHK松山 【TVドキュメンタリー】
  2005年1月26日 NHK総合 エアチェック視聴 番組ホームページ http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2005_01.html#04
参謀秋山真之を主人公に、連合艦隊の戦策の変化を解説。
(2005/2/26 視聴済)
秋山真之が主人公ということで非常に楽しみにしていたら、ゲストが誰かを知って、にわかに心配になった。
戸高一成氏である。「日本海海戦に丁字戦法はなかった」と説き続けている人である。一体どんな番組になることやらと期待半分不安半分で見始めたら、NHKは反論の多い新説を全面的に採用するような無謀はしなかったので、とりあえずはほっとした。
(それにしても、戸高氏も節操のない。台本を貰った時点で、自分の説と番組の内容とが相反すると分かっただろうに、よく出演したものだ。まあ、「浪高し」の解釈は戸高氏の説に沿っているようだが)
番組全体の印象としては、よく出来ていると思う。CGによる海戦の再現はわかりやすく、黄海海戦の失敗をきちんと語っているので、真之の苦心の過程がよく見える。
ゲストのメンツを丸つぶれにして「並航戦」を丁字戦法の改良版として解説しているが、これは、番組ホームページで参考書として挙げられている『創出の航跡』(2000年↑)の分析を採用したものだろう。いっそ、ゲストを同書の著者、吉田惠吾氏にすれば良かったのに。
しかし、真之を主人公に持ってきて、「その時」が上村艦隊の独断専行というのは、ちょっと苦しい。
本当は東郷ターンでいきたかったのだろうが、東郷ターンはこの番組の第1回で既に採り上げてしまっているので、苦肉の策であったのだろう。
なお、番組中の黄海海戦の部分に1箇所、番組のホームページに1箇所、計2箇所の間違いを発見し、ホームページの「ご意見・ご感想」に書き送ったら、再放送までに両方とも修正された。(もっとも私一人の手柄ではない。同じ指摘をする人が他にもいたようで、私宛の返信の宛名が別人のものになっていた。すぐにお詫びのメールが送られてきたが。)
ただ、出典の修正はされたものの、「この成果を見るに及んで唯感激の極、言ふ所を知らざるものの如し」というのは「将卒も皆」という言葉に続いて書かれたのであって、真之自身の感慨として書かれた文章ではない。真之も将卒の一人であり、自身も同じ感慨を持ってはいたであろうが、番組でもホームページでもこれを真之の感慨として紹介したままにしてしまったのには、疑問が残る。
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『「坂の上の雲」では分からない日本海海戦 なぜ日本はロシアに勝利できたか』 別宮暖朗 【戦術研究】
  2005年5月10日 並木書房 四六版並製 新刊書店で購入
日本海海戦に限らず、日露海戦全般についての解説。
(2005/6/1 読了)
日露海戦に入る前に普墺戦争のリッサ海戦、日清戦争の黄海海戦、米西戦争のマニラ湾海戦とサンチャゴ・デ・クーバ海戦を解説しているので、日露開戦時に海軍戦術としてはどのようなものが近々の事例として海軍軍人に認識されていたのかがわかるのはありがたい。
しかし、肝心の日露海戦に入ると、通説と異なるものが数多く登場して戸惑いを覚える。
いわく。
・連繋機雷は単に機雷を四つ数珠つなぎにしてばら撒くものではなく、2隻の水雷艇が繋索の両端を持ち敵艦の前方から左右を抜けざまにぶつけるものである。
・ロジェストウェンスキーには充分な戦歴があった。また、エンクイストやネボガトフを指揮官として尊重しなかったのは、唯我独尊による倣岸のためでなく、この二人には戦い抜く意志力がないことを見抜いていたので、ウラジオストックへ直行するコースを取る以外の命令をわざと与えなかったためである(つまりそれ以外の選択をすれば抗命となるようにした)。
・日本海海戦の第一合戦15時の第一戦隊の一斉回頭は、敵が反転して逃げようとするのを阻止するためでなく、黄海海戦の際に多発した砲のとう発(暴発)を避けるため、砲身を冷やす時間を得るために敵を避けたものである。
このほかにも、「え?」「へ?」と思うような記述が頻出する。
理屈としては筋が通っているので、うっかりすると「そうだったのか」と納得してしまいそうになる。しかし一人でこれほどたくさんの「真実」を探り当てることが可能なものなのだろうか。
《以下余談》
リッサ海戦はイタリア艦隊がオーストリア艦隊にボロ負けした海戦なので、イタリア好きな筆者は読んでいて楽しくなかったのだが、途中で一転した。オーストリア艦隊の将校の大部分が、当時オーストリア領であったヴェネツィア出身者であったとあるのである。
イタリアの中でもヴェネツィアを偏愛しているので、「東地中海の女王」の伝統は、共和国滅亡の後にも途絶えてはいなかったのだと単純に喜んだのだ。おまけに陸でプロシアがオーストリアを破ったためヴェネツィアがイタリアに編入できたとあれば、普墺戦争万々歳である。
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『日露戦争の兵器』 佐山二郎 【兵器解説】
付・兵器廠保管参考兵器沿革書
  2005年5月15日 光人社NF文庫 新刊書店で購入
日露戦争の陸軍兵器を解説したもの。
付録(といってもページの半分を占める)の『兵器廠保管参考兵器沿革書』は、昭和4年発行のもので、東京陸軍兵器支廠の参考兵器陳列館に保管されていた兵器を専門家が調査し、まとめたものの全文。
(2005/4/23 パラパラとめくった程度)
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『歴史街道2005年6月号 日本海海戦特集』 【雑誌特集記事】
  2005年6月1日 PHP研究所 B5版袋とじ 新刊書店で購入
日本海海戦についての全般的な解説など。
(2005/6/1 読了)
取り立てて目新しい記事や論説はない。
細部について調べていると全体の流れを見失いがちになるので、時々こういう大雑把な著述を意識して読むようにしている。
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『歴代総理大臣伝記叢書』 御厨貴・監修 【伝記・自伝】
  2005年6月〜2007年1月 ゆまに書房 A5判上製函入・全32巻・別巻1 国立国会図書館で閲覧
伊藤博文から鈴木貫太郎までの歴代の首相の、現在入手困難な伝記を復刻したもの。
(2007/2/17 13巻のみほんの一部拾い読み)
13巻は1928年に発行された『元帥加藤友三郎伝』。
この巻しか見ていないので他の巻がどうかわからないが、活字を組みなおしたりはしておらず、元の書籍を撮影して、そのまま印刷してある。そのため多少かすれなどがあるが、活字そのものが大きいので読みにくくは無い。
それにしても加藤友三郎。
沈着を絵に描いた人物で、滅多に表情を変えなかったとあちこちで読んでいたので、孫を抱いている写真を見てずっこけた。
孫に軍帽を取り上げられ、代わりに孫の帽子を頭に載せられているのだが、この顔が笑み崩れているのである。
しかも、この様子を撮影したのが外国人記者団とは……。
日本海海戦の勝利にも喜びをあらわにしなかった冷静な参謀長も、孫の前ではただのおじいちゃんなのであった。
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『もう一つの日本海海戦〜アルゼンチン観戦武官の記録〜』 ワック 【TVドキュメンタリー】
  2005年7月18日 BS日テレ
  2005年8月 セルDVD 通信販売で購入
『日本海海戦から100年 アルゼンチン海軍観戦武官の証言』(1998年↑)をベースに作られたドキュメンタリー。
DVDには特典映像として日本海海戦100周年記念式典のようすや、記念艦みかさの映像が収録されている。
(2006/1/22 視聴済み)
第一艦隊第一戦隊の殿艦日進からの視点は多くなく、しかもそれが観戦武官のものであるという点で珍しいといえば珍しい。しかし、内容に特段新しいものはない。
オリジナル映像はハイビジョンであるそうだが、実写部分はともかく海戦再現部分がミニチュアプラモデルを並べただけでは、ハイビジョンが泣くだろう。
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『波涛 通巻179号 日本海海戦100周年記念』 【同好会会誌】 
  2005年7月 兵術同好会 A5判並製 国会図書館で閲覧後、ネット古書店で購入
幹部自衛官やそのOBなどによる「兵術同好会」の会誌。日本海海戦に関する論文を8本掲載。
外山三郎 『日本海海戦におけるわが決定的勝因を考える 』
影山好一郎 『バルチック艦隊の極東派遣に伴う海軍戦略の実相--『1904・5年露日海戦史』を中心にして 』
田中宏巳 『「艦隊決戦」と「追撃戦」』
北澤法隆 『戦策と秋山海軍中佐「海軍基本戦術第二編」から見た丁字戦法』
石川泰志 『日本海海戦 勝利の効果はなぜ永続しなかったのか 』
岩橋幹弘 『元帥たちの日本海海戦』
石井久恵 『戦史随想シリーズ(34)日本海海戦という魔法--「三笠」と「大和」』
谷光太郎 『歴史読み物 日露戦争と二人の米国人--ルーズベルトとマハン(日本海海戦100周年を迎えて) 』
(2008/9/30 特集は読了)
国会図書館で閲覧して欲しくなり、しかし非売品の会誌なので入手は難しいだろうと思ったら、古書店組合のサイトで検索したら欲しい号が出ていたので即決。
外山氏、田中氏、北澤氏の論文はいずれも丁字戦法はあったとしているのだが、その結論に至る過程がいずれも異なっているのが面白い。
石川氏の論文は序章のタイトルが「日本海海戦とカンネーの戦い 共通する戦訓」。へ?ハンニバル?
(念為。殺人鬼のハンニバル・レクターじゃないよ。アルプス越えのハンニバル・バルカだよ。あ、でも殺した人数ならハンニバル・バルカの方がよっぽど多いか……って、脱線しすぎか。)
紀元前の陸戦のカンネの戦いと、20世紀の海戦である日本海海戦とが結びつこうとは思わなかった。言われてみれば、確かにどちらも一方がもう一方を徹底的に殲滅した戦い。こういう比較もできるわけである。
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『真説 日露戦争』 加来耕三 【総論】
  2005年9月1日 出版芸術社 四六判上製 地元図書館で借り出し
現在伝えられている日露戦争の「実相」は情報操作されたものだとし、それに修正を加える目的で書いたとするもの。
(2008/6/8 読了)
「はじめに」に「できるかぎり史実に近い資料をもちいて、(略)改めて再検証することを目的とした。」と書いているくせに、安直かつ誤りの多い著作である。
私は陸戦の方は詳しくないので、こちらの内容の是非について言及できない。しかし、大山巌の人柄を語りたいのはわかるが、大山一人についての人物評伝ならともかく、日露戦争の全般を語ろうという本で「オヤマカチャンリン」(大山がおどけたことを言う)の例を何度も何度も出すのは不必要である。これひとつをもっても、偏りがあることが認められる。
海戦については、はっきり言って噴飯ものである。
「はじめに」で極秘の方の『明治三十七八年海戦史』をなどを用いたとあるが、著者は極秘戦史を実際にはろくすっぽ読んでいないと断言できる。
275ページに「連合艦隊は大本営より極秘の「密封命令」を突きつけられていた」とある。
極秘戦史のどこにそんな記述があるのかを著者にお伺いしたいものだ。極秘戦史の第2部巻1第1篇第1章「大本営ノ動作」を読めば、大本営は移動しない方がいいとの判断であったのは明瞭である。
とにかく、海戦の大筋を知った上で『日本海海戦の真実』(1999年↑)『坂の上の雲の真実』(2004年↑)『日本海海戦かく勝てり』(2004年↑)を読んでいれば書ける内容で、一次資料からの引用らしく書いてあるものはたいていこの三冊からの孫引きである。
270ページと『坂の上の雲の真実』の100ページの両方に島村が真之にしたとされる訓辞があるが、「人事発令の記録をくくると」と書いている『真実』と違って、こちらは島村の訓示を掲載し引用元を『元帥島村速雄傳』としているだけである。しかし『元帥島村速雄傳』には、訓辞をした相手の名前はない。これでは相手が真之であるとは判断できない。したがって、加来氏が『坂の上の雲の真実』を参照しているのは間違いない。
しかも、『坂の上の雲の真実』の誤りをそのまま引き継いでいることからして、これらの内容を検証することもしていない。
279ページ、焼失した『三笠艦橋の図』に秋山が描かれていなかったというのが誤りであるのは、三笠保存会事務局長の小山力氏が三笠保存会発行『みかさ』第21号に掲載の記事で論証しており、『坂の上の雲の真実』の著者も認めているという。
(私の蔵書である水野広徳の『此一戦』の明治44年の最初の版にも焼失前の『三笠艦橋の図』は白黒だが載っており、秋山は現存するものと全く同様に描かれている。)
その上、この三冊すらもきちんと読んでいない。
上記の密封命令についての誤りは、『日本海海戦の真実』を誤読したものだろう。こちらでは、ちゃんと極秘戦史どおりに記述されている。
また再び279ページには、「秋山は東郷と同じ「三笠」のブリッジにはいなかった。後方のブリッジにいたことを、彼自身が史談会で証言している。」とある。
『坂の上の雲の真実』の191〜2ページでは、佐藤鉄太郎が真之から聞いたことを「極秘日露戦役参加者史談会記録」「佐藤鉄太郎遺稿」からつぎはぎして会話に再現してあるが、後部艦橋にいたとの真之の言は、史談会ではなく、佐藤鉄太郎の遺稿から取られている。さらに、『日本海海戦の真実』や『日本海海戦とメディア』(2006年↓)によると、史談会は昭和10年。大正7年没の真之はとうに故人で、「彼自身が証言」などありえない。
加来氏が原史料を当たっていないことは明白である。
また「本日天気晴朗なれども浪高し」の電文を『日本海海戦かく勝てり』ないしこれに再掲の戸高氏の論文から拾ってきたのだろう、波が高くて奇襲ができないとの意味だと書いているが、奇襲は波のため実行できなかったが予定されていたとする戸高氏の説を、それとは反対に、事前に実行とりやめが決まっていたとする『坂の上の雲の真実』から(その部分ではないにせよ)大量拝借している文中に混ぜ込むとは、たいした力技である。
私の『坂の上の雲の真実』に対する評価は低く、これを参照して書いているなと思った時点で既にこの著作に対する評価は決まったようなものであるが、まさかそれをさらに下に行く著作であろうとは。
他人の研究成果を、それが妥当なものであるかどうかの検証もせずに、自分が調べたかのように書く。しかも誤読して書いている。
著者の歴史家としての良心を疑うというものである。
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『交流150年 司馬遼太郎のロシア』 朝日新聞 【新聞連載コラム】
  2005年9月22日〜29日 朝日新聞夕刊連載
「司馬が『坂の上の雲』や『菜の花の沖』で描いた世界を、ロシア側から見た」(連載第一回の末節)。
連載第1回は日本海海戦で戦ったロシア人の子孫による「ツシマ会」の紹介、2回目はロジェストウェンスキーの曾孫の兄妹の談話。全6回。
(2005/9/24 本日分まで読了)
現在のところ格別に新しい情報があるわけではないが、血縁者から語られると、また違った感慨がある。
不満なのが、紹介されている本はどちらも邦訳があるのに、原題直訳の題で紹介されていること。どちらも絶版ではあるが、古本市場にはたまに出てくるのだから、調べる手間を惜しまないで欲しいものだ。
ちなみに、連載1回目の『ツシマにおけるアリョール号』は『捕らわれた鷲』(1955年↑)。
2回目の、「ドイツ人の書いた「ツシマ」」は、『ロジエストウエンスキイの悲劇』と『對馬海峡』の2分冊、抄訳は『全滅の戰列 バルチック艦隊回航記』(1937年↑)。
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『明治が生んだ「小さな巨人」小村寿太郎〜息子が語る父の一生〜』 ヒストリーチャンネル・ジャパン 【TVドキュメンタリー】
  2005年9月24日 ヒストリーチャンネル ケーブルテレビにて視聴
小村寿太郎の息子捷治氏の、父についての回想録『骨肉』(↓)を軸に、小村寿太郎の業績や人となりを紹介したもの。
語り手はイッセー尾形。
(2005/9/24 視聴済み)
良質なドキュメンタリー。
ただし、イッセー尾形が小村寿太郎の息子に扮しているのだが、役者のキャラクターが出てしまっているところに若干の違和感がある。
なお、今年(2005年)は小村寿太郎生誕150周年だそうだ。
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『骨肉』 小村捷治 【回想録】
  2005年9月26日 鉱脈社 A5版上製 版元へ直接発注
小村寿太郎の次男による、父や家族についての回想録。
昭和18年に刊行の予定で執筆されたが、戦争の混乱のため果たされなかった。平成14年に一部が『父の一生―逆境の裡に自ら玉成―』の題で刊行されたが、本書は完全版。題名も著者の定めたもの。
小村が18歳のときに書いた英文の自叙伝(英語の勉強のために書いたものと推定されている)が収録されている。
(2005/10/4 パラパラとめくった程度)
今日届いたばかりなので、中身についてのコメントは後日。
小村の出身地宮崎県の地方出版社による刊行。書店の店頭に並ぶのは宮崎県だけであるそうだ。
入手方法は、「日露戦争関連書籍 新刊・復刊情報」を参照されたい。
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『その時歴史が動いた 第238回 秘められたメディア戦略 〜児玉源太郎 日露戦争のシナリオ〜』 NHK 【TVドキュメンタリー】
  2005年11月16日 NHK総合
  2005年12月2日 再放送をエアチェック視聴
児玉源太郎が、従軍記者対策により、国際世論を「日本勝利」の方向に持っていった経過を述べたもの。
(2006/1/2 視聴済)
児玉が軍人であり戦略家、戦術家であると同時に、政治家としてのセンスも持ち合わせていたことはつとに名高い。この番組は後者に焦点をあてている。
陸戦については詳しくないので(海戦なら自信があるともいえないが)、内容についてはコメントなし。
ただ、番組中でスタンレー・ウォッシュバーンの手記『乃木』(1924年↑)から「乃木軍はロシア軍の恐怖心を逆手に取り、兵に突貫の際、皆ロシア語で高く絶叫させた。 我らは皆あの旅順より来れるものなり。我らの前進を妨げることなかれ」という言葉を引用しているが、このエピソードは聞いたことがなかったので当の手記を読んでみたところ、確かにそう書いてある。が、この手記は伝説めいた記述が散見されるので、どこまで本当なのか今ひとつ信用しづらいとは述べておこう。
なお、奉天会戦を描いた映画やドラマが少ないためではあろうが(私が見ることが出来たのは『明治大帝と日露大戦争』のみ)、映画『二百三高地』(1980年↑)の映像を奉天会戦に流用するのは失笑ものである。
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『海軍大尉中山忠三郎 熱きバトルのはて 日本海海戦秘話』 中山吉弘 【戦闘解説】
  2005年11月20日 ブイツーソリューション 四六版並製 新刊書店で購入
海軍兵学校で広瀬武夫や財部彪らと同期でありながら病気のため昇進が遅れ、大尉として駆逐艦薄雲に先任将校として乗り組み、戦後出家して戦没者を供養した中山忠三郎を紹介しつつ、日本海海戦について論議されているいくつかについて著者の意見を述べたもの。
(2006/3/28 読了)
駆逐艦に乗っていた人物を中心にしたものは少ないので興味をもった。が、読んでみたら、その人物についての記述は全体の半分もない。
「〜の回想によると」というたぐいの記述が頻繁に出てくることから、数多くの資料をあたって著述しているのは分かる。だが、その資料の書名や文書名が明記されていないことが非常に多い。巻末に参考文献の一覧を付すことすらしていない。これでは、本書の説を検証することが非常に面倒になる。
また、娯楽読み物としてではなく自分の検証した結果を述べる評論として著述しているのならば、引用する文章を著者が現代語訳してしまっているのは不適当だろう。
これでは、著者の説が妥当であるか否か以前の段階で、はなはだ不満である。
全体の構成も、中山忠三郎を紹介したいのと、世間で取りざたされている論議に一枚加わりたいのと、どちらなのかと著者に問いたくなる半端さ。要は、著述の仕方が素人の域を出ていない。
編集者は何をしてたんだと思い、ブイツーソリューションという版元を知らなかったので調べてみたら、自費出版物を一般の流通に乗せているところであった。
なるほど、本書は素人の自費出版物だったのである。
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『秋山真之 戦術論集』 秋山真之・著 戸高一成・編 【戦術論】
  2005年12月10日 中央公論新社 四六版上製 新刊書店で購入
秋山真之の海軍大学校での講義録『海軍基本戦術』『海軍応用戦術』『海軍戦務』を収録したもの。
(2006/1/2 編者の解説のみ読了)
作戦参謀の実を知りたければ、本人の戦術論を知り、それを実戦の戦記と比較するのが最良であろう。待ち望まれた書籍である。
私にこれがどこまで理解できるかという不安は大変大きいのだが。
なお、戸高氏の業績には敬服しているのだが、解説にがっくりくるような間違いがある。日露戦争に興味がある人間なら必ず知っていることなので、うっかり間違えてしまった後、推敲や著者校閲の際にもわざわざ見直す必要を感じずに見逃してしまったものと思われる。(別の人が同じ間違いをしているのを見つけたことがある。)
とはいえ、監修というのは注意力が必要な作業のはずなので、この分では本文の監修にも見落としがあるのではと不安が出てしまうのは残念である。
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『【決定版】図説 日露戦争 兵器・全戦闘集』 【戦史ムック】
  2006年4月25日 学習研究社 B5版並製
古写真や公式戦史の戦況図などを多数掲載して日露戦争の推移を説明したもの。
(2007/5/5 拾い読み)
ごちゃごちゃしてわかりにくい公式戦史の戦況図などが色分けにより見やすくなっている。
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『日本海海戦とメディア 秋山真之神話批判』 木村 勲 【戦史研究・メディア論】
  2006年5月10日 講談社 四六版並製 新刊書店で購入
『極秘 明治三十七八年海戦史』を精読して日本海海戦の実相の解明を試み、それによって従来語られてきた秋山真之を覆う「神話」を批判したもの。同時に、その「神話」がどのように形成されていったかをたどるメディア論。
(2006/7/5 読了)
本書では、日本海海戦の戦策が数回にわたって改訂されたことを、「島村によって書かれた基本戦策を真之がいじりまわしたが、結局真之のいじった部分は全て撤回された」、としている。
そこで、疑問が二つ生じる。
連合艦隊司令部から転出後の島村が、戦策を書くことが出来るものなのか。連合艦隊司令部に留任した先任参謀で戦術担当の真之の戦策を第2艦隊司令が骨抜きにする、ということが果たして組織として可能なのか。
もう一つ、そこまで真之の戦策が信頼されないものであるなら、なぜ真之を単なる参謀から先任参謀に格上げし、連合艦隊司令部に残したか。真之は薩摩出身ではないし、妻が薩閥の係累というわけでもない。使えないと判断したなら、司令部から放逐するのにためらう理由はない。それなのに本書では、東郷や島村らが真之の体面を保ってやろうと、不自然なまでに気を遣ったことになっている。いかに人の和というものを重んじる日本人とて、無能と判明した参謀の体面を気遣っているような局面ではないはずである。
本書の説が全て正しいとすれば、この2点がどうしても引っかかる。
私がど素人であり無知であるから、引っかかっているだけなのかも知れないが。
(2008/9/28 再読)
改めて読んでみたが、著者は小笠原の作為を強調しすぎではないかと思う。いかに海軍のメディア担当者であったとはいえ、小笠原一人がそんなに何でもかんでも思い通りに海軍に関する報道を操れるものかどうか。
著者によると、戦策にあった丁字戦法という言葉が海軍内部から一般へ最初にあらわれたのは、東京朝日新聞が日本海海戦の一ヶ月後の6月30日と7月1日に上下2回、旬刊誌の博文館「日露戦争実記」が7月13日号に全文掲載した「連合艦隊参謀某氏」の講話として掲載した文ということである(P.189)。
この文の作者について、著者は「彼(秋山真之)から情報を得ていた小笠原(長生)が、秋山が講演したということにして発表したものだ。」(P.190)と書いているが、この断定の理由についての記述はない。同じ文について、戸高一成氏は『日本海海戦かく勝てり』(2004年↑)P.116で、別人のものとの前提で語っている。ぜひ根拠を示してほしい。
同様に著者は1935年の日露戦争30周年の際に相次いで出版された対談集、『参戦二十提督 日露大海戦を語る』(↑)や『名将回顧 日露大戦秘史 海戦篇』(↑)も海軍が手を入れてから下付したものとし、担当者は小笠原と推断しているが(P.34)、もしそうならば、『名将回顧』に森山慶三郎のセリフ、「小笠原君は、戦争前、東郷さんをどう思った? 無能と思わなかったか?(笑声)」(P.131)が残ったかどうかははなはだ疑問である。笑い声に紛らせているが、これは東郷平八郎の腰ぎんちゃくであった晩年の小笠原に対する皮肉である。
このふたつの対談集はそれぞれ陸戦篇も刊行されている。著者の書くとおり海戦篇に事前に手が入っているのが「海軍の体質」とするなら陸戦篇は手が入っていないということになるが、陸戦篇については何の言及もない。海戦篇には両方とも、先に刊行された陸戦篇の広告が巻末に載っているのだから、陸戦篇の存在は知らなかったという言い訳はできない。海戦篇の成立過程を批判するなら、陸戦篇についても何らかの調査と記述がなければ、不徹底のそしりは免れ得ない。
また、島村速雄と真之の関係に齟齬があった、第二戦隊全体には真之の戦策に拒否感があったという記述のすぐ後に、『秋山眞之』(1933年↑)から真之と八代六郎との口論を引用しているが、これではこの二人の関係を知らない人が読んだら、真之は当の奇襲作戦の実行役にまで拒否されていたかの様に誤解するだろう。真之と八代とは厚い信頼関係で結ばれており、八代は奇襲作戦にも乗り気であった。事実として前年の仁川沖の海戦にも八代が艦長をつとめる浅間を派遣して成功している。
背景にある信頼関係を述べずに口論だけをこういう形で引用するというのは、著者が非難する情報操作ではないだろうか。
著者は日本海海戦に丁字戦法はなかったという前提に立っているから、丁字戦法を強調する小笠原や、海軍大学校での真之の講義を批判する方向に向かっているが、丁字戦法はあったと判断する私からすれば(この判断については別途ページを作成中)、前提条件を間違えているから結論も間違った方向に行きつかざるを得ず、そうした結論を持った眼で読むから、史料もうがちすぎな読み方になるのだと思う。本書では、「〜とも読める」のたぐいの記述が非常に目につく。
公式戦史(公刊版、極秘版とも)の記述の矛盾点を丁寧に洗いだした作業には素直に敬服する。
が、著者は史料を読みたいように読んでいるような印象はぬぐえないと思う。
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『日露戦争 もう一つの戦い―アメリカ世論を動かした五人の英語名人』 塩崎 智 【社会評論】
  2006年7月5日 祥伝社 新書 新刊書店で購入
日露戦争当時、あるいは政府の命を受けて、あるいは個人的な目的のためにアメリカに渡り、講演や執筆などを通じてアメリカ世論を日本支持へ動かした岡倉天心、金子堅太郎、家永豊吉、ヨネ・ノグチ(野口米次郎)、朝河貫一の業績を紹介したもの。
(2007/2/12 読了)
英語もイタリア語も観光旅行なら何とかなるという程度にしか話せない私は、ペラペラな人はそれだけで感心してしまう。
だが、それ以上に感心させられるのが、世論の微妙な動きを読み切って効果的な言論を駆使した手腕であり、さらにはその論法が相手の同情にではなく理性に訴えかけ、それによって好感情をも得た点である。
今の日本の外交担当者たちにも、同じ手腕があって欲しいものだ。
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「日本海海戦はイギリス海軍の観戦武官が指揮していた」 須藤喜直 【――】
  2007年2月 成甲書房(副島隆彦・編著「最高支配層だけが知っている日本の真実」所収) 四六版並製 国立国会図書館で閲覧
日本海海戦での勝利は観戦武官たちの力による、と論じたもの。
(2007/12/22 読了)
【 】の分類を決める気にもならない。
著者の須藤喜直氏は、これが掲載されている書籍を編著している副島隆彦氏の主宰する民間シンクタンクの、ウェブ管理と事務の担当者。
この文は副島氏が以前に書いたものを下敷きにしているのだが、両氏がもしこれに書いたことをこれに書いてある論拠だけで本気で信じているのなら、今すぐシンクタンクなど閉鎖してしまった方がいい。こんな薄弱な状況証拠だけでこれが真実だと言い切れるなら、世界に歴史は無数のバリエーションが存在してしまう。
以前から観戦武官について書いたものがないかと探していたので、掲載書籍の書名に危惧を覚えながらも閲覧してみたが(私には「〜の真実」という書名の本に説得力のある本は少ない、という持論がある)、冒頭に東郷や秋山の後ろにはイギリスの観戦武官がいて指揮をしていたと断言する副島氏の文章を掲げながら、日本海海戦当時三笠に観戦武官がいたという事を書いた資料をあげることすらできなければ、もちろんその観戦武官の名を記すことも出来ない。
仮にこれに書いてあるように「T字戦法」や最新の砲術がイギリス海軍により伝授されたものであり、また東郷たちの背後に観戦武官がいたというのは比喩的表現であったとしても、表題は「指揮していた」ではなく「指導していた」でなければ不適当だろう。
なにしろ、「指揮していた」論拠を挙げることができているのは、第一戦隊の殿艦日進のマヌエル・ドメック・ガルシアだけなのである(ガルシアは『アルゼンチン観戦武官の記録』(1998年↑)の著者)。その論拠というのが、彼の孫が「日進の艦長たちが負傷した後に指揮をとった、国際法違反だから黙っていた」という彼の言を伝えていることなのだが、さて、孫がそれを聞いたのはガルシアの「ひざの上」である。
いかに頑健な軍人で体力的にそれが出来たとしても、成人した孫をひざにのせて話をするという状況は通常ありえない。話を聞いたときの孫は明らかに「子供」と呼ばれる年齢だったろう。
おじいちゃんというのは、幼い孫には見栄を張りたいものである。抱っこしている孫から「すごい海戦だったんだね。それで、おじいちゃんは何をしてたの?」と聞かれて、つい悪意のない冗談を言ったら孫がそれを真に受けてしまった、というのはありそうな話ではないか?
すくなくとも私は、公式な文書なり、ガルシアの指揮の現場に居合わせたものの証言なりがひとつでもない限り、これを可能性のひとつとして留保することはしても、これが真実だと断定する気にはなれない。
またこれが事実であったとしても、指揮官が負傷してしまったので指揮をしたのであれば、それはあくまでその場限りの暫定的なものであり、日露戦争はイギリス人の主導の元で戦われたという著者の主張とは意味合いが異なる。そもそもガルシアはイギリス人でなくアルゼンチン人である。
海戦ほど詳細ではないが、陸戦においても著者等はイギリス人の観戦武官の指導があったように書いている。
日本の未成熟な騎兵が名だたるコサック騎兵をしのぎえたのは、日本騎兵の父といわれる秋山好古が騎兵を馬から下ろして機関砲を持たせたからだが、観戦武官ハミルトン(『思ひ出の日露戦争』(1908年↑)の著者)が本国で「騎兵は機関砲に対抗できない」と説いても、第一次大戦で実体験するまでイギリス陸軍はそれを信じなかった、ということを、この著者はどう説明するのだろう。
著者が『坂の上の雲の真実』と並んで何度か引用している書籍に『「坂の上の雲」では分からない日本海海戦』(2004年↑)があるが(私はこの書籍にもいくつかの「?」を持っている)、私もこれから一文を引用しよう。
「戦争の英雄の評価を下げると、日本人は溜飲が下がるのだろうか?」
副島氏は陰謀史観がお好きなようだが、日露戦争はロシアを叩きたいが自分ではやりたくないイギリスが日本をそそのかしたのだ、という見方はそれこそ日露戦争当時からある。戦っていた兵士達自身が、それを風刺した芝居を自分達で演じて戦闘の合間の娯楽にした、という資料さえある。
日本はそんなイギリスの思惑を知った上で、それなら「栄誉ある孤立」を維持していたイギリスを明確にこちらの陣営にすることが可能だとして日英同盟を結んのだである。
何を今さら、というものだ。
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『写真で見る 海軍糧食史』 藤田昌雄 【海軍食研究】
  2007年3月12日 光人社 A5版並製 新刊書店で購入
写真だけでなく図や表などを豊富に掲載して、幕末の咸臨丸から昭和の終戦までの海軍食や、その設備、補給体制などの変遷を述べたもの。
(2007/6/10 拾い読み)
写真や図が多いので、パラパラとめくっただけではとっつきやすく見えるが、文章内容はひたすら真面目。
「日本海軍のグルメ事情!」という帯のコピーで期待してしまうような、こぼれ話、裏話のたぐいは一切ない(と思う。まだ通読していないので断言はしないでおく。)
この本のおかげで『戦艦三笠すべての動き』(1995年↑)を読んで以来、一体なんだろうと思っていた「三本行」というものが、砂糖の一種であることがようやくわかった。
それにしても、調理にフードプロセッサーを使っていたり、食材やレシピが想像以上に多種多様だったりと、21世紀現在の独り者の私よりも海兵さんのほうが余程いいものを食べてるな〜というのが実感である。もっとも、私が栄養が足りてさえいりゃいいや、というズボラな食生活をしているだけなのだが(^_^;)。
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『海軍装甲技術史 戦艦富士・三笠から大和まで』 寺西英之 【装甲研究】
  2007年3月25日 慶友社 A5版上製 ネット書店で購入
軍艦の装甲技術の進化の過程や、それがどのような過程を経て実際に採用されていったかをも述べたもの。
(2007/6/4 拾い読み)
あはは、わからん(^_^;)。
私は製鉄会社の職員じゃないんだ、鋼鈑製造技術の専門用語なぞ知っているものか(と、居直り)。
bk−1の分類では利用対象は一般となっていたし、ページ数も144ページ程度であれば、一般向けに噛み砕いて書いたものであろうと思って注文したのだが。
とはいえ、日露戦争時の連合艦隊の戦艦のうち富士、敷島、三笠はそれぞれ、既に計画段階を越え建造が始まっていたにもかかわらず、新しい装甲が開発されるや、そちらに切り替えていたことはわかった。
三笠は日露戦争当時、最先端をいくハイテク戦艦であったとされるが、装甲の採用過程からそれをうかがい知ることはできた。
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『歴史読本2007年9月号 特集 大日本帝国海軍 聯合艦隊』 【雑誌特集記事】
  2007年9月1日 新人物往来社 A6版並製 新刊書店で購入
日清戦争から太平洋戦争までの、主だった日本海軍の海戦を網羅。
日露戦争に関係があるのは、巻頭カラーの「記念艦三笠」と、北澤法隆氏による「日露戦争海戦史」と「日本海海戦研究最前線」、大原徹氏による「日本海軍「名参謀」列伝」、田中正智、中村治彦の両氏による「日本海海戦における情報通信戦」。
(2008/8/14 上記日露戦争の関連記事は読了)
この雑誌の掲載記事で知ったことがいくつかある。
1.信濃丸のバルチック艦隊発見の第一報が「203地点」だったのか「456地点」だったのかだが、203高地を連想させる数字に意気が上がったという記述の本がある一方で、映画『日本海大海戦』(1969年↑)などでははっきりと「456地点」と言っており、何より「四五六地点」の電文用紙が残っている。どちらが正しいのやらと思っていたのだが、「日本海海戦における情報通信戦」の注に、この電文用紙は翌日の敵の残艦発見の時のものと書いてあり、「へ?」と思ってよく見直してみたら、確かに日付が28日だった。
2.日本海海戦の27日15時の第一戦隊の一斉回頭は、旗艦三笠の戦闘詳報にはジェムチューグ型の魚雷発射を慮ったためとあるのだが、日本の主力艦の後ろを抜けようとするバルチック艦隊の頭を押えるためだったとするものが非常に多い。魚雷発射を避ける戦策があったという記述はこちらの「日露戦争海戦史」で初めて見た。(私が初めて見ただけで、過去にも同じことを言及したものがあるのかもしれないが。)
3.「日本海海戦研究最前線」では、何より『極秘 明治三十七八年海戦史』(1905年↑)がネットで公開されていること、である。防衛研究所に行かなければ読めないとばかり思い込んでいた上に、私がちまちまと参照に行っていたアジア歴史情報センターでの公開であったので「何で今までダメモトで検索してみようと思わなかったんだ〜〜」と喜び半分、後悔半分であった。他にも、東郷ターンと丁字戦法を切り離して考えるべきという記述など、北澤氏の著述には示唆されるところが非常に多い。
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『もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から』 コンスタンチン・サルキソフ 【史料翻訳・解説】
  2009年2月25日 朝日新聞出版 四六版並製 新刊書店で購入
前4分の1は、日露が開戦に至った経緯を主としてロシア側から分析したもの。
残り4分の3がメインで、、ロジェストウェンスキー提督がバルチック艦隊の出航前から、日本で捕虜となっている間までに妻にあてた手紙30通の全文と、日露戦争終結の翌年に知人へあてた手紙の抜粋1通、およびその解説。
(2009年3月15日 読了)
著者は、山梨学院大学大学院の教授。ロ提督の手紙の発見は、山梨学院大学の主催する国際会議にロ提督の曾孫が来日し、その存在を著者に告げたことによる。へ〜、山梨学院大学って駅伝ばっかりやってるわけじゃないんだ(失礼だろう、と自分でツッコミ)。
手紙からうかがい知れるロ提督は、第三艦隊を待つよりとにかく一日でも早くウラジオストックに入ることが肝要であると認識していたことをはっきり確認できる。
自分の艦隊の戦略的位置づけや、それに必要な戦力を自艦隊が持ち合わせているかいないかの判断は十分にできているわけである。
それでも日本海へ向かったのはそれが本国からの命令であったからだが、黄海海戦の戦訓により、戦艦は砲戦では簡単に沈まないとの認識があり、したがって、ある程度はの艦はウラジオストックへ行きつけるとの判断があったからだろう。「日本が我々を撃滅することはありえない」と書いている。実際、「浪高し」でさえなかったら、沈まなかった艦もあったものと思われる。
なお、仕方のないことではあるが、捕虜期間中の手紙は日本側に検閲されることを見越して書かれており、海戦の実際については何の記述もないのが残念である。
従来ロ提督は、部下に対して短気とか傲岸とかいった具合に否定的に描写されることが多かったが、ロ提督の主観に立脚する本書では、ロ提督が部下に対して厳格に対したことがバルチック艦隊の精神的崩壊を防いだとの見方をしている。
そうした見方は『ロジエストウエンスキイの悲劇』『對馬海峡』(1937年↑)にかなり近い。手紙のコピーを提供した曾孫が以前に同書のロシア語訳を刊行するのが夢と語っているが(朝日新聞夕刊連載コラム『交流150年 司馬遼太郎のロシア』2005年9月↑)、なるほど納得である。
ただし、ロ提督の主観ではそうかもしれないが、殴られる部下、特に幕僚ではなく下っ端の水兵にしてみればそんな真意など知ったことではないわけで、厳格にするにしてもその表し方が従来の評価を招いたとは言えるのではないかとも思うが、どうだろう。
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『世界史の中の日露戦争 戦争の日本史20』 山田朗 【戦史】
  2009年4月1日 吉川弘文館 四六版上製 新刊書店で購入
日露戦争の戦史を、報道、諜報といった情報戦争の面を特に意識しつつ全般を解説したもの。
(2009/3/21 読了)
日本海海戦の丁字戦法に関して、私の判断は北澤法隆氏のもの(『再考東郷ターン』2001年↑)に近いのでここだけは異論を唱えたいし、細かい間違いがないわけでもないが、新説を唱えようとするあまり奇説珍説に陥るということもなく、日露戦争に詳しくない人向けにすすめるには手頃といったところ。
刊行がやけにのびのびとなってずいぶん待たされたが、これは前年に石原藤夫氏(当HPの掲示板にオロモルフの名でおいでいただいている)の『国際通信の日本史』の改訂版(初版の日付で載せてあるので1999年12月↑)が出たために、情報に必要な通信面を書き加える必要が出たからと思われる。
ただし、巻末の参考文献一覧を見ると、情報面を除けばほとんどの研究書が2000年まで、いくつかは1960年代と古いものばかりである。
日露戦争100周年の2004年、2005年には研究書が大量に出ていたにもかかわらず『日露戦争の兵器』(2005年5月↑)一冊しかないし、『明治三十七八年海戦史』も公刊版であって極秘版でないなど、前述のとおり新説を唱えようとするあまり奇説珍説に陥るということがない代わりに、新味もない。
もっとも、ろくに知識もないくせに最新の本からかき集めて、それが簡単に検証できる誤りであることに気づきもせずに、原資料から調べた、これぞ真実と強弁するようなシロモノ(『真説 日露戦争』2005年9月↑)より良心的ではある。





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